「ボランテイア・福祉・宗教」で対話集会 2016年10月1日
『キリスト新聞』(2016年12月25日付) Pastor Yoshio Iwamura
「キリスト教と福祉―新型コロナウイルスの救い―」(英文付)2020年4月19日
テーマ 「ボランテイア・福祉・宗教」で対話集会
10月1日(土) 午前10時半~午後4時
賀川豊彦記念館(神戸市中央区)
3人によるトークセッション 10時50分~16時
釈徹宗(如来寺住職)×木原克信(同志社大学教授)×
≪動画参照≫岩村義雄
発題 神戸国際キリスト教会
牧師 岩村義雄
宮城県石巻市に若者たちが東日本大震災2011年3月から毎月のようにボランティア活動を繰り広げています。しかし,最大の被災面積である石巻市は1万5千人の仮設住宅が,5年6ヵ月を経ても,まだ1万2千人近くに止まっています。カビが生えている,大の字になって寝られない。隣の話し声が聞こえるなどの苦悩をかかえながらも,行き場がありません。ほとんどの被災者は賠償打ち切りにより,貯金を使い果たしています。生命保険も解約し,生活苦にトンネルの出口がありません。「心の病」「子どもの健康状態」「孤立死」などメディアに載らない自殺も深刻な問題です。
被災地に限りません。日本の子どもの「6人に1人」が貧困というアリ地獄から抜け出られない現状があります。一日一食,めがねも買えない,スマホはあるが留守番のための一人親家庭などに対して自治会,学童保育,学校教育ではとても歯が立ちません。30年前から増えている日本の貧困率。18歳未満の子どもの貧困率も16.3%と過去最悪です。日本は先進諸国41か国中ワースト8位です。手取りが4人世帯で年間240万円,2人世帯で170万円以下を貧困と定義します。児童扶養手当は,独り親家庭にしか支給されません。貧困家庭の7割を占める二人親世帯には適用されません。ルイーズ・アルブール氏は「貧困は,人権侵害の結果であり,人権侵害を生み出す原因である」と語りました。
貧困だと学力にも影響が出ます。すべり台社会の中で,学歴,雇用状況,収入に比例します。ひとしく生存するための権利がはなはなだしく損なわれています。一方,オリンピックの国威発揚のメディア報道の偏りにより,勝利至上主義,成果主義,弱者切り捨てが当たり前の風潮がはびこっています。格差は排外主義を生み出します。神奈川県相模原市の生涯施設で元職員による襲撃事件に見られる優生思想は右翼ポピュリズムの萌芽と言えます。1930年代のドイツ国ヒットラーを待望したように強い政治家による劇場型を無批判に受け入れる若者たち。戦争体験がない今の日本の8割を占める層のゆらぎは国の進路を危うくします。不確実性がどんどん大きくなっています。富をもてる人ともてない人の両極化になり,国境がとりはらわれ,液状化しています。キリスト教会も例外ではありません。リヴァイアサンとしての国家の前に沈黙している断面図が散見します。教会は多くの
歴史的な弱さをもっています。否定の論理が消失しているからです。
日本人は「死」をできるだけ考えないようにします。「いのちあっての物種」「死んで花実が咲くものか」と刹那的です。その結果,すぐ自殺する,一度人を殺してみたかった,誰でもよかったなどと,「生」までおかしくなっています。いのちを軽視するエートスに「地の塩」の効き目を失っているキリスト教会のリアルがあります。
「幸福追求権」(憲法13条),「社会的生存権」(25条)という平和的生存権が脅かされない公共性を樹立が急がれます。そのために宗教者が被災地において単なる風景としての寺社仏閣,教会ではなく,息も絶え絶えの人々の涙の革袋として,compassionを実践すべきです。つまり垂直の「活動」を地道に積み重ねていく模範,実体,リアリティーを示すしかありません。貧困者との「共に苦しむ」(Mt 17:12, Ac 1:3 スムパスコー スン「共に」+パスコー「苦しみを受ける,苦難を経験する」)のは宗教者だからこそできる突破口です。
土付きの福音を大地が待っていることに覚醒した現代の親鸞,法然の登場を祈ります。