キリスト教の弔い―現代問われている死生観 (英文付) Mourning way of Christian

日本「祈りと救いとこころ」学会
The Japanese Society for The Study of Prayer, Salvation and Heartmind
“Mourning way of Christian – Asked recent view of life and death”

2016年11月12日(土) ホテルメトロポリタン3F 富士の間

日本「祈りと救いとこころ」学会 第3回目 2016年11月12日
日本「祈りと救いとこころ」学会 第3回目 2016年11月12日

⇒ 『クリスチャントゥデイ』(2016年12月15日付) 新庄 れい麻

日本「祈りと救いとこころ」学会 割当 2016年11月12日

日本「祈りと救いとこころ」学会 割当 2016年11月12日

The Japanese Society for The Study of Prayer, Salvation and Heartmind
“Mourning way of Christian – Asked recent view of life and death”

2016年12月11日  撮影新庄れい麻  Pastor Yoshio Iwamura

 完全原稿 ⇒ 「キリスト教の弔い―現代問われている死生観」 
Complete manuscript of  English ⇒ Mourning way of Christian – Asked recent view of life and death

「キリスト教の弔い―現代問われている死生観」 Pastor Yoshio Iwamura
2016年11月12日
神戸国際キリスト教会
牧師 岩村義雄

主題聖句:  創世記 50章10節 一行はヨルダン川の東側にあるゴレン・アタドに着き,そこで非常に荘厳な葬儀を行った。父の追悼の儀式は七日間にわたって行われた。

<序>
 過去を否定して未来志向だけを語る欺瞞,生きていて儲けもん,死んだらおしまい。得することだけを強調して,損を言わない商法,「よく生きる」のみを説いて,死や「弔い」を排除する説法はインチキです。
 東日本大震災以降,宮城県石巻市において家族を津波で失った方との出会いは宗教観,死生観,医療に対する見方を大きく変えました。「死」はオタマジャクシの尾がなくなるように,人が高齢,病気,事故でなくなるのもアポトーシス(細胞の自然死)機能の結果と生理学的に考えていた視座を粉砕しました。死者は津波で約2万人,震災関連死は3千人以上。そのうち,福島県では1800人で,地震・津波による直接死(1611人)を超えました。孤独死,孤立死,自殺で涙する人々に寄り添うのは「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録にそれが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」,とあるように涙の革袋として遺族の悲しみを汲み取るボランティアの活動でした(詩編 56:9)。
 しかし,さらに私の死生観を劇的に変化させる出来事が起きました。先月10月17日の妻の逝去です。その2週間前には,教会で信者の葬儀を行い,被災地と同じようにご家族の方と共に抱擁して泣きました。
 被災地で出会った方々や,友の死の涙と,自分家族の死は異なることに気付かされます。自分に死にきって,体力,財力,時間を顧みずのボランティア道を貫くことは一人称です。よしんば泥水の中で息絶えようと,一人称「I 自己」の死は自ら刈り取った結末です。妻の死は二人称「Youあなた」の死です。東北,ネパール,友の死は三人称「He,She,They他者」の死です1)。三人称の死も生老病死愛別離苦の「離別」の悲しみです。ところが,二人称の愛する配偶者の死はもだえる苦悩(spiritual pain)を体験します。利己,自己,自我から脱却してタコ(他己)の精神で共に生きてきた二人三脚による活動がついえてしまう。つまりもはや二人で乗り切る術が消滅してしまった悲壮感,寂寥感,孤独が襲います。

1月4日の腎盂癌の摘出を経て,順調に思えたのもつかのまです。

術後2日目 岩村カヨ子 Kayoko Iwamura 2016年1月6日

 4月から痛みが家内に襲いました。兵庫県立がんセンターで5月末には治療の施しようがないと宣告され,余命も2,3日と聞いた時には狼狽しました。
 生前,連れ合いの苦痛は休むところ知らず,24時間容赦なく家内を打ちました。家庭を顧みず,自由奔放に生きてきた私が責め苦を負うならともかく,弱い家内に激痛が臨みました。在宅ホスピスをしながら,7月に,カヨ子に「どうして……」と問われた時,代わってやることもできず,絶句するしかありませんでした。モルヒネに相当するオキシコンチン増量も鎮痛効果はありませんでした。とどまるところを知らず,やせ細っている妻をこれでもかと打ち据える神に,「なぜ私ではなく,弱い妻なんですか」と讒訴(ざんそ)しました。

 163㎝の身長があるにもかかわらず,体重は32キログラム,骨の上に皮をかぶっているだけのありさまです。肉,脂肪,筋肉は見る影もありません。大腿骨に癌が浸潤しているのか,半年近く,さすり,気を紛らわすしかできない自宅に於けるケアでした。
 かつて,ミルク療法で身につけたマッサージを毎日していた頃の肉付きはなくなっていました。不思議なことに,痩躯とは裏腹に,首から上の健常者を思わせる顔艶,しみやしわがほとんどなく,目鼻立ちがはっきりしています。訪問看護師は驚きます。死人と生ける者が合体したようでした。覚醒剤に相当する強力な増し加わる鎮痛薬を服用していたにもかかわらず,記憶力,意識,周囲に対する気づかいが弱ることはありませんでした。

親しい松浦和彦&和子夫妻 岩村カヨ子 2016年6月7日 Kayoko Iwamura

 神がおられるならなぜ苦しみ,恐怖,不安を与えるのでしょうか。
 末期がんで苦しんで世を去った妻は自然,とりわけ山里が好きでした。奈良県二上山(にじょうざん)の麓で育った家内は海が好きな私に言いました。「人間は元々エデンの園の森にいたのだから,山がいいわ」と常々旅行を願いました。10月17日に亡くなり,その夜,通夜をし,18日に葬儀をしました。20日には関空から韓国チェジュド(済州島)のフォーラムに出席しました。

チェジュド(済州島) 2016年10月21日 岩村カヨ子の写真 Kayoko Iwamura Pastor Yoshio Iwamura

 世界遺産でもある自然が豊かな観光地です。自然を愛でた西行[1118-1190]が歌ったように,「花も枯れもみぢも散りぬ山里は寂しさを又問う人もがな」と。自然の絶景,移りゆく山並みの美しさ,旅情では別離の哀しさは埋め合わせることはできませんでした。
 時間が経過すれば,離別の悲しみから解き放たれるのでしょうか。
 「弔い」をする意義はあるのでしょうか。「弔い」が鎮めるのでしょうか。
 身近な者の死を体験して日が浅いので,普通の論考とは異なり,「私」が多く登場することを最初にご了解賜りたく思います。

目次

(1) 死の定義
  a.日本人の死生観3
  b. 死の定義4
    肉体からの霊魂の分離 プラトン
    人間の死は人格的な死
  c. キリスト教とキリスト者の相違6
    否定の論理の欠落7
    沸騰主義
    キリスト教会の終焉8
(2) 犠牲的な死
  a. 何で私ばかりがこんな目に 妻への懺悔
    肉のとげ9
    殺す者
  b. 私は殺人者
    イサクの従順10
    生 ⇒ 殺 ⇒ 死
  c. キリストを殺す
    共苦
    罪と罰11
    夫婦は一体
    死んで生きる12
(3)  弔い
  a. 遺体に寄り添うボランティア
    棺
    遺体13
  b.「弔い」「葬り」を忘却してはいけない
    喪の期間14
    自然の救済
    0葬15
    健康の定義16
 c. 弔いとは魂の医療者の職分
    英霊17
    死の反対は命ではない18
    復活

(1)  死の定義
 日本人の死生観
育てた養子孝太が東京から神戸に来て,10分もたたないうちに訪問看護師が私に血圧が下がっているといいました。私は脈がないので息があるか確かめました。今まで息をしていたのがなく,心臓も止まっていました。私は「死」について何を基準にするか,「みんなで『死』を考える会」会長であるにもかかわらず,配偶者の逝去を目の当たりにして,いつ家内は死体になったのかわかりませんでした。たとえば,死後何日間は爪や髪の毛,ひげも伸びます。昆虫少年であった私は同趣味の東京大学養老孟司氏が「機能が不可逆的に回復不能になる点」と定義していることに半信半疑でした2)
「後戻りできない死」(死の不可逆性)について養老先生が述べられる定義だけでは判断できません。
9月24日に,事故で母親が瀕死の状態だと教会のメンバーである母の息子から相談を受けました。聞いて見ると,心臓は動き,体温はあり,呼吸はしています。しかし,私は現代の祭司よろしく,「お母さんの脳幹が溶けていると医療が診断しているのだから,延命治療は無意味です」,と長男に申し上げました。神戸新聞会館で依頼された「『死』を考える」講座の第2回目で,淀川キリスト教病院名誉院長の白方誠彌講師が脳死による臓器提供の是非について話されたことを学んでいたからです3)。9月27日に通夜,28日に教会で葬儀を行い,私が司式をしました。

神戸国際キリスト教会葬儀  宮田綾子姉 2016年9月30日 Pastor Yoshio Iwamura

 10月17日,三村和子看護師が,何時何分に妻が逝去したかは家族である私が決めることと言われました。その時間をその日の午後,訪問医師である池垣なつ院長は死亡診断書に記入したのです。

 歴史書『()()倭人伝』によると,死は忌と穢れです4)。死後,人間は霊として存在するという日本的なアニミズム,有霊観があります。()み嫌う「()」は喪中でつつしんでいる一定の期間であり,忌が明けると言ったりします5)。お隣り,家の前に「忌」の貼り紙をし,葬儀から帰ると「清め塩」を身にふりかけます。聖書の中にも塩は清めの効能をもっています(Ⅱ列王 2:21)。日本人は肉体よりも魂を大事にします6)
 仏教が渡来してからの西方浄土の十万億土という遠い彼方という発想ではなく,古代の人々は,できるだけ死者の世界を自分たちの世界と余り距離のない所に想定して,死者が自分たちの周辺にいると素朴に信じたようです。「先祖が草場の陰から見守ってくれる」とか,「そんなことではご先祖さんが,草場の陰で泣いている」,と言った表現はそのことをよく表していると思います。死を忌み嫌いながら,一方では,先祖の魂は身近に感じていたいという願いや気持ちを今も私達は引きずっているように思います7)
 幼い時に昨日まで一緒に遊んでいた友が,こんもりした墓に埋められたことは「死」という現実を知る機会になりました。小学校へ行くようになってまもなくのことでした。その時は「死」とは何かを考える力はありませんでした。
 今日,「0葬」を願う人が増えています。「0葬」とは火葬場から骨を持ち帰らない,散骨すらしないのです。遺骨を弔いの対象にしない究極の葬儀です。3.11以降,東北ボランティアにほぼ毎月訪問しています。宮城県石巻市の火葬場では遺骨の受け取り拒否ができません。関西以西は昔から部分収骨があるので比較的容易に拒否できます。関西では「0葬」と言いますと,喪主が一筆書けば,引き取らなくてもいいのです。散骨を願っても,「骨を捨てるのは乱暴だ」と言われ続け,悲嘆に暮れていた人々には「0葬」は朗報です。
 葬儀,墓,宗教に関心が薄くなった日本では,たとえば墓参りはちゃんと励行していても,自分の菩提寺の名前,宗派すら即答できない人が増えています。終活ブームで,「戒名いらない」「墓いらない」「遺骨いらない」と言う人は自分なりの死生観が確立しないのです。「○○いらない」と言うのは,単に割切った考え方をしたいだけであることを,見抜かなければなりません8)
 「歴史の中でわたしたちの時代である今,わたしたちは死者に対する心遣いをする(あるいはしない)そのやり方が激変している時を過ごしているのである。……死んだ者の体を,ふさわしい敬意をもって扱うことを忘れてしまった社会は,まだ生きている者たちの体をないがしろにしたり,痛めつけたりさえしたりする傾向のある社会なのだ。死者がどこへ行くのかについて,何も確かな希望を持っていない社会は,子どもたちの手を取って,希望に満ちた将来へと導いていけるという確信のない社会なのである」,とアメリカの説教学者トーマス・ロングは警告します9)
 2010年,弟鉄男,なんでも語り合えた友戸村若文兄,親しかった川田祐二牧師の3人が逝去しました。妻がその年,2月8日にメラノーマ[悪性黒色腫]の手術に成功したものの,いのちの尊さ,死について今一度考えることを迫られました。

右 岩村カヨ子 2011年8月23日  家内が最も信頼する村田洋三医師,山崎和子(旧姓 赤)看護師 Kayoko Iwamura

 翌年,東日本大震災が3月11日に発生。3月21日に見た被災地の惨状は死生観を根本的に覆しました。遺族から「幽霊に会いたい」と言われて,宗教者として沈黙せざるを得なかったのです。どう応えるべきか悶々としている4月初旬に,神戸新聞会館から,「『死』を考える」連続講座を依頼されます10)。「みんなで『死』を考える会」が発足し,会長として現在に至ります。

b. 死の定義
 魂,理性が肉体から分離,「移行としての死」をプラトン[紀元前427-347]は説きました。プラトンは師であるソクラテス[紀元前469頃-399]の師について語りました。対話論『パイドン』の中で,師を「霊魂の身体からの分離」と描いています11)。一方,キリスト教は肉体と霊の対立を強調しません。ソクラテスが言うように,体は霊魂の牢獄ではなく,むしろ宮(神殿)であり,パウロが言うように聖霊の宮なのです(Ⅰコリント 6:19)12)
 ギリシアの代表的な哲人ソクラテスの死とイエス・キリストの死をまず比較してみましょう。ソクラテスは毒を喜んで飲み干しました。死を少しも恐れていません。死を滅びとは思わずに,解放とみなしました。死は苦痛を意味しません。幸福な瞬間ととらえました。なぜならギリシア人の神であるアポロンのもとに行くことができるからです。悲しみの時ではなく,歌を歌って死を喜び迎えたのです13)
 国際宗教である仏教が,日本に定着していくにつれ,土葬であった弔いを火葬に変えていきます。『続日本紀』は最初の火葬について記録。8世紀の僧侶道昭です。持統天皇は仏教徒として火葬されます。しかし,廃仏毀釈のため明治天皇から昭和天皇まで土葬で葬られています14)
 聖書から人類父祖をひもとくとき,神はアダムとエバに是「善悪の知識の木」から「食べると必ず死ぬ」という戒めを与えました(創世記 2:17)。禁断の実を食べなければ,二人は死ななかったことになります。人間の死に神が介入することが最初から描写されています。人間の死は不慮の事故,病気,老衰などの自然死によるのではありません15)
 創世記 5:24「エノクは神と共に歩み,神が取られたのでいなくなった」。
 申命記 32:39 「しかし見よ,わたしこそ,わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し,また生かす。わたしは傷つけ,またいやす。わが手を逃れうる者は,一人もない」。
 ヨブ 14:5  「人生はあなたが定められたとおり 月日の数もあなた次第。あなたの決定されたことを人は侵せない」。
 詩編 90:3 「あなたは人を塵に返し 『人の子よ,帰れ』と仰せになります」。
 人間の死は動物の自然死とは異なり,超越論的存在である創造者との関係性における「人格的な死」,と聖書は一貫して述べます。
 したがって,アポトーシス[細胞死]による死の不可逆性と細胞学の視点からだけでは説明できない視座を提供しています16)
 キリストの死に様はソクラテスと対照的です。イエスは叫ばれました。「わが神,わが神,なぜわたしをお見捨てになったのですか』と絶叫されました(マルコ 15:34)。旧約の預言の成就の証明の行程ではありません。超人,つまり地上に来る前に得ていた栄光の存在だからそんな痛みは乗り超えられると想起するのはまちがいです。文脈で,キリストの心情が吐露されています。「わたしは死ぬばかりに悲しい(ギリシア語ペリルーポス 「深く悲しんでいる,悲嘆にくれている」の意)」,と死ぬ程までの悲嘆に襲われている様です(同 14:34)。
 キリスト者のことを証人という場合,「証人」(ギリシア語マルトゥース)は英語 martyr 殉教者の語源です。殉教者とは英雄的「死」ではなく,死に至るまでもだえ苦しんだことを示唆しています17)
 クリスティアニスモス[キリスト教]と,クリスティアーノス[キリスト者]の相違とは死線,死の陰の谷,重篤の際に浮き彫りになります。歴代のキリスト教会は土葬の前に香を焚き,死臭を隠し,エンバーミング(死体整形―死化粧・防腐処理)に腐心しました。火葬は「死後の復活」を妨げるものとして,強く忌み嫌うイスラーム教ほどではないけれど,ローマ・カトリック教会も土葬にこだわってきました。バチカンにしても第2バチカン公会議[ラテン語 Concilium Vaticanum Secundum 1962-1965]まで土葬に執着してきました18)。教導権を有するローマ・カトリック教会は復活の時に,死んだとしても肉体そのもののよみがえりを信じてきました(Ⅰコリント 15:42)。骨など痕跡がないと復活の際,神は組み立てにくかろうと恐れたからでした。

c.キリスト教とキリスト者の相違

 「キリスト者」は初代教会ができる途上の時,地域の人たちから異端として蔑まれました。「見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は,丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで,弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」(使徒 11:26),と。「キリスト者」(クリスティアーノスⅠペテロ 4:16)はユダヤ教から異端として迫害を受けました。
 キリスト者としてキリストに追随することは死,殉教,迫害を覚悟しなければなりません。「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆,迫害を受けます」(Ⅱテモテ 3:12)。火葬や,獣に喰われたり,肉体が朽ち果てようが,神の証人は埋葬について一義的にこだわることが大事ではありません。殉教した魂はどんな亡骸の状態であろうと神に覚えられているはずです。「『今から後,主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて,安らぎを得る。その行いが報われるからである』(黙示録 14:13)。また必ずしも教会に籍がなかったとしても,死は飲み込まれます。「アダムによってすべての人が死ぬことになったように,キリストによってすべての人が生かされることになるのです」(Ⅰコリント 15:22),と。
 アブラハムが信じたように,「死者に命を与え,存在していないものを呼び出して存在させる神」(ローマ 4:17)なら,不可能を可能にできると宗教者は信じます。
 コンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]以降は,迫害される側から180度変わっていきます19)。聖書にない「キリスト教」(クリスティアニスモス)という言葉が誕生します。「キリスト教」が歴史上,生殺与奪権を持つようになります。教会は考えを異にする者を無慈悲に排除,迫害,追放します20)。十字軍,異端審問,魔女狩りを行なう側だった歴史認識を否定してはいけません。組織温存のために異議を唱える者を抹殺した流血の罪をもっています。マザー・テレサは回心のための布教をせずに,インドの貧しい人々に仕えます。業を煮やしたバチカンはマザーの働きをやめさせるべく刺客を送り込んだのも一度ではありません。マイノリティーの方に真実があったゆえに,マザーに軍配が上がったのです。マザーの弟子は増えました。
 教会が伝道して信者を増やしてきたことは歴史が証明しています。“the Great Commission”「あなたがたは行って,すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」(マタイ 28:19)を旗印にしてきました。しかし,キリストは決して回心者を増やしなさいとは言われませんでした。弟子を増やしなさいと言われたにすぎません。西方教会,たとえば,ローマ・カトリック教会のイエズス会士フランシスコ・ザヴィエル[1506-1552]や,プロテスタント教会の福音派は未信者に原罪からの「救い」「永遠の命」「信仰」 を伝えました21)。人間救済が中心です。一方,仏教などは草木そうもく国土こくど悉皆しっかい成仏じょうぶつ[草木や国土のような心識をもたないものも,すべて仏性ぶっしょうを有するので,ことごとく仏となりうるという]自然界も救済の対象です。
 キリストご自身はだれひとり改宗に導いておられません。つまり仏教信者や神社の氏子たちをキリスト者に回心させるようにはキリストは言われなかったのです。布教=神の意志の伝道スタイルから,人々に「仕える」=神の意志に立ち帰らなければなりません。Great Commandmentとは「隣人を愛しなさい」です(申命記 6:5,ローマ 13:8, ヤコブ 2:8, ガラテア 5:14)。同時に,「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ,増えよ,地に満ちて地を従わせよ。海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』」(創世記 1:28)と言われました。自然界をどのように管理するか人間に委ねられました22)。キリスト教は神の慈愛,隣人愛を説く宗教と言われます。しかし,教会は考えを異にする群れ,宗派,人間を人間扱いをしないで排除してきたのです23)
 したがって,キリスト教会に今一番求められているのは「悔い改める」(ギリシア語メタノエオー 「変化」+「考える」=「視座を変更する」)というキリスト教の歴史に対する「否定の論理」です(マルコ 1:15)。メタノエオー(新約に33回)や名詞形のメタノイア(同 22回)には,「罪を悔い改める」というより,因習,伝統,常識という固定概念から180度転換することを意味します。
 超越論的存在と縁(religio=結び)もたない神道界,仏教界は,汎神論に依拠してきました。確かに自然の営みがもたらす安息はあります。しかし,生老病死愛別離苦について自然が絶対的救済につながるかどうか,冷徹な弁証法的否定はしてこなかったのではないでしょうか。一部を除いて,伝統的宗教,親鸞,聖徳太子のいずれもが「否定の論理」がありません24)。二番目に,「非寛容からの脱皮」です。とくに「キリスト教は神の愛や隣人愛を標榜する。しかし,現実には,宗教的迫害を躊躇しない」と神戸国際大学教授の近藤剛は述べます25)。三番目に,「ヒエラルキー清算」です。数合わせに腐心し,人数拡大による数字で一喜一憂する体質,宗教エリート帝国の統治体制に終止符を打つように,社会学者の村田充八が発題されるように,レフォルマンダ [ラテン語 reformanda 「改革され続ける」ではなく,「改革されなければならない」to be reformed]ことを宗教者は自覚すると同時に,実践すべきです26)
 キリスト教は苦しみを体験することをすすめる宗教でしょうか。否,家族の不和,人生のどん底から這い上がれないみじめさ,裏切られたり,非寛容な自分の精神的苦痛から解放され,しあわせになることが福音の本質ではありませんか。神との平和からもたらされる『我と汝・対話』(マルティン・ブーバー 1878-1965)が言ったように「我と汝」の垂直の「活動」の関係があれば,試練を耐える道が備えられていることも確かです。御国の成就だからです27)
 しかし,コンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]がキリスト教帝国を作りました28)。約1500年間,伝道による異民族支配,異教根絶,土着信心排斥により,拡張に次ぐ拡張により,増殖してきました。キリスト教は,恐慌,ペスト蔓延,紛争に傷ついた民にカンフル注射のように,神学で塗り固められた永遠なる慰め,アガペー愛,「逃れ道」も喧伝してきました。さらに音楽,建築様式,美術により宗教性で感情を高揚させてきました。だからこそ,世界最大の宗教人口を擁するほど膨張してきたと言えます。沸騰主義です。恥ずべきことに,偏差値の上昇に熱をあげる受験生のような未熟な独り善がり,無思慮な振る舞い,非寛容な排除による流血の罪で血塗られていました。「宗教」とは「聖なる事物(choses sacrées)に関連する信念と慣行のシステム」であり,「聖なるもの」とは,「集合的沸騰」effervescence collectiveという一種のエクスタシーから発生すると社会学者エミール・デュルケーム[1858-1917]は述べています29)。もし覚醒剤常習者のように,一時的な快楽,享楽,恍惚状態にある人がしあわせと定義するなら,子どもでさえ一時的なまやかしと識別できます。
 現在,日本の多くの識者,政・官・財・学はなぜ宗教に硬化した態度を示すのでしょうか。既存の宗教が,「生きる」しあわせ,恩寵,感謝を強調し,「死ぬ」峻厳さ,苦悩,恐怖を忘却するようにしました。信者たちの思いから「弔い」についても形骸化,形式化,風化させてしまったことが宗教離れの最大の理由と言えます。
 フリードリヒ・ニーチェ [1844~1900]はヨーロッパを支配するキリスト教道徳へ反旗をひるがえしました。「真理への信仰」や,自由主義,民主主義などの欺瞞性を告発しました。エリート宗教帝国が瓦解するように民を覚醒させました。キリスト教は「権力への意志」に根ざしているという断面図を白日の下にさらけ出しました。体制の旗手,擁護者,権益を受け取る側に属している限り,民衆の苦悩,とりわけ死別,高額な医療費,医療ミスなどに無感覚な方が安泰です。インフォームドコンセントからメイキングデスィジョンに移行したからとて,現代のバベルの塔である医療界,白い巨塔に抗えないのです。
 「わたしたちは,多くの人々のように神の言葉を売り物にせず,誠実に,また神に属する者として,神の御前でキリストに結ばれて語っています」(Ⅱコリント 2:17)とパウロが語るように,「ただで受けたのだから,ただで与えなさい」(マタイ 10:8)という姿勢を忘れ,企業の営利体質と変わらない団体になっていないかどうか,常に,吟味していくべきです。
 キリスト教界が数的拡大に腐心し,魂の医療への改革を怠れば,キリスト教会の終焉を目撃する証人になるでしょう。

(2)  犠牲的な死
a. 何で私ばかりがこんな目に 妻への懺悔
 妻の末期がんによる痛みは鎮痛剤の追加によっても追いつきませんでした。「『タリタ,クム』と言われた。これは,『少女よ,わたしはあなたに言う。起きなさい』という意味である」(マルコ 5:41),と。「わたしには金や銀はないが,持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり,歩きなさい」(使徒 3:6),と。「主はあなたのすべての不義をゆるし,あなたのすべての病をいやし」(詩編 103:3),と祈られます。
 信仰者であるならば,友,仲間や家族の見舞は少なからず日々の生活において,オプションではなく,標準装備として頻繁です。牧師の妻であるならば日常茶飯事です。

左 岩村カヨ子 菅原洸人[2013年11月2日逝去]画伯を見舞う 2013年10月31日 Kayoko Iwamura
岩村カヨ子 入院姉妹を見舞う 2,012年4月6日 Kayoko Iwamura

 病んでいる人に,仕えてきたのに,今度は自分が体験するわけです。家内は「わたしがどうして……」と発しました。なぜなら「もしあなたが,あなたの神,主の声に必ず聞き従い,彼の目にかなう正しいことを行い,彼の命令に耳を傾け,すべての掟を守るならば,わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない」,と聖書に書かれている知識があるからです(出エジプト 15:26)。夫として,何よりも牧師としてどう慰めればよいのか狼狽しました。
 私は牧師として失格でした。なぜなら家内が苦しみもがく中から発した言葉を包み込み,感情移入しませんでした。被災地の遺族に接するように,一緒に涙の革袋として受け取めなかったのです。牧師の性(さが)は哀れです。講壇から語るように聖書から,「痛み」のとげについて説明をしました。
 一方,ボランティアで被災者から「幽霊でもいいから会いたい」「ごうの結果なんでしょうか」「因果応報のたたりですか」,とよく問われました。その度に,助言を与えたりせずに,寄り添い,共苦し,聞く側に徹していたのです。被災者,つまり三人称のHe,She,Theyに対しては,「ヨブのような信仰」,つまり神に全幅の信頼を置きなさいと求めることなど毛頭考えられません。ただただ感情移入[have a compassion with ~]の精神態度による冷静さ,落ち着き,慰めることに徹します。
 二人称の「あなた」である妻はいたらない連れ合いをずっと支えてくれてきたのです。他の人が一人称の自分に祈ってくれなくても常に祈ってくれたのが妻でした。そんなかけがえのない家内に,痛みについて次のように聖書講義の説明をとうとうとしてしまったのです。
 パウロは自分の身体の「とげ」(ギリシア語スコロップシュ「病気など甚だしい苦痛を与える肉体的障害」の意)が祈っても取り除かれなかったことがあります(Ⅱコリント 12:7)。そのときに「わたしは弱いときにこそ強いから」(10節),と私は家内を教えました。「弱い」のギリシア語はアスセノー(「病気である」の意)の時こそ(トテ 副詞「そのとき」「同時に」)「強い」(デュナトス 「力強い」ダイナマイトの語源)と説明しました。家内はいつものように澄んだ目で素直にうなずきながら聞いていました。実行に移すとは思いもしませんでした。訪問医師が2,3日の内に親族を集めてくださいと言われて,ずれて一週間後に東京から,実の子のように育てた孝太が来神。もう一歩も歩けない,寝返りも自分で出来ない衰弱した身体です。明石の玉子焼を食べさせてやりたいと,起き上がって車いすで行くことになります。寝たきりで過ごしてきたのに無謀でした。首がぐらぐらです。村上裕隆君が運転し,孝太と私で首と頭を支えて,5人で向かいました。レストランで玉子焼きを共食しました。
 帰宅し,二人だけになった時,「死ぬほど苦しかったわ。けれど親らしいこと何もしてあげられなかったから,神戸に帰って来た孝太にせめて元気だと示して安心させたかったから……」,と苦痛で顔をゆがめながらも,私に言い放ちました。全力を出し切ったもぬけの殻同様の状態で,七転八倒していました。その夜,二人は一睡も出来ず,家内の浸潤した骨をさすりながら朝を迎えました。
 牧師の家庭だから,夫婦はいつも模範的,理想的,信仰的なことばかり言ったり,行動しているとするなら,偽善です。怒り,苦悩の叫び,絶叫を素直に言い表せないなら人間性を喪失した欺瞞,世間体,愛の冷え切ったカップルです。
 私が妻を殺しました。京都大学名誉教授の水垣渉先生が「聖書セミナー」で語られたことを自分が演じたのです。殉教者ステファノの最期の言葉にあるように「今や,……殺す者(フォネイース 複数形)となった」のです(使徒 7:52)30)。憎い相手ではなく,最も愛する者を「殺す」地獄を体験しました。

b. 私は殺人者

 ボランティア活動に東奔西走する働きは二人三脚でした。どちらかが欠けても目標地点に到達できません。運命共同体です。配偶者,協力者,戦友でした(フィリピ 2:25)。二人で一人,「人」という漢字の表記通りです。息子や娘に先立たれ,嗚咽する親の悲しみの哀愁を帯びた旋律の波長と同じ旋律が妻の死後,途切れることなく,響いています。私が「殺し」た故に,一層いたたまれない空虚感,慟哭,闇が襲います。見るものすべて,カラーの色彩は消え失せました。モノトーン調です。「昼の十二時になると,全地は暗くなり,それが三時まで続いた」と,父なる神は御子の死を直視できませんでした。神の心情と同じように闇に覆われました(マルコ 15:33)。
 パウロがステファノを殺す殺意,ダビデがウリヤを戦場で殺す殺意,モーセがエジプト人を殺した殺意は邪魔,敵意,怒りが駆り立てたものです。私の場合,妻に敵意はまったくありません。愛している者を殺さねばならない動機は皆無です。
 モリヤ山で父アブラハムが自分に短刀で突きさす殺意を感じ取ったイサクは抵抗しませんでした。妻は牧師である夫の聖書釈義に抗いませんでした。イサクのように従順に受け入れました。恭順な精神態度です。「弱いときにこそ,私は強い」という権威,代言者からの言葉,一点の疑念も抱かない素直な姿勢です。だから寝たきりで末期(まつご)の水しか飲めない衰弱しきった身体で,力以上に,無謀にも車に乗り込みました。笑って写真に収まりました。
 神はモリヤ山でイサクの代わりに「茂みに一匹の雄羊」を備えておられました(創世記 22:13)。アブラハムは「イサクを返してもらい」ましたが,神は家内を返してくださいませんでした(へブライ 11:19)。配偶者の身代わりはなく,「死」へ幕が閉じられることになります。

 それから約3週間経て,痛みながら,<参照>岩村カヨ子は地上の命を閉じました。アブラハムは「イサクから生まれる者が,あなたの子孫と呼ばれる」と神から神託を受けたにもかかわらず,「あなたの愛する独り子イサクを……ささげなさい」とアブラハムは不条理な神から啓示で苦悩したでしょう(へブライ 11:18;創世記 21:12,22:2)。子どもを亡くした親が「親より先に死ぬほど親不孝はない」と号泣する場面を見聞きすることがあります。子どもを殺さねばならない親の気持ちは想像するだけで身の毛もよだちます。妻を私も殺しました。

 c.キリストを殺す

 キリストが花婿であり,キリスト者が花嫁の聖書観は信仰生活の途上でだれしも共通に理解しています(黙示録 19:7,8)。今回,パラドックス,つまり逆転がありました。私に殺された妻はキリストと同じ体験をしたのではないかと,思えました。妻が花婿の立場に転換したのです。キリスト自身が苦悩を闇で呻きました。「キリストは,肉において生きておられたとき,激しい叫び声をあげ,涙を流しながら」叫ばれたのです (へブライ 5:7)。つまり「激しい叫び声」をあげたキリストように,花嫁である妻が主似化したのです。激痛,キリストと同じような「共苦」があった妻はしあわせだったのではないかと思えてきました。「もし子供であれば,相続人でもあります。神の相続人,しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら,共にその栄光をも受けるからです」,と神と一体になることができたからです(ローマ 8:17)。妻は「共に苦しむ」(ギリシア語スムパスコー スン「共に」+パスコー「苦しみを受ける,苦難を経験する」参照 マタイ 17:12, 使徒 1:3)。試練を忍耐したのです(Ⅰペテロ 2:6)31)
 妻はキリストの苦しみ,悲しみ,十字架を味わうという精練の機会を得たのです。
 「父なる神」は,最も愛する御子キリストを十字架で殺しました。憎しみがなかったにもかかわらず,最愛のイエスを殺しました。「殺す」とは血を流す行為です。「まだ,罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」私に代わって,配偶者が血を流してくれました(へブライ 12:4)。「血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです」(へブライ 9:22)。二人称の同労者が2016年1月4日,兵庫県立がんセンターでガン手術により,血まみれになって,私の罪を背負ったのです。
 キリストは死にいたるまで従順でした(フィリピ 2:8)。二人称の「あなた」妻も死にいたるまで,一人称「私」に従順でした。そして妻を殺した私は,神のチムグルシー(胆苦しい)を受肉したのです32)
 神ご自身が愛するわが子を殺され,葬ることにどれほど悲しまれたか,苦縁による直結です。妻を殺してはじめて神の苦しみを共有(ラテン語patī(=to suffer)「苦しむ」とcum 《奪格》「共に」を意味する前置詞 ⇒ 英語 compassion)することができるようになりました。つまり,「共苦」,一緒に苦しむことができるようになりました。
 最愛の妻の死に様から感知し,神と一体の関係ができたことになります。
 アイヌたちは,死の相対性を克服する術を身につけていました。アイヌは自分たちと同じビオス(bios)であるクマを殺すことによって,死と相対的な関係にある「有限の生」ではなく,死を超越してしまった「無限の生」を,自分たちの存在する世界,つまりアイヌモシリの中心軸に取り戻そうとしていたのです。死の相対性を克服するために,あえてビオスの死を演出し,そこに常在のゾーエー(zoë)を感じ取ろうとしていました,直観を体現していた感覚がわかるようになりました33)
 人類はすべて殺人者です。思いの中で第三人称や第二人称に「あいつさえいなければ」と考えたりした時点で,すでに殺人者です。「しかし,わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は,最高法院に引き渡され,『愚か者』と言う者は,火の地獄に投げ込まれる」(マタイ 5:22),と。つまり,人類74億人,これまでの人類すべてが殺人罪を免れることは不可能です。一度罪を犯した場合と,何度も罪を犯した犯罪者はどちらが罰を免れることができるかと言えば,一度であろうと数度であろうと,罪は償わなければならないのです。歴史そのものがいがみ合い,傷つけ合い,殺し合いの繰りかえしです。殺人者は犯した「罪」ゆえに「罰」を受けねばなりません。地獄の責め苦はあります34)。なぜなら神は悪と共に同居することができない方だからです。罪を償うために御子キリストを罰するという手段を講じられました。「そこで,一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように,一人の正しい行為によって,すべての人が義とされて命を得ることになったのです」 (ローマ 5:18) ,と。
 弟アベル殺しの実行者のカインのように,妻を殺すために私は生まれてきたのでしょうか。配偶者のいのちを否定して私は生きている悲劇,矛盾,悲惨さが生じたのです。
 「それゆえ,人は父と母を離れてその妻と結ばれ,二人は一体となる」ように神によって結び合わせられた関係です(エフェソス 5:31;マルコ 10:9)。
 「一体」の「人」であったのに,半分に切り裂かれました。「神が結び合わせてくださったものを,人は離してはならない」(マルコ 10:9)と命じられているのに,妻を殺すという悲劇を演じたのです。生きる力,共食,微笑み合う関係性は途切れました(創世記 1:24;マタイ 19:5,6)。2011年から津波で栽培ができなくなった宮城県石巻市で,「田・山・湾の復活」の米づくりを始めました。稲刈り,脱穀,天日干し,籾すりの行程で,穀粒が砕けてしまうときがあります。
 砕けて半分になっても米粒の胚芽米の原細胞にいのちがあれば,発芽していきます。2014年4月18日,OCCカレッジで「キリスト教と非戦」の講義をした時,庭に咲いていた「からし種」の花から「種」をいただきました。団地の庭で,「からし種」は高さ2メートル以上に成長しました。キリストのそのたとえは最も小さな種が大きく成長することを意味しているのではありません(ルカ 17:5,6)。「いのち」があれば豊かに成長することを弟子たちに教えました。夫婦「一体」であった伴侶の「いのち」は,「一粒の麦の種」になりました。「はっきり言っておく。一粒の麦は,地に落ちて死ななければ,一粒のままである。だが,死ねば,多くの実を結ぶ」(ヨハネ 12:24),と。たとい種が半分になっても,「いのち」があれば豊かな実を結びます。砕けている種であっても原細胞から芽が出て,根を養うほどのエネルギーが備わる。それには期間が必要だと保田ぼかし(無農薬,有機による乳酸菌こやし)を教授してくださった保田茂先生は「農指導」で語られました。
 神学者カール・バルトは釈義します。「播かれているもの[種子]が生き返るためには,一つの死滅(Sterben)を必要とする,と。この死滅がどうなっているか,したがって《フソーラ decay 腐朽性》,《アティミアinfamy はずかしめ》,《アオセネイア sickness 病気》―それらのものでわれわれば自分の現存在を終結させる。……それこそ死の暗黒であり,いかなる種類の光もそこに照らし入らぬ暗黒であることは疑う余地がない」,と35)
 花婿であるキリストと花嫁であるキリスト者は「一つ」です(ヨハネ 17:22)。配偶者の亡骸はなくなっています。ここにはいません。しかし,死んではいません。キリストは「命を与える霊となったのです」とあるように,連れ合いも実は生きています。(Ⅰコリント 15:45)。≪動画参照≫死の反対は,生命ではなく,よみがえりです。「わたしは、お前たちの上に筋をおき,肉を付け,皮膚で覆い,霊を吹き込む。すると,お前たちは生き返る」(エゼキエル 37:6),と。

(3) 弔い
a. 遺体に寄り添うボランティア

 日本では縄文時代には死体を曲げて土葬していました。弥生時代頃から貴族など高位の人々を古墳に葬ることがなされます。死者はケガレなので触れてはいけないという禁忌がありました。ユダヤ教でも「人の死体に触れて汚れた者たちがいて,彼らは,その日に過越祭を祝うことができなかった」,と戒律がありました(民数 9:6)。神社の場合,死はケガレです。「忌み嫌うもの」「不浄なもの」です。ですから神社は葬儀を行うお社(やしろ)がありません。いつしか戒めを守るために鳥居をくぐることまでが禁止というまちがった解釈も生まれました。6世紀に日本に伝わった仏教の場合,「死」はケガレではありません。葬儀を本堂で行ったりします。初七日,四十九日の法要を営みます。
 葬儀を「荼毘(だび)に付(ふ)す」と言ったりする場合があります36)。キリスト教にしても遺族たちが遺体に寄り添う通夜があります。その前に湯灌,清拭(せいしき)をかつては家族がしていました。
 故人の姿を何度も確認するのです。たとえば,末期の水も,死にゆく時だけではなく死後も行われるのは,遺体に対面してのお別れのあいさつです。弔問者も,掛けた白布をはずして死に顔を見てお悔やみを述べます。死に顔がよければ安らかな死であるとして残された生者も慰められます。あまりいい顔でない時にはあえて言及しないなどの作法もありました。死に顔の確認が,葬儀までの間に頻繁に行われてきました。時には死者が口や鼻から出血することも,故人を送る生者にとっては重要な事象であったりもしました。佐渡の外海府(そとかいふ)地方では,この状況を「アカガハシル」と言います。死者がこの世への思いが強いときに起こるもので,遺族はそれを思いやって供養することが大切とされました38)
 かつての葬儀式は2段階ありました。自宅で出棺の儀礼の後,葬列を組んで,寺院や墓地で引導などの最終的な儀礼を行ないます。この当時,自宅だけで儀礼が完結しなかったのです。東北ボランティアで宮城県石巻市に行きますと,葬儀当日しか葬儀場を使いません。通夜までは自宅で行うのです。
 自宅から出棺した後も,遺体に寄り添って葬列を行います。死者をあの世に送り出すために,供物や葬具を持って,行列をした光景をご覧になったことがおありでしょう。死者の世界とされる寺院や墓地において儀礼をし,死者を「あの世」に送り出します。つまり移動も寄り添いの過程でした(エレミヤ 9;16)。
 納棺の棺は5万円くらいの価格です。2011年,棺が足りないというパニックを目の当たりにしました。あまりにも遺体が多いため,焼き場のボイラーを24時間燃焼し続けても追いつかず,故障してしまいます。石巻市行政は操業を中止しました。東北三県で最も被災者が多く,3千人以上の遺体処理に住民は困惑しました。雪が降る寒い時期とは言え,海水中の微生物によって,外観は性別が判断できないほど腐乱しています。
やむなく,遺族は仮埋葬として土に埋めました。日本は宗教オンチです。全国紙の辣腕の記者たちも例外ではありません。東北では土葬が復活していると報道見出しに踊りました37)
 国立社会保障・人口問題研究所が将来の死亡推計をしています(1997年発表)。2005年は108万人であるが,2040年には160万人に達すると推計しています。八つの火葬場しかない東京23区で,2018年に5区内で14基(23区で54基),2033年には23基(同 87基)が不足しています39)。火葬場が足りないのです。
 南海トラフ地震が起こるなら,犠牲者数32万人,全壊238万棟か,と『読売新聞』(2012年8月29日付)は報道していました。つまり圧倒的に棺の数が足りません。しかし,政・官・財・学,メディアのいずれもが,多数の遺体処理について対策を述べていません。ひとつにはなるべく「死」を考えないように,楽しく生きようというエートスが影響しています。私は,多量の遺体は高速道路に一時的に山積みするしか解決策はないと思っています。
 1965年以降,通夜が告別式化して自宅以外で行なうようになっても,遺体への寄り添いを何とか維持しようとして自宅に搬送して死者との別れの時を家族が過ごすこだわりもだんだん過去のものになろうとしています。病院などの施設での死亡が増加します。1975年を過ぎますと,自宅における死と病院死が逆転していきます。寄り添いが重要視されなくなりました40)

b. 「弔い」「葬り」を忘却してはいけない

 弔いの後,「喪」に服すこともなくなり,遺影,墓,位牌も何も残らない宗教的儀式の形骸化は,いのちのある社会ではありません。死んでいる社会です。主題聖句の喪に服す期間は「七日」と書かれています。「三十日」(申命記 34:8),「四十日」「七十日」(創世記 50:3)と悲しむ期間があります。別れは切り裂かれた者にとり,耐えがたい寂寥感が伴うからです。
 たとえば,妻の葬儀は死亡から24時間弱の早い時に行いました。ユダヤ教徒も48時間以内に葬式と埋葬(土葬)をします。葬儀後にヘブライ語で「シヴアー」と呼ばれる喪の期間があります。シヴアーは埋葬後の7日間です。遺族は外出せず喪に服します。喪に服す期間があることにより,遺族はゆっくり慰められるのです。シヴアーの後にも「シローシーム」という埋葬後30日間続く服喪の期間があります。30日間,髪やひげを剃らなかったりします。死者に対する儀礼と考えます41)
 プロテスタント教会の最大のアキレス腱は,「喪」の期間がないことです。御霊はすぐに天上に召されたと式文,讃美歌,説教で教えられているからです(ルカ 23:43)。
宗教儀礼について,日本では「供養」と「慰霊」を土付きの福音で考える思慮深さが必要です。供養とは,サンスクリット語のプージャー(pûjâ)の訳で,もともと「尊敬」を意味しています。ですから供養は自分のためにいのちを終えたものに対する手向け(たむけ)の儀礼です。対象は人間だけでなく,あらゆる生き物(例 鯨,魚,蜂),さらには人形,針,入れ歯といった物までが対象になります。供養が仏教用語であり,「慰霊」は神道用語です42)
 神学者パウル・ティリッヒ[1886-1965]は,救済が人間中心主義的なものではないことを論じています。「自然,星と雲,鉱物と植物,動物と我々自身の身体を含む世界,創造されたもの全て」が贖われる対象なのです43)。キリスト者である田中正造[1841-1913]議員が述べたことにも共通しています。「山川草木の口ちなき手なき足なきものと何んぞ選バん。草木は人為人造ニあらず。全然神力の働きの此一部ニ顕わる結果なり。之れ何人ニも見易き神の御働きなり」,と44)。動物の自然死が,人格的な死ではないと退けるのは行き過ぎです。人間の医療のために,動物実験によって犠牲になった生き物の管理(スチュワードシップ)も軽んじるべきではないでしょう。
したがって,死んだペットを供養することも異教として退ける霊的心筋梗塞から卒業すべきです45)
 キリスト者にとっては,供養,慰霊,喪は縁遠いのです。「祈り」「讃美歌」「祈念式」(仏教の法事に相当)になじみがあります。キリストの死,葬りから50日目(ペンテコステ)に聖霊降臨がありました。「舌のようなもの」を信者たちは体感します(使徒 2:23)。観念,哲学的思惟,学問でキリスト体験したのではありません。
 蓮如[1415-1499 84歳]は「一文いちもん不知ふちの尼入道(学問の無い尼入道)なりといふとも,後世をしるを智者とすといへり」,と説きました。(『御文おふみ』または『御文章ごぶんしょう』五帖の二)。初代教会のキリスト自身,弟子たちも,名もない人々でした。(ヨハネ 7:15; 使徒 4:13  「無学な」(ギリシア語アグランマトスは“公認の専門教育を受けていない”の意 )“公認の専門教育を受けていない”の意 )。
 「祈り」によって神,キリスト,死者と一体となっていたのです。イエス・キリストに一度も肉眼で合う機会がなかったにもかかわらず,パウロは,「イエスを見た」(Ⅰコリント 9:1)と告白します。
 山折哲雄先生は,2012年,「『死』を考える」講座で「生の中の死」について話しました。著書の中で,マザー・テレサに会った時のエピソードについて触れられています。「毎日のように死を待つだけの人々を看取りながら,苦しまれることがあるでしょう。思うようにならないこともあるでしょう。看取りが順調に行かないことがあるでしょう。そういうときマザー,あなたはどうなさいますか」と尋ねられると,「そういうときには,祈ります」とマザーは応えました。
 超越論的存在と我と汝の垂直の関係を強調しない仏教家にとっても「祈り」は有効な手段です46)
 私が牧師になる決意をしたのは1993年,イスラエルでローマ・カトリック教会の修道院のエレマイト eremite 隠修者(単独者 神の前にひとりで立つのです)に出会ったことが契機でした。神の観照[Vision (Contemplation) of God]は,仏教の座禅に相当し,静寂の中に神体験をします。決して偉い人ではありません。人に認められなくてもいいのです。世からほめられなくてもいいのです。典型は東方正教会のキリスト教霊性と言えます。「ヘシュカズム」(ギリシア語の「静寂」)を獲得するために,人々は祈るために,呼吸法や体位法,いわゆる「心身技法」を実践します47)
 「0葬」「直葬」「散骨」が流行る時代にこそ,宗教者は視座を転換しないと,「寺院消滅」どころか「宗教消滅」になります。
慰霊や追悼をどうするかを規定することは,行政が介入すべきことではありません。被災者を弔いたいという願いは自然であり,市民が自発的に執り行う種類の儀式になります。津波で命を落とした方の中には,新々宗教,伝統的宗教,無神論の方たちもいます。種々の死生観を尊重しあって,結び合うのを「官」が「民」に企画し,強要したり,排除すべきでもありません。
 しかし,東日本大震災では宮城県仙台市青葉区葛岡墓園では身元不明の24人の遺体が,プレハブの建物の中にひっそりと置かれました。見届けたのは市職員ら12人だけ。お経も,祈りの言葉もない。仏教会から読経の申し入れがありましたが,市側は政教分離を理由に「市職員と宗教者が同席することはできない」と断ったと報じられています48)。「官」は,死者の供養よりも「政教分離」を優先しました。メディアや行政が意図的に宗教者を排除したことは不気味な予兆を感じさせます。
日本の戦前,戦中,戦後の宗教者は,とかく無垢というか楽観的すぎる傾向が否めません。たとえば憲法13条で「すべて国民は個人として尊重される」,と人権が擁護されていると金科玉条のように信じ切っています。日本で一番大事にされているのは国家でもなく,天皇でもなく,家でもなく,個人が尊重されて幸福になることだと宗教者は信心しています。さらに聖職者は「宗教の特別の意義を認めて信教の自由を保障し」と安心しています。教育基本法第15条1項に基づいて,社会生活における宗教の意義や価値を積極的に承認する立場をとっているという理由です。
 しかし,供養,慰霊,追悼にしても政府の主導に従わなければ,できない兆候を注意深く洞察する賢さが必要です。米国のトランプ新大統領がたとえ聖書に手を置いてワシントンカスィードラルで宣誓するとしても,キリスト教国家にあるまじき貪欲,セルフィッシュ,競争原理の価値観がスピリチュアリティを凌駕しています。
 現在,不確実性がどんどん大きくなっています。富をもてる人ともてない人の両極化になり,国境がとりはらわれ,液状化しています。人々はリヴァイアサンとしての国家の前に沈黙しています49)。宗教界,とりわけキリスト教会も多くの歴史的な弱さをもっています。なぜなら否定の論理が消失しているからです。
 世界保健機関(WHO)憲章は,1948年,「健康とは,完全な 肉体的,精神的及び社会的福祉の状態」と3つの条件を定義しました。つまり「肉体physical」「精神 mental」「社会福祉 social well – being」です。しかし,1999年に健康の新たな定義として,肉体的・精神的・社会的だけでなく,「霊的 spiritual」にも良好であることを加えました50)。政教分離が過度に行きすぎた「官」では,スピリチュリアティについて拒絶してきた経緯があります。タブー視してきた日本の厚生省や学術会は「スピリチュアル(spiritual)」の適切な訳語も定まらないありさまです。
 欧米では一般に患者の痛みを4つに分けて役割を分担して,接します。肉体的な痛み,精神的な痛み,社会的な痛み,霊的痛みです51)

c.弔いとは魂の医療者の職分

 「霊的」とは,魂の医療の領域です。
 患者の「身体的痛み」は医療の鎮痛剤によって緩和されます。やり残した人生の使命,過去の過ちに対する悔悟,人間関係に於ける不和などの「心の痛み」は家族との対話,エンディングノートへの書き込み,音楽,旅行,アニマルセラピーによって精神的,心理的にある程度癒されます。しかし,「魂の痛み,苦しみ」は現代の医療,福祉,家族では解決できないのです。魂の医療者である宗教者にのみ科せられた領域です52)
 「死の恐怖のために一生涯,奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」(ヘブライ 2:15),と。
 神戸市垂水区に開業する河野胃腸科外科医院の河野博臣医師[1928-2013]は語られました。死に際に5つの恐怖が患者を襲うことを分析しました53)
①肉体的な死の恐怖と不安
②精神的な死の恐怖,たとえば,孤独,忘れ去られる不安
③家族,社会からの分離による恐怖
④宗教的な死の恐怖,たとえば罪責感
⑤  成就できないために生じる恐怖,やり遂げられない恐怖

 スピリットに対するケアがなければ,真の意味での健康は確保されないことに気付くことが求められています。
 あいまいなままにすると,曽根崎心中,特攻隊の人間爆弾,切腹を美化するエートスを受けつぎ,戦争が勃発する時に,日本人は主体性を失って一斉に崖から次々に落下する終末に向かって行くことになりかねないからです。靖国神社で英霊として祀られることが人生の終着駅となります。明治維新以降,松下村塾の吉田松陰[1830-1859]の影響で,和魂洋才となります。つまり,欧米文明に追いつけ,追い越せとマノマを追い求めます。しかし,西洋のキリスト教会のもつ死生観は無視しました。ところが,平田篤胤[あつたね 1776-1843]による国学を基底に神道を無理やりに国民に啓蒙しました。「ケガレ」「ハレ」の二元論から死の恐怖を乗り越える死生観について聖書観を模倣して,死後の救済観を説きました。天皇のために死ねば来世の命が天国にあると教えます54)。ちょうどイスラム国のコマンドが天国を信じてテロを行なう真理契機と通底するものがあります。
 「弔い」,「喪に服す期間」,「永生者記念会」とは,観念,経済的恩恵,伝統ゆえに受けつぐのでしょうか。そうではなく,「人」が「人」であるために必要ないやしの期間です。遺族,恋人,友人にとり,偲ぶ機会は,「死」の反対を黙想,熟考する通路です。故人との縁,結びつき,死生観は生きる上で有益です。「死」の反対は命ではなく,「復活」です。「もし,わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば,その復活の姿にもあやかれるでしょう」(ローマ 6:5)。「あやかる」[ギリシア語 スムプシュトス「スン(共に)+プシュオー(植える)」の意]であるように,結ばれてひとつになったのです。
 「葬儀」を省略して,「0葬」「直葬」「葬儀ビジネス」が好まれるのは,よみがえり,死生観,授かったいのちを無視している世相を反映しています。「戒名料は値切れるのか」「魂は死後も存在するのか」「お経を読む意味は」と宮城県石巻市渡波の被災地で問われることがありました。
 「生きてなんぼ」「死んだらおしまい」「うまく生きる」面ばかりを強調する現代の潮流に,流される傾向が見られます。「死を排除して生をのみ求めようとする文化は,いつか滅ぶのではないだろうか」,との発題を無視せず,葬り,弔い,喪に服す期間をたいせつにして,復活を期待して死せる者と再会したいものです55)。「死ぬ日は生まれる日にまさる」(コヘレト 7:1)のです。

 <結論>
 喪に服す期間period of mourningは生ける者にとり,意義があります。浮かれ騒ぎをする祝宴より,「弔い」「葬儀」「喪に服す」場所の方が価値あります。「弔いの家に行くのは 酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。命あるものよ,心せよ」(コヘレト 7:2)とあります。「弔い」[ヘブライ語 エベル「死者のための喪」の意]を軽んじてはなりません。なぜなら愛する人の「死」を忘れず,残された者がどのように生き様を示すべきか,また,甦りを確信する機会となるからです。
妻の死を看取ることができたことはしあわせでした。配偶者にこれほどの悲痛を味わわせることを望みません。むしろ自分が十字架を背負うようにできればどれほど楽か考えていましたが,キリストと同じように共苦した妻はなんとしあわせであったのかと安らかな死に顔から悟りました。
 「最後の敵として,死が滅ぼされます」(コリント第一 15:26)と信じた私たち夫婦にとり,「死」の反対は「生命」ではありません。「死」の反対は「よみがえり」です。死者と再会できる摂理について宗教者だけが説くことができます。「この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが,それは,地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために,天から与えられる住みかを上に着たいからです」(コリント第二 5:4),と。「死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまう」のです。キリストの復活と私たちの復活の信仰によって,死と滅びの恐れ,不安から大きな希望と喜びに移し替えられるのです。そのことを記念するのがキリスト教の弔いです。

日本「祈りと救いとこころ」学会  出典

引照した聖句は日本聖書協会発行の『新共同訳』です。KCCカルチャーセンターの「『死』を考える」講座でご講義いただいた講師,水垣渉先生,島薗進先生,村田充八先生,白方誠彌先生,近藤剛先生の著作も大いに参考にさせていただきました。
とりわけ村田充八先生,土手ゆき子氏の校正に厚く御礼を申しあげます。

 1)『死』(ウラジーミル・ジャンケレヴィッチ 仲澤紀雄訳 みすず書房 1978年 29頁)。
2) 拙稿「目薬」誌 №25 2002年 4頁;『唯脳論』(養老孟司 青土社 1995年 49頁)。
3)「『死』を考える」講座(白方誠彌「みんなで『死』を考える会」2011年);『神戸新聞』(2011年4月28日付)。
4) 中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。陳寿著 3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間。「魏志倭人伝」に日本人(倭人)に関する最も古い記録があります。当時の日本の葬儀の様子が記されています。「十数日間死体を家の中に置く。その間家族は肉類を食べず,喪主は大声をあげて泣く。一方,親類,友人が来て飲食し,歌い,踊る。宴会は死者の肉体に魂を呼び戻すための呪術的な意味をもつ行事で,魂招(タマオギ)と呼ばれる。こうして十数日を過ごし,死体が腐敗し始めるとこれを土中に葬り,家人は死の穢れを水中に禊ぎして清める」。
5) 『広辞苑』(第六版 新村出編 2008年)。
6) 拙稿「『死』を考える」講座(「みんなで『死』を考える会」 2011年 神戸新聞会館)。
7)拙稿「聖書のことば」シリーズ第37回(神戸新聞会館 2016年)。
8)拙稿「現代の弔い」(聖書のことばシリーズ第35回 神戸新聞会館 2016年 2頁)。
9)『歌いつつ聖徒らと共に キリスト者の死と教会の葬儀』(トーマス・G・ロング 吉村和雄訳 日本キリスト教団出版局 2013年 31-32頁)。
10)『神戸新聞』(「『死』を考える」講座 2011年4月12日付)。
11)『パイドン―魂の不死について』 (プラトン 岩波文庫 1998年 34-37頁) 。
12)『現代の復活 霊魂の不滅か死者の復活か』(オスカー・クルマン 岸千年訳 聖文舎 1974年 33頁)。
13)拙稿「目薬」誌 No.25(2002年 6頁)。人間は神による特別な存在である。動物の 死は“自然死”であるが。だが,人間の死は神が介入する“人格的な死”。
14)『死の民俗学』(山折哲雄 岩波書店 1996年 172-176頁);『死を忘れた日本人』(中川恵一 朝日出版社 2010年 127頁)。
15)拙稿「目薬」誌 No.6(6頁)。
16)『アポトーシス 細胞死の機能と構造』(山田武共 日経サイエンス 1995年 92頁)。
オッペンハイム(R.W.Oppenheim)が明らかにしている。いわゆるdeath gene(死の遺伝子)の働きによって神経細胞死が起きるのである。Naturally occurring and induced neuronal death in the chick embryo in vivo required protein and RNA systhesis; Evidence for the role of cell death genes. (Dev. Biol. 138; 1990 p.104-113)。
17)『死と信仰』(柴田千頭男共 ルーテル学院大学神学セミナー編 1997年 99-100頁)。
18)『カトリック新聞』(2016年11月2日付)カトリック教会は死者の復活への信仰を告白し,体が人間のアイデンティティー(固有性)の不可欠の部分であることを確信。
19)拙稿「目薬」誌 No.34(2004年 1-13頁)。
20)『キリスト教 その本質とあらわれ』(エルンスト・ベンツ 南原和子訳 平凡社 1997年 227頁)。
21)拙稿「福音とは何か」(神戸国際キリスト教会 礼拝説教 2014年)。
22)拙稿「田・山・湾の復活」その二(季刊誌「支縁」No.3 神戸国際支縁機構 2013年 4頁)。「支配せよ」(創世記 1章28節)のヘブライ語ラーダーには,エゼキエル 34章4節には羊の群れを導くの意があります(NEB『新英語聖書』),『聖典と現代社会の諸問題』(樋口進共 キリスト新聞社 2011年 76,77頁)。
23)『キリスト教思想断層』(近藤 剛 ナカニシヤ出版 2013年 130頁)。
24)『日本思想史における宗教的自然観の展開』(家永三郎 創元社 1944年 85頁);『懺悔道としての哲学 田辺元哲学選Ⅱ』(藤田正勝編 岩波文庫 2010年 (拙稿「発足にあたり」(「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」略称 推す会 2013年12月21日)。
25)『キリスト教思想断層』(130頁)。
26)「戦争と聖書の平和―歴史修正主義を貫く宗教的根本動員を問う」(村田充八 『宣教と社会』No.8 日本キリスト改革派教会 2016年 119頁)。
27)『我と汝・対話』(マルティン・ブーバー 植田重雄訳 岩波文庫 1979年)。「初めに関係があって私という存在をつくっているとするもので,関係を大切にした自己だ」「神の蝕(Eclipse of God)」― 神はどこに隠れてしまったのか?。
28)拙稿「目薬」誌 No.34(2004年 1-13頁)。
29)『宗教生活の原初形態』〈上〉(エミル デュルケム 古野清人訳 岩波文庫 1975年 389頁)。「ひとたび諸個人が集合すると,その接近から一種の電力が放たれ,これがただち彼らを異常な激動の段階へと移すのである」。
30)『《殺す人》(ホモ・ネカーンス―《いのち》をキリスト教的に考えるための一つの視点―)』(水垣渉 関西学院神学研究科 2011年)。「ホモ」は「人」,「ネカーンス」は「殺す」という意味の動詞「ネコー」(neco)の現在分詞。「殺人」「ホミキーディウム」(homicidium),「殺人者」「ホミキーダ」(homicida)。『ホモ・ネーカンス 古代ギリシアの犠牲儀礼と神話』(ヴァルター・ブルケルト 前野佳彦訳 法政大学出版局 2008年 Homo Necans Interpretation altgriechischer Opferriten und Mythen Walter Burkert Berlin 1997)。
31)拙稿「ボランティア道」(ラジオ関西 2015年1月9日)。
32)拙稿「田・山・湾の復活」(宗教倫理学会 関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス 2013年8月27日);『荊冠の神学』(栗林輝夫 新教出版社 1993年 371頁)。「ちむ」は「胆」,つまり肝臓。「ぐるし」とは「苦りさ」「痛み」。
33)『縄文からアイヌへ 感覚的叡知の系譜』(町田宗鳳 せりか書房 2000年 116-117頁)。
34)拙稿「目薬」誌 №2~34 1996~2003年。
35)『死人の復活 第一コリント書第15章講義』(カール・バルト 山本和訳 新教出版社 2003年 173頁)。
山本訳を改正 《腐朽性》,《はずかしめ》,《弱さ》 ⇒ 《フソーラ decay 腐朽性》,《アティミア infamy はずかしめ》,《sickness アオセネイア 病気》。
36) 死体を焼き,残った骨を埋葬すること。パーリ語が起源の言葉だそうです。 釈迦が入滅した際に火葬を行った事から,仏教においては火葬が正式の葬儀の方法。
37)『現代日本の死と葬儀―葬祭業の展開と死生観の変容』(山田慎也 東京大学出版会 2007年)。
38)『毎日新聞』(2011年3月21日付);『時事通信』(2011年3月22日付);『朝日新聞』(2011年3月23日付);『東京新聞』2011年3月26日付)。
39)『現代葬儀考―お葬式とお墓はだれのため?』(柿田睦夫 新日本出版社 2006年 23-24頁)。
40)拙稿「現代の弔い」(「聖書のことばシリーズ」第37回 神戸新聞会館 2016年 8頁)。
41)『現代の死と葬りを考える』(中野敬一共 ミネルヴァ書房 2014年 166頁),『歌いつつ聖徒らと共に キリスト者の死と教会の葬儀』(同 109-110頁)。
42)『自然の問題と聖典』(樋口 進共 関西学院キリスト教と文化研究センター 2013年 50頁)。
43)“Nature, also, Mourns for a Lost Good”Paul Tillich The Shaking of the Foundations Charles Scribner’s New York 1948 p.77。
44)『田中正造全集』第11巻(岩波書店 1979年 330頁)。
45)拙稿「ペットの供養も大切」(聖書のことばシリーズ第8回 神戸新聞会館 2014年 2頁)。
46)『臨死の思想 老いと死のかなた』(山折哲雄 人文書院 1991年 169頁)。
47)『ギリシア正教東方の智』(久松英二 講談社選書メチエ 2012年 112-114頁)。
48)『伊勢新聞』平成23年5月15日;『苦縁 東日本大震災 寄り添う宗教者たち』(北村 敏泰 徳間書店 2013年 117頁)。
49)『リヴァイアサン』(1) (T. ホッブズ 水田洋訳 岩波書店 1992年);『地獄の辞典』(コラン・ド・プランシー 床鍋剛彦訳 講談社 1994年 309頁)。ウィキペディア レビヤタンは,旧約聖書に登場する海中の怪物(怪獣)。「ねじれた」「渦を巻いた」という意味のヘブライ語が語源。原義から転じて,単に大きな怪物や生き物を意味する言葉でもある。
50)大鶴 勝(「聖書と食べ物」第78回日本聖書協会聖書セミナー 2015年)。
51)『いのちの終末―死の準備と希望 (医療と宗教を考える叢書)』(アルフォンス・デーケン 同朋舎出版 1988年 17頁)。
52)「死への準備教育」(アルフォンス・デーケン 「サンケイ新聞」1987年8月12日付);『ルターと死の問題 死への備えと新しいいのち』(石居正巳 リトン 2009年 44頁)。ルターは『死への準備についての説教』(1519)を出版した。
53)『死の臨床』(河野博臣 医学書院 1989年 20頁)。
54)『近世と近代の通廊―十九世紀日本の文学』(朴鐘祐共 神戸大学文芸思想史研究会 双文社出版 2002年)。「人死なば形骸は土に帰り,其の霊性は(万古)滅ぶる事なく,必ず幽冥大神を承けて,天国に復命す」。
55)『死の比較宗教学』(脇本平也 岩波書房 1997年 83頁)。

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