聖書 神戸 バイブル神戸聖書展 Ecumenicity
2001年5月9日~14日
そごう店本館8階催会場 神戸新聞より
1999年6月30日,神戸で聖書展を開く道筋ができた。神戸国際キリスト教会を連絡場所に始動。『クリスチャン新聞』(1999年9月26日付)の第一面でとりあげられた。すると日本聖書協会から二人が牧師館を訪問。緊密な連絡,指導,協力のもと,各教団,教派との連携を模索するようになった。2000年4月17日,大会会長に古本純一郎[日本聖公会首座主教],副会長に岩井健[日本基督教団神戸教会牧師],池長 潤[カトリック大阪大司教区大司教]たちを選出し,事務局を神戸YMCAに移し,各委員会は毎月会合をもった。 1999年から,イスラエル国の国宝級の「死海写本」を日本に搬入するように交渉に携わる。2000年11月の東京大聖書展で日本聖書協会の渡部信総主事は,展示交渉の経験がある。日本聖書協会,イツハク・リオール大使,神戸新聞社村井顕彦氏の協力がなければ神戸に死海写本招致は実現していなかっただろう。さいわいにして,総務委員会には,加藤誠牧師,長谷川潤牧師,正田眞次牧師など有能なメンバーがいて助けていただいた。
イスラエル本国,外務省,大使館などとの書簡のやりとりはダンボール一箱にいっぱいになった。 神戸の準備に携わる2000年9月の全体会議では,死海写本展示は費用面でコストがかかりすぎるという反対意見が圧倒的であった。なんども頓挫した。日本聖書協会の森口生正氏が東京大聖書展の収納ケースなどについて発題したこと,渡部総主事からの協力の書簡が勇気を与えた。神戸側では,鍋谷堯爾牧師ひとりが賛成であった。神戸の場合,消防,保険,ガードマンなどとの折衝が何度も壁にぶつかり,不眠不休で準備に携わった。招致にこぎつけることができたのは日本聖書協会,イスラエル大使,そごうの全フロア貸し切り,特別室のための消防工事支援などの勇断のおかげであった。
2001年 5月9日のオープニング・セレモニーに大使たちが来神する段取りができた。矢田立郎前神戸市長,共催の神戸新聞社山根秀夫取締役社長など各界も列席した。テープカットが終わるやいなや,目玉の死海写本の展示特別ルームに案内する。ところが,死海写本の特殊ケースの鍵を自宅に忘れてきてしまう有り様である。家内<参照>岩村カヨ子が急遽,自宅から会場まで届けてくれて,間に合うハプニングもあった。
皆さんに助けられて,約2年の準備は実り,約2万人の来会者が押し寄せた。
『神戸と聖書―神戸・阪神間の450年の歩み』 (「神戸と聖書」編集委員会 神戸新聞総合出版センター 2001年)
2002年 神戸バイブル・ハウス再建のための活動開始
神戸における第1回目「聖書リレー朗読会」 事務局 神戸国際キリスト教会 2002年6月10日~14日昼夜連続 神戸バイブル・ハウス 再建へ
2001年の翌年,聖ミカエル教会を会場に第1回目の「聖書リレー朗読会」を開催するように諸教会に協力をお願いする。日本基督教団兵庫教区,神戸宣教祈祷会,市民クリスマスの関係者の呼びかけに応じて,400人以上が5日間昼夜連続で創世記からヨハネの黙示録まで読み通す。原野和雄牧師,坊向輝国牧師,藤原宏昭牧師たちが準備に寄与してくれた。 神戸バイブル・ハウス再建に向けて,荒井章三[当時神戸松蔭女子学院院長]理事がメッセージを語った。