宗教倫理学会 田山湾の復活

Good Samaritan

 

 

 

 

 

「田・山・湾の復活」
― 宗教倫理学会夏季一泊研修会 ―

日 時 : 2013年8月27日(火) 午後2時半~3時半
場 所 : 関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス

神戸国際キリスト教会
牧師 岩村義雄
Pastor Yoshio Iwamura

<序> 2013年7月7日から約1週間,豪雨が中国四川省を襲いました。床上浸水600万戸以上,おびただしい高層ビルの倒壊。家内が「東日本大震災より被害がひどい」と言いました。3日間で準備しました。現地に知り合いはいません。中国語はできません。金銭的には,中華東方航空の上海経由の往復チケットを12万4,810円の10回分割で購入。寝袋を小さなスーツケースに入れ,場合によっては4日間断食で被災地に行く決意で7月21日(日),礼拝が終わってから関西空港に向かいました。なぜお金もたくさん持たず,被災地へ行くことができたのでしょうか。新約に「それから、イエスは彼らと別れ、都を出てベタニアに行き、そこにお泊まりになった。」(マタイ 21:17)と記録されています。日本の聖書翻訳は正確ではありません。イエスが「お泊まりになった」(ギリシア語アウリゾマイ)は「庭で寝る,野宿する」[セイヤー希英辞典]です。野宿したわけですから,食事もちゃんととっていません。続きを見てみますと,「朝早く、都に帰る途中,イエスは空腹を覚えられた。」(18節)と書いてあります。さらに『「今から後いつまでも,お前には実がならないように」と言われると,いちじくの木はたちまち枯れてしまった。』(19節)と書かれています。では,お腹が空いているので,イエスは八つ当たりしたのでしょうか。文脈で,神殿において,「境内では目の見えない人や足の不自由な人たち」が無視されているのでイエス様は怒って,悪徳な両替商人たちに机をひっくり返して追い出されたと記録されています。その後,いちじくの木を見て,「葉ばかり出して,実がない」と言ったわけです。つまり「葉っぱばっかりで,中身がない」とは宗教家の会堂みたいだと批判しています。バザーやったり,イベントをしてお金をかけて立派な集いをしょっちゅうしますけれど,中身はどうなっているのしょうか。平行記述のマルコの福音書では,「いちじくの季節ではなかったからである。」(マルコ 11:13)と書かれています。したがって,キリストは私的な感情で,腹を立てて言っているのではなかったとわかります。弟子に言います。『「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち,疑わないならば,いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく,この山に向かい,『立ち上がって,海に飛び込め』と言っても,そのとおりになる。』(マタイ 21:21)と実践することを説きました。寝袋をもって野宿の覚悟で中国四川省の被災地へ向かったのです。同じ動機で2年5ヵ月前に宮城県石巻市渡波に若者たちと行きました。

(1) 東日本大震災の傷跡
a. 生態系への影響

午後2時46分,荒廃がすごいのです。見渡す限り,がれき,崩れた家屋,震災の爪痕がどこまでも続きます。石巻市でも4千名近くの人々が犠牲になりました。「恐懼(おそれ) と陷阱( おとしあな)また暴行と滅亡我らに來れり。わが民の女の滅亡(ほろび)によりてわが眼には涙の河ながる」(哀歌 3:47-48 『文語訳』)。
津波は石巻市牡鹿半島の北東にある笠貝(かさがい)島を襲いました。高さ(遡上高(そじょうだか))は43メートルです。明治三陸地震を上回ったのです。山の樹木も海におおわれ,木々もだいなしになりました。田んぼにも自動車などが串刺しになっています。日本で一番おいしいカキ,ノリがとれる万石浦湾で生活する漁業の家も冠水でつかってしまいました。
山からの水が田んぼの稲などを育てます。積み重なった葉っぱが良い土を作ります。きれいな水がおいしい作物を作ります。無農薬,有機の土から出る排水が川となり,海に注がれます。「川はみな海に注ぐが海は満ちることなく どの川も,繰り返しその道程を流れる」(コヘレト 1:7 『新共同訳』) 。自然は循環しています。山から海へ行き巡り,海洋で蒸発し,雨となってまた山に降り注ぐのです。
地球が誕生してからずっと自然界の生命もお互いに縁があります。肉食動物によって草食動物が食い尽くされなかったのはどうしてでしょうか。草が地球のいたるところにあってありつけたからです。胃袋の大きい牛,羊,うさぎなどの草食動物はたくさん子供を産みます。反芻する生き物の胃には特別な微生物がいます。消化に役立つ微生物と助け合って生き延びてきました。肉を貪る獣が襲いかかり,草食動物の数が少なくなります。すると餌がなくなり食う獣が減ります。一方,おそろしい獣がいなくなるといつしか食われる小動物の数が増えたりします。何世紀も繰り返されてきたのです。
 b. スチュワードシップ
自然は人間が恩恵を受ける源です。ところが,田山湾はお金を儲ける所になってしまいました。貪欲さを満たすために農薬,成長させるためにホルマリン,能率のはかどる機械類を使います。食べる食物の安全など一切考えません。人間が自然界の何よりも偉いかのように振る舞います。里山にいたスズメやミツバチが少なくなりました。夕方になると空いっぱいに飛んでいた小さな虫ユスリカもいません。食べる虫がいなくなったツバメも消えつつあります。
東北地方も日本の他の地域と同じように,海の近くの沼地がなくなりつつありました。住宅のため更地になったり,大きな水田にするために自然環境が変わりました。ですから津波が襲った時,海から四十キロ離れた奥地にまで水が覆ったのです。海岸や河口の湿地を住みかにするヒヌマイトトンボはどうなったでしょうか1)。神戸から二年間訪問していますが,出合えません。温暖化により,北へ移動していったトンボ,蝶の住みやすい居場所がなくなりつつあります。
人間に地球を治めるようにという神の言葉があります。「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ,増えよ,地に満ちて地を従わせよ。海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』2) 「従わせよ」[ヘブライ語カーヴァシ]や,「支配せよ」[ラーダー] が使われています。ラーダーは「(羊の群れ)を導く」(エゼキエル 34:4『新英語聖書』) にあるように暴力的に抑えつけるのではありません。3)人間は自然をやさしくお世話せねばなりません。だが,利得のため,公害,汚染,傲慢な支配によってだいなしにしてきました。自然と共に生きる原点に帰りましょう。
c. 自然との共生
東日本大震災の年,宮城県石巻市牡鹿半島を訪問しました。シカの名前が至るところにあります。アイヌの人は鹿がたくさんとれるとカムイ(アイヌ語「神」)に祈りました。4) リアス式の海岸線は津波で家,命,仕事はすっかり流し去られています。案内くださった阿部捷一氏はかつて地域の小学校の校長です。沖から半島を見ますと,緑豊かな山並みです。カエデやコナラなどの広葉樹が繁っています。森に入ると,腰まで落ち葉に埋まるほどです。落ち葉の下には長年にわたり積み重なってきた腐葉土があります。カブトムシ,クワガタムシがもぐっているのをみつけようと手をいれると,キノコの臭いがします。

 宮城県気仙沼(けせんぬま)湾で「森は海の恋人」の運動をすすめている畠山重篤(しげあつ)さんがいます。衰えた海の力をよみがえらせるために,海に注ぐ川,そして上流の森を大切にしなければならないことに気づかれました。湾に注ぐ大川上流の森室根山に苗を植えます。1989年より50種25万本の広葉樹を子供たちといっしょに植え始めました。山村に住む歌人熊谷龍子(りゅうこ)さんの「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく」という一首から生まれました。5) 耳を木にあててみると音がします。生きています。詩は樹木を語源としてまさに歴史の中で流れているような響きがあります。

 私たちは自分勝手な生き方をして自然をこわしてきました。故郷を忘れた放蕩息子です。「ここを出て父の家に帰り」6)とふるさとの自然を慕う息子にとり,帰るところは森です。森であるエデンの園には「命の木」と「善悪の知識の木」がありました。7) 森林を守るか,ダムを造るかの迷いを人間は繰り返してきています。東北でもシカが増えて困っています。「命の木」とは,森の苗を大切にし,自然の「生態系」を考えます。一方,「善悪の知識の木」とは,自然を支配するヒトの「生命」を大切に考え,シカの数を減らさざるを得ません。自然の「生態系」それとも人間の「生命」のどちらを先に考えるべきでしょうか。「田・山・湾の復活」とは両方を考えながら,みんながそうだとうなずく道を開きます。他の生き物といっしょにつながりをもって自然と共に生きていくのです。

(2) 自然を支配するのではなく,お世話をする
a. 地を従わせよ
「あらゆる種類の獣や鳥、また這うものや海の生き物は、人間によって制御されていますし、これまでも制御されてきました。」(ヤコブ 3:7)。地を制御する,つまり支配する(dominiu terrae)という言葉は聖書の最初に人類創造の創世記1章28節に出てきます。初代教父や,歴代の神学者も人間は自然を支配する権能を有することと解釈してきました。8)自然を被造物とみなし,人間が主人として支配の攻撃的傾向の裏付けとなってきたのです。新大陸の征服,資源の搾取,自然界の破壊へと連鎖します。つまり神でない自然,被造物をいかに効率よく生産の拠点として活用できるかが成功の成否になります。「昔は,人間は自然の一部であった。今や,人間はそれを搾取する者となった」と言われます。9) ルネ・デカルト[1596-1650]は人間が「思考するもの(res cogitans)」と近代的な哲学的思惟により,人間と自然を区分します。17世紀に始まる科学技術の発展の基礎を築きます。数値による価値観を強調し,能率が優先されるようになります。人間は自然の上に立つというデカルト哲学のもと,科学は発展し,産業革命が起こります。しかし,環境破壊の序章となります。20世紀の著名な神学者パウル・ティリッヒ[1886-1965]たちも導線を継承します10)

b. 日本人の自然観の断層
西行[1118-1190]は亡くなる十数年前に,歌を詠んでいました。「願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃」西行が来世へ旅立ったのは如月の望月[釈迦の命日2月15日]の翌日の16日です。自然の中にこそ,心の平安が得られるのです。自然界のモノを持つことより,共に生きることが日本人のメンタリティに訴えます。
幼い時,切手を収集する方もいます。それ以上に昆虫採集に関心がある小学生もいるでしょう。子供心には「持つこと」に動機づけがあるようです。自然に存在している蝶について「モノ」として量,質,維持状態が興味の中心になってきます。
日本も天然資源である森林,水,土壌を豊かに「持つ」国です。「資源」の定義は「自然から得られる生産に役立つ要素。広くは産業のもととなるもの,産業を支えているものをいう」ことです11)。東北では繰り返し洪水や地震が多発してきました。森には自然災害を防ぐ環境の役割と復興住宅の木材を供給する産業の役割がありました12) 。日本では自然界にあるモノ(素材,原料)は産業に変えるものになっています。労働を加えることにより,加工して販売していくわけです。やがて資源を持たざる国として領土狭隘,人口過剰,植民地正当化により北東アジアに進出します。諸外国からの資源供給の生命線を断たれると大戦に打って出ざるを得なくなります。しかし,日本に資源はなかったのでしょうか。たとえば,日本の木材自給率を考慮しますと,1950年代初期まで100パーセント近く誇っていました。1970年には45パーセントに低下,1990年には28パーセントになり,現在,20パーセント前後で推移しています13)。日本の林業も農業と同じように安価な外材にさらされています。資源を持たないこと以外に憂慮すべきことがあります。
大気汚染,ダイオキシン,薬剤散布などの環境破壊による問題があります。宇宙船地球号に住む野生生物の絶滅を招くような不幸があってはなりません。
西洋哲学では人類は存続できません。石巻がお母さんの出身地である梅原猛さんが新たな文明の原理として打ち出したのが日本に古来からある自然と共存する思想です。それは「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という仏教の言葉に象徴されています。草も木も土や風に至るまで地球上のありとあらゆるものに仏が宿り,人間と同じように魂を持つという考えです。人間だけが特別な存在ではなく,すべてのものが地球の一部に過ぎません。この思想は縄文時代以来の日本人のイデオロギーを受け継いだものであると梅原さんは語ります。「依正不二」(えしょうふに)[依報(自然)と 正報(人間主体)とは 不二,即ち一体であるということ]の自然観が福島第一原発事故によって無残にも傷つけられたのではないでしょうか。大消費地の東京の不夜城のようなネオンサイン,木目ない家屋構造,浄水器がないと安心して飲めない水道など,個々の生活を守るセキュリティは一見確保されています。しかし,被災地,限界集落,過疎,高齢化,少子化の地方は見向きもされていません。

c. 人格=人間と非人格=自然のあいだの循環
「アイヌとは人間という意味で,人間の力の及ばない世界にはカムイがいる。
火のカムイ,山のカムイ,川のカムイ,風のカムイ……人間はカムイを敬い,そこからの恵みに感謝する。またカムイは,クマやフクロウなど,生きものの姿になって人間世界に現れる。カムイとは,人間が作り出すことのできない命を育てる存在でもある。」14)とアイヌのアイデンティティが紹介されています。
日本人が大切にしていた感性に「神」の語源になったとも言われるカムイがあります。アイヌモシリ[人間の静かなる大地]では神と人間と自然は共生しています。モノを持つこと[to have]ではなく,いる[to be]です。つまり所有ではなく,存在への価値観に重心が置かれます15)。宮城県石巻市につながる三陸道の野原に,ときおり,蝶が卵を産みにやって来ます。華やかな訪問者に,運転する人の頬は思わず緩むでしょう。小学校時代,里山で捕虫網をもって蝶を追いかけた記憶がある人たちは多いでしょう。時には,神隠しならぬ蝶隠しになってあせったりしたことがあるにちがいありません。ギフチョウを春の女神と言ったりします。蝶の愛好家が蝶の幼虫が好む食草や植樹を庭や近隣に植えることによって絶滅が免れるのです。
「アイヌの人たちは木や草は神であり,神の国では人間の姿をして生活を営んでいると考え」16)ました。フクジュソウについてアイヌは謳っています。「わたしの宝刀を抜くと その刃先から フクジュソウの花の色が 金色に輝き 神の光となって走った―ユカ」と金色に光るその花の黄に神の光を見出しています17)。ところが,メルトダウン(炉心溶融)により神は死んだのです。自然も死んだのです。
戦前はどうでしたか。資源について企業利益を優先するあまり,足尾鉱毒事件が起こりました。田中正造議員も主張します。「草木ハ人為人造ニあらず。全然神力の働きの此一部ニ顕わる結果なり。」「鳥獣虫魚貝山川草樹,凡天地間の動植物ハ,何一トシテ我ニ教へざるなけれバ,是皆我良師なり。アーメン」18)と草木などの 自然を支配の対象ではなく,教え手とみなしています。

 (3) 被造物の解放
a. 被造物の呻き

「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。」(ローマ 8:22)。
ヒロシマ,ナガサキ,フクシマは呻いています。原爆投下から66年,福島第一原発稼働から40年目に,原発事故国際評価尺度レベル7でメルトダウン(炉心溶融)が起きました。事故により63万テラベクレルの放射能が放出されます。約15万2千人が土壌汚染による避難を余儀なくされます。現在,除染した土を収納しているビニールから汚泥が吹き出しています。福島県飯館(いいだて)村の村長は言いました。「飯館村の面積の70%は山です。家の周りや農地をいくら除染しても,山の除染はできませんから,山から放射能が移動して来るのです。…可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません。」
セイフティがいつの時代にも増して最高潮の時代とみなされています。しかし,ますます強度の不安,ストレスが蔓延しています。統計学の視点,つまり,哲学者デカルト式の数値の法則によれば,安全と言えましょう。しかし,本質的に,現代の社会が絶えずエスカトンの脅威を先延ばしにし,人類の叡知を結集して,科学万能,大量消費,便利な発明を試みてきました。今回,除染,被爆,廃炉不可能が無限に続く大きな恐怖は,不確定な地平へと先送りした未来像が,「猿の惑星」でついに発見する恐怖に他なりません。アウシュビッツ,ヒロシマ,ナガサキ,フクシマの呻きは,未来が襲ってくる先取りの影であり,忍び寄ってくる闇の天地の恐怖に歯止めできない科学者,技術者,軍需国家の奢りに満ちているでしょう。アスベスト:阪神淡路大震災のがれき処理に公務で携わった40代の男性職員が中皮腫を発症しています19)。ばく露期間の中央値は17.4年です。死亡までの期間の中央値は発症後15ヶ月です。フクシマ原発の被爆による時限爆弾の発症も忘れてはいけません。すでに放射線量が地球上を回り回っています。
原発とキリスト教は対決して来ませんでした。日本の原発はキリスト教界の深い根っこの問題です。原子力発電は京都大学,近畿大学だけの専売特許ではありません。キリスト教主義大学の立教こそ,米国の原発研究の先兵となりました。平和利用としてプロメテウスの火よろしく原子力発電所をもたらした張本人はキリスト教です。被造物の呻きの原因です。

地球上の人類が直面している食糧不足だけではなく,日本の食料依存率が40%を切った今,国が存続できるかどうかの瀬戸際に立たされています。消費者も米よりパン,魚より肉を好む傾向になってきているため,ますます自給自足できなくなってきています。自分たちの食は自ら生産,加工,販売できるように,第一次産業の農業,漁業,林業に若者たちも就くことができるシステムになっていません。東京一極集中のひずみにより,過疎,高齢化,少子化のムラ社会の崩壊は赤信号です。大消費地の発展と引き換えに東北地方の過疎,高齢化,少子化の格差構造は自然界に対する「搾取」(Ausbeutung)と言えます。企業間以外転出,産業空洞化,熟練労働者不足の時代になっても,若者たちは農林漁の仕事に興味をもちません。搾取,支配,制御されたくないからです。減反政策により260万ヘクタールの農地しか残されていません。休耕田,廃棄田が野ざらしになっています。
石巻市万石浦湾は世界一の牡蠣の養殖場です。海苔の業者も今日,嘆きます。人間の生活排水によるノロウイルスはバリカン症,赤腐れ病(Red rot)の原因になっているからです。
地は不毛です。水は豪雨,津波,洪水となって人の住む地を襲います。火は火山の爆発に象徴されます。空気は竜巻など自然の破局の要素になっています。
大地が呻いています。エジプトで民がうめいていた時,モーセは神に遣わされました。日本でも行基[668-749]が教理,布教,しゃべくりではなく,うめく民,自然に仕えました。

 b. 共苦
被災地では,「孤独死」から「孤立死」,「餓死」,「凍死」,「自殺」,「介護心中・殺人」,「手遅れ死」などの震災関連死が蔓延しています。1947年に施行された日本国憲法第25条に生存権が規定されていますが,死文化しています。傾聴ボランティアをしていますと,医師不足,看護師,ケアマネージャー,ヘルパー不足は3.11以前から深刻です。震災以降,深刻な医療危機です。旧渡波の在宅被災者には医療に携わる人はゼロです。恨めば恨むほど,精神衛生上,不幸感が高まっています。自殺した南相馬の93歳の女性の遺書に記されています。「毎日原発のことばかりでいきたここちしませんこうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします」20)。女性の死は,見殺しでしょう。日本が1979年に批准した“国際人権条約”の「居住の権利」には,「現在住んでいる場所に住み続ける権利」right to remain だけでなく,「汚染源を住居の近くに作られない権利」があります。住み続けるためには,原発のようなものを作ってはならないし,作ろうとする大企業から個人を守るのが政府の役割です。しかし,政・官・財・学・マスコミは,電力会社からの潤沢な献金によって,骨抜きにされています。身代わりとして,93歳の女性は骨になる必要はなかったと思うと,体の芯から震えます。
東北の孤独死とパチンコは正比例しています。店の客の7~8割がお年寄りです。黙って一心不乱に玉の動きを目が追っています。コミュニティ,仕事,家族がなくなったからです。社会との心やすい関係が途切れています。喧騒な音楽にしばし我を忘れるしかありません。店を出ると,何もありません。
生きたくても,放射能汚染で作付けダメなのです。生活保障はなし。飢え死にするしかない福島県農家,漁業関係者に「死ね」と言っているのです。震災で家族を失い,年金もわずかの生き地獄で七転八倒なさっている孤独な高齢者にとり,「生きていて良かった」と言える日はまだ来ていません。
平等であるはずのに,「命の序列化」がまかり通るのが原発内の仕事です。住民票がない「路上で生活をしている人」たちは被爆しても訴訟もできません。今日も東電社員が足を踏み入れない危険な領域で,監視付きで強制労働させられています。
生き地獄でのたうち回るくらいなら,いっそのこと自ら命を断つ選択する人が後を絶ちません。もろい,はかない,卑怯だと揶揄できるでしょうか。生きている間に,不幸が満ちているのです。

 c.  自己に対する誠実から「正義の循環」へ
ほころび,途切れた社会の縁を何とか結び直さねばなりません。縁を「支える」別の糸が要るのかもしれません。いろんな糸をよりあわせれば強くしなやかな縁になります。
被災地の外国人数は7万5千人。石巻市には513人います。震災で日本人夫を亡くした妻,子どもたち。小学校高学年のため,フィリッピンに戻ることさえできません。近隣に外国人妻はいない孤独。生保も尽きようとしています。就労もむずかしいのです。子どもの就学など苦難が続きます。外国人被災者の安否を確認し,生活が再建されるためには,マンツーマンでの協働者7万5千人のボランティアは必要です。さらに民族的コミュニティがあることが望ましいでしょう。同時に日本全体が多民族・多文化共生を目指さねばなりません。国際結婚の悲劇は深刻です。家庭内では「風呂,めし,寝る」の三語だけの日本人夫は外国人配偶者にひどい仕打ちをします。食事,風呂などの用意ができていないとDVは日常茶飯事です。妻のパスポートを没収したり,外国人の日本在留資格の権限をもつ夫は王様です。外国人妻は逃げられません。結婚前はやさしく接しますが,夫婦生活は1年経たないうちに凶暴になってくるのです。震災失業が拍車をかけます。離婚したくても,在留資格,お金もなく,外国人はなかなか就労できません。雇用されたとしても,外国人労働者を使い捨て労働力として,経営者がセクハラ,パワハラであっても罰則されることがありません。法務省の入国管理事務所に相談しても,「なぜ結婚したの」と言われるだけです。「フィリッピンに帰ったらいいじゃないか」「DVの証明書がなかったらだめ,手ぶらで来たって受け付けられないよ」「他に相談してください。入管は人生相談の場ではない」「転んでできたあざかどうかわからないから,医者の証明書なしでは聞いてあげることはできないよ」「がまんするしかないよ」と相手にされません。東北の傾聴ボランティアは正義が失われた日本の病理現象を知る機会になっています。入管が在留外国人を「在留カード」で厳しく監視することより,日本人全体,メディア,警察が外国人を厳しい目で管理する空気が問題の根っこでしょう。
「誠実でなければならない」という心情的な命題に対して,日本人は絶対的な規範がありません。詰まるところ「自己自身に対する誠実」だけがよりどころで,最高の美点です。「誠実」に対して無批判できたことの反省が求められるでしょう。日本人の基層的宗教性の最もわかりやすい概念が「誠実」です。しかし,「人間の尊厳」の自覚を他者性にまで拡大できるかどうか吟味する力が必要です。日本では伝統的に,他人に対する誠実,集団に対する誠実,事に対する誠実も,すべて「自己に対する誠実」で完結します。

「田・山・湾の復活」で自然の循環を願うように,宗教者が手をたずさえ,「正義の循環」を祈り,分かち合い,実践していくカイロス[時]でしょう。

<結論> 今の時代,神が死んだのではありません。自然が死んだのでもありません。人間が死んだのです。自分の体に傷がある場合,7年経ち,細胞の代謝によって見えなくなるでしょう。傷ついた動物が癒しにくる温泉では、熊もウサギを襲いません。一般に「狼は小羊を襲い,豹は子山羊を襲い,若いライオンは子牛を襲う」のであります。しかし,「狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。」21)と新しい天と地が待たれます。ヒンズー教の大聖マハトマ・ガンジーが「明るく,楽しく,そして,しつこく」の言葉に留意しましょう。カタツムリのように歩を進めていくこと,それもしつこくが大切です。いつか歩は金に成るのです。「隣人を愛しなさい」と耳にしますが,私たち宗教者自身が隣人を必要としている被災地の自然,抑圧されている人,弱者にチムグルシー(琉球の胆苦しい)になるのです。単にかわいそうに思う気持を言い表すのでなく,人の痛みの中に自分の痛みを見出し,心の奥深くにある哀しみを共感していきましょう。人権が損なわれている人と共に生きましょう。7月24日中国四川省から戻りました。わずかの滞在でしたが,友誼に篤い友ができました。中国人の親切,正直さにも改めて認識を深める視察旅行になりました。先入観なしに隣国の人たちと交友を深める苦縁の先兵として行かせていただきましょう。「日本人は僕らの敵から恩人に そして友達に」とつながるのは政府,官僚,机の上の計画では成し遂げられません。仕える共苦の中に鍵があり,新しい歴史の扉を開くのです。

1) 沼地などの減少により生息地がせばめられ,絶滅危惧種に指定されている
イトトンボ。
2) 創世記 1章28節。
3) 『聖典と現代社会の諸問題』(樋口進 キリスト新聞社 2011年 76,77頁)。
4) 神戸国際支縁機構「牡鹿半島 聞き取り調査 (4) 」 2011年7月2日。
5) 『歌集・森は海の恋人』熊谷龍子 北斗出版 1996年。
6) ルカ 15章18節。『新約聖書 柳生直行訳』(新教出版社 1985年)。
7) 創世記 2章9節。『新共同訳』。
8) 『機械と神』(リン・ホワイト みすず書房 1972年 87-92頁)。
9) 同。
10) “Logos und Mythos der Technik”Tillichi GW.IX 1927 p.305-306。
11) 『大辞林』(第二版)。
12) 『森と人間』(田嶋謙三,神田リエ 朝日新聞社 2008年 57頁)。
13) 『「持たざる国」の資源論』(佐藤仁 東京大学出版会 2011年 166頁)。
14) 『アイヌ式エコロジー生活』(さとうち藍 小学館 2008年 8頁)。
15) 『生きるということ』(エーリッヒ・フロム 紀伊國屋書店 1977年 39,46頁)。
16) 『アイヌと植物』(福岡イト子 旭川振興公社刊 1993年 74頁)。
17) 同 82-83頁。
18) 『田中正造全集第11巻』(田中正造全集編纂会 岩波書店 1979年 330,341頁)。
19) 毎日新聞 2012年7月7日付。
20) 毎日新聞 2011年7月9日付。
21) イザヤ 11:6。

” Restoration of the rice paddy, the mountain and the bay “

                               Church of the Brethren
Kobe International Christian Church
Pastor Yoshio Iwamura 

(1) The scar of the Tohoku Earthquake

At two forty-six p.m., the devastation is terrible. As far as the eye can see, the rubble, the collapsed house, the scratch of the earthquake disaster continues. In Ishinomaki City however, nearly 4,000 people lost their lives.
“We have suffered terror and pitfalls, ruin and destruction. Streams of tears flow from my eyes because my people are destroyed.” (Lamentation 3:47,48)
The surbase shellfish ( the limpet ) island which is in the northeast of Ishinomaki City Oshika peninsula attacked by the tsunami. The height of the water is 43 meters by going upstream. It exceeded Meiji Sanriku earthquake.
A tree on the mountain, too, was covered with the sea and the trees, too, were completely devastated in the spoiling.
The car and so on were impaled in the rice paddies.
 Mangokuura bay, where the houses of fishermen who made a living from Japan’s most delicious oysters and seawood laver used to be, was also flooded.
Water from the mountains is used for rice in the rice paddy and so on. Layers of leaves enrich the soil. Clean water helps produce delicious crops. The water which drains from
the chemical-free and organic earth becomes a river and flows out the sea. “All rivers flow into the sea but that any river flows through the repeat field without sea’s filling. ” (Ecclesiastes h 1:7 “The New Interconfessional Translation” )

Nature has circulatory system.
It flows from mountain to sea, evaporates over the sea, becomes rain which falls again in the mountains. Since the earth was born, life in the natural world has always been inter-connected.
Why is it that carnivores have not eaten all the herbivores?
It is because grass can be found all over the earth. Herbivores such as cows, sheep, rabbits with big stomachs have a lot of babies.
There is a special microorganism in the stomach of ruminating animals. With the help of microorganisms which are good for the digestion, they survived. Fresh-eating animals attack herbivores and their numbers decreases. Then, as their prey has become scarce, the number of flesh-eating animals also decreases. On the other hand, the number of the all too soon eaten small animals increases when their predators disappear. This is a pattern which has been repeated over many centuries. 

(2) The stewardship

Nature is the source from which human beings benefit. However, the rice paddy, the mountain and the bay had become a place to make financial profit from. Agricultural chemicals are used in order to meet demand, as well as formalin and, increasingly efficient machinery to increase growth.
No consideration is given to whether or not the food is safe to eat.
Human beings behave as if they mattered more than anything else. The sparrows and the honey bees which were found in Satoyama (undeveloped woodland near populated area) were decreased. No midges can be seen flying in the evening sky. Swallows that eat these insects have disappeared, too. In the Tohoku district like other areas in Japan, marsh land near the sea was already disappearing. The natural environment changed to become a wilderness for the habitation and to make bid wilderness and were transferred into vast rice paddies, the natural environment changed. Hence, when the tsunami struck, water was carried inland 40 km from the sea. What has happened to the Hinuma dragonfly 1) which lived on the seashore, estuary, and wetlands? I have been visiting from Kobe for two years, but I haven’t been able to see one. With global warming, dragonflies and butterflies who migrated north can live, but the habitant is disappearing. God instructed mankind to rule the earth and God blessed them and said to them, “Be fruitful and increase in number; fill the earth and subdue it. Rule over the fish in the sea and the birds in the sky and over every living creature that moves on the ground.” 2) “Subdue”(the Hebrew kabash) and “Rule over” (the Hebrew radah) are used. The word radah is quoted in Ezekiel as well. We find it“have driven with ruthless severity”(Eze 34:4 NEB) and does not mean “forcefully exploit.”3)  So the human race must look after nature kindly. However, for the sake of profit, we have wrought havoc with all kinds of pollution, in the arrogant way we have ruled over the earth. Let’s go back to starting point, living in harmony with nature.

 (3) Symbiosis with nature

The year of the Tohoku Earthquake, we visited the Oshika peninsula in Ishinomaki  city, Miyagi prefecture. This is the place where the deer gets its name from. An Ainu person prayed to “kamui”(the Ainu for “god”)  to be able to catch a lot of deer.4)  Along the ria coastline houses, livelihoods and lives were completely swept away. Our guide, Abe Shoichi, was a formerly headmaster in the elementary school in the area. When you look at the peninsula from out of sea, it looks like a lush green mountain. The broadleaf tree of the maple and Quercus serrate and so on flourishes. When you enter the forest, the piles of fallen leaves come up to one’s waist under the fallen leaves is humus which is the produce of many years. If you put your hand in to find a rhinoceros beetle or stag beetle with many crawling about inside, a mushroom smell will emerge.

In Kesennuma, Miyagi prefecture,  Shigeatsu Hatakeyama is publishing the“the forest is the sea’s sweetheart”movement. It was noticed that, in order to revive the acting forces of the sea, the river which flows into the sea and the source of the river in the forest must be tended to carefully. Young plants are planted in the forest of Mount Murone where the Ookawa River, which flows into the bay, has its source. From 1989 they started planting 250,000 trees of so different varieties with the help of local children.
This was born from the poem. “The forest loves the sea and the sea loves the forest but the sea churns with love that is eternal.”by Kumagaya Ryuko who lives in a mountain village. 5) There is a sound when attempting to hit an ear against the tree. It lives. There is a sound as it is flowing through the tree surely in the history as the etymology in the poem. Just as the poem has been born from the womb of a tree, there is a sound that resonates throughout history.

We have damaged the natural world with our selfish behavior. We are the prodigal son who forgot his hometown.  “I will leave this place and return to my father’s house” 6); just like the son who longed for the natural environment of home we also are to return home to the forest. In the forest which was the Garden of Eden there was the tree of life and the tree of the knowledge of good and evil.7)   Human beings continue to vacillate over whether to protect forest and woodland or build a dam. Even in Tohoku the increase in the deer population is becoming a problem. The term “tree of life” reminds us we should take care of young plants and (preserve) the ecosystem. On the other hand “the tree of the knowledge of good and evil” points to the importance of the life of human beings who rule over nature, suggesting that the deer population must be culled. Which should be given priority – the natural ecosystem or the life (concerns?) of human beings? If we think about the restoration of rice paddies, mountain and ocean bay from both points of view we may find a way everyone can agree on. We need to live in harmony with nature and other creatures.

 1) Mortonagrion hirosei (species of damselfly), whose habitat of marshlands, etc., is
     disappearing and is listed as an endangered species.
 2) Genesis 1:28 The New English Bible.
 3)  Miscellaneous problems for Scripture and Modern Society  Susumu Higuchi  
     Kirisuto-Shinbunsha 2011 pp.76-7.
4) Kobe international Supporting Organization “Oshika peninsula  survey (4) ” July 2nd in
    2011.
5)  The forest is the sea’s sweetheart   Ryuuko Kumagaya Hokuto-Shuppan 1996 p.210.
6) Luke 15: 18 The New Testament Yagyu’s translation Shinkyo-shuppan 1985.
7) Genesis 2:9 “The New Interconfessional Translation”.