田・山・湾の復活 “Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay” (英文付)

宗教倫理学会 Religious Ethical Society 夏季一泊研修会 ―
 「田・山・湾の復活」

完全原稿 ⇒ 「田・山・湾の復活」
英文 Complete manuscript of  English ⇒ “Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay

日 時 : 2013年8月27日(火) 午後2時半~3時半
場 所 : 関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス

神戸国際キリスト教会
牧師 岩村義雄
                         Pastor Yoshio Iwamura

里山
里山

「田・山・湾の復活」
宗教倫理学会夏季一泊研修会

日 時 : 2013年8月27日(火) 午後2時半~3時半
場 所 : 関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス

神戸国際キリスト教会
牧師 岩村義雄

<序>
2013年7月7日から約1週間,豪雨が中国四川省を襲いました。床上浸水600万戸以
上おびただしい高層ビルの倒壊。妻カヨ子が「東日本大震災より被害がひどい」と言いました。3日間で準備しました。現地に知り合いはいません。中国語はできません。金銭的には,中華東方航空の上海経由の往復チケットを12万4,810円の10回分割で購入。寝袋をスーツケースに入れ,場合によっては4日間断食で被災地に行く決意で2013年7月21日(日),礼拝が終わってから関西空港に向かいました。なぜお金もたくさん持たず,被災地へ行くことができたのでしょうか。新約に「それから,イエスは彼らと別れ,都を出てベタニアに行き,そこにお泊まりになった」(マタイ 21:17)と記録されています。日本の聖書翻訳は正確ではありません。イエスが「お泊まりになった」(ギリシア語auvli,zomaiアウリゾマイ)は「庭で寝る,野宿する」[セイヤー希英辞典]です。野宿したわけですから,食事もちゃんととっていません。続きを見てみますと,「朝早く,都に帰る途中,イエスは空腹を覚えられた」(18節)と書いてあります。さらに『「今から後いつまでも,お前には実がならないように」と言われると,いちじくの木はたちまち枯れてしまった』(19節)と書かれています。では,お腹が空いているので,イエスは八つ当たりされたのでしょうか。文脈で,神殿において,「境内では目の見えない人や足の不自由な人たち」が無視されているのでイエスは怒って,悪徳な両替商人たちに机をひっくり返して追い出されたと記録されています。その後,いちじくの木を見て,「葉ばかり出して,実がない」と,言われたわけです。つまり「葉っぱばっかりで,中身がない」とは観光客も足を運ぶ荘厳な会堂みたいだと批判されています。キリスト教も信者獲得のため,○○大会,イベント,バザーなどのためにお金をかけて立派な集いをしょっちゅうしますけれど,一時的に人の感情を高揚させる仕掛けではないでしょうか。平行記述のマルコの福音書では,「いちじくの季節ではなかったからである」(マルコ 11:13),と書かれています。したがって,キリストは私的な感情で,腹を立てて言っているのではなかったとわかります。弟子に言います。『「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち,疑わないならば,いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく,この山に向かい,『立ち上がって,海に飛び込め』と言っても,そのとおりになる』(マタイ 21:21)と,実践することを説かれました。口先だけで隣人愛を説くことより,実践へと行動が促されたのです。寝袋を備え,野宿の覚悟で中国四川省の被災地へ向かいました。被災者とのかかわりの「はたらき」へと妻カヨ子と筆者に志が促されました1)。2年5ヵ月前に宮城県石巻市の被災地に若者たちと行かせていただいたのも同じ動機でした。

  • 東日本大震災の傷跡
      生態系への影響

     午後2時46分,荒廃がすごいのです。見渡す限り,がれき,崩れた家屋,震災の爪痕がどこまでも続きます。石巻市でも4千名近くの人々が犠牲になりました。「恐懼(おそれ) と陷阱(おとしあな)また暴行と滅亡我らに來れり。わが民の女の滅亡(ほろび)によりてわが眼には涙の河ながる」(哀歌 3:47-48 『文語訳』)。
     津波は石巻市牡鹿半島の北東にある笠貝(かさがい)島を襲いました。高さ(遡上高(そじょうだか))は43メートルです。明治三陸地震を上回ったのです。山の樹木も海におおわれ,木々もだいなしになりました。田んぼにも自動車などが串刺しになっています。日本で一番おいしいカキ,ノリがとれる万石浦湾で生活する漁業の家も冠水でつかってしまいました。
     山からの水が田んぼの稲などを育てます。積み重なった葉っぱが良い土を作ります。きれいな水がおいしい作物を作ります。無農薬,有機の土から出る排水が川となり,海に注がれます。「川はみな海に注ぐが海は満ちることなく どの川も,繰り返しその道程を流れる」(コヘレト 1:7 『新共同訳』) 。自然は循環しています。山から海へ行き巡り,海洋で蒸発し,雨となってまた山に降り注ぐのです。
     地球が誕生してからずっと自然界の生命もお互いに縁があります。肉食動物によって草食動物が食い尽くされなかったのはどうしてでしょうか。草が地球のいたるところにあってありつけたからです。胃袋の大きい牛,羊,うさぎなどの草食動物はたくさん子供を産みます。反芻する生き物の胃には特別な微生物がいます。消化に役立つ微生物と助け合って生き延びてきました。肉を貪る獣が襲いかかり,草食動物の数が少なくなります。すると餌がなくなり食う獣が減ります。一方,おそろしい獣がいなくなるといつしか食われる小動物の数が増えたりします。何世紀も繰り返されてきたのです。
  1. スチュワードシップ
     自然は人間が恩恵を受ける源です。ところが,田山湾はお金を儲ける所になってしまいました。貪欲さを満たすために農薬,成長させるためにホルマリン,能率のはかどる機械類を使います。食べる食物の安全など一切考えません。人間が自然界の何よりも偉いかのように振る舞います。里山にいたスズメやミツバチが少なくなりました。夕方になると空いっぱいに飛んでいた小さな虫ユスリカもいません。食べる虫がいなくなったツバメも消えつつあります。
     東北地方も日本の他の地域と同じように,海の近くの沼地がなくなりつつありました。住宅のため更地になったり,大きな水田にするために自然環境が変わりました。ですから津波が襲った時,海から四十キロ離れた奥地にまで水が覆ったのです。海岸や河口の湿地を住みかにするヒヌマイトトンボはどうなったでしょうか2)。2011年以来,神戸から二年間訪問していますが,ヒヌマイトトンボに出合えません。温暖化により北へ移動してきたトンボや蝶の住みやすい居場所が,なくなってしまったのでしょうか。
     人間に地球を治めるようにという神の言葉があります。「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ,増えよ,地に満ちて地を従わせよ。海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』3) 「従わせよ」[ヘブライ語 kabash カーヴァシ]や,「支配せよ」[radahラーダー] が使われています(エゼキエル 34:4)。文脈の2節から4節からラーダーは「(羊の群れ)を導く」にあるように暴力的に抑えつけるのではありません。4)人間は自然をやさしくお世話せねばなりません。だが,利得のため,公害,汚染,傲慢な支配によってだいなしにしてきました。自然と共に生きる原点に帰りましょう。

    c. 自然との共生
     東日本大震災の年,宮城県石巻市牡鹿半島を訪問しました。シカの名前が至るところにあります。アイヌの人は鹿がたくさんとれるとカムイ(アイヌ語「神」)に祈りました。5) リアス式の海岸線では,家,命,仕事が津波によって,すっかり流し去られています。かつて各小学校の校長をなさり,現在神戸国際支縁機構の石巻支所長をなさっている阿部捷一氏が案内してくださいました。沖から牡鹿半島を見ますと,緑豊かな山並みです。カエデやコナラなどの広葉樹が繁っています。森に入ると,腰まで落ち葉に埋まるほどです。落ち葉の下には長年にわたり積み重なってきた腐葉土があります。カブトムシ,クワガタムシがもぐっていないかと手をいれると,キノコの臭いがしました。

 宮城県気仙沼(けせんぬま)湾で「森は海の恋人」の運動をすすめている畠山重篤(しげあつ)さんがいます。衰えた海の力をよみがえらせるために,海に注ぐ川,そして上流の森を大切にしなければならないことに気づかれました。湾に注ぐ大川上流の森室根山に苗を植えます。1989年より50種25万本の広葉樹を子供たちといっしょに植え始めました。山村に住む歌人熊谷龍子(りゅうこ)さんの「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく」という一首から生まれました。6) 耳を木にあててみると音がします。生きています。詩は樹木を語源としてまさに歴史の中で流れているような響きがあります。

 私たちは自分勝手な生き方をして自然をこわしてきました。故郷を忘れた放蕩息子です。「ここを出て父の家に帰り」7)とふるさとの自然を慕う息子にとり,帰るところは森です。森であるエデンの園には「命の木」と「善悪の知識の木」がありました。8) 森林を守るか,砂防ダム,治水ダム,土砂ダムを造るかの迷いを人間は繰り返してきています。東北でもシカが増えて困っています。「命の木」とは,森の苗を大切にし,自然の「生態系」を考えます。一方,「善悪の知識の木」とは,自然を支配するヒトの「生命」を大切に考え,シカの数を減らさざるを得ません。自然の「生態系」それとも人間の「生命」のどちらを先に考えるべきでしょうか。「田・山・湾の復活」とは両方を考えながら,みんながそうだとうなずく道を開きます。他の生き物といっしょにつながりをもって自然と共に生きていくのです。

(2) 自然を支配するのではなく,お世話をする
a. 地を従わせよ
 「あらゆる種類の獣や鳥,また這うものや海の生き物は,人間によって制御されていますし,これまでも制御されてきました。」(ヤコブ 3:7)。地を制御する,つまり支配する(dominiu terrae)という言葉は聖書の最初に人類創造の創世記1章28節に出てきます。初代教父や,歴代の神学者も人間は自然を支配する権能を有することと解釈してきました。9) 自然を被造物とみなし,人間が主人として支配の攻撃的傾向の裏付けとなってきたのです。新大陸の征服,資源の搾取,自然界の破壊へと連鎖します。つまり神でない自然,被造物をいかに効率よく生産の拠点として活用できるかが成功の成否になります。「昔は,人間は自然の一部であった。今や,人間はそれを搾取する者となった」と言われます。10) ルネ・デカルト[1596-1650]は人間が「思考するもの(res cogitans)」と近代的な哲学的思惟により,人間と自然を区分します。17世紀に始まる科学技術の発展の基礎を築きます。数値による価値観を強調し,能率が優先されるようになります。人間は自然の上に立つというデカルト哲学のもと,科学は発展し,産業革命が起こります。しかし,環境破壊の序章となります。20世紀の著名な神学者パウル・ティリッヒ[1886-1965]たちも導線を継承します11)

  1. 日本人の自然観の断層
     西行[1118-1190]は亡くなる十数年前に,歌を詠んでいました。「願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃」西行が来世へ旅立ったのは如月の望月[釈迦の命日2月15日]の翌日の16日です。自然の中にこそ,心の平安が得られるのです。自然界のモノを持つことより,共に生きることが日本人のメンタリティに訴えます。
     幼い時,切手を収集する方もいます。それ以上に昆虫採集に関心がある小学生もいるでしょう。子供心には「持つこと」に動機づけがあるようです。自然に存在している蝶について「モノ」として量,質,維持状態が興味の中心になってきます。
     日本も天然資源である森林,水,土壌を豊かに「持つ」国です。「資源」の定義は「自然から得られる生産に役立つ要素。広くは産業のもととなるもの,産業を支えているものをいう」ことです12)。21世紀に入り,環太平洋火山帯(Ring of Fire)では繰り返し集中豪雨,洪水,地震などの自然災害が多発してきました。森には自然災害を防ぐ環境の役割と復興住宅の木材を供給する産業の役割がありました13)。日本では自然界にあるモノ(素材,原料)は産業に変えるものになっていました。労働を加えることにより,加工して販売していきました。戦前,やがて資源を持たざる国として領土狭隘,人口過剰,植民地正当化により北東アジアに進出しました。諸外国からの資源供給の生命線を断たれると大戦に打って出ざるを得なくなりました。安い外材がカナダなどか輸入される前,建築用資材でもうかる間は杉,ひのきなどを,精力的に全国に植樹してきました。しかし,日本に資源はなかったのでしょうか。たとえば,日本の木材自給率を考慮しますと,1950年代初期まで100パーセント近く誇っていました。1970年には45パーセントに低下,1990年には28パーセントになり,現在,20パーセント前後で推移しています14)。日本の林業も農業と同じように安価な外材にさらされています。資源を持たないこと以外に憂慮すべきことがあります。
    大気汚染,ダイオキシン,薬剤散布などの問題に加えて,人間が里山,里海,田圃など見向きもしなくなる環境破壊により自然災害の導火線となってきました。宇宙船地球号に住むヒト,野生生物,草木類の絶滅を招くような不幸があってはなりません。
     西洋哲学では人類は存続できません。石巻がお母さんの出身地である梅原猛さんが新たな文明の原理として打ち出したのが日本に古来からある自然と共存する思想です。それは「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という仏教の言葉に象徴されています。草も木も土や風に至るまで地球上のありとあらゆるものに仏が宿り,人間と同じように魂を持つという考えです。人間だけが特別な存在ではなく,すべてのものが地球の一部に過ぎません。この思想は縄文時代以来の日本人のイデオロギーを受け継いだものであると梅原さんは語ります。「依正不二」(えしょうふに)[依報(自然)と 正報(人間主体)とは 不二,即ち一体であるということ]の自然観が福島第一原発事故によって無残にも傷つけられたのではないでしょうか。大消費地の東京の不夜城のようなネオンサイン,木目ない家屋構造,浄水器がないと安心して飲めない水道など,個々の生活を守るセキュリティは一見確保されています。しかし,被災地,限界集落,過疎,高齢化,少子化の地方は見向きもされていません。
  2. 人格=人間と非人格=自然のあいだの循環
     「アイヌとは人間という意味で,人間の力の及ばない世界にはカムイがいる。火のカムイ,山のカムイ,川のカムイ,風のカムイ……人間はカムイを敬い,そこからの恵みに感謝する。またカムイは,クマやフクロウなど,生きものの姿になって人間世界に現れる。カムイとは,人間が作り出すことのできない命を育てる存在でもある。」15)とアイヌのアイデンティティが紹介されています。
     日本人が大切にしていた感性に「神」の語源になったかどうかはわかりませんけれど,「カムイ」というアイヌ語があります。アイヌモシリ[人間の静かなる大地]では神と人間と自然は共生しています。モノを持つこと[to have]ではなく,いる[to be]です。つまり所有ではなく,存在への価値観に重心が置かれます16)。宮城県石巻市につながる三陸道の野原に,ときおり,蝶が卵を産みにやって来ます。華やかな訪問者に,運転する人の頬は思わず緩むでしょう。小学校時代,里山で捕虫網をもって蝶を追いかけた記憶がある人たちは多いでしょう。時には,神隠しならぬ蝶隠しになってあせったりしたことがあったにちがいありません。ギフチョウを春の女神と言ったりします。蝶の愛好家が蝶の幼虫が好む食草や植樹を庭や近隣に植えることによって絶滅が免れるのです。
     「アイヌの人たちは木や草は神であり,神の国では人間の姿をして生活を営んでいると考え」17)ました。フクジュソウについてアイヌは謳っています。「わたしの宝刀を抜くと その刃先から フクジュソウの花の色が 金色に輝き 神の光となって走った―ユカ」と金色に光るその花の黄に神の光を見出しています18)。ところが,2011年フクシマのメルトダウン(炉心溶融)により神は死んだのです。自然も死んだのです。
     戦前はどうでしたか。資源について企業利益を優先するあまり,足尾鉱毒事件が起こりました。田中正造議員も主張します。「草木ハ人為人造ニあらず。全然神力の働きの此一部ニ顕わる結果なり。」「鳥獣虫魚貝山川草樹,凡天地間の動植物ハ,何一トシテ我ニ教へざるなけれバ,是皆我良師なり。アーメン」19)と草木などの 自然を支配の対象ではなく,教え手とみなしています。

 (3) 被造物の解放
a. 被造物の呻き

 「被造物がすべて今日まで,共にうめき,共に産みの苦しみを味わっていることを,わたしたちは知っています」(ローマ 8:22)。
 ヒロシマ,ナガサキ,フクシマは呻いています。原爆投下から66年,福島第一原発稼働から40年目に,原発事故国際評価尺度レベル7でメルトダウン(炉心溶融)が起きました。事故により63万テラベクレルの放射能が放出されます。約15万2千人が土壌汚染による避難を余儀なくされました。現在,除染した土を収納しているビニールから汚泥が吹き出しています。福島県飯館(いいだて)村の村長は言いました。「飯館村の面積の70%は山です。家の周りや農地をいくら除染しても,山の除染はできませんから,山から放射能が移動して来るのです。…可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません」
 セイフティがいつの時代にも増して最高潮の時代とみなされています。しかし,ますます強度の不安,ストレスが蔓延しています。統計学の視点,つまり,哲学者デカルト式の数値の法則によれば,安全と言えましょう。しかし,本質的に,現代の社会が絶えずエスカトンの脅威を先延ばしにし,人類の叡知を結集して,科学万能,大量消費,便利な発明を試みてきました。今回,除染,被爆,廃炉不可能が無限に続く大きな恐怖は,不確定な地平へと先送りした未来像が,映画「猿の惑星」のラストシーンでついに発見する恐怖に他なりません。アウシュビッツ,ヒロシマ,ナガサキ,フクシマの呻きは,未来が襲ってくる先取りの影であり,忍び寄ってくる闇の天地の恐怖に歯止めできませんでした。それにもかかわらず,一顧だに反省しない科学者,技術者や,軍需国家を目指す政・官・財・学の奢りが満ちています。阪神淡路大震災のがれき処理に公務で携わった40代の男性職員が,アスベストにより被ばくし,中皮腫を発症しました20)。ばく露期間の中央値は17.4年です。死亡までの期間の中央値は発症後15ヶ月です。フクシマ原発の被爆による時限爆弾の発症も忘れてはいけません。すでに放射線量が地球上を回り回っています。
 原発とキリスト教は対決して来ませんでした。日本の原発はキリスト教界の深い根っこの問題です。米国の神学者ラインホールド・ニーバーは広島原爆投下を非難しました。だが,ニーバーは原発を開発したことは黙殺したのです21)。つまり,原爆と原発が同じ怪物だと識別しなかったから,「変えてはいけないのに,変えてしまった」のです。原子力発電は京都大学,近畿大学だけの専売特許ではありません。聖公会系のキリスト教主義大学の立教大学こそ,米国の原発研究の先兵となりました。平和利用としてプロメテウスの火よろしく原子力発電所をもたらした張本人はキリスト教です。被造物の呻きの原因であるにもかかわらず,一度も謝罪をしていません。

 地球上の人類が食糧不足に直面している中で,日本の食料自給率が40%を切った今,国が存続できるかどうかの瀬戸際に立たされています。消費者も米よりパン,魚より肉を好む傾向になってきているため,ますます自給自足できなくなってきています。自分たちの食は自ら生産,加工,販売できるように,第一次産業の農業,漁業,林業に若者たちも就くことができるシステムになっていません。東京一極集中のひずみにより,過疎,高齢化,少子化のムラ社会の崩壊は赤信号です。大消費地の発展と引き換えに東北地方の過疎,高齢化,少子化の格差構造は自然界に対する「搾取」(Ausbeutung)と言えます。企業間以外転出,産業空洞化,熟練労働者不足の時代になっても,若者たちは農林漁の仕事に興味をもちません。搾取,支配,制御されたくないからです。減反政策により260万ヘクタールの農地しか残されていません。休耕田,廃棄田が野ざらしになっています。
 石巻市万石浦湾は世界一の牡蠣の養殖場です。海苔の業者も今日,嘆きます。人間の生活排水,コンクリート工法,防潮堤が海の生態を損なっているのです。ノロウイルスはバリカン症,赤腐れ病(Red rot)の原因になっています。
 地は不毛です。水は豪雨,津波,洪水となって人の住む地を襲います。火は火山の爆発に象徴されます。空気は竜巻など自然の破局の要素になっています。
 大地が呻いています。エジプトで民がうめいていた時,モーセは神に遣わされました。日本でも行基[668-749]が教理,布教,しゃべくりではなく,うめく民,自然に仕えました。

 b. 共苦
 被災地では,「孤独死」から「孤立死」,「餓死」,「凍死」,「自殺」,「介護心中・殺人」,「手遅れ死」などの震災関連死が蔓延しています。1947年に施行された日本国憲法第25条に生存権が規定されていますが,死文化しています。2016年以降,石巻市で本格的に傾聴ボランティアをしていますと,医師不足,看護師,ケアマネージャー,ヘルパー不足の深刻な悩みに遭遇します。福祉に従事する人数は必要数に対して大幅に不足しているのは3.11以前からです。ですから,震災以降,深刻な医療危機に被災地はさらされています。東北3県で最も被害者が多かった宮城県石巻市,その中でも津波の犠牲者が面積当たり一番ひどかったのは渡波(わたのは)でした。その渡波の在宅被災者に対して医療に携わる人の数はゼロが震災後続きました。恨めば恨むほど,精神衛生上,不幸感が高まっています。自殺した南相馬の93歳の女性の遺書に記されています。「毎日原発のことばかりでいきたここちしませんこうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします」22)。女性の死は,見殺しではありませんか。日本が1979年に批准した“国際人権条約”の「居住の権利」には,「現在住んでいる場所に住み続ける権利」right to remain だけでなく,「汚染源を住居の近くに作られない権利」があります。住み続けるためには,原発のようなものを作ってはならないし,作ろうとする大企業から個人を守るのが政府の役割です。しかし,政・官・財・学・マスコミは,電力会社からの潤沢な献金によって,脱原発も骨抜きにされています。身代わりとして,93歳の女性は骨になる必要はなかったと思うと,体の芯から震えます。
 東北の孤独死とパチンコは正比例しています。店の客の7~8割がお年寄りです。黙って一心不乱に玉の動きを目が追っています。コミュニティ,仕事,家族がなくなったからです。社会との心やすい関係が途切れています。喧騒な音楽にしばし我を忘れるしかありません。店を出ると,何もありません。
 生きたくても,放射能汚染で作付けダメなのです。生活保障はなし。飢え死にするしかない福島県農家,漁業関係者に国,県,市の行政は「死ね」と言っているようなものです。震災で家族を失い,年金もわずかの生き地獄で七転八倒なさっている孤独な高齢者にとり,「生きていて良かった」と言える日は到来する希望はぜんぜんありません。
 平等であるはずのに,「命の序列化」がまかり通るのが原発内の仕事です。住民票がない「路上で生活をしている人」たちは被爆しても訴訟もできません。今日も東電社員が足を踏み入れない危険な領域で,監視付きで強制労働させられています。
 生き地獄でのたうち回るくらいなら,いっそのこと自ら命を断つ選択する人が後を絶ちません。もろい,はかない,卑怯だと揶揄できるでしょうか。生きている間に,不幸が満ちているのです。震災関連死の中で,自殺の割合は突出しています。

 c.  自己に対する誠実から「正義の循環」へ
 ほころび,途切れた社会の縁を何とか結び直さねばなりません。縁を「支える」別の糸が要るのかもしれません。いろんな糸をよりあわせれば強くしなやかな縁になります。
 被災地の外国人数は7万5千人。石巻市には513人います。震災で日本人夫を亡くした妻,子どもたち。小学校高学年のため,フィリッピンに戻ることさえできません。近隣に外国人妻はいない孤独。生保も尽きようとしています。就労もむずかしいのです。子どもの就学など苦難が続きます。外国人被災者の安否を確認し,生活が再建されるためには,マンツーマンでの協働者7万5千人のボランティアは必要です。さらに民族的コミュニティがあることが望ましいでしょう。同時に日本全体が多民族・多文化共生を目指さねばなりません。国際結婚の悲劇は深刻です。家庭内では「風呂,めし,寝る」の三語だけの日本人夫は外国人配偶者にひどい仕打ちをします。食事,風呂などの用意ができていないとDVは日常茶飯事です。妻のパスポートを没収したり,外国人の日本在留資格の権限をもつ夫は王様です。外国人妻は逃げられません。結婚前はやさしく接しますが,夫婦生活は1年経たないうちに凶暴になってくるのです。震災失業が拍車をかけます。離婚したくても,在留資格,お金もなく,外国人はなかなか就労できません。雇用されたとしても,外国人労働者を使い捨て労働力として,経営者がセクハラ,パワハラであっても罰則されることがありません。法務省の入国管理事務所に相談しても,「なぜ結婚したの」と言われるだけです。「フィリッピンに帰ったらいいじゃないか」「DVの証明書がなかったらだめ,手ぶらで来たって受け付けられないよ」「他に相談してください。入管は人生相談の場ではない」「転んでできたあざかどうかわからないから,医者の証明書なしでは聞いてあげることはできないよ」「がまんするしかないよ」と相手にされません。東北の傾聴ボランティアは正義が失われた日本の病理現象を知る機会になっています。入管が在留外国人を「在留カード」で厳しく監視することより,日本人全体,メディア,警察が外国人を厳しい目で管理する空気が問題の根っこでしょう。
 「誠実でなければならない」という心情的な命題に対して,日本人は絶対的な規範がありません。詰まるところ「自己自身に対する誠実」だけがよりどころで,最高の美点です。「誠実」に対して無批判できたことの反省が求められるでしょう。日本人の基層的宗教性の最もわかりやすい概念が「誠実」です。しかし,「人間の尊厳」の自覚を他者性にまで拡大できるかどうか吟味する力が必要です。日本では伝統的に,他人に対する誠実,集団に対する誠実,事に対する誠実も,すべて「自己に対する誠実」で完結します。

 「田・山・湾の復活」で自然の循環を願うように,宗教者が手をたずさえ,「正義の循環」を祈り,分かち合い,実践する「はたらき」に気づいた一人ひとりが立ち上がっていくカイロス[時]でしょう。必ずしも団体,運動,組織の仕事,労働にしてはいけません。

<結論>
 今の時代,神が死んだのではありません。自然が死んだのでもありません。人間が死んだのです。自分の体に傷がある場合,7年経ち,細胞の代謝によって見えなくなるでしょう。傷ついた動物が癒しにくる温泉では,熊もウサギを襲いません。一般に「狼は小羊を襲い,豹は子山羊を襲い,若いライオンは子牛を襲う」のであります。しかし,「狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。」23)と新しい天と地が待たれます。ヒンズー教の大聖マハトマ・ガンジーが「明るく,楽しく,そして,しつこく」の言葉に留意しましょう。カタツムリのように歩を進めていくこと,それもしつこくが大切です。将棋のようにいつか歩は金に成るのです。「隣人を愛しなさい」,と耳にしますが,私たち宗教者自身が隣人を必要としている被災地の自然,抑圧されている人,弱者に対してチムグルシー(琉球の胆苦しい)共苦を抱いて接します。単にかわいそうに思う気持を言い表すのでなく,人の痛みの中に自分の痛みを見出し,心の奥深くにある哀しみを共感していきましょう。人権が損なわれている人と共に生きましょう。7月24日中国四川省から戻りました。わずかの滞在でしたが,友誼に篤い友ができました。中国人の親切,正直さにも改めて認識を深める視察旅行になりました。先入観なしに隣国の人たちと交友を深める苦縁の先兵として行かせていただきましょう。「日本人は僕らの敵から恩人に そして友達に」とつながるのは政府,官僚,机の上の計画では成し遂げられません。仕える共苦の中に鍵があり,新しい歴史の扉を開くのです。

1)「あなたがたの内に働いて,御心のままに望ませ,行わせておられるのは神であるからで
す」(フィリピ 2:13) “for it is God who works in you to will and to his  good   purpose. ”
2) 沼地などの減少により生息地がせばめられ,絶滅危惧種に指定されているイトトンボ。
3) 創世記 1章28節。
4)『聖典と現代社会の諸問題』(樋口進 キリスト新聞社 2011年 76,77頁)。
  “Son of man, prophesy against the shepherds of Israel; prophesy and say to them: ‘This is what the Sovereign Lord says: Woe to you shepherds of Israel who only take care of yourselves! Should not shepherds take care of the flock?  You eat the curds, clothe yourselves with the wool and slaughter the choice animals, but you do not take care of the flock. You have not strengthened the weak or healed the sick or bound up the injured. You have not brought back the strays or searched for the lost. You have ruled (radah) them harshly and brutally. Ezekiel 34:2-4 NIV.
5) 神戸国際支縁機構「牡鹿半島 聞き取り調査 (4) 」 2011年7月2日。
6)『歌集・森は海の恋人』熊谷龍子 北斗出版 1996年。
7) ルカ 15章18節。『新約聖書 柳生直行訳』(新教出版社 1985年)。
8) 創世記 2章9節。『新共同訳』。
9)『機械と神』(リン・ホワイト みすず書房 1972年 87-92頁)。
10) 同。
11)“Logos und Mythos der Technik”Tillichi GW.IX 1927 p.305-306。
12)『大辞林』(第二版)。
13)『森と人間』(田嶋謙三,神田リエ 朝日新聞社 2008年 57頁)。
14)『「持たざる国」の資源論』(佐藤仁 東京大学出版会 2011年 166頁)。
15)『アイヌ式エコロジー生活』(さとうち藍 小学館 2008年 8頁)。
16)『生きるということ』(エーリッヒ・フロム 紀伊國屋書店 1977年 39,46頁)。
17)『アイヌと植物』(福岡イト子 旭川振興公社刊 1993年 74頁)。
18) 同 82-83頁。
19)『田中正造全集第11巻』(田中正造全集編纂会 岩波書店 1979年 330,341頁)。
20)『毎日新聞』(2012年7月7日付)。
21)ラインホルド・ニーバー[1892-1971] ニーバーは「神よ, 変えることのできるものについて, それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては, それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ」,という祈りを説きました。 『ニューヨーク・タイムズ』(1950年7月2日 23頁)。
22)『毎日新聞』(2011年7月9日付)。
23) イザヤ 11:6。

“Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay”
– Religious Ethical Society  Summer Seminar –

Date: August 27 (Tuesday), 2013. 2:30pm ~ 3pm
Place: Asuka Institute of Kansai University Ueda Memorial Hall

Kobe International Christ Church
Pastor Yoshio Iwamura

<Introduction>
From July 7, 2013, a heavy rain hit Sichuan, China for about a week. Inundation above floor level reached more than 6 million, and huge amount of high buildings were destroyed. My wife Kayoko said that “The damage is worse than the Tohoku earthquake and tsunami.” We prepared everything in 3 days. We didn’t know anybody on the site. We even cannot speak Chinese. In terms of money, we bought 124,810 yen around tickets of China Eastern Airlines via Shanghai on 10 time payments. We put our sleeping bags in suitcases and we headed to Kansai Airport after the worship service on July 21 (Sunday), 2013 with our determination that we will go to the disaster affected area even we should fast for four days. Why could we go the disaster affected area without carrying a lot of money? It is recorded in the New Testament that “And he left them and went out of the city to Bethany, where he spent the night. (Matthew 21:17)”. Japanese Bible translation is not correct. Jesus “spent the night” (Greek aulizomai) means “sleep in the garden, sleep outside”(Thayer’s Greek-English Lexicon of the New Testament) Since he spent the night outside, he did not eat properly. If you look into the following sentence, it is written that “Early in the morning, as Jesus was on his way back to the city, he was hungry. (Matthew 21:18)” Continuing on, it is said “Seeing a fig tree by the road, he went up to it but found nothing on it except leaves. Then he said to it, “May you never bear fruit again!” Immediately the tree withered. (Matthew 21:19)” So, did Jesus vent his anger when he was hungry? In context, in the temple courts, it is recorded that “Jesus entered the temple courts and drove out all who were buying and selling there. He overturned the tables of the money changers and the benches of those selling doves.” And after he saw a fig tree, he said that “found nothing on it except leaves”. In other words, he criticized that “found nothing on it except leaves” is just like a majestic synagogue where tourists visit. Christianity also often spends a lot of money for ○○ tournaments, events and bazaars, but it may be a mechanism to temporarily enhance people’s emotion. In the parallel description, the Gospel of Mark, it is written that “Because it was not the season for figs. (Mark 11:13)” Therefore, we can see that Christ did not angry by his personal feeling. He told his disciples that Jesus replied, “Truly I tell you, if you have faith and do not doubt, not only can you do what was done to the fig tree, but also you can say to this mountain, ‘Go, throw yourself into the sea,’ and it will be done. 22If you believe, you will receive whatever you ask for in prayer. (Matthew 21:21)”. He told to do actual work. He encouraged doing actual act rather than just preaching the love for neighbors. We headed to the disaster affected area in Sichuan, China with our sleeping bags. I and my wife Kayoko was encouraged doing our will to engage in “work” for affected victims.[1] It was the same motivation that we had when we headed to the disaster affected area in Ishinomaki City, Miyagi Prefecture with young people two years and five months ago.

(1) Scars of the Tohoku earthquake and tsunami
 a. Impact on ecosystem
On 2:46pm, the devastation was huge. As far as I could see, there were rubbles, destroyed houses and traces of earthquake disasters.
Nearly 4,000 people became victims even only in Ishinomaki City.
“We have suffered terror and pitfalls, ruin and destruction. Streams of tears flow from my eyes because my people are destroyed. (Lamentations 3:47-48)”
The tsunami hit the Kasagai island, which is located on northeast of the Oshika Peninsula, Ishinomaki City. The height (runup height) was 43 meters. It was greater than the 1896 Sanriku earthquake. The trees in the mountains were covered by the sea, and the trees were vanished. Even cars were skewered in the rice fields. The fishery house at Mangoku-ura bay, where has the best oysters and seaweeds in Japan, has been flooded.
Water stream from the mountains grow rice. Piled-up leaves make a good soil. Clean water produces delicious crops. Waste water from pesticide-free, organic soil becomes a river and it flows into the sea. “All streams flow into the sea, yet the sea is never full. To the place the streams come from, there they return again. (Ecclesiastes 1:7)” Nature is circulating. It travels from the mountain to the sea; water evaporates in the ocean, becomes rain and falls on the mountain again.
Nature life has been linked to each other since the birth of the earth. Why had herbivorous animals not eating up by carnivorous animals? Because the grass was everywhere in the earth. Herbivorous animals such as cows with a large stomach, sheep and rabbits birth many children. There are special microorganisms in the stomach of the ruminant animals. They have survived with the helpful microorganisms for digestion. Carnivorous animals attack, so number of herbivorous animals will reduce. Then, carnivorous animals will have no animals to eat. On the other hand, the number of small animals will increase since their dangerous beasts are gone. It has been repeated for centuries.

b.Stewardship

Nature is the source for humans to receive benefit. However, rice Field, mountain, and bay became a place to make money. We use pesticides and formalin to grow crops, and use machines for efficiency to fill our greed. We do not think about safety of food to eat. We behave like human beings are greater than anything in the natural world. The number of sparrows and bees in Satoyama (里山: undeveloped woodland near populated area) has decreased. We hardly see small bug chironomidae that was used to fly a lot in the sky in the evening. Sparrows are disappearing due to the lack of insects to eat.
The Tohoku region, like other regions in Japan, was losing swamps near the sea. The natural environment has changed because it changed to be a flat land for housing and create large paddy fields. Therefore, when the tsunami hit, the water reached to the 40 km deep area from the sea. What had happened to the four-spot midget that lives in the swamps of the coast and estuary?[2] I have been visiting from Kobe for two years since 2011, but I haven’t been able to see the four-spot midget. Have livable habitats for dragonflies and butterflies that have moved to the north part due to the global warming had disappeared?
There is the word of God saying that humans should rule the earth. “God blessed them and said to them, ‘Be fruitful and increase in number; fill the earth and subdue it. Rule over the fish in the sea and the birds in the sky and over every living creature that moves on the ground.’”[3] “Subdue (Hebrew kabash)” kabash and “rule over (radah)” is used (Ezekiel 34:4). As it is in the context, “radah”is the meaning of caring, taking care of the flock by the shepherds. (Ezekiel 34:2-4)”. Therefore, it is not control down violently.[4] Humans must take care of nature in a gentle manner. However, for the sake of benefit, it has been ruined by environment disruption, pollution and arrogant control. Let’s return to the origin of living with nature.

c. Coexistence with nature

In the year of the Tohoku earthquake and tsunami, I visited the Oshika Peninsula at Ishinomaki City, Miyagi Prefecture. The name of “Shika (literally meaning, deer)” is everywhere. Ainu people prayed for Kamuy (“God” in Ainu language) when they could get a lot of deer.[5] Houses, lives and jobs at the ria coast area are completely washed away. Mr.Shoichi Abe, the current director of Ishinomaki branch of Kobe International Sustaining Organization and he is also a former principle at several elementary schools, guided us. Looking at the Oshika Peninsula from the ocean, you can see rich green mountains. There are many broad-leaf trees such as maple trees and quercus serrata. When you enter the forest, you will be buried in fallen leaves until your waist. Under the fallen leaves, there are many years of accumulated leaf mulch. When I put my hands in it to look if any beetles or stag beetles are sleeping, I smelled of mushrooms.
There is Mr. Shigeatsu Hatayama who is promoting the movement of “Forest is a lover of the sea” in Kesennuma bay, Miyagi Prefecture. I was made to notice that in order to revive the power of the diminished sea, it is important to take care of the river pouring into the sea and the upstream forest. We plant a seedling in the forest at Mount Murone that is located at the upstream of Ookawa River that flow into the bay. Since 1989, we started planning 250,000 trees of 50 species of broad-leaf trees with children. The movement was born from a poem of Miss. Ryuko Kumatani, who lives at mountain village, “Eternal love is spinning while the forest loves the sea and the sea love the forest.”[6] When I listen to trees, I can hear the sound. They are alive. The poem takes trees as their original words, and it has the sound that has been flowing through the history.
We have destroyed nature by our selfish way of life. We are the prodigal children who forgot own hometown. For the son who admires the nature of the hometown as “I will set out and go back to my father”[7], the place to return is the forest. In the Garden of Eden, which is the forest, there were “the tree of life” and “the tree of knowledge of good and evil.”[8] Humans have repeatedly strayed whether to protect forests, or to build sediment control dam, flood-control dam, and landslide dam. In Tohoku region, they are in trouble with the increase of deer. “The tree of life” takes care of the seedlings of the forest and considers the natural “ecosystem”. On the other hand, “the tree of knowledge of good and evil” think the “life” of people who dominant the nature, so people has no choice but reducing the number of deer.
Which one should we think first, natural “ecosystem” or human “life”?
“Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay” thinks about both side and opens a path that everyone can agree. We live with nature by having a connection with other creatures.

(2) Taking care of the nature rather than dominating it.
a. Let the earth to obey.

“All kinds of animals, birds, reptiles and sea creatures are being tamed and have been tamed by mankind.( James 3:7)” Subdue the earth, which is to say the word of “rule over (dominiu terrae)”, appears in the beginning of the Bible, Genesis 1:28 that is the creation of mankind. The early Fathers and successive theologians have also been interpreted that humans have the power to control nature.[9] We have saw nature as a creation, and it became the proof for humans to do aggressive domination as the master. It leads to the conquest of the new continent, the exploitation of resources and the destruction of the natural world. In other words, whether it will able to utilize the nature and creation, which is not god, as the production base became the point of the success and failure. It is said that “In the past, humans were part of nature. However now, humans have become exploiters.”[10] René Descartes [1596-1650] divides human and nature by modern philosophical thinking that human is “mental substance (res cogitans)”. He established the foundation of the development of science and technology that began in the 17th century. Emphasizing on numerical values and efficiency is prioritized. Under the Cartesianism that humans stand on nature, science developed and an industrial revolution took place. However, it became the beginning of environmental destruction. Prominent theologian Paul Tillich [1886-1965] of the 20th century also inherits the leading track.[11] 

b. Faults in the Japanese new of nature

Saigyō Hōshi [1118-1190] read a song about ten years before his death. “Negawakuwa hana no shita nite haru shinan sono kisaragi no mochizuki no koro. (I hope to die under the cherry blossoms in spring, around the time of full moon in February of the old calendar).” Saigyō departure to the next life on 16th of the next day of “kisaragi no Mochizuki (the anniversary day of Buddha on February 15th)”. We are able to have peace of mind only in the nature. Living together with the natural world is more appealing to Japanese mentality than having things from it.
There are some people who collect stamps at their young age. Some elementary school students may be more interested in collecting insects. It seems that there is a motivation for children to “have”. About the butterfly that exists in the nature, their quantity, quality and maintenance as “things” become the center of children’s interest.
Japan is also a country that “has” rich natural resources such as forests, water and soil. The definition of “resources” is that “An element that contributes to production that can be obtained from the nature. Widely, it refers to what will be the basis of industry and support it.”[12] Coming into the 21st century, natural disasters such as concentrated heavy rain, water flood and earthquake have been repeatedly happening on the Pacific Ring of Fire area. In the forest, there are roles as environment to prevent natural disasters and as an industry to provide wood materials for reconstruction housing.[13] In Japan, “things (materials and raw materials)” in the natural world have been turned into industries. By adding labor work, we have manufactured and sold it. Before the war, as a country without resources, Japan made her way into Northeast Asia because of territorial narrowness, overpopulation and justifying of colonialism. When the lifeline of resource supply from other countries was cut off, there was no way but start the great war. Before importing cheap foreign wooden materials from Canada, cedars and cypress trees, which can make good money as construction materials, were strenuously planted throughout in Japan. But did Japan have no resources? For example, thinking about the Japan’s self-sufficiency ratio of woods, it was proudly nearly 100% until the early 1950s. However, it dropped to 45 % in 1970 and 28% in 1990, and currently shifted to around 20%.[14] Both forestry and agriculture in Japan is exposed to cheap external materials. There are other concerns besides having no resources.
In addition to problems such as air pollution, dioxins and drug dispersion, it has become a conviction line for natural disasters due to environmental destruction that people will be not concerning about Satoyama, local sea and local agricultural fields. Tragedy that would cause the extinction of humans, wildlife and plants which are living on the space craft Earth, shouldn’t be happened.
Mankind cannot survive in Western philosophy. An idea of coexistence with nature that has existed since ancient times in Japan, is introduced by Mr. Takeshi Umehara, whose mother was from Ishinomaki city, as a new principle of new civilization. It is symbolized by the Buddhist words of “Sou-moku-koku-do-shi-kkai-jou-butsu (草木国土悉皆成仏. All things have the Buddha’s nature)”. It is the idea that every things on earth, from grass, trees, soil and wind, have the Buddha’s nature and they have the same souls as human beings. Humans are not only special existence, and everything is only part of the earth. Mr. Takeshi Umehara says that this thoughts is inherited the Japanese ideology since the Jomon Era. The view of the nature of “Eshō-funi (依正不二. Oneness of life and its environment. It is also described as Eshō [依正 : the enrionment] and Shōhō [正報: human life] that it exist together as one. Undividable things)”, may have been hurt miserably by the Fukushima Daiichi nuclear disaster. Mass consumption of neon lighting at sleepless town Tokyo. A house without wooden appearance. The water supply that is not suitable for drinking without water purifier. It seems that the security to protect individual life has been secured. However, the other side reality of the affected areas, marginal villages, depopulations, aging society and declining birthrates have not been getting attention.

c. Circulation among personality = human and impersonality = the nature

The identity of Ainu is introduced that “Ainu, it means human, and there are kamuy in the world that far beyond human power. Kamuy of the fire, kamuy of the mountain, kamuy of the river and kamuy of the wind. Humans respect kamuy, and appreciate the grace from it. And also, kamuy appears in the human world in the form of creatures such as bears and owls. Kamuy is an entity that raises lives that humans cannot create.”[15]
I don’t know whether the sensitivities that Japanese people values became the origin of the word of “God”, but there is the Ainu word, “kamuy”. In the Ainu mosir (the quiet earth of human beings), god, humans and the nature are coexisting. It is not “to have” things, but “to be”. In other words, a value of existence is putted importantly on the center, not for possession.[16] Occasionally, butterflies come to lay eggs in the fields of the Sanriku road that leads to Ishinomaki City, Miyagi Prefecture. Drivers may naturally smile when they see those beautiful visitors. I think that there are many people have memories of chasing butterflies with insect nets at their elementary school days. Sometimes, they must have experience for being spirited off by butterflies and confused from it. People call the Japanese luehdorfia as the spring goddess. Extinction of butterflies is prevented by butterfly lovers through their effort to plant butterfly’s favorite grass and plants at gardens and neighboring places.
The Ainu people thought, “The trees and grass are god, and in the kingdom of God, they live in human figure.”[17] Ainu talks about Amur adonis. They find the light of the god in the shining yellow flower in gold as “When I took out my treasured sword, the yellow flower Amur Adonis shined in golden color and went out as a light of god from the tip of sword – Yukara (Ainu sagas that form a long rich tradition of oral literature).”[18] However, god died due to the nuclear meltdown ((core meltdown) of Fukushima in 2011. The nature is also dead.
How was it before the war? The Ashio Copper Mine Incident occurred because of putting too much priority on corporate interests in resources.
The house of representatives, Mr. Shōzō Tanaka insisted. “Plants are not human made. All of things are the part of results of the work of the divinity. Bird, animal, insect, fish, shellfish, mountain, river, grass and tree. All of things exist between the heaven and the earth teaches me. All of them are my good teacher. Amen.”[19] He takes grass, trees and nature not a subject of control, but as a teacher.

(3) Release of the creation
a. Groaning of the creation

“We know that the whole creation has been groaning as in the pains of childbirth right up to the present time. (Romans 8:22)”

Hiroshima, Nagasaki and Fukushima are groaning. At the year of the 66th year after the atomic bombing and the 40th year after the starting operation of the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant, the nuclear meltdown (core meltdown) occurred at the level 7 of the International Nuclear and Radiological Event Scale. By the accident, 630,000 TBq of radioactivity were released. About 152,000 people were forced to evacuate due to soil contamination. Currently, polluted mud is flowing out from the plastic bag that contains the decontaminated soil.
The village chief of Iidate in Fukushima Prefecture said that “70% of the area in Iidate is the mountain. Even we decontaminate around our house and farming land, we are not able to decontaminate the mountain. So, the radioactivity is flowing from the mountain. Children are victims. They must carry a sticker of an Iidate villager for the rest of their lives.”
Safety is considered to be the most important more than ever. However, extreme anxiety and stress are spreading more and more. According to the statistical point of view, that is, the philosopher Descartes’ rule of signs, it can be said as safe. However, in essence, the modern society has continuously postponed the threat of Eschaton, bringing together the wisdom of humanity, and it try to invent versatile science, mass consumption and convenience. This time, the endless continuing of great fear of decontamination, atomic bomb survivor, and impossible of reactor decommissioning is nothing like but same the fear that the future image that has been postponed to uncertain horizon, is finally found in the last scene of the movie “Planet of the Apes”. Roar of the Auschwitz concentration camp, Hiroshima, Nagasaki and Fukushima was a shadow of preoccupation for the future attacking, but we could not stop the fear of darkness of heaven and earth that was creeping up on. Nevertheless, enthusiasm of scientists, engineers and politicians, officials, economic leaders, and scholars who aim to be a military state are filled absolutely without repenting. A male worker, who was engaging in public work for removing the rubble at the Great Hanshin-Awaji Earthquake, was exposed to asbestos and developed mesothelioma in his 40s.[20] The period of exposure, the median is 17.4 years. The median period to death is 15 months after onset. We must not forget the onset of time bombs of the exposure from the Fukushima Nuclear Power Plant Incident. Radioactivity is already circulation around the earth.
Nuclear power and Christianity never encounter. Nuclear power plant in Japan is a deep root problem of Christianity. The United States theologian Reinhold Niebuhr accused the atomic bombing to Hiroshima. However, he deliberately ignores a development of a nuclear power plant.[21] It is because that he did not identify the atomic bomb and the nuclear power plant as the same monster. Therefore we “changed it, though we should not change it.” Nuclear power generation is not an exclusive feature of Kyoto University and Kindai University only. The largest Anglican Christian affiliated university, Rikkyo University became the first soldier for nuclear power research of the United States. Christianity itself brought the nuclear power plant for a peaceful use as the fire of Prometheus. Even Christianity is the cause of the roar of the creation, they have not apologized once.
Not only all mankind on the earth is facing to the food shortage, ratio of food self-sufficiency of Japan has dropped below 40% and we are standing on the edge of whether we can survive or not. Consumers are also tending to prefer bread than rice, meat than fish, so we are becoming to be difficult to do self-sufficiency more and more. The system structure that young people can take part in agriculture, fishery and forestry of the primary sector of the economy in order to produce, process and sell it, isn’t established. Collapse of the village society by the depopulation, aging society and declining birthrate due to the gap from Tokyo centralization, is a red signal. In exchange for development of the mass consumption, the gap structure of depopulation, aging society and declining birthdate can be said to be “exploitation (Ausbeutung) against the natural world. Young people are not interested in agriculture, forestry and fishery work even in the time of more turnover propensity, hollowing out of industry, and shortage of skilled workers. Because young people do not want to be exploited, dominated, or controlled. Due to the rice acreage reduction policy, only 2,600,000 hectares of farmland are left. Fallow fields and abandoned fields are just left behind.
Mangokuura, Ishinomaki City, is the world’s largest oyster bed. Today, nori growers are also crying. Human sewage, concrete construction methods and seawall are damaging the ecology system of the sea. Norovirus is a cause of clippers syndrome and red rot.
The land is sick. Water strikes the land where people live in by becoming heavy rain, tsunami and flood. Fire is symbolized by volcanic explosions. The air has become a natural catastrophe element such as tornadoes.
The earth is groaning. When the people were groaning in Egypt, God sent Moses. Even in Japan, Gyōki [668-749] did not teach, and talk about the fundamental doctrine, but served the people and the nature that were groaning.

b. Share sufferings

In the disaster affected area, disaster-related deaths such as “lonely death”, “unattended death”, “hunger death”, “freezing death”, “suicide”, “caregiving-suicide / murder” and “too late death” are spreading. In Article 25 of the Constitution of Japan, which came into effect in 1947, it defines the right to live, but it is a dead culture now. While we have been engaging in listening volunteer in Ishinomaki City since 2016, we have encountered serious problems of lack of doctors, nurses, care managers and caretakers. The number of people engaged in welfare work was significantly short for the required number even before the 3.11 event. However, the disaster affected area has been faced to a serious medical crisis since the earthquake. Ishinomaki City, Miyagi Prefecture had the highest number of casualties in the three prefectures in Tohoku region, and Watanoha area had the most severely damage and victims by tsunami per area. The people who involve in medical care for the home-victims in Watanoha were zero after the earthquake and it had continued for a while. The more you blame, consider about the mental health, the more you feel unhappy. It is written in the will of a 93-year-old lady from Minami-soma who committed suicide. “I feel more dead than alive because of the nuclear power every day. I have no other way. Good-bye. I will escape to the grave.”[22] Isn’t the death of her an act of forsaking? “The right to housing” in “the International Bill of Human Rights”, which Japan ratified in 1979, includes not only “the right to remain the place where you live now” but also “the right that not allow creating pollution source at near your residence”. In order to live continuously, we should not make something like nuclear power plants, and it is the role of the government to protect individuals from the big companies that are trying to create it. However, politicians, officials, economic leaders, scholars, and mass media have been mutilated by rich contributions from electric power companies so they don’t talk about abandoning nuclear power generations. When I think that it was unnecessary for 93-year-old old lady to sacrifice herself, I feel deep pain from bottom of my heart.

Lonely death and people who do pachinko parlors are in in direct proportion rate in Tohoku area. Almost 70 ~ 80% of customers are old people. It is because that they lost their community, job and family. The relationship between the society and the mind are separated. People have no other choice, but forget everything in a loud music. When they leave pachinko parlor, there is nothing.
Even they want to live, but they cannot do agriculture because of radioactive contamination. There is no life security. It is like that the administration of the country, prefecture and city are saying “die” in starvation to certain people who are engaging in farmers and fishery in Fukushima, For lonely elderly people, who lost their families by the earthquake and feel like a living hell and tossing oneself about in great pain with their very limited national pension support, there is no hope for a day that will come, when they can say “I am so glad to live”.
It is the job inside the nuclear power plant that “the grading of life” goes through even though people’s life should be equal. Those who live on the streets without residence certificate, they cannot sue even if they are occupationally irradiated. Even today, people are forced to work inside the dangerous area where employees of Tokyo Electric Power Company Holdings don’t enter, under surveillance.
The number of people who chose to finish their own life will never stop, because they don’t want to suffer in living hell. Can we cynical about their choice as weak, ephemerality and unmanly? There is full of unhappiness while they are living. Among the earthquake-related deaths, the rate of suicide stands out.

c.From sincerity to self to “circle of justice”.

We must tie again the relationship with a society. We might need another “support” for relationship. We need to put together a variety of yam to make a strong but kind relationship.

The number of foreigners in the disaster affected area is 75,000. There are 513 people in Ishinomaki City. There are wives and children who lost their Japanese husbands and father in the earthquake. They cannot even go back to Philippines because their children are already seniors in elementary school. Widows feel alone because there is no foreign married woman in the neighborhood. Their life insurance is about to run out. It is also difficult to find a job, but children need to go to school. Their hardships are continuing. In order to confirm the safety of foreign victims and rebuild their lives, it is necessary to have 75,000 volunteers of one-on-one collaborators. It would be desirable to have more ethnic communities. At the same time, whole Japan must aim for multiethnic and multicultural coexistence. The tragedy of international marriage is serious. Japanese husbands, who have only three words of “furo, food, sleep” at home, treat their spouse very badly. If their food and furo had not ready, their domestic violent is a daily thing. They took the passport of their wives and they are just like a king who has a right to give foreign resident status in Japan. Their wives cannot escape. Before marring, their husband treated them kindly, but they become violent in less than a year.
The disaster unemployment drives up. Even they want to divorce, there is no resident status, no money and it is difficult for foreign wives to find a job. Even if they are employed, employer treats foreign workers as disposable labor, and there is no punishment regulation against sexual harassment or power harassment. When they consult with immigration bureau of the Ministry of Justice, they are just said, “Why you got married?” Office people just say, “Why don’t you go back to Philippines?”, “If you don’t have certificate of DV proof, we cannot accept your appeal”, “Please consult with others. Immigration bureau office is not the place for life counselling”, “Your bullies might be caused because you just fall down. We cannot listen to you if you don’t have doctor’s certificate”, or “You just need to bear it”. Listening volunteer in Tohoku region have become an opportunity to learn about sociopathological phenomena in Japan that lost justice. The air to manage foreigners by severe eyes of whole Japanese people, media and police is the root of the problem more than immigration control by close monitoring of immigration bureau through “residence card”.
The Japanese have no absolute norms for the emotional proposition, “must be honest”. After all, only “honest to oneself” is the most important virtue point. We will be required to reflect on the fact that we have not criticized toward “honesty”. The most easy-to-understand concept of Japanese basic religion is “honesty”. However, we need the ability to examine whet here we can extend our awareness of “human dignity” to other people. Traditionally in Japan, “honesty” for others, for groups, and for all things is completed in “honesty in oneself”.
As we are wishing for the circulation of nature in “Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay”, it is the Kairos (time) that each one of us stands out by noticing the “work” that each religious people hold hands together to pray for “circle of justice” and share it and exercise it. We must not make our activities as a work or labor of groups, movements and organizations.

<Conclusion>
God has not die in this era. Nature has also not died. But humans have died. If you have a wound on your body, after seven years, your scars will be hardly to see it due to cell metabolism. At the hot spring where injured animals come to heal, a bear does not attack a rabbit. In general, “The wolf attacks the lambs, the leopard attacks the young goats, and the young lion attacks the calf.” However, a new heaven and earth is awaited, “The wolf will live with the lamb, the leopard will lie down with the goat, the calf and the lion and the yearling together; and a little child will lead them.”[23] Keep in mind the words of Mahatma Gandhi, that “to be bright full, enjoyable, and persistent”. It is important to keep walking like snail and keep it insist. Someday, like shogi (Japanese chess), a pawn will be a gold general. We hear that “love your neighbors”, but we, religious people, should be with the oppressed nature and people that in need to have their neighbors. And as well as we need to be with the vulnerable people by means of cimugurusii (Okinawa dialect. “Sufferings from deep inside”). Not only simply expressing a feeling of sadness, let’s find out your pain in other’s pain and sympathize with the sorrow that stays deep in mind. Let’s live with the people whose human rights are ignored. I returned from Sichuan, China on July 24. Although it was only a short time stay, I made a good friend in Youyi County.
It became a learning trip to deepen awareness of the kindness and honesty of the Chinese people. Let’s go as a first solider of “Ku-en (苦縁. Connection born from sharing sufferings)” to deepen relationship with neighboring people without having prejudice.
To be connected as “Japanese people became our benefactors from enemy, and we become friends”, cannot be achieved by the government, bureaucrats and plan on paper. There is a key in struggles that we serve, and we can open the door to a new history.

[1] “For it is God who works in you to will and to his good purpose.” (Philippians 2:13)
[2] Due to the reduction of swamps, habitats of Damselfly are narrowed and they are acknowledged as endangered species.
[3] Genesis 1:28
[4] 2011. S, Higuchi. Seiten to gendaishyakai no shyomondai. The Kirisuto Shimbun. 76-77.
  “Son of man, prophesy against the shepherds of Israel; prophesy and say to them: ‘This is what the Sovereign Lord  
  says: Woe to you shepherds of Israel who only take care of yourselves! Should not shepherds take care of the flock? 3
  You eat the curds, clothe yourselves with the wool and slaughter the choice animals, but you do not take care of the
  flock. 4 You have not strengthened the weak or healed the sick or bound up the injured. You have not brought back
  the strays or searched for the lost. You have ruled (radah)them harshly and brutally. Ezekiel 34:2-4 NIV.
[5] 2011. “Research in Oshika Hanto (4)”. Kobe International Sustaining Organization. July 2.
[6] 1996. R, Kumatani. Kashyu / Mori ha umi no koibito. Hokutosha.
[7] 1985. Luke 15:18. The New Testament. Translated by Naoyuki Yagyu. Shinkyo Publishing.
[8] Genesis 2:9. The Bible, The New Interconfessional Translation.
[9] 1972. L, White. Machina ex deo : essays in the dynamism of western culture. Misuzu Shobo. 87-92.
[10] ibid.
[11]  1927. P, Tillich. Logos und Mythos der Technik GW.IX. 305-306.
[12] Daijirin (2nd edition)
[13] 2008. K, Tajima. R, Kanda. Mori to nigen. Asahi Shimbun Publications. 57.
[14] 2011. J, Sato. A Theory on Resources Claimed by a Resource Impoverished Country: Towards Integration with Environmental Theory. University of Tokyo Press. 166.
[15] 2008. A, Satouchi. Ainushiki ecologe seikatsu. Shogakukan. 8.
[16] 1977. E, Fromm. To Have or to Be? Books Kinokuniya. 39, 46.
[17] 1993. I, Fukuoka. Ainu to shyokubutsu. Asahikawa Development and Promotion Corporation. 74.
[18] ibid. 82-83.
[19] 1979. Tanaka Shōzō zenshyu dai 11kan. Tanaka Shōzō zenshyu hensaikai. Iwanami Shoten. 330, 341.
[20] 2012. Mainichi Shimbun. July 7.
[21] Reinhold Niebuhr [1892-1971] Niebuhr preached the Serenity Prayer that, “O God and Heavenly Father, Grant to us the serenity of mind to accept that which cannot be changed; courage to change that which can be changed, and wisdom to know the one from the other, through Jesus Christ our Lord, Amen.” 1950. The New York Times Book Review. July 2. 23.
[22] 2011. Mainichi Shimbun. July 9.
[23] Isaiah 11:6

 

「田・山・湾の復活」のテーマで主な発表系譜

神戸松蔭女子学院大学  「東北の『田・山・湾の復活』」 2012年3月12日
②「みんなで考える9条・明舞の会」 2012年5月13日 「田・山・湾の復活」
③ 季刊誌『支縁』「田・山・湾の復活」連載 No.1(2013年2月3日)~(英文付)
④  宗教倫理学会 「田・山・湾の復活」(英文付)
    日 時 : 2013年8月27日(火) 午後2時半~3時半 
    場 所 : 関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス
⑤ 『石巻かほく』つつじ野 (2017年10月3日付) 「田・山・湾の復活」(英文付)

 

教科書について発題

家永三郎色紙 

  生誕100 年 家永三郎さんの学問・思想と行動の今日的意義 ──歴史認識と教育を考える── 2013年8月31日 “かちまけは さもあらば あれ たましひの自由をもとめ我はたたかふ”

 東京都教育委員会は,教科書の選びを現場の教師たちに任せよ。
文科省検定を通った実教出版の新教育課程『高校日本史A』がある。旧日本軍が第2次大戦末期,「最後の本土決戦」に備えて「松代大本営跡」地下壕に朝鮮人強制労働させたことや,日本軍「慰安婦」について,実教出版社は「高校日本史A」に真実を記している。ところが政府,文科省,東京都は各学校長に圧力をかけ採用しないようにさせている。現場の教師たちがどの教科書を選ぶか委ねるのが筋だろうに。戦前のように国,文科省が教科書採択に不法・不当に介入し出したことは全体主義のさきがけである。お上の介入は適切でない。実教出版の新教育課程『高校日本史A』について6校がやめざるを得なくなった。現在,東京都の学校で採用はゼロ。暗黒時代の幕開けか。

20130815教科書ネット
「子どもと教科書全国ネット21ニュース」91号(2013年8月 1頁)。Pastor Yoshio Iwamura

 「子どもと教科書全国ネット21」

 ライン二色

 

 

教科書にのっていないアフリカ

 ワールド・ビジョンは設立20周年の記念に,2008年,神戸と東京で,体験型イベント「教科書にのっていないアフリカ」を開催。

 岩村は東京のワールド・ビジョン三木晴雄理事から神戸の最もよく人の集まる繁華街に,ひとつのビルのワンフロアを無料で借りるように依頼される。条件に合う未使用のビルなどあるのかどうかわからないまま,引き受け,電話を切ってから青ざめた。
 神戸で一番ビルを多く経営する頴川欽和氏[株式会社建隆コーポレーション取締役]を訪問した。明石の「瀧の湯」で入浴中に知り合った建隆勤務弓削清三氏が仲介してくれた。
 元町大丸の横のビルを交渉し,会場を確保することができた。どこの馬の骨かわからないにもかかわらず,頴川氏が初対面の牧師に寛大な精神で接してくださった度量には頭が下がる。
 会場はエイズ,紛争,家族の喪失だけでなく,食糧不足,誘拐,無学にうち沈む子供たちの実態について現地にいるかのような臨場感をもって体験できる。
 アフリカの子どもたちの最大の願いは何か。
 「大人になること」という答え。つまり大人になる前に犠牲になる子供が多い。彼らの悲しみ,叫び,涙に接するとぜいたくを味わっている日本人の子供たちは衝撃を受けるだろう。

http://www.worldvision.jp/news/news_0214.html

教科書にのっていないアフリカ
ワールドビジョン・ニュース 2008年4月18日 サンテレビ放映 左端 岩村義雄 Pastor Yoshio Iwamura

  教科書にのっていないアフリカ告知

 

 アフリカの子供とハゲタカ

 

 

 

 

 

  肉食のハゲタカは子供が死ぬのを待っている

ハゲタカの憐れみ マンガ

 

 

 

 

 

 

  襲うハゲタカでさえ,子供を不憫に思う

 

 

 子どもの埋葬

 

 

 

  わが子を埋葬する母親

「祈り」 主似化

キリスト教と祈り 祈らざるを得ない時もある

 2010年7月17日から,垂水朝祷会がはじまりました。

平和の祈り

 月に一回,教団,教派を超えて,エキュメニスティの集いです。ご出席なさる
方々へ,案内をさし上げています。「祈り」について,観念ではなく,体験宗教
の中で培われた神との霊的な架け橋を流し出しています。

 パソコンのデータ保存が機能していなくて,2013年4月以降からはじまりま
す。

 ⇒ 葉書用案内メッセージ 作成 岩村義雄 Pastor Yoshio Iwamura

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「日本軍戦争加害博物館を神戸に」“Intention of Setup of the War Archive Museum in Kobe”(英文付)

消してはならない! 加害の歴史

アジアから見た日本

 過去に目を閉ざそうとする人間は,過酷な過去をもう一度経験するように強制される(元西ドイツ大統領ヴァイツゼッカー)

 日本では被害を受けた広島の原爆資料館がある。一方,政府は戦争加害を謝罪するミュージアムをひとつも作ってはいない。過去の偉大な人物を誇りに思うのと同様に,負の遺産もおろそかにしてはいけない。隣国との友好にはドイツの千近くの加害博物館を見倣うべきだろう。

 ドイツでは過去を心に刻み,戦争被害者に謝罪することは国是となっている。そのため,千近くの戦争加害ミュージアム(博物館)を建造。そのおかげで,犬猿の仲であったフランス人はドイツを信頼できる国として受け入れるようになっている。

戦争資料館設立 趣意書

日本戦争加害博物館を神戸に
英文 Intention of Setup of the War Archive Museum in Kobe

青地はクリックしてください。

2012年3月 設立準備委員会
発起人 岩村義雄

 なぜ今,神戸に戦争加害博物館が必要なのか。2012年に,神戸に戦争加害博物館を作ろうと運動を始めた目的は何か。

 戦争加害の事実を丹念に拾い上げたい。知性面の分析だけに終わってもならない。「リアル」に戦争を実証的に見つめ直す契機が必要である。なぜならば実際に日本軍がアジア周辺諸国に「侵略戦争」を行っていながら,戦後,政治家が「まぼろし」「偽り」「でっちあげ」と強弁しているからである。自国内はもとより国際的に「自存自衛」の戦争であったと日本政府は主張している。大虐殺,強制連行,慰安婦が存在しなかったかのように多くの日本人はいつしか無関心,忘却,風化の傾向を否めない。学校で学ぶ教科書からも削除され,戦争の歴史を真正面からとりあげていない。
戦争当時の現実を体験していないばかり,学んでいない21世紀の人々が,歴史文献を何冊読んでも実感できない問題がある。戦争に再び駆り出される社会に抗う心が育てられていない。戦場で雨あられの爆撃も経験していなければ,1937年12月1日から行なった日本軍による南京大虐殺を目撃証人でもない。朝鮮半島や中国,東南アジアなどで慰安婦を強制連行した現場をも知らない。
戦前,戦時下に日本軍が残虐な行為をしたと言うやいなや,自虐史観 masochistie view of history というオウムが反応するような空気が日本列島を覆っている。
しかし,731部隊が行なった人体実験,中国の撫順での住民虐殺,沖縄におけるジェノサイド[集団殺害]は決してねつ造したものではない。
忘れてはならない歴史を資料館が覚醒させるだけが目的ではない。日本軍兵士が行なった真実から繰り返してはならない歴史について学習することが本来であろう。
たとえば,シンガポールの「セントーサ島戦争資料館」,タイの「JEATH戦争博物館」などは日本軍が現地の民に対する虐殺行為の記念館として建てられた。
ドイツ政府は戦後,ナチス犯罪追求により,死刑10名,終身刑163名を含む7189名に有罪判決を下している。一方,日本は日本人の手で戦争犯罪人をだれ一人として裁いていない。
ドイツでは過去を心に刻み,戦争被害者に謝罪することは国是となっている。しかし,戦後すぐはドイツでも加害責任を認めたくない保守的な意見が覆っていた。1939年以降,ヒトラー扇動による戦争は第一の罪,一方,戦後,加害者としての罪に真剣に立ち向かわないことを第二の罪とドイツの民,政治家,メディアはとらえるようになった。その結果,1000近くの戦争加害ミュージアム(博物館)を建造。国が財政赤字にあがいていようがいまいが,博物館構想は頓挫しなかった。たとえば,2005年,ベルリンの最も立地条件のよい場所に,ドイツ政府は2700万ユーロ(約37億円)の建設費を承認した。
神戸は戦後3年を経た1948年に,唯一,戒厳令が敷かれた場所である。戦争当事国が攻略した国,地域の言語を奪うことは常套手段である。言語中枢の支配こそマインドコントロールの手法である。戦後になっても朝鮮語で学ぶ機会を与えないために朝鮮学校を排除しようと発砲した神戸事件[通称「阪神教育闘争」(1948年4月24日)]があった。母語による学校許可を願い出た朴柱範[パク・チュボム 1885-1949]は志半ばで倒れる。
過去の犯罪のモニュメントを設置する理由は歴史を繰り返さない証明である。ドイツも戦後20年近くは「自分たちには責任がない」がまかり通っていた。英霊の犠牲のおかげで国家が救われたという視点から,自国がしたことは罪であると素直に受け入れる否定の論理にシフトした。だから戦時下蹂躙された隣国フランス人は敵国ドイツを信頼できる国として認めることができたのである。
日本では広島の原爆資料館など「被害」を被った立派な施設がある。一方,「加害」について日本政府は語ろうとしないし,海外では反省の弁を臭わすが,謝罪もしない。それでは次代を担う若者たちはまったく無知な裸の王様であろう。過去の歴史で登場する英雄たちを誇りに思うのと同様に,負の遺産もおろそかにしてはなるまい。
未来志向で近隣諸国と友好を深めるため,自らの非を反省,謝罪,補償できる大人でなければならない。過去の事実をなかったことにしようというのでは虫が良すぎる。戦争を直視する円熟した国に脱皮すべきであろう。たとえ世界的に民主主義が後退しても,国が道を踏み外すことがあっても,平和を守ろうとする信念を捨象してはいけない。自分たちの被害を主張するのではなく,まず加害者としての謝罪や補償が日本の将来の国益になるという展望を日本人全体が共有することが前提である。そのためにも戦争資料館は戦争突入への抑止力,平和発信基地,教育に有益であろう。過去の資料を封印されてしまった日本人が戦争資料館によって,記憶の倉庫に保存しておくべき史実をよみがえらさせる契機となろう。Rememory をいつまでも噛みしめ,次世代が継承視点をもってほしい。いわば記憶運動である。
普遍的に民族,思想,宗教に関係なく,多くの人々が受け入れやすい共通認識は「平和」である。神戸に殺戮,強制連行,慰安婦の資料などが全国にさきがけて建設される日を祈る。

 “Intention of Setup of the War Archive Museum in Kobe”

                      Date: October 30, 2016
_________________________
Yoshio IWAMURA
Promoting founder

A new museum to archive the memories of war inceptor – Why in Kobe? Why now? What is the reason to start
this project to set up a War Archive Museum from the perspective of those having started the war against other nations?
Our primary object is to find and archive the factual records on Japan as war
inceptor/perpetrator/victimizer in a meticulously detailed way, while it should not be simplistically a mere accumulation of intelligent analyses. It is essentially necessary to have a time to recollect the past wars based on “the naked reality” with supporting. Why? Because we know the post-war deception of certain Japanese politicians, who have tried to make people believe there were only something called ‘fantasy’ ‘fraudulent’ or ‘fake’, though the acts of the war-period Japanese Imperial Army were nothing but invasions toward other Asian countries and territories. Not only toward Japanese citizens, the post-war Japanese government has even been insisting that those wars were “to protect our own selves’ independence
” in the international scenes. I see there are trends of indifference, oblivion, or subside of our own countries’ modern history in majority of the current Japanese people, as if there were not “massive massacre” “forced deportation” or “consolation women” though I do not know when exactly these trends started. These words are neglected on the pages of school textbook sanctioned by the government, and the “nationally accredited textbooks of history” even do not mention directly and fairly the naked historical facts.The 21st century contemporary [Japanese or people], who are ignorant of the reality of the wartime, even have never been taught of the facts, may not be aware of certain core issues, although they have read thousand historical literatures. They are not encouraged to guard their heart so that they make a fight against a society which might drive them to get involved in wars against another nation. They are ignorant of the bombardments in a war field, where fatal bullets pour down right over their heads, or not eye- witnesses of Nanjing Massacre by Japanese Imperial Army, allegedly started from December 1st of 1937, while where the so-called forced deportations of “consolation women” from Korean Peninsula, China Mainland or other South East Asian countries and territories were carried out are beyond their knowledge.
‘Self-humiliating’ historical perspectives among Japanese nationals are so common that any opinions implying Japanese armies made atrocious acts [towards their Asian neighbors] before and during the latest war have been treated as a matter of facts at every corner of Japan.
However, the physical experiments made by Unit 731 led by General Ishii which carried out chemical and biological weapons towards Chinese civil people, massacre of residents in Fushun, Liaoning Province, China, and a genocide of Ryukyu people in Okinawa are not fabricated history at any means.
https://en.wikipedia.org/wiki/Unit_731
https://zh.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%98%9F80
Our goals is not only limited to reminder of unforgettable historical facts through the archives of the Museum. It would have to be depicted as the principal role of the Museum that the reality of what Japanese soldiers had done in our history should be exposed and taught as they are so that the same errors should not be repeated.
For the similar goal, Fort Siloso Military Museum, Sentosa Island in Singapore, or The JEATH War Museum พิพิธภัณฑ์อักษะเชลยศึกหรือพิพิธภัณฑ์สงครามวัดใต้, Kanchanaburi in Thailand etc. were established in the memory of the atrocities that Japanese armies did toward the local residents or allied prisoners of war.https://discoversg.com/2016/02/15/5-war-museums-in-singapore/
https://en.wikipedia.org/wiki/JEATH_War_Museum
On the other hand, in the post-war Germany, the German government made judicial judgments to 7,189 persons as being guilty of crimes relating to Nazi’s organized crimes, including 10 persons with death penalty and 163 persons for life-long imprisonment. As for Japanese, no war criminals were punished by Japanese on own.
German nationals make it a national liability to keep good memory of the past war on mind and to apologize to the war victims. Though, in Germany immediately after the end of the last war, conservative opinions were predominant in the country, not willing to recognize their status of war victimizer, the situations had changed since 1939 that it has been the current mainstream among German citizens, politicians and mass media
that the primary crime is the war agitated and executed by Hitler, while the secondary crime is the intended attitude not to face the crime as war victimizer in the post-war period. Consequently, it turned out that over 1,000 war victimizer museums were built. No matter the German government was struggling with financial deficits, the plans to build the museums were not deterred. One exemplary is in 2005, the German government
granted approval to a museum construction cost Euro 27 million (around JPY 37 00 million) of a construction cost to build one in the possibly best venue in Berlin City. Now, Kobe was a only place in Japan where kaigenrei was validated in 1948, three years after the conclusion of the World War II. The war incepting country would often deprive the language of the war target country, that is, the attacked country, because it is a technique of mind-control. Even in the post-war period, we can cite Kobe Gun Shooting Incident, as known as Hanshin Education _STRUGGLE_: threatening by gun shooting so as to eliminate Korean Schools (or, Joseon Hakkyo) where education may be taught in Korean language (April 24, 1948). Pak Jubeom (1885-1949), a Korean who endeavored to apply for approval of mother tongue educational entity, was dead without seeing his wish was realized.
The reason why we wish to have a permanent exhibition of the memorabilia of the past war crimes is our resolution not to repeat the erroneous past incidents. German has had around two decades after the end of the war when they permitted themselves to claim their irresponsibility. A shift was made from the perspective that the state was preserved through the sacrifice of innumerable heroic souls to a self-denial collective awareness that accept the guiltiness of what their country had done as the facts of their own history. With that, the neighboring country, France, was trampled and occupied during the war time, came to acknowledge Germany, a former enemy, again as a trustworthy state.
In Japan, we have a number of well-designed exhibitions built in the perspective of a victim, such as Hiroshima Atomic Bomb Archive. Japanese government has never been willing to spoken officially o the Japanese role of war inceptor, while the Prime Minister or diplomatic ministers merely implied the regretful thoughts but not followed by apologies. This governmental officers’ actions overseas keep the young Japanese generation ignorant of our negative heritage and made them foolishly naïve of the country’s past bloodshed history, while heroic personalities are taught as a proud part of the history to be retold in the future generations. We and our progenies should not treat these negative heritages with indifference and oblivion.
If we wish to deepen the friendship with the neighboring countries and territories for the sake of our progenies’ future, we should be a mature minded national who can reflect, apologize and compensate our own wrongdoings. No other nation would never accept us an amicable neighbor if we simply neglect and pretend that there were no evil historical incidents on our side. We have to hold a viewpoint to face direct to the past wars, so that Japanese nation can be accepted as ‘grown-up’ country. We, individual nationals, ought
not to give up the credent to keep peace, even when our political entity might deviate from the right path.
I believe that it is a primary requirement for each of Japanese nationals to share in common a foresight in which the national benefit in the future would start with apologies and compensations as victimizer, instead of maintaining our status being victims. For this end, War Archive Museum will be a restraint power against bringing our country into wars again, a station remitting peace messages, and education. This war archive
museum will be a chance to reactivate the recollection of historical events to be archived into the memory bank for the sake of Japanese national, who has been severed with the past sealed and buried. We wish to have this museum to be our springboard for our next generation to step into the future, upholding the heritages from the past and retrieving the historical memory fresh all the time. This is a station where our memory is to be actively passed down.
Peace is a positive concept acceptable universally by many, regardless of ethnic, philosophical and religious background. We wish there will be a day when an archive of massacre, forced deportation, comfort women will have been built in Kobe, earliest among any other Japanese cities.

ニューズレターNo.20
「9条明舞の会ニュース」第20号(みんなで考える9条・明舞の会 2012年 3頁)から抜粋

アフガニスタンの人々と共に生きる

「あなたはいつ抑圧された人に寄り添うのをあきらめたのか」

神戸新聞会館聖書のことばシリーズ第86回                                                  
                                         2021年8月30日                         

完全原稿 あなたはいつ抑圧された人に寄り添うのをあきらめたのか」(アフガニスタンと歩んだ20年 神戸新聞会館聖書のことばシリーズ第86回 2021年8月30日)(英文付き 2021年8月30日)

AfghanistanChildren1

 

 

   アフガニスタンの子ども

 

 

 

 神戸国際支縁機構は,アフガニスタン北部2州(BadakshanならびにTakhar)における国内避難民への支援を開始しています。資金・物資・人材の面で全面的に協力し私たちの主幹が現地に行きます。冬の厳しさは格別です。  
 → (社)神戸国際支縁機構 http://www.kisokobe.com/

活動の目標

中央アジアの人々の肉体的・精神的な必要に応え,苦痛が軽減させるように支援します。

主な活動内容

・アフガニスタン国内に食糧を届け,厳しい冬を越せるように支援します。
・冬服,毛布,靴などをなるべく多くの人々に届け,厳しい冬を越せるように支援します。
・国内避難民や弱って病気をかかっている人々へのヘルスサービスを行ないます。
・難民や戦乱によって家庭を破壊された家族や,国内難民にテントやシェルターを提供します。
・新年に農業復興プログラムを計画し,人々ができるだけ早く自立できるように手助けします。

支援対象者

   アフガニスタンの女性たち

 

石積み

 

 

アフガニスタンにおけるキリスト教

講 師 : 岩村義雄 Ⓒ 
神戸国際キリスト教会 牧師
 2009年11月17日

主題聖句: 使徒 19:37  諸君がここへ連れて来た者たちは,神殿を荒らしたのでも,我々の女神を冒涜したのでもない。

<序> オバマ大統領が先週来日しました。日本にアフガニスタン進攻について同盟国として応分の供与を求めたのです。日本は大統領の訪日に先立って,アフガニスタンのハーミド・カルザイ大統領に,50億ドルの支援を約束しています。さて,私たちキリスト者は,中東に位置する今世紀最大の干ばつだろうと言われている中で深刻な水,食料不足にあえいでいます。また紛争による死傷者が毎日のように報道されています。「隣人を愛しなさい」「平和を実現する人々は,幸いである」をどのように日本の地において日々,行なうことができるでしょうか。ご一緒に考えてみましょう。

(1) アフガニスタンとはどんな国
 a. 歴史と沿革

 アフガニスタンは山の国でありまして,その面積は日本の約1.7倍,人口は約2千万人と言われています。国土の真ん中にヒンズークシュ山脈という大きな山があります。東のヒマラヤ山脈と並んで,6-7千メートル級の広大な山脈です。アフガニスタンのほとんどの地域は,山岳地帯です。アフガニスタンの諺に『アフガニスタンでは金がなくとも食ってはいけるけれども,雪がなくては食っていけない』というものがあります。なぜなら農業国だからです。人口の9割以上が農民または遊牧民です。農耕・遊牧のための水源は,白い山々の雪に依存しているのです。“白い山の雪”は、地図には描かれていませんが,アフガニスタンのほぼすべてが“薄い茶色”か,“濃い茶色”で塗られているほど山,山の国です。(「絶望から希望へ―生命に寄り添って」中村哲講演録)。
 アフガン「山の民」とペルシア語の地名接尾語-stanで「山の民の国」と国名からも山岳国だとわかります。1919年に英国から独立してからも,紛争が途切れることはありませんでした。ペレストロイカの1989年まで,約10年間ソ連により,アフガニスタンの天然ガスの利権や,南下作戦により,国土は戦場と化しました。ムジャビディン(イスラム戦士)は大国ソ連に対して,徹底抗戦し,決してひるみませんでした。やがてタリバンが登場してきて,国土の95パーセント以上を支配しましたが,2001年9・11テロが起きますと,アメリカ・英国軍を中心として国々が攻め入りました。そんな中で,2002年に現在のカルザイ大統領の政権ができあがってきたのです。今でも,“治安”が悪化していて,テロ組織であるアルカイダ・タリバーンとNATO・米軍との戦闘が激化しています。オバマ大統領が10月10日にノーベル平和賞を受賞しましたが,直前にもアメリカ軍の誤爆により,犠牲者が病院にかつぎこまれています。

 b. アフガニスタンの惨状

 アフガニスタンに生まれた子ども9人に1人は,1歳の誕生日を迎えることなく亡くなっています。子どもの6人に1人は,5歳未満で亡くなっているのです。世界で2番目に妊産婦死亡率が高く,国レベルでは生きて産まれた出産10万人に対しくて,600人しか生き残れない割合です。15歳以上のアフガニスタン人で文字を読めない人の割合は71%にのぼっています。就学年齢の女の子の60%は,学校に通っていません。5歳未満の子どものおよそ30%が下痢性の疾病の影響を受けていますが,水不足で水分をとることもできません。5歳未満の子どもの5人に1人は,呼吸器系の感染症に苦しんでいますが,そのうち3/4は病院や保健施設で治療を受けることができません。多くの家庭が安全な水を得る給水場所を持たず,1/3の家庭にはトイレがない国です。子どもの三人にひとりは孤児です。ラシュマニアという蚊を媒介して感染する病気がアフガン全体に蔓延しています。始めは皮膚がはれあがり,やがてえぐれてくる病気です。
 アメリカの誤爆により,救急患者の70パーセントは戦争被害者であり,家を失った人や,親や身寄りがいない子どもたちはキャンプ地で生活しなければなりません。夏の気温は,40度を超え,しかも,草木の生えていない場所ばかりですから,日陰もなく,地面からの照り返しも強く,体感温度は50度くらいになります。水がないというのは,がまんできる状態ではありません。首都であるカブールに集まってくる人は300万人は,テント暮らしです。地雷原が周囲にあり,砂嵐やさそりも多いのです。今の時期になりますと,夜はマイナス15度になり,毎日数十人が凍死しています。これからもっと寒くなるのです。マイナス20-30度です。毛布を2~3枚重ねて寝ても一晩あけると,頭痛がするくらい寒いのです。キャンプ地への食料援助もドイツの団体が行っているのみです。お医者さんは週に2回巡回して来ますが,まともな薬などはありません。民の7割は栄養失調です。肝炎が蔓延しており,始終下痢をしている人がほとんどです。ですから,アフガニスタンの平均寿命[90-95年調査] 男性43歳 女性44歳と言われています。日本人の平均寿命の約半分です。[女性は86.05歳,男性は79.29歳]

 c. アフガニスタンの宗教

 タリバーンは外出する女性に,ブルカ(チャドル)の着用を義務づけています。ブルカ着用は農村部での常識です。女性に対する暴力は、強制結婚,ドメスティック・バイオレンス,女性や女児の人身売買,債務の代わりとしてまたは人質として女児を差し出すこと,女性や女児を初潮から出産可能年齢を過ぎるまで強制的に隔離することなどはよく行なわれていることです。
 農村においては,イスラム教の指導者(村の長老)が寺子屋を開いて,子ども たちに字の読み書きを教えます。クルアーン(コーラン)の暗誦させるのです。イエス・キリストは,ムハンマド(マホメット)に次ぐ預言者として崇拝されています。
 100%がイスラム教徒です。みんなの生活がモスクを中心に地域の共同体があるという社会
です。

アフガニスタン

キリスト教徒 0%

海外からの駐在員や軍人のみ

イラク

キリスト教徒 7-3.5%

大多数はネストリウス派,アルメニア教会,アルメニア・カトリック教会,ローマ・カトリック教会

イラン

キリスト教徒 0.1-0.6%

大多数はアルメニア教会

パキスタン

キリスト教徒 2.5%

英国植民地であった影響で聖公会が多い

(2) なぜテロが起きるのか
 a. 9・11テロ

 2001年9月11日に,アメリカ同時多発テロが起こりました。イスラム教聖職者はアラブ首長国連邦の首都アブダビで,声明を発表「(イスラムの)神は,イスラム教徒,キリスト教徒などを問わず,罪のない人々を殺害することを禁じている」と。
 「宗教の名による排除の主張によって引き起こされたすべての流血行為は,犯罪的殺人行為だ」

 b. アフガニスタンへの空爆

 アメリカ政府はサウジアラビア出身のウサマ・ビンラディンをテロ事件の黒幕と断定。ビンラディンをタリバンが匿っているとして,同年10月5日より米英のタリバンに対する武力行使が行われました。
 2001年の9・11テロ以降,キリスト教国と言われるアメリカがアフガニスタンに武力侵攻しました。世界遺産を破壊したタリバンは悪の張本人とか,2003年に,イラクを大量破壊兵器があるという名目で砲撃しました。そのとき,十字軍という言葉がメディアで良く報道されました。ジハードに対してクルセードという対立構造です。善か悪か,神かサタンかの二元論での泥沼の戦争に突入して行ったのです。
 確かに,神は「万軍の主」とも呼ばれます。ヘブライ語ではアドナイ・ツェバーオートです。「出かける」ツァーバーの複数女性形です。ただし,『七十人訳』では,キュリオス・パントクラトール「全能の主」と訳されており,「万軍の主」ではなく,「全能の主」というギリシア語の訳語が中世のミサにおいて用いられていました。旧約聖書では,「これはあなたたちの戦いではなく,神の戦いである」(2Ch 20:15)。
 イエス・キリストは,2,000年前に非暴力,隣人愛,敵を愛することを教えられました。旧約聖書の聖戦思想からシフトしたのです。
 Mt 5:9 平和を実現する人々は,幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
 「平和を愛する人は幸いである」ではなく,「平和を実現する人は幸いである」と言われたのです。44節では,「しかし,わたしは言っておく。敵を愛し,自分を迫害する者のために祈りなさい。」と敵を愛する敵愛精神を強調されました。

 c. タリバン自縛テロはなぜ起きるのか

 2009年8月20日に行われたアフガニスタン大統領選と地方議会選の後,8月25日,ムジャーヒド(ジハード戦士)はカンダハル市で起きた強力な自動車爆弾を起こし,40人以上が死にました。
 「ターリバーン」という語はアラビア語で「学生」を意味する「ターリブ」[パシュトー語]の複数形です。イスラム神学校(マドラサ)で軍事的あるいは神学的に教育・訓練された生徒から構成されます。一人なら単数形の「ターリブ」,二人以上なら複数形の「ターリバーン」が用いられます。 地方ではタリバンへの親近感も強く,一般住民とタリバンは分かちがたいのです。東部地域は住民全員がタリバンといっても過言ではありません。西部のヘルマンド州からの国内避難民の話を聞いていても,村人全員がタリバンという感じです。南部のカンダハール州のサンギン村から,タリバンに協力したからという理由で米軍の空爆を受け追い出された人によりますと,地方では家から2~3人がタリバンに参加するのが当たり前です。テロリストを根絶すると言いますが,それは住民全員を殺さねばならないというも同然なのです。
 タリバンへの参加の背景には貧困や飢えもあります。タリバンは金払いがよく,初任給で200ドルくれるそうです。それだけあれば家族を十分養えます。パシュトゥンではなくタジクなのにタリバンに参加している例もあります。警察の初任給が80~90ドル,軍隊で120~130ドルというのと比べますと,リスクはありますが,一番いい就職先になっています。地方は本当に干上がっているのです。パレスチナのハマスも同様でしょう。住民にはタリバンが救世主に見えている面を忘れてはいけません。米軍が嫌いということでは住民もタリバンも思いは一致しています。そんな米軍に肩入れしているということで,日本のボランティアの若者も殺害された痛ましい事件を思い出す方もいらっしゃるのではありませんか。
 はっきりした組織がない上に,人数・資金が豊富なので,アメリカのミサイルや近代兵器などの武力でどうにか解決できることはありえないでしょう。

 (3) 弱った葦にどう接するか
 a.  韓国などからの宣教

 イスラム法上では,宗教を辞める,つまりイスラム教を信じなくなる者に対しては原則として死刑です。しかし,ただ棄教者に対する死刑は,いわば一種の抑制として存在しているだけで,その執行はシャリーア上も不可能であるとも考えられています。イスラームの教えを辞めたなら,その人はムスリムではないことになり,ムスリムでない者にはイスラム法であるシャリーアの範囲外にあることになり,その者への刑の執行はできないことになります。信仰は自由であっても,宣教はできない状況を理解していないと問題が起きます。皆さんも記憶に新しいと思いますが,2007年7月19日に韓国のグループ23人がタリバンに捕まった事件です。
 一人の牧師は殺害されてしまったのです。韓国キリスト教団の海外奉仕活動は医療・教育が中心と言われますが,拉致があった直前に,アフガンのようなイスラム地域で奉仕団は,モスク(イスラム教礼拝所)の前でキリスト教の賛美歌を歌ったり,現地の子供たちに韓国語で聖書を読み聞かせたりしていたのです。
 韓国キリスト教(プロテスタント)の“攻撃的”ともいわれるこうした積極的な活動の背景には,「自らは善で他は悪」「地の果てまですべての人に福音を」などといった自己中心的で極端な“福音主義”があります。日本でも著名な福音派を代表する指導者も,「アフガニスタンに宣教師を派遣する韓国教会の勇気と挑戦の精神を日本の教会が学ぶべきだ」と述べたりしたくらいです。ですから,11月10日に,民主党の小沢一郎幹事長は,和歌山県高野町の金剛峯寺で全日本仏教会(全仏)会長に,「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は,欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点,仏教はあらゆるものを受け入れ,みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」と語ったりするのでしょう。
 さて,韓国人人質事件の結果,韓国のキリスト教団内部でも「これでは排他的なイスラム原理主義と同じだ」と批判があり,韓国マスコミなどでは,事件を機に他宗教,他文化への配慮を求める声が多く出されたのです。なぜなら,本人たちだけに危険が及ぶのではなく,海外にいるすべてのキリスト者がテロの対象になってしまう道を作っているようなものだからです。

b. 日本に来る難民

 キャンプ生活で,精神的に追いつめられた難民や病気の人は,より手厚い保護が緊急に必要です。ところが日本は難民を受け入れると国際的には発表していますが,現実は,とんでもない難民に対する扱いをしています。日本が難民条約を批准したのは1981年です。他の先進国と比較すると日本の受け入れは格段に低く,昨年では57人だけです。諸外国が1万人以上いることを考えてみますと,主要7ヶ国で千人未満は日本だけです。オランダ,カナダ,アメリカなどと比べますと,二ケタも三ケタも少ないのです。たとえば,アフガニスタンからの庇護希望者は,タリバン前政権に迫害された経験を持ち,そのためのトラウマを抱えたまま日本の神戸港,関西空港に着くやいなや入管収容施設に収容されてしまい,想像を絶する本国以上に劣悪な扱いで,文明国とは思えない収容をしています。18万5千人の難民申請の中で,アフガニスタンは二位です。昨年1万2千人がアフガニスタンから国を脱出して,安全を求めて英国,ノルウェー,米国,日本にやってきたのです。
 たとえば,アフガニスタンのジャラさんという女性は,自分の国の状態について話しています。2007年3月から2008年3月までの間に,女性に対する身体的暴力は約40%増加したそうです。現在でもアフガン女性の約80%が家庭内暴力の犠牲になっているとのことです。また,ヨーロッパなどの外国から帰国した女性など文化的に保守的でない生活習慣を身につけた女性は,社会規範や宗教的規範を侵犯した者と受け止められ,さまざまな処罰にさらされ,場合によっては部族に恥をかかせた者として殺害される場合があると指摘しています。女性が教師や医師といった知的職業に就こうとすることすら,暴力を招くおそれがあるという現実があります。ところが難民申請するジャラさんを日本は強制送還しようとしています。もしジャラさんが送還されたらどうなるかは,明らかです。ジャラさんには保護してくれる家族もなく,婚家や周囲の保守的な人々からの「処罰」に直面することは明らかです。

c. キリスト者は何ができるか

 信心深いアフガニスタンの人々に対して,キリスト者はどう接するべきでしょうか。「正義を勝利に導くまで,彼は傷ついた葦を折らず,くすぶる灯心を消さない。」
(マタイ 12:20)と書かれていますように,病気,孤独,飢餓,空爆,自縛テロでおののいているアフガニスタンの民衆と共に,生きていくことができるのではありませんか。「また,群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て,打ちひしがれているのを見て,深く憐れまれた。」(同 9:36)。  「傷ついた葦」であるアフガニスタンの民衆に感情移入するばかりか,モノのゆとりからするのではなく,キリストの「小さな兄弟」たちに仕えることができます。識字率が低い人々に,神学で武装した宣教は無意味です。言葉によって理解する習慣のない人々に示すことができるのは,上から与えるという姿勢ではなく,むしろこちらが仕えていくスピリットです。十字軍のように勇ましい宣教師ではなく,感染性の高い病気で苦しんでいる人たちには高価な薬を届けてくれる人の方が喜ばれるのです。手ずから働き,自分で生活する,つまり自立できるようになるためにはどうすればよいか,一緒に生きながら,親切なサマリア人が介抱するだけでなく,ちゃんと宿に泊まり,食事も食べるように気遣いを示したようにすることです。イエスは言われました。「行って,あなたも同じようにしなさい。」。共生することによって,イエス・キリストが地上に来られた時,私たち人類に仕えられたように,私たちもキリストの宝を内にもつ生き様を示すことができるでしょう。

<結論> 西暦55年頃,パウロはエフェソで,偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされるような宣教はしませんでした。進軍ラッパでキリストの旗を掲げて,十字軍のように敵陣になだれ込んでいく宣教をしたのではありません。使徒 19節37節で,捕縛されたパウロたちについて,その地域の人々がパウロについて語っています。「諸君がここへ連れて来た者たちは,神殿を荒らしたのでも,我々の女神を冒涜したのでもない。」と民衆から弁護されています。私たちも,他の宗教に対して,独善的で排他的な態度をとるなら,アフガニスタンなどイスラム教圏の人々と平和な関係を築けないでしょう。友好的な相互理解があって,はじめて「いと高きところには栄光,神にあれ,地には平和,御心に適う人にあれ。」(ルカ 2:14)の恵みを味わうことができると信じます。

 

 

「なぜ,今,みんなで死を考える」

講座内容を紹介した神戸新聞の記事です。 クリックすると拡大して御覧いただけます。 以下は講座のレジュメです。

『神戸新聞』(2011年4月21日付) Pastor Yoshio Iwamura

「なぜ,今,死を考えるか」    
KCC講座(神戸新聞会館)第一回目

2011年4月11日 講 師 : 岩村義雄(「みんなで『死』を考える会」会長)

完全原稿 ⇒ なぜ,今,死を考えるか

<序>
 「つゆの世は つゆの世ながら さりながら」という小林一茶[1763-1827]の句がございます。人の命が東日本大震災のように葉っぱの上のつゆのように,突然にはかなく潰えてしまうという境地です。一茶は52歳の初めて結婚で,三男一女を授かりますがみな幼くして死んでしまいます。妻菊にも先立たれてしまいました1)。そして一茶はさりながら」と後半に句を添えます。親としてのやるせなさがにじみ出ていませんでしょうか。切ないこの世,露のようにはかない。しかし,それがこの世なんだということなんでしょうか。皆さんも,いかんともしがたい無常を受け入れざるを得ないことを感じておられるでしょうか。今日から月に二回始まる『みんなで「死」を考える』講座は一茶の「さりながら」,つまり「けれども」から,出発しています。

 ブレーズ・パスカル[1623-1662]は言いました。「人間は,死,悲惨,無知を癒すことができなかったので,自己を幸福にするために,それらを敢えて考えないように工夫した」と。確かに,宝くじが当たる確立より,的中するのです。それも100パーセントの確立です。どんな人も逃れることができない「死」について,パスカルは「人間は生まれながらの死刑囚である」,とたとえます。すべての人は生まれた瞬間にほぼ100年のうちに死刑は執行されるのです。しかし,その方法は伝えられないのです2)
 マルティン・ハイデッガー[1889-1976]は,人間存在は「死への存在(Sein zum Tode)」と言いました3)
どうして災害が起こったのでしょうか。人々が堕落し,拝金主義にうつつをぬかしているから,天がこれをこらしめるために,大地震が起こったのでしょうか。ご一緒に考えていきましょう。

(1) 死は隠されている
 a. 東日本の大津波
 東日本大震災は今年,3月11日2時46分のマグニチュード9.0の大地震と,押し寄せる津波,福島原発の爆発によって未曾有の爪痕を残しました。だれが予期したでしょうか。少しの時間,現地に赴いた神戸からの5人の若者たちの記録をご覧ください。
 「私たちがおとずれた宮城県の若林区,石巻市沿岸はあまりにも無防備であった。神戸を出る前,警報を聞くやいなや,すぐに逃げればよかったのにと思ったものだ。警告を無視した人が海の藻屑として犠牲になったにちがいないと。しかし,実際に,現地で被災した方々と出会った時,そんな単純な理由ではないことを思い知らされた。確かに,警告に従って,すぐに逃げた人の多くは助かった。家財とか物質に未練があるため,取りに戻った人の多くは命を失った。ところが,過疎であり,若い人々は都会に行き,故郷を去ってしまっている。残っている年配の方々は,とっさの行動がそんなに簡単にはできないのだ。一階から二階へ逃げれば助かったかもしれないが,足腰が機敏に動かない。津波は自動車で言えば,時速40~50㎞の速さで襲いかかってくる。被災者は新幹線の速さに思えたそうな。では,自動車で逃げればいいではないか,とボランティアの若者の一人は言い放った。自動車で逃げた人のほとんどは逃げ切れず,湾の山並みの麓に打ちつけられていた。なぜなら我先に逃げようとする自動車は必ず,数珠つなぎになり,釘付けになってしまうからである」4)5)
 阪神淡路大震災の180倍のエネルギーの大地震が起きました。専門家も想定外だと口をそろえて言います。

 b. 盗人のようにやってくる
 神戸の須磨の一ノ谷は源平の合戦でも有名です。1184年,平家の軍勢3万人,一方源氏方は2000とも3000ともいわれ,平家方の勝利をだれも疑いませんでした。ところが源義経は,平家の裏手の険しい山道を一気に下って夜討ちをかけました。「七日の卯の刻に,九郎義経,三千余騎にて一の谷のうしろ,鵯越にうちあがって,『ここを落とさん』とし給ふ」と,不意をついたのです。平家の軍勢は総崩れとなり,短時間のうちに完全に敗北したのです6)
 まさに死はどのように人間に訪れるかだれもわかりません。

c. メメント・モリ
 一休[1394-1481]さんは,がいこつやどくろを良く話題にしています7)。京都・田辺にある一休寺(報恩庵)に,一休作と言われるドクロ面も残っています。京都・田辺にある一休寺(酬恩庵)に,一休作と言われるドクロ面も残っています。元旦の朝,一休はつぶやきます。「まことに愚かなるかな。朝顔の日陰待つ間をも,さかり久しき花とながめ,蜉蝣(かげろふ)の青天に羽をふるひて楽しむ間もなき世の中に,糞(くそ)に箔(はく)ぬる正月言葉(ことば)や,たゞ時の間の煙ともなりなむと,打見るより思はるゝ。いで物見せん人々よ」と。一休にとりましてお正月の華やいだ時に,奇妙な行動をとります。「墓はらへゆきて,しやれ頭(かうべ)を拾ひ来り,竹の先に貫きて,比は正月元日の早天に,洛中の家々の門の口へ如鼓 如鼓と彼しやれ頭(かうべ)をさし出し,「御用心 御用心」とて歩(あり)き給ふ」。一休はお墓からわざわざドクロを拾ってきて,竹の棒の先にぶらさげて,一軒一軒,戸口で「御用心,御用心」と言って歩いたのです。お正月のめでたい時,おとそ気分でゆったりした気持ちの人々に痛烈なクリティック critic を加えているエピソードです。いつかは必ず訪れる死を忘れなさんなと警告しているのです。バラエティ番組を見て,ゲラゲラ笑っている人々,もう東日本大震災の報道はあきたと思っている若者たちに対して,一休は「死を覚えよ」と活を入れているのです。
 死刑囚たちも死刑の執行が間近になってはじめて時間の価値に気付いたりします。「死刑の執行が間近いと思うと,毎日毎日がとても貴重なのです。一日一日と短い人生が過ぎていくが早すぎるように思えます。それしても社会にいるとき,なぜ時間をもっと大事にしてかからなかったのかとくやまれてなりません」,と8)。 また,インフォームド・コンセントにより,余命の宣告を受けた癌患者は「なぜわたしが」と怒り,わめいたりします9)。こうした反応からわかることは,お一人ひとりの生きている時間は限られているということです。阪神淡路大震災で消防士であった父を失った若者は殉職した父の死を無駄にすることなく,その日暮らしの生き方から他者に仕える仕事を選択するケースも少なくないのです。

(2) 死に備える
 a. 天罰論
 関東大震災[1923(大正12)]の時も,天譴論(てんけんろん)と言いまして,神様が天罰を加えられたという発言がございました。内村鑑三の日記には,「呆然として居る。恐ろしき話を沢山に聞かせられる。東京は一日にして,日本国の首府たる栄誉を奪われたのである。天使が剣を提げて裁判を全市の上に行うたように感ずる」と残されています10)。 別のキリスト者である山室軍兵[1872-1940]も言っています。「此度の震災は,物慾に耽溺していた我国民に大なる反省を与える機会であった。堕落の底に沈淪せる国民に対して大鉄槌を下したということは,大なる刺戟と反省とを与えるに十分であった」,と11)。 この度,東日本大震災を受けて,石原慎太郎・東京都知事は14日に,「日本人のアイデンティティーは我欲。この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」,と述べたことは皆さま印象に残っておられるでしょう。しかし,私は天罰,天譴論を支持していません。なぜなら 被災地で犠牲になった多くの方は,高齢者,幼児や,弱者たちだからです。
 私は,聖書学者でもなければ神学者でもありません。もし全能の神が存在するなら,恐怖に満ちた被災地を直視なさることでできるだろうかという疑問がわきあがります。旧約聖書には,次のように書かれています。「光を造り,闇を創造し 平和をもたらし,災いを創造する者。わたしが主,これらのことをするものである」(イザヤ45:7)12)。聖書の神は,平和だけでなく,「災い」(ヘブライ語  ラア)をもたらすと書かれています。ラアは旧約聖書に299回出ています。サタンではなく,すべて神がもたらすと書かれています。そうしますと,地球上の震災,疫病,紛争などもすべて神が許していることになります。3000年以上も,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教の人たちは,聖書を聖典として神を信頼し続けてきたことでしょう。「ああ,神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが,神の定めを究め尽くし,神の道を理解し尽くせよう」,と神が災いを行なうしかるべき理由があると黙想してきました(ローマ 11:33)。キリスト者の問いの中心には次の言葉があるのではないでしょうか。「三時ごろ,イエスは大声で叫ばれた。『エリ,エリ,レマ,サバクタニ。』これは,『わが神,わが神,なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である」(マタイ 27:46),という十字架上の言葉です。つまりイエス・キリストの問いはキリスト者と同じく「なぜわたしをお見捨てになりましたか」,という問いです。アフリカの奴隷制度をすぐになくなさなかったこと,あるいはヒットラーを生後すぐに殺さなかったことには理由があると熟考すべきだと思います。

 2000年前,パレスチナに過激派のユダヤ人がいました。当時,ローマ帝国の圧政で,重税のため,イスラエルの民は厳しい生活を送らねばなりませんでした。愛国心の篤い一部の人々は武装蜂起をしました。ローマから遣わされていた総督ピラトは容赦なく鎮圧してしまいました。もともとに鎮圧されたという事件があったようです。その発端はピラトがエルサレムに水道工事をするために、神殿のお金を用いることを要求したことにあったといいます。当時のイスラエルの飲料水,下水は水道橋を張り巡らすことによって,人々は恩恵を被っていました。現在でも水道橋がずっと続く歩道橋のように残っています。イスラエルを訪問なさると見ることができます。水道工事そのものはエルサレム市民のためになることです。ところが,ピラトのやり方は神殿のために捧げられるお金をローマ帝国の功績のために用いられることに反発の声が高まってきたのです。ユダヤの国粋主義者,つまり選民であることを誇りにしている人たちは相当の抵抗感があったようです。ですから,プライドの強いナショナリストである過激派による武装蜂起が起きたわけです。もちろん総督ピラトは武装勢力を大人が赤子をひねりつぶすように,ひねりつぶしたのです。そして反乱者を処刑しました。謀反に対して,ユダヤ人への見せしめのために,謀反を起こした者たちの血をエルサレムの神殿にぬりたくったのです。ユダヤ人にしてみれば誠にショッキングな事件があったようなのです。さらにこの忌まわしい水道工事中にはもう一つの悲劇的な事故が起こりました。それはシロアムの塔が倒れて労働者たち18人が犠牲者となったということです。いったい,神がいるならばどうしてこんなことが起こるのか,という問いがございました。当時の人々はこれらの一連の事件を経験して,神の御心はどこにあるのか,相当苦しんだようです。一連の災いに対してキリストは答える中で問われたのです。「ちょうどそのとき,何人かの人が来て,ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。イエスはお答えになった。「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは,ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い者だったからだと思うのか。決してそうではない。言っておくが,あなたがたも悔い改めなければ,皆同じように滅びる。また,シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は,エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも,罪深い者だったと思うのか。決してそうではない。言っておくが,あなたがたも悔い改めなければ,皆同じように滅びる」(ルカ 13:1-5)。イスラエルのガリラヤ人が「罪深い者だったからだと思うのか」,と二度も問うています。そして「決してそうではない」,と因果応報を否定しているのです。

 「悔い改めなさい」,というのは,ギリシア語の意味は方向転換しなさい,思いを変えなさいということです。今回の被災を天罰と考えるのではなく,視点を変えた生き方をする機会とするのです。ピンチはチャンスであるのです。

 b. 死をあきらめる ― 諦観
 諦観の「諦」はインドの原語「サットヤ」が語源です。サットヤとは,“純質”を意味しています。「観」は読んで字のごとく,“観る(みる)”です。つまり諦観とは,「純質を観る」ことが本来の意味です。広辞苑では,「明らかに真理を観察すること」,と定義しています。しかし,いつしか,諦める(あきらめる),という風に受け取られてしまうようになりました。ですから,今回も東北から関東を襲った地震,津波,原発の被災について,苦悩を観ると同時にあきらめる境地がございます。そういう運だったんだと。ありのままを受け入れ,自分の力ではどうすることもできないと考えるのです。「生をあきらめ死をあきらむるは,仏家一大事の因縁なり」,と道元禅師が言っています13)。聖書でも同じように,諦観を思わせる描写がございます。「かつてあったことは,これからもあり かつて起こったことは,これからも起こる。太陽の下,新しいものは何ひとつない」(コヘレト 1:9)。コヘレトの書に書かれていますように,「太陽の下,新しいものは何ひとつない」,と“空”の世界が説かれています。高校の教科書に出ているディオゲネス[紀元前412-323]というギリシアの哲学者を考えてみましょう。当時の世界を制服しているアレキサンダー大王がディオゲネスに語りかけました。「何でも欲しいものをやろう。何か欲しいものはないか」と。すると「あんたがひなたぼっこの邪魔になってるんで,悪いけどそこをどいてくれないか」,と,何にも動じない生き方を示しました。言ってみれば,一切のしがらみ,権勢,欲を否定した諦観の姿勢です14)
 私たちにできることはあきらめることだけなのでしょうか。
 哲学者和辻哲郎[1889-1960]はご著書『風土』の中で言っています。「きれいにあきらめる」ことが日本人の心的特性であり,淡白に忘れることは,日本人が美徳としたところであり,今なおするところである」と書いています15)。また武者小路実篤[1885-1976]は日記につづっています。「自分は大地震の時日向にいたので何も知らなかった。だから地震や火事の恐ろしさをまのあたり知ることは出来なかった。しかし来てからいろいろのことを聞くにつけて,随分恐ろしい出来事だったと思った。死んだ人の話なぞには正視できないようなことがいくらでも起ったことを知った。しかし皆過ぎてしまったことである。もう自分達には如何とも出来ない。勿論前に知っていたとしても,逃げることより他,別にいい知恵が自分にあるとも思わないが,すぎてしまえば,生き残った者は生きのこったよろこびを味わって生きてゆこうと努力するより仕方がない」16)

c. 最後の敵
 西暦3世紀の中国の魏の国の歴史書「魏志倭人伝」に日本人(倭人)に関する最も古い記録があります。当時の日本の葬儀の様子が記されています。
 「十数日間死体を家の中に置く。その間家族は肉類を食べず,喪主は大声をあげて泣く。一方,親類,友人が来て飲食し,歌い,踊る。宴会は死者の肉体に魂を呼び戻すための呪術的な意味をもつ行事で,魂招(タマオギ)と呼ばれる。こうして十数日を過ごし,死体が腐敗し始めるとこれを土中に葬り,家人は死の穢れを水中に禊ぎして清める。」
 ここにある思いは,死とはかなわんという忌み嫌う気持ちだけでなく,水中で清めるということは,死は穢れという気持ち。つまり,死は忌と穢れであります。そして死後,人間は霊として存在するという日本的なアニミズム,有霊観であります。忌み嫌う「忌」は今では一定の期間喪に服する期間となり,家の前に「忌」の貼り紙をし,葬儀から帰ると「清め塩」を身にふりかけます。また,肉体よりも魂を大事にします。
 仏教が渡来してからの西方浄土の十万億土という遠い彼方という発想ではなく,古代の人々は,できるだけ死者の世界を自分たちの世界と余り距離のない所に想定して,死者が自分たちの周辺にいると素朴に信じたようです。「先祖が草場の陰から見守ってくれる」とか「そんなことではご先祖さんが,草場の陰で泣いている」と言った表現はそのことをよく表していると思います。死を忌み嫌いながら,一方では,先祖の魂は身近に感じていたいという願いや気持ちを今も私達は引きずっているように思います。
 現代の識者は死後について別の視点から考えます。
 “死は敗北,死後はない。”[亀井勝一郎],
 “何の意識もない無になる元の状態に戻るのが,人間本来の姿だ。”[杉本苑子(そのこ)]
 “死後の世界はないものと心に決めた。煩悶の時の流れの中で,「死は分かれのとき」,という一つの悟りに達して死を受容した。別れを告げた自分が,宇宙の霊に帰って永遠の休息に入るだけである。”[岸本英夫(東大教授・宗教学)自著「死を見つめる心」]

 さて,最後に,永遠のベストセラーである聖書の視点を紹介します。
 「わたしが生きているので,あなたがたも生きることになる」,と。
 聖書の最大の福音は,キリストが私たちの罪のために死んで,葬られて,3日目によみがえられたことです。キリストの復活は死者の初穂です。みなさんは,死んで,よみがえることを信じておられますか。まぶたを閉じて,もう二度と目を開けることなく,無になるかもしれないとよぎることはありませんか。
 人類の最大の敵は,死です。死による無,つまり滅びを忘れようとしても,病にかかったり,隣人,家族の死を通して,現実に戻されます。避けることができない恐れです。では,死に打ち勝つ力とはなんでしょうか。こたえはひとつしかありません。復活です。復活に対する信仰です。とどのつまりキリスト者の信仰を明確にするのは復活することを信じているかどうかではないでしょうか。「死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまう」のです(第二コリント5:4) キリストの復活と私たちの復活の信仰は,死と滅びの恐れ,不安から大きな希望と喜びに移し替えられたのです。
 「最後の敵として,死が滅ぼされます」(コリント第一 15:26)。

<結論>
 「散るさくら 残るさくらも 散るさくら」特攻出撃していく時の遺書でした。簡潔に生死を納得させてくれる句,良寛さんと思っている人が多いようですが,間違いのようです。作者は幕末の志士雲井龍雄の処刑時の辞世です。「死」を『所詮,どうすることもできない』,解決不可能な問題と決め込んでいる「対処療法的」な消極的態度が,前提にあります。死については宗教者だけで説明できる領域ではありません。法律家,医師,哲学者,ビジネス界,宗教家たちによるフォーラムを立ち上げ,次世代に発信していきたいと願っています。神戸だけでなく全国的な広がりを期待しています。

出典
1)『江戸人の生と死』立川昭二 筑摩書房 1989年。
2)『パンセ』前田陽一,由木康訳 中公文庫 1973年。
3)『存在と時間』ハイデッガー 細谷貞雄,亀井裕,船橋弘訳 理想社 1974年。
4) 「東日本大震災 被災地便り」岩村義雄 神戸国際支縁機構 2011年。
5) 『キリスト新聞』(2011年4月2日付)。
6)『平家物語』水原一校校訂 新潮日本古典集成 1979年。
7) 『仮名草子集』「一休ばなし 巻一」新日本古典文学大系 渡辺守邦校注 岩波書店 1991年。
8) 『死刑囚と無期囚の心理』加賀乙彦 金剛出版 2008年,
9) 『死ぬ瞬間の対話』E.キューブラー・ロス 川口正吉訳 読売新聞社 1981年。
10)『内村鑑三著作集第20巻』岩波書店 1958年。
11) 『太陽』「真に国民反省の機」 1923[大正12]年11月号。
12)  拙稿『目薬』 №29 2003年 8頁。
13) 『正法眼蔵―有時・諸悪莫作を味わう』内山興正 柏樹社 1984年。
14) 『ギリシア哲学者列伝 上』ディオゲネス・ラエルティオス 加来彰俊訳 岩波書店 1984年。
15) 『風土』和辻哲郎 岩波書店 1935年。
16) 『改造』武者小路実篤 改造社 1923[大正12]年大震災号。

※ 引用聖書はすべて『新共同訳聖書』日本聖書協会 1987年。

「ついに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」(在原業平[825-880] 『古今和歌集』)。死ぬことをいつかは人は必ず行かねばならない道とは以前から聞いて知っていました。華やかな生涯を送った業平にとって,これほど差し迫るとは思いもよらなかったなぁ,という歌です。パスカルを持ち出すまでもなく,すべての人は死刑囚です。すべての人は生まれた瞬間に「百年のうちに死刑は執行される。けれど,その方法は伝えない」と言われたりします。
戦後1945年には,日本人の平均寿命は男性23.9歳,女性37.5歳の41歳でした。今では82歳の高齢社会を迎えています。800万人以上が80歳を超えています。定年も50歳でしたが,今では70歳に引き上げる審議もなされています。
日本の大都会であっても,散歩していて出合うのは,ペットである犬です。しかし,子供を見かけなくなっています。公共の乗り物でも若者の姿より,高齢者の方が圧倒的に多い時代になりました。いまだかつて死を経験して,明確に死後はどうなのか語る人はいません。ただ頭の中でいろいろと観念として考えているのです。死について明確な洞察をもつと自ずと人生はかけがえのないものになります。阪神淡路大震災で,6000人以上の犠牲を体験した地域から発信します。
死については宗教者だけで説明できる領域ではありません。法律家,医師,哲学者,ビジネス界,芸術家,宗教家たちによるフォーラムを立ち上げ,次世代に語っていきたいと願っています。

みんなで「死」を考える会 会長
岩村 義雄

隣国に謝罪と補償をするのが和解の鍵

隣国に謝罪と補償をするのが和解の鍵

人種偏見,差別をなくそう

 神戸国際キリスト教会は人種差別撤廃NGOネットワークの働きに加えさせていただいています。

慰安婦強制連行  

 ≪動画参照≫美輪明宏さん 日本軍「慰安婦」問題の歌 

〈幼保無償化〉有識者103人が賛同人に/「100万人署名運動」リスト

『朝鮮新報』(2019年9月27日付)。
『本の広場』(2020年9月号)。

 2013年6月27日,政府に対して,日本軍「慰安婦」問題について謝罪と補償について意見書が決議されました。6月だけで3つの自治体から提言されています。島根県議会の意見書可決が41番目です。続いて,京都府の宮津市議会と城陽市議会です。安倍総理の証拠がないなどというまやかしは通用しません。

 英国ヘイグ外相はケニアにおける非人道的処遇を行なったことへ賠償を決定。マウマウ反乱で英国当局が行なった拷問などについて謝罪,補償を発表。一人当たり約4,000ドルがケニア人被害者5,200人に支払われます。総額2,150万ドル。(ハフィントンポスト 2013年6月6日付)。

 かつて米国で移住した日系人が収容された。日系人は何もアメリカに被害をもたらしませんでした。米国は1988年に個人に対して謝罪して,補償しました。

 ニューヨーク州上下両院の議員は,旧日本軍の従軍慰安婦問題について,「20世紀に起きた最大規模の人身売買だ」と決議案。日本政府はアジア各国の被害女性らに公式に謝罪すべきという内容です。(共同通信 2013年1月17日付)。

http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2010/08/24/0200000000AJP20100824003300882.HTML

100人宣言20100824
「100人宣言」に神戸国際キリスト教会も加わる Pastor Yoshio Iwamura

 

 

チラシ

C新聞
『クリスチャン新聞』(2008年9月28日付) Pastor Yoshio Iwamura

 「慰安婦」問題で「強制連行を証明する文書はなかった」論が流布されていまが,林博史氏らの調査で,東京裁判関係文書の中に,「強制連行を証明する文書」が存在していることが明らかにされています。それらの文書は,2011年に法務省から国立公文書館に移管され,アジア歴史資料センターでも,デジタルで広く公開されています。また,政府は,「慰安婦」調査を担当した外政審議室の事務を,内閣官房副長官補室が引き継いでおり,
「慰安婦」調査を今日も続けていると名言しています。

 ところが,安倍総理はあいかわらず2007年の「閣議決定」に言及します。

 「慰安婦問題については,政府において,平成三年十二月から平成五年八月まで関係資料の調査及び関係者からの聞き取りを行い,これらを全体として判断した結果,同月四日の内閣官房長官談話のとおりとなったものである。また,同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には,軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。」(内閣衆質166第一10号)

 この閣議決定の重要な点は,「強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」ことが二つの条件付きで述べられていることです。

 一つは,「同日の調査結果の発表までに」なかったと述べており,もう一つは「政府が発見した資料の中には」なかったと述べています。すなわち,河野談話発表までに,政府の「慰安婦」調査を行った内閣官房外政審議室に各省庁から集まった資料の中にはなかっ
たと述べている点です。

 では,河野談話発表までにどのような資料を政府は集めていたのか,
 また,河野談話発表後にどのような資料が発見されているのか,
 事実を明らかにしないまま,政府は,「強制連行の証拠は無い」と言い続けてきました。

 情報公開請求で政府が集めた資料の公開請求をしたところ,「政府が行った聞取り調査の記録」以外の全ての資料が今年3月に公開になりました。
 その中には,法務省が作成した「報告書」が河野談話発表まで出されており,その法務省報告書に「慰安所における売春の強制』又は『慰安所における売春を目的とした女性の強制ら致の事実が,オランダの行った戦争犯罪裁判(中略)起訴され有罪判決が言い渡された」との内容の記載があります。法務省が,「慰安婦」被害者の強制連行を証明する文書が存在するとの報告を出していたのですが,そのことを,政府は,今日まで公開していませんでした。

 さらに,法務省か報告書で報告した強制連行を証明する文書である東京裁判に提出された法廷証拠文書そのものについては,政府が未だに収集していないことも明らかになりました。これらの文書の存在については,第一次安倍内閣の「閣議決定」の一ヶ月後の2 007年4月17日に,外国特派員協会において,『極東国際軍事裁判に各国が提出した日本軍の「慰安婦」強制動員示す資料(7点)』として記者発表しています。

 【資料1】日本海軍占領期間中蘭領東印度西部ボルネオに於ける強制売淫行為に関する報告 
 【資料2】ポンテヤナック虐殺事件に関する一九四六年三月一三日付林秀一署名付訊問調書 
 【資料3】インドネシア・モア島オハラ・セイダイ陸軍中尉の宣誓陳述書 
 【資料4】インドネシア・ジャワ島マゲラン イエ・ベールマンの尋問調書
 【資料5】ポルトガル領チモール ルイス・アントニオ・ヌメス・ロドリゲスの宣誓陳述書
 【資料6】ベトナム・ランソン ニェン・ティトンの口述書抜粋 
 【資料7】中国桂林 軍事委員会行政院戦犯罪証拠調査小隊「桂林市 民控訴 其の一」

 これらの文書の存在を知りながら,その文書を今日も収集せずに,歴代政権が,「強制を示す文書はない」と言い続けているのです。

 これらの文書以外にも,日本軍「慰安婦」の強制連行を認めた公文書が多数存在しています。それは,「慰安婦」被害者が日本政府を相手に訴えた裁判の判決書です。それらの裁判は,原告敗訴となっていますが,裁判所は被害事実を認定し,強制連行があったことを認めています。

 しかし,政府の「慰安婦」調査では,それらの判決書を一件も集めていないのです。

 また,2007年に出された米国議会調査局(CRS)の「日本軍「慰安婦」問題に関する報告書」(Japanese Military’s “Comfort Women” System)では,「日本政府と軍が慰安婦制度を直接つくったことは明らか」と指摘し,「慰安婦」の募集と輸送,「慰安所管理」といった「制度の運営におけるあらゆる段階で日本軍が関与していた」としています。

 そして 「慰安婦」の募集の強制性については,「(騙して連れて行くことも強制に含めるなら)ほとんどの慰安婦が強制的に(involuntarily)制度に組み込まれたことは,公になっている証拠から疑いの余地はない」「自発的だったというのはほとんどなかったようだ」と結論付けています。
 さらに,募集については,ほとんどは民間業者によってだまされたり,家族に圧力をかけられたりしたもので,なかには物理的に拉致されたと主張する人もいると指摘。安倍首相らの議論は,募集だけを強調することで「慰安婦」制度の他の要素に日本軍が深くかかわった事実を矮小化させていると指摘しています。

 このように,政府は市民や研究者の調査を無視して,明らかにされている文書さえ収集しないまま,「強制を示す文書は無い」と言い続けているのです。
                       2013年5月24日 真相究明ネットより

慰安所マップ
慰安所マップ Ⓒ 2013 日本軍「慰安婦」問題webサイト制作委員会

日本軍兵士証言 http://fightforjustice.info/?page_id=583

 1.  【被害者証言】トマサ・サリノグ(フィリピン)
  2.   【被害者証言】マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン(フィリピン)
  3.   【被害者証言】日本軍に棄てられた少女たち(インドネシア)

日本軍「慰安婦」問題 西岡力氏説への論駁

 2014年2月27日,西岡力(つとむ)氏信奉者「にし」なる人物から西岡説であるが筆者にメールで寄せられました。筆者が順次で説明レスポンスしていきます。

Q: 日本軍「慰安婦」問題について,すべては朝日新聞の捏造から始まったのでは。
A:
東京キリスト教大学教授西岡力氏が朝日新聞について,捏造しており,表現は正しくないと言うからには,裏付けが必要です。そうしないと,読む人に誤った情報を埋め込む基になります。

 たとえば,下記の内容のどこが捏造でしょうか。
 朝日新聞の1992年7月末の報道記事です。政府の慰安婦調査の際には,法務省が,日本軍「慰安婦」問題文書が存在することを報告していました。
 西岡氏はこのような文書を知りながら,政府が「日本軍の強制を示す文書は無い」と主張する政府を支持するとするなら二枚舌です。

 バタビア裁判文書のなかの106号事件の能崎面接調書や69号事件の起訴状で,能崎中将は戦後の法務省の面接で,証言しています。「裁判で明らかになったところによると,その選出は州庁側で選出して,整列させていた婦人(その中には不承諾者も含まれていた)の中から,軍側の若い中尉が勝手に選定して,連れてきたのが実情のようであり,その点に行き過ぎがあり,なお連行後各人から承諾書を採るについても,右のような事情から若干の人々には多少の強制があったようである。承諾書の内容についても,私はそれを見なかったが,ただサービス業的のこととして曖昧にしか表現されていないので,その点にも契約上の食い違いはあった訳である。」と述べています。

  69号事件の起訴状には,「各収容所に抑留されていた一団約35名の婦人を連れ出し,スマランにある「将校クラブ」「スマランクラブ」「日の丸」及び「双葉荘」等の慰安所において,自己の統率下にある軍人及び軍属を相手に売淫すべきことを強制し,かつ強姦を行い,戦争犯罪を犯した」。
 「慰安所に連行して,売淫を行わせ,売淫をが肯んぜざるものに対しては,強制して,これを行わせた」。
 「もし彼女らが肉交を求めて同クラブを訪れる日本人に対し,各自自由意志をもってこれを拒絶した場合には,彼女らの家族に最も恐怖すべき手段をもって報復すると威嚇した」。
 「婦人らを「将校クラブ」「スマランクラブ」「日の丸」及び「双葉荘」等の慰安所に宿泊させ,自己の統率下にある軍人及び軍属を相手に売淫を強制し,かつ強姦を行い,戦争犯罪を犯した」。
 「各収容所に抑留されていた一団約35名の婦人をして,自己の統率下にある軍人及び軍属を相手に売淫を強制し,かつ強姦を行って戦争犯罪を犯した」。
 「当時「将校クラブ」と称していた慰安所に強制売淫を行わせる目的で宿泊せしめていた婦人等に対し,不当な待遇を加え,必要なる医療並びに薬品を施与せず,不健康な衛生状態の下に生活せしめた」。
 「慰安所に売淫を強制する目的をもって宿泊せしめてあった婦女子に対して,不当な待遇を加え,必要なる医療並びに薬品を施与せず,彼女等をして不健康なる衛生状態の下に生活せざるを得ざらしめた」,と起訴事実を記載しています。

 この裁判記録は,オランダの公文書館から入手した梶村太一郎氏が発表し,朝日新聞が報道した内容は決して捏造ではありません。法務省も,文書が存在することを報告していました。

Q:  「慰安婦問題」がいつから出てきたかと言えば,1980年代からです。韓国の政権はずっと反日だったと言いますが,一番激しい反日だったのは李承晩政権です。反日と反共を国是としていて,そのため李承晩政権は 日本と国交正常化しなかった。そして,日本に対して多額の賠償請求をしていました。その李承晩政権ですら,外交交渉の場で「慰安婦問題」を持ち出したことは一度もありません。その時代の人たちは「慰安婦」の存在は知っていましたが,それ を「問題」化して外交交渉の場に持ち込めるとは思っていなかったのです。

A: まず歴史的背景と当時の朝鮮半島のエートスについて認識しておかねばなりません。宗教的風土について考慮するならば,仏教,儒教,キリスト教においては,「未婚の女性は処女でなければならない」という倫理基準がありました。日本の神社において祭事に仕える巫女も処女であることが条件であることは現代も変わりません。日本が侵略したアジアの国々には,結婚するまで身を潔白に保つことは当たり前でした。残念なことに,一般の日本人は性道徳については希薄であったことは否めません。もちろん日本人は責任感,誠実,正直さにおいてサムライ精神は世界に冠たるものでしょう。しかし,「英雄,色を好む」という風潮,モラル観は決して誇れるものではありません。妾が何人にいても国政を担う政・官・財・学の指導者に対して大らかな空気が日本を支配していました。
 筆者の曾祖父野辺地尚義[1825-1909](たかよし 蘭学者,紅葉館支配人),祖父野辺地四郎[外交官]の二人も例外ではありませんでした。
 1630年,タイで活躍した日本人はシャム人を見下し,またシャムの習俗をばかにして受け入れなかったことがあります。その結果,山田長政[1590-1630]が築いたアユタヤ日本人町の焼き討ちに遭います。(1636~42年のオランダ東インド会社アユタヤ商館長エレミアス・ファン・フリートの『暹羅革命史話』)。
 日本の侵略に反発してゲリラ活動を繰り広げる武装組織である馬賊ですら,強姦はためらうのが常でした。ところが日本軍は強姦したあげく慰安所に放り込んで監禁+レイプを繰り返していた記録がアジア各地に残っています。
 性道徳について日本よりはるかにストイックな伝統がある朝鮮半島においては,「自分は何百,何千人もお客をとった慰安婦でした」などと公言することは羞恥心知らずとみなされて,社会から排除される精神風土がありました。加害者ではなく,被害者であるにもかかわらず,戦時下の屈辱が知れ渡るだけで,家族,村社会からも見離される慣習,因習,風潮を度外視できません。
 日本軍「慰安婦」がいたことは史実です。ところが,日本軍「慰安婦」問題を受容できるほど被害者の周囲は寛大ではなかったのです。村八分という社会からの隔絶は死を意味していたのです。
 自殺せずに生き残った青春時代に辛酸をなめた女性たちは,子どもが二度と産めない身体的苦痛,男性を見るだけで起こる男性恐怖症,心のトラウマと戦いながら,秘めながら黙りを決め込んでいたのです。一方,加害者である元日本軍兵士の多くは良心の呵責に苦しむのです。敗戦と同時に,上官から他言するなと命令されていても少女たちを犯した犯罪を吐露しないで晩年を送ることは壮絶な苦痛です。息を引き取る前に,かつての日本軍兵士は告白します。証言による日本兵士の獣と成り下がった赤裸々な実態は身の毛もよだちます。

「北海道新聞」(2014年3月22日付)。

 北海道新聞(2014年3月22日付)

20140323神戸新聞
「神戸新聞」 (2014年3月23日付)。

元日本軍兵士の加害証言

日本軍兵士の残虐行為

                                         続く

“Blessed are they that have not seen, and yet have believed.”

“Blessed are they that have not seen, and yet have believed.”

    Rev. Yoshio Iwamura                                                                            February 11, 2008

When I was a child, I would go hunting butterflies in the field, and wood, enjoying myself so much I lost track of time. Sometimes I didn’t notice where I was and I lost my way after dark.

The way the eyes of human beings function is not the same as that of butterflies.

Human eye cells can easily distinguish colors, for example, red, green, and blue. However, man cannot see ultraviolet rays, whose wavelengths are shorter than the three colors but which have longer infrared rays.

Surprisingly, swallowtails have the power to discern ultraviolet.

(swallowtails from Photolibrary)

That’s why butterflies get honey which people cannot see fimbriae at the center of flowers. This enables them to get as much nectar as they want from flowers.

About two thousand years ago, Jesus Christ said to skeptical Thomas who was one of the disciples, “Blessed are they that have not seen, and yet have believed.” Other followers witnessed, “We have seen the Lord.” but Thomas said, “Except I shall see in his hands the prints of the nails, and put my finger into the print of the nails, and thrust my hand into his side, I will not believe.” Thomas insisted that he was different from those who believe with a simple faith, his eye is far more penetrating.

How about our insight? Do we have our own eagle eye?

There was a genius artist whose name was Van Gogh. One day in his childhood, his father said to him, “What are you doing now in such a place?”“I’m looking at stars.”“Oh,yeh. the stars are beautiful. The color is gold, silver.” “No!” Van Gogh shook his head and said, “Light blue like the sky in the daytime, see, look!” His father was frightened to hear that, and so he went into the house. Van Gogh judged it with his eyes. The way he sees things is different from ordinary people.

Butterflies can see ultraviolet rays, but humans cannot. We need a certain type of eyesight to live.

As “Blessed are they that have not seen, and yet have believed.”is written in the Bible, we are sure that there is an unseen hand to lead us to the fullfillment of God’s Will in accordance with His vision, hope, love, and freedom.

We must develop and cultivate a common idea on the basis of global joint among view of the value of things we cannot necessarily see for ourselves.

http://plaza.rakuten.co.jp/worldcitizen/diary/200905170045/

拉致問題の解決にはどうするか

2.拉致問題の解決にはどうするか

拉致問題慰安婦の解決

 拉致被害者のご家族のおひとりである横田早紀江さんの悲しみを共有することは大切です。
 岩村が神戸で「励ます集い」の実行委員長を務めさせていただきました。

チラシ

神戸20050504

  横田めぐみさんの拉致について,一日も早い解決を冷静に考えるべきです。拉致問題の解決には,朝鮮民主主義人民共和国(以後,共和国)に対して,被害者意識だけでなじっても突破口は開かれません。歴史的経緯をふまえて,日本軍「慰安婦」問題,強制連行の未払い賃金,小泉純一郎元総理の平壌宣言遵守について,徹底的に話し合わねばならないでしょう。つまり対話こそが解決への鍵です。

 2012年4月に日本の学術団が訪朝しました。京都大学教授小倉紀蔵氏が述べます。「北朝鮮との国交交渉には,…拉致も核問題も魔法使いが突然解決してくれることはありえない。まずは文化や経済などの交流によって通路を確保しつつ,未来を切り開くしか道はない」(『朝日新聞』 2012年5月26日付)。 経済制裁など何の影響力もないことは実証されています。

 共和国に対する経済制裁。愚の骨頂です。大陸続きの国に効果なんかありません。むしろ日本の経済効果を損なっています。くだらん意地を張っても拉致問題は解決できません。2012年,米国は,共和国とハンバーガーや自動車で約4億8千万円の貿易。前年の三倍以上です。ヨーロッパ各国も旅行などで頻繁に自由に行き来しているのに対して,日本政府だけが,日本最大の圧力団体の顔色ばかり,うかがっているせいでしょうか。まともな外交,対話,拉致解決など何もできていません。

 1960年10月12日,浅沼稲次郎をを17才の少年が暗殺。2012年8月15日,19才の大学生がいじめで騒がれる滋賀県の教育長に殺意を抱いて襲いました。忠臣蔵や敵討ちの風土の日本で,仕返しをどう考えるべきか,家庭,学校,社会がモラルを教えないと,同じような思考停止の行動に走る若者が現れるでしょう。残念なことに,学校の教育現場では副読本「心のノート」を用いて,国の交戦権を認めるとか,大戦は侵略ではなかったとか,日本は加害者ではなく,被害者であったという「道徳」を復活させようとしているのはゆゆしいです。

 日本のマスコミを読めば読むほど,日本人は近隣諸国と仲良くなるどころか,嫌韓流,自虐史観,ヘイトスピーチ(憎悪発言 hate speech)などに「沸騰」するナショナリズムが若者の意識にすり込まれています。たとえば,拉致の問題に,在日コリアンの子どもたちに何か責任があるのでしょうか。Jアラート(全国瞬時警報システム)について在日コリアンは何か責任があるのでしょうか。なんら責任がありません。税金を納め,日本語を話し,日本文化に溶け込んでいるにもかかわらず,権利を与えないのは民族差別主義です。アイヌ,琉球を土人として人権を認めなかった発想と同じです。朝鮮学校の生徒たちが文科省から助成をもらえない不利益を被ってよいものでしょうか。無償化にすべきです。教育の権利は万民に「平等」であるべきです。
 人種差別をお上が声高に言っても罰せられない日本の世論はこわいです。

朝鮮高校差別  
    無償化問題

 領土問題にしても,日本は正しく,隣国が悪いという単純な思考回路にしかスイッチオンしない日本人の空気は第二次世界大戦前と同じでしょう。「固有の領土」などどこの国にも存在しない日本語が独り歩きしています。もし歴史的に「領土」を自分のものと一義的に主張するなら,七つの海をかつて君臨した大英帝国のすべての領有権をも認めなければならないでしょう。善か悪か,光か闇か,黒か白か,陰か陽か,愛国か反日かといった二元論の発想も危険水域です。日本軍「慰安婦」,強制連行,南京大虐殺について加害者なのに一切謝らないで平気でいられる感覚がすでに国粋主義,無慈悲,人間の顔をした冷酷な心の持ち主でしょう。このままでは日本はアジア諸国や,世界から孤立してしまいます。無条件降伏した同じ轍を踏んではなりません。

『朝鮮学校のある風景』No.39 一粒出版 2016年 184-186頁)。
『朝鮮学校のある風景』No.39 一粒出版 2016年 184-186頁)。

2016年 39号b

 日本の江戸時代には,秋田出身の安藤昌益[1703-1762]なる青森県八戸在住の思想家がいます。昌益は「若し自然直耕の道には治乱なきことを明らむる者之れあり,速かに軍学を止絶して,悉く刀剣,鉄砲,弓矢,凡て軍術の用具を亡滅せば軍兵大将の行列なく,止むことを得ずして自然の世に帰るべし」と教えています。『安藤昌益と自然真栄道』(勁草書房 1970年 146頁)。
 自然を大切に思う心と,軍事を否定する考えです。昌益のように「兵を語らず,争はず」の精神を復興する気骨ある日本人は久しく途絶えています。

             「横田早紀江さんを励ます集い」実行委員長 岩村義雄

キリスト新聞091205

 
蓮池 透 氏講演へのレスポンス 
                           2009年11月18日

     東アジアの平和を考える集会 実行委員長 岩村義雄

(1) 蓮池 透氏講演からの指針

 蓮池 透 氏による「日本が行なうべき道 制裁? 過去の清算?」の講演をお聞きになって,私たち日本人が考えるべき示唆に富んだ内容であったことを皆さまは感謝しておられるのではありませんか。

 東アジアの平和のためには,歴史的にも深い関係の隣国の朝鮮民主主義人民共和国(以後,共和国)や大韓民国,中国などと相互理解と友愛を深めていかなければなりません。

 しかし,東アジアと仲良くおつき合いするには,どうしても解決しなければならない過去のゆゆしい問題があります。日本人の多くは,共和国と聞くと,恐ろしいというイメージを抱きます。テポドンや,核実験など,テロ国家にしか映らないわけです。マスメディアを通して,私たち日本人はいつしか,北朝鮮と聞くだけで,眉をひそめる傾向があります。
 では,どうすれば,友好的に,行き来し,良い関係をもつことができるのでしょうか。
 
 本日は,蓮池 透さんのお話しをうかがい,なぜ,北朝鮮が拉致を行なったかの理由について,私たちは今までと異なる新しい視点が培われたのではありませんか。拉致問題について共和国をヒステリックになじる前に,自らの過去の犯してきた数々の残虐行為を見つめることです。

(2) 過去の歴史認識

 ドイツは良い模範です。ユダヤ人たちに対して徹底して,謝罪し,賠償しています。自虐歴史観という言葉に惑わされてもなりません。被害者は日本ではないのです。朝鮮半島や中国から軍人が責めてきて,捕虜になって,苦しんだという経験をしていないのですから。李基豊牧師は日本が戦時下,迫害し,殺した被害者です。

 第一番目に,日本は「三韓征伐」という日本書紀の時代から,攻め込んでもかまわないという神話があったことです。ですから,豊臣秀吉にしても,1592年に宣戦布告もせず攻め入りました。加藤清正,小西行永率いる武士たちがたくさんの無抵抗の人々を斬りつけたのです。分捕りものとして陶工や多くの連れ帰りました。強制連行です。ですから朝鮮通史は返還してもらうためにやってきました。徳川幕府は大切に,丁重にもてなし,良き関係ができていました。しかし,幕府を倒す気運になった国学は,日本人が優秀であること,弱腰の幕府とちがって,隣国の朝鮮半島は奪ってもよいという教えがありました。王政復古で明治政府をもたらした力は隣国に偏見をもってできあがったと言えるでしょう。吉田松陰や,その弟子である伊藤博文,西郷隆盛,福沢諭吉にしても“征韓論”という外交をそのまま無批判に受け入れています。
 とりわけ,一万円札の肖像の福沢諭吉さんの脱亜入欧により,東アジア人差別の風潮が日本人に約150年刷り込まれてきたのです。

 第二番目に,韓国,共和国の方と接する際,忘れてはならない不幸な歴史があります。それは1905(明治38)年11月,日露戦争後,伊藤博文は第二次日韓協約を強制し,外交権を奪いました。1910年8月22日,日韓併合条約が調印され,朝鮮半島はついに日本の完全な植民地としました。36年間,神社参拝を強要したり,国語を奪ったり,名前を変えたり,相手国のプライドをずたずたに傷つけたことがあります。

 第三番目に,第二次世界大戦(1939-1945)前から,当たり前のように強制連行,慰安婦問題を行なってきたことです。
 日本の近代化に必要な労働力として,ここ兵庫県でもトンネル工事,線路敷設など重労働に頼ってきたことです。次に慰安婦の問題があります。1993年,河野洋平官房長官は慰安婦について謝りました。しかし,昨年,阿倍晋三首相や,麻生太郎外相は,「そんな事実はなかった」と言います。一般市民が言うならともかく,国の責任者が180度異なることを発言すると,諸外国は二枚舌だと日本の指導者の言うことを信じなくなります。日本は賠償をすでに済ませたとか,軍の制度上の問題で強制はなかったとオウム返しの反論をします。18年前頃から,10歳の少女を性奴隷にした例などの事実などが明らかになってきています。一対一の性行為ではなく,4~5人大人の日本兵から幼い少女ひとりに陵辱したりしています。公娼制度はどこの国でも存在しています。女性たちに俸給を与えています。ところが,日本軍の慰安婦は,自由意志で,俸給を目的で志願した女性たちのカテゴリーには入りません。なぜなら,無理やり拉致したこと,それも10代前半の幼い少女たちにも強要しているのです。他国の軍隊には見られないゆゆしい戦争犯罪でしょう。

(3) 具体的に日本はどうすべきか

 過去の経緯を無視して,「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」という日本側のスローガンこそ,共和国との交渉の道を閉ざしてしまうものです。 とくに,日本軍「慰安婦」問題,強制連行については,日本の保守的な政治家,およびマスコミの多くがとりあげない二つについて,報告させていただきます。
 
 a. 日韓会談とは

 1965[昭和40]年,14年続いた日韓会談の終了時に,日韓基本条約が締結されました。日本と韓国の間で財産,権利,利益に関する相互の請求権について,「完全かつ最終的に解決された」と第二条で確認しました。 しかし,この協定で成立したのは,日本から韓国への経済協力であり,植民地支配時に起こった被害への補償にはほぼ使われなかったのです。会談の中で,日本側から個人の未支払い賃金などの返還が議題に上りましたが,立証責任を韓国側に負わせ,結果的に請求権を放棄させるように仕組んだ外交戦術を日本は用いました。補償とは関連のないものです。
 決定的なことに,日本軍「慰安婦」問題については,2005年に韓国政府外交通商部が保管していた公示書を全部公開した中にも,ぜんぜん言及されていません。

 したがって,現在も日本軍「慰安婦」,強制連行などの個人補償を求める運動が韓国のみならず,在日の間からも引き続き起こっています。なぜなら国に対する経済協力と,個人への賠償は別のものだからです。

 重要なことは,日韓会談の資料の全面公開です。「日韓条約で解決済み」というなら,論議した内容を開示すべきでしょう。通例30年を経過した外交文書は,公開してもよいはずです。もし日韓会談で審議された内容が外務省の危惧するように,国際的な交渉で不利益を与えるという判断のもとで,非公開にしているとするなら,韓国と日本の間に,真の信頼関係や相互理解が生まれません。

 さらに,国交が回復していない共和国との交渉として,「日朝交渉」も将来の大きな課題であります。韓国と異なり,北朝鮮に対しては,2002年の平壌宣言においても,一切の個人補償について話し合われていないのです。
 日韓会談で解決済みとは,独り歩きしている裏付けのない情報であり,今こそ,「外務省の組織的怠慢と批判されても仕方がない公文書の開示を求めます。

 b. アジア女性基金

 アジア女性基金(AWF)は被害者に対して認めた道徳的責任を満たすために取ることを考えた政府の唯一の措置であるように見えました。元慰安婦には,AWFの金を日本政府の補償と見なかったので償い金を拒否した人たちがいます。日本の小泉元総理大臣は,AWFから金を受け取った少数の女性に手紙を送りました。しかし,女性たちは手紙を読み,日本政府が責任を受け入れたわけでないとして拒否したのです。なぜなら慰安婦の被害女性の期待に沿う供与ではなかったからです。もし真摯な謝罪が伴う方法であったなら,彼女たちは拒絶しなかったでしょう。やがて,2007年3月のAWFの解散に触れて,政府は「被害者との一層の和解を求める努力をするつもりである」とそそくさと報告して組織を解散してしまいました。
 
 1993年,河野洋平官房長官の談話(以下「河野談話」という)において,被害者に対して事実を認め謝罪をし,適切な措置をとることを表明しました。そして,日本政府は,1995年(平成7)年に,「慰安婦」問題につき「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」(AWF)を設置した次第です。
  48億円が国庫から拠出され,民間から7億円が募金された。しかし,総額5億1千万円だけが285人に手渡されたにすぎません。つまり,国からというより,民間からの募金だけが,被害者に手渡されていたことになるのではありませんか。
 残りの使途は不明です。驚くことに,285人の受け取った内訳は200人がフィリッピン人であり,85人が台湾,韓国です。当時,挺対協が認定していた慰安婦は韓国だけで,234人です。韓国,台湾,フィリッピンの三カ国だけでも,認定が464人いたのです。(他の推定被害者,およびその後の認定を除く) 1996年3月に出版されたILO専門委員会報告書で,日本軍「慰安婦」問題は日本軍性奴隷制としてILO29号協約を違反した事例として判断しました。 2008年3月,国連人権理事会に続いて,ILO条約勧告適用専門家委員会は,日本政府のILO29号協約違反事例に関して,被害者たちの訴訟課程と結果,関連した情報を知らせることを日本政府に要請しました。しかし,安部晋三前首相と内閣閣僚たちは日本軍性奴隷とされた少女と女性たちの強制連行に携わった証拠を否定したのです。
 2007年にはアメリカ下院が,2008年10月30日には,国連人権委員会が決議しています。
  日本政府が1921[大正10]年の「婦人及児童ノ売買禁止ニ関する国際条約」に署名したことや,また,武力紛争が女性に与える特徴的影響を認めた2000安保理の「女性,平和と安全保障に関する決議1325号に賛成票を投じた」経緯に基づいてです。
 内容は,日本が日本軍「慰安婦」を強制動員したことについて,被害者の大部分が受け入れることができる方式で謝罪して尊厳を回復させなければならないこと,および生きている加害者を処罰して,即刻,効果的な法的・行政的手段を講じて被害者に適切に補償しなければならないとする報告書を採択したのです。
 ちなみに,[日本軍「慰安婦」問題]アジア女性基金が解散した時,アジア女性基金専務理事であった和田春樹東大名誉教授のコメントが新聞で報道されました。

 基金は中国、東ティモール、北朝鮮の被害者に対してはいかなる事業も行えなかった。事業を実施した韓国でも、ハルモニたちが基金からうけとったことが政府と世論によって公認されないままである。(『毎日新聞』2008年6月3日付)

 したがって,今日,ご出席されました皆さまも,拉致問題の真の解決は,制裁ではなく,まず対話により,過去の清算を日本から率先することによって,解決すべきだということを同意していただけますでしょうか。

Forced Transfer 

      Chairman, Kobe International Supporting Organization
                             Rev.Yoshio Iwamura

  Following the war, Nazi Germany was found guilty at the Frankfurt Court on June 10, 1953.  It was the duty of the paramilitary to protect the internees as long as they were within the reach of the power of the accused.  They had the duty to do whatever possible to protect the interned complainants’ life, body, and health, and couldn’t absolve from that duty on account of the paramilitary.

 On the other hand, after the International Military Tribunal for the Far East was over, there was no continuing trial in Japan following the war, and half a year passed without criminal and civil responsibility for the inhumane acts being accounted for.  Today within Japan, the tendency to deny its responsibility for the war still stands out.

There was no damage recovery, and the perpetrators were not held responsible, making it difficult for there to be true reconciliation for both sides.

 In October 2002, the Japanese Federation of Bar Associations counseled Prime Minister Koizumi, the Furukawa Engineering and Metalworking Co. Ltd., and Kumagai Gumi Co., Ltd. to implement provisions for “The Hunt for Truth” and “The Recovery of Damages” against the problem of forced transfer and forced labor of the Koreans by the past Empire of Japan.

 Definition of Forced Transfer:

‘Force’ includes physical and psychological force, and was established as a term internationally as early as the 19th century, and in Japan at the beginning of the 20th century.

 ‘Force’ not only includes physical force like abduction, but also deceiving someone that there is good work, and transferring them.

For example, in 1993, as written in the government statements of the Upper House Budget Committee, “Force was accepted naturally, and in that case it was not simply adding physical force, it can be said it was in a threatening way, and is awe-striking the manner in which they were made to do certain acts against the their free will, and we consider such cases to be widely included in the term” (Upper House Budget Committee Record of Proceedings, Article 4 Section 4, March 23, 1993). It was quoted and the Japanese government also has no objections against this point.

 According to the 1937 Daishinin (the Supreme Court of that time) decision, in the 1932 case whereby the Japanese Agency deceived the Japanese women of Nagasaki Prefecture into thinking they would be housemaids, and transferred them to the Shanghai comfort facility, “forced transfer” and “enticement crime” were applied (Decision Summary, March 5, 1937, Daihshinin 4th Criminal Investigation Decision).  That is to say, Criminal Code, Article 226, Section 1 was applied.  It was then in 1937 that “One must not use cajolery to entice a woman” was determined.

 Consequently, as the group which distorts a part of history argues, “They were deceived into thinking it was good work, so forced transfer does not apply,” a judgment which is wrong.

 Forced Transfer of Koreans

  1. Labor mobilization from Korea according to the implementation of the Labor Mobilization Plan and Citizens’ Mobilization Plan based on the National Mobilization Law,
  2. Labor mobilization from within Japan according to the National Draft Order
  3. Wartime mobilization as a soldier, civilian war worker, female volunteer corps member, comfort woman, as well as results from actions of ‘enticement,’ etc., occurring up until 1939 also correspond.

Legal Responsibility of the Japanese Government

●As the basis for the legal responsibility of the Japanese government, there was a violation against the ‘Treaty in Relation to Forced Labor,’ (ILO 29th Treaty) which falls under the prohibition of slavery as a slave treaty and international customary law, as well as ‘crimes against humanity.’  The ILO Treaty Application Expert Advisory Committee is deciding on the ‘Treaty in Relation to Forced Labor’ as exempt and irrelevant in relation to the ‘comfort women’ of the 1997 85th bylaw report.

●At the UN Human Rights Subcommittee, Special Reporter McDougall made this judgment in August of 1998: “According to common law, prohibition of slavery up until World War II has been clearly established, and as preparation for the Post World War II Criminal Court, includes the Tokyo Military Court ordinance and the Nuremburg Military Court ordinance.”

●Within Japan, of the war crimes (crimes against peace, general war crimes, crimes against humanity), it was considered that there was no precedent for ‘crimes against humanity’ being applied to Japan, but in the Far East Military Court Ordinance Article 5, Section 2c ‘crimes against humanity’ was applied in the military tribunal (Yokohama 8th Military Command section) relating to the forced transfer of the Chinese in Hanaoka, AkitaPrefecture.  “Because the Chinese in this detention center are free contract workers, the defense attorney again raises questions about the court jurisdiction” (Etsuro Totsuka, “The Problem of Unpunished Violations of Human Rights,” Mainichi Newspaper, July 3, 1995).

ICJ International Seminar Tokyo Execution Committee Version “Judged Japan” (Japan Hyoronsha 1996 issue, page 41-51)

 Hunt for the Truth

The truth brings about a way to healthy social cleansing, and helps to prevent the past from repeating itself.

 Presently, this heavily resounds to us living in the victimizing country of Japan.  It is shameful that up until now responsibility for the past has not been accounted for.  For the future of Japan, Prime Minister Hatoyama has the courage to directly face the administration and history.  However, without the support of popular recognition, the settlement of the past and reconciliation with our neighboring countries cannot be realized.