エラスムス平和研究所 Erasmus Institute of Peace Studies Director Yoshio Iwamura

Erasmus Institute of Peace Studies 

 9・11テロへの報復としてアフガニスタンに米軍は無差別爆撃。無辜の民が犠牲になりました。エラスムス平和研究所 Erasmus Institute of  Peace Studies は「「剣をとる者は皆,剣で滅びる」 (マタイ 26:52)に,基づいて,立ち上がりました。本格的な創立は構想,活動,理念ができてから10年を要しました。2011年10月31日です。事務局を〒655-0049 神戸市垂水区狩口台5-1-101に置くこと,所長岩村義雄1名を決定しました。

 平和・平和主義は英語でPeace/Pacifism ドイツ語でFrieden/Pazifsmusです。「平和研究」は,「人類の共通価値としての平和を実現するために,学問(科学)の立場から貢献しようとする学際的研究と教育」とも言われます。哲学や国際法の分野では,19世紀頃から平和に関する研究が始まり,第一次世界大戦[1914-1918]という史上初の総力戦の結果,兵士の死者1000万人,負傷者2000万人,民間人500万人の犠牲をもたらしました。その影響で,ヨーロッパの各大学に平和学の学科が設置されました。チェコのカレル大学(英語名 Charles University)が最初です。
 戦争は歴史統計からどのようにみなされてきたのでしょうか。1970年代前半にDavid SlingerとMelvin Smallの研究やミシガン大学の戦争統計プログラムから統計上精緻なものとなってきました。
1946年から2012年の「ウプサラ紛争データプログラム」によると,「戦死も戦死者も減少傾向にある」と報告し,世界中の戦争研究者は用いていました。

 明治維新[1868年}から100年の節目である1967年に,政府は「建国記念の日」である2月11日を「建国記念日」として運用を始めました。つまり,初代天皇とされる神武天皇の即位日である2月11日を祝う「紀元節」の復活です。そんな有司専制がよみがえってきた2月11日に,セミナーなどを開催しました。2001年2月11日,エラスムス平和研究所設立準備委員会が「南京大虐殺事件の顛末」などの集会を皮切りに,過疎,高齢化,少子化になった明舞(めいまい)団地で産声をあげました(下記参照)。後に,神戸国際支縁機構を通して2010年3月10日には「アジア共同体宣言」を発信しました。北東アジアのみならず,9・11テロ以降,空爆による犠牲を強いられてきた無辜の民が居住するアフガニスタン,イラン,イラクなどを無視するわけにはいきません。
本会の正式な発足後,2012年11月18日,日本軍戦争加害博物館を神戸地域に造ろうという発信をしました。2013年12月に,「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」(略称 推す会)の設立発起人として産声をあげる源流となりました。「みんなで考える“ヒューマン・ライツ”」のセミナーも開催。原則として,1ヵ月に一度の定例会を開催し,現在に至っています。

シオニズムの興隆こそ叫喚に値する」(エラスムス平和研究所 2024年)。英文付き

“The rise of Zionism is worthy of shouting”(Erasmus Institute of Peace Studies,August 25,2024)

『平和のための宗教』―対話と協力 16 (WCRP日本委員会 2024年) 
Open Book

「阪神宗教者の会」 2024年5月24日 木村公一牧師



「平和」のために宗教者が担える役割とは何か 

平和学が専門の遠藤雅己司祭が講演 
2023年2月27日 「阪神宗教者の会」

2023年2月6日 シリア・トルコ地震

シリア国アレッポの「カヨコ・チルドレン・ホーム」責任者からSOS  
 第35次球磨川(熊本豪雨)ボランティアで,九州にいる月曜日。アレッポから緊急連絡。
 2月6日現地午前4時17分(日本時間同10時17分),震源地はトルコ南東部ガジアンテップ県Gazaiantep。マグニチュード(M)7.8の地震発生。強い揺れで1,555人が死亡。負傷者6,400人。隣国トルコのエルドアン大統領によると,捜索・救助活動は続いており、最終的な死傷者数は予測がつかないと記者団に話した。  
 シリアは783人の死者。目下,神戸国際支縁機構はシリア国アレッポの孤児の家「カヨコ・チルドレン・ホーム」の責任者バヘード氏と連絡を取り合っている。アレッポにはトルコと異なり,他国からの支縁がほとんどなく,余震の中で怯えておられる。
 日本からの「カヨ子基金」を通じて救援金を届ける。私たちはシリアの孤児たちに5年前から寄り添っている。みなさまのご支縁をお願いします。

シリア 『SANA』紙(2023年8月11日付)。

第5次シリアボランティア報告

 2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻しました。従来の戦争減少傾向仮説は吹っ飛びました。


  ⇒   神戸栄光教会 講演 完全原稿


岩村義雄牧師,ウクライナのザポリージャなど訪問 キーウ神学校の神学教育責任者と対談

⇒ Yoshio Iwamura visits Zaporizhia in Ukraine and talks with the director of theological education at Kyiv Theological Seminary 

“UINNO NEWS”(July 10, 2023)

『災害と共生』6巻 第2号(佐々木美和 大阪大学大学院 2023年 7-19頁)

『クリスチャン新聞』(2022年10月15日付)

世界宗教者平和会議 2022年3月10日
 
WCRP 「平和大学講座」 基調発題岩村義雄
「宗教はコロナウイルス後の社会をどう目指すか」第1章 

『祈りの波』(2021年5月28日)。

『祈りの波』(エラスムス平和研究所 2021年5月28日)』(英文付)
      “Is it right to be indifferent to tragedy in Palestine?” “Wave of Prayer” Erasmus Institute of Peace Studies May 16, 2021

『中外日報』(2020年12月11日付)。
平和合同祈祷会 2020年12月2日 賀川記念館
エラスムス平和研究所 所長岩村義雄 2020年12月2日

『本の広場』(2020年7月号)

  

エラスムス平和研究所

 日本の終戦は1945年8月15日ではなく,同年9月2日である

 「無条件降伏の日」(1945年9月2日)に思い出すであろう預言

今の安倍晋三首相では「日中関係修復は困難」。NHKも2013年7月に起きた中国の豪雨被害を大きく報道しない。東日本大震災を上回る規模であろう。隣国の不幸に機敏に対応してこそ義であろう。いくら領土,外交がこじれていても,隣人が困った時に何もしないのは大人げない。
あれよあれよと言うまに,日本は軍事大国へまっしぐら。安倍晋三カラーが打ち出されてきた。武器を海外で売る死の商人(戦闘機),海外で武装して紛争地帯に派兵(ソマリア),憲法9条を改正して,日本大帝国復活へと舵を切った。
海外メディアが日本について報道する内容は東日本大震災が二年ほど続いていた。しかし,急速に,安倍晋三政権以降,日本政府の歴史認識見直しをけん制する論調が目立つ。米国,オーストラリア,ロシアなど国粋主義,右傾化を奇異に感じている。
一方,日本の空気は,分別のある世代が,冷静さを喪失し,軍備拡張の狂気の実相をさらけ出しても,健全なクリティックがなされないメディア界。忍び寄る軍靴の足音,生活困窮している若者層が不満,屈辱,格差社会にあって暴走する政治家を支持する危険な領域に入っている。

今,黙視できない軍事国家への道。 教会

Visit Syria
Director of Erasmus Institute of Peace Studies
Yoshio Iwamura
February 4-11, 2018

「人類史 最大の人道上悲劇―第2次次シリア・ボランティア報告」  “Humanity’s greatest Humanitarian Tragedy―The 2nd Syria Volunteer Report―”
「世界は瀬戸際に立たされている」

完全原稿 シリア報告
英文 Complete manuscript of  English ⇒ The 2nd Syria Volunteer Report

2018年2月18日
エラスムス平和研究所
所長 岩村 義雄

『読売新聞』(2018年5月3日付)

『神戸新聞』『産経新聞』(2018年2月23日付)。

主題聖句: エレミヤ 22:3 主はこう言われる。正義と恵みの業を行い,搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人,孤児,寡婦を苦しめ,虐げてはならない。またこの地で,無実の人の血を流してはならない。

<序>
今年になって,2回目の中東訪問。トランジットで立ち寄るカタール国の首都ドーハまでカタール航空の機内にはたくさんの日本人旅行者がいました。ドーハからはひとりも日本人はいなくなりました。それもそのはずです。日本政府の外務省は,渡航を自粛するように警告を発信しています1)。レバノンのベイルート空港で厳密な入国手続きをします。「日本人か」とは一度も問われませんでした。なぜなら中国人,韓国人は見かけることがあっても,日本人は訪問していないからでしょう。福祉施設で介護の仕事をしていた香田証生[しょうせい 1979-2004] さんがテロに巻きこまれた際,日本のメディアは小泉純一郎元総理の「自己責任」という言葉の非難色によって,人道的救出を断念する空気が高まりました2)。「弱きを助け強きをくじく」“Side with the weak and crush the strong.”という武士道の精神がかつては日本にはありました。庶民がふつうに持ち合わせていた道徳観「惻隠(そくいん)の情」が失われてきました。惻隠の「惻」は,同情し心を痛める意。「隠」も,深く心を痛める意。人が困っているのを見て,自分のことのように心を痛めるような,自他一如(いちにょ)の心もちです。
本来の「責任」の取り方とは,人道的に,困っている人がいるなら国のメンツ,たとえたった一人の「いのち」であっても救出する姿勢ではないでしょうか。テロ側のいかなる要求をも呑むぐらいの責任感を示して欲しかったものです。人質にされた本人に,また紛争の犠牲になった人たちへの「共感」が響き合わない民は不幸です。経済にしても,一握りの人だけが潤沢になり,大企業の内部留保,社員への分配より株主優先,弱者切り捨てが平然と行われるようになってきたエートスと平行しています。政治も2011年3月以降の日本史上稀有な規模の自然災害復興よりも,成長路線を主導しています。2020年オリンピック,リニア,原発再稼働と蜃気楼のような不確実な政策で民をマインドコントロールしています。大学は基礎学力を身につけるより,グローバルな企業戦士を育てるため専門学校化しています。文学部を切り捨て,工学部だけに技術国家の命運を託し,少子化で運営ができない故に,社会と同じ,非常勤講師ばかりを雇い本来の学問研究が衰退しています。
一方,中東に行くと,親子,夫婦,家族の親密さに日本人はたじろぎます。抱擁,男同士でも接吻,ぬくもりのある縁は,日本人がどこかに棄ててしまったと言えないでしょうか。共同体の生命線が損なわれてしまっています。
2011年3月の東日本大震災と同じく,シリアに利権に目ざとい大国の魔手が忍び寄り,民は復旧,復興,再建ができない呻き声を発しています。いつから日本人は,我が身しか考えない薄情な民になってしまったのでしょうか。
六甲バターやUCCで大きく寄与された平澤久紀兄とシリア人難民への救援に向かった体験を報告させていただきます。

(1) シリア 
 a. どんな国

シリアは西アジアの西の部分にあって,面積は日本の約半分人口は約30分の一,緯度は日本と同じく北緯33~36度の間にあります。私たちが訪問した2018年2月7日,シリア西境のアンチ・レバノーン山脈には深雪に覆われていました。ベイルートからはベッカー高原を通りました。西にはクルナ・アッサウダー山(3088㍍)があり,スキーを楽しむ人々がいると耳にしました。ベイルートの北東約85kmを過ぎたあたり,ベカー高原の中央にある古代遺跡 フェニキアの神ハダド(バアル神)が祀られていました。ユネスコの世界遺産になっています。山と言えば,イスラエルとの国境にはヘルモン山があります。イエスが変貌した山と言われています。(マタイ 17章)。


大シリアの地図 ウィキペディア

他のアラブ諸国の街と比べてみると,シリアの首都ダマスカスは森が多く,バラダ川が中心に流れています。エジプトのカイロはナイル川流域ということですけれど,砂漠の中の都市というイメージがあります。しかし,ダマスカスはオアシスらしい生活習慣があって,決して川自身はきれいではありませんけれど,お茶とか,お弁当とかを持って,夕涼みを楽しんだりします。ダマスカスの人たちは自分たちのことを「シャーミ」と言います。「シャーム」というとアラブ世界において数少ない穀倉・農耕地帯であるシリア地方(シリア・レバノン・パレスチナ・ヨルダン)を指します3)。元来は「大シリア」と呼ばれる文化的共通地帯でした。

b. 聖書にゆかりの深い地域

シリア地域はアルファベットの発祥の地であります。フェニキア人は地中海,紅海などの海洋貿易だけでなく,チグリス・ユーフラテス川に添っているメソポタミアで活躍していました。メソポタミアの楔形文字とエジプトのヒエログリフの良いところを用いて,アルファベットを作ります。ヘブライ語で書かれた死海文書では,神名テトラグラマトンYHWH に限ってフェニキア文字を用いました。


一番下の行に,フェニキア文字の4文字がヘブライ語の中にある。

メソポタミア地方は農耕に適した肥沃な三日月地帯と呼ばれています。遊牧民であった部族が定着して大都市が誕生していきます。アブラハム(アラビア語イブラヒーム)は一族すべてと共に現在のイラクのウルから神の「約束の地」と信じて移住してきました。後の時代に,エジプトで苦役していた民もモーセ(アラビア語 ムーサー)に引き連れられ,乳,蜜流れる地としてカナンにやって来ます。
シリアは,かつてのヨルダン,レバノン,イスラエルなど全部を含めての地域を指していました。
ソロモン[紀元前1011年頃-紀元前931年頃]王が支配した地域について,聖書の記録では現在のシリアが含まれています4)
歴代誌第二 8:4 荒れ野のタドモルと,ハマト地方の補給基地の町をすべて築き上げた。
列王記第一 5:1 ソロモンは,ユーフラテス川からペリシテ人の地方,更にエジプトとの国境に至るまで,すべての国を支配した。国々はソロモンの在世中,貢ぎ物を納めて彼に服従した。
栄耀栄華を極めたソロモンの支配区域は東境のユーフラテス川から南はエジプト,北は現在のトルコのアンティオキア,西は地中海のキプロス島まで版図でした。
やがて,アッシリア,バビロニア,メディア・ペルシアなどの強国が交替しながら支配していきました。

アレキサンダー大王,ローマ帝国にいたるまで東西交易の中心となりました。国際都市パルミラはアラム人,アラブ人,ペルシア人,ユダヤ人が住みついていました。

7世紀にイスラーム教の預言者ムハンマドが生まれ,イスラーム教徒の勢力が爆発的に増え,ウマイヤ朝時代にダマスカスが首都になりました。

クルド人サラディン[1137-1193]は十字軍を駆逐します。しかし,キリスト教徒にはエルサレム巡礼を認め,サラディンは捕虜を寛容に,丁重に扱います。オスマン・トルコ帝国の時代になってもイスラーム教はシリアの人々の求心力でした。

 c. 現代のシリアの地勢

ヨーロッパ諸国において資本主義が発達し,伸張していくと,中東も影響を受けるようになります。オスマン・トルコ帝国が弱体化していくにつれ,ドイツ,英国,フランスは中東を足がかりにアジアに進出します。ヨーロッパはアジアの中国,インド,アフリカの植民地支配に狂奔することとなります。
同時に中東でもアラブ民族主義運動が起こり,独立の声が高まります。
第一次世界大戦[1914-1918]後,オスマン帝国は解体され,1922年国際連盟において,イギリスとフランスの二国によるシリアの分割支配が決議されました。イギリスはトランスヨルダン地方とパレスチナ地方を奪い,フランスは現在のシリア・アラブ共和国およびレバノンを奪ったのです。イギリスはアラブの諸民族とイスラエル民族に独立を示唆しながら,その裏ではフランスと分割について密約を行ない,三枚舌外交で翻弄します。
大国が領土の国境線を勝手に決めたために,中東の悲劇を収拾できなくなってしまったのです。
したがって,欧州が中東分断の導火線であることは歴史的事実です。

(2) シリア 日本の報道はどこまで真実か
 a. 2011年3月に何があったのか

2011年3月,シリア南部の都市ダルアー。前年末からチュニジアやエジプトで発生した大規模な民主化デモ「アラブの春」に触発された少年15人が,学校の壁に政府批判の落書きをしました5)
2001年の「9月11日の米国同時多発テロ事件以来,米国のあらゆる外交は『テロとの戦い』に集約されているように見える。そして世界の外交もこのアメリカの『テロとの戦い』に異論を挟む余地がないようだ。……アメリカの『テロとの戦い』と符合をあわせるかのようにイスラエルの対パレスチナ攻撃もかつてない規模で繰り返されている。オスロ合意以降の和平の積み重ねは完全に崩れ去った。国際社会はなんら有効な手を打てないでいる」,とレバノン大使を経験した天木直人氏は語っています6)
過激派組織「イスラム国」(IS)のナイフによる斬首を悪魔の所業と世界に恐怖感を植えつける宣伝をしながら,空爆により無差別にシリア市民を殺戮するアメリカは正義と言い切れるでしょうか。日本の報道では絶対にわからない闇があります。


2017年8月21日 米軍によるラッカ攻撃

市民ジャーナリスト集団“RBSS”(Raqqa is Being Slaughtered Silently/ラッカは静かに虐殺されている)は「イスラム国」の本拠地であったシリアのラッカを2017年追い出されました。ラッカの死者は3259人に及びます。内訳は「イスラム国」による被害者は548人にすぎません。残りの63パーセントは米軍などの空爆の犠牲になった人々です。

2017年12月28日
ラッカから脱出した難民 マリッシュ


2018年2月8日 アルサール近くのラッカからの難民

米国大統領の安全保障担当補佐官,マクマスター陸軍中将は「ベトナム・アフガン・イラク戦を通じ米国政府は戦争をテクノロジーで解決できると考えてきたがこれが間違いであった。戦争は昔も今も政治的で人間的なものである」と言っています7)
「米政府はシリア情勢で取りあえず『何かをした』という形を残せればいい考えのようだがこのやり方は最悪の選択だ 2006年,ドイツもアフガニスタンで55名死者」,というような具合です8)
私たちが中東を離れる2月10日,イスラエル空軍は12個所を空爆していました。

b. アサド政権が諸悪の元凶なのか
シリアはアラブの春に逆行し,アサド政権がサリンなど化学兵器を用いているという米国の宣伝によって,アサドが自国民をジェノサイド[集団殺害]しているかのように,日本の多くの識者は受けて止めています。欧米メディアでは,アサド政権が「悪魔の独裁政権」「残虐な殺人政権」のような一方的な報道をしています。しかし,私たちが出会ったシリア人はアサド政権を支持している人たちが多かったことは事実です。反政府勢力の方がむしろ孤立している印象をもちました。
アサドについて,隣国のレバノンの人々はどう考えているでしょうか。レバノンでのマロン派キリスト教徒の存在は大きいです。キリスト教徒の代表ともいうべきベシャラ・ライ総主教は,2012年3月にアサドについて発言しています。「我々は今アラブの春を生きているというが,この春は暴力と殺し合いに満ちて,冬に向かっているというべきだ。武力では改革を実現できない。失うもの,損害が計り知れない規模になる。……シリアのバアス党政権はたしかに大変な独裁政権だ。しかし,アラブ世界を見てみれば,どこも独裁政権ではないのか。そして皆イスラム教を国教としている。しかし,シリアは違う。その分,シリアは民主主義にもっとも近い国だといえる。自分は何もシリアを擁護しているのではない。だが,シリアが一歩前進しようとしているとき,暴力と破壊が猛威を振るっているのは何とも不幸なことだ」9),と駐シリア特命全権大使を務めた国枝昌樹氏は引用していました。
ISが勢力を拡大し,ラッカを拠点にして,シリアで勢力を伸ばしたのはなぜでしょう。世界がアメリカやイスラエルを支持し,アサド政権と反政府側の内戦に無関心であったことが最大の要因と考えられます。「もっと早くに内戦に折り合いをつけることができていれば,ISがこれほど勢力を拡大することもなかった」という報告もあります10)
元レバノン大使が「米国の怒りに怯えるアラブの為政者たち 『テロとの戦いに協力せよ,さもなければテロ組織と同罪である』と迫っている」11)と紹介しています。欧米諸国は自分たちの都合の悪いニュースは隠蔽してきました。生物兵器,サリン,大量破壊兵器などを所持していると,一方的に敵国とみなすような報道をして国際世論を誘導してきた陰謀は歴史が証明しています。
欧米勢力は,本当は矢継ぎ早にアラブ圏を崩壊させたかった意図があったようで,リビアの崩壊劇も非常に強引でした。カダフィ政権は民衆の蜂起で自然に倒れたのではなく,無理やり欧米勢力に崩壊させられたのです。
ドイツも長くつづいた「専守防衛」の立場を90年代に転換し,アフガン戦争に「後方支援」の限定で派兵しました。前線も危ないですが,兵站(へいたん)こそ狙われるのは常識です。「後方支援」という言葉は,兵站という戦争行動をごまかすために使われはじめました。
ここシリアでも,「何が何でも」アラブ圏の既存政権を崩壊させるという大国の意図が見えます。21世紀になってからのアラブ圏の動静をみてみましょう。
2001年 アフガニスタン崩壊
2003年 イラク崩壊
2009年 (イラン崩壊に失敗)
2011年 チュニジア崩壊
2011年 エジプト崩壊
2011年 イエメン崩壊
2011年 リビア崩壊
2012年 (シリア崩壊に失敗)

あまりにもアメリカ目線であった故の内戦の泥沼化がイスラエル空爆とISの伸張の引き金になったことについて世界は覚醒しなければなりません。

c. ヒズボラ
ヒズボラと日本で聞くと,反政府テロ組織の牙城のように聞こえます。
「内戦が続くシリアでは,イランやレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラがアサド政権を支援している」,と報道が繰り返されます12)
ヒズボラとは,レバノンのシーア派系イスラム原理主義政党であり,「神の党」という意味です。法学者フセイン・ファドラッラー師が精神的指導者といわれています。1982年のイスラエルによるレバノン侵攻後にイランの援助を得て発足し,シリアからも支援を受けています。
ヒズボラは合法的政治組織であり,シーア派を中心にレバノンでも民の支持が強いのです。1992年の総選挙に政党として初参加。イスラエル軍およびイスラエルが支援する南レバノン軍 (SLA) に対する攻撃を繰返す同名の民兵組織をもち,パレスチナ解放機構 PLOの進める中東和平には反対の立場をとっています。1996年4月にはイスラエル北部へのロケット弾攻撃を激化させ,これに対しイスラエルも反撃を強めました。しかし,ヒズボラは欧米人や日本人が考えるテロ集団ではないことはベイルートに行きますとよくわかります。レバノンの国内においては国会議員128名の内10名がヒズボラです。つまりヒズボラはれっきとした合法組織です。レバノン・日本友好議員連盟にもヒズボラのメンバーも含まれており,交流しています。
国連はレバノンとイスラエルの国境に沿ってブルーラインを設定しました。すべてのレバノン領土からイスラエル軍が撤退するように安保理決議425を1978年に採択し,イスラエルに撤退を迫りました。シェバア農地,14の農村からなる25平方キロメートルが再び紛争の火種になっています。シリアとイスラエルのゴラン高原の領土紛争として未解決のままと同様です。ヒズボラがブルーラインでイスラエル陸軍の侵入を防いでいるおかげで,レバノンではヒズボラは人気が高いのです。
イスラエル軍は中東訪問中の2月10日,シリアにあるイランの軍事施設など少なくとも12か所を空爆しました。イスラエルはまさに中東のやくざのような驚異的な存在です。
イスラエルは,周辺国から憎悪を受け続けながら存続している国です。憎悪を向けられれば向けられるほど,それに対して強硬な軍事攻撃で相手を黙らせてきました。
1982年のレバノン戦争による一方的なPLO・シリアの敗北後,イスラエルは残る半分についても食指を動かしはじめました。「イ・イ戦争」(イラン・イラク戦争 1980-1988)が激しさを増すにつれ,イスラエルはその裏側でエルサレム市の完全支配を始めようとしています13)
「イスラエルは無抵抗の市民に対する国家的テロをほしいままに続行しています。その結果アラブの民は,絶望と悲運の中に過激な行動に走るほかにすべのない状況に追い込まれています。……イスラエルは常に武力の優位という幻想に固執し非妥協的な強行政策のみが自らの安全保障をもたらすと信ずる国です」14)
「日本のマスコミはイスラエル市民が死んだときはテロの犠牲者として悼むが,パレスチナ人がイスラエルの戦闘機で爆死させられても報道しない」15)
ダマスカスでパン屋を営むアイユーブさん(48)は,政府が化学兵器を全廃するという約束をしても,「米国が次にどんな文句を言ってくるか分からない。反体制派の支援も続け,内戦を長引かせるつもりだろう」と,米国への不信感をあらわにしたと,共同通信社の津村一史記者は指摘しています16)
したがって,いろいろな報道,政府の発表をうのみにしてはいけません。歴史学者ハワード・ジン[1922-2010]は「政府は嘘をつくものです。ですから歴史は,偽りを理解し,政府が言うことを鵜呑みにせず判断するためにあるのです」と述べていますが,その言葉に留意しなければなりません17)
「国家が人間に対していかに恥知らずな振る舞いをするか,こんなことを知ったのはわたしたちが最初なのです。国家というものは自分の問題や政府を守ることだけに専念し,人間は歴史の中に消えていくのです」18),とチェルノブイリ原発事故をめぐる国の隠蔽する体質を白日にさらした記録もあります。

(3) 世界はシリアの難民を見放してしてまったのか
 a. 第二次世界大戦以来の最大の人道危機
世界最古の文明の発祥地チグリス・ユーフラテス河畔のシリアは,もはや終わりのない人類最大の悲劇の大地と化してしまいました。
シリアの人口1856万4000人(2016年国連推計)の内,国内避難民の数650万人,シリア国外難民の数515万6909人(UNHCR 2017年7月6日現在) 19)
「反政府勢力が発射するロケット弾も日常的な脅威となっている。最初の2~3年は,多くの人がいずれ内戦は終わると考えて,親戚や友達の家に身を寄せていた。だがもう無理だった。子ども達は何年も学校に行っていない。破壊された家を建て直すこともできない。それならこの国を出るしかない―」20)
殺りくの温床と化してしまった美しい国での殺人は日常茶飯事になり,世界のニュースでも取り上げられなくなっています。
「シリア内戦は,2016年末に北部の要塞アレッポを制圧した政権軍が軍事的優位を固める。……国連人道問題調整事務所によると,一連の戦闘は昨年12月1日から今月9日までに約10万人の避難民を生んだ」21)

 b.『聖クルアーン』 の影響
シリアでは「同じ」イスラーム教徒たちが,互いに殺し合っているという印象を持つ人も多いかも知れません。たとえば,シーア派とスンニ派,キリスト者とイスラーム教徒の対立が宗教戦争の原因だと本気で信じている日本人も珍しくありません。実際はそうではありません。たとえば結婚するにしても,宗教が異なっていても夫婦生活を営み,家族が増えていくのです。ですから,イスラーム教徒であっても地元のキリスト教会に半分行っています。イスラーム教徒であっても,クリスマス期間中,預言者イーサ(イエス)の生誕を祝うことを一年で一番楽しみにしていると言います。キリスト教会へ足を運ぶのです。
一方,クリスチャンもモスクに行き,「インシャーラ」(アラーのおぼしめしがありますように)と祈ります。中東に滞在して,明確に体験したことは,庶民にとり宗教間の対立はまったくないということでした。

シリアの首都ダマスカスの一番有名なイスラーム教寺院モスクには,有名な3つの塔があります。真ん中がイーサ(イエスのアラビア語)の塔と称して,その塔に再臨されると言い伝えられています。残念なことに1月8日に空爆でダマスカスの最大の名所であるモスクも破壊されてしまいました。


 ダマスカスの美しい世界最古のイスラーム教寺院ウマイヤド・モスク。最後の審判の時にイエスが降臨するというキリストのミナレット(アラビア語の原義で「光の塔」)という塔は,兄弟宗教としてイスラーム教徒によっても礼拝の対象となっていました。

ちなみに,イスラエル国はユダヤ教ですが,壁の向こうに追いやられて,仕事,教育,医療などの差別を受けているパレスチナ人はキリスト者が多いのも現実です。宗教対立は,むしろ政治家が利用しているにすぎません。背後に米国の軍事進出の戦略があることが見えてきます。
「アッサラーム・アライクム」(こんにちは)とこちらが言うと,同じ言葉が返ってくることはありません。「ワ・アライクム・アッサラーム」(こんにちは)と返答されます。はじめは,自分のあいさつのアラビア語が通じなかったのではといぶかしげに思ったものです。実は,宗教に根づいた生活が言葉に表れています。「挨拶を受けたときはもっと丁寧な挨拶をするか,せめて同じほどの挨拶を返せ」 (『聖クルアーン』 4:86)に基づいて,返答は変化し,もっと丁寧になっていることがわかるのは,2回目の訪問を待たねばなりませんでした。親しい友同士の会話のやりとりでも,違っています。「マルハバン」(やあ)に対して,「アフワン」(やあ)と返答しています。
「クルアーンは聖書の正しさを証明するためにある」と宣言している箇所が数多くあります。そればかりではなく, 「ユダヤ教徒もキリスト教徒も天国へ行く」とも書いています」『聖クルアーン』 2:59 (62),3:19(20)。

したがって,「宗教を単なる口実にして政治的な優位を求め,覇権を求める動きであって宗教上の争いとは無関係である」22)と,述べられているように,戦争,紛争,対立の原因を宗教と決めつけると真実がわからなくなります。

c. 最後の和平の機会
憎悪を克服しようともがくシリア人に「共感」し感情移入をしたいものです。
シリア人は5000年近くの歴史をもつ優秀な民です。
古代オリエント時代に,それまで偶発的にしか生まれることがなかったガラス質の物体を,製品として生産する技術が生まれました。ガラス容器がつくられ始めるのは,シリア・メソポタミアにおいて紀元前16世紀後半です23)
シリアで驚くのは寄木細工による家具,調度品の職人に出会うことです。青蝶貝,白蝶貝,黒蝶貝などをあしらった工芸品をつくっています。箱根の寄木細工はシルクロードの最西端のシリアから伝わった技術です。蝶貝は真珠と関係があり,天然真珠の原産地として,日本人が養殖を学んだ地域でもあります。
今アメリカで最も強い企業の一つアップルの創業者スティーブ・ジョブズ[1955-2011]は1954年にアメリカに渡ったシリア移民の子でした。
日本に「居場所」を求めて,難民認定を待っているシリア人たちがいます。日本に来て,一年,二年がたつのに認定がされません。認定がないと,人間らしい生活はできません。就労することもできず,ストレスだらけの宙ぶらりんの生活です。
日本にも400人以上のシリアの人が暮らしていますが,これまで難民と認定された人はわずか6人です。難民として認定されないと,就労支援や語学支援などの公的サービスが受けられません24)
日本がいつ破綻してもおかしくない財政危機に陥っているのに,自称愛国者の弱者切り捨て右翼は,貧乏人を叩き,テレビはその片棒をかついでいるのです25)
そのほとんどは女性や子供なのです。なぜならシリアの男たちは内戦の地と化した国から,せめて自分の妻と子どもたちだけでも何とか生き延びてほしいと国から脱出できるようにしているからです。
難民が行き着く場所は,難民キャンプです。空き地の一角に簡素なテントを張ったもので,逃げてきた家族単位に集団生活をしています。


 国連は毎月100ドルを支援するといいながらも,マリッシュの難民キャンプでは,2017年に一度も一円も支払われていないと嘆息していました。
国際社会はまったくと言ってよいほどシリア情勢に関心を示しておらず,難民のケアに必要な支援金はほとんど足りていません。したがって,水も足りなければ食料も足りません。被災地にライフラインがない状態のようです。教育も行き届かなければ,医療も足りません。にもかかわらず難民の数はさらに増えていこうとしています。

アレッポ住人のMahanmad Ali モハンマッド・アリさん(40才)から詳細を聞いて,私たちは背筋が冷たくなりました。

シリアのアレッポは徹底的に爆撃により,破壊されました。私たちが孤児の家を作ろうとしている地です。学校も,病院も,家もすべて廃墟となりました。


シリア第2の都市アレッポの惨状

アレッポで生産されていた石けんは世界でもっとも有名です。「イタリアにこの石けんの作り方を教えたのは,フェニキア人(今のシリア)です」26)

人類最大の悲劇は人類の文明の発祥の地を襲っています。もし私たちがエゴに自己の利得に走り,貪欲に溺れ続けるなら世界はどうなるでしょうか。痛めつけられている難民に無関心であり,愛が冷え切っていてよいものでしょうか。石けんできれいに身体の汚れを落とすように,地球全体をすがすがしい環境にするために覚醒するべきです。
「もう戦争,内紛,戦禍はこりごりだ」,という声が聞こえますか。
「剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない」(ミカ 4:3)と国連の基部に記されている言葉を実践しましょう。

<結論>
昨年は,ICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンがノーベル平和賞を受賞しました。地球上の多くの国々は大国の核保有にいつもおびやかされてきました。平和を希求する人類は核兵器と共存できません。「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」,とサーロー節子[Thurlow 1932-]さんは語りました。
人道上最大の悲劇を被っているシリアにおける戦争も必要悪ではなく絶対悪ではないでしょうか。「剣をとる者は,剣によって滅びる」(マタイ 26:52)。
「憲法9条」が国連で採択されるなら,ノーベル平和賞受賞への道が開かれることを期待します。
「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」(略称 推す会)は,今年も有資格者の130人により,受賞を目指してオスロの委員会に1月末日に発信をしました。内容は昨年と同様です。「憲法9条」が世界の宝,人類の希望になるようにという願いがこもっています。
戦前のファシズムのような全体主義は絶対的な権力をもちます。人のいのち,人権,安寧を顧みませんでした。ですから憲法によって国の最高権力者をも縛る安全弁がどうしても必要になります。法律は民の権利や紛争に規制力をもちます。一方,憲法は権力をもつ君主,体制に対して拘束力をもちます。「朕は絶対で,お前たちがまちがっている」と君主が言うならば,だれも逆らうことはできません。人間が自分自身を絶対視し,神になるなら倒錯行為です。暗黒時代,闇,死に突入です。神を絶対にする宗教性をないがしろにし,人間を絶対にするなら抑圧,暴力,いさかいが生じるでしょう。
ヨーロッパにも軍事強化の動きが芽生えています。「歴史は繰り返す」のです。歴史を知ることは,構造的暴力を自覚することにつながります。スウェーデンに続いて,フランスも徴兵制を復活しようとしています。一方,良心的兵役拒否を法制化している国々も増えてきました。アメリカ,イギリス,ドイツ,ベルギー,オランダ,デンマーク,ノルウェー,フィンランド,イスラエル,カナダ,オーストラリア,ニュージーランド,イタリア,オーストリア,ブラジルなどです。

しかし,日本のマスコミは,兵役拒否の国連の論議に無関心なのはどうしてでしょうか。社会の人権意識が希薄なことや,安倍晋三政権による憲法9条を殺す勢いに消されています。
「良心者」(英語 conchie コンチ 良心的兵役拒否者 Conscientious Objector の短縮形)は,憲法9条を護るより「活かす」平和な国であってほしいと願います。
日本人が憲法9条のノーベル平和賞を受賞し,人類が願ってきた戦争に終止符を打つうねりが世界の憲法に連鎖されることを願います。

出典

1) 「MOFA 外務省 海外安全ホームページ」(外務省 2017年12月28日)。
「レベル4:退避してください。渡航は止めてください。(退避勧告)」その国・地域に滞在している方は滞在地から,安全な国・地域へ退避してください。この状況では,当然のことながら,どのような目的であれ新たな渡航は止めてください。
2) 『自己責任論の嘘』(宇都宮健児 ベストセラーズ 2014年 14頁)。
3) 『中東入門書』(清水紘子 「来て見てシリア」 ミスター・パートナー出版部 1999年 311頁)。
4) 『ヨルダン・シリア聖書の旅』(牛山剛 ミルトス 1988年 58頁)。
5) 『Newsweek』不可解なシリア攻撃論(Newsweek Japan 2013年9月13日付 28頁)。
6) 『レバノンから見たアラブの苦悩 アメリカの不正義』(天木直人 展望社 2003年 91-92頁)。
7) 「H.R. マクマスター とアメリカ帝国の悲劇」(Daniel Bessner 2017年5月19日)。
8) 『朝日新聞』(2014年6月15日付)。

9) 『テレビ・新聞が決して報道しないシリアの真実』(国枝昌樹 朝日文庫 2016年 14-15頁)。
10) 『職場観光~シリアで最も有名な日本人』(藤本敏文 幻冬舎 2015年 276頁)。
11) 『レバノンから見たアラブの苦悩 アメリカの不正義』( 同 113頁)。
12) 『日本経済新聞』(2018年2月10日付)。
13) 『イスラムを知らないと世界が見えない』(佐々木良昭 曜曜社出版 1987年 67頁)。
14) 『レバノンから見たアラブの苦悩 アメリカの不正義』( 同 108頁)。
15) ( 同 116頁)。
16) 『中東特派員はシリアで何を見たか』(津村一史 dZERO 2015年 85-86頁)。
17) 『政府は必ず嘘をつく』(堤 未果 角川マガジンズ2012年 19頁)。
18) 『チェルノブイリの祈り』(スベトラーナ・アレクシェービッチ 岩波書店 2015年 303頁)。
19) 『中日新聞』(2017年7月30日付)。
20) 『シリア難民 人類に突きつけられた21世紀最悪の難問』(パトリック・キングズレー ダイヤモンド社 2016年 176頁)。
21) 『朝日新聞』(2018年1月12日付)。
22) 『レバノンから見たアラブの苦悩 アメリカの不正義』( 同 288頁)。
23) 『古代ガラス』(谷一 尚,塩田紘章 里文出版 2001年 3頁)。
24) 『アムネスティ・ニュースレター』vol.470 (アムネスティ・インターナショナル日本 2017年7,8月号  11頁)。
25) 『この国の冷たさの正体』一億総「自己責任」時代を生き抜く(和田秀樹 朝日新書 2016年 70頁)。
26) 『石けん屋さんが書いた石けんの本』(三木春逸,三木晴雄 三水社 1994年 28頁)。

校正,誤字訂正などご協力いただきました村田充八教授,事務局の土手ゆき子姉に感謝申しあげます。

シリア支縁 2017年12月28日から

「北朝鮮のリアリティー―良心が疼く―」

完全原稿 ⇒ 「北朝鮮のリアリティー ―良心が疼く―」

英文 Complete manuscript of  English ⇒ Reality in North Korea – Aching of conscience –

Visit North Korea
Director of Erasmus Institute of Peace Studies
Yoshio Iwamura
October 2-7, 2017

第3次朝鮮民主主義人民共和国(以下 共和国)訪問報告
エラスムス平和研究所
所長 岩村義雄

主題聖句:  使徒 24:16 こういうわけで私は,神に対しても人に対しても,責められることのない良心を絶えず保つように努めています。

<序>
関西空港から直接,平壌に入れば,約2時間だか,国交がないため,北京にある共和国大使館でヴィザを取得します。パスポートには共和国を訪問した形跡は何も残りません。本人の写真をはった日本のパスポートより小さい一枚の査証が共和国の出入国の際,必要です。日本に持って帰ることができないので,写真に撮りました。同行された在日コリアンの李 昌一≪ルビ ジョンイル≫さんは日本で生活している二世です。朝鮮総連[在日本朝鮮人総連合会]のメンバーです。家族は韓国の済州島出身です。日本の在日朝鮮人の多くは済州島にルーツがあります。なぜなら戦後,李承晩[イ・スンマン 1875-1965]大統領の圧政,抑圧,ジェノサイド[集団殺害]を体験したからです。命からがら日本移住してきた経緯があります。日本でも結婚,就職,教育などで差別され,不利,不遇,人権がないがしろにされる時代が続きました。成績が優秀であっても国立大学の受験資格がなかったり,通学定期券なども発行されませんでした。日本人からはヘイトスピーチ(憎悪発言 hate speech)をずっと受けて育ったのでした。そんな試練の時に,共和国の金日成主席は日本の在日朝鮮人に惜しみなく支援しました。生きることもおぼつかない在日朝鮮人は歓喜し,国籍を韓国や日本ではなく,共和国にしたのです。つまり日本在住のほとんどの朝鮮人は共和国にルーツをもたないという歴史のアイロニーがあります。
李さんも日本に生まれ,育っていますし,税金など義務を果たしています。しかし,権利は認められていません。日本に共和国の大使館がないため,パスポートは発給されません。その代わり,日本政府は「再入国許可書」を発給します。出国した在日外国人が日本へ帰国する時に提示するパスポートのようなものです。海外に出ることができます。
多民族・多文化共生の流れと逆行する日本は,一番敵視している国の民間人が和解し,友好を深める者がいなければ,日本こそグローバルな時代に孤立してしまうでしょう。

(1) 共和国とは
 a. 共和国訪問の目的と日程,および参加者
一番目に,ボランティア活動の対象である孤児,夫をなくした独身女性,高齢の独居者の実態を知ること。
二番目に,同じアジア人として,友好関係を築く。
三番目に,戦時下の謝罪と補償を,一切していない共和国に対する,日本人としての自覚をもって訪問。
日程 2017年10月2日(月)~7日(土)の約一週間です。
参加者 日朝友好兵庫県民の会 宮本博美,川端 勝,岩村義雄,田中ひろみ,太田英昭,李 昌一の6名です。団長は元県会議員の宮本博美氏です。


3度目の<参照>訪朝です。現に見聞きした事実を語っても日本人は思い込みが激しく,聞き入れられません。“ 飢餓状態で民は苦しんでいる”,“いいところしか外国人に見せない”,“平壌だけが発達している”などを日本人は本気で思い込んでいます。帰国後,日本人の先入観を否定するやいなや,洗脳されて帰ってきた,共産党だ,だまされている,という反応に会います。共和国は,ヨーロッパ,アフリカ諸国からの多くの旅行者が行き来しています。トランプ政権を目の敵にした戦時下の緊張感はなく,平穏な暮らしぶりについて日本人にいくら説明してもわかろうとしません。どちらがマインドコントロールされているのでしょうか。訪朝の報告を話しても,第二次世界大戦前の日本のかたくなな態度と同じようだと,共和国訪問者は感じるにちがいありません。第二次世界大戦時に日本人は 「鬼畜米英」とすりこまれ,冷静でなくなった沸騰主義の再来です。

九頭竜滝 金剛山 2017年10月9日
アジア人4か国 
約9キロ所要時間4時間30 分。傾斜の激しい荒々しい山。右端中国人夫婦旅行者,朝鮮人 安金圭さん(20歳),筆者の前の二人は台湾の旅行者,中国人旅行者。ヨーロッパ,アフリカ,東南アジアからの旅行者も多い。首都から約210キロの地方だが,車も多い。

宮本博美団長は温泉学会で活躍なさっている関係で,金剛山麓の温泉にも立ち寄る機会がありましたことを感謝しています。金剛山はクムガンサンと言われています。最高峰の昆盧峰(1639メートル)をはじめ,南北60km,東西40kmにも及び,とがった山々1万1167もの峰からなるダイナミックな渓谷地帯です。朝鮮民族にとっては単なる景勝地にとどまらず,民族の象徴ともいうべき存在となってきました。中朝国境の白頭山(中国側の呼称は長白山)と並び,共和国を代表する名山です。軍事境界線(北緯38度線)近くの江原道の東海岸に位置しています。意外にも,金剛山は日本にもゆかりが深く,第1次昭和切手[1937年~1941年]として1939年に発行された7銭切手は金剛山がデザインされています。

1939年に発行された7銭切手
竜安寺ふすま絵 金剛山

また,世界遺産である京都市竜安寺の襖絵(1950年代皐月靏翁 さつきかおう制作)も金剛山が描かれています。5つの部屋のうち,4間が全部金剛山の絵です。その数は60余枚になります。共和国の金剛山は名山として知られ,日本の文化人の間で人気があったことに由来しています。

 b. 北京空港

平壌空港 2017年10月3日

関空から北京に向かいます。一泊した北京で共和国のヴィザを取得。北京空港で高麗航空に乗る福岡県の訪朝団29名と出会います。日朝の国交正常化を目指す福岡県日朝友好協会(会長・北原守元福岡県議)を中心とする代表団が偶然にも同じ期間,共和国を訪問しました。日朝友好兵庫県民の会はだいたい隔年ごとですが,福岡の協会は,私たちと同じ時期の2008年から発足し,毎年訪朝しています。10年目と記念して,他県,長崎,鹿児島などからも加わって,「九州地区日朝友好親善訪問団」で参加されていました。九州朝日放送の永吉真実記者たちや,西日本新聞記者なども同乗していました。

≪動画参照≫

帰国後の女性記者の放映は,ヴィジュアルな媒介がもつ威力を発揮しました。文字によって伝達したい現地の臨場感や,空気,一般的な風潮,エートスの紹介に,ある意味で羨望の思いを抱きました。「朝鮮」という国について,朝日が鮮やかな国の印象を日本人に報告するには,映像のパワーがまざまざと示され,圧倒されました。
飛行機の中で隣の席に座ったメディアの人も,北朝鮮に行くというと,家族や同僚から,いろいろと言われたと,入国前の緊張,不安を率直に語っておられました。楽しみとか,わくわくするという日本人は訪朝の経験のある人たちだけに共通しています。
共和国では,宗教に対しては,決して奨励されていません。自然科学が尊ばれ,いわゆる神崇拝に代わる対象です。ですから,宗教心が篤い東南アジアと比較して,民衆の崇拝行為はほとんど見かけません。しかし,自然科学は幼い時から教育されています。論理的思考は徹底しています。2005年に完成した「科学技術殿堂」を訪問させていただきました。子ども達が幼い時から興味深く科学技術を学ぶための工夫がなされています。

 c. 平壌空港
飛行機内では必ず,ハンバーガーが出てきます。
平壌空港は2008年,2012年に訪問した時より,ずっと近代的になっていました。朝鮮対外文化連絡協会(以下 対文協)の李河進研究員,呉星宇局員が出迎えに来ておられました。一行は3年ぶりの再会です。
車で30分もすると,市街地です。年々,変化する中国と同様,めざましい近代化に息を呑みます。ちょうど一ヶ月前の中国南京訪問(9月8日~12日)でも,目を見はる超高層ビル,近代的な道路,地下鉄などの発達ぶりに圧倒された時の印象と良く似ています。経済学でいう「後発性の利益」でしょう。ベトナム,インド,シンガポールなどの経済発展は著しいものがあります。発展途上国とはもはや形容できません。中継トランジットで立ち寄るだけにすぎないにもかかわらず,市街地に入ると,中国の街並みは日本,欧米諸国にとって垂涎のものです。後発性の利益をうまく享受し,共和国も韓国,中国,日本を抜かんとするばかりの意気込みが国中に満ちています。
日本では,脱北者たちのドキュメンタリーや,拉致,テポドン,核実験などの報道により,共和国に対するイメージは「悪」ただそれだけの一色です。共和国についての発言しようものならひんしゅくをかいます。「共和国」ツアーを願っても,「JTB」をはじめ一般の旅行会社は募集していません。「共和国の歩き方」「るるぶ北朝鮮」などの旅行雑誌も見たことがありません。一般の日本の人達には情報が入りません。 共和国訪問について日本人の反応は画一的です。「拉致され,もう帰ってこられない,自由のない国だから」「平壌のいいところしか見せられない。地方の飢餓,貧困,抑圧は隠されている」「独裁国家金正恩(キム・ジョンウン)は強制収容所に送り込むぞ」など厳しい反応があります。核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮 北朝鮮=悪玉,イスラーム教=テロ,中国=覇権主義など報道を通じて流れるネガティブなイメージが注入されています。
民間レベルで隣国の人々との対話をしなければ,憎悪し合う関係にピリオドを打てそうにありません。

(2) 遠い隣国
 a.最貧国ネパールから共和国へ
一週間前9月28日,ネパール国ダルマスタディにできた孤児施設の開所式に出席しました。その前日,5月に完成したマナハリ・チルドレン・ホームに向かいました。乗車したインド製のジープで片道約6時間かかりました。有料道路にもかかわらず,悪路です。運転するプスフォンスさん(22歳)は,ダリット Dalit 不可触民(ヒンドゥー社会の中でも最下層階級 「触れると穢れる人間」)のひとりでした。猛暑ですが,クーラーをつけないで走ります。会社から節約するように言われているからでしょう。アスファルト舗装されていたとは思えないほど,完全に路面はでこぼこの穴だらけの道です。おかまいなしに高速で走ると道路から谷底に転げ落ちてしまいます。くぼみが多く,その度に,フットブレーキを用いて,低速走行せざるを得ません。それでも乗車している者に与える衝撃は大きいです。ストリート・チルドレンはいないものの地方の通りに行くと,貧しい身なりの子どもが目立ちます。
ネパール訪問を終えて3日後に,北京で走った通りは天国のようになめらかでした。続いて共和国に入国しても,北京と変わらない道路事情に,貧しさは微塵も感じられませんでした。ネパールから共和国に入るとまるで別世界のようです。経済成長,科学技術の進歩,後発組の優位性が目立ちます。
共和国には,遅れまいとする誇り,努力,後発の有利さが影響を与えているように思えました。ネパール人も勤勉,エネルギッシュ,暗算が速いことなど決して愚鈍な印象はありませんでした。共和国も家族主義であり,親や先祖を大切にする点も共通しています。
経済封鎖でオイルなどがないにもかかわらず,平壌市内には車の多さにも驚きました。タクシーは役人や,海外からの旅行者だけが利用しているのではありません。一般の人々もタクシーを利用しています。地下鉄にしても乗り物は5元(ウォン)と決まっており,どんな遠方まででも5元(ウォン)です。1円=約7.6北朝鮮元ですから,1円以下ということになります。同じ金額のロータリーバス,地下鉄,二階建てバスなど庶民の足になっています。2008年の時は,信号はなく,名物の女性警官の交通整理の立ち振る舞いが外国人に人気がありました。美人であるばかりか,美しい指示を出すからです。今回はLEDの信号が十字路など,各所にありました。
幼稚園前の保育園から大学までの教育費,医療費も共和国では無料であることは,日本人は意外と知りません。
ネパールなどとどこが違うのかは,政治力と思わせられます。強烈な指導力を発揮して,民に働きかける構造がネパールには不足しています。政治権力者に選ばれた途端,目標を達成し,安堵してしまうかのようです。むしろ選挙で信任を受ければ,そこからスタートラインに立って,治水,福祉,繁栄のために人力を尽くすべきです。上に立つ者の慄然とした思想,自己犠牲的な野望,人民を服従させる政策がネパールにはありません。
一方,中国,共和国は,人民を束ねる強固な精神力が前面に出ます。

 b.強力な指導力
米国の政治的力,軍事的力,経済制裁による国際的圧力の中で,自強力を発揮して理想国家を建設し完成する精神。たとえば,電力問題を自力で解決。水力発電所で生産することによって生活水準があがったと,李河進研究員は筆者に言いました。
昨年5月,朝鮮労働党第7回大会に決議された課題の中で一番重要視しているのは,全社会を金正恩化することだそうです。主体思想をベースにして,社会のすべてをもって発展させようとするために,朝鮮労働党を中心に,人民政治思想革命,技術革命,文化革命の三大革命を実施し,科学技術の強化,国のすべての先端技術を世界水準に発展させる。経済,国防,文化を急速に発展させる。科学技術5カ年計画の中の技術を発展させよう,すべての経済生産を高めよう,経済強国を建設すると鼻息は荒いです。石炭,金属,機械,国道管理についても人民経済5カ年計画の範疇です。文明強国とは社会主義文化が開花することであり,民が高い想像力と文化水準をもって,最高の文化を構築していく意気込みは,あらゆる職業の人たちから耳にすることができました。
日本人は共和国が独裁政治のため,言論の自由は制限されているという先入観があります。幼い時からそのように教えられます。さしずめそれは,日本が,戦前,欧米諸国を鬼畜米英と敵視していたのと同根です。確かに,反米教育が徹底していることは,保育園,幼稚園や学校の壁に飾られている絵,作品などから察せられます。さしずめ日本の戦前の鬼畜米英と敵視していたのと同根です。
朝鮮の歴史を知らない日本人は,今すぐにでも共和国がテポドンなどで,攻撃してくるかのような誤解があります。Jアラートなどについて,日本のメディアもヒステリックな反応をします。日本の為政者が報道を用いて煽る影響です。朝鮮は大国から常に侵略されてきた悲劇の歴史はありますが,他国に攻め入ることはなかったから自分たちから日本に攻め入るようなことはあり得ませんと共和国の人たちはよく主張していました。軍事パレードや,女性アナウンサーが読みあげる朝鮮中央放送の強い調子のニュースが日本人には恐怖感を与えていることも事実です。しかし,米韓演習など,むしろ共和国に挑発行為をしている報道は,正当であるかのような印象が日本人全般にすり込まれているのは奇怪です。まさに日本人の思考停止,精神的心筋梗塞,クリティック[批判]欠如の表れです。
どんなに専横な封建制度,ファシズム,独裁国家であっても,例外はあります。余談ではありますが,共和国には「朝鮮人民軍」,「人民保安部(警察)」,「国家安全保衛部(秘密警察)」の三つの治安機関があります。禁酒法の厳しかったアメリカでもアル・カポネ[1899-1947]など違法の人たちがいました。同じように統制が厳しいと言われる共和国でも秘密結社組織「朝鮮幇(パン=マフィア)」が跋扈すると耳にしました。
古今東西,人間の愚かさはどんなに理想を追い求めても,どこかにすき間が生じると言えるかもしれません。

 c. 農業の実態
神戸国際支縁機構は,国内,アジア,オセアニアなどの被災地に復興のために赴きます。たいした働きはできていません。しかし,過疎,高齢化,少子化の影響で,地方の若者が都会に移住してしまう問題があります。2011年の東日本大震災の後,「田・山・湾の復活」を目標に地域の活性化のお手伝いをしています。農・林・漁,沿道整備,傾聴ボランティアに取り組んでいます。地方であっても若者にとって魅力のあることに気づいてもらえるように東北へ毎月のように通っています。日本は森林が7割です。共和国と似ています。日本は穀類の自給自足に失敗しているといっても言い過ぎではありません。輸入に依存せざるを得なくなっています。
2017年7月5日,九州北部豪雨があり,福岡県朝倉市杷木(はき)松末(ますえ)の270戸は壊滅的な被害を受けました。そこは幾世紀にもわたり,日本の原風景のひとつと言われている棚田(たなだ),つまり段々畑で農業を営んできました。また,林業も生活の手段でした。しかし,自然災害によってまったく生計がなりたたなくなりました。日本一の志波柿も損なわれました。機構は東北ボランティアで身につけた農業,林業,漁業の支縁活動により,訪問活動を始めました。
共和国の平壌近くの山にははげ山が多いと海外からの旅行者は気づきます。山が多いために,「木を伐採して,耕地にするわけではなく,オンドルの燃料に化けてしまった」,と2008年,はじめて訪朝した際,故友井公一(社町議会議員)氏は語りました。ネパールと同じように,共和国でもデントコーンの畑をよく見かけました。トウモロコシの葉っぱは水平に伸びますが,デントコーンは2メートル以上に伸びた茎からさらに上に伸びます。決して美味とは言えません。デントコーンのような一年草ではリン酸欠乏などをもたらしやすく,他の栽培には不向きな土壌になってしまいます。しかし,日本はデントコーンを輸入していますから,将来は日本に輸出するという方策もあります。
前回,2012年の共同農場を訪問した際,生産量を増やすために,化学肥料を用いている印象がありました。今回,違っていたのは,無農薬,有機やバイオマス,自然の循環に配慮するという農法が取り入れられていました。
稲刈りを9月18日,19日に宮城県石巻市渡波で行なった際,コンバインを用いず,鋸カマで稲刈りをしました。すぐに「稲架掛け」(はさかけ)をし,天日干しをしたのです。ちょうど稲刈りの時候に,共和国を訪問したので,高速道路から散見する稲刈りの様子を見て,手伝いたくなる衝動を抑えるのに苦労をしました。


呉星宇局員によると,「経済制裁のため,燃費は貴重なため,農機械をできるかぎり用いないで,昔ながらの稲刈りをせざるを得ません」,と言われました。「それならば牛などを用いないのはどうしてですか」,と聞き返すと,「地域の人民が協力し合って耕作をするので,牛の力にあまり頼らなくてもいいのです」,と答が返ってきました。確かに,デスクワークをしている人も,大学教授であろうと,国家の中枢の人であろうと,人民保安院,人民軍も金曜日,土曜日は,稲刈りを手伝うのは一般的なようです。

(3) 貧困と孤児
 a. マインドコントロール
日本人は,日本の茶の間で洪水のように流される共和国の民衆の飢餓,貧困,食糧不足が本当だと思い込んでいます。しかし,共和国に一歩入ってだれしもが,自分の目を疑います。きっと騙されているにちがいない。これは巧みなトリックにちがいないと,見るモノ,聞くモノすべてを素直に受け入れられません。日本人には共和国の経済成長した実状を目の当たりにしてにわかに信じがたいカルチャーショックを受けます。『マインドコントロールの恐怖』(スティーブン・ハッサン 浅見定雄訳 恒友出版 1988年)は,マインドコントロールについて興味深い視点を与えてくれます。
『大辞林』(三省堂編修所 第三版 2006年)によると,「マインドコントロール(英: Mind control)とは,他人の思想や情報をコントロールし,個人が意思決定する際に,特定の結論へと誘導する技術を指す概念」と定義します。
日本人は「北朝鮮」というキーワードを聞くだけで,拒絶反応を示します。高所恐怖症に近い「フォビア」(恐怖症)があります。拉致,テポドン,核実験など,繰り返し,アメリカ合衆国や日本政府はメディアを用いて,危険視します。その結果,理論的な根拠がないにもかかわらず,社会的に北朝鮮憎悪のフォビアが浸透しています。
日本人は共和国こそ,人民を強要し,自由を奪い,むしろマインドコントロールしていると思い込んでいます。しかし,訪朝したことがある人々なら,日本人に抱かせているある種の心理的操作に覚醒されます。不幸なことに,日本に帰国して北朝鮮の真実を伝えても,「あなたは騙されている」とはねつけられる不愉快な体験を余儀なくされます。つまり日本人の思考停止によってもたらされている無知ゆえの愚かさに辟易とします。真実に対する拒絶反応はある種の病的な症状です。本人は自覚していないことが病状の深刻さを物語っています。知性,健全な批判力,冷静な分析力が心筋梗塞です。
経済封鎖をすれば共和国は音を上げると考えるアメリカの政策に同調してはなりません。1953年7月 27日,休戦が成立し,そのときの前線が南北間の事実上の国境として受入れられました。日本の高度経済成長に寄与した朝鮮戦争で,およそ 130万人の韓国人 (その多くは民間人) が死亡しました。多くの日本人が見逃していることがあります。北朝鮮人は 50万人,アメリカ人は約5万 4000人が死亡したのに対し,彭徳懐[ほう・とくかい 1898-1974]が率いる中国人の死者は 100万人にも上るとのことです。どんなに諸外国が経済制裁に中国に圧力をかけて,経済封鎖をするように迫っても,あの戦争で多くの人民の血を流して守ろうとした国を簡単に中国が見棄てるわけはありません。そんな図式を見抜けず,制裁一本槍では,拉致問題,核実験,ICBMについて話し合いのテーブルについてもかみ合わないでしょう。

 b. 日本の敵視政策
Jアラート(全国瞬時警報システム)の警報が鳴ります。日本全体が緊張し,日本の政権が強硬な意見を出しても正当であるかのように判断します。しかし,宮城県石巻市民のアンケートによると,ミサイル避難はわずか17パーセントにすぎません。62パーセントが訓練を必要とせずと一面記事にとりあげられていました。(『石巻日日新聞』[2017年10月3日付])。
一方,日本政府は,国民に大義名分とばかり軍備拡張の口実にしています。日本は経済の好転の兆しがみられません。しかし,日本の防衛費は増加し続けています。2017年度防衛費関連費用は前年度予算に比べ710億円増えて,5兆1251億円(約456億1000万ドル)です。5年連続の増加です。
「沖縄では毎日オスプレイが飛ぶたびにJアラートで警報すべきだ」というブラックジョークを数人から聞いた。確かに宇宙空間を通過する北朝鮮のミサイルより,数百メートルの頭上を飛ぶ事故多発機の方が現実的な脅威だ,『沖縄タイムス』(2017年10月30日付),と述べています。
なによりも日朝関係の将来を考えるときに,ドイツとイスラエルの関係を考えざるをえません。ドイツはユダヤ人に対して言語に絶する殺りくを戦時下行いました。ショアー(ユダヤ人虐殺)は600万人に及びました。その結果,ドイツとイスラエルの関係は敵対し,未来永劫にわたって回復する余地はなさそうに思えました。たとえば,イスラエルのパスポートには,長い間,「ドイツを除く全世界で有効」と印刷されていました。
しかし,ドイツが戦前,戦時下の謝罪と補償という手段で責任をとろうとしました。人間は過去に対する責任を正しく認めることによってのみ,未来をひらき,人間らしさを取り戻すことができます。口先だけでなく,行動に移すには,ドイツ政府はベルリンやヤドヴァシェムなどの<参照>戦争資料館に多くの費用をつぎ込んで記念碑をつくりました。戦争加害博物館の場所が大事なのではありません。記憶は多くの人々が繰り返し見たり,聞いたりすることによって戦争犯罪,惨禍を再び繰り返さないために大切です。記憶が有効であることを証明する姿勢が求められます。記憶のための行動はヒロシマ,ナガサキ,フクシマの被害の視座ではなく,加害への反省から「想起の文化」を創らねば日本はアジアの近隣諸国から信頼できない国として生き残れなくなります。
日本人が朝鮮人に対して異常なほど差別感情をもってきたことは歴史が証明しています。嫌韓にしても,北朝鮮の政策に対しても日本人の嫌悪感が消えるには,より長い時間が必要です。
ですから,日朝友好兵庫県民の会をはじめとする各地の友好の会,キリスト教的精神に基づく和解への試みが必要です。主題聖句にありますように,「良心」に基づいた行動は,タコ(他己)の精神で表されるでしょう。金日成Kim Il-sung [1912-1994]主席の父金亨稷[キム・ヒョンジク 1894-1926]と母康盤石[カン・パンソク 1892-1932]はキリスト者であったからこそ,日本の抑圧,強権,無慈悲な政策に抗っていました。今回,金剛山で金亨稷の残した座右の銘「志遠」は志を遠大にもつことだ,との意味についてガイドは語りました。私たちの活動「支縁」と同じ発音であるゆえに親近感をもちました。
今後,日本の若者による共和国の水害,干ばつ,冬の暖房のためのボランティア活動,共通の歴史認識のための教科書対話など,草の根的なアプローチが両者の関係を着実に修復していくことと信じます。
しかしドイツとイスラエルの関係のように,経済的・軍事的な関係が政治的な和解をもたらしたことは一考に価します。イスラエルに対する経済・軍事援助が最終的にはドイツ・イスラエル間の個人のレベルでの和解に導いたことを黙視できません。

 c. 飢餓と貧困にあえぐ国
共和国といえば,餓死者が出るほど貧しいのに,軍事にばかりカネを使っているというイメージが日本では強いと思います。日本人は共和国の経済の表と裏を知りません。富裕層もいるということなど想像もできません。
元山から帰途,車窓に入る田園風景はのどかです。鋸カマを用いて,稲刈りの時節でした。私たちは9月18日,19日に宮城県石巻市渡波で長浜幼稚園の園児たちと稲刈りをしました。やはりコンバインなど機械を用いずにする江戸時代と同じ農法です。9月23日,24日には,園児たちと大正時代の脱穀機で脱穀をしました。同じ脱穀機をベトナムの水害のあったラン・チャン地区でも見かけました。足踏みをしながら,稲穂を取り除く作業です。10月5日,共和国では家族や近隣総出で稲刈りをしています。
日照りによる干ばつ被害,水害被害の地域に案内してくださいとお願いしました。なぜなら共和国訪問の目的のひとつは,孤児,夫をなくした独身女性,高齢の独居者たちへの寄り添うことだったからです。しかし,2年前の干ばつの際も,人民軍が生活能力のない村民への救済処置を迅速にとったため,半年以内に困窮者はいなくなってしまったと説明されます。だから,今,写真撮影できる場所がないとのことです。「日本から寄附を集めるためには,貧しい生活のリアリティーが必要です」,と申しあげました。
確かに,車で走っている高速道路,車窓から見る光景,家屋,人々の服装は,アジアの最貧国であるネパールとは異なり,みすぼらしさはありません。
どんなに協同農場がバイオマス,太陽エネルギー,無農薬,有機で優れていても,孤児は必ずいるというのが各国を回っていて味わう体験です。たとえば,親が交通事故で失われるとか,父母が離婚するとか,病死などの理由により,孤児がぜんぜんいないというはあり得ないことです。2016年11月にベトナム国クアンビン省でも役人は「わが国には孤児はいません」,と言い切っておられましたが,水害の被災地訪問に同行してもらうと,孤児があちらこちらにいることが判明したことがありました。「共和国でも孤児院が発達し,孤児はいないかどうか確信がおありでしょうか」と尋ねると,「はい,確かに平壌以外では孤児はいることを聞いています」,と答えられました。日本からの支縁により,孤児の施設を建てるためなら,大歓迎しますと,対文協の孫哲秀(ソンチョルス)研究員たちは答えられました。
次回訪朝には,孤児の家建設と,孤児たちが大人になるまでの「カヨ子基金」により寄り添うことができるようにと,相互に固い握手をして別れました。

<結論>
日朝友好兵庫県民の会発足時から常任委員として活動させていただいています。隣国の実態を知らなければ,「知らぬが仏」と穏やかにしていられるものの3度にわたる訪朝を通じて,あまりも日本国内の人々の認識がずれていることに黙っていられなくなります。
元山(ウオンサン)は共和国の中でも,日本人,帰国在日コリアンが多い地域です。レストランで提供される朝鮮料理に日本の醤油,みりん,味噌などが多く使われています。日本から共和国に来る際,乗船した万景峰号の2代目が寄港していました。
ちなみに,元山で,自由行動の時,道行く人と親しくなりました。日本語が通じました。日本生まれ,日本育ちだからです。「日本人とひさしぶりに日本語で話ができてうれしいです。自分の祖国は本当は日本ですが,妻も,子どももまわりはすべて朝鮮人です。ここで骨を埋めますが,祖国日本を思わない日はありません。夢でしかもう会えない父母が住んでいた日本。死に目にもあえませんでした。自分は地位もないですが,この国と日本を結ぶ何かができたらうれしいです」,と胸の内を語ってくださいました。
遠い異国の地で日本について望郷の思いで語る人の心の内を聴いて,友好のためにもっと活動をしていこうと決意を促されました。
思想,宗教,国籍が異なっていても,北東アジアの人々との壁はどうしてできたのでしょうか。敵対関係になってしまった原因は,何かと考えると,双方とも相手国をなじる結果になります。
真の友好を回復するには,相手が感情を害していれば,こちらから近づいて謝ることは人間関係,家庭,地域,否,国家間においても重要なことです。拉致,テポドン,核実験に対して,非難する前に,1910年以降,朝鮮半島において,土地を収奪し,強制連行,日本軍「慰安婦」問題,創氏改名,朝鮮語禁止,宮城遥拝などを日本は繰り広げました。日韓条約のような韓国との間には,賠償などがありましたが,共和国には一銭も支払っていません。
和解にはまず,日本側からの<参照>謝罪をすべきなのは筋です。1910年以降の血の叫びを聞き取る良心が問われています。

「南京大虐殺は史実か」

完全原稿 南京大虐殺は史実か
英文 Complete manuscript of  English ⇒ Is the Nanjing massacre a historical fact?

Visit Nanking in China
Director of Erasmus Institute of Peace Studies
Yoshio Iwamura
September 7-12, 2017

「南京フォーラムに出席して」
2017年9月25日
エラスムス平和研究所
所長 岩村義雄

「南京大虐殺」について現代の日本人は関係がないと開き直れるでしょうか。
9月7日~12日に,南京における第16回「歴史認識と東アジアの平和」に5年連続で出席しました。中国が38人,日本から37人,韓国から30人の計105人です。オブザーバー参加が、米国から2人、ドイツから1名です。宗教者は筆者以外に,イエズス会の光延一郎[みつのぶ 1952-]上智大学教授たち3名です。各国には独自の歴史観がありますが,共通の歴史観を話し合うために3か国が持ち回りでフォーラムを開いてきました。

2017年9月9日 南京鍾山賓館
食事した紫金庁 左から Lester Kurtz,川上哲,劉成南京大学教授,Egon Spiegel, 筆者。

日本で生まれ育った梁澄子(ヤン・チンジャ)さんは,「創氏改名,母国語を奪われた,父母,祖父母,曾祖父母のアイデンティティは継承したくても,日本では通用しなかった」,と語られました。大日方純夫[おびかた 1950-]早稲田大学教授も語りました。「日本人が真実を見つめ直し,被害者意識 sense of being Victimizedから,加害者意識を健全にもてた時に,アジアの人々から尊敬,信頼を勝ち得る」,と。

自分たちの知らない国や地域で起こったことを想像できる力を持つということ,直接の戦争体験者が少数になりつつある今,戦争の時代に生まれていなかった世代が過去の歴史を想像する機会と力をもつことは日本が国際的に孤立するかどうかの分岐点になります。
大学センター試験では,日本の近現代史がテストに出ないため,受験生は学びません。ですから慰安婦,強制連行,南京大虐殺など知りません。一般に,自分が理解できないものには不寛容,排除思考です。
隣国に行く機会もない日本の若者たちは不幸と言えます。メディアも朴 槿恵[パク・クネ 1952-]前政権がわずか100億ウォン[10億円]で日本に慰安婦問題の幕引きをはかったと,報道しました。。つまり,慰安婦生存者の名誉と韓国人の自尊心を傷つけました。韓国の安保まで安売り渡した朴前大統領がなぜ韓国で不評かについて,日本のマスコミは沈黙しました。ですから,少女像などについて,日本人はとうてい理解しようとしない空気,一般的な風潮,エトスが日本列島を覆っています。

一歩,日本を出て,東アジアから日本を見つめると戦前前に逆戻りしている観があります。1933年2月,国際連盟総会は日本軍に満州からの撤退を勧告。リットン調査団報告を審議,日本のみの反対,賛成42か国で可決されました。翌3月に日本は国連に耳を傾けず,国連を脱退しました。今秋,ユネスコの記憶遺産に慰安婦が登録されるなら,同様の道を日本は選択してもなんらおかしくない状態が醸成されています。

1937年12月13日 南京地図

9月11日,フィールドワークとして,2015年12月1日に完成した記念館「利済巷慰安所旧址(きゅうし)」を訪問しました。アジア最大の慰安所旧跡と言われています。1937年南京城を陥落させた日本軍20万人の性欲処理のため,南京市に40の慰安所が作られて,20万人の慰安婦が強制動員されました。

大日方純夫(早稲田大学)教授)と訪問。
記念館「利済巷慰安所旧址」 2017年9月11日

日本軍「慰安婦」はユネスコの「記憶遺産」へと2499点の証拠資料がオランダ,インドネシア,東チモール,台湾,米国,英国などから提出。「慰安婦」とは,1932年の第一次上海事変から1945年の敗戦までの期間に,戦地・占領地で日本陸海軍がつくった慰安所で軍人・軍属の強制的に性の相手をさせられた女性たちのことです。当時,国際都市南京在住の欧米の外交官,宣教師たち,ドイツの企業家などの実録から680枚の写真が提示されています。当時の各国の報道紙にも南京大虐殺のニュースの見出しは躍りました。『ニューヨーク・タイムズ』(1937年12月17日付)によると,日本軍が“捕虜全員,民間人も殺害。南京を恐怖が襲う。”“大規模な略奪,婦人への暴行,民間人の殺害。住民を自宅から放逐し,捕虜の大量処刑,青年男子の強制連行などは,南京を恐怖の都市と化した。” 日本の右翼は「アメリカ軍が自分たちの罪を相殺」するための画策と主張しますが,ドイツ人のシーメンス社ジョン・ラーベ[1882-1950]中国支社総責任者兼ナチ党南京支部副支部長は自分の邸宅の敷地にハーケンクロイツ旗を掲げ,日本空軍の爆撃から千人近くの避難者を守りました。ヒトラーに日本軍の暴虐,レイプ,強奪を直訴した手紙がラーベ記念館にありました。

マギー宣教師の撮影道具

右翼は,南京大虐殺,731部隊,慰安婦について,「ねつ造」と強弁します。しかし,存在しない記録,資料,日本軍の証言等を改ざんしているわけではありません。中国人はじめ国連人権委員会は当時の日本,海外の報道,南京在住の外国人たちの記録,日本陸軍の中枢の阿南惟幾[あなみ これちか 1887-1945] 陸軍大将 南京視察メモ「軍紀風紀の現状は皇軍の一大汚点なり。強姦、略奪たえず」や,現憲法の戦争放棄条項を高く評価された三笠宮崇仁[みかさのみや たかひと 1915-2016] オリエント史研究者の発題を無視できません。三笠宮は2月11日の紀元節復活を批判するばかりか,日本軍の「略奪,強姦,良民の殺傷,放火等」,と執筆していました。中曽根康弘[1918-] 元首相は,慰安所について「三千人からの大部隊だ。やがて,原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために,私は苦心して,慰安所をつくってやったこともある」,と記録しています(『終りなき海軍』中曽根康弘 1978年 98頁)。

南京の慰安所や他の慰安所において女性たちが従軍慰安婦として強要させられたことは事実認定されました。しかし,1993年に提訴されましたが,日本の裁判では,原告の請求はいずれも棄却されています。2003年3月28日には,最高裁判所(第2小法廷)が上告を棄却。原告の敗訴が確定しています。

南京市総人口は 1937年 3月末の時点では101万9667人でした(『南京事件』首都警察庁調べ 笠原十九司 219頁)。1937年11月23日,日本軍の空爆,海軍の揚子江からの集中砲火により,半数近くに減りました。南京陥落の12月13日の人口は50万人であることは証明されています。「南京安全区国際委員会」が管理する安全区(難民区)内に逃げ込んだ人数だけでも約20万人と言われています。安全区とは,南京市の西北方の約3.8平方キロ(南京総面積の約8分の1)です。当時の南京市の人口は20万人というのは安全区だけの人数にすぎません。南京大虐殺を否定する人々は,当時の南京市の人口について言及します。20万人しかいなかったのに,30万人虐殺するとはおかしいとはねつ造だと右翼は強弁します。30万人もいなかったから,南京大虐殺は「なかった」派の論駁は浅はかです。数の違いによって「虐殺」そのものがなかったという開き直りは世界には通用しません。「虐殺」というのは人間として生涯を突然の恐怖によって抹殺されることです。人権,平和に生きてきた人生,家族愛について日本兵によってずたずたに無残に切り裂かれたのです。ヒロシマ,ナガサキ,フクシマの呻きには感情移入できても南京大虐殺について無関心なのは鉄面皮です。

宗子鄸さん(95歳)

はじめての南京訪問で思わせられました。80年前に犯した父親,祖父たちの世代の罪について関係がないとは言えません。戦時下,江戸時代でも連帯責任が問われました。連帯とは横の関係だけではありません。縦の関係も同様です。親がいればこそはじめて私たちもこの世に命として表れたのです。したがって,父祖の罪も背負うのは宿命です。あれだけの虐殺,慰安婦たちの涙,暴虐について無実とはどの日本人も言えません。「否定の論理」をもって,近隣アジア諸国に謝罪,補償を未来永劫にわたってドイツ国のようにすべきでしょう。行き帰り同行させていただきました毎日新聞社の湯谷茂樹編集委員は外国語,地理,歴史にも精通しておられ,たくさんの刺激を受けました。
 「かつてあったことは,これからもあり かつて起こったことは,これからも起こる。太陽の下,新しいものは何ひとつない」,と南京の虐殺された血の叫びが刻み込まれました(コヘレト 1:9)。

講座 「南京大虐殺事件の顛末」

  日 時 : 2001年2月11日(日)午後7時
  場 所 : 矢本台センター2階ホール
        神戸市垂水区狩口台5丁目
  主 催 : 神戸国際キリスト教会 (エラスムス平和研究所準備委員会)
講 師 : 林 伯耀 りん・はくよう (日本中国友好協会兵庫連合会代表)

2001年2月11日(日)午後7時から矢本台センター2階ホールにて,集会を開催。「南京大虐殺事件の顛末」という主題で,講師は林伯耀氏(南京大虐殺全国連絡会共同代表,旅日華僑中日交流促進会秘書長)でした。主催は,エラスムス平和研究所準備委員会でした。
神戸国際キリスト教会牧師館から徒歩2分の場所でした。

2001年2月11日 南京大虐殺の集い
2001年2月11日 南京大虐殺の集いチラシ表面
2001年2月11日 南京大虐殺の集いチラシ裏面

        「武具を棄てよう arma projicere」

日 時 : 2014年3月24日(月)午後6時半
場 所 : 神戸新聞会館

講 師 : 岩村義雄
エラスムス平和研究所所長

<序> 2013年9月17日,国連の人権理事会が兵役拒否の権利についてはじめて話し合いました(国連欧州本部の国連人権理事会4会期)。「各国に良心的兵役拒否を許容することを検討するよう呼びかける」と採択されました。会に出席した東京造形大学教授前田朗氏は語ります。「第一次大戦時には,イギリスでもドイツでも,兵役拒否者は死刑だった。1000人規模で死刑になっている。第二次大戦時には,懲役刑だった。日本でも兵役拒否は犯罪だった。第二次大戦後,徐々に変わってきたが,第1に,兵役義務のない国家が増えた。アメリカでさえ志願制だ。第2に,良心的兵役拒否を認める国が増えた。「良心的」の解釈は国によって違い,明確な宗教的理由でなければ認めない国もあるが,ともあれ兵役拒否が徐々に認められるようになっている。ミクロネシア連邦憲法には兵役拒否の権利が明記されている。それでも,韓国やイスラエルのように兵役拒否を犯罪としている国もある。」1) 韓国では強制徴兵制度が実施されており,兵役法によれば20歳から30歳の健康な男性は少なくとも21カ月間の兵役に就く必要があり,これを拒むと1年~3年の懲役に処されます。兵役拒否の流れは宗教者だけのものではなくなってきています。
日本のマスコミも,兵役拒否の国連の論議も無関心です。話し合い人権意識が希薄なことや,極右政権により憲法9条すら改正しようとする空気があります。今日は,第二次世界大戦中,徹底的に弾圧されたひとつのグループに焦点をあてながら,平和の重みを考えてみたいと思います。

(1) 歴史的兵役拒否
 a. 兵役拒否とは 良心者として
  主題の「武具を棄てよう arma projicere」をまず考慮します。「武具」はラテン語でarma[アルマ]と言い,英語 arm[アーム(戦争用武器の類)]の語源です。「棄てる」は projicere [プロイェケレ]と言います。projicere から英語 project [プロジェクト 投げ出す,放り出す]に派生しています。
西暦314年にコンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]が開催したアルル会議でも「アルマ プロイェケレ」について議論されています。2)戦時において,「アルマプロイェケレ」した者を良心的兵役拒否(Conscientious Objection)と明確に言うようになったのは第Ⅰ次世界大戦[1914-1918]からです。3)
兵役拒否者(以降,本稿においては「良心者」[英語 conchie コンチ 良心的兵役拒否者 Conscientious Objector カンシエンシャス・オブジェクター ])は,一般的に,宗教上の信念に基づいて,軍隊に入らなかったり,戦争行為に加担せず,他の奉仕などに専念するキリスト者によって知られています。日本では,良心者について暗いイメージが伴います。「兵役義務者が,詐病などさまざまな手段を遣って兵役を免れること。徴兵忌避。」(広辞苑),大辞林では兵役拒否を検索すると「徴兵忌避」になっており,「徴兵制度下で,徴兵適齢者が,兵役を免れるために,身体を傷つけたり,疾病を装ったり,逃亡して隠れたりすること。兵役忌避」と定義しています。
軍事主義と民主主義は異なると判断し,政治,あるいは思想による良心者も第Ⅰ次世界大戦にいました。しかし,社会主義実現のための戦争ならば,従軍することを厭いませんでした。兵役を全面的に拒否したのではありません。英国の独立労働党 Independent Labour Partyの支持者でも二分されました。いかなる戦争も非道徳と考えた党員もいましたけれど,独立労働党員=絶対的平和主義者とは限りませんでした。4)

良心者は,人間として欠陥があるような陰湿なイメージがあります。良心者は国を愛さない者として日陰の存在になります。軍需国家であるアメリカは,ベトナム戦争による激しい反戦運動を経て,徴兵制から志願制に移行せざるを得ませんでした。近年になって,ようやく良心者の絶対的平和主義が認知を受けるようになりました。良心に基づいて,兵役に就くかどうか自由に判断できるようになってきました。日本では,良心的兵役拒否について是か非か論議される機会はほとんどありません。防衛相の経験もある自民党のキリスト者石破茂幹事長は2013年4月に出演したテレビ番組で,国防軍に「審判所」という現行憲法では禁じられている軍法会議(軍事法廷)の設置し,徴兵拒否するなら,「死刑」「懲役三百年」と発言しました。5) つまり日本では,戦前,戦時下と同じエートスが続いています。

 b. 初代教会の時代
 イェール大学のキリスト教会史家ローランド・H・ベイントンは,「新約聖書時代の末から,紀元170-180年ごろまでには,軍隊にキリスト教徒がいたという証拠はない」と述べました。6)キリスト教徒の墓碑銘から兵士であった者は見出されていません。7)新約聖書の中で,イエスは,軍隊についての隠喩という仕方を用いませんでした。軍隊生活のたとえを一度も用いなかったことから軍務は不適当とみなしていたと考えるのが自然でしょう。8)初代教父のオリゲネス[182?-251]はプラトン主義哲学者ケルソス7)がキリスト教に非難した言葉を記録しています。「もし万人があなたと(キリスト教徒)同じこと(軍務を拒否)をしたならば,皇帝は孤立無援となり,世界の事物は最も不法で粗暴な蛮族の手におち,…」10)。つまりケルソスがキリスト者に対する非難のやり玉に,キリスト者は兵役につかなかったことがあげられています。三位一体という語を哲学との論駁の中で始めて用いたテルトゥリアヌス[150/160-220以降]も晩年,述べています。「信仰に入って洗礼を受けたならば,多くの人がしたように,直ちに軍務を去るか,それとも,軍務に就いていないときでも許されないようなことを神に逆らって犯さないために,あらゆる種類の逃げ口上を言うか,さもなければ最後に,市民の信徒でもやはり受け入れるべき運命を神のために耐え忍ぶかしなければならない。」11)と,キリスト者はいかなることがあっても軍務を拒み,殉教という運命を覚悟するようにすすめています。

しかし,コンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]の治世以前のアルル会議[314年]の頃には,キリスト教徒の兵士が軍務に服していた記録があります。12)キリスト教がローマ帝国の国教化(392年)に格上げになるやいなや,国の防衛意識に歩み寄るように意識が変わります。宗教が権力中枢と結びつき,妥協していくと,絶対的平和主義の理想は消滅します。正戦(just war justum bellum)=世俗的戦争論が教父たちによって後押しされるようになります。「侵略戦争からの無力な民の防衛」という大義名分に,教理の裏付けが必要になります。ミサと言う語をはじめて用いたアンブロシウス[334-397]13)や,西方教会の神学の父と言われるアウグスティヌス[354-430]によって,戦争観が180度,変貌するのです。アウグスティヌスは,ドナトゥス主義との論争において,「正しい戦争」があると語ります。14)ドナトゥス主義者の一部が暴徒となってしまいローマ・カトリック教会を攻撃すると,407~417年,アウグスティヌスは一貫して帝政当局による武力弾圧要請をします。

「正戦とは不正を正すところのものと定義されるのが普通である。すなわち,戦争を仕掛けられるべきは,民族や国として,その成員によって不正になされたことをただすのを怠ったり,不正によって横領したものを返却するのを怠ったりする場合である。しかし,神によって命じられた戦争も疑いなく正しい[ヨシュ8:1-2 参照]。神にはいっさいの不正がなく,誰にも起こるべきことを知っておられる。この戦争において,指揮官や参戦者は自ら戦争行為者ではなく,まさに奉仕者とみなされるべきである。」15) 正義の戦争が是認されるようになりました。16)

初期キリスト教の平和主義から脱線しはじめます。5世紀初頭に,「剣をとる者は,剣によって滅びる」(マタイ 26:52)という聖書の教えが曲げられていきます。本来は兵役を否定するはずのキリスト教が防衛行為なら人を殺してもよい神学を作り出します。

グレゴリウス7世[1020-1085]により,聖戦(holy war praelia sancta)が唱道され,ローマ教皇ウルバヌス2世[1042-1099]は,フランスのクレルモンで,エルサレム聖地をイスラム教から取り戻すため第1次十字軍(1096-99年)を組織します。アッシジのフランシスコ[1181-1226]は第5次十字軍には非難することもなく参加して,戦いの悲惨さを思い知ります。フランシスコによりドイツに遣わされた弟子ジョヴァンニ・ダ・カピストラノ[1180頃-1252]はフランシスコ会を発展させます。聖人カピストラノは外国に対する戦争を奨励します。17) 2世紀半にわたり,「神がこれを望んでおられる」(Deus lo volt)として十字軍のイデオロギーが正当化されます。十字軍遠征が神の意思であるように用いられたのは歴代教皇の責任と言えます。18)

 c. 日本のキリシタン迫害の因
スペイン,ポルトガルからのローマ・カトリック教会宣教師は短期間で日本中にキリシタン19)を布教します。戦国時代で価値観が大きく変わろうとしている時代でした。1614年には25万人のキリシタンがいたとする説もあります。20)ヨーロッパではローマ皇帝ネロ[37-68]たちにより弾圧されたにもかかわらず,キリスト者は生き延びました。韓国のキリスト者は第二次世界大戦戦時下,日本帝国の熾烈な統制によっても信仰を維持しました。一方,人類史上まれにみる残虐な迫害下にあって,日本では90パーセントのキリシタンが棄教していきます。なぜでしょうか。19)ひとつに,イエズス会内部の対立・抗争,二番目に,イエズス会と他の修道会との対立があげられます。22)陣取り合戦により,ヒエラルキーを急ごうとする競争意識があったのです。その結果,豊臣秀吉に疑心暗鬼を抱かせます。フランシスコ・ザヴィエル[1506-1552]たちも布教許可を申し出るために,時の権力中枢に近づこうとしました。支配階級を教化するのが手っ取り早いからです。高槻城主であった清貧な高山右近でさえ,仏教寺を廃寺にする方向で織田信長と密約しています。23)政治,軍事感覚の鋭い織田信長,秀吉は日本領土に対する教勢拡張に伴う中傷合戦から警戒感を強めます。ペルー,メキシコ,フィリッピンの二の舞を踏みたくなかったのです。1587年7月24日,秀吉の伴天連追放令が出されました。続いて,1597年には長崎で26聖人が処刑されます。話は脱線しますが,2008年11月まで,バチカン教皇庁は外国人宣教師である伴天連,つまり司祭たちのみを列福します。一方,殉教した庶民について,聖殉教者と認められなかったことはアジア人蔑視と憶測されてもやむを得なかったでしょう。24)
秀吉が弾圧する理由のひとつにカトリック教会内部の抗争が引き金になっていました。1600年にプロテスタントのオランダ,英国が上陸します。イエズス会による日本侵略は陰謀だとの進言により徳川家康の禁令が熾烈を極めることになります。25) 国際宗教である仏教はすでに日本の伝統思想の核になっていました。キリシタンが仏教思想批判をした非寛容な姿勢が禁圧される理由になったことはまちがいないでしょう。26)

(2) 戦争拒否の思想
 a. 中世の衝突に抗って
 デジデリウス・エラスムス[1466-1536]は「めいめいが論的の面目を葬り去るような毒舌の矢を放ち合っている醜態です。…無辜の人間を殺戮することではなく,人間の心から邪悪な激情を滅却することを目標としているのです。」15)1517年の宗教改革に先がけて,平和主義のカタリ派31),ピーター・ワルドー[1140-1218?]による原プロテスタント運動ワルド派32)がローマ・カトリック教会から異端として弾圧を受けます。さながらカタリ派は小笠原諸島に生息していたアホウドリ Phoebastria albatrus のようです。羽毛乱獲のために人間が近づいても警戒しないので,バカトリとも言われたりしました。ワルドー派もアルプスの白い山が殉教の血で真っ赤に染まるほど,カトリック教会によって弾圧されました。
宗教改革によりプロテスタント教会が起こります。プロテスタントの中で,聖書に基づくキリスト教非戦主義の流れを継承したのは,メノナイト派を起こしたメノー・シーモンス[1496頃-1561]33)やブレザレン派34),フレンド派35)です。聖書に基づく平和主義を貫いていきます。19世紀後半から世界的に通信,輸送,交易が活発になるにつれ,平和,非戦主義,友好の声が消されていきます。

b. 第Ⅰ次世界大戦の頃
1914年の第Ⅰ次世界大戦勃発時には,キリスト者も戦争に加担していきます。「無責任な臆病者」と言われたくなかったからです。一方,ブレザレン派は良心者として行動します。非暴力こそキリスト者の生命線と考えたわけです。
第Ⅰ次世界大戦時において,道徳上,あるいは宗教上の理由で兵役につかなかった人がいます。英国約16,000人(入隊者数の0.33%),米国約56,830人です36)。英国の5人は第二次世界大戦において兵役拒否で顕著なものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)のメンバーです。当時のエホバの証人の多くは第Ⅰ次世界大戦時には参戦していました37)。兵役を拒んだ者に対して,英国は激戦地へ派遣したり,命令拒否について密室の軍法裁判により,当初死刑や投獄を課しました。病により釈放された者はいましたが,戦禍が進むにつれ,獄中にいる良心者は忘れ去られました。絶対的平和主義は現実からの逃避になり,歴史の中ではなす術がなくなります。
兵役を拒否することにより,血を流さなかったことがヨーロッパの民主化をもたらしたのでしょうか。それとも血を流して,独裁国と戦うことによって民主化が実現できたのかどうかエートスは戦争を必要悪と帰着しています。
良心者に軍事行動を強いても組織としては非効率ですし、見せしめに投獄するのもそのためにかける労力も見合わないものです。
(to be continued)   エラスムス平和研究所
続き,および出典は 講座で配布します。

 キリスト教と非戦論  講師 岩村義雄

2015年4月18日(土)午後2時~4時 OCCカレッジ

学校の現場に,「憲法9条」がなぜ大切か,出前授業をしますので,ご希望の教師はエラスムス平和研究所にお問い合わせください。携帯 070-5045-7127。

「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会ニュース  No.6

「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」世話人代表 岩村義雄

 「国,敗れて山河あり」(杜甫の律詩)と敗戦後すぐに,不戦の誓いをしました。約4000年の人類の歴史の中で,戦い,紛争がなかったのはわずか147年です。つまり,人間の歴史は戦争に明け暮れてきたのです。

 古今東西,だれかを支配するために平気で人を殺してきたエートスがあります。相手を尊重したり,へりくだっているならば開戦したりしません。武器を製造する貪欲な商人,民の上に君臨したい独裁者,「殺してはならない」の戒律を忘れた群衆がそそのかしてきました。

 いつの時代も軍事的衝突によって,泣くのは弱い立場の者です。お年寄り,女性,子どもです。

 戦前のファシズムのような全体主義は絶対的な権力をもちます。人のいのち,人権,安寧を顧みませんでした。ですから憲法によって国の最高権力者をも縛る安全弁がどうしても必要になります。法律は民の権利や紛争に規制力をもちます。一方,憲法は権力をもつ君主,体制に対して拘束力をもちます。「朕は絶対で,お前たちがまちがっている」と君主が言うならば,だれも逆らうことはできません。人間が自分自身を絶対視し,神になるなら倒錯行為です。暗黒時代,闇,死に突入です。神を絶対にする宗教性をないがしろにし,人間を絶対にするなら抑圧,暴力,いさかいが生じるでしょう。

 日本のマスコミは,兵役拒否の国連の論議に無関心なのはどうしてでしょうか。社会の人権意識が希薄なことや,安倍晋三政権による憲法9条を殺す勢いに消されています。  「良心者」(良心的兵役拒否者 Conscientious Objector )としては,憲法9条を護るより「活かす」平和な国であってほしいと願います。

 日本人が憲法9条のノーベル平和賞を受賞し,人類が願ってきた戦争に終止符を打つうねりを世界の憲法に着火しましょう。

ニュース⑥2014-08-17

ノーベル賞平和賞受賞への取り組み 

                     エラスムス平和研究所 所長 岩村義雄

  2000万人以上を犠牲にして,「国,敗れて山河あり」(杜甫の律詩)を味わった日本人は「無条件降伏」に際し,現憲法について「私たちがつくった」という意識はありませんでした。1789年のフランスの人権宣言や,1776年のアメリカ独立宣言にしても長い年月をかけて生き方に定着してきました。アジア諸国,世界の紛争,ジェノサイド[集団殺害],テロなどの現実と憲法の隔たりがあろうとも,人類が再び大戦争の戦禍に陥らないために原則が必要になります。いわば歯止めです。

日本はヒロシマ,ナガサキ,フクシマと最新の科学の成果である核により,呻いています。しかるに,2014年の原爆を偲ぶ日に,首相の発言は黙視できません。戦後,続けて「私たち日本人は唯一の被曝国民」の声明から「惨禍を体験したわが国」に変わりました。「民」が消え去り,「国」つまり国家が前面に出て来たのです。特定秘密保護法案,7月1日の集団的自衛権(米国と肩を並べて参戦)を認める国に変貌したのです。

現内閣を支える主要な議員は海外からは保守ではなく,極右政権と報道されます。17人(89.5%)が道政治連盟国会議員懇談会(「神道議連」),「靖国議連」が15人(78.9%)です。学校の教育現場では,戦前の修身教科書と同様の道徳が復活し,教科書から加害者であった痕跡,沖縄集団自決,日本軍「慰安婦」,強制連行などが削除されました。児童の段階から戦争賛美,日本大国主義への復古調,隣国を敵視する教育を浸透させています。軍事費も増大しています。防衛省は主要国立大学7校で軍事研究を始めています。シリアのイスラム国,中東の爆撃について,米国から「派兵を要請された直ちに応じる」体制へと防衛ではなく,海兵隊を創設し,攻撃できる国に変容しました。

今,国が一番,考慮すべきは,フクシマ原発,東日本大震災の復旧,復興,再建,自然災害への備えた生態系の取り組みが優先する課題です。消費税をあげて軍事費の充実,大企業の優遇,食糧生産のぜい弱さを解決することに民は願っています。軍人や大金持ちが国の将来を左右する構造を許してはなりません。

広島県,丹波水害で復旧がおぼつかない時に,陸上自衛隊は災害救助に赴きます。被災地の救助も特別日給一人あたり約4.5万円と聞きます。30日働けば,120万円もひとりに支払われます。しかし,同じ時期に世界遺産富士山の裾野で訓練をしていました。2時間で弾薬3.5億円を使いました。なんという無駄遣いでしょう。

「歴史は繰り返す」のです。かつて「満蒙は生命線」と戦場に送り込んだ失敗の亡霊をよみがえらせないために,世界の宝で憲法9条にノーベル賞平和上受賞が時宜にかなっていると信じます。さらに共同で獲得するうねりを諸外国に向かって,世界平和の実現,地上からすべての武器,弾薬,軍人がいなくなる日に向かって発信していきましょう。

「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」

                                                                       2013年12月23日発足

 Request to become a nominator of “Japanese citizens” who have continued maintaining
Article 9 of the Japanese Constitution stipulates thorough renunciation of war, for the
candidate for the Nobel Peace Prize.

We, the undersigned, the Executive Committee Kobe of “Nobel Peace Prize for Article 9,” started a campaign to sign the petition, asking to award the Nobel Peace Prize to the Headquarters of Executive Board of Kobe “Nobel Peace Prize for Article 9”(Board Chairperson Wataru Mizugaki) which has continued maintaining the pacifist constitution, Article 9 in particular, up until the present, in order to spread the pacifist constitution in all the countries in the world.
Article 9 stipulates renunciation of war and not maintaining military forces. We think that it is the irreplaceable precious treasure, the point where the cognition of humankind has arrived, and the heritage that should be handed down to posterity, which was created as a result of the misery of the wars and the immeasurable sacrifice. We have confidence that Article 9 has the right to live in peace owing to fundamental human rights.
For 70 years after World War II, because of Article 9, we, Japanese citizens, have never waged any wars and never killed anyone or been killed in wars. Though other countries have tended to settle international disputes by use of force, we have continued maintaining Article 9, with repentance for and pain of the past war, as well as a wish for peace in the world. We think that Article 9 will be able to contribute to the security and peace of the world which continues to try to solve a conflict using force.
However, the Japanese Constitution is currently under threat of being revised. And besides, the Fukushima Nuclear Disaster has put our lives in jeopardy. Our peace declaration of the Constitution has now been undermined, whereas, the restart of nuclear power, which means a nuclear arms development, is central to Japan’s energy plans. We, Japanese citizens, are deeply concerned about this.
Nevertheless, there is a function the part of the administration, political world, financial world, academic society, and press offices to make a domestic nuclear power plant re-operate as it made enough argument pulling-out.
Maintaining Article 9 is the will of many Japanese citizens. Since the Japanese
Constitution came to effect on May 3, 1948, and Japanese citizens have never revised it.
Moreover, many Japanese citizens have been committed to various movements and
actions, in order to maintain and substantiate Article 9.
The constitution 9 article maintenance was to do the thought of the people who experienced the misery of the war. Then, the Japanese citizens have remained this thought since War. We have a history which did various movements, matches such as the Vietnam War opposition for a lot of people to keep this constitution 9 articles without ever changing constitution since this constitution birth and to utilize it.
The EU was awarded Nobel Peace Prize as an organization. Thus, we think it is possible that Japanese citizens as an organization, who have continued maintaining the pacifist constitution stipulating thorough renunciation of war, would be awarded it, similarly.
In order to nominate the candidate for the Nobel Peace Prize, it is necessary that qualified nominators according to the attached document submit nominations to the Norwegian Nobel Committee, by February 1, every year.
Although as of December 25, 2013, we have one person and one group as our nominators, we would like to have more nominators. If many nominators explain from their own positions or perspectives why Japanese citizens are worthy of the Nobel Peace Prize, we will come close to the realization of our being awarded it.

THE CONSTITUTION OF JAPAN

http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/gyoukan/kanri/pdf/22_appendix3.pdf

  Office : 1-101 Kariguchi-dai 5-chome,Tarumi, Kobe, Japan 655-0049
c/o Erasmus’ pacifism institutes
Headquarters of Executive Board of Kobe “Nobel Peace Prize
for Article 9“
General Secretary, Rev. Yoshio Iwamura
Tel : (81)(078) 782-9697 Fax: (81)(078) 784-2939
E-mail: QYH05423@nifty.com

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