キリスト教とボランティア道

第26回宗教者災害支援連絡会(宗援連)
                        2016年5月1日 東京大学本郷キャンパス

「キリスト教とボランティア道」
水平の<運動>から,垂直の<活動>に

20160501東京大学にて

Tokyo University May 1, 2015 Pastor Yoshio Iwamura

 完全原稿 ⇒ 「キリスト教とボランティア道」出典各頁
       「キリスト教とボランティア道」出典最後

  英文完全原稿 Complete manuscript of  English ⇒ Christianity and Volunteer-do

主題聖句: 彼はわたしたちの勧告を受け入れ,ますます熱心に,自ら進んでそちらに赴こうとしているからです。(Ⅱコリント 8:17)。

<序>
 ご出席のみなさまに予めご了解をいただきます。神戸国際支縁機構(以後機構)の岩村義雄は研究者ではなく,困窮者だということです。つまり,大震災が大地を揺るがした時に,研究者としての論理ではなく,息も絶え絶えの人々に寄り添ってきました。さて,自分の夢に向かって蓄積,忍耐,鍛錬してきたとしましょう。ようやく手でつかめる直前になりました。ところが,目の前に行き倒れの人が横たわっています。放っておけません。一方,己れのすべての生きがいをかけてきた段階にあと一歩,あきらめなければなりません。行きずりの人を見捨てるか,それとも人生の目標,生きがい,愛する人も祈っている,それまで積み重ねてきた努力をぜんぶご破算になるかの選択に迫られます。ひょっとしたら自分でなくてもだれか他の人が手を差し伸べてくれるにちがいないとの思いがよぎります。マニュアルもなしに行動に突入するには成功するかどうかもおぼつきません。やっと入手できる人生の最大の機会,生きがい,名誉をあっさり捨てねばなりません。そのような中で「タコ」になりきるのがボランティアの真理契機だと思っています。パウロは「わたしは,だれに対しても自由な者ですが,すべての人の奴隷になりました」,と述べました(Ⅰコリント 9:19)。私も「奴隷」という限り,正直申し上げて中央,東京,管理は性に合いません。ご出席の皆さまと比べますと,論理体系,現地での活動,人格面においてなにひとつお教えするものは持ち合わせていません。その上社会のゴキブリのような存在です。昨年,第2回ネパール・ボランティアに学生たちと訪問した際も,日本側の感謝の返礼として「ゴキブリ音頭」なるものを振り付けにして現地の人を喜ばせるしかなかった不器用な輩です。本日は独り善がりとクリティックされるのを覚悟の上で,島薗進先生からのご依頼をお引き受けしました。島薗先生は3.11の翌年『宗教と現代がわかる本』の対談の中で提言をされました。「災害支援は,いままで欠けていたものを新たに見いだしていく,そういう手がかりになるような面があるのでないでしょうか。若いお坊さんもそうですし,宗教団体の人も被災地に行ってみて,地域の人に,たとえば心のケアをやるといったって全然役に立たないんですよ。かえって教わると。そういう経験をとおして,逆に,いままで宗教的な伝統を身につけたつもりだったけれども,自分たちに欠けていたものを見いだしていく」,と1)。 ボランティアがタコやゴキブリとはどういうことか,今からしばらくの時間,想像力を働かせて,虫けらの一寸の虫にも五分の魂道をご一緒に歩いてみてください。

 <註> レジュメの「筆者」とは岩村であり,引用の聖書は日本聖書協会発行の『新共同訳』です。

目次

(1)  ボランティア 2
  a. ボランティア 2
  b. ボランティアとは  
   ① 主体性 3
   ② 公共性 5
   ③ 無償性 7
  c.「道」 8
   ジョージ・ミューラー 8
   小さくされた人々のために 8
(2) 水平の「運動」の系譜  
  a.日本の救貧運動の貧困10
   阪神・淡路大震災10
  b.キリスト教の轍  
   筆者のスレースケイア11
   バラード神父12
   新生田川共生会13
   東遊園地(神戸市役所隣)13
  c.ボランティア運動のパラドックス12
   賀川豊彦の救貧運動13
   末次一郎との出合い15
   宗教遍歴17     
(3) ボランティア運動の不活発―青少年運動の不活発
  a. 隣人に対する感性の鈍さ18
   草地賢一18
   青少年運動19
   阪神大水害20
  b. 宗教者の動き20
   アハマディア派21
   労働運動21
            女性の躍進21
   タコへの覚醒22
   共食による神の国実現23
  c. ゴキブリでなければ「田・山・湾の復活」はなし得ない
   被災地のゴキブリ24
   隣人とは異教徒24
   共生,共苦,苦縁25

 (1) ボランティア道
 a. ボランティア

   主題聖句のラテン語は,quoniamクオニアム exhortationemエクソルタティオネム quidemクイデム suscepitススセピト sedセドゥ cumクム sollicitiorソリチティール essetエセト suaスア voluntateヴォルンターテ profectusプロフェクトゥス estエストゥ adアドゥ vosヴォスです2)。「ヴォルンターテ」という用語が出てきます。副詞形ヴォルンターテ「自ら進んで」の語源は動詞「volo(ヴォロ)」(「欲する」「求める」「願う」の意)です。ヴォロの名詞形 voluntasヴォルンタースには「意思」「自由意思」「意図」「善意」「喜んでする覚悟,熱意」などの意味があります3)。ラテン語ヴォルタースからから英語volunteerボランティアが誕生します。「ボランティア」の源流は聖書が起点です。ボランティアとは何かを紹介する出版物は全部といっていいぐらい聖書から始まったことが書かれていません。またキリスト教会も自覚していないのです。ヴォロは英語will(意志)の語源です。「意志」will と「意思」intention は異なります。「意思」は心の中に思い浮かべているだけにすぎません。一方,「意志」は,心の中に思い浮かべていることを行動に移す積極性を示唆しています4)。ボランティアは水平の「運動」ではなく,垂直の「活動」です。つまりボランティア活動は「市民運動」「社会運動」「政治」とは一線を画します。ヴォロの形容詞形voluntaryボランタリから「ボランティア」と「奉仕」の違いが明らかになります5)。ボランタリは「人の決定を拘束しうるいかなる強制からも自由なこと」と定義されます。「奉仕」は「仕えたてまつらん」が源です。「仕え奉らん」は『日本書紀』『万葉集』などに出てきます。帝に仕え奉るなどの用例で用いられています。『大辞林』には「奉仕」を「国家・社会・目上の者などに利害を考えずにつくすこと」と紹介しています。つまり「奉仕」には“奉仕する者”と“受ける者”との上下関係が示唆されています6)。「奉公」「奉納」「奉職」など「奉」の字には,目上の人から物や命令を,つつしんでうけることを意味します。「奉」に「亻( にんべん)」がつくと,俸給などに用いられ,上からのいただき物となります。社会的契約,規範,制約のもとに行なう他者や社会への貢献活動には,貢献する側と受ける側の対等性が損なわれます。たとえば,学校の授業の一貫として強制力をもって,被災地などの清掃活動をしたり,「良心者」7)(良心的兵役拒否者 Conscientious Objector )がコミュニティ・サービスとして行なうことはボランティアとは言えません。1993年に,中央社会福祉協議会は「21世紀に向けたボランティア活動の意見具申」を出し,有償ボランティアを是認しました。すると「ボランティア活動」が「奉仕活動」とは違うように,本来の「ボランティア」とは何かの混乱が生じてきています。

 b. ボランティアとは
 ボランティアに要請される性格は,主体性,連帯性,無償性であり,この3つにボランティアの理念が表現されると言われてきました8)
 しかし,筆者は自発性,無償性には同意しますが,「連帯性」より「公共性」が時宜にかなっていると思わせられます。他に,自発性,利他性,福祉性,社会性,連帯性,継続性,開拓性,先駆性など種々の視点もあります9)

  (a)  主体性
 あなたがたにゆだねられている,神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく,神に従って,自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい(ペトロ第一 5:2)。

pascite(パッシィテ) qui(クイ) est(エストゥ) in(イン) vobis(ヴォビス) gregem(グレジェム) Dei(デイ) providentes(プロヴィデンテス) non(ノン) coacto(コアクト) sed(セドゥ) spontanee(スポンタネー) secundum(セクンドゥム) Deum(デウム) neque(ネクエ) turpis(トゥルピス) lucri(ルクリ
)
gratia(グラティア) sed(セドゥ) voluntarie(ヴォルンタリエ)

「ノン コアクト」(ラテン語「強制されてでもなく」)「セドゥ スポンタネー」(「自発的に」「喜んで~する」)「スポンタネー デウム」(「神の思し召しに従って」)足を踏み出すことが心情の発露であるべきです。副詞形「ヴォルンタリエ」(「自発的に」)と要請されています10)
 ラテン語「ヴォルンタース」(「自由意思」)の意からも,他から強制されるものではありません。また職業のように契約に基づいて行なう活動とも異なります。つまり今日見られるような行政から助成をもらって,依頼されるものでもありません。

 主題聖句のギリシア語はです。 
 「自ら進んで」のギリシア語は,副詞アウタイレトス(アウトス「自分」+ハイルーマイ「選ぶ」)です。ラテン語訳聖書のヴォルタースからから英語volunteerボランティアが誕生したわけです。元々は「自ら選ぶ」という迫られた選択の緊迫感があります。「アウトス」は英語のautoでオートメーション,オートバイ,オートマティックなどの語源になっています11) 。アウタイレトスは自分で選んだ<自分から進んで(する)「副詞的主格」>の「自発的に」の意味で,他者から,つまり組織,行政,国家からの外圧的な制度,戦略,政策のために駆り出されるのではありません12)。たとえば,一匹狼で患難辛苦に苦悩する地域に行く単独行動だけに用いられるだけでなく,グループとして行動する場合にも用いられます。「わたしは証ししますが,彼らは力に応じて,また力以上に,自分から進んで」(Ⅱコリント 8:3)には,アウタイレトスの複数形が用いられています。ちなみに,日本のボランティア紹介の出版物では一様に,ラテン語のVoluntariousが「ボランティア」の由来だったりします。しかし,ボラタリウスは形容詞形です。「自発的の」「自力の」「独断の」意です。動詞形volo ヴォロは「切に求める」です。ボランタリウスやヴォロなどラテン語の基本的な文法も理解しない人たちが換骨奪胎に執筆していることが日本にボランティアが根付いていないひとつの現象と言えるでしょう。
  「主体性」を考慮する際,欧米をモデルにした日本の近代化は,明治維新以降,終始「官」主導,つまり中央統制の下で進められてきました。官主導ですから,勢い「民」は「官」に依存し従属することになりがちです13)
 行政や社会福祉協議会の手厚い支援のもと,ボランティア活動が次第にボランティアの特質である主体性・開拓性・批判性を弱め,受け身のボランティアに変身していったのです14)
 主体性を喪失し,下請け化したNPOの7つの特徴について東京大学講師田中弥生さんは指摘されています15)。行政の下請け文化に未来はないと危機感を抱いています。

 ①社会的使命よりも雇用の確保,組織の存続目的が上位。
 ②自主事業よりも委託事業により多くの時間と人材を投入。
 ③委託事業以外に新規事業を開拓しなくなっていく。新たな
  ニーズの発見が減る。
 ④寄附を集めなくなる。
 ⑤資金源を過度に委託事業に求める。
 ⑥ボランティアが徐々に疎外されている。あるいは辞めている。
 ⑦ガバナンスが弱い。理事の時間の多くが行政との交渉に
  投じられる。

 ボランタリーな活動について,ボランタリズム研究所所長岡本榮一氏は,国家や行政から「独立した民間の立場」であり,国や行政とは「独立しつつ共存する立場や関係性」をさすと言います16)
 「公の支配に属しない慈善,教育若しくは博愛の事業に対し,これを支出し,又はこの利用に供してはならない」とした憲法89条を最上位審級として,社会に対する国家の介入動員を禁じようとする法制度改革が進められたと国家に対する社会の自律―これを国家/社会における民主化要件と予防と,仁平(にへい)(のり)(ひろ)氏(法政大学准教授 [1975-]) は指摘します17)
 「主体性」が確保できないと,自立心,自己責任,自助の精神や,自分探しの旅もおぼつかなくなります。

      (b) 公共性
 公共性については,社会の発展や心豊かな生活づくりをめざす活動です。「公共の」publicはギリシア語 koino(コイノ),j() は[形容詞「共通の」の意]です。聖書には類語 dhmo(デーモ),sioj(スィオス) [「公衆の」の意]があります。コイノスは原始共同体であった「財産共有」に表れる「愛に基づく宗教的共同体」の場合に出ています。「信者たちは皆一つになって,すべての物を共有にし」(使徒 2:44),「信じた人々の群れは心も思いも一つにし,一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく,すべてを共有していた」(使徒 4:32)。キリストや聖霊によって創造された愛の配剤に基づく自発的な表現です。周到に根回しされた共産主義経済でもなければ,財産の合憲の社会制度の法的な感覚でもありません。旧約,福音書に出てこな
いヘレニズムに由来する「すべてを<共有する>」18)というルカによる特有の慣用句はイスラエルだけでなく,全世界に開示されたことを示唆しています19)。なぜギリシア語のレキシコンで聖書用語を同定,整合性,確認するかは,日本ではボランティアの定義
につきまとう見当外れの論考が横行しているからです20)。「公共の」「公共性」「公共」の概念が歴史上の非連続の中で,ユルゲン・ハーバーマス[1929-]の解釈を援用するところから混乱がはじまっているとしか筆者には考えられません。
 ハーバーマスが「人民的公共性」にあえて言及しないと冒頭で述べる書があります。『公共性の構造転換』です。平たく云えば,「人民的公共性」とは民衆が自ら問題解決のために行動した運動です。20世紀を代表する哲学者ハーバーマスは「人民的公共性」を度外視すると言い放ちます。政府や行政にまかせておくことができず,実践活動をしてきた「市民運動」「チャーチスト運動」「労働運動」を看過しています21)。ハーバーマスのいう「市民的公共性」の理念は,「教養のある市民が理性的に討議することによって,世論が形成され,その世論が政治を監査する」,ということであり,(1)世論形成,(2)政府に対する世論により監査機能,という2つの機能をあげています22)。「新しい歴史教科書をつくる会」の造った教科書では,国を《公》として,その《公》の義務を果たせ,ということが強調されています。……個人とか「市民」は,エゴイズムに走るものと想定されている。《公》というものは,個人のエゴイズムの追求などはできるだけ抑えて,「滅私」というか,《私》を消していく方向でしか達成されない,という考え方をしています23)。ともすると,人種問題,ジェンダー差別,貧困・困窮者への抑圧に対して,市民のうねりを動かして,公に抗う「運動」体を構築する衝動にかられます。「エリート・当局・敵手と対決するとき,たたかいの政治は起こる。……全ての社会運動,抗議,革命……は,たたかう集合行為である。……たたかう集合行為は社会運動の基礎である」24)
 しかし,「個」の活動と団体による「運動」の二者択一で選択するのではなく,両義性が必要です。パウル・ティリッヒ[1886-1965](英語読み ポウロ・ティリック)は「永遠のいのち」について論ずる際,「道徳は,個別化と参与という両極性をもっているが,それがunambiguousな自己統合となる。そこには神の集中化divine centerednessがあり,もはや道徳は存在しない。……宗教も同じように,自由と運命の両極性をもっているが,永遠のいのちにおいて,unambiguousな自己超越性となり,神の自由が支配する。そこでは,天のエルサレムには神殿がないように,宗教はもはや存在しないのである」と解釈を開陳しています25)27)28)
 二元論ではない思惟に基づいてひとりびとりが吟味していかざるを得ません。
 ハンナ・アーレント[1906-1975]のいう意味での「活動」は,バリケードを築いたり,兵士を打ち殺すような暴力行使ではありません。「私的な生活から抜け出し,公的事象の光のなかにはいり,イニシアティブをとり,共同の企てに着手し,自由の高揚を経験すること」「私たちがみな単に死すべきもの,すなわち死ぬ運命になるものであるだけでなく,私たちの誰もが世界のなかで新しくかつユニークなものを表しているし,予期し得ないことを行ない,役割規定では予見できないような仕方で活動することができる」と論じています26)
 ボランティア道に関係する人ならば必読の書である『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学』(著者仁平典宏 名古屋大学出版会 2011年)(以降 「パラ贈与」)について述べてみたいと思います。「宗教の機能として,……重要なのは,それが<贈与>に了解可能な意味を与えることを通じて,<贈与のパラドックス>を回避することに寄与する点である。例えば,留岡幸助の場合は,慈善をキリストが人間に対して捧げた愛と類比的なものとして理解する。慈善は宗教的意味を帯び,その報酬も宗教的な形(天父を喜ばす)で与えられる」(42ページ)と戦前期日本における<贈与のパラドックス>の文脈で論じます27)。「キリストが人間に対して捧げた愛と類比的」,と前提があります。仁平氏はキリスト者留岡(とめおか)幸助(こうすけ)[1864-1934]が『人道』で執筆した内容を引用しながら詳述しています28)。「『人道』は慈善事業の推進のためのメディアであるが,……実際の慈善=<贈与>は本当は反<贈与>なのではないか,という疑念をくり返し見いだすことができる (同 39ページ)。……留岡は『彼等は惰眠であるが故に,救助を受けねばならぬやうな界に陥った』ということを挙げる。……留岡の答は,被救護者に仕事(労作)を教え,『独立自営することが出来るやうに』するというものである。その観点からすると,我が国にイギリスのように救貧法がない……恤救(じゅっきゅう)規則は『萬止むを得ないものに限って,救助する。人を容易に救助してはならないといふ考えから,起つたもので,詰り救助するの場合は,必要的若しくは制限的にやらねばならぬ』。(同 46ページ)……留岡幸助は『社会奉仕の精神』として次のように述べている。かつては,「東洋道徳は弱き多数の者が強き少数の者に奉仕する所の道徳であった」が,現在の「社会奉仕の道徳は強大なる者が弱小なる者の為に参事する意味」として使われるとキリスト教の立場を分析しています29)
 仁平氏は聖書にない語「キリスト教」(クリスティアニスモス)を継承してきたキリスト教界の視座を精確にとらえています。筆者の垂直の「活動」視座から見れば,留岡幸助にはとうてい支持できない社会事業の雄であります。仁平氏が引用した部分からは超越した
存在からの垂直の関係「我と汝」に基づく「活動」が伝わってきません。むしろ水平の「運動」に貢献した傑出したクリスチャンのひとりに注視しているという印象です。
 ちなみに監獄改善運動は1872年に神戸に来日した宣教医ジョン・カッティング・ベリー[1847-1936]によって始まりました30)
 1949年生まれの日本宗教研究者ヘレン・ハーダクレをロバート・ペッカネン氏は引用します。日本の宗教世界を構成する三つのセクター,「既成宗教」(寺院仏教,神社神道,キリスト教),「新宗教」(創価学会,立正佼成会,霊友会教団,天理教等を含む),1970年代から出現した「新新宗教」の区別があります。一般の人々は3つを明確に区別していません。1990年初頭のオウム真理教の攻撃以後,「大きく掘り崩されてきている」。オウム事件以後,ハーダクレによると,公共政策の選考において,宗教団体の自由を守ることから宗教団体の乱用より社会を守る(潜在的な改宗を含め)ことに,転換があった,と語ります31)
 ハーバーマスや仁平氏にとり,宗教運動が公的重要性をもたない前提をもつからこそ,ボランティアの「終焉」,というパラダイム指向について論述できるのだと思います。

  (c) 無償性
 聖書には,「ただで受けたのだから,ただで与えなさい」(マタイ10:8),とイエスは弟子たちに諭しています。ボランティア道は無償で行なうことが基本です。体力,時間,交通費,食費,宿泊費などを提供してボランティアに取り組みます。しかし,決して代償を期待しないのです。代償には,金品だけではなく,名声,地位,名誉も含まれます。
 「奉仕」といえば「ただ働き」(損なこと)と連想する人もいます。徹頭徹尾,仕える側には経済至上主義の価値観には抗う変わり者の道のりです。
 日本には,互酬(ごしゅう) Reciprocityというボランティア精神がありました。貧しい人の軒下にそっと食べ物を置いておくのです。「陰徳」という助け合いも珍しくありませんでした。32)。「陰徳」が「互酬」へと発展していきます。たとえば,田植えに協力してもらえば,刈り入れの時は手伝いにいく‘お返し主義’です。香典,香典返し,結婚祝い金,引き出物,中元,歳暮の風習になります。欧米にはない共同体をつなぎあわせる互酬は現在,なくなりつつあります。義理・人情・しがらみというマイナス面も平行して失われてきました。善意の見返りを求めて,恩を売っておく行為はボランティア道から外れます33)
 イギリスでは,1940 年代に福祉国家の成立によって,健康サービスや福祉サービスは「行政サービス」に変わりました。有償ボランティアの仕組みの普及によって,「賃金労働」と「ボランティア」,との間にあった厳格な境界があいまいになっています。公益的な運動を展開しているからとボランティア活動自体が税制上の優遇を受けるならば,官僚機構と癒着がはじまり,ボランティア団体に役所の天下りを受け,見返りに役所から権益をうける授受関係ができあがります。すると迂回献金を享受したり,組織的な集票活動への魔手が待ち受けます。ですから,一貫して,非政府・非営利性を維持すべきです34)。「非営利」についてもボランティア道を歩むからには知っておくと役立ちます。経済学では,非営利組織とは利益をメンバーに分配しないわけです。すると国家や行政はどうかというと非営利という反応が返ってきます。しかし,大阪大学入江幸男教授は,政治的共同体は営利組織であると論述します。確かに,阪神・淡路大震災前,神戸市について「神戸株式会社」,と呼ばれていました。共同体が営利性をもっているゆえに,企業と同じ営利組織という構図があてはまります。「私的であることも営利組織であることも悪いことではない。悪いのは,私的であるのに『公』と僭称し,営利であるのに非営利と僭称することである」,と見逃してきた事実をつまびらかにしています。

    行政        企業      ボランティア
 (公的,非営利)    (民間,営利)    (民間,非営利)

 先入主をひっくり返します。

   行政         企業      ボランティア
 (私的,営利)     (私的,営利)   (公共的,非営利)

 国家(地方自治体)が公共的と言う限り,個人がボランティアを行なうのと同じように,被災地でスコップをもち,汗をかく行為は自発的に行なうべきです。さらにいかなる人とも開かれた自由な話し合いの場をもっているなら公共的とはじめて評価できるという視座です35)。機構もミヨシ石鹸株式会社の三木晴雄氏や,事務所兼自宅の近所の人々,垂水朝祷会,KISO牧場などによる無形,有形の支援の恩恵があれども慢性的な赤字を免れません。事業ではないので,決して潤沢になることはあり得ないのがボランティア活動の宿命です。機構の発起人である筆者もブレザレン派に属するキリスト教会の牧師です。ブレザレンの牧師は無給であり,家族に必要なものを備える上で,語学をなりわいにしています。つまりボランティアから収益を得ることもなければ,むしろ少ない収入をつぎ込んで活動をしています。ボランティア活動の基本は「主体性」「公共性」「無償性」の三つの柱が集約された対話性の活動になります。次に,「ボランティア道」の「道」についてご一緒に考えたいと思います。

 c. 「道」
 日本人だけでなく,世界のどんな人間も「○○道」とよく使います。茶華道,武士道,騎士道などございます。聖書でも「道」[ギリシア語 ホドス]は(人生の)行路,生き様,生き方を意味します。「道」のヘブライ語デレフにも「人生行路」の意味があります36)。「主の慈しみに生きる人の道を見守ってくださる」(箴言2:8),「無垢な人の慈善は,彼の道をまっすぐにする」(同 11:5)「主よ,わたしは知っています。人はその道を定めえず 歩みながら,足取りを確かめることもできません」(エレミヤ 10:23)。
 聖書にはたいせつな道が一貫して強調されています。「主はこう言われる。正義と恵みの業を行い,搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人,孤児,寡婦を苦しめ,虐げてはならない。またこの地で,無実の人の血を流してはならない」(エレミヤ 22:3)。「寄留の外国人」(在日朝鮮人),「孤児」,「寡婦」を世話したり,仕えることが「正義」というわけです。箴言11章4節について聖書学者勝村弘也氏は註解します。「冨は怒りの日には役に立たない。だが,義は死から救う」37)。ここでいう「義」(ヘブライ語 ツェダカー『新共同訳』では「慈善」)はエレミヤ22章3節の「正義」,と同じです。したがって,災害,戦争,家庭・社会暴力からの解放こそ平かな道の必要条件です。釜ヶ崎で無給司祭として,労働者に散髪の世話をしたり,生きる権利が抑圧されている人たちと共生している本田哲郎氏がおられます。「最も小さい者の一人」(マタイ 25:45)と連帯しています。本田さんによると,ドヤに住み,あるいは路上生活者は努力して「最も小さい者」になったのではありません。社会,制度,企業によって「小さく,低く」 されたのです。神を愛するとは,「孤児」「やもめ」「寄留者」に代表される社会の弱い立場に置かれている人々の権利を守ることであり(申命記 10:12-19),隣人を愛するとは,「寄留者」「雇い人」をはじめ体の不自由な人,虐げられやすい人など,抑圧されている「貧しい人」の側に立って配慮し行動することであり,また助けを求めることすら出来ない人には,こちらから関わりを求めて隣人になって行くことにほかなりません(レビ 19:9-18,ルカ 10:29-37)38)
 「孤児の父」と称されるイギリスのジョージ・フレデリック・ミュラー[1805-1898]は,狭い道を選びました39)。ミューラーの流れに位置する超教派ブレザレン教会神戸国際キリスト教会の牧師も俸給をいただかないのは伝統です。また孤児たちのために仕えていくのも自然な属性です。
 第二次世界大戦前には日本の救貧運動はセツルメント運動(隣保運動)として知られていました。民間の中から起こってきました。生活に困窮する人々に対して,ミューラーに心服していた石井十次[1865-1914]は医療を断念し,孤児たちのために生涯をかけます。セツルメント運動は社会改良や社会教化に影響を与えました。最初の隣保館は1897(明治30)年に片山潜[1859-1933]が,東京神田三崎町に「キングスレー館」を設立しました。やがて社会改良,労働組合などの「運動」に発展していきます。
 さて,ボランティア道は「運動」movementなのでしょうか。それとも「活動」activityなのでしょうか。ボタンのかけ違いがないように,情熱を傾ける突破口はどちらなのかを探求します。富士山頂に向かうのに静岡県側御殿場からか,山梨県側からかどちらでも高嶺に向かえます。二者択一や色々な道があっていいのではと多くの方は想像力を働かせます。机上のパラダイムを外して,現場で体験してきた中で論じていきます。
 目覚めてボランティア道を歩き出すのではなく,「活動」の中で道を見いだした若者も珍しくありません。2011年,ある引きこもりだった20歳の若者は,宮城県石巻市渡波の全壊した家屋で黙って消毒作業をしている時に,家の男性から「ありがとうな」と声を掛けられました。他人に感謝されたのは初めての体験でした。その後は常連になり,東日本大震災から5年間,常連となり活動の中心に,と「中外日報」編集者北村敏泰氏は取材記事で紹介しています40)。被災地のボランティアンターや社会福祉協議会から委託されて,黙々とがれき撤去,ドロ出しをしたのではありません。現場でボランティアに参加した際,独りで被災者に接します。能率・効率など関係のない人と人の触合いです。痛めつけられた人との出合いです。被災者を通して垂直「活動」が「契機」,となります。続けて現場に行く「関心」が芽生えます。くり返し,3ヵ月,1年,3年を経ても継続する「価値」を見いだします。体験,無力感,謙遜さは自分の価値判断が形成されますと,他のボランティア団体のいたらなさを決して非難したりはしません。ボランティア道は活動する中で「自分の潜在能力」を高め,「生きる喜び」を認識し,「必要とされる自分」を実感し,「生きがいややりがい」のある生活を見いだすのです41)。少年は,必要とされてはじめて大人になるのです42)
 核廃絶運動,安保法案をなくす運動,憲法擁護運動など多岐のうねりの道があります。有機的な運動体に志願した人々の動機と「契機」「関心」「価値」の共通項があります。しかし,決定的に異なるベクトルについて次項から考慮します。

(2) 水平の「運動」の系譜
 a.日本の救貧運動の貧困
 1995年,阪神・淡路大震災により,神戸市長田区の御菅(みすが)西地区は震災で約8割が焼けました。制度として,復興区画整理事業が行われました。被災した住民の8割は元の場所に戻ることを望みましたが,実際に戻ることができたのは3割足らずです。復旧,復興,再建をなんとか制度で解決しようとしてきました。ハコモノのプロジェクトを考え出します。神戸空港,地下鉄,先端医療技術などです。前より立派なものを造ろうとします。バブル経済がはじけ,地価は下がりつつあったにもかかわらず,まだ右肩上がりの成長へとあせります。震災前より立派に,より大きく,高くという発想で復興が進められてきたのではないでしょうか。
 阪神・淡路大震災の時,日野謙一氏[NPO法人伊丹人権啓発協会代表理事]は語りました。「高度経済成長政策以降,日本社会は,表面的な制度的条件をとりつくろってきて,なにか整備され安定してきたように思われていた。「同和」対策事業も一緒で,いろんな事業がほとんどできてきたといわれてている。ところが,今度の震災は,そういう表面的な取り繕いを根底から暴いたんじゃないか。そういうものを,やはり土の下から,建物の構造,生活のあり方などを問い直すことが迫られていると思いますね。そういう発信の場所が被災地にあると思います」43)
 2007年,夕張メロンで有名であった夕張市が破産宣告をしたように,東日本大震災の被災地,宮城県石巻市,福島県浪江町,双葉町,大熊町,富岡町は自分たちの町もそうなったとこぼす人たちが少なくありません。日本の復興はこの程度なのに,原発再稼働,リニア,オリンピックとはあきれかえります。現代人の貪欲さが被災,被曝,孤独死,孤立死を忘却させ,他の人を顧みなくさせています。人権がないがしろにされている領域に,独りで出かけて行って何か解決できるのでしょうか。
 2016年3月に,「借り上げ復興住宅」問題に東奔西走している河村宗治郎氏(79歳)が東北ボランティアに加わりました。寒い中,筆者と仮設住宅戸別訪問しました。河村氏も高齢にかかわらず独りで終(つい)の棲家を追い出される高齢者のために神戸市と闘っています。震災復興・再開発に失敗した神戸市長田区,共済制度から漏れた被災者のために孤高に立ち上がって社会に発信しています。
 月日が経つと,もうボランティアがやることはないという声も耳にします。繁栄,経済成長,住民ニーズも変わり,もう緊急性がないという理由です。被災直後に東北などの現場へ行こうすると,ドロ出し,がれき処理,避難所訪問なども素人が行くより,専門家でなければかえって迷惑だと言われたものです。いろいろな親切そうで不親切なまなざし,中傷,助言が交差する中でボランティアをやり続けます。なぜなら被災地ではじっと耐えている人たちがいるからです。被災者の所にすぐに赴く機動力には,現場主義が引き金です。被災地には息も絶え絶えの人もいれば,なんの被害もなかった人たちもおられます。「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて,その一匹が迷い出たとすれば,九十九匹を山に残しておいて,迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」(マタイ 18:12)44)
 制度では水平の「運動」も盛り上がりません。また社会事業では人を救えません。人は人によってしか変えられません。不安,独居,孤独に寄り添うのは制度ではできません。人間です。復興から立ち直った寺社仏閣,教会,宗教施設は単なる風景にしかすぎない
という声を耳にします。愛する者を失った哀しみ,自分だけが生き残ってしまった哀しみ,親しい者の哀しみに寄り添えないことの悲しみ,他者の哀しみを自分の哀しみに感情移入できるのは人間だけです。ボランティアは悲しみを入れる器です。
 ボランティアの「道」は,「埋草」(うもれぐさ)です。「咲くまでは草と呼ばれる野菊かな」,と見た目の回復や情報の荒波に翻弄されることなく,ぶれない働きを続けることが求められます45)

 b. キリスト教の轍
 「みなしごや,やもめが困っているときに世話をし,世の汚れに染まらないように自分を守ること,これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です」(ヤコブ 1:27)。「信心」(英語 religion「宗教<『新改訳』>」ギリシア語 スレースケイア)です。語源スレースコスは,特に宗教的規定や神信心の外にあらわれた形式を注意ぶかく守ることにつながります。宗教者ならば,最も後回しにされる「みなしご」(孤児)や「やもめ」を世話することがオプションではなく,標準の基準になります。新約に4回出ているスレースケイアの文脈からも,「キリスト教は生来特別な祭儀的行為を要求しない」と判明します46)。敬虔な信者に見られる会堂で祈祷,賛美,説教を中心とした信仰生活を受け入れていない世に対して出て行くのです。東北ボランティアに今も突き進む,駆り立てる,あきらめない根底には,信仰があります。
 筆者のスレースケイアはどのように培われたのかは母の影響です。私の父裕治[1919-1988]は家計のために腹一杯食べることもなく,塩をなめながら,貧しい家族を養っていました。母無畏子かしこ[1921-1992]は,白百合学園で身についた校風や,思春期の15歳に献堂された麹町教会[現在聖イグナチオ教会]で培った施しの精神が旺盛でした。

岩村無畏子[旧姓 野辺地 1921年2月17日-1992年1月9日] Kashiko Iwamura

 幼稚園から帰ってくると,近所の「乞食」,傷痍軍人,困窮している人々にソッと百円札を手渡している姿を何度も見かけました。子ども心に「自分たちがひもじいのに,どうして」とわだかまりがありましたが,そんな母は偉大に思えました。思春期から成人するまで一番影響を受けた末次一郎先生[1922-2001年]にはなかったキリスト教のcharity面です。アリの町のマリアと言われた北原怜子さとこ[1929-1958]や,アウシュビッツの聖者と言われたマキシミリアノ・マリア・コルベ神父[1894-1941],ゼノ・ゼブロフスキー修道士[1891-1982]の生き方をよく子どもに聞かせました。私たち兄弟にとり,3人はまぶしい存在でした。戦争孤児のために尽くした道を雑誌「無原罪の聖母の騎士」も部屋のどこかで見かけるローマ・カトリック教会信者の典型的な環境でした。ポーランド人コルベ神父,ゼノ修道士は1930年に来日し,約30年間,孤児,行き倒れ,病人,浮浪者の世話をしました。北原は20歳でゼノ修道士から感化を受けます。
 北原の働きは神戸にも種を蒔くことになります。社会福祉法人暁光会ぎょうこうかいは,1954年,神戸に誕生します。創始者ロベール・バラード[Robert Vallade 1914-2009]神父は,戦後1950年に来日しました。苦しみの中の自分は何ができるのか考えた結果,1953年東京の蟻の町へ行きます。北原さんから同じような救貧運動をするように促されます。神戸市生田川の河川敷のバラック小屋に住み,バタ車(大八車)を引きながら,バタ屋の仕事をしました。収益を貧しい人に施したのです。「人を救うという不遜な心ではありません。貧しい人達の手伝いになり,自らも苦しみ共に悲しみを分かちあうことが私の願いです」,とバラード氏はインタビューに応えました。生田川から武庫川に,やがて大阪,京都にエマウスとして活動が広がります47)。日本で一番貧しい区域と言われる釜ヶ崎で炊き出しを始める契機となりました。
 エマウス運動も1960年頃に曲がり角にさしかかります。経済的に立ちゆかなくなります。回収した廃品の価格の低さ,回収する人手不足,町内会や子ども会などとの回収の競合などが要因です。神戸の生田川,武庫川の河川敷を拠点とする救貧運動はピリオドが打たれます。垂直の「活動」は人々から評価されません。バラードのように,一般に,世間を驚かせる名著も書いていません。なぜなら垂直の「活動」とは忘却される活動だからです。親鸞,空海,道元は大きな影響力において圧倒しています。偉大な名著を通じて,水平のの運動は歴史上,その時代のみならず,現在に至るまで,病める人々を癒してきたことも明白です。しかし,超越論的存在は,抑圧された社会,被災地,戦場に対して,「まことにあなたは御自分を隠される神(ラテン語訳 deus absconditus)」(イザヤ45:15)です。苦悩を味わう神です。神の苦悩と神の愛についてまるでコインの裏表と理解してはなりません。神の怒りは闘うのが常です。人類愛,博愛,母なる神のようになんでもやみくもに「神の愛」「御仏の大悲」「柔和」という看板で受容するなら食わせ者です。一枚看板の水平の「運動」はオブラートで人々の不満,怒り,くやしさを包み込みます。神の怒りを忘却させる運動はボランティア道とは異なります。「隠れたる神」の行為を強奪することにつながるからです。ボランティア道は神の怒りを体現し,抑圧,差別,人権をないがしろにする体制に鉄槌を加えるエネルギーを持ち合わせるべきです。
 生田川沿いにあった最大の貧民窟新川で賀川豊彦[1888-1960]の救貧運動は戦前から枯死していませんでした。賀川については後述します。垂直の「活動」に依存した賀川について,仁平氏は一か所だけ,それも出典の小さな文字に埋もれて言及しています。パラドックスで言うならば,ボランティアのリアリティーは目立たないのが本物です。つまり社会からは認められないのです。垂直の「対話」の中から生成する「出来事」だからです。
 東日本大震災の3.11の直後,東北行きを準備していることを聞きつけた有川善雄さん[1936-2013]から電話がかかってきました。機構にとりはじめての東北ボランティアです。自宅兼事務所の周囲には全国から物資が山積みになりました。夫婦で積み直したり,整理,運搬のため腰を痛めました。筆者は直前になって,腰痛のため行けるかどうか不安で怯えている時でした。有川さんはクローバーという真珠会社を経営しておられた引退事業家です。ボランティア道を共に歩く意志で一致しました。機構に惜しみなく献金,物資,励ましを届けました。服類はエマウスからのものでした。有川さんは1957年同志社大学在学中に賀川から直接洗礼を受けています。有川や学友伊吹三樹雄さんは東遊園地[神戸市役所南隣]の炊き出しをしていました。機構と連帯した働きを続けて3年目,有川さんは逝去しました。有川さんたちの新生田川共生会は,瀬戸際に立たされるようになります。炊き出しについて,賀川豊彦献身100年記念神戸プロジェクトの実行委員のひとりであった筆者に後継者として白刃の矢がたちます。プロジェクトはただし垂直の「活動」ではなく,水平の「運動」でした。2014年4月から新生田川共生会が毎週木曜日路上生活者に仕えるようにバトンを渡されました。調理は機構第36次東北ボランティアに参加した楠元留美子さんを中心にたいまつが引き継がれたのです。生前有川さんは,神戸でも阪神・淡路大震災以降,炊き出しが週3回実施されていることを言われました。毎回神戸で150人以上の人たちが炊き出しに並びます。しかし,ホームレスではなく,生活保護の人たちがほとんどだと言われました。つまり毎月12万円が支給されている人たちが並んでいるのです。新生田川共生会は東遊園地で少ない野宿者だけに提供していると。同時に2014年3月,東北ボランティアの若者たちに本田哲郎氏が炊き出しに並ばない野宿者をたいせつにするように励ましました。カトリック社会活動神戸センターの山野真実子さんたちのように大規模にできないので,これなら機構でもできると始めました。釜ヶ崎の僧侶川浪剛氏も最初,食材を提供し,共に東北ボランティアへ行った五百井正浩氏,後藤由美子氏,豊原正尚氏,藤丸秀浄氏,横山豊宥氏ら寺院の僧侶たちが米などを支えてくれています。フードバンク関西からの定期的な支援もあり,機構の耕支縁の新鮮な野菜もあり,継続できています。筆者が尊敬する野々村耀ようさん(78歳「神戸の冬を支える会」初代裏方のひとり)は,野宿もゆるされない時代で夜回りを続けています。「立ち入り禁止とし,金網を囲って閉鎖する。公園などを何もないのっぺらぼうな空間にして,身を隠すことのできる物陰をなくす。(不審者対策,テロ対策などというが,不満を持った人間が増えることを予想しているのでしょう。また,公園の管理・運営を民間企業にまかせ,企業の都合で住めなくするというようなことが進んでいます。)公園やバス停のベンチは横になれないように奇妙な仕切りがつけられているし,歩道橋の階段の下の雨宿りできる空間は入れないように金網で囲われている」と嘆息します。48)。そのような人たちでなく,家も,身寄りも,住民票ももたない路上生活者は20人以下です。そのような人たちを対象にき出しをすべきではないかという助言がありました。有川夫妻,伊吹さんたちは東日本大震災で毎月足を運ぶのと併走していました。生前,見舞に行くと,笑顔で「The Lord makes me an instrument.」(主はわれを道具となせり)と流暢な英語で話しかけましたが,その精神は託された者たちにひたすら走り続ける動機となっています。

c. ボランティア運動のパラドックス
 パラドックスとは逆説を意味します。若さを決して見下げられることのない金字塔を打ち立てた仁平氏の「パラ贈与」に集中させていただきます。非難ではなく,クリティックです。クリティックとはギリシア語クリノー「判断する」から由来しています。学術会の気鋭の仁平氏に今後,期待するからこそ,発題しています。まず,「パラ贈与」に黙殺されたと言ってもよい賀川豊彦[1888-1960]と,一章を用いた末次一郎[1922-2001]を取り上げたいと思います。なお末次はキリスト者ではありません。

   賀川豊彦の救貧活動

賀川豊彦1909年神戸の貧民窟新川に入る

 日本のボランティア運動史は,賀川豊彦抜きには語ることはできません。2008年,筆者は,賀川豊彦献身100年記念神戸プロジェクトの実行委員のひとりにと今井鎮雄先生から推薦されました。49)。大宅壮一氏に言わせると,「およそ運動と名のつくものの大部分は賀川豊彦に源を発している」,と言わせるほどである。平和運動,社会事業,労働組合運動,農協活動,コープ組合など,数え上げればきりがない」と。50)。賀川はノーベル平和賞,ノーベル文学賞の候補者にも挙げられました。海外では,20世紀の三大哲人として,シュバイツアー博士,ガンジーに並んで評価されています。賀川は大正デモクラシー,労働組合,ストライキで政府からもにらまれるようになりました。ですから賀川の働きを左の反政府イデオロギーとして非難する向きもあります。しかし,末次一郎と同様,賀川は左翼でもなければ,右翼でもありません。失業者に対する回復された生活保障のために生命保険組合,生活協同組合,労働組合運動を育てたのです。日本最初の農民組合,協同組合も賀川の事務所から放射線状に広がっていきました。賀川の救貧運動こそボランティアそのものでした。賀川はキリスト教会の中でしか,クリスマスの喜びを分ち得ないキリスト教界のあり方に義憤を感じました。1909年12月24日,クリスマスの喜びを味わえない人々を共生するために日本で一番の貧民窟であった神戸市新川に飛び込みました51)。賀川は日本の資本主義興隆の時期に,救貧から防貧へ,労働運動,農民運動,協同組合運動など市民の生活防衛のための社会実践を行いました52)。2011年以降,現賀川記念館の西義人参事は来館者に語っています。「行き倒れの汚物の世話をし,ハンセン氏病者と共に寝,梅毒患者の包帯を替え,最後に残った着物を与え,暴力や脅しに耐え」,と。
 賀川は貧困の問題,経済の問題,社会運動,平和運動に生涯関わる真理契機は何だったんでしょうか。「私は芸者の子である。……私の父は,享年44歳であった。……父が死んでから60日目に,今度は母が死んだ。そのときは母33歳であった。……私は戸籍面では正妻の子になっているが,戸籍上の母からやさしい言葉をかけられたことはほとんど一度もない。……私は小学校では『妾の子,妾の子』と罵しられて,泣いてばかりいた。一度などは,小使いの八つになる娘を蝙蝠こうもり傘の先で突き刺したいう嫌疑をかけられて,蚊帳かやの中で三日三晩泣き通した。私にとって,人生はあまりに悲しく,暗かった。……私は14歳にもなりながら,どうするかと涙の中に沈んだ。私にとって,人生の暗さ悲しさは深刻になるばかりであった」53)。「私は明治21年7月に神戸に生まれ,4歳のとき,父と母をほとんど同時に失って孤児になった。それで,徳島県の田舎に住んでいる義理の祖母と義理の母のもとに引きとられた」54)。関東大震災[1923(大正12)]の報を聞くやいなや,賀川豊彦は神戸から「山城丸」(船)をしたて物資と見舞金を積んで上京。関東大震災では190万人が被災,10万5千人余が死亡あるいは行方不明でした。賀川は隅田川のほとりで救護所,職業紹介,貸金庫等々の業務を始めました。賀川とそのボランティアたちは震災直後から復興への協力を行って世間の耳目を奪いましたが,徳富蘆花は,関東大震災の際に賀川の取った行動について「賀川君に」と題して東京朝日新聞に寄稿,「私は震災後のあなたの働きを一度も見てはいないが,その働きは新聞に取り上げられ……その働きの一つひとつが新たな日本の形成のために最も必要な働きをしています」,と書いています55)
 仁平氏は賀川の救貧運動について,「同情・慈善といった贈与性を否定するといっても,援助者がその行為を行う(立場の共有をめざす)という選択をしている時点で,メタレベルの贈与的行為を行っている(=<贈与のパラドックス>は再帰する)と見ることは可能である」と洞察しています56)。2001年,筆者は拙稿『神戸と聖書』で賀川批判をしたことがあります57)。しかし,<贈与のパラドックス>は再帰するという仁平氏のステレオタイプのクリティックには同意できません。なぜならそんな賀川をキリスト教界はどのように判断したかについて言及していないからです。「(賀川が)最も厳しく批判したのは,彼自身が所属する教会のキリスト者に向かってだった。『私は断言する。日本に教会はないと!』そして教会にこう呼びかけた。『初めの愛を離れた私の愛する日本の教会よ,初めの愛に立ち帰れ!』こういったまるで預言者のような発言のために,彼は必要とした後方支援を受けられなかった。それどころか,多くの教会員から不審な目で見られるようになった。賀川は,これまでもしばらくそうであったように,国家主義に酔いしれた政府の最前線の現場と,自己陶酔的で殻に閉じこもった教会のとの狭間に立っていたのである。その後30年代の軍事的ファシズムの隆盛期になると,この状況はひとりで戦い続けるにはもうあまりにも困難で,結局心身を衰弱させるような状況にまでなっていた」58)
 賀川は「妻を棄てることはできるかもしれない。息子や娘を棄てることも,絶対絶命になったら,おそらく不可能ではあるまい。しかし,私はどんな場合にも聖書だけは棄てることはできない。もしネロのような暴君が現れて,私に『きょう限り,聖書を棄てろ』と強いたら,むしろ私はその瞬間に死を選ぶであろう。私にとって,聖書は二つとない生命の書である。私は聖書のために生き,聖書のために死ぬ。聖書は私の一切である」59)。     
 このような賀川の言説を耳にすると,狂信的な原理主義者のように賀川をとらえてしまうかもしれない。だから,仁平氏は文脈で,「この『“贈与の破綻”という形で行われる<贈与>』の動機・意味を美給するのは賀川においては,やはり神であった」60),という判断にたったのはやむを得ません。しかし,一義的に賀川をとらえることはできません。なぜなら著書『雲の柱』の巻頭に「神に溶け行く心」,と言いますけれど,低みに立つ神の視座とは異なるからです。「私は決して特種民の改善に悲観するものではない」と,上から指導者として被差別部落民を「改良」しようとしました61)。「低く下って天と地を御覧になる」神の視点が動機であったとは断定できないでしょう(詩編 113:5)62)
 たとい『貧民心理の研究』の「エタ村研究」の中で,被差別部落の異人種起源について言及していたとは言え,賀川は日本の救貧運動のチャンピオンであることは海外からの評価を待つまでもないでしょう。賀川は水平の「運動」の天才と言えます。

   末次一郎との出合い
 仁平氏は,第6章全体の30ページにわたり末次一郎のボランティア運動に言及しています。末次の奥さま清子夫人にもお世話になった者として,末次像の原像は出版物の活字からしか投影していないのは惜しいです。

末次一郎[1922-2001]

 中央青少年団体連絡協議会から派遣された末次一郎の講義を聞きました。筆者が16歳の時でした。精力的な話しぶりは今も鮮明に残っています。野外生活,キャンプ,登山に関心がある若者を魅了しました。末次は,「キリスト教のアメリカではできても,日本の青年にはボランティア活動は無理というのはまちがっている」と強弁しました63)。日本人には「葉隠れ」という武士道,すなわち無私の精神があると力説しました。「当時のアメリカ人の技術指導者たちの多くが,現地の風俗や習慣をまったく理解しようとせず,どんなところでもアメリカ式生活に固執し,それだけに,けっして現地住民の中にとけこむことができなかったことへの反省から生まれたものであった」と。64)。末次は現JICA[国際協力機構],青年海外協力隊の創設(国際協力機構青年海外協力隊事務局編2006年),日本青年奉仕協会(JYVA)の創設に尽力しました。
 2001年,9・11テロの時に「神戸国際支縁機構」の前身である神戸国際支援機構なる難民支援の任意団体をはじめました。団体名を国際協力機構と似た名前に知らず知らずのうちに付けていました。末次のDNAを受けついでいることすら忘れているほどでした。機構にはお金は集まらない,人は育たない,社会ではちっとも認められないの試練を通じて,末次の精神,「地位も名誉も命もいらぬ,社会の埋草(うもれぐさ)になる」が脈々とひきずっていることに気づきました65)。末次を「日本のボランティアの父」,と称する見方もあります66)
 末次は反核平和国民運動,沖縄返還,北方領土返還などで時の総理岸信介,佐藤栄作,池田勇人たちを動かす力がありました。しかし,政治の表舞台には顔を出さず,霞ヶ関分室において「舞台裏の英雄」に徹し続けました。1968年,「日米京都会議」において筆者も末次の裏方でした。筆者は同時通訳ができるわけでもなく,学者たちの闊達な論議の蚊帳の外におりました。しかし,この会議はナショナル・アイデンティ探しに目覚める契機にもなり,宗教遍歴への糸口になりました。末次は戦後最大の「国士」「黒幕」「ロビイスト」と言われたりしますが,民主主義のルールから外れることはありませんでした67)。末次は陸軍中野学校二股分校で訓練を受けた筋金入りの諜報機関の成員でした。末次と二股分校で同期生であった小野田寛郎(ひろお)[1922-2014]は中野学校につい語っています。68)。 帝国陸軍は国家に忠実な兵士soldier を成しましたが,一方,中野学校は「志願兵,義勇兵」volunteerの養成機関でした。末次は皇室に愛着を持ちながらも,「国体論」69)を支持しませんでした。つまり「日本は天皇を親とし国民を子とする家族国家である」という思想家ではなかったのです。
 ボランティアの父としての末次は戦時下の「志願兵」から,戦後,青少年教育の「奉仕者」にシフトしていきます。自分自身だけでなく,慕ってくる青年たちに清貧を求めます。理想だけでは生きていけない優秀な同士たちがどんどん戦列を離れていきます。なぜならば軍隊経験をもたない青年たちは,日本式の教育を受けて,秩序正しさ,礼儀,画一性には順応できますが,末次チルドレンとして「自立」「主体的」「超人」には脱皮できなかったからです。末次が戦時下の鬼軍曹,外人部隊の冷酷無比な上官,権威主義者であったなら,若者たちもどこまでも追随できたことでしょう。ところが末次の規範は異なりました。仁平氏が言及する後継者のひとり
(こう)
(ろき)(ひろし)[1948-]氏が証ししています。70)。「死を超えて任務につこうとした若ものたちのつき合いは,文字通り裸であった。夜毎に交わした真剣な論議も,ときには殴り合いにもなりかけたはげしい議論も,その都度われわれの同士的な愛情を育んでいったように思える」に書かれているような共時過程について興梠氏を除いてだれも経ていないのです。純粋さだけでは末次の「選択」「決断」「人格」に波長がかみ合いません。「低い生活にあまんずることは,自分を捨ててかからなければできることではない。原住民の心になりきったときに,あえてその苦労に耐えていくことができるからである」71)
 末次について「大きな社会的影響力があったにも関わらず,知的世界において末次が語られることはほとんどなかった。『なぜ末次が過小評価されたのか』ということも大きなテーマである」,と立命館大学教授秋葉武氏は発題していました。72)。仁平氏は,「パラ贈与」で末次をとりあげ,資料を秀逸に網羅して末次を後世に伝えた功績はだれしもが評価します。「パラ贈与」264ページで「“『ボランティア』=<良い贈与>=<運動>的”,“『奉仕』=<悪い贈与>=非<運動>的”という図式が成立する。この意味論において,『奉仕』の語は,負の価値を帯びることになった」と「奉仕の消滅」が必然性であるかのように客観性ある断面図は読者にもわかりやすいことは確かです。しかし,末次の国士としてではなく,青少年育成についての負の分析がもの足りなく感じるのは筆者だけでしょうか。
 もし存命ならば,次なる報告を聞いたらどう末次は反応するだろうかとほぞをかみます。
 「外務大臣からの感謝状なんですが,……現地で何をしていても,また任国外旅行に五回も十回も行って,その間その国にいなくても,女を買って現地の心ある人から嫌な顔をされても,任期さえ満了すれば,感謝状もらって,途上国援助に貢献した人になれるんですね」73)。筆者が16歳から約10年慕った末次には武士道の精神が内包されていました。「なかんずく金銀の欲を思うべからず,富めるは智に害あり」という陸軍中野学校二俣分校で培ったゆえに,金銭に由来する無数の悪徳から免れたのです74)。残念なことに末次に追随していった多くの優秀な若者は櫛の歯が抜けるように次々と末次の元から立ち去っていったことはどの文書にも描写されていません。だれも無償,無報酬の実践の真似ができなかったからです。一方,キリスト者はキリストのように似る者になることをだれしもが願うことのパラドックスを洞察する視座が「パラ贈与」にはありません。末次の後継者たちには「報国勤労」「天皇敬愛」「錬成会」を導く指導者はいませんでした。やおら日本青年奉仕協会(JYVA)の指導者たちは海外のボランティア論を直輸入していかざるを得ません。「フィランソロピー」,「文化的貧困」への警鐘乱打を強弁したハーバーマス,ネオリベラリズムなどが接ぎ木されます。アレック・ディクソンや,プレーパークでの横文字のシビルソサエティーが子ども達に魅力あふれるプログラムを提供できると信じてきたわけです。
 戦後,末次は戦災孤児を集めて靴みがきの職業訓練をしたりしていました。戦後2年目に制定された児童福祉法は浮浪児,戦争孤児を施設に収監するように定めました。しかし,公的な施設には14%に対して,残りは民間が担わざるを得ませんでした75)。残念なことに,政府は浮浪者狩りや狩込みを実施し,収監される事態が起きていました。1993年, JR三ノ宮駅高架下で靴磨きをしていた吉岡さんと出合いました。末次が戦後東京の新橋で靴磨きをしていたと話しかけると,自分の生い立ちを語りました。戦争孤児であったためにゼノ修道士の長崎における孤児院に入所したものの,窮屈だから脱走したこと,主の祈りを何度も唱えさせられたから,今でもすぐに唱えることができるんだと笑いながら語りました。
 日本は,1994年になって,子どもの権利条約に批准しました。国連加盟国168ヵ国中158番 目です。いかに子ども達の権利に対する意識が低かったと言わざるを得ません。筆者も奉仕service精神はだれにもひけをとらない鼻っ柱の強い若造でした。しかし,末次の弟子たちのように,終生にわたり,運動マンとして生きていく自信がかげりかけていました。
 宗教遍歴がはじまりました。統一協会,モルモン教,創価学会,生長の家,神社神道など首を突っ込みました。とくに統一協会の「統一球原理」で文鮮明の逆鱗にふれた小宮山嘉一(かいち)とは天下国家について論争しました。

前列左 西川勝,後列 小宮山嘉一,前列右側 久保木修巳

 小宮山は1964年に立正校成会から久保木修己を引き抜き,日本の統一協会の会長にした立役者です。全国大学原理研究会の初代会長でした。小宮山は文鮮明教組によって組み合わせられた結婚相手を蹴って組織を出ます。
 同年,筆者は聖イグナチオ教会のカンガス神父の引き合わせにより,家内とはじめてのデートを教会で行いました。

旧聖イグナチオ教会[カトリック麹町教会]

ルイス・アロイジオ・カンガス[Luis Cangas 1926-] 神父

 結婚するために賀川が献身した神戸の地にやってきました。カヨ子が垂水カトリック教会で受洗すると同時に結婚式をあげます。

岩村カヨ子 1972年12月24日 垂水カトリック教会 エミール・タベルニエ神父 Kayoko Iwamura

 聖書真理の追究の旅で,エホバの証人の聖書ファンダメンタリズムと出会います。聖書だけが,戦争,病気,飢餓,貧困などの本質的な問題を解決するという福音に入信します。その後は,キリスト教会の廃会に情熱をたぎらせました。脱会に13年を要しました。

最も活発な神戸市明舞会衆 右端 岩村カヨ子と筆者 Kayoko Iwamura Pastor Yoshio Iwamura

 遠回りで妻に迷惑をかけっぱなしです。

(3) ボランティア運動の不活発―青少年運動の不活発
 a. 隣人に対する感性の鈍さ
 自然災害,戦争,貧困格差について思想家内田樹氏は霊的覚醒を発信しています。「『なんだかわからないけれど,非常に危険なもの』が接近するときには自分の体内で『アラーム』が鳴るように,長い間訓練をしてきたということです。合理主義者たちの中には,「いったいお前たちはいかなる妄言を口走っているのか。外形的・数値的にエビデンスが示されないときに“何かがやってくる”というような判断が下せるわけがないではないか』とせせら笑う人がいる……ぼくは今回の震災と原発事故については,『アラームの劣化』ということが大きくかかわっていると思います。そして,日本人が21世紀を生き延びるためには,もう一度『霊的再生』のプログラムについて」検証しなければならないと気づかせてくれます76)
 ボランティア活動は阪神・淡路大震災以降,誕生したと見る向きが多いです。1995年1月17日から1年間に被災地に活動したボランティアは延べ137万人にも達すると言われています。(兵庫県警調べ)そしてこれがきっかけとなって,災害が起こるたびに,その災害が大きければ,その分多くのボランティアが救援に駆けつけるようになったのです77)
 国際ボランティア学会を起こした草地くさち賢一けんいち [1941-2000]について,「1941[昭和16]年9月10日に岡山で生まれ,幼少時代は母と二人の貧しい生活であった。中学3年の時に母が自殺,定時制高校に通う17歳……洗礼を受ける。『……貧しく,弱く,苦しい場所に身を置かされている人たちと共に生きる働きがしたい』」と願います。国のエネルギー政策転換によって炭鉱労働者の生活が酷しくなった九州の筑豊地帯の子どもたちを支援する「筑豊の子供を守る会」に加わり活動」,と宇都宮佳果よしみ氏は紹介しています78)

 今回の熊本地震においても,2016年4月22日,つまり地震発生から6日間は専門ボランティアしか被災地は受け入れませんでした。「ボランティアはプロフェッショナルとかアマチュアかで分けるものではありません」,と草地賢一は主張しました79)
 1995年1月17日,阪神・淡路大震災で死者6,434名に及びました。若者を中心に140万人近くが馳せ参じました。賀川豊彦,末次一郎,青年団などの働きが歴史上あったにもかかわらわず,なぜボランティア元年と言うのかを論じたいと思います。 明治維新以降,欧米に追いつくために日本の近代化は,官僚主導ですすめられてきました。したがって,「民」は「官」に依存する体質ができあがってしまいました。被災地のボランティア活動は「官」の独占物というエートスがあるのです。災害地の働きは国や社会がやってくれるべきものという責任丸投げの声が入ってきました。阪神・淡路大震災の時には,ボランティアについて「特別な資格,能力,専門家の活動」というより,「一般の人々がリックをかついで何か自分にもできるにちがいない」と駆り立てました。日本人全体の意識を変えたのです。「官」と「民」を二つにわけて考える壁が音を立てて崩れたのです。「官」と「民」の間に専門家ではない「ボランティア」という新しい層が誕生したのです。民間活力の働き場所ができあがったのです。高度経済成長[1954年12月-1973年11月]により生み出された公害,水俣病,アスベスト,孤独死,孤立死,DV(ドメスチック・バイオレンス=家庭内暴力),寝たきり高齢者の生活支援などは行政だけでは解決できないのです。ボランティアは行政の手の届かないサービスを提供します。緊急時対応の不備を補うように期待されました。民間のNPOが雨後の竹の子のように全国的な広がりの中で活動を始めました。文部科学省も発題します。「このような社会状況の中にあって,個人や団体が地域社会で行うボランティア活動やNPO活動など,互いに支え合う互恵の精神に基づき,利潤追求を目的とせず,社会的課題の解決に貢献する活動が,従来の「官」と「民」という二分法では捉えきれない,新たな「公共」のための活動とも言うべきものとして評価されるようになってきている」(2002年7月29日 中央教育審議会)。「新たな公共」と行政だけが「公」を担うのではなく,「民」が主体性をもって,福祉,環境,人権などの解決にあたり,政策提言をしていく突破口が開かれたのです。「ボランティア元年」と言われる所以です。「公共の福祉」とは「他人の人権」を意味するという理解が従前の通説です80)
 しかし,本来,行政が担当するサービスまでがボランティアに丸投げされたり,ボランティアが行政の下請け,御用聞き,補完になってしまう危険姓と背中合わせで来たのです。行政や社会福祉協議会による手厚い支援が続きますと,ボランティア本来のアイデンティティである主体性・公共性・無償性がトーンダウンし,受身の活動になってしまいます。
 子ども会,ボーイスカウト,ガールスカウト,スポーツ少年団などの青少年団体への所属状況をみると,小学校高学年では男子の7割前後,女子の4~5割が所属していますが,中学校2年生では男子の2割強,女子の1割強となり,高校2年生では男子の約1割,女子の5%と,その割合が低くなっています81)。青少年活動が堅苦しい・暗い・面倒だ,という理由で敬遠されることもあります。なぜ日本の青少年運動が停滞,不活発,不人気かについて精査しなければなりません。
 たとえば,1938年に起きた阪神大水害(1938[昭和13]年7月3-5日)の時のボランティア運動を考察してみます。
 総雨量は491.8ミリに達し,河川は氾濫,橋梁,堤防を破壊し,死者・負傷者を合わせると,3千人を超えました。被害人口は神戸市の6割以上の64万人に及びました。家屋の被害も7割に相当する13万9千戸です。被害総額は1億3,635万円と神戸市は記録しています82)。震災直後の7月6日に,東京から賀川豊彦らが来訪。被災地を見舞うとともに,職員を激励したりしています。「コープ神戸のあゆみ」7.阪神大水害によると,その時点で死者933人,神戸市の72%,69万6千人が罹災したと記録されています。
 兵庫県学務部社会教育課は大日本青年団に対して動員をかけます。県下から89,424名の若者が「勤労報国」のスローガンに徴用されました。記録には奉仕者側にも死者,負傷者が出ています。本人の意思に関係なくお国のために一斉に精進するように,命令に従ったのです。「生活即日本精神の態度を示しつヽあることは,銃後奉公に於ても大飛躍をとげつヽある現下日本のために眞に喜ぶべきことである」と動員する側は絶賛しています83)
 本来,「日本青年団協議会」(略称:日青協)は「地域づくり,仲間づくり,人づくり」への運動を展開する目的で全国各地に創設されました。「銃後」,すなわち戦争の後方部隊の運動をするために始まったのではありません。青年団は「心身の修練とよりよき個人の完成」「友愛と共励」「住み良い郷土社会の建設」「世界平和」を綱領とする立派な理念を有しています。1948年頃の山形県において,定時制高校の補足的役割をもつ長期教養講座は「青年学級」と名付けられました。山形県の青年団指導者であった寒河江さがえ善秋ぜんしゅう[1920-1977]は「パラ贈与」258-260ページで紹介されています。寒河江は山形県の日青協が生んだ日本を代表する運動マンの模範でした。末次の始めた健青運動,海外協力青年奉仕隊,日本青年奉仕協会(JYVA)なども寒河江の存在なしに成就しませんでした84)
 近年,日青協の不活発について,東京都のほかにも埼玉県連合青年団が1991[平成3]年に活動を停止,2006[平成18]年に兵庫県連合青年団,2007[平成19]年に富山県青年団協議会がそれぞれ活動低迷を理由に正式に上部団体である日本青年団協議会を脱退しており,正式な表明はないものの実質活動休止状態の県連合組織も少なくありません。国,文部省(現文科省)は,青年学級の制度化に着手しました。「青年学級」は1955年をピークに以後減少に転じ,以後減り続けます。皮肉なことに,補助金が出るようになってからすぐに低迷を始めたのです。
 青年団以外に,海外では今でも活発な若者の宿泊の拠点とするユースホステルも,非宿泊型の勤労青少年ホームも減少の一途をたどります。ともに1958年前後の段階では「青年の家」としてとらえられ,多くの人々が利用していたことが嘘のようにかんこ鳥が鳴いています。「有償ボランティア」として補助金が諸悪の根源と言われても仕方がないのでしょうか。
 ただし,兵庫県の場合,他府県と異なり,ユースホステルは存続していますし,青年団こそなくなりはしましたが,補助を受けている,受けていないに関係なく,他の青少年団体活動は活発な地域です。行政と各団体の関係が上下関係ではなく,むしろ行政の方がボランティア精神により,仕えているからです。おそらく最も青少年運動の芽を育て,人権意識も強いのではと郷土を誇りに思う市民も多い地域柄です。
 阪神大水害では学校,青年団,婦人会が動員されました。自発的な動きとして,宗教団体,在日外国人たちも活動も紹介しています。『神戸市水害復興勤労奉仕記念』の28-29ページには,「本門佛立講信徒」「天理教」の画像と「東,西本願寺佛教青年團」「黒住教奉仕団」「基督教徒の託児隊」の記録が掲載されています。

b. 宗教者の動き
 宗教者は民の立場から時の「官」に対して,発題することもたいせつです。1974年,時の政権,ブット首相がインドに対抗するために核武装を識者たちと模索します。1979年のノーベル物理学賞受賞者アブドゥッ・サラーム[Abdus Salam 1926-1996]はアハマディアの信者であり,政府の科学貢献に寄与しますが,核武装には反対のために非難されます85)
 英国の場合,キリスト教社会主義が社会改良そして福祉国家形成に連続していく導火線になりました。しかしながら近代日本の場合には,別の面が頭を擡げます。明治30年代初頭の近代産業の形成期に,キリスト教社会主義や労働組合運動の始動がありましたが,当局によって素早くその芽を摘まれてしまいました。さらに日露戦争後の体制危機への対応策として,明治政府は,家族主義国家観を強調し,慈善事業を政治的に奨励するに至ります。つまり水平の「運動」をお上が奨励したのです。
 大正期には,慈善事業を批判克服の対象と見なす社会主義思想が再び強調されるようになります。運動はもっぱら労働問題が中心でした。孤児,貧困家庭,女性差別を救済する運動が頓挫をくり返します86)。賀川がはじめた種々の運動,たとえば医療生協,農協,労働組合運動もイデオロギー,思想,福祉国家観の違いで賀川自身が糾弾されるようになります87)。なぜなら日本精神と抗う明石順三[1889-1965] (灯台社代表 戦前ものみの塔聖書冊子協会[エホバの証人]日本支部)ほどの日本の支配者層との闘い,弾劾,追求をしなかったからです88)
 草地賢一は言い放ちます。「ボランタリズムの思想を確立したプロテスタントはディッセント(非英国教徒)の伝統に根ざしていた。ディッセントとは宗教上の権威,伝統,形式,特権に対して異議を申し立てることにほかならない」(『神戸発阪神大震災以降』岩波新書・95年刊)と89)
 賀川は1905年に石川三四郎の本を読んで,共同組合について学び,構想を温めていました90)。思想史家藤田省三は,賀川豊彦や山室軍平の救済事業を批判しています。「日本のキリスト者の圧倒的大部分は,日本現代戦争史の中で国家批判の場を一回も自分の内にもつことが出来なかったし,また太平洋戦争中の自分達の『ひどい』戦争責任に対してさえ,戦後ほとんど無自覚である」91),と。藤田の賀川批判は内村鑑三の単独の信仰というパラドックスを用いて,水平の「運動」をクリティックしています。
 宗教がもつ本質的な救いとの関係を損なわずにいるためには,藤田が指摘するように「我が援助(たすけ)は社会より来る」と期待して「人の賛成」と「社会の助力」に依拠し92),垂直の関係より重要視したことを弁証法的に否定しなければなりませんでした(ガラテア 1:10)。預言者イザヤ,エゼキエル,エレミヤも組織体として水平の「運動」はしなかったのです。神託を受けた垂直の「活動」に徹しました。 
 一方,水平の「運動」により,日本女性の人権が高まる働きがあったことも見逃すわけにはいきません。北米のキリスト教界の女性たちによる禁酒禁煙運動に刺激を受けた日本のキリスト教の女性たちは1886年に日本キリスト教婦人矯風会(当時東京婦人矯風会)を設立。禁酒運動,廃娼運動,DVからのステップハウスを展開しました。賀川豊彦の妻ハルを軸とした女性運動が広がる中で覚醒していきます。「教会内で女は黙っていなさい」という伝統的な聖書観から脱皮していきます。
 「ところが新川に住む,私の内心軽蔑してゐる人達(女性たちのこと)がこの勇気ある,そして他人の為になることを話せるその力に驚いた。全くイエスは人を強からしめると解った」93)。ハルは,教会内だけではなく,刑務所,孤児院,慈善学校,慈善病院,少年院といった領域にも足を運びながら,女性の生きる場は家庭内に限定されるのではなく,女性の能力があるゆる場所において発揮され得ることを具現化していくことになります94)
 東北ボランティアに赴いた女子高校生は語ります。「私たちは現地で初めて知り,怒りと驚きで言葉が出てきませんでした。…国は口々に復興は完了したと述べていますが,それは間違っているでしょう。福島の方々が他県と変わらない日常生活を行えるようになって初めて完了したと言えるのではないでしょうか」。彼女は「恩送り」とレポートを閉じています。「恩送り」は受けた恩寵を流布するという角度から,宗教性を帯びていると筆者は感じました95)
 ボランティアでいう「タコ」とは漢字で「他己」と書きます。「自己」の反対です。「利他主義」(英語altruism)は19世紀のフランスの社会学者オギュースト・コントによる造語です96)。被災地でタコになって,小さくされた人々に仕える働きが,女性たちの感性に伝わり,群れになって時の抑圧する体制に糾弾する起点になる場合があります。フクシマの小児性甲状線異常「多発」の発表を受けて,「子ども脱被ばく裁判」に立ち上がる母親たちもまさにボランティア精神で参加しています。
 神戸市垂水区西方院の坂井良行住職は言います。「命は誰のものでしょうか。自分のものですか。……私は『命とは借り物』と思います。何不自由ない暮らしでも,周囲に誰もいなければ幸せを感じることはできません。人の中にいて初めて命の意味を感じることができるのです。究極的には自分の命は人のためにある。これを仏教界では『利他』という言葉で表現します」97),と。
 自分のいのちを人のために用いるには「タコ」になりきるのです。海にいるタコも吸着力は強いように,公共性を全うするには粘着力が求められます。あまりにも執拗なので,ひもじい時には,自分の足を食べたりとか,「海から這い上がったタコが大根畑に,侵入し大根を畑から引っこ抜いて,海へと運ぶ」という言い伝えがあると,石巻市の恩人阿部捷一氏から2011年に牡鹿半島で聞かされました98)。「自己」中心の生き方から「他己」に脱皮するのです。聖書に「目からうろこがとれる」という言葉があります。行き方の価値観が変わるほどの体験,教訓,先人の語り伝えは含蓄があります。
 現地の人たちの痛み,苦しみ,くやしさに寄りそうには「他己」の吸着力はあまりにも微力です。「人の苦しみをやわらげてあげられる限り,生きている意味はある」, とヘレン・ケラーは述べました。資格,技能,体験が豊かな人たちは軍隊(自衛隊),政府,行政と連携しながらプロジェクトを実施できます。だから行政は頼みやすい構図があります。ハコモノを造るには周到な企画,運営機関,実施する財政が伴います。
 幼い子ども,とりわけ孤児,働きの大黒柱を失った女性,独居の高齢者は,一番後回しになります。阪神・淡路大震災や,東日本大震災は良い実例です。被災から立ち直るには,手厚い思いやり,気遣い,ケアが必要です。ハコモノの復旧,復興, 再建が緊急,迅速,潤沢な資金が投入される一方で,忘れられている陰があります。「寄留の外国人,孤児,寡婦」たちは見捨てられ,息をひそめている哀しみがあります。光と闇の二極です。孤児や寡婦にとり,空港,地下鉄,高度な医療施設とは無縁です。
 ボランティア活動も二極性があることを論じてきました。水平の「運動」は,助成,宗教団体の後ろ盾,潤沢な資金を用いて,外観を震災以前に戻す作業に効果的,効率,能率よく展開します。行政からも歓迎されます。一方,目立たないゲリラのような訪問活動は地味です。マニュアル,周到なスキル,資格を効率よく展開するのでもありません。現場主義ですから,ただ単独で地面をゴキブリのように徘徊するのです。行政,政府,自衛隊から見ればきもい存在です。公認のゼッケンもつけていなければ,特別な講習会でボランティア学習をしたこともなく,資格もない普通の人です。行政,専門家,医師たちが到着する前に,息も絶え絶えの人たちのところにだれよりも早く赴むきます。ライフライン,衣食住,健康に必要な生活を失った人たちの状態を見つけ,近づき,手当し,お世話します。時には,食べ物,生活費,応急手当を施します。必ずしも群れでなくても個人的,単独,ひとりでも仕えていく活動です。
 「神の国の到来」のプログラムは治癒奇跡の諸伝承を典型とした癒しと「開かれた共食」(open commensality)によって遂行されます。つまり,「分け隔てなく人々を招き,生活の中で共に飲み食いしながら,共に癒しあうことで,今,ここに神の国が到来する」99)を実現します。今,ここに成就していることを共感できる働きこそ,ボランティア道の方向性です。被災地の独居の高齢者,仮設住宅の孤立,孤独な人たち,孤児たちと共に食事ができるトポスが神の御国です。炊き出しをする動機は「いただきます」と頂点であられる超越論的存在から頂戴することを分かち合う場でもあります。
 共生,共苦,苦縁には,社会的な資格,学歴,技術は重要ではりません。へりくだりの精神が何よりもたいせつです。他者のために役立ちたいという志があればだれでもできます。

 c. ゴキブリでなければ「田・山・湾の復活」はなし得ない
 他者のため生きるとは,ゴキブリの存在でなければなりません。人類社会のはじめから忌み嫌われ,あるときには恐れられ,排除されてきたゴキブリは「御器(食器)をかぶる(かじる)」に由来します。ゴキブリは極限の状況でも生き残る生物です。どんなに乏しくてもどこでも生活できます100)。戦場であっても,ピカドンの被災地,世界の自然災害の被災地であってもゲリラのように徘徊します。メルトダウンした廃炉寸前の地獄でも動いています。除染ロボットのように錆びたり,試行錯誤ができず,ノズルがつまったりすることもありません。
 神戸国際支縁機構の理事である水垣渉氏は神戸新聞会館で語りました。「日本における現在のキリスト教は,人生に希望を説いており,地獄を忘れていると思われます。では,地獄は大昔の人だけの世界観なのでしょうか。東日本大震災では津波から辛くも助かった人たちは『振り返ると地獄絵図でした』と話しました。……震災で犠牲になった方はどこに行ったのでしょうか。……確かなことが一つだけあります。原発を手にした私たちの社会は事故によって地獄を作り出してしまいました。この現実から目を背けてはいけません。この罪を徹底的に突き詰めねばなりません」101)。風化とは忘却することです。被災地の復興が遅々として進んでいない現場,地獄体験をした人々に寄り添います。5年を経ても,多くはまだ仮設住宅,孤独な復興住宅,ひっそりと住む独居者は地獄を見ているため,トラウマ,PTSD(心的外傷後ストレス障害),失っていない人たちに対する殺意があります。  
 キリストは神である栄光を棄てて,人間を「取る」決断をしました。「世界が造られる前に,わたしがみもとで持っていたあの栄光」(ヨハネ 17:5)を持っていた神その方でした。「何であれ父のすることなら,『なんでも,子もそのとおりにする』(ヨハネ 5:19)とある。『わたしも』「ギリシア語カーゴー」(17節)と書かれている。つまり,子と父が同等であることを示唆している」神ご自身でした102)。しかし,地上で人々はイエスを罪人,冒とくの徒,悪霊の頭ベルゼブルの手下(マタイ 12:24)と揶揄したのです。
 冒頭に行きずりの人が倒れていたとしたら,どうするかという問いを申し上げました。
 イエスに「では,わたしの隣人とはだれですか」(ルカ 10:29)と尋ねた場面があります。たとえ話には半死半生の行き倒れの人を黙殺したレビ人が出ています。宗教的祭事をたいせつにしたため,知らんぷりをしてその場を通り過ぎたのです。キリストは自らの教義,集団,儀礼,宗教的経験が永遠のいのちにつながると述べませんでした。「隣人を愛する」行為が「永遠のいのち」に結実します。隣人とは,サマリア人であり,異教徒でした。「『だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』 律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで,イエスは言われた。『行って,あなたも同じようにしなさい。』」(ルカ 10:36,37)。「同じように行なう」(ギリシア語 ポイエオー<行なう,実施する,働く>)ことをせず恵みによって救われたままで満足しているのは自称キリスト者です。キリストを知らない人です。ゴールに向かわずにいつまでもスタートラインでもたもたしてはいけないのです。隣人であるというのは,教会,儀式,洗礼によって資格が与えられているのではありません。他者,他宗教を排除する独善性があってはなりません。他己のために隣人であるべきです。ディートリッヒ・ボンヘッファー[1906-1945]はイエスが「私の隣人とはだれのことですか」の問答について註解しています。「隣人であるということは,他者によって資格があたえられるものでなく,むしろ彼が私につきつけて来る要求であり,それ以外の何ものでもない。……私は他者にたいして隣人であらねばならない」103)「彼が私につきつけて来る」垂直的な介入があって隣人をたいせつにすることができるとボンヘッファーは説きます。隣人に親切なサマリア人はキリスト者ではなく,異教徒です。したがって,イエスは信仰の自覚があるか否かではなく,隣人をたいせつにするボランティア道こそが「他者のための存在」になります。キリスト教界が敵としてきた異教徒の中に,真の「キリスト者」(クリスティアーノス 使徒 11:26; Ⅰペトロ 4:16)がいるアイロニーがあります。したがって,イエスは回心,信仰,受洗したかどうかで判断されません。「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者が皆,天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ 7:21)と,「行う」者だけが恩恵を受けます。「行なう」ポイエオーとは生き様です。さらに文脈の23節では『あなたたちのことは全然知らない』とまで言い放ちます。「知らない」とは「我と汝」の関係になく,御国から隔絶されています。水平の「運動」として布教,占領,流血に明け暮れた自称キリスト者の社会事業も聖定から脱線し,神に栄光を帰すのではなく,大聖堂,荘厳な典礼,グレゴリアン聖歌などがキリストの代理者として君臨してはいまいかと迫ります。たえず聖書に戻るように改革されなければなりません。(Ecclesia reformata semper reformanda [ラテン語 エクレシア・レフォルマタ・センペル・レフォルマンダ])。

 神は前もって知っておられた者たちを,御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは,御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。(ローマ 8:29)。「御子の姿に似るもの」とキリストへの主似化には共生,共苦,苦縁が伴います104)
 4月16日に本震があった熊本で,デマが飛びました。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」らしいと言うのです。関東大震災では,朝鮮人と見れば見境なく暴行し,あるいは殺害するという行動を警察や軍隊だけでなく,民も加わりました105)。流言やメディアの官製報道にクリティックできる資質もボランティア道には期待されます。朝鮮人の痛みを共感し,共に傷つく賜物を問われています。ボランティア道に見いだされる一寸の虫にも五分の魂です。
 キリスト者だけが共生,共苦,苦縁のボランティア道を貫くのではありません。たとえば,天理教の信仰とは陽気暮らしをするために苦しむ宗教である,と言われます。陽気暮らしをするために苦しむ宗教である,ということです。陽気暮らしはこころも体も助かった状態なんですけれども,それを目指して格闘して苦しんでいかなきゃいけない。それが信仰者の使命と考えます106)
 キリスト者があえて現場で労苦を体験することをいとわず,継続するのはどうしてですか。「もし子供であれば,相続人でもあります。神の相続人,しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら,共にその栄光をも受けるからです」 (ローマ 8:17)と書かれています。うめきに「共苦」する宗教者ならば,「共に苦しむ」(スムパスコー スン「共に」+パスコー「苦しみを受ける,苦難を経験する」( 参照 マタイ 17:12, 使徒 1:3)ために,苦縁により,地元の兵庫県の丹波水害にも出かけて行きました。スプランクニッツォマイは英語で,have a compassion with~です。107)。日本語にはない言葉であり,琉球の言葉チムグルシー(胆苦しい)が一番適切な意味を持っている語です108)。痛めつけられた人々と共生するボランティア道こそ隣人愛の突破口です。

<結論> 
 東北ボランティアに参加した大学生,高校生,若者たちの多くは,東北などの被災地で「ええことしてあげた」という自己満足を味わったのではありません。「田・山・湾の復活」を知っているか,知らず,無意識のうちに田んぼにおいて手で田植え,稲刈り,天日干し,脱穀,薪づくり,炭焼き,養殖などに仕えています。縁ができることによって共生,共苦,苦縁のつながりが生み出されます。すると紡がれたつながりは垂直の「活動」だったと気づかされるならボランタリズムの真髄です。孤児ややもめを世話するのは神の「正義」を実現しているからです。聖霊の通り管として,神の道具になっています。一方,水平の「運動」は行政・政府・国家の働きの肩代わりや補完的な運動を繰り広げます。あまたの人々の関心をとらえるために日本の官僚制度ができなかった先駆的役割を担う開拓性を発揮するでしょう。しかし,私たち「ボランティア道」は人権思想には共同歩調をとりながらも,人種差別反対,核廃絶,環境エコロジーを守る「運動」に対しては微力です。市民運動,社会運動,政治運動とは無縁のようであっても点が線になり,やがて面へと広がる場合があります。なぜならボランタリーな活動は現場,地域,周縁と紡ぎ合っているからです。領域 realmという境界線,言語,国籍を超越して,世界,辺境地,地球の裏側であっても,速やかに現場に急行します。ボランティアの道場,ゲレンデは「うめき声」があるところです。自発的,公共性,無償性をもって,寄り添うのです。寄り添うとは,徹底的に相手側の状況や都合に合わせることであって,こちら側の条件,資格,経験を問いません。いつでも,だれでも,どこでもできるのがボランティア道の断面図です。

出典

 1) 『宗教と現代がわかる本』(島薗進共 平凡社 2012年 139頁)。
 2)“Biblia Sacra Vulgate”Deutsche Bibegesellschaft Stuttgart 1994。
 3) 『羅和辞典』(田中秀央 研究社 1964年)。
 4) 『類語国語辞典』(大野晋,浜西正人 角川書店 1985年)。
 5) “Webster’s Third New International Dictionary”Merriam-Webster 1993 voluntaryの類語説明。
 6) 『青年と奉仕』第94号(中田幸子 日本青年奉仕協会 1975年 6月号)。
 7) 拙論「キリスト教と非戦」。
 8) 『福祉の哲学』(阿倍志郎 社会福祉専門職ライブラリー 1997年 90頁)。
 9) 『ボランティア論』(川村匡由 ミネルヴァ書房 2006年 2頁)。
10) 「自ら進んで」(ギリシア語エクースィオース[副]<エコーン「自発的に,自ら進んで,喜んで;故意に,わざわざ,ことさらに」の意)英語はwillfully 1, willingly 1, voluntarily, willingly, of one’s own accord。
  Phm 1:14 あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは,あなたのせっかくの善い行いが,強いられたかたちでなく,自発的になされるようにと思うからです。
    sine(スィネ) consilio(コンスィリオ) autem(アウテム) tuo(トゥオ) nihil(ニヒル) volui(ヴォルイ) facere(ファセレ) uti(ウティ) ne() velut(ヴェルトゥ)    
    ex(エクス) necessitate(ネセッスィターテ) bonum(ボヌム) tuum(トゥム) esset(エセトゥ) sed(セドゥ) voluntarium(ヴォルンタリウム)
11) 『新約聖書ギリシャ語小辞典』改訂第4版(織田昭 日本コンピューター聖書研究会 2010年)。
12) 「各自,不承不承ではなく,強制されてでもなく,こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」(Ⅱコリント 9:7)。
  unusquisque(ウヌスクイスクエ) prout(プロウトゥ) destinavit(デスティナヴィトゥ) corde(コルデ) suo(スオ) non(ノン) ex(エクス) 
    tristitia(トリスティティア) aut(アウトゥ) ex(エクス) necessitate(ネセッスィターテ) hilarem(ヒラーレム) enim(エニム) datorem(ダトーレム) 
    diligit(ディジィトゥ) Deus(デウス).(彼はわたしたちの勧告を受け入れ,ますます熱心に,自ら進んでそちらに赴こうとしているからです。Ⅱコリント 8:17)。
    わたしは証ししますが,彼らは力に応じて,また力以上に,自分から進んで,(Ⅱコリント 8:3)。聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと,しきりにわたしたちに願い出たのでした。(Ⅱコリント 8:4)。
13) 『まあるい地球市民の会のボランティア・キーワード145』―ボランティア学習事典(永井順國共 日本ボランティア社会研究所 日本ボランティア学習事典編集委員会 2003年 22頁)。
14) 『ボランティア論』(中嶋充洋 中央法規 2002年 15頁)。
15) 『NPOが自立する日―行政の下請け化に未来はない』(田中弥生 日本評論社 2006年 74頁)。
16) 『ボランタリズム研究』No.1(岡本榮一共 大阪ボランティア協会 2011年巻頭言)。
17) 『ボランタリズム研究』No.1(同 15頁)。同論で仁平氏は「国家がボランティア活動や市民活動を特定の形に歪めたり,規制によって従属させようという時に,それを「動員」として批判するという形態をとった。
18) “Theological Dictionary of the New Testament” (TDNT)Ⅲ Gerhard Kittel Eerdmans Publishing Company 1977 p.796)。
  「所有放棄」においては物質的な所有物の放棄だけでなく,家族,故郷,職業を含んだあらゆるものの放棄が意味されており,その意味において,所有放棄は何より,生き様の転換を示すものである。
  それに対して「施し」においては具体的に物質的な財産,それも余剰の富が問題にされており,ルカによるとそのような余剰の富は貧しい者に分け与えなければならないのである。「神学研究―ルカ文書における所有放棄と施し」第51号(嶺重淑 関西学院大学神学研究会 2004年30頁)。
19) デーモスの同義語であるラオス(≪神の≫「民」イスラエルを示唆)が次のように用いられます。「ホセアの書にも,次のように述べられています。『わたしは,自分の民でない者をわたしの民と呼び,愛されなかった者を愛された者と呼ぶ」(ローマ 9:25)と。「自分の民」イスラエル民族に用いられたりします。デーモスから英語デモクラシーが派生しています。聖書でデーモスィオスは「使徒たちを捕らえて公の牢に入れた」(使徒 5:18)が出ています。「公の」(「公共の」「国家の」)として用いられます。(『新約聖書釈義事典』Ⅰ 教文館 1994年 343頁)。
  旧約『セプトゥアギンタ訳』にはない「デーモスィオス」は「民衆」( デーモス「公の行動をする民衆」)に由来します。したがって,聖書の用語から「コモン」は垂直的に超越した存在からの「公共の」ニュアンスがあること示していました。 
  一方,デーモスィオスは国,行政,関連当局による「公共の」という文脈でも用いられています。
   (“Theological Dictionary of the New Testament” (TDNT) Ⅱ Gerhard Kittel Eerdmans Publishing Company 1977 p.63)。
20) 「ボランティアの語源は,ラテン語の『Voluntarious』(「切に求める」の意味)にまでさかのる」(『まあるい地球市民の会のボランティア・キーワード145』ボランティアの項)と定義されていますが,ボランティアの語源は聖書ギリシア語アウタイレトスと紹介すべきです。
21) 『公共性の構造転換』(ハーバーマス 細谷貞雄訳 未來社 1973年 2頁)。
22) 『公共性の構造転換』(同 326-329頁); 『ボランティア学研究』Vol.1―ボランティアと公共性(入江幸男共 国際ボランティア学会 2000年 47-48頁)。
23) 『<癒し>のナショナリズム―草の根運動の実証研究』(小熊英二共 慶應義塾大学出版会 2003年 44-46頁)。
24) 『社会運動の力―集合行為の比較社会学』(シドニー・タロー 大畑裕嗣訳 彩流社 2006年 20,22頁)。
25) 『ティリッヒ神学における存在と生の理解』(茂洋 新教出版社 2005年 239頁)。
26) 『ハンナ・アレントの政治思想』(マーガレット・カノヴァン 寺島俊穂訳 未來社 1995年 102,103頁)。
  ハンナ・アーレントは,最終的には人々の「活動」(activity)によってのみ「公共性」が担保されると主張した。『キリスト教福祉の現在と未来』(稲垣久和共 キリスト新聞社 2015年 109頁)。
27) 『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学』(仁平典宏 名古屋大学出版会 2011年 42頁)。
28) 留岡幸助については『ブリタニカ百科事典』が「1894年渡米し,欧米行刑制度を研究,……1900年以降は内務省嘱託となり,地方改良運動や社会事業調査会会員として活躍した」と紹介。
29) 『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学』(同 60-61頁『人道』280号 1929年)。
  「恤救[じゅっきゅう]規則」 1874年-1931年の日本にあった法令。「パラ贈与」(37頁) 恤救規則は,原則として[人民相互ノ情誼(じょうぎ)]で対処。つまり国が社会保障の機能を果たさない代わり,人間同士の人情,誠意(情宜)やそれをもとにした相互扶助や「慈善」など,自発的な<贈与>のたいけいによって代替することが期待されている。
30) 『神戸と聖書』(「神戸と聖書」編集委員会 神戸新聞総合出版センター 2001年 62頁)。
  ベリーが明治9年に提出した播磨,大阪,兵庫,京都の四大監獄視察報告「獄舎報告書」をもとに,近代日本の監獄法が制定されたのです。1891年に教誨師となる留岡幸助より,前に,原胤昭「1853-1942]はベリーの生き様から感化を受け,1888年,日本人として最初のクリスチャン教誨師になっています。監獄教誨の働きは1872年に真宗大谷派僧侶鵜飼啓潭師が名古屋監獄で許可されています。
31) 「ボランタリズムと市民社会」(ロバート・ペッカネン 岡本仁宏訳 『ボランタリズム研究』(同 38頁)。
  “In The State of Civil Society in Japan―After Aum: Religion and Civil Society in Japan”(Helen Hardacre Cambridge University 2003 p.133-153) 
  <参照>https://www.youtube.com/watch?v=TfuFxi-TNIk; “The Structual Evolution of Religious Communities in Japan―The Commercialization of the Sacred”(Susumu Shimazono Socail Science Japan Journal 1 No.2 1998 p.181-198)。
32) 「陰徳」(人知れずよいことを行う者に は,必ず目に見えてよいことが返ってくる『大辞林』);『福祉の哲学』(阿倍志郎 社会福祉専門職ライブラリー1997年 92頁)。
  日本中が金銭勘定や自己責任とやらを脇に追いやって,と人のつながりに目覚め,「私も役に立ちたい」との思いを強くした。市場経済や交換経済のなかで生きていたはずの日本人が,突如,贈与と互酬の経済に復帰したかの感がある。交換原理が支配する現代社会では,危急の際,各人が身を守るのは「自助」であり,そのため各人は営々と貯蓄に励み,致富をめざす。頼りは金のみだ。そう思われている。これに対して互酬の経済社会では,いざというときモノをいうのは貯えでなく,援助のネットワークつまり「互助」「共助」である。津波ですべて流失したあと,被災者にとっていちばん心強かったのは「金」ではなく「絆」であった。山田鋭夫(九州産業大学経済学部教授 生活経済政策 2011年10月号掲載)。
33) 『聖書と経済』(山本栄一 関西学院大学出版会 2007年 104,119頁)。
  イエスの言葉に「人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい」(マタイ 7;12)の黄金律(golden rule)があります。人に迷惑をかけるくらいなら何もしないとか,人の嫌がることはするなという消極的な教えを超えて,積極的な行動指針をすすめています。第十戒の隣人に対しては消極的に「貪らない」ということに止まらず, 「思いやり」や「慈悲」といった積極的な行為が求められます。
34) 『ボランタリズム研究』No.1(岡本仁宏共 大阪ボランティア協会 2011年 6-10頁)。
35) 『ボランティア学研究』Vol.1―ボランティアと公共性(入江幸男 国際ボランティア学会 2000年45-47頁)。神戸国際支縁機構のホームページ
  http://kisokobe.sub.jp/article/proposal/7613/参照。
36) “A Hebrew and English Lexicon of the Old Testament
(William Gesenius Francis Brown 1979 p.201-203)。
  拙論 「ボランティア道―阪神・淡路大震災から20年」(ラジオ関西 2015年1月9日)。
37) 『滅亡の予感と虚無をいかに生きるのか』(勝村弘也共 関西神学塾編 新教出版社 2012年 100頁)。……なるほど,原発事故が起こちゃったら,お金は役に立たないですよね。事故を終息させるのに金はかかるでしょうが,金をばらまいたからと言って事故が終息するわけではない。金の力で地震も津波も止められません。……お金とか冨とか全然役に立たない瞬間というのが,社会にはあるんですよ。その時に問題になってくるのが「義」です。それは,ひょっとしたらボランティア活動のようなことに読み替えることができるかもしれません。
38) 『小さくされた者の側に立つ神』(本田哲郎 新生社 2003年 160頁)。拙論「福音とは 何か」(神戸国際キリスト教会礼拝説教 2014年9月21日)。  http://kisokobe.com/kicc/2015/09/30/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%E 
  4%BD%95%E3%81%8B/

39) 『キリスト教人名辞典』(日本基督教団出版局 1986年 161頁)
  ジョージ・ミューラーの一部のみ引用。青年時代放縦に走った……ブレザレンに加わり説教者となる。物的にも霊的にも必要なものは信仰と祈りによって与えられるとの確信に立ち,維持献金制度を廃し,俸給をも辞退して協力者の献金のみをたよりに慈善事業に着手。
40) 「中外日報」“伝えたい 忘れない⑪”(北村敏泰 2016年4月15日付)。北村敏泰氏の著書『苦縁』には宗教者の轍が記録が網羅。
41) 『新しい時代を創る社会教育』(伊藤俊夫 全日本社会教育連合会 2010年 43頁)。
42) 『希望への力』(興梠寛 光生館 2006年 52-53頁)。自分のなかにある他者が必要とするものを提供し,分かちあうことをとおして,自分自身が必要とされる存在であることを自覚できたのである。その瞬間から,自分を肯定的に確認し,自分自身の存在の意味を知ることができたのだ。二人(少年と少女)は“意味ある他者”の出現によって,“意味ある自分”を発見することができたのだった。
43) 『記録阪神・淡路大震災被差別部落』(日野謙一共 兵庫部落解放研究所編 1996年 273頁)。
44) 拙論季刊誌「支縁」No.14(神戸国際支縁機構 2016年 1頁)。
  「阪神間の若者たちも南海トラフに対する備えの意識もしっかりしていません。阪神・淡路大震災で6千名以上の人々が犠牲になったことを風化させない,忘れない,いのちを大切にするために,現場に足を運ぶことが有効な方法のひとつです。たとえば兵庫県は震災借り入れ住宅に高齢者が20年経っても出て行かないように配慮した例がありました。しかし,兵庫のキャナルタウンの高齢の入居者に部屋の明け渡しを神戸市は法律で迫り,追い出そうとします。無慈悲な行政に怒っている高齢者たちがいます。「終の棲家(ついのすみか)」として住めないからです。
 身近なところにも明日への希望をもてない60代,70代の被災者が神戸にいます。阪神・淡路大震災で住む家を無くした人たちは今,労働もできず,蓄えもなく,身寄りもありません。キング牧師は「後世に残るこの世界最大の悲劇は,あしき人の暴言や暴力ではなく,善意の人の沈黙と無関心だ」と言いました。阪神・淡路大震災の時,ボランティア元年として起こった「支え合い」「助け合い」「向き合い」による心のつながりがユートピアのように人々を励まし合いました。生きているいのちを感謝しました。しかし,いつしか,阪神・淡路大震災や,東日本大震災直後の時に起こった一時的な共同社会は効率優先社会を目指す掛け声で消えてしまいました。サイクロン「パム」で被害を受けた直後にバヌアツでお会いしたボールドウィン・ロンズデール大統領は,日本の世界防災会議に出席しました。「仙台に行ってみて日本はまた元の木阿弥に戻って,物質繁栄を追い求めている状況には残念でした」と率直に語られました。共苦,共生,苦縁する家庭,地域,国全体の姿勢が求められています」。
45) 拙論「ボランティア道―阪神・淡路大震災から20年」(ラジオ関西2015年1月9日 午後6時30分)
  「話し合う友として,語る対象を失った人たちの呻きの孤独に隣り合わせるのです。「喜ぶ人と共に喜び ,泣く人と共に泣きなさい」 (ローマ 12:15)と寄りそうのです。西暦1世紀,マリアとマルタは兄弟のラザロがなくなり,悲しみに打ちひしがれていました。「イエスは,彼女が泣き,一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て,心に憤りを覚え,興奮して,……涙を流された」 (ヨハネ 11:33-35)と記録されています。宗教者であろとなかろうと,哀しみの息により,横隔膜の筋力が弱っている人に出会うならば,感情移入するものです。「終わりに,皆心を一つに,同情し合い,兄弟を愛し,憐れみ深く,謙虚になりなさい 」 (Ⅰペテロ 3:8)の気持ちに揺り動かされます。「同情し合い」(ギリシア語  スムパセース 「共に」+「痛む」の意。英語sympathy ≪同情,あわれみ,同感≫の語源)が動機になります。 つまり,同じ痛みを共有します。共苦を自然体で表します。「心を一つ」(ギリシア語 ホモフレーン 「横隔膜を一つに」の意)になってはじめて他者との間柄性が生まれます。
46) 拙稿「日本の宗教風土とキリスト教」(KBHキリスト教世界シリーズ 2012年7月17日),『新約聖書釈義事典』Ⅱ(教文館 1994年 197-1987頁)。「宗教」は仏教用語であり,「宗」(言語によって表現できない究極の真理)と「教」(言語によって表現された教え)。英語religionはラテン語religioレリジオ(語源religo<結び上げる,結びつける>)の派生語です。つまり英語の「宗教」は断絶していた神と人間を結びつける道を意味します。(『キリスト教とイスラム教』(ひろ さちや 新潮選書 1990年 23頁)。
47) 『感謝』(社会福祉法人暁光会創立50周年 3,21頁)。1956年に神戸エマウスを創立(暁光会本部)。エマウス(Emmaüs)運動とは,家のない人を食事に招き,宿を提供。ルカ 24章13節の地名からとられた。1949年フランスのアベ・ピエール神父が提唱。信条は「人間は人に奉仕することをとおしてはじめて救われる」。バラード神父の影響を受けた須賀敦子[1929-1998]は「朝日新聞」(1972年5月5日付)に「クズ屋の楽しみとして」「エマウスの家の女あるじ」として報じられる。
48) 「野宿もゆるされない時代」(野々村耀共 神戸YWCA夜回り[仮] 活動報告書 Vol.10  2015年 23-24頁)。
49)  http://www.core100.net/project/jikko.html
50) 『神はわが牧者』(大宅壮一 「噫々賀川先生」 1960年)。
51) 『賀川豊彦とボランティア』(竹内勝・村山盛嗣 神戸新聞総合出版センター 2009年 317頁)。
52) 『カルヴィニズム』第32号(稲垣久和 カイパーと賀川豊彦 日本カルヴィニスト協会 2016 40頁)。「この共同組合運動を思い付いたのは,英国のロバアト・オーエンであった。オーエンはすでに1824年頃からこの共同組合(co-operative society)という言葉を使い始めている。然し惜しいことには,彼はこれを単に生産的共同組合科学とのみ考えて,精神的意識的,又宗教意識の上に基礎づけられた,経済運動であることに思い到らず従ってそこまで育て上げることが出来なかった」。こう述べて次に1844年12月31日に,英国のロッチデール(Rochidale)市で,キリスト教博愛主義を根本にして,28人の織物職工たちが一ポンドずつ出し合って小さな組合を組織したのが共同組合のはじまり,と続けます。そのときの三原則とは①利益払い戻し ②持分の制限③出資額によらず一人一票の投票権,ということになります。次いでこの三原則を改良してドイツのフレデリック・フォン・ライフアイゼンが1872年にキリスト教精神で民間の共同組合保険(信用組合)を作った,と。
53) 『キリスト教入門』(賀川豊彦 大泉書店 1950年 27-33頁)。
54)『講義録』Vol.4 (鳥飼慶陽 日本聖書協会発行 2012年 155頁); 『聖書の話』(賀川豊彦 社会思想研究会出版部 1957年 18頁)。
55) 田辺健二(賀川豊彦献身100年展 鳴門市賀川豊彦記念館館長 2008年)。
56)「パラ贈与」 448頁。
57) 拙稿『神戸と聖書』(「神戸と聖書」編集委員会 神戸新聞総合出版センター 2001年 210頁)。
58) 『賀川豊彦 その社会的・政治的活動』(K-H・シェル 後藤哲夫訳 2009年 167頁)。
59) 『聖書の話』(「要選書31」要書房 1952年 25頁)。
60) 「パラ贈与」 448頁。
61) 『貧民心理之研究』(賀川豊彦 警醒社書店 大正4年 98-99頁)。「私は主として,人種説を取る。……彼等の皮膚を研究すれば,穢多には一種特別の人種があることは確かである。例へば,彼等に白哲種が多いことである。之は實に驚く可き事實で,どうしてもカウカサス種の子孫としてか私には取れないのである。穢多の間に美人が多いことは誰も認めて居る處であるが(遠藤氏も認めて居られる)之等も何かその邊に人種的起源があるのは確である。然し,穢多が混合種であることは拒むことは出来ぬ」。  
  『ともに生きる』(山折哲雄共 松沢資料館 2010年 99頁)。
62) 『釜ヶ崎と福音』(本田哲郎 岩波書店 2009年 134-135頁),
  『余白の波』(瀬戸内晴美 中央公論社 1971年 85-87頁),
  『荊冠の神学』(栗林輝夫 新教出版社 1984年 459頁)。
63) 「国際協力事業団」1985年17頁。末次は日本健青会をつくり,ボランティア活動を日本中に展開していきます。同時に,戦後,シベリア抑留者,南方戦地からの引揚げ者の援護,戦争孤児,浮浪児のためボランティアをはじめる。
64) 『未開と貧困への挑戦―前進する日本青年平和部隊』(末次一郎 毎日新聞社 1972年)。
  「当時,世はあげて,社会主義か資本主義か?と,日本の将来の方向が論議されていた時であったが,われわれはそうした旧い観念の物差しで測るのではなく,それを超えた新しきものを創らねばならぬということであった」(『健青運動十五年史』健青運動十五年史編纂委員会 1964年 43頁)。
  末次は「草の根大使」「友情の大使」として世界の平和に貢献。
65) 『広辞苑』第六版 岩波書店 2008年 樹の陰などに生えて人に顧みられない草。
  「日本健青会綱領」に,①われらは日本青年の誇りと責任に生き,同士とともにきびしく鍛えあい,常に国家,社会に有為の人たるべく努力する,とあり「有為の人」なるべくボランティア精神を 発揮するように立ち上がった。戦後1949年に「日本健青会」を設立。全国支部152,会員3万7千。健青会員は『若い力の歌』を歌って高揚した。後に,青年協力隊の隊歌として歌い継がれる。(『健青運動十五年史』同 278,289頁)。
66) 『日本ボランティア学会』(2007年度学会誌 秋葉武 日本ボランティア学会 2008年 91頁)。
67) 『日本ボランティア学会』(同 94頁)。A級戦犯収容していた巣 鴨プリズンの慰問で親しくなった岸信介[のぶすけ 1896-1987]たちとの交流が右翼運動とみなされるし,歴代の大臣たちも末次の前で直立不動であるほど一目置かれていた。「海外協力奉仕隊の構想とその経緯――日本的平和部隊構想推進のために」(福本孝 自由民主党政務調査会編『政策月報』99 1964年 76-84頁)。
68) 「校風は当時では考えられないほど自由奔放で,国体を批判しようが,八紘一宇を疑おうがおとがめなし。むしろ「天皇のために死なず」という気風すらあった。自分たちが命を捧げる対象は,天皇でもなく,政府,軍部でもなく,日本民族である,民族を愛し,民族の捨て石となって喜んで死ぬことができるか――を問うた。こんな精神教育の上に立ち,命も名もいらぬ人間として諜報技術を叩き込まれた」(『たった一人の30年戦争』(小野田寛郎 東京新聞出版局 2000年 50頁)。
69) 国体論:『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社 2007年)。日本主義ともいう。時期により変遷はあるが,血統的に一系の天皇をいただく日本の国家体制の〈優秀性と永久性〉を強調する国体論は江戸時代の国学者である本居宣長,平田篤胤などに源を発し,国民の団結にじゃまになるような異質者の存在を認めない。
  末次逝去の際,葬儀委員長であった中曽根康弘[1918-]元首相は末次について「私たち復員者の鑑」,「戦後日本の『幕末奇兵隊』の高杉晋作にも比すべき烈士」,「国士」と述べた。
70) 「パラ贈与」 267-269頁。
71) 『未開と貧困への挑戦―前進する日本青年平和部隊』(同 117頁)。
72) 『日本ボランティア学会』(同 92頁)。
73) 『青年海外協力隊の虚像―天下りの温床』(元青年海外協力隊隊員 石橋慶子 健友館 1997年 234-235頁)。
74)『武士道』(新渡戸稲造共 三笠書房 1989年 96頁)。
75) 「第二次世界大戦後の日本における浮浪児・戦争孤児の歴史」(逸見勝亮  日本の教育史学教育史学会紀要第37号 1994年 112-113頁)。
76) 『大津波と原発』(内田樹共 朝日新聞出版 2011年 117-119頁)。
77) 『ボランティア学研究』Vol.5 (山口一史共 震災ボランティアの10年 国際ボランティア学会 2005年 3頁)。
78) 『神戸と聖書』(宇都宮佳果共「神戸と聖書」編集委員会 神戸新聞総合出版センター 2001年 151頁)。
79)『阪神大震災と国際ボランティア論』草地賢一の歩んだ道(『草地さんの仕事』刊行委員会 エピック 2001年 98頁); 「ボランティア精神を語る」(草地賢一 神戸医師協同組合発行・神戸医協ニュース 1997年5月1日~12月1日号連載)。
80)『憲法に緊急事態条項は必要か』(永井幸寿 岩波書店 2016年 6頁)。「緊急事態条項」は災害現場で有害と唱える津久井進弁護士は「国のトップに権限を集中させると,現場は『指示待ちモードに陥って思考停止となる』と警鐘乱打。(「朝日新聞」2016年4月5日付)。
  大田正紀『講義録』Vol.3―浦上四番崩れキリシタンの受難の記憶―(日本聖書協会発行 2011年 12頁)。「最後の一句」(1915)に見られるように,「官」と「民」の 対立は(森)鴎外文芸の1主題をなすものです。無実の信徒を虐殺した「官」の非道もさることながら,傍観するしかなかった「民」の記憶が,終生鴎外の精神的外傷(トラウマ)として残っているように思われます。
81) 独立行政法人国立青少年教育振興機構(2011)「青少年の体験活動等と自立に関する実態調査 青少年団体に所属している子どもの割合(平成22年度)。
82)『神戸市水害復興勤労奉仕記念』(田淵潔 神戸市役所 1938年 巻頭言)。『自然災害科学』(「昭和13年阪神大水害『災害誌』群の研究」加藤尚子 独立行政法人国立環境研究所 2007年 291-305頁);本山村誌編纂委員会:本山村誌,本山村誌編纂委員会,1953年。
83)『水害復興勤労奉仕』(兵庫縣学務課 1938年 64頁)。充分に修養の道場を與へられ,終始日本人としての氣持,日本精神を感味しつヽ,二度と得られぬ尊き體驗を得たことは喜びの中の喜びである。そして,これ等の靑年が地方に還つても,その生活の上に,將又生業の上に影響して活動の源泉となりつヽあることは限りなく收穫である。
  それは凱旋せる勇士が戰線と銃後をつなぐ楔となつて,終始緊張の態度を示せるが如く,選ばれたるこれ等靑年の體驗は郷土の人々に精神的によき感化を及ぼし,議論ではなく,言葉でもなく,生活即日本精神の態度を示しつヽあることは,銃後奉公に於ても大飛躍をとげつヽある現下日本のために眞に喜ぶべきことである。「銃後」:戦線の後方。転じて,直接は戦争に参加していない一般国民や国内をさす。
  『大辞林』(三省堂編修所 第三版 編者 松村明 2006-2014)。
84) 「日本の国際協力を代表する青年海外協力隊は,山形県青年団の経験から生まれている。」との書き出しから始まる海外協力隊生みの親の一人,寒河江善秋の物語が山形新聞で連載。「山形新聞」(2012年9月23日付) (早稲田大学矢口徹也教授)
  日青協: 青年団の前身である青年会は,当初は市町村のような行政組織ではなく,部落の地縁組織の一つであり,若者の風紀の乱れを正し,精神修養と心身鍛練を行う場として明治期より展開してきた。やがて日露戦争時の青年会による銃後活動の盛り上がりが軍部の目にとまり,次第に行政からの指導が強まる中,青年会の町村単位での統合が進んだ。この動きは全国的な郡市連合青年団の結成へと向かい, 地域青年団は,1924年には中央機関として大日本連合青年団が成立,中央集権的な組織体制ができあがっていました。青年団は国民強化の中核組織として位置づけられ,精神修養・心身鍛練のみならず軍事訓練も含んだ銃後活動が強化され,総力戦体制に飲み込まれていった不幸な時代も経ています。「皇国の道に 則り,男女青少年に対し団体的な実践鍛錬を施し,互に共励切瑳・確固不抜の国民的な性格を錬成して負荷の大 任を全うする」ことを目的としていた,しかも中央団長には文部大臣,下部組織ではそれぞれ知事・市町村長が団 長に就任して,統合的組織体であつた期間もある」と記録されています。
  戦後はその反動として,「パラ贈与」258ページにあるように,左派(共産党)などに席巻されそうになる試練の時もありました。現在も同―市町村の地域に居住する20歳代から30歳代の青年男女により組織されています。
  (a)趣味的レクリエーション的なもの(運動会・音楽会・演劇会・句会・華道等) (b)産業経済的なもの(農事改良・養魚・農産加工等) (c)奉仕的なもの(道路橋梁の補修・除雪・廃品回収・共同募金・不良化防止等)に取り組みます。 しかし,青年団は農業従事者主体の組織であったため,若年農業従事者が減少している影響で撃滅していきます。
85) 『スピリチュアリティと平和』(阿久津正幸 ビイング・ネット・プレス 2015年 121-124頁);拙論「英国訪問 イスラーム教世界大会 2015年8月21-23日」 Department Archived from the original on 20 February 2008. Retrieved 18 February 2008.
  『FOR BEGINNERS イスラーム教』(安倍治夫 現代書館 2002年 43頁)。
86) 福岡県立大学人間社会学部紀要 第14巻 第2号― 76 ―福岡県立大学人間社会学部紀要 細井勇「石井十次及び岡山孤児院に関する先行研究のレビュー 2006,vol.14 No.2. 75-94。「石井十次及び岡山孤児院に関する先行研究のレビュー室のような社会運動家はいささかも日本精神を根底から変革しようとするものではなかった(107頁)」。
87) 『自由組合論』(賀川豊彦 警醒社書店 1921年 6,77,103頁)。「『賀川さんこれでも無抵抗主義ですか?』と云うのはまだ善い,出る辯士出る辯士の凡ての演説に多少階級争闘的の文句があれば,その野次は必ず私に關連して居た。『賀川を葬れ』『賀川豊彦よよく聞け』と云うのであった」。
88) 拙稿『神戸と聖書』(神戸新聞総合出版センター 2011年 212頁)。拙論「目薬」誌 №.23 2001年 10-14頁,同 No.24 11-14頁。
89)『阪神大震災と国際ボランティア論』草地賢一の歩んだ道(小泉勇治郎 同 68頁)。小泉教授は同ページで,「草地さんのボランタリズムの原点はここにあると言ってもよいだろう。『異議を申し立てる』これが『言われてもやらない,言われなくてもやる』につながっている」と語る。
   草地賢一の後継者村井雅清氏は言う。近年,災害時にボランティアが果たす役割が注目を浴びるようになり,その重要性が認められれば認められるほど,奇妙なことに,「災害直後に大勢のボランティアが行くと,被災地が混乱する」という根拠不明の言説が広がっていった。そして,被災地に迷惑がかからないようにボランティアを管理しなくてはならない,現地で活動する際の規範をマニュアル化して守らせないといけないという方程式が,いつの頃からかできてしまった。『災害ボランティアの心構え』(村井雅清 ソフトバンク新書 2011年 27頁)。
90) 『賀川豊彦』愛と社会正義を追い求めた生涯 (ロバート・シルジェン 新教出版社 2007年 87頁)。
91) 『維新の精神 第三版』(藤田省三 みすず書房 1979年 75頁)。「人および人の関係の人による救いではないか」。「ここではキリスト教に特殊な本源的人間に関する普遍的な『救い』が現実的な特殊人の特殊面における一時的な救いに癒着され混同されているのである。信仰の超越性が伝統的に弱くて信仰がつねに道徳や習俗や運命への感傷とくっついている日本精神のもとでは宗教のこうした思想的頽廃の傾向が絶えずあるわけであるが,賀川や山室もまた社会運動家として真面目であり精力的であり不屈であったにもかかわらず否ある意味では,社会運動の中に全心的に埋没したことによってこの伝統的な宗教思想の頽廃の流れの中に立ち返ったのである(103頁)」。
92) 同 109頁。
   「運動」が「成るべく丈け多く周囲の努力を自己に吸収して自己の為さんと欲する事を為す」ことに過ぎないならば,言い換えれば,「我が援助(たすけ)は社会より来る」考えて「人の賛成」と「社会の助力」を「頼む」ような……「堅(たて)に上より我に降り来るものの祈求でない」ならば,『運動』は実に卑しむべき事である」と内村鑑三の言葉を借りて糾弾します。
93) 『キリストと世界』第26号(岩田三枝子 賀川ハルにおける女性観 東京基督教大学 2016年 18,30頁)。
  「私は貧しい人々のためにこの仕事を続けさせていただくからには,命を投げ出しています」『賀川ハルものがたり』(鍋谷由美子 日本基督教団出版局 2014年 114頁)。
94) 「無名の人石井筆子―“近代”を問い歴史に埋もれた女性の生涯」(一番ヶ瀬康子,河尾豊司,津曲裕次 ドメス出版 2004年 13頁)。
  一番ヶ瀬が指摘しているように「日本の歴史は,女性史・未開放部落の歴史・地方を無視し (略 )まったく中央から捉えていて,差別された人より差別した人からの歴史が色濃く,しかも男性に傾斜した歴史である」。
   キリスト教会においても,かしら性に基づいて妻が夫に服従する伝統的な解釈が揺らいでいる。エフェソス 5章22-23節で述べる「服従」は全キリスト者が互いに服従し合うという一般的な求めに続いている。ここでパウロが語るかしら性は,支配のかしら性ではなく,一方が他方に力と栄養を供給する源となる,源泉のかしら性である。(森田美芽『カルヴィニズム』第32号 2016年 63頁)。  
95) 季刊誌「支縁」No.13(池内楓 神戸国際支縁機構 2015年 2頁)。参加者の済美高校2年生の池上楓さんは報告。「いまだに国はこの病気と放射線との関連性を認めません。甲状腺は本来成長ホルモンの分泌をうながす場所。カエルがこの器官を切除すると変態できなくなります。つまりオタマジャクシから姿を変えられなくなるということです。幸い人間は薬を投与することで成長をうながすことができますが,言い換えれば一生薬を飲み続けなければならないということです。福島の医療機関はこうした状況を打破しなければなりませんが,福島の医療機関のトップ,福島大学病院で原発事故後,病院関係者らだけが安定ヨウ素剤を服用していたことが分かりました。安定ヨウ素剤というのは放射性ヨウ素の影響を和らげるもので,つまり放射線被ばくを予防する薬です。注文できる状態にありながら,病院内だけ服用し,県民たちには配付することをしませんでした。医療機関にあらざるこの行為を,私たちは現地で初めて知り,怒りと驚きで言葉が出てきませんでした。…国は口々に復興は完了したと述べていますが,それは間違っているでしょう。福島の方々が他県と変わらない日常生活を行えるようになって初めて完了したと言えるのではないでしょうか。」
   神戸国際支縁機構 第62次東北ボランティア報告から抜粋 
  道家茉莉子 2016年 代表のお話しの中に,門脇小学校を当時の傷跡を残したままにしておくのか,震災のトラウマによって当時の傷跡を見るだけで気分が悪くなる人々のために取り壊しをするのかでもめているというお話しがありました。私は残しておくべきだと思います。なぜなら,後世に伝えるべき,教訓や戒めなどがあると思うからです。関西の1人のボランティアの意見ですが,参考にして頂けたら幸いです。                 
96) 『利他主義と宗教』(稲場圭信 弘文堂 2011年 44頁)。心理学では「愛他主義」という言葉を用いるが,同じ意味である。動物行動学や遺伝子研究などの分野でも「利他主義」の語が使用されている。コントが,エゴイズム(egoism:利己主義)に対置させてアルトルイズムという語を定義したことからも,日本語では,「利己」に対して「利他」,利他主義の方が愛他主義よりも用語としては適切であろう。
97) 坂井良行(高野山真言宗西方院住職 『神戸新聞』 2011年12月8日付)。
98) 拙稿 「牡鹿半島 聞き取り調査」(4) (牡鹿半島歴史 2011年7月)。
99) 『キリスト教思想断層』(近藤剛 ナカニシ出版 2013年 116頁)。「神の国の到来」のプログラムは治癒奇跡の初伝承の典型とした癒しと「開かれた共食」(open commensality) によって遂行される。つまり分け隔てなく人々を招き,生活の中で共に飲み食いしながら,共に癒しあうことで,今,ここに神の国が到来する,という考え方が随所で確認される。
   『恩恵の光と自然の光』(春名純人 聖恵授産所出版部 2003年82頁)。「真の神信仰に立ち帰らないかぎり,その叫びは応えられることがない。人間性の回復,創造の回復は,人間と神との回復,人間の心に神の像の回復がないかぎり不可能である」と春名純人教授が指摘するように共食によってはじめて人間が最初に創造されたラテン語クレアチオ・セクンダが回復します。
100)『新改訳』第3版(2003年)では,6箇所出ているヘブライ語 ハスィールを「油虫」,つまりゴキブリと訳出しています。他にⅠ列王 8:37;Ⅱ歴代 6:28;詩編 78:46;イザヤ 33:4;ヨエル 1:4,2:25に出ています。「日本最初の百科事典,寺島良安の『和漢三才図会』(1713)には,「油虫」と「五器嚙」(ごきかぶり)がでています。この五器(御器ともいう)とは,ふたつきわんのことで,ごきかぶりとは,それをかじる虫という意味です。元は「ゴキカブリ」を「ゴキブリ」と誤記してしまいました。『ゴキブリのはなし』(安富和男 技報道出版 1991年 20-21頁)。
101) 水垣渉「神戸新聞」(2012年1月19日付)。
102)拙稿「目薬」誌№24 2001年 6頁。「カーゴー<私もまた>(カイ<も,また>+エゴー<わたし>。
103) “Theologe―Christ―Zeitgenosse”DBW4 Nachfolge (Dietrich Bonhoeffer Werke  Eberhard Bethge Eine Biographie 2001 p.67); 「ボンヘッファーの人間学」(岡野彩子 大阪大学言語社会学博士論文 2008年 225頁)。
104)新免貢 「震災における死」(「『死』を考える」講座 神戸新聞会館 2011年)。アメリカ軍からの空からの爆撃を受けて,1千万人が住む家を失いました。そして,10数万人の戦争孤児が生じました。孤児たちの中には,寝る所も食べ物もなく,巷をさまよい歩く浮浪児になった者が3万5千人いたと言われています。おなかがすいてたまらない,人が集まる場所に行っても誰も食べ物をくれない,ごみ箱をあさり,腐ったものを食べる,中毒死する,人の食べている弁当を盗む,トマトを盗んで逃げる途中車にひかれて死ぬ,地下道のコンクリートの上でごろ寝,髪の毛は伸び放題,服はボロボロで吐き気がするような体臭……。周囲から,周りの子供たちから「野良犬,ばい菌,臭い,汚い,乞食」などと呼ばれ,人間扱いされませんでした。親せきや知人に預けられても虐待を受け,お金目的のために利用される孤児もいました。施設に入っても,動物園の動物のようにオリの中に入れられ,オリの中から枯れ枝のような細い腕を伸ばし,「食べ物をください」と訴えました。これらの戦災孤児には何の保証もなされず,軍人関係者には補償金が支払われる。
105) 『関東大震災―消防・医療・ボランティアから検証する』(鈴木淳 ちくま新書 2004年 193頁)。
106)『宗教原理主義を超えて』(金子昭共 白馬社 2002年 114頁)。ホームレスの支援活動している宗教者たちは,彼らに寄り添いながら支援しているが単に寄り添っているだけではない。彼らの声にならない叫びに耳を傾け,それに〈声〉を与える(あるいは少なくとも声を発するきっかけを提供する)。彼らに寄り添いながら体験を語らせ,それを共有する。『宗教研究』86巻 4輯(宮本要太郎 2013年 155頁)。
107)村田充八(「死を考える―人生をかけがえのないものにするために―」 「『死』を考える」講座 2012年)。 英語compassionは,comとpassion からなる言葉である。com は,ラテン語cum  と同じ言葉で,複合語をつくるものであるが,cumとは,「ともに」,「と一緒に」,「あるものを備えて」という意味らしい。Passion は,ラテン語passioから来ている。その意味はもちろん,「苦悩」を意味している。それはまた,「キリストの受難」を意味している。要するに,「慈悲」とは,たとえば,環境に対する慈悲とは,その環境が苦難の中にあることを,推し量ることではないか。人間の自然環境に対する「無頓着さ」が,環境破壊の元凶となったことはいうまでもない。
  それは,換言するなら,「環境に対する想像力」,をいかに持ち続けるかということを我々に問いかけるものなのである。そのことを考えるとき,「慈悲」とは,宗教が教える重要な意味内容であり,環境に対して目を移すときに,自然環境への想像力の必要性は,何にもまして宗教が教えるものであると考える。「宗教」によって教えられることこそが,環境に対する「無頓着」な社会に対して警鐘を鳴らし続けるものであると考えるのである。
108) 『負けて勝つとは』(榎本恵 日本基督教団出版局 2000年 19-25頁)。

 

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