フクシマ原発 共苦

キリスト教と原発

フクシマ原発に立たされて

20110314福島第一原発3号機
福島第一原発3号機 メルトダウン 2011年3月14日
『中外日報』(2020年10月30日付)。
『石巻かほく』つつじ野⑥ 「共苦」(2017年11月7日付)

The 6th: “Share sufferings”   “Ishinomaki Kahoku”,, Tsutsujino ⑥ (November 7, 2017)

Kenji Miyazawa wrote to the suffering people, “Each person tries to break through difficulties, and encourage each other”.

 In February 2014, students from Kyoto University, Kobe University, Kansei Gakuin University, and others also participated in the 36th batch. Intelligent young people, who will support the future of Japan, experienced. “Restoration of rice fields, mountains, and bays”, they did listening volunteers and sweated to remove snow. And they came to realize that there are “limit of cannot do”, such as broken family, divorce, and isolation death of the victims. They experienced their “helplessness”.

 In one morning with snow, Mr. Masao Taguchi (75 years old) who “was living on the street” in Watanoha, stood alone. Without asking, everyone took out their hand warmers. That was the moment when the empathy finely honed sense of “empathize”. “One by one”, we approached Mr. Taguchi, who looked a scary person. On the other hand, he accepted us with kind smiles. All of about 30 participants were overwhelmed by his noble personality.

Kenji’s words, “Let’s jump in and drown together. Let’s go together to the other side of death”, lighting the fire to the participant’s heart. The voice of “Are there any homeless people in Kobe?”, “Let’s serve foods to people” were raised. One week after our return to Kobe, students got together again. Food distribution started for homeless people who had been living at the Higashi Yuenchi (next to the Kobe City Hall) since the Great Hanshin-Awaji Earthquake. Rumiko Kusumoto became the head of the group, and she does “commensality” together with homeless people and becomes a family with them, and still, she is continuing it.

 Kenji said “Hinotsuitayouni Hagemashite Ike (= Go on with encouraging others speedily)”, and “励ます Hagemasu (= encourage)” includes the Chinese character “力 Chikara(= power)”. It became an origin to act positively in empathy, share-sufferings, and commensality. However, no one imagined that the victim who is facing loneliness, loneliness death, and isolated death rather gave us the “力(= power)” to us. We have been changed ourselves to “go” anywhere in this world “by yourself” with only carrying a sleeping bag, not by the group.

福島県浪江町訪問 2014年9月2日

20141001共苦
『朝祷』(2014年10月1日付) Pastor Yoshio Iwamura

 「共苦」 
完全原稿 「共苦」― 被災地フクシマを訪問して―(大阪朝祷会 2014年9月18日)

                        神戸国際キリスト教会
                        牧師 岩村義雄

 主題聖句: ローマ 8章22節 被造物がすべて今日まで,共にうめき,共に産みの苦しみを味わっていることを,わたしたちは知っています。

 <序>
 2014年9月2日,福島県双葉郡の浪江町,≪動画参照≫ 双葉町,大熊町,富岡町を訪問。東北ボランティアに3.11以降,43回目です。月にだいたい一度のペース。福島県浪江町からは検問が厳しく,予め入村許可をとり,身分証明書を提示してから,防護服を着て,入りました。福島県の気温は17度。秋の気配であり,キリギリスの鳴き声はもうありませんでした。約3年半にわたり,人が人っ子一人住まなくなると,どうなるか廃墟と化した街並みを見ます。お店の看板,標識,倒壊した家屋は地震で倒されたままです。海岸線は津波で襲われ,大きな船が生い茂った荒野にぽつんぽつんと散在しています。家の前に牛の大きな糞がころがっています。ネズミが,酪農の家の人が殺すのは忍びないと放置した豚が野生化して,人がいなくなった家に入り込み,めちゃくちゃにしています。被造物と言えば,双葉町,大熊町では人間はいません。したがって,地を這う動物のうめきが耳に入りました。

(1) 被造物のうめき
 a. 被造物とは
  クティスィス [ギリシア語クティスィス]は「創造(創設)されたもの,被造物,造られたもの,世界,制度」です。「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ,増えよ,地に満ちて地を従わせよ。海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」 (創世記 1:28)で述べられている「海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物」が含まれます。家畜,動物,獣です。広辞苑によると,「家畜」とは,“人間に飼育される鳥獣。牛・馬・豚・鶏・犬の類”と定義されます。ちなみに創世記1章24節に「家畜」[ヘブライ語 ベヘマー]が始めて登場する箇所では,まだ最初の人間が創造されていません。

  b. 世話をする
  「主なる神は人を連れて来て,エデンの園に住まわせ,人がそこを耕し,守るようにされた」 (創世記 2:15)。「耕し」(ヘブライ語 アーバド 「仕える」の意),つまり耕作することから人類は始まりました。「守る」(シャーマル「見守る,救う,世話する」の意)ことを委ねられたわけですから,里山を損なわずに,人が安らぐ環境を守る責任があります。

  c. スチュワードシップの放棄
 汚染,公害,自然破壊ではなく,被造物の生態 Ecologyを管理するのではなく,仕えるのです。エコロジーの語源,“Eco-”はギリシャ語oikos「家・家庭・家計」に由来する接頭語。Logyはギリシャ語logos「言葉・言語」に由来。学問,研究をあらわす語につく接尾語です。アベルとカインの献げ物の内,農作物が神に受け入れられず,アベルの羊が認められました。当時は肉を食べる習慣がなく,神が食べる分として捧げられたのです。牧畜が認められたわけですが,ノアの洪水審判の後,肉を食べることが許されるようになりました。血は命ですから,屠る際,血は地に流すように命じられました。「ただし,その血は食べてはならず,水のように地面に注ぎ出さねばならない」 (申命記 12:16)。すべての生き物の命はその血であり,神の足台である大地に注ぐのです。「主はこう言われる。天はわたしの王座,地はわが足台。あなたたちはどこに わたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか」 (イザヤ 66:1)。
 福島原発の近くの地域では,震災後,酪農を営んでいた人々は強制的に退去を命じられました。「地の上を這う生き物」を連れて逃げるわけにいかず,餌をたくさん残して逃げたのです。その結果,家畜である牛,豚などは野生化して無人の地域を徘徊するようになりました。 

 (2) うめき
  a.被造物のうめき
 
飼い主がいなくなった牛,豚,鶏は自分たちで餌を得なければなりません。空き巣や盗みがなされないようにと,無人となった各家の前にはフェンスが張りめぐらされる以前のことです。動物は家の玄関から畳や床の上に入り込みました。地震で破損した箇所からこじあけて侵入します。雨露をしのぐためだったり,食品が残っているのを嗅ぎつけ,食糧をあさるのが目的です。イノシシは人家に入りませんが,イノブタ[イノシシと豚の混血]は家の中にこじ開けて侵入します。イノブタはイノシシの5倍の繁殖力があり,一頭が年間20頭を出産しますから,捕らえるための箱わなをよく見かけました。ちなみにイノシシ,イノブタは放射濃度が高く,食用にはなりません。留守宅をちらかし,糞で家の中,周囲は臭くなっています。天井裏ではネズミが我が物顔に走り回ります。国が退去させた住民に午前9寺から午後4時まで一日立ち入りを認めた時,わが家の変わりように人々はへなへなと座り込んでしまいました。

  b. 収穫物のうめき
  年間50ミリシーベルト以上ある双葉町,第1原発のある大熊町は帰宅できない地域です。年に15回しか立ち入りができません。通行証が必要です。2017年まで,国は除草,除染はしてはいけないとお達ししています。強制的に住めなくされた結果,北に隣接する南相馬市の仮設住宅に一部の人たちは移住を余儀なくされました。私たちも浪江町の藤橋スクリーニング場で防護服を脱ぎ,放射能付着の検査をしてから南相馬市の中心地原町に向かいました。福島県の米どころとして県民が生き残るために福島県産の米が安全であることを全国に知らしめなければなりません。福島原発から20キロ離れた南相馬市で,除染作業をして本格的に米栽培を実験的に始めました。しかし,今年7月15日には,実証栽培米には1キロ当たり100ベクレルを超えています。(「福島民友 」2014年7月15日付)。つまり食べると被曝する放射性セシウムがあるということです。お百姓さんはあきらめきれず,うめいています。基準値を超えるとコメは売れないからです。

 c.母親のうめき
 
「神はその嘆きを聞き,アブラハム,イサク,ヤコブとの契約を思い起こされた」 (出エジプト 2:24)と書かれているように,エジプトの苦役を強いられているイスラエルの民の「うめき」を聞くようにモーセに神は求めました。つまり,うめきに耳を傾ける感受性を喚起されたのです。
 双葉郡の多くの方の仮設住宅がある南相馬市でも持っていった線量計の数値は高くなったり一定ではありません。絶えず数字が変わるのは空気中に浮遊している放射線があるからです。27年経たチェルノブイリ近辺では数値は変わりません。一方,日本では風が吹いたり,雨の降り始めには線量はあがります。富岡町では数字は振り切って計ることができない高線量でした。100万人にひとりと言われる小児性甲状線ガンにかかる子どもたちの数は12人(2011年6月)→43人(2013年4月)→104人(2014年8月)と増えています。しかし,放射能との因果関係が認められないために,障害賠償を受けることはできません。30キロ圏内でなくても,50キロ離れた地域でもセシウムが6倍です。(朝日新聞 2014年7月16日付)子どもは大人よりも3倍の放射能の影響を受けると言われています。しかし,いわき市行政は子どもたちの給食に,風評被害払しょくのためと言い含めるように,福島産のものを使うことを強要しようとしています。子どもの未来を思う母親たちは,子どもの被ばくをとても心配しています。現地のうめきの生の声を聞くことができました。

(3) 共生,共苦,苦縁
 a.悔い改め
 福島の母親たち,子どもたちは震災直後からむずかしいたくさんの決断を迫られてきました。原発は平和利用ということでアメリカのキリスト教界から日本にもたらされました。ウイリアム・ポラード[1911–1989]氏は,米国聖公会の司祭です。1944年にマンハッタン計画に参画,ウランからU-235を抽出し,広島,長崎に用いました。1946年,ポラード司祭はオークリッジ原子力研究所所長に就任しました。ポラード師は原子爆弾の反省から原子炉の平和利用を祈りました。やがて日本のキリスト教主義学校に原発の平和利用の研究所が作られました。しかし,3.11に平穏な生活,生きがい,家族関係を裂く1~3号機のメルトダウン(炉心溶融)が起こり,原子炉内は手のつけようがありません。人類の未来さえも破壊してしまうのが原発事故です。
  まず,キリスト教界が原子力問題について悔い改める必要がございます。

b. 感情移入
  私たちはこれからも54基が海岸線にある日本で生きていくつもりならば,研ぎ澄まされた感性を問われています。福島県民は経済的ゆとりもなく,とどまり,そこで生活をしていかざるを得ませんでした。仮設住宅などにとどまった人たちは自死,離婚,家庭の分断にさらされています。一方,退去などで他府県に移動した福島県の方々は行った先々で孤立,疎外,失業でやはり,自死,離婚,家族の分裂が起きています。共に苦しむとは,自分自身の問題として,私たちが痛み,苦しみ,抑圧に共感と共苦をすることが求められます。「また,群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て,打ちひしがれているのを見て,深く憐れまれた」 (マタイ 9:36)の「深く憐れまれた」(ギリシア語エスプランクニスセー)は日本語に適切な言葉がなく,琉球のチムグルシー(胆苦しい)が一番ふさわしいでしょう。「あなたがたは神に選ばれ,聖なる者とされ,愛されているのですから,憐れみの心 [スプランクナ],慈愛 [オイクテルムー],謙遜,柔和,寛容を身に着けなさい。」 の精神態度が求められます。(コロサイ 3:12)。「あなたの民があなたに対して犯した罪,あなたに対する反逆の罪のすべてを赦し,彼らを捕らえた者たちの前で,彼らに憐れみ [ラハミム]を施し,その人々が彼らを憐れむようにしてください」 (Ⅰ列王 8:50)と旧約で書かれている憐れみ[ヘブライ語ラハミム「憐れみ,同情,子宮,胎」]も新約と同じです。

 c. 共苦
 主題聖句の文脈の17節には,「もし子供であれば,相続人でもあります。神の相続人,しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら,共にその栄光をも受けるからです」 (ローマ 8:17)と書かれています。うめきに「共苦」するキリスト者ならば,「共に苦しむ」 (スムパスコー スン「共に」+パスコー「苦しみを受ける,苦難を経験する」 参照 マタイ 17:12, 使徒 1:3)ために,苦縁により,同じ兵庫県の丹波水害に出かけて行きます。スプランクニッツォマイは英語で,have a compassion with~です。日本語にはない言葉であり,琉球の言葉チムグルシー(胆苦しい)が一番適切な意味を持っている語です。日本人,否,人類全体がチムグルシーの感性をもって,福島の被爆について共苦していきましょう。

季刊誌「支縁」No.13 第一面

まったく報じられない
「排気筒問題」と
2号機「大惨事」の危険性
――おしどりマコちゃん×広瀬隆対談

20151212おしどりマコちゃん×広瀬隆対談

 

 

 

神戸事件 日本にもあった戒厳令 1948年4月24日

キリスト教と在日コリアン

朝日新聞号外480425
『朝日新聞』(1948年4月25日付)。

  獄やにあって愁いは多く 夢はなお果たせない
  晴れわたった空の月が 刑務所の建物を照らしている
  故里の村に雲の湧き
  高い木の梢に 鳥が啼いて 日の傾くのを想う
  いまはむしろ死すとも 富貴をむさぼるときでない
  自分は獄中の身だが 憤りの声は世にあふれている
  教育闘争の四・二四
  年々歳々 その心は忘れられることがない
  (朴 柱範 1948年11月30日 )

 敗戦後,70余年前の神戸で行なわれた「神戸事件」について語られることはほとんとどありません。忘れられています。「阪神教育事件」,「阪神教育闘争」,「4・24(サイサ)教育闘争」とも呼ばれます。米軍占領下で一度だけ非常事態が神戸で宣言されたことがあるのです。1948[昭和23]年1月24日,文部省学校局長は各都道府県知事に対して,「朝鮮人設立学校の取扱いについて」という通達を勧告。同年4月10日,兵庫県岸田幸雄県知事は朝鮮人学校に対して,閉鎖するように命じました。全国各地で民族学校を死守するために在日コリアンは立ち上がりましたが,神戸と大阪の抵抗は最も熾烈を極めましたから,「阪神教育闘争」と言います。やっと自分たちの民族の言葉で勉強できる学校を期待していた在日朝鮮人たちはがっかりしました。抗議のため,全国から日本人を含めて[主に日本共産党員],神戸市湊川公園に4万5千人が集まりました。4月24日午後23時,戒厳令が出されました。知事や市長などの権威を無視して,アメリカ軍は軍隊を発動し,日本の警察動員にも介入し,非常事態宣言を行なう戒厳令があったことを歴史で教えるべきでしょう。

 

               朝日新聞号外 1948年4月25日付け

 地元の人たちの外出は禁止されたのです。25日から29日までに,兵庫県内だけで1590人[全国では7295人]が検挙されました。日本人9人と在日朝鮮人8人が,重労働4年以下の判決を受ました。この数字からも戦後すぐの日本共産党の活動の中核をなしているのは在日朝鮮人たちであったことがわかります。在日朝鮮人に対して,最高重労働15年の判決も出されたのです。刑期終了後は本国に強制送還されることになりました。在日本朝鮮人連盟県本部委員長を務め,尊敬されていた64歳の朴柱範[パク・チュボム 1885-1949]さんも病身のまま,神戸刑務所に投獄されました。1949年11月,拷問と老体のために仮釈放の4時間後に他界しました。大阪では,学校閉鎖の反対のデモに加わった金太一(キム・テイル)少年(16歳)が大手前公園で1948年4月26日午後3時40分に警察によって射殺されたりしました。

3月31日 岸田幸雄兵庫県知事と小寺謙吉神戸市長は朝連が運営している灘初等学院,東神戸初等学院,西神戸初等学院と建国青年同盟が運営している4校に立ち退きを命令。

4月10日 県知事は,朝鮮人学校に対して,封鎖命令を出した。

4月14日 朝連は,兵庫県庁を訪れ,知事との交渉を要求。

4月23日 警官隊とMPは,朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖。

4月24日 封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が,兵庫県県庁前に集結。9時30分 兵庫県庁知事室で,岸田知事,小寺謙吉神戸市市長と検事正ら15人は朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と,在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。朝連は兵庫県知事室での密談の情報を入手し,約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後,壁を打ち破って知事室になだれ込み,岸田幸雄やMPを監禁。在日朝鮮人や日本人約100人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち,「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを知事に要求。
 17時 知事は「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」を誓約。
 22時 岸田知事,吉川副知事,市丸検事正,田辺次席検事,出井兵庫県警察長,古山神戸市警察局長らはアメリカ占領軍兵庫県軍政部に招集。
 23時 兵庫県軍政部は「非常事態宣言」を発令。日本の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入った。兵庫県庁への乱入者の徹底検挙が命じられ,知事が誓約した「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などはすべて無効とした。

 4月25日早朝 アメリカ軍憲兵と日本警察官は兵庫県庁への乱入者を検挙し始めた。

 朴さんは1927年来日し,神戸市東灘区に住んでいました。30年代はじめには関西学院神学部出身の金英哲牧師とともにキリスト者として働いています。賀川豊彦から始まった阪神消費組合の設立にも参与され,後に理事に就任しています。村会議員を2期務めています。1948年に,自分たち民族の言葉で教育することを許可して欲しいと立ち上がりました。当時,朝鮮半島はまだ北と南に分かれていない時期でした。
 [大韓民国(48.8.15)/朝鮮民主主義人民共和国(48.9.9)成立]。

 「神戸事件」の責任を問われた朴さんの墓は日本のどこを探してもありません。しかし,朴さんの命がけのねばり強い嘆願によって,同年5月,朝鮮人団体と文部省が「朝鮮学校は私立学校として認可する」などと調印しました。朴さんは自分の死と引き換えに,朝鮮学校はなくならず,今でも残っています。朴さんは,在日同胞が差別,偏見,抑圧により,うめき苦しんでいるのを見て,モーセのように立ち上がりました。来日した朝鮮人にまず言葉を教えました。身寄りがない朝鮮人のために身元保証人に喜んでなりました。裁判事件になったりすると,釈放のため自ら保証人を引き受けたりしました。在日朝鮮人の間では指導者として信望が篤かったのです。
 50年を経た1998年に次女朴再禮さんが神戸に招かれました。その際,「こんなかたちで亡き父を追悼していただき,本当にありがとうございます」と語ったのです。
 ただし,アメリカ連合軍は,朝鮮民族学校に義務教育を適用しませんでした。自動車学校などと同じように各種学校扱いのままで今日に至っています。
 現在,200万人以上の外国人が日本に住んでいます。毎年1万人以上の外国人が日本の国籍をとっています。国際結婚も増えています。国籍が二つある子どもも珍しくなくなっています。しかし,日本は「多民族・多国籍」の人たちが住むのにふさわしいとは言えません。学校でのいじめや,友だちができないなどの理由で就学していない子どもの割合は約7%にもなっています。日本には朝鮮学校,中華学校などは100校ほどあります。ところが,海外諸国とちがって,日本だけがいまだに外国人という理由で助成金を出しません。ですから通学定期券がとれないとか,授業料の消費税などの不自由が多くあります。チマチョゴリを着ているだけで,通学の時に日本の学生たちから,「朝鮮人なんて皆死ねばいい」「チョゴリを着たやつは殺す」と謂われない侮辱を今でも受けたりします。差別がなかなかなくなっていません。(2008年司法書士人権フォーラム作文最優秀賞)。

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2008/03/0803j1215-00002.htm

 多民族・多文化の問題を真剣に考え,共生することができるようになった国にカナダがあります。カナダから小中学校の教師が神戸に来て,人権について日本の教師たちと交流します。多民族・多文化共生はできるのでしょうか。2009年4月20日~25日の神戸滞在中,小学校,中学校などを精力的に訪問。4月24日の神戸事件[阪神教育事件]を記念する日に,神戸バイブル・ハウスでシンポジウムが開かれます。「主権国家」,「固有の領土」(英語にできない)などを主張すればするほど問題が山積する中で,多民族・多文化共生が日本でもどのように定着するかをご一緒に考えてみましょう。

http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/03/0903j0513-00001.htm

朴柱範(1948年 神戸大久保刑務所病舎 徐元洙氏所蔵画像) Pastor Yoshio Iwamura

朴柱範(발제강연 Joo-Bum Park)氏略歴

 1885年,慶尚北道義城郡舎谷面梧上洞生まれる。村の書堂で漢学を学ぶ。1903年,金憤淳と結婚。大邱で全国の測量業務に従事。1927年失策のため解雇される。同年,訪日。芦屋に妻,長男東煕,次女再禧,次男仁煕を呼び寄せる。1930年武庫郡本山村森市場近くに朝鮮人部落をつくり,飯場を開く。医院の2階でキリスト教集会を開いた。1931年関西学院神学部出身の金英哲牧師[1937年宝塚普及福音教会牧師。戦後,本国で逮捕され,消息不明]を招聘し,メソジスト教会を創設。宣教活動に従事する。1932年武庫郡本庄村青木(現神戸市東灘区本庄町)の阪神国道沿いの本山村南側に転居。朝鮮人参を販売する雑貨店をはじめる。夜は周辺部落の朝鮮の子息たちを集め,ハングル[ウリマル(我々の言葉)・ウリクル(我々の文字)]を教えていた。朝鮮日報支局を開設。賀川豊彦から始まった消費者を守る組合活動の一環として,阪神消費組合[1931年3月,金敬中たちによって尼崎で発足した朝鮮人の消費組合 最盛期には350名のメンバー]の設立にも参与。本庄村青木に組合の出張所が置かれ,森配給所(本山村)の責任者であった。組合活動とキリスト教の働きを森配給所で行なっていた。1933年第三回大会で資格審査委員,1935年第五回大会で副議長に選出される。1935年12月 青木公会堂で開催された第6回総会では夜学の拡張と消費組合支持が決議されている(『民衆時報』1936.1.1)。1936年に理事に就任。(遺族によると,1942年に理事長になったと証言)。
 1937年5月武庫郡本庄村村議会選挙に立候補し,53票で当選。「半島出身者が最高点で当選」(大阪毎日 1942.5.31付)。1942年6月再選。立候補時の所属団体名は民族親睦団体「朝陽親睦会」顧問。1939年現神戸市東灘区深江700番地に移転。「芦屋内鮮協和会をつくる」(神戸新聞 1939年3月28日付)によると,本山,本庄,精道の三ヵ村で,3,500人の朝鮮人がいた。1941年 土木業新井組を設立。戦後,1945年10月,朝聯[チョリョン]結成と同時に初代阪神支部委員長に選ばれる。1947年同聯盟の兵庫県本部委員長に就任。朝聯阪神初級学校管理組合の常任理事。私学法に基づいて「朝聯阪神小学校」として兵庫県の認可第1号を取得するのに奔走。神戸事件の指導者として,病身のまま投獄された。懲役(重労働)4年9カ月の判決を受けた。1949年11月25日に仮釈放されたが,衰弱しきっており,4時間後に逝去。遺体は神戸青山斎場に安置された。同年11月30日の葬儀には1万5千人以上参列した。同年,妻金憤淳と次女再禧(後に朴再禧)が韓国の大邱に遺骨を持ち帰る。
 
 
Update report of the Association of Korean Human Rights in Japan
                      Chairman Pastor Yoshio Iwamura
List of issues in connection with the 5th periodical report from Japan

Rights of persons belonging to minorities (arts. 24 and 27)                     

Please provide detailed information on measures taken to ensure adequate opportunities for minority children to receive instruction in or of their language and about their culture, in particular as regards the Korean and Ainu minorities (paras. 378-383 of the report). What measures have been taken towards officially recognizing Korean and other minority schools, making available subsidies to such schools on a non-discriminatory basis, and recognizing their school leaving certificates as university entrance qualifications?

In March of this year, the Japan Federation of Bar Associations (JFBA) demanded adjustments of the ‘wide gap’ in subsidies between ordinary schools for Japanese students and ethnic schools such as Korean schools once again following recommendation submitted 10 years ago. Moreover, it is the fact that Korean schools are obliged to rely heavily on donation because of a subsidy gap. Although reduction and exemption of tax for donors are adopted as far as Japanese private schools or international schools are concerned, there is no preferential treatment to individuals or corporations who donates to Korean schools. The JFBA required the Government of Japan (GOJ) correcting discriminatory measures, as they are obviously ‘regarded as discriminatory treatments’.

In addition, while the GOJ recognizes the eligibility of other foreign schools to apply for admission to universities in Japan, it does not recognize qualifications of those who graduated from Korean schools, and they are individually judged by each university’s decision. The JFBA required correcting such a discriminatory system.

And the JFBA ‘recommended to take proper measures immediately’ to the GOJ saying that such kind of discrimination is a ‘violation of the Right to Lean of those who go or want to go’ Korean schools.

In addition, with regard to the instruction of Vice Minister of Education (1965) which said that ‘Korean schools whose objectives are to cultivate their ethnicity or nationality cannot be recognized to have positive meanings for our society of our country’, the JFBA recommended a decade ago saying that ‘the GOJ should take proper measures to eliminate the violation of human rights and restore damages by withdrawing this instruction’. Although this problem was brought up for discussion of the reports on the GOJ in the previous Human Rights Committee (a decade ago), the GOJ does not withdraw the statement, much less restore damage. As a result, Korean schools are still legally categorized as vocational school like driving school and suffer from above-mentioned discrimination.

Korean schools which were established to restore ethnicity which was deprived during the colonial period and to succeed it to the next generation should be the subject for positive support as shown in General Comment 23 (CCPR/C/21/Rev.1/Add.5, General Comment No. 23) which requires ‘positive measures’ to correct the situation which prevent and damage the enjoyment of the right protected under article 27. However, it is obvious that current situation shows that the GOJ violates not only article 27 but also article 24 and 26.

Reports submitted before taskforce in New York, in March

▩ The government of Japan does not recognize the qualification of Korean school graduates to take entrance examination. As a result, several universities in Japan do not grant them qualification as examinee.

The Report of the Government of Japan refers to broadening of the eligibility of Korean school graduates to apply for admission to universities in Japan. However, this measure in 2003 was intended to admit the qualification to take entrance examination of those who graduated from international schools of the western countries. As this gathered many criticisms from Japanese society, other graduates from foreign schools were also recognized to take entrance examinations.

However, while the government of Japan recognizes the eligibility of other foreign schools to apply for admission to universities in Japan, qualifications of those who graduated from Korean schools are individually judged by each university’s decision. Therefore, some universities do not recognize the qualification of Korean school graduates to take entrance examination. With regard to the qualification of Korean school graduates to take entrance examination, it is true that the government of Japan loosened restrictions. However, their treatments on Korean schools remain unjust and improper.
Korean schools do not receive state subsidy and suffer from discrimination in the taxation system on donation. Korean schools are still legally categorized as vocational school like driving school. Despite the fact that they are socially recognized as schools with the same level of educational contents as average Japanese ones, they receive quite fewer amounts of educational assistance than that of Japanese private ones. The biggest factor should be absence of state subsidy from the government.

Furthermore, despite the fact that preferential treatments in the taxation system on donation to schools (reduction and exemption of tax for donors) are adopted not only to Japanese schools but also to international schools of western countries, this qualification is not granted to Korean schools.

In addition, parents of Korean schools remain being excluded from the object in many scholarship systems.

l Related article: Articles 1, 2, 26, and 27 of the Covenant

  • Concluding Observations of the Human Rights Committee: Japan, 1998 (CCPR/C/79/Add.102)

13. The Committee is concerned about instances of discrimination against members of the Japanese-Korean minority who are not Japanese citizens, including the non-recognition of Korean schools. The Committee draws the attention of the State party to General Comment No. 23 (1994) which stresses that protection under article 27 may not be restricted to citizens.

  • The Report of the Japanese Government, Dec. 2006 (CCPR/C/JPN/5)

55. Children of foreign nationals without Japanese nationality can receive all compulsory education at Japanese public schools free of charge if they wish so. If they do not wish to receive Japanese school education, they can receive education at foreign schools such as Korean schools, American schools, German schools, etc.

56. In September 1999, in order to systematically open the way for graduates of international schools, which adopt a different education system from that of Japanese schools, to proceed onto higher education in Japan in accordance with their individual academic abilities, the Government expanded the eligibility of foreigners to take the University Entrance Qualification Examination (from FY2005, the Upper Secondary School Equivalency Examination). In August 1999, the Government broadened the eligibility to apply for admission to graduate schools in Japan; accordingly, those who have been recognized, through each graduate school’s examination of eligibility for applying for admission to graduate schools, as having equal or higher scholastic ability than graduates of universities of Japan, and those who are aged 22 years or above are eligible to apply for admission to the graduate school in Japan.

57. In September 2003, the GOJ broadened the eligibility to apply for admission to universities in Japan; accordingly, those who have been recognized, through each university’s examination of eligibility for applying for admission to universities, as having equal or higher scholastic ability than graduates of upper secondary schools of Japan, and those who are aged 18 years or above are eligible to apply for admission to the university in Japan.

神戸事件出典
・『在日朝鮮人民族教育の原点―4・24阪神教育闘争の記録』(金慶海 田畑書店 1979年)。
・『在日朝鮮人民族教育擁護闘争資料集(1) 四・二四阪神教育闘争を中心に』(金慶海 明石書店 1988年)。
・『在日朝鮮人民族教育擁護闘争資料集(Ⅱ)四・二四以降大阪を中心に』(内山一雄&趙 博編 明石書店 1989年)。
・「『神戸朝鮮人学校事件』関係文献案内」(飛田雄一 『むくげ通信』50号 1978
 年)。
・「忘れまい 4・24」(阪神教育闘争50周年記念神戸集会実行委員会 徐根植&飛田雄一 1998年)。
・「占領期の在日朝鮮人教育問題に関する主要文献」『GHQ文書研究ガイド・在日朝鮮人教育問題』(金英達 むくげ叢書① 1989年)。
・『在日朝鮮人の民族教育』(梁永厚&洪祥進と共著 神戸学生青年センター出版部 1982年)。
・『非常事態宣言1948―在日朝鮮人を襲った闇』(金 賛汀 岩波書店 2011年)。
・『朝鮮学校のある風景』⑲(金日宇 ウリハッキョ(朝鮮学校を記録する会 2013年)。
・『人権歴史マップ』(金 信鏞共 ひょうご部落解放・人権研究所 2014年)。

Copyright (C) 2011 「神戸国際支縁機構」, All rights reserved.

 

「特別寄稿」
憲法九条は日本だけでなく世界の宝です

                            神戸朝鮮高級学校(垂水区) 
                           2年生 李(リ) 美(ミ)蘭(ラン)

 私は神戸朝鮮高級学校に通う在日コリアン3世です。今、拉致や核実験などでニュースが流れると、心ない日本人にターゲットにされるのは一番に在日です。私たちチマチョゴリを着た女子生徒たちです。ひどい暴言を受けたり、接触するときたないゴミを取り払うかのような態度を示す人もいます。そのためチョゴリを着られなくなった友人もいます。

 今年、3年生が修学旅行で祖国を訪問するために新潟まで行きました。しかし,急に日本政府が経済制裁だといってマンギョンボン号の入港を禁止しました。万景峰号は在日コリアンが祖国にいる家族や親戚に会うための船です。私たち朝鮮学校の生徒たちが初めて祖国の地を踏む時に乗る船でもあります。来年は私も生まれて初めて祖国に行けると楽しみにしていたのに、とてもショックでした。

 2007年2月6日には兵庫の朝鮮人商工会や総連県本部に何百人もの警官や機動隊が押し寄せました。滋賀県では朝鮮小学校に警察官たちが事前の連絡なしに部活動している生徒たちの前に立ちはだかりました。警察の強制捜査によってトラウマとして傷ついた子供たちを考えると、とても心が痛みます。

 でも、このような嫌な事ばかりではなく、嬉しいこともありました。神戸国際支援機構(現神戸国際支縁機構)の主幹をはじめとして多くの日本の方々が、私たちを応援し、励ましてくださっていることを、私は知ったからです。私は、学校で日本の憲法9条は平和を守る世界に誇るべきものだと教わりました。あの悲惨な戦争を二度と繰り返してはならないという日本人の固い誓いの証だと聞きました。私も平和な世界になることを願っている一人です。平和とは国と国、人と人がお互いに寄り添うことから始まると思っています。日本のみなさん、私たちがチマチョゴリを着て、真っすぐに前を見て歩ける日々を返してください。育った日本で国籍に関係なく私たちが共に手を握り合い,笑って語り合える日がくることを願っています。

       (「みんなで考える9条・明舞の会」2007年3月 ニューズレター No.2)

 

賀川豊彦献身100年記念神戸プロジェクト

賀川豊彦  献身100年 プロジェクト委員会 

 賀川豊彦が神戸での活動を開始して、2009年に100年を迎えます。これを機に、私たちは「賀川豊彦献身100年記念事業」を展開します。

 1909年12月24日、21歳の賀川豊彦は貧困にあえぐ人々のために献身しようと、当時、劣悪な環境で生きることを強いられた人々が生活する地域に入っていきました。賀川豊彦は当時死の病と恐れられていた肺病を病み、余命幾ばくもないと宣告された身体でしたが、貧困と差別のただなかにあって困難を抱えた人々と共に暮らし、徹底してこれらの人々のために働いたのです。

 その1909年から1923年までの14年にわたる神戸での活動は、福祉の向上を目指してキリスト教伝道にはじまり、労働運動、協同組合運動(生活、農業、漁業、林業、医療、共済)、平和運動、無産政党活動に発展しました。

 その活動は、神戸に留まらず、関東大震災の救援を契機に日本全国に広がり、福祉、教育、医療、生産、労働、協同組合、平和、人権、共生という、私たちの暮らしを支える根幹を築くことに、その生涯を捧げました。

 これらの活動は諸事業の萌芽となり、それぞれのスペシャリストによって専門分化され、今なお、社会の下支えを担っています。しかし、現代社会の課題は、深刻で複雑です。それらの課題は、個々の専門的なアプローチだけでは難しく、全体像を把握し、対症療法ではない課題解決を可能にするためには、各専門分野が互いに協働することが必要ではないでしょうか。

 100年前の賀川豊彦の活動は、目の前に迫る困難に向って、福祉、教育、医療、生産、労働、協同組合、平和、人権、共生といった多様な取り組みを、渾然一体のものとして展開させています。それぞれの取り組みが互いに協働することが、最大の効力を発揮したからです。

 私たちは、賀川豊彦の多様な取り組みに出合い、100年を遡って検証し、また新たな100年を見通し、互いの分野や垣根を越えた、現代にふさわしい形を模索することで、多くの課題を解決し、共に生きる社会を実現することを目指します。

2007年4月28日
         賀川豊彦献身100年記念事業プロジェクト委員        
岩村義雄 Pastor Yoshio Iwamura
記念碑
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
記念碑a
 
プロジェクト名刺

 賀川豊彦の生い立ち 鳥飼慶陽

 賀川記念館をご覧ください。

KBHニューズレターNo.6 20040316
拙稿 KBH「ニューズレター」 (No.6 2004年3月16日付) 第一面
神戸で初めて聖書を印刷した会社 ―福音印刷合資會社― 拙稿 Pastor Yoshio Iwamura
元町1丁目にあった福音印刷合資會社内部 1906年 芝はるは働く。Ⓒ岩村義雄
賀川豊彦&芝はる 結婚
1913年5月27日 Ⓒ岩村義雄
賀川記念館贈呈
Iwamura’s Libraryの 福音印刷合資會社の発刊の稀覯書を 賀川記念館に贈呈。「読売新聞」(2011年11月24日付)。Pastor Yoshio Iwamura
『読売新聞』(2011年12月24日付)。

賀川豊彦再発見 2011年11月30日 岩村義雄

 2009年12月22日,神戸で,賀川豊彦救貧活動開始100年を記念する集いに1600人が集まった。賀川は神戸市で生まれた。1909[明治42]年12月,21歳の時,日本最大のスラム街である神戸市新川に入った。

 大宅壮一氏に「およそ運動と名のつくものの大部分は賀川豊彦に源を発している」と言わせるほどである。平和運動,社会事業,労働組合運動,農協活動,コープ組合など,数え上げればきりがない。

 ノーベル平和賞,ノーベル文学賞の候補者にも挙げられた。海外では,20世紀の三大哲人として,シュバイツアー博士,ガンジーに並んで評価されている。

 日本では忘れられた存在になっているが,原因はキリスト教会の評価が厳しいからであろう。300余の書籍を書いたが,その中に被差別部落の人々に対する差別表現が含まれているからである。しかし,かつてマルティン・ルターがユダヤ人差別をしているからと言って,ルターの果たした業績を否定する人はまずいないだろう。時代的背景を考慮すれば,賀川の思想は,今日の部落解放運動の原点にあるわけだから「木を見て森を見ない」式の批判は的外れだろう。

 賀川豊彦の書物は1世紀を経ても,決して色あせていない。

 「地球は人類を産んだことを悲しんでいる。地面を荒らしたのは人間である。ああ,私はそれを呪う。私がもし神であれば,地球の心(しん)にダイナマイトを仕掛けて木っ端みじんに打ち砕いているかもしれない。それほど私は人類に愛想をつかしている。それでも私の神はまだ愛想もつかさず,愛のために私ら人類をゆるし,支え,亡ぼさないでいてくれる…。」(『地球を墳墓として』賀川豊彦著 1924年)。

 賀川の妻ハル[1883-1982]は,豊彦に出合った時,神戸市元町1丁目24番地の福音印刷合資會社[1904-1913]で聖書を印刷する仕事をしていた。豊彦は印刷会社を訪れた集会で「私は新川に住む乞食の親分です」と自己紹介をした。上手に讃美歌を指導したりもした。二人は,信仰を分かち合う仲になり,1913年結婚。

 ハルが携わって発刊していた聖書を2011年12月2日に読売新聞社の古市記者の仲介で賀川記念館献に献品する運びになった。蔵書は1975年以降,収集していた一部であり,神戸バイブル・ハウスにも寄贈してきた。

 賀川記念館への来館者は,賀川夫婦が説いた永遠のベストセラーが混迷の世界に一条の光明を照らしてきた痕跡に思いを馳せることができればさいわいである。

                              寄贈者 岩村義雄

  寄贈リスト

 ①    『引照付新約全書』(大英國・北英國聖書會社發行 神戸市京町24番地[現市立博物館] 福音印刷合資會社 16㎝ 1904年発行)。

②    『新約全書』(大英國・北英國聖書會社發行 神戸市前町14番地[現市立博物館] 福音印刷合資會社 12.8㎝1905年発行)。

③    『箴言』旧約聖書分冊(大英國・北英國聖書會社發行 神戸市江戸町95番地[市役所北西] 福音印刷合資會社 15.1㎝ 1907年発行)。

④    『新約全書』(大英國・北英國聖書會社發行 神戸市江戸町95番地 福音印刷合資會社 12.6㎝ 1907年発行)。

⑤    『引照 舊新約全書』(大英國・北英國聖書會社發行 神戸市江戸町95番地 福音印刷合資會社 18.8㎝ 1909年発行)。

⑥    『新約聖書改譯馬可傳』(英國聖書會社發行 神戸市江戸町95番地 福音印刷合資會社 18.5㎝ 1911年発行)。

⑦    『和英對照新約全書』(大英國・北英國聖書會社發行 神戸市江戸町95番地 福音印刷合資會社 18.8㎝ 1909年発行)。

⑧    『舊約聖書詩編全』(大英國・北英國聖書會社發行 神戸市江戸町95番地 福音印刷合資會社 15㎝ 1913年発行)。

⑨    『改譯マルコ傳福音書』(英國聖書會社發行 神戸市江戸町95番地 中外印刷株式会社[吾妻通3丁17番地 現賀川記念館近く]印刷所 14.6㎝ 1918年発行)。

⑩    『改譯ルカ傳福音書』(英國聖書協會發行 神戸市江戸町95番地 中外印刷株式会社印刷所 14.8㎝ 1918年発行)。

⑪    『新約聖書』(大英國・北英國聖書會社發行 神戸市江戸町95番地 福音印刷合資會社(神奈川縣横浜市山下町104番地 12.8㎝ 1919年発行)。

⑫    『マタイ傳福音書』(英國聖書協會發行 神戸市江戸町95番地 中外印刷株式会社印刷所[吾妻通3丁17番地]印刷所14.8㎝ 1925年発行)。

⑬    『創世記』(英國聖書協會發行 神戸市江戸町95番地 中外印刷株式会社印刷所[吾妻通3丁17番地]印刷所14.8㎝ 1925年発行)。

⑭    『英和對照ルカ傳福音書』(英國聖書協會發行 神戸市江戸町95番地 中外印刷株式会社印刷所[吾妻通3丁17番地]印刷所14.8㎝ 1930年発行)。

⑮    『ヨハネ傳』(英國聖書協會發行 神戸市江戸町95番地 中外印刷株式会社印刷所[吾妻通3丁17番地]印刷所10.5㎝ 1931年発行)。

⑯    『マルコ傳福音書』(英國聖書協會發行 神戸市江戸町95番地 中外印刷株式会社印刷所[吾妻通3丁17番地]印刷所14.8㎝ 1931年発行)。

⑰    『新約全書』(英國聖書協會發行 神戸市江戸町95番地 中外印刷株式会社印刷所[吾妻通3丁17番地]印刷所12.7㎝ 1931年発行)。

⑱    『新約聖書』(日本聖書協會發行 神戸市加納町4丁目5番地  大熊整美堂印刷所[東京市京橋區銀座4丁目2番地] 18.2㎝ 1943年発行)。

                        

 

                                        
                                   以上

 

「障がいをお持ちの方との縁」 兵庫キリスト教障害者共励会

2012年10月8日,9日,神戸市北区の‘しあわせの村’に障がいをもたれる方た
ちが参集された。神戸国際キリスト教会から講師が「障がいをお持ちの方との
縁」というテーマで二日間にわたっておはなしをした。全盲,車椅子生活の方
などが40名ほど会場に出席されていた。兵庫キリスト教共励会創立40周年一
泊研修会。

キリスト教と障がい者 2012年10月8,9日 ‘しあわせの村’研修館ホール 前列左から2人目 Pastor Yoshio Iwamura

 

障がいをお持ちの方との縁」 2012/10/8-9

                            兵庫キリスト教障害者共励会
                   講師 神戸国際キリスト教会 牧師 岩村義雄 Pastor Yoshio Iwamura

主題聖句: Ⅱサムエル 4:4 サウルの子ヨナタンには両足の萎えた息子がい
た。サウルとヨナタンの訃報がイズレエルから届いたとき,その子は五歳であ
った。乳母が抱いて逃げたが,逃げようとして慌てたので彼を落とし,足が不
自由になったのである。彼の名はメフィボシェトといった。

<> 昨年,東日本大震災の発生してから三日後,釜ヶ崎のランティアで共に
仕える若者たちから,被災地に行く計画が起こされた。各マスコミの紙面で支
援物資を募ったところ,たくさんの物資が集まりました。最大の被災面積である
石巻市に仙台を経由して向かいました。最初に,斉藤病院に医療物資を運び
ました。石巻市には日赤病院以外はさながら野戦病院でした。凍てつく寒さの
中で入院患者たちは,外の簡易トイレに列をつくっており,電気もないため,劣
悪な環境で治療を受けているというより,死を待つような状態でした。市役所を
訪問。支所などは津波で48人の職員がなくなったと聞きます。ボランティアセン
ターはマンパワー不足のため,釜小学校に直接,石油ストーブ届けるように依
頼しました。それから毎月のように,神戸から若者たちががれき処理,ドロ出し,
避難所喫茶,戸別訪問を陸の孤島のように言われ,行政,ボランティアが入り
にくかった渡波(わたのは)地域で定期的に行くようになりました。今年の6月か
らは,隣町の伊勢町,黄金浜(こがねはま)の在宅被災者の戸別訪問するように
なりました。地面を這いつくばるようなボランティアを通じて,地図作り,町興し
に地元の方たちと「縁」から「結」へと織りなすことを祈っています。東北六県す
べてで奉仕したのではなく,石巻市渡波に限っての調査,ヒアリングに基づい
た内容であることを最初に申し上げます。

(1) 「死んだ犬も同然」
 a. メフィボシェトとはどんな生き方をしたか
 
聖書のダビデはゴリアテを倒したり,敵に勝利したために民に人気がありまし
た。ところが,サウル王はダビデの人気をねたみ,殺そうとしました。サウルの息
子ヨナタンとダビデは異性への愛にまさる信頼関係がありました。サウルとヨナ
タンが死んだ時,ダビデは悲嘆にくれ,丁重に葬りました。
 ヨナタンの息子でメリバール[原意 主のために闘う人]がいました。障がいをも
っていたために,メフィボシェト[原意 恥を広げる人]という意味の名前に変わり
ました。父ヨナタンの死後,落下したために両足が不自由になっていたので
す。ダビデに刃向かったサウル王一族に対して仕返しがあるため,メフィボシ
ェトは「ロ・デバル」(2Sa 9:4 不毛の地)で,身を潜め,寂れた地に戦々恐々と
生活していました。ですから,メフィボシェトは自分自身のことを「死んだ犬も
同然のわたし」(同 9:8)と述べています。皆さんは,高速道路で,引かれた犬
や,猫をご覧になったことがございますね。いちいち車を止めて,手を合わせ
て成仏をお祈りなさったことはございませんでしょう。次々に車輪に踏まれて
いくうちに,薄っぺらいものになり,そのうちに風でどこかに消えてしまうので
す。「死んだ犬も同然のわたし」というのも,用なし犬どころか,生きている価
値がだれからも認められず, この世から抹殺されてしまっているような生き方
です。
 ちょうど,東日本大震災の時,そこにいたことすら忘れ去られているような無
価値な存在と通じるものがあるかもしれません。

b. 押し寄せる津波の爪痕
 
私たちは,昨年9月からは,農林漁のボランティアに従事して田んぼの作付
けをし,明後日10月10日からは稲刈りにいそしみます。今年,6月からは行政,
ボランティアが一度も訪問したことがない区域である渡波の隣町の在宅被災
者のお宅に戸別訪問することにしました。地図を作り,町興しが目的です。一
軒ずつ,ピンポンとチャイムを鳴らします。医療班にしてみても,神戸の職場な
らば,患者さんの方からここが痛いとか,調子が悪いとご自分から言ってくださ
るのです。ところが,生まれてはじめて私たちの方から相手にいろいろとお尋ね
するわけですから,緊張もしますし,どのように切り出したらいいのかわからず,
不安がいっぱいだそうです。阪神淡路大震災を体験した若者たちだと自己紹
介しますと,最初はいぶかしげに見ておられますが,今までだれにも話したこ
とがない事実をありのままにおっしゃいます。約一年半,行政やボランティアに
一度も語ったことがない東日本大震災発生時の実体験をぽつりぽつりと,ある
時には激しい勢いで吐き出すように言われます。ICレコーダーや記録帳に詳
しく書き留めていきます。
 海辺の580人の犠牲者を渡波(一丁目~三丁目)を経て,伊勢町(40人犠牲
者),黄金浜(こがねはま 80人犠牲者)に入ることができたのです。堤防が決
壊して,バキッバキーという轟音で黒い津波が襲いかかってくるのです。津波
の通り道があり,決壊した堤防から猛スピードで工場,家屋,車両などを呑み
込みながら,10キロ以上奥地までまたたくまに覆い尽くします。学校へ避難す
るように家を出たとたんに流されてしまった人々も少なくありません。警報が鳴
ると,1960年のチリ津波ですらたいしたことがなかったという油断は禁物でした。
本能的に,皆さん必死で逃げたのです。独りで助かるのが精一杯に追い込ま
れていたのです。目の前で配偶者の手をすべらせて帰らぬ人になったなど,
悲劇があちらこちらで起こったのです。ご自分一人だけが助かった場合,素
直に生き延びたことを喜べない自分との戦いがあります。昨年10月11日以降,
避難所から無理やり立ち退きを命じられたため,もしくは,親戚,友人の家から
帰り,半壊,全壊の家を修復し,住むしかない在宅被災者たち。戻ってきても,
隣近所は空き地になっていたりします。ご近所の方が,あるいはどこからか流
されてきた方が屋根の上で,「助けてくれぇー」という叫び声が夜,思い出され,
耳から離れず,不眠症の原因になったりしています。「あの時,一緒に死んで
いた方がよかった」という言葉には思わず後ずさりしてしまいます。 

c. 障がいをもっていた方や高齢者の逃げ遅れ ―移動と情報の不自由―
 
東日本大震災の犠牲者の9割は津波が原因です。目の不自由な方,耳の
不自由な方,車椅子生活の方,知的障害者,ダウン症,自閉症の人たちは
どのようにして逃げられたのでしょうか。
 宮城県の総人口は234万6,853人です。その内,障害者手帳を所持してお
られる方は,10万7,150人です。宮城県だけで,死傷者の約半分の9,471人
[0.4パーセント](2月29日)が亡くなっています。障がいをもっていた方の死亡
した割合は1,028人と報告しています。毎日新聞2011年9月15日付けでは,
障がいをもっていた人は,健常者の三倍の死亡率であると書いていました。し
かし,「震災から1年以上たっても障害者の状況は把握できないない」(NHK
ニュース 2012年7月16日)と報道しています。実数はまだつかめていないので
す。
  障害者手帳を持つ目の不自由な人の66%は65歳以上です。全人口に対
する65歳以上の人口(高齢化率)を考えてみましょう。国連の定義として高齢化
率が7%を超えると高齢化社会,高齢化率が14%を超えると高齢社会と呼びま
す。すると,過疎,高齢化,少子化の石巻市は高齢化社会ではなく,また高齢
社会でもありません。高齢化社会=高齢化率7%~14%,高齢社会=高齢化率
14%~21%,超高齢社会=高齢化率21%以上を言います。つまり,石巻市も神
戸と同じように,超高齢化社会なのです。
 「大津波が来る」と言う警報を障がいをもっていた人たちはどのように受けと
めたのでしょうか。
 目の不自由な人は,大きな破壊の音と,津波が四方からやってきて,蛇がと
ぐろを巻くように津波の竜巻をあちらこちらでつくる勢いにパニックに陥ってし
まうのです。つまり,どちらへ逃げたらよいのかわからなくなってしまいます。ま
た,だれも手を引いてくれる人もいないのです。まさに,「死んだ犬も同然のわ
たし」だったのです。
 水産加工の工場が多い伊勢町でも,車椅子生活の家族を助けに,仕事場
から急行したが,間に合わなかったこともあります。3戸のうち2戸で車椅子の
利用者が1人で生活を送っています。
 最大の情報源であるテレビは,字幕や手話通訳がまだまだ2パーセントしか
普及していません。もちろんテレビのテロップについてはほとんど音声化され
ていません。津波はテレビも子供のおもちゃのように簡単に破壊してしまった
のです。耳の不自由な人は,避難しろという放送も聞こえませんでした。家ご
と,濁流に流されそうになっているので気が付く始末です。黄金浜で,ご近所
の人は気づかなかったのですが,自宅では約5キログラムの重さがある人工呼
吸器をつけていた人がいました。なかなか全壊寸前の家から出て来られなか
ったのです。5分早かったら助かっていたかもしれません。地震で地盤が沈下
したために,玄関から車椅子で出ようとしたところ,20センチの段違いができ
ていたため,もたついてしまい犠牲になったのです。
 ある知的障害者の方は第一波の津波がひいた時,外に出ていたので,ご近
所の方が「早く逃げるように」と駅の方を指さしましたが,自分で判断できなかっ
たせいでしょうか,それ以来,お会いしていないそうです。
 私たちが4ヵ月にわたって,調査した段階で,障がいをもっていた人で奇跡
的に生き延びた方のお証しを聞くことはまだございません。妊婦の女性が津
波に流されましたが,ある家の軒にぶつかり,そこの二階の窓から部屋に入り,
雪の降る寒さの中で,布団にくるまり,なんとか助かったお話しを聴くことがあ
りました。食べ物は,二階にいた4人で一日にパン一切れを分けて生き延び
た結果,赤ちゃんは無事に出産したとのことでした。母親はご近所の方のお
かげと,答えておられます。自分の存在を気にかけてくれる隣人がいることは
救いです。
 神戸からの若者たちは,一度,ヒアリングを体験し,生き延びた方の地獄絵
図を聞きますと,勇気を奮い起こし,参加費を払って,再び,石巻にやってき
ます。現在,地盤沈下や,防波堤建設予定による地形変化の地図作りに取り
組んでいます。願わくは模型をつくって,被災した方々の無念と,同じ悲劇を
反復しないように町興しに取り組んでいます。障がいをもっている者の生活を
支える人が突然死し,取り残されだれにも助けを呼べずに衰弱死してしまわ
ない縁のあるコミュニティをつくりたいものです。

第二講演

 (2) 障がいをもっている人の被災は大きなハンディキャップ
 
a. ハンディキャップの人々の被災
 
昨年3月21日,25人の犠牲があった石巻市中心街にある釜小学校に石
油ストーブを届ける時,何度も注意されたことがありました。石油を持ってい
ることをだれにも見せないでくださいということです。もし見せるとパニックが
起こるからと釘をさされました。石巻に向かう直前,新聞には,被災地では
列をつくり,礼儀正しい日本人のマナーを称賛した記事がありました。しか
し,私たち一行はそんな美しい日本ではなく,現実の日本を目の当たりに
しました。銀行,コンビニのキャッシュレジスターが破壊されていたり,レイ
プがあったりという人間が極限におかれるときにさらけだす罪性です。 道
ががれきでふさがっているところをなんとかくぐりぬけ,避難所になってい
る小学校に予定時間の三倍かかって到着しました。午前中の病院と同じ
ように,中に入る前から異様な臭いがします。テレビや新聞の画像とは違
います。死臭,ヘドロ,水や電気のない手洗いの糞便の激臭が目の粘膜
にしみるのです。避難所とは名ばかりです。寒さと不衛生で健全な人でも
病気にならないのが不思議な状況です。
 三階に知的障害者が運び込まれていました。持病のてんかんの発作が
起きますが,常備薬などありません。あおむけのまま動かなくなっていまし
た。
 病院でも救急搬送先で死亡は珍しいことではありません。逆流した食物
でのどを詰まらせたりします。とりわけ,知的障害者は自ら苦痛を伝えにく
いのです。さらに,多くは持病などを抱えています。長時間の移動や環境
の変化が致命的影響を与える場合もあります。暖房のない極寒において,
高齢者や障がいをもっていた方が亡くなっています。

b. 避難所における障がいをもっている人たちの生活
 
車椅子やつえ,入浴・排せつ用具について言えば,健常者でもストレス
がたまり,寝込んでしまいます。しかし,夜は寒くて,眠りにつくことができ
ないのです。もちろん暖房などありません。たくさん着込むしかないのです
が,着の身着のまま逃げてきたわけですから,約三日間は多くの被災者は
がたがた震えて過ごしたのです。
 避難所で,目の不自由な人にとって一番辛いのはお手洗いです。石巻市
全体が断水です。バケツの水をひしゃくで流すしか,方法がないのです。私
たちが持って行った簡易トイレは二つだけでしたから,焼け石に水という感じ
です。渡波小学校の避難所の便所も2,000人も使うとなりますと,たいへんで
す。生理的に排便したくても,凍えるほど寒風吹きさらす校庭の便所にずっと
列が並んでいます。穴を掘って,二枚板をしいてあっちこっちに用を足します
から,学校全体に風向きにより臭うのです。ところが目の不自由な人や,耳の
不自由な人たちは,やりきれないのです。人間の尊厳に関わるような状況に
追い込まれてしまうことさえあります。避難所生活は不慣れな上,体を動かす
ことがおっくうになります。しかし,トイレだけはなかなかがまんできないのです。
やっと用を足すことができても,後の処理をどなたかにお願いせざるを得ない
のです。女性にとっては屈辱なのです。
 ボランティアに行ったメンバーはそうした深刻な状況を目の当たりに見て,
腹が立ってきたり,自分の無力感に打ちのめされるのです。
 避難所で配給のパンとか毛布が支給されます。どのように伝達しますか。
 すべて掲示板の張り紙です。目の不自由な人は,結局,食べるものもなく,
気づいたときには何も残っていないという具合です。「死んだ犬も同然のわた
し」ではありませんか。支援者もどうしたらいいか,わからないのです。自宅が
半壊でも全壊でもないのに避難所にみんな行ったのです。目の不自由な方
は,一日に一回は立ち寄るお店が津波で流されると,生活のリズムが狂って
しまって生きていけない方もおられました。しかし,避難所で生活していても,
食べ物の配給が放送されるようになりますと,今度は学校の迷路みたいなと
ころをうろうろしてしまうだけです。放送やラジオの情報は耳の不自由な人は
ぜんぜんわからないままです。弁当が大量にあまっていても,ありつけないこ
ともあります。 私たちが持って行った音声時計については,はじめてそんな
時計があるのかと感激していた目の不自由な方もおられました。

c. 避難で症状が悪化
 
毎日新聞の2012年9月14日付の記事によりますと,男性は原発事故の前
まで,平日は楢葉町内の障害者グループホームで生活。日中は福祉作業
所に通い,週末は父親(78)の家で過ごしてきた。着替えなど身の回りのこと
は自分でこなし,洗濯物を干すなどの家事もしていた。原発事故後の昨年
3月12日,父親といわき市内の体育館に避難。トイレが思うように使えず,4
日後,母親(75)が住む千葉県市川市の実家に移った。だが,同5月,歯磨き
の際に介助なしに立っていられなくなり,同6月下旬には精神不安定や足の
筋力低下,認知症の悪化があると医療機関が認定。夜はうなり続け,障害の
重さも震災前の3から,最重度の6と認定された。紙おむつや車椅子が必要
になり,介護保険も初めて適用され,同5月に要介護3,11月には最も重い要
介護5に。両親による介護も困難となり,男性は今年8月から市川市内の介護
施設に移った。市に『何かあった時に,すぐ連絡がつながるような仕組みを整
えて』と頼んだけど『難しい』と言われた」と話す。
 個人情報を保護する視点より,災害時には,ご近所がすぐに連絡網を活用
し,一人ひとりの場所に急行し,救出に携わることができるように普段からコミュ
ニティづくりが大切です。

(3) 孤立死の問題
 
a. 孤独死から孤立死
 
石巻市では約7297戸の仮設住宅に160人ほどしか見回りの人がいません。
仮設住宅の雇用がない男性たちの運動不足,冷え性,栄養不足など,目を
覆う惨状です。地元産業の復旧,復興,再建への道のりは遠いです。
 石巻市の水産関連の会社は200ほどありました。しかし,宮城県の復興に
対する怠慢のためでしょうか,冷凍関係2社,加工関係10社のみしか再開で
きていません。被災地倒産は阪神淡路大震災の3.3倍です。中心街,水産関
係の工場地帯にもにぎわいがありません。ねり製品,塩蔵品,魚卵製品,冷
凍水産物等が回復は遅いのです。中高年女性の失業したままです。水産加
工の復興は遅れているため,女性は2,157人も就労できていません。がれき処
理などの重労働には無理があります。職安にも女性求人は少ないのです。
1995年,阪神淡路大震災の際,新しく生まれた言葉に「孤独死」があります。
身寄りや家族があるのに,自ら命を断ってしまったり,気づかれずに仮設住宅
で死んでしまったことを指します。日本国内では,一時的に孤独死について取
りざたされました。一方,海外では,経済大国であり,文明国である日本で起き
ている奇っ怪な現象に驚き,大きな反響でした。
 2011年,東日本大震災以降,孤独死に代わる新しい言葉が生まれました。
「孤立死」です。自分の配偶者を津波で亡くし,天涯孤独のように独りで生き
ていかねばならなくなった人が,「なぜオレだけが…」とアルコールを浴びるほ
ど飲んで,生きがいを失って,自ら集結してしまうケースです。死の瞬間に誰
も居合わせない死に方です。「死んだ犬も同然のわたし」は,おおぜいの身内
に見守れて大往生するのではありません。だれとも縁がなく,自分の存在をき
づかう人も周囲にいないのです。
 命を握っているのは神様であり,人間でも延命装置でもありません。人は神
様に生かされているのです。

b. 復興の冷たい箱形ビルの建設より,縁
 
助かった命の灯火を消さないために。津波から免れたとしても,震災の衝撃,
家族の命,財産,仕事を失った変化,避難所,仮設住宅,みなし仮設,在宅
被災での生活苦で体調をこわして死亡する震災関連死もあります。たとえば,
津波災害に遭った後に起こす津波肺があります。津波を少し呑み込んでしま
ったものの助かったと思っていたところ,津波が途中で巻き込んだ土,ヘドロ
が肺に入り込んでいて炎症が起きて重症に陥ることも珍しくありません。
 在宅被災者の心のケアを充実させ,孤独死,孤立死を防いで,一人ひとりを
支える手をさしのべます。なぜなら自分だけが生き残ったという負い目,トラウ
マの心は長期間にわたります。外出の機会が,年齢が増すにつれて減ってい
きます。頼れる人が身近にいないことも孤独死,孤立死につながりやすいので
す。高齢の独居に対する戸別訪問は持続しなければなりません。
 命をつなぎ,失われたムラ社会を取り戻すようにコミュニティ再生へとつない
でいきます。99匹の羊をおいても一匹の羊を大切にする精神態度を培うよう
に,家庭,学校,社会における教育が大切になってきます。

c. 主の食卓に招かれた者はさいわいである
 
メフィボシェトはダビデ王の食卓に招かれました。ダビデは,自分を亡き者に
しようとしたサウル王の孫であるメフィボシェトを迎え入れました。わが子のよう
に愛します。生活に不自由がないように配慮します。「メフィボシェトは王子の
一人のように,ダビデの食卓で食事をした」(2Sa 9:11)と書かれている通りで
す。ダビデがサウル王から付け狙われる逆境から王位に就くまで,行動を共に
し,ダビデを信じ,ダビデのために武勲を立てた部下は数多くいたでしょう。し
かし,ダビデを通じて「神の恵み」を受けたのは障がいをもっていたメフィボシ
ェトただ1人だけだったのです。
 旧約に書かれているダビデとメフィボシェトの食卓の物語は,私たちに示唆
を与えます。神の御手に握られ,愛され,恵みを受けるのは,「死んだ犬も同
然のわたし」と告白した小さな者だけなのです。「障害のある人たちのいない
信仰共同体は,障害があり,また障害となる信仰共同体である」とユルゲン・モ
ルトマンは述べました。(『いのちの御霊 総体的聖霊論』, 新教出版社, 1994
年 390頁)。

<結論> 「死んだ犬も同然のわたし」と思っている被災者,とりわけ障がいをも
っている人たちが,生きる希望をもてる食卓,宴,コミュニティを築きましょう。
障がいをもっている人たちが中心になる社会です。そうすれば,かつてムラ社
会を支えていた血縁,地縁,仕事縁に勝る「縁」から「結」につながっていくで
しょう。

書評

書評 「人」である方は,「男」でも「女」でもない―性差別からの解放を

新免 貢 著『「新」キリスト教入門(2)』(燦葉出版社 2020年)

『本の広場』(2020年7月号)

書評 ジョニー・エレクソン著「天国―帰るべきわが家」 (いのちのことば社 2000年発行)

天国書評

 

ジョニー・エレクソン さんと岩村カヨ子 淡路島訪問 2000年9月23日

書評 中道政昭著『平和への祈り』  『本の広場』(2008年12月号)200812平和への祈り

 

 

「死刑は聖書的か」(英文付)“Christianity and Death Penalty”

死刑は聖書的ではない


⇒ オウム真理教の松本智津夫死刑囚ら幹部7人の死刑執行 牧師「執行よりも大切なことがあったのでは」

⇒ 山形浩之牧師ブログ 「死刑囚」を変えうる「福音のチカラ」

<参照> 死刑についてどう考えるか
死刑イラスト

完全原稿 ⇒ 「死刑は聖書的か」出典各頁
       「死刑は聖書的か」 出典最後

英文完全原稿 Complete manuscript of  English ⇒ Christianity and Death Penalty

「キリスト教と死刑」
主 催 「地球市民の会」 

2009年5月24日
神戸市立外国語大学
講 師 : 神戸国際キリスト教会 
牧師  岩村義雄 Ⓒ

主題聖句:  ヨハネ 8:3-5 そこへ,律法学者たちやファリサイ派の人々が,姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て,真ん中に立たせ,イエスに言った。「先生,この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと,モーセは律法の中で命じています。ところで,あなたはどうお考えになりますか」。

<序>
 21日に裁判員制度が始まりました。私自身は法律について無知であり,平素,裁判などについても精通している者ではありません。ですから,死刑についてどう考えるかというのは,宗教者の視点でしか語ることができないことをご了解ください。和歌山の毒物カレー事件で殺人などの罪に問われた林真須美さん[47]に対して,先週21日に,上告審判決は,1,2審に続き状況証拠の総合評価によって被告の犯行と認定しました。犯行動機はわからないまま,状況証拠だけで,死刑がくだされるのです。ちょうど,21日は裁判員制度がスタートする日でもありました。
 昨年4月22日(火),母子が殺害された事件のことで,殺人や強姦致死などの罪に問われた元少年の被告[28,当時18]の差し戻し控訴審判決で広島高裁(楢崎康英裁判長)は死刑を言い渡しました。
  もしあなたが裁判員になられたとしたら,今回のカレー事件で60人の被害者が出て,4人が亡くなられた事件について「あなたならどうお考えになりますか」,と。
 1988年2月23日未明,名古屋市でアベックを不良達が襲って順々になぶり殺しにするという事件がありました。死刑が話題になり,ある検事が「娘が殺されたら,俺は検事を辞めて犯人を殺してやる」,と言ったそうです。そのとき,修習生が尋ねました。「じゃあ,奥さんが殺されちゃったらどうするんですか」,と。検事は,黙って,両手を合わせた。そして言った。「拝んじゃう。犯人に向かって,ありがとうございましたって」。
 検事ですら,人間であります。被害者の気持ちに感情移入してしまうこともあるでしょう。報道は加害者と弁護団対被害者遺族と検事のどちらにつくかという二元論的な対立構図を流します。先入観をもって裁判官は務まるでしょうか。裁判員裁判の死刑判決について、裁判官と裁判員による評議で多数決によって決めるのではなく,死刑判決は全員一致となるまですべきでしょう。しかし,今の判決制度では多数決で決するのです。冤罪ということもあるのです。人の死を数で決めていいのでしょうか。1948年1月26日の「帝銀事件」では,毒薬についてまったく知識のない画家の平沢貞通が逮捕されました。連日,拷問に近い取調べに「自白」させられてしまいます。1994年に,「松本サリン事件」では、警察は毒薬について素人の河野義行を犯人と見込んで自宅を強制捜査し,自白を強要しました。今日はご一緒に「死刑についてどう考えるか」を考えてみたいと思います。
<註> 聖書は日本聖書協会発行の『新共同訳』を用いています。

目次

(1) 死刑は聖書的かどうか          
 a. 旧約聖書の律法―等価交換の法則2
   処刑は抑止力
 b. 死刑は神の律法
   死刑は復讐ではなく,罪の償い
 c. パウロは死罪について語っている3
  イエスでさえ,死刑制度を一度も非難されなかった
(2) 神は人の死を望まず,悪人さえも生かしたい
 a. 殺人者に対する神の思い
   一人も滅びないように
 b. 処刑より,回心をもたらす方が大切である4
  犯罪者たちに自ら悔い改め,遺族に対する悔悛
  「仇討ち」が日本では当たり前の空気
c. 神は人の死を望まず,回心を望む5
   わたしはだれの死も喜ばない
 (3) 人を殺してはいけない
  a. 復讐をしてはならない
遺族が加害者を赦したとき6
  b. 初代教会では死刑を拒否していた
  c. 永遠の教えである十戒7

(1) 死刑は聖書的かどうか
 a.  旧約聖書の律法―等価交換の法則  

 申命記 19:21 「あなたは憐れみをかけてはならない。命には命,目には目,歯には 歯,手には手,足には足を報いなければならない」
 死刑は殺人を思いとどまらせるでしょうか。人間の考えをよくご存じである人間の造り主は,次のように言います。
 文脈の20節で,「ほかの者たちは聞いて恐れを抱き,このような悪事をあなた中で二度と繰り返すことはないであろう」
 「ほかの者たちは聞いて恐れを抱き」と書かれていますように,処刑は抑止力につながるのです。たとえば,殺人犯は刑務所の内でも外でも再び殺人を犯すことが極めて多いのです。“更生した”殺人犯も相変わらず無実の生命を奪っています。
 死刑が行なわれないことが,無実の生命を安くしていることになりませんか。

 b. 死刑は神の律法
 出エジプト記 21:12 「人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられ」。

 文脈の14節で,しかし,人が故意に隣人を殺そうとして暴力を振るうならば,あなたは彼をわたしの祭壇のもとからでも連れ出して, 処刑することができる。「罪の報いは死」(ローマ 6:23)という律法に基づいて,処罰することは決して不法ではありません。石打ちの刑,すなわち死刑は復讐ではなく,罪の償いと考えるわけです。人を故意に,もしくは不注意であっても殺したら,自分の命を持って償うことが律法で説かれました。
 アメリカの大統領選挙で共和党候補のハッカビーが,キリスト教福音派からの圧倒的な支持を受けて2008年に急浮上しました。死刑制度を肯定するハッカビー氏はバプテスト教会の牧師でもありました1)

c. パウロは死罪について語っている
 ローマ 1:29-32 あらゆる不義,悪,むさぼり,悪意に満ち,ねたみ,殺意,不和,欺き,邪念にあふれ,陰口を言い,人をそしり,神を憎み,人を侮り,高慢であり,大言を吐き,悪事をたくらみ,親に逆らい,無知,不誠実,無情,無慈悲です。彼らは,このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら,自分でそれを行うだけではなく,他人の同じ行為をも是認しています。

 パウロは「あらゆる不義,悪」「死に値する」と述べています。
 パウロ自身訴えられたことがあります。「ユダヤ人の律法に関する問題であって,死刑や投獄に相当する理由はないことが分かりました」(使徒 23:29)という場面で,当時の司法制度について,反論せずに,法を遵守しながら死罪について次のように語りました。  「もし,悪いことをし,何か死罪に当たることをしたのであれば,決して死を免れようとは思いません。しかし,この人たちの訴えが事実無根なら,だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。私は皇帝に上訴します」(使徒 25:11)。
 パウロは「上に立つ権威」に従い,「死罪に当たる」犯罪を犯した場合,刑に服することがふさわしいと説き勧めます(ローマ 13:1)。イエス・キリストでさえ,十字架という死刑制度を一度も非難されなかったのです。七つの教会のひとつの悪行に対して,黙示録で言います。
 黙示録 2:23 「また,この女の子供たちも打ち殺そう。こうして,全教会は,わたしが人の思いや判断を見通す者だということを悟るようになる。わたしは,あなたがたが行ったことに応じて,一人一人に報いよう」
 では,あなたが裁判員に選ばれたとするなら,どんな判断を下しますか。

(2) 神は人の死を望まず,悪人さえも生かしたい
 a. 殺人者に対する神の思い
 世界の最初の殺人者は「決して死ぬことはない」と言ったサタンです(創世記 3:4)。「ただし,善悪の知識の木からは,決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創世記 2:17)と宣告されたとおり,「 ベ ヨーム」(~の日に 『文語訳』にはある「日には」)が原文通り訳出されていません。「食べた日には必ず死んでしまう」と訳すべきです。文字どおり,24時間以内にアダムとエバは霊的に死んでしまいました
(創世記 5:5; マタイ 8:22; ルカ 15:24 エフェソス 2:1)2)
 続いて, 人類の最初の殺人者はカインです。そんな悪行者であるカインに対してでさえ,神が申し述べた言葉に注目しましょう。
 創世記 4:15 「主はカインに言われた。『いや,それゆえカインを殺す者は,だれであれ七倍の復讐を受けるであろう」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように,カインにしるしを付けられた』,と。殺人者カインに対して「だれも彼を撃つことがないように」と神は命じられました。なぜなら,人間を創造なさった方は,「一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと,あなたがたのために忍耐しておられるのです」(Ⅱペトロ 3:9),と自発的な悔悟を願う忍耐強い方だからです。

 b.処刑より,回心をもたらす方が大切である
 加害者は,被害者の生命を奪いました。カインはアベルを殺してしまいました。それだけではありません。

 創世記 4:6,7 「主はカインに言われた。『どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。もしお前が正しいのなら,顔を上げられるはずではないか。正しくないなら,罪は戸口で待ち伏せており,お前を求める。お前はそれを支配せねばならない』」,と一人ひとりに申し開きを求めておられます。カインに対して罪が「お前を求める」(ヘブライ語 テシュカッハ「〈相互に〉恋い慕う」)と書かれています。罪を支配することより,慕ってしまったのです。カインは自分自身の内なる人を殺してしまう加害者になりました。魂,つまり命を与えた授与者より「罪」の方を慕ったことになります。
 ヨエル 2:13 「「あなたたちの神,主に立ち帰れ。主は恵みに満ち,憐れみ深く 忍耐強く,慈しみに富み くだした災いを悔いられるからだ」,と「忍耐強く」(ヘブライ語アーレク 「怒るのに遅く」の意)」という神に特質について,旧約で15回近く書かれています。「怒るのにおそく」というスピリットは,神だけではなく,キリスト者に求められている資質です。「わたしの愛する兄弟たち,よくわきまえていなさい。だれでも,聞くのに早く,話すのに遅く,また怒るのに遅いようにしなさい」 (ヤコブ 1:19 ),と命じておられます。
人間を創造された方の視座を考えると,死刑は聖書的と言えるでしょうか。むしろ怒り,私憤,仕返しの個の「義」を主張する前に,いのちの授与者が語る「怒るのにおそく」というスピリットを黙想,熟考し,実践すべきでしょう。

 そうすれば,犯罪者たちが自ら悔恨し,遺族に対する悔悛の機会と時間が与えられます。死刑制度はその猶予を不可能にしています。2001年大阪府池田市の大阪教育大付属池田小学校に,犯人宅間守(37歳)が出刃包丁を持って乱入し,児童8人を次々と殺害しました。宅間自身は傷害・恐喝・放火未遂・詐欺・動物虐待などの10数件の犯罪記録がありました。死刑確定から約1年後の2004年,宅間守は大阪拘置所で死刑を執行されました。獄中結婚していた女性は語りました。「せめてもう少し会話する時間がほしかった。贖罪(しょくざい)意識を引き出せぬまま終わってしまい,ざんきの思いに堪えない。力不足でした」,と3)
 ルカ 23:34 「そのとき,イエスは言われた。『父よ,彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです』」,と処刑される時ですら,相手への赦しを祈りました。相手を「赦す」 は「アフィエミ〈負債,罪,あやまち等〉を見逃す」の意です。
 山口県光市で1999年に起きた「母子事件」の被害者の遺族が加害者の青年に対して愛情を感じたりすることはとうてい無理でしょう。第1審,第2審において,犯行時18歳だった被告を無期懲役と判決。しかし,被害者の夫は,死刑にすべきと裁判所や社会に訴え続けました。世論やメディアもそれを後押ししました。その結果,最高裁は審理を高裁に差し戻し,差し戻し控訴審で死刑判決としました。裁判所は正義を貫いたとマスコミも当然の判決と歓迎しました。
 被害者の親族や縁者が殺人者を殺しても死刑にはならない「仇討ち」が日本では当たり前の空気です。毎年,12月になると,忠臣蔵のドラマが視聴者の涙をさそいます。「必殺仕置き人」のドラマの人気は根強く,怨念,恨,恨みをはらす悪者の最後のシーンが鮮やかに放映されています。
 罪を犯した者に自分の犯した罪を認め回心するように,遺族が祈ることができるようになれば,遺族自身も癒されるのではないでしょうか。処刑によっては解決できないスピリチュアルな問題です。たとえ,死刑で加害者が死んでも,加害者を憎み続ける自分に疲れ,それでも赦すことができない苦しみをどうやって癒やすのでしょうか。
 マタイ 5:44 しかし,わたしは言っておく。敵を愛し,自分を迫害する者のために祈りなさい。

 c. 神は人の死を望まず,回心を望む
 エゼキエル 18:23-32 「わたしは悪人の死を喜ぶだろうか,と主なる神は言われる。彼がその道から立ち帰ることによって,生きることを喜ばないだろうか。しかし,正しい人でも,その正しさから離れて不正を行い,悪人がするようなすべての忌まわしい事を行うなら,彼は生きることができようか。彼の行ったすべての正義は思い起こされることなく,彼の背信の行為と犯した過ちのゆえに彼は死ぬ。それなのにお前たちは,『主の道は正しくない』と言う。聞け,イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは,お前たちの道ではないのか。正しい人がその正しさから離れて不正を行い,そのゆえに死ぬなら,それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし,悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら,彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて,自分の行ったすべての背きから離れたのだから,必ず生きる。死ぬことはない。それなのにイスラエルの家は,『主の道は正しくない』と言う。イスラエルの家よ,わたしの道が正しくないのか。正しくないのは,お前たちの道ではないのか。それゆえ,イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く,と主なる神は言われる。悔い改めて,お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて,新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ,どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って,生きよ”と主なる神は言われる」

 命の創造者は,「どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って,生きよ」,と犯罪者であろうとも「死」を決して喜ばれないのです。「『わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って,生きよ』と主なる神は言われる」(同 32節)と視座の転換を願っておられます。ちなみに「悔い改め」(シューブ)は18章だけで14回出ています。BDB『旧約ヘブライ語-英語辞典』(Hebrew and English Lexicon of the Old Testament, Brown,Driver and Briggs Oxford 1978によると,1075箇所において「向ける,帰る,報いる,納める」の意味で用いられています。「悔い改める」は誤訳です。メタノイア参照4)

(3) 人を殺してはいけない
 a. 復讐をしてはならない
 ローマ 12:19 「愛する人たち,自分で復讐せず,神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること,わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
「死をもって償わせる」ことが本当に「償い」になるのでしょうか。現在,すでに拘束され,無力化させられている犯罪者を国家が殺害するのです。裁判で死刑判決が下り,絞首刑という報復をして満足できるのでしょうか。国家権力は,歴史を振り返りますと,市民の人権を踏みにじってきたリヴァイアサンの抑圧の性向があります
5)。死刑は国家権力による暴力の一つの極限的あらわれと言えます。死刑制度は,私たちの意識の深層に,「市民の安全のためには拘束もやむを得ない」「秩序を乱す分子は排除」「法律遵守は人のいのちより優先する」という意識,思想,教育を植え付けてきました。
 つまり,「死刑制度」は「生命の尊厳は絶対である」という人権思想と,実は対極にあるものといえます。
 身内を殺された家族にとり,死刑による処刑で気が済むでしょうか。はたして被害者の遺族の心は癒やされるのでしょうか。
 原田正治(まさはる)さん(36歳)は, 1983年,愛知県で仕事中だった実弟・明男さん(30歳)を含む三人が保険金目当てで殺害されました。最初は,殺人を犯した犯人には極刑を望んでいましたが,処刑されてしまうより,生きて償いの気持ちを持ち続けて欲しいと思うようになります。「決して赦したわけではない」と自分にも言い聞かせながら,現在は死刑制度廃止を訴える活動をしています。なぜなら「加害者の命を奪うことでは被害者は救われない」と確信したからです。ところが原田さんは「国家に裏切られ」,犯人は処刑されてしまいました。「果たして僕には,彼を赦す権利があるのだろうか」「生きる,死ぬは,人間が判断する事柄ではない」と訴えるようになります6)
 加害者が回心し,罪を認め,心から悔恨と謝罪をし,遺族が加害者を赦したとき,はじめて双方の心がいやされる糸口ができます。もつれたが深手の傷が回復し,共に根本的に赦されるのではないでしょうか。
 加害者の親族は,世間からの白眼視にどれだけさらされるかを忘れてはなりません。自殺したり,転居を余儀なくされたり,近所のうわさに苦渋の日々を生涯を送ることになります。1997年,神戸市須磨の酒鬼薔薇聖斗の少年の社会を震撼とさせる事件がありました。加害者の少年の親戚がおられました。遠く離れていても,一歩も外出をなさらなくなったことを知っています。加害者の親族は死刑になろうが,ならなくても十字架を背負った人生に送ることになります。
 キリストが十字架という死刑制度に反対しなかったのは,相対的な「上に立つ権威」に従うことではなく,絶対的な神の権威に「死に至るまで,それも十字架の死に至るまで従順でした」,と自己「義」を主張しなかった模範です(フィリピ 2:8)。

 b. 初代教会では死刑を拒否していた
 キリスト教が国教になるまで,死刑制度に対して,クリスチャンは拒絶していました。

 初代教父の文献によると,「しかしクレメンスの立場は普遍的ではなかった。同時代の北アフリカのテルトゥリアヌスは「いかなる場合であっても人を殺めることは禁ずる」と主張し,死刑の実践をきっぱりと反対した。(『見せ物について』2)。ユスティノスと同様,テルトゥリアヌスはキリスト者が軍務に就くべきでないと信奉する平和主義者であった。 ヒッポリュトスはローマの牧会者であり,兵士には洗礼を施すことは断じてあってはならないと聖職者達に促した。「権力のもとにある兵士は人を殺してはならない。人をころすよう命令されても実行してはならない」,と。(『使徒伝承』 16章9節)7)
 イエス・キリストと山口母子事件の加害者である少年はぜんぜんケースが異なりますが,冷静さを失った民衆が,「極刑にすべきだ」「死刑は当然だ」という論調一色は,一世紀に民衆が,「イエスを十字架につけろ」と熱狂したのと同じではないでしょうか。
 日本では,死刑制度を容認する人が8割以上います(2005年2月19日内閣府公表の世論調査)。
出典:www.asahi.com
出典:www.asahi.com

凶悪犯罪は日本だけで起きているわけではないが,相次ぐ凶悪犯罪による社会不安が死刑容認論に拍車をかけています。
国連総会は死刑執行の一時停止を求める決議案を賛成104ヶ国で採択。一方,日本,アメリカ,中国など53ヶ国は反対。近年30年間で100ヶ国以上の国々が死刑廃止,停止になっています8)

 c. 永遠の教えである十戒
 出エジプト記 20:13 「殺してはならない」(ヘブライ語 ロー ラッツァー)は新約のマタイの福音書 5章21節で引用されています。モーセの時代も「自分たちのために幾つかの町を選んで逃れの町とし,過って人を殺した者が逃げ込むことができるようにしなさい」(民数 35:11)と故意ではない過失,または冤罪に対する処置を神は設けられていました。裁判官は「権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく,神に仕える者として,悪を行う者に怒りをもって報いるのです」(ローマ 13:4),と「神に仕える者」(ディアコノス「奉仕者」)と述べられています。

 最高裁の判事,また皆さんの中から選ばれるかもしれない裁判官であっても,罪と関係がない人はいないのです。私たちのだれもが傍観者ではなく,なんらかの形で加害者であり,加担しています。私たちの内面にも,人を許せないという憎しみの虜になっている現実の罪性があります。聖霊により,憎悪という性向から解放されてはじめていやされます。裁判官に選ばれたからと言って,人を裁く権限はないのです。社会には,いつの時代も犯罪者はいます。いわば「毒麦」です。「毒麦を集めるとき,麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで,両方とも育つままにしておきなさい」(マタイ 13:29,30)。
 決して,マスコミに煽られた二元論的発想ではなく,何が神の義かを祈りながら, 決定しなければならないでしょう。 

<結論>
聖書には,売春婦が「石打ちの刑」になる場面があります。今日でもモーセの律法を守る,イスラム教圏では女性の売春行為は石打ちの刑に相当します。そこへイエス・ キリストがさしかかった時,「あなたたちの中で罪を犯したことのない者」がまず石で殺すように言いました。すると群衆はひとり去り,二人去り,だれもいなくなりました(ヨハネ 8:7,9)。最後に残った女性に,イエスは「わたしもあなたを罪に定めない」,と述べました(同 11節)。聖書から,死刑を容認すると結論づけることはできません。死刑に相当する犯罪であっても,人間が神に代わって,処刑することは倒錯行為になります。つまり,人間が自分を神の座に置く,キリスト以上に自分を高めることです。人の生命を奪ってはいけないのです。

出典

1) マイケル・デイル・ハッカビー[1955-] 2007年大統領選挙に立候補。南部バプテスト牧師。兵力増強論を支持。ジョン・マケインに敗北。
2) アダムは930歳まで生きた(創世記 5:5)。人間は肉体以外に,霊,魂からも成り立っていると聖書は述べる(Ⅰテサロニケ 5:23)。「ベヨーム」文字通り24時間以内に神の目からは霊的に死んでいる。「あなたがたは,以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです」(エフェソス 2:1)(参照 マタイ 8:22; ルカ 15:24)。
3) 『毎日新聞』 (2004年9月20日付)。
4) 新約の「メタノイア」,旧約の「シューブ」の誤訳が日本聖書協会発行のみならず,『新改訳』にも及んでいる。「悔い改め」動詞(メタノエオー 「変化」+「考える」=「視座を変更する」「否定の論理」(Mr 1:15)。(新約に33回)。名詞形のメタノイア(同 22回)メタノイア(同 22回)には,「罪を悔い改める」というより,因習,伝統,常識という固定概念から180度転換 ヘブライ語シューブ 1075回も同様である。
5) 『リヴァイアサン』(1) (T. ホッブズ 水田洋訳 岩波書店 1992年);『地獄の辞典』(コラン・ド・プランシー 床鍋剛彦訳 講談社 1994年 309頁)。ウィキペディア レビヤタンは,旧約聖書に登場する海中の怪物(怪獣)。「ねじれた」「渦を巻いた」という意味のヘブライ語が語源。原義から転じて,単に大きな怪物や生き物を意味する言葉でもある。Die Herrschaft des Leviathan gl.F.Vonessen SS 1978 p.147-158。
6) 『弟を殺した彼と,僕』(原田正治/前川ヨウ著 ポプラ社 2004年),『キリスト新聞』(2008年4月26日 2頁)。
7) 『聖ヒッポリュトスの使徒伝承』(B.ボット オリエンス研究所 1987年 37頁)。
 Yet Clement’s position was not universal. His contemporary Tertullian, a North African, decisively opposed the practice of capital punishment, claiming that the Creator “puts his interdict on every sort of man-killing” (“On the Shows,” 2). Tertullian was (like Justin) a pacifist who believed that Christians should not serve in the military. In this, he found company with Hippolytus, a Roman priest who urged pastors to deny baptism to any soldier whatsoever. “A military man in authority must not execute men. If he is ordered, he must not carry it out” (“Apostolic Tradition,” 16.9)
8) 『毎日新聞』(2008年1月11日付)。

 

田・山・湾の復活 “Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay” (英文付)

宗教倫理学会 Religious Ethical Society 夏季一泊研修会 ―
 「田・山・湾の復活」

完全原稿 ⇒ 「田・山・湾の復活」
英文 Complete manuscript of  English ⇒ “Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay

日 時 : 2013年8月27日(火) 午後2時半~3時半
場 所 : 関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス

神戸国際キリスト教会
牧師 岩村義雄
                         Pastor Yoshio Iwamura

里山
里山

「田・山・湾の復活」
宗教倫理学会夏季一泊研修会

日 時 : 2013年8月27日(火) 午後2時半~3時半
場 所 : 関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス

神戸国際キリスト教会
牧師 岩村義雄

<序>
2013年7月7日から約1週間,豪雨が中国四川省を襲いました。床上浸水600万戸以
上おびただしい高層ビルの倒壊。妻カヨ子が「東日本大震災より被害がひどい」と言いました。3日間で準備しました。現地に知り合いはいません。中国語はできません。金銭的には,中華東方航空の上海経由の往復チケットを12万4,810円の10回分割で購入。寝袋をスーツケースに入れ,場合によっては4日間断食で被災地に行く決意で2013年7月21日(日),礼拝が終わってから関西空港に向かいました。なぜお金もたくさん持たず,被災地へ行くことができたのでしょうか。新約に「それから,イエスは彼らと別れ,都を出てベタニアに行き,そこにお泊まりになった」(マタイ 21:17)と記録されています。日本の聖書翻訳は正確ではありません。イエスが「お泊まりになった」(ギリシア語auvli,zomaiアウリゾマイ)は「庭で寝る,野宿する」[セイヤー希英辞典]です。野宿したわけですから,食事もちゃんととっていません。続きを見てみますと,「朝早く,都に帰る途中,イエスは空腹を覚えられた」(18節)と書いてあります。さらに『「今から後いつまでも,お前には実がならないように」と言われると,いちじくの木はたちまち枯れてしまった』(19節)と書かれています。では,お腹が空いているので,イエスは八つ当たりされたのでしょうか。文脈で,神殿において,「境内では目の見えない人や足の不自由な人たち」が無視されているのでイエスは怒って,悪徳な両替商人たちに机をひっくり返して追い出されたと記録されています。その後,いちじくの木を見て,「葉ばかり出して,実がない」と,言われたわけです。つまり「葉っぱばっかりで,中身がない」とは観光客も足を運ぶ荘厳な会堂みたいだと批判されています。キリスト教も信者獲得のため,○○大会,イベント,バザーなどのためにお金をかけて立派な集いをしょっちゅうしますけれど,一時的に人の感情を高揚させる仕掛けではないでしょうか。平行記述のマルコの福音書では,「いちじくの季節ではなかったからである」(マルコ 11:13),と書かれています。したがって,キリストは私的な感情で,腹を立てて言っているのではなかったとわかります。弟子に言います。『「はっきり言っておく。あなたがたも信仰を持ち,疑わないならば,いちじくの木に起こったようなことができるばかりでなく,この山に向かい,『立ち上がって,海に飛び込め』と言っても,そのとおりになる』(マタイ 21:21)と,実践することを説かれました。口先だけで隣人愛を説くことより,実践へと行動が促されたのです。寝袋を備え,野宿の覚悟で中国四川省の被災地へ向かいました。被災者とのかかわりの「はたらき」へと妻カヨ子と筆者に志が促されました1)。2年5ヵ月前に宮城県石巻市の被災地に若者たちと行かせていただいたのも同じ動機でした。

  • 東日本大震災の傷跡
      生態系への影響

     午後2時46分,荒廃がすごいのです。見渡す限り,がれき,崩れた家屋,震災の爪痕がどこまでも続きます。石巻市でも4千名近くの人々が犠牲になりました。「恐懼(おそれ) と陷阱(おとしあな)また暴行と滅亡我らに來れり。わが民の女の滅亡(ほろび)によりてわが眼には涙の河ながる」(哀歌 3:47-48 『文語訳』)。
     津波は石巻市牡鹿半島の北東にある笠貝(かさがい)島を襲いました。高さ(遡上高(そじょうだか))は43メートルです。明治三陸地震を上回ったのです。山の樹木も海におおわれ,木々もだいなしになりました。田んぼにも自動車などが串刺しになっています。日本で一番おいしいカキ,ノリがとれる万石浦湾で生活する漁業の家も冠水でつかってしまいました。
     山からの水が田んぼの稲などを育てます。積み重なった葉っぱが良い土を作ります。きれいな水がおいしい作物を作ります。無農薬,有機の土から出る排水が川となり,海に注がれます。「川はみな海に注ぐが海は満ちることなく どの川も,繰り返しその道程を流れる」(コヘレト 1:7 『新共同訳』) 。自然は循環しています。山から海へ行き巡り,海洋で蒸発し,雨となってまた山に降り注ぐのです。
     地球が誕生してからずっと自然界の生命もお互いに縁があります。肉食動物によって草食動物が食い尽くされなかったのはどうしてでしょうか。草が地球のいたるところにあってありつけたからです。胃袋の大きい牛,羊,うさぎなどの草食動物はたくさん子供を産みます。反芻する生き物の胃には特別な微生物がいます。消化に役立つ微生物と助け合って生き延びてきました。肉を貪る獣が襲いかかり,草食動物の数が少なくなります。すると餌がなくなり食う獣が減ります。一方,おそろしい獣がいなくなるといつしか食われる小動物の数が増えたりします。何世紀も繰り返されてきたのです。
  1. スチュワードシップ
     自然は人間が恩恵を受ける源です。ところが,田山湾はお金を儲ける所になってしまいました。貪欲さを満たすために農薬,成長させるためにホルマリン,能率のはかどる機械類を使います。食べる食物の安全など一切考えません。人間が自然界の何よりも偉いかのように振る舞います。里山にいたスズメやミツバチが少なくなりました。夕方になると空いっぱいに飛んでいた小さな虫ユスリカもいません。食べる虫がいなくなったツバメも消えつつあります。
     東北地方も日本の他の地域と同じように,海の近くの沼地がなくなりつつありました。住宅のため更地になったり,大きな水田にするために自然環境が変わりました。ですから津波が襲った時,海から四十キロ離れた奥地にまで水が覆ったのです。海岸や河口の湿地を住みかにするヒヌマイトトンボはどうなったでしょうか2)。2011年以来,神戸から二年間訪問していますが,ヒヌマイトトンボに出合えません。温暖化により北へ移動してきたトンボや蝶の住みやすい居場所が,なくなってしまったのでしょうか。
     人間に地球を治めるようにという神の言葉があります。「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ,増えよ,地に満ちて地を従わせよ。海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』3) 「従わせよ」[ヘブライ語 kabash カーヴァシ]や,「支配せよ」[radahラーダー] が使われています(エゼキエル 34:4)。文脈の2節から4節からラーダーは「(羊の群れ)を導く」にあるように暴力的に抑えつけるのではありません。4)人間は自然をやさしくお世話せねばなりません。だが,利得のため,公害,汚染,傲慢な支配によってだいなしにしてきました。自然と共に生きる原点に帰りましょう。

    c. 自然との共生
     東日本大震災の年,宮城県石巻市牡鹿半島を訪問しました。シカの名前が至るところにあります。アイヌの人は鹿がたくさんとれるとカムイ(アイヌ語「神」)に祈りました。5) リアス式の海岸線では,家,命,仕事が津波によって,すっかり流し去られています。かつて各小学校の校長をなさり,現在神戸国際支縁機構の石巻支所長をなさっている阿部捷一氏が案内してくださいました。沖から牡鹿半島を見ますと,緑豊かな山並みです。カエデやコナラなどの広葉樹が繁っています。森に入ると,腰まで落ち葉に埋まるほどです。落ち葉の下には長年にわたり積み重なってきた腐葉土があります。カブトムシ,クワガタムシがもぐっていないかと手をいれると,キノコの臭いがしました。

 宮城県気仙沼(けせんぬま)湾で「森は海の恋人」の運動をすすめている畠山重篤(しげあつ)さんがいます。衰えた海の力をよみがえらせるために,海に注ぐ川,そして上流の森を大切にしなければならないことに気づかれました。湾に注ぐ大川上流の森室根山に苗を植えます。1989年より50種25万本の広葉樹を子供たちといっしょに植え始めました。山村に住む歌人熊谷龍子(りゅうこ)さんの「森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく」という一首から生まれました。6) 耳を木にあててみると音がします。生きています。詩は樹木を語源としてまさに歴史の中で流れているような響きがあります。

 私たちは自分勝手な生き方をして自然をこわしてきました。故郷を忘れた放蕩息子です。「ここを出て父の家に帰り」7)とふるさとの自然を慕う息子にとり,帰るところは森です。森であるエデンの園には「命の木」と「善悪の知識の木」がありました。8) 森林を守るか,砂防ダム,治水ダム,土砂ダムを造るかの迷いを人間は繰り返してきています。東北でもシカが増えて困っています。「命の木」とは,森の苗を大切にし,自然の「生態系」を考えます。一方,「善悪の知識の木」とは,自然を支配するヒトの「生命」を大切に考え,シカの数を減らさざるを得ません。自然の「生態系」それとも人間の「生命」のどちらを先に考えるべきでしょうか。「田・山・湾の復活」とは両方を考えながら,みんながそうだとうなずく道を開きます。他の生き物といっしょにつながりをもって自然と共に生きていくのです。

(2) 自然を支配するのではなく,お世話をする
a. 地を従わせよ
 「あらゆる種類の獣や鳥,また這うものや海の生き物は,人間によって制御されていますし,これまでも制御されてきました。」(ヤコブ 3:7)。地を制御する,つまり支配する(dominiu terrae)という言葉は聖書の最初に人類創造の創世記1章28節に出てきます。初代教父や,歴代の神学者も人間は自然を支配する権能を有することと解釈してきました。9) 自然を被造物とみなし,人間が主人として支配の攻撃的傾向の裏付けとなってきたのです。新大陸の征服,資源の搾取,自然界の破壊へと連鎖します。つまり神でない自然,被造物をいかに効率よく生産の拠点として活用できるかが成功の成否になります。「昔は,人間は自然の一部であった。今や,人間はそれを搾取する者となった」と言われます。10) ルネ・デカルト[1596-1650]は人間が「思考するもの(res cogitans)」と近代的な哲学的思惟により,人間と自然を区分します。17世紀に始まる科学技術の発展の基礎を築きます。数値による価値観を強調し,能率が優先されるようになります。人間は自然の上に立つというデカルト哲学のもと,科学は発展し,産業革命が起こります。しかし,環境破壊の序章となります。20世紀の著名な神学者パウル・ティリッヒ[1886-1965]たちも導線を継承します11)

  1. 日本人の自然観の断層
     西行[1118-1190]は亡くなる十数年前に,歌を詠んでいました。「願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃」西行が来世へ旅立ったのは如月の望月[釈迦の命日2月15日]の翌日の16日です。自然の中にこそ,心の平安が得られるのです。自然界のモノを持つことより,共に生きることが日本人のメンタリティに訴えます。
     幼い時,切手を収集する方もいます。それ以上に昆虫採集に関心がある小学生もいるでしょう。子供心には「持つこと」に動機づけがあるようです。自然に存在している蝶について「モノ」として量,質,維持状態が興味の中心になってきます。
     日本も天然資源である森林,水,土壌を豊かに「持つ」国です。「資源」の定義は「自然から得られる生産に役立つ要素。広くは産業のもととなるもの,産業を支えているものをいう」ことです12)。21世紀に入り,環太平洋火山帯(Ring of Fire)では繰り返し集中豪雨,洪水,地震などの自然災害が多発してきました。森には自然災害を防ぐ環境の役割と復興住宅の木材を供給する産業の役割がありました13)。日本では自然界にあるモノ(素材,原料)は産業に変えるものになっていました。労働を加えることにより,加工して販売していきました。戦前,やがて資源を持たざる国として領土狭隘,人口過剰,植民地正当化により北東アジアに進出しました。諸外国からの資源供給の生命線を断たれると大戦に打って出ざるを得なくなりました。安い外材がカナダなどか輸入される前,建築用資材でもうかる間は杉,ひのきなどを,精力的に全国に植樹してきました。しかし,日本に資源はなかったのでしょうか。たとえば,日本の木材自給率を考慮しますと,1950年代初期まで100パーセント近く誇っていました。1970年には45パーセントに低下,1990年には28パーセントになり,現在,20パーセント前後で推移しています14)。日本の林業も農業と同じように安価な外材にさらされています。資源を持たないこと以外に憂慮すべきことがあります。
    大気汚染,ダイオキシン,薬剤散布などの問題に加えて,人間が里山,里海,田圃など見向きもしなくなる環境破壊により自然災害の導火線となってきました。宇宙船地球号に住むヒト,野生生物,草木類の絶滅を招くような不幸があってはなりません。
     西洋哲学では人類は存続できません。石巻がお母さんの出身地である梅原猛さんが新たな文明の原理として打ち出したのが日本に古来からある自然と共存する思想です。それは「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という仏教の言葉に象徴されています。草も木も土や風に至るまで地球上のありとあらゆるものに仏が宿り,人間と同じように魂を持つという考えです。人間だけが特別な存在ではなく,すべてのものが地球の一部に過ぎません。この思想は縄文時代以来の日本人のイデオロギーを受け継いだものであると梅原さんは語ります。「依正不二」(えしょうふに)[依報(自然)と 正報(人間主体)とは 不二,即ち一体であるということ]の自然観が福島第一原発事故によって無残にも傷つけられたのではないでしょうか。大消費地の東京の不夜城のようなネオンサイン,木目ない家屋構造,浄水器がないと安心して飲めない水道など,個々の生活を守るセキュリティは一見確保されています。しかし,被災地,限界集落,過疎,高齢化,少子化の地方は見向きもされていません。
  2. 人格=人間と非人格=自然のあいだの循環
     「アイヌとは人間という意味で,人間の力の及ばない世界にはカムイがいる。火のカムイ,山のカムイ,川のカムイ,風のカムイ……人間はカムイを敬い,そこからの恵みに感謝する。またカムイは,クマやフクロウなど,生きものの姿になって人間世界に現れる。カムイとは,人間が作り出すことのできない命を育てる存在でもある。」15)とアイヌのアイデンティティが紹介されています。
     日本人が大切にしていた感性に「神」の語源になったかどうかはわかりませんけれど,「カムイ」というアイヌ語があります。アイヌモシリ[人間の静かなる大地]では神と人間と自然は共生しています。モノを持つこと[to have]ではなく,いる[to be]です。つまり所有ではなく,存在への価値観に重心が置かれます16)。宮城県石巻市につながる三陸道の野原に,ときおり,蝶が卵を産みにやって来ます。華やかな訪問者に,運転する人の頬は思わず緩むでしょう。小学校時代,里山で捕虫網をもって蝶を追いかけた記憶がある人たちは多いでしょう。時には,神隠しならぬ蝶隠しになってあせったりしたことがあったにちがいありません。ギフチョウを春の女神と言ったりします。蝶の愛好家が蝶の幼虫が好む食草や植樹を庭や近隣に植えることによって絶滅が免れるのです。
     「アイヌの人たちは木や草は神であり,神の国では人間の姿をして生活を営んでいると考え」17)ました。フクジュソウについてアイヌは謳っています。「わたしの宝刀を抜くと その刃先から フクジュソウの花の色が 金色に輝き 神の光となって走った―ユカ」と金色に光るその花の黄に神の光を見出しています18)。ところが,2011年フクシマのメルトダウン(炉心溶融)により神は死んだのです。自然も死んだのです。
     戦前はどうでしたか。資源について企業利益を優先するあまり,足尾鉱毒事件が起こりました。田中正造議員も主張します。「草木ハ人為人造ニあらず。全然神力の働きの此一部ニ顕わる結果なり。」「鳥獣虫魚貝山川草樹,凡天地間の動植物ハ,何一トシテ我ニ教へざるなけれバ,是皆我良師なり。アーメン」19)と草木などの 自然を支配の対象ではなく,教え手とみなしています。

 (3) 被造物の解放
a. 被造物の呻き

 「被造物がすべて今日まで,共にうめき,共に産みの苦しみを味わっていることを,わたしたちは知っています」(ローマ 8:22)。
 ヒロシマ,ナガサキ,フクシマは呻いています。原爆投下から66年,福島第一原発稼働から40年目に,原発事故国際評価尺度レベル7でメルトダウン(炉心溶融)が起きました。事故により63万テラベクレルの放射能が放出されます。約15万2千人が土壌汚染による避難を余儀なくされました。現在,除染した土を収納しているビニールから汚泥が吹き出しています。福島県飯館(いいだて)村の村長は言いました。「飯館村の面積の70%は山です。家の周りや農地をいくら除染しても,山の除染はできませんから,山から放射能が移動して来るのです。…可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません」
 セイフティがいつの時代にも増して最高潮の時代とみなされています。しかし,ますます強度の不安,ストレスが蔓延しています。統計学の視点,つまり,哲学者デカルト式の数値の法則によれば,安全と言えましょう。しかし,本質的に,現代の社会が絶えずエスカトンの脅威を先延ばしにし,人類の叡知を結集して,科学万能,大量消費,便利な発明を試みてきました。今回,除染,被爆,廃炉不可能が無限に続く大きな恐怖は,不確定な地平へと先送りした未来像が,映画「猿の惑星」のラストシーンでついに発見する恐怖に他なりません。アウシュビッツ,ヒロシマ,ナガサキ,フクシマの呻きは,未来が襲ってくる先取りの影であり,忍び寄ってくる闇の天地の恐怖に歯止めできませんでした。それにもかかわらず,一顧だに反省しない科学者,技術者や,軍需国家を目指す政・官・財・学の奢りが満ちています。阪神淡路大震災のがれき処理に公務で携わった40代の男性職員が,アスベストにより被ばくし,中皮腫を発症しました20)。ばく露期間の中央値は17.4年です。死亡までの期間の中央値は発症後15ヶ月です。フクシマ原発の被爆による時限爆弾の発症も忘れてはいけません。すでに放射線量が地球上を回り回っています。
 原発とキリスト教は対決して来ませんでした。日本の原発はキリスト教界の深い根っこの問題です。米国の神学者ラインホールド・ニーバーは広島原爆投下を非難しました。だが,ニーバーは原発を開発したことは黙殺したのです21)。つまり,原爆と原発が同じ怪物だと識別しなかったから,「変えてはいけないのに,変えてしまった」のです。原子力発電は京都大学,近畿大学だけの専売特許ではありません。聖公会系のキリスト教主義大学の立教大学こそ,米国の原発研究の先兵となりました。平和利用としてプロメテウスの火よろしく原子力発電所をもたらした張本人はキリスト教です。被造物の呻きの原因であるにもかかわらず,一度も謝罪をしていません。

 地球上の人類が食糧不足に直面している中で,日本の食料自給率が40%を切った今,国が存続できるかどうかの瀬戸際に立たされています。消費者も米よりパン,魚より肉を好む傾向になってきているため,ますます自給自足できなくなってきています。自分たちの食は自ら生産,加工,販売できるように,第一次産業の農業,漁業,林業に若者たちも就くことができるシステムになっていません。東京一極集中のひずみにより,過疎,高齢化,少子化のムラ社会の崩壊は赤信号です。大消費地の発展と引き換えに東北地方の過疎,高齢化,少子化の格差構造は自然界に対する「搾取」(Ausbeutung)と言えます。企業間以外転出,産業空洞化,熟練労働者不足の時代になっても,若者たちは農林漁の仕事に興味をもちません。搾取,支配,制御されたくないからです。減反政策により260万ヘクタールの農地しか残されていません。休耕田,廃棄田が野ざらしになっています。
 石巻市万石浦湾は世界一の牡蠣の養殖場です。海苔の業者も今日,嘆きます。人間の生活排水,コンクリート工法,防潮堤が海の生態を損なっているのです。ノロウイルスはバリカン症,赤腐れ病(Red rot)の原因になっています。
 地は不毛です。水は豪雨,津波,洪水となって人の住む地を襲います。火は火山の爆発に象徴されます。空気は竜巻など自然の破局の要素になっています。
 大地が呻いています。エジプトで民がうめいていた時,モーセは神に遣わされました。日本でも行基[668-749]が教理,布教,しゃべくりではなく,うめく民,自然に仕えました。

 b. 共苦
 被災地では,「孤独死」から「孤立死」,「餓死」,「凍死」,「自殺」,「介護心中・殺人」,「手遅れ死」などの震災関連死が蔓延しています。1947年に施行された日本国憲法第25条に生存権が規定されていますが,死文化しています。2016年以降,石巻市で本格的に傾聴ボランティアをしていますと,医師不足,看護師,ケアマネージャー,ヘルパー不足の深刻な悩みに遭遇します。福祉に従事する人数は必要数に対して大幅に不足しているのは3.11以前からです。ですから,震災以降,深刻な医療危機に被災地はさらされています。東北3県で最も被害者が多かった宮城県石巻市,その中でも津波の犠牲者が面積当たり一番ひどかったのは渡波(わたのは)でした。その渡波の在宅被災者に対して医療に携わる人の数はゼロが震災後続きました。恨めば恨むほど,精神衛生上,不幸感が高まっています。自殺した南相馬の93歳の女性の遺書に記されています。「毎日原発のことばかりでいきたここちしませんこうするよりしかたありません さようなら 私はお墓にひなんします」22)。女性の死は,見殺しではありませんか。日本が1979年に批准した“国際人権条約”の「居住の権利」には,「現在住んでいる場所に住み続ける権利」right to remain だけでなく,「汚染源を住居の近くに作られない権利」があります。住み続けるためには,原発のようなものを作ってはならないし,作ろうとする大企業から個人を守るのが政府の役割です。しかし,政・官・財・学・マスコミは,電力会社からの潤沢な献金によって,脱原発も骨抜きにされています。身代わりとして,93歳の女性は骨になる必要はなかったと思うと,体の芯から震えます。
 東北の孤独死とパチンコは正比例しています。店の客の7~8割がお年寄りです。黙って一心不乱に玉の動きを目が追っています。コミュニティ,仕事,家族がなくなったからです。社会との心やすい関係が途切れています。喧騒な音楽にしばし我を忘れるしかありません。店を出ると,何もありません。
 生きたくても,放射能汚染で作付けダメなのです。生活保障はなし。飢え死にするしかない福島県農家,漁業関係者に国,県,市の行政は「死ね」と言っているようなものです。震災で家族を失い,年金もわずかの生き地獄で七転八倒なさっている孤独な高齢者にとり,「生きていて良かった」と言える日は到来する希望はぜんぜんありません。
 平等であるはずのに,「命の序列化」がまかり通るのが原発内の仕事です。住民票がない「路上で生活をしている人」たちは被爆しても訴訟もできません。今日も東電社員が足を踏み入れない危険な領域で,監視付きで強制労働させられています。
 生き地獄でのたうち回るくらいなら,いっそのこと自ら命を断つ選択する人が後を絶ちません。もろい,はかない,卑怯だと揶揄できるでしょうか。生きている間に,不幸が満ちているのです。震災関連死の中で,自殺の割合は突出しています。

 c.  自己に対する誠実から「正義の循環」へ
 ほころび,途切れた社会の縁を何とか結び直さねばなりません。縁を「支える」別の糸が要るのかもしれません。いろんな糸をよりあわせれば強くしなやかな縁になります。
 被災地の外国人数は7万5千人。石巻市には513人います。震災で日本人夫を亡くした妻,子どもたち。小学校高学年のため,フィリッピンに戻ることさえできません。近隣に外国人妻はいない孤独。生保も尽きようとしています。就労もむずかしいのです。子どもの就学など苦難が続きます。外国人被災者の安否を確認し,生活が再建されるためには,マンツーマンでの協働者7万5千人のボランティアは必要です。さらに民族的コミュニティがあることが望ましいでしょう。同時に日本全体が多民族・多文化共生を目指さねばなりません。国際結婚の悲劇は深刻です。家庭内では「風呂,めし,寝る」の三語だけの日本人夫は外国人配偶者にひどい仕打ちをします。食事,風呂などの用意ができていないとDVは日常茶飯事です。妻のパスポートを没収したり,外国人の日本在留資格の権限をもつ夫は王様です。外国人妻は逃げられません。結婚前はやさしく接しますが,夫婦生活は1年経たないうちに凶暴になってくるのです。震災失業が拍車をかけます。離婚したくても,在留資格,お金もなく,外国人はなかなか就労できません。雇用されたとしても,外国人労働者を使い捨て労働力として,経営者がセクハラ,パワハラであっても罰則されることがありません。法務省の入国管理事務所に相談しても,「なぜ結婚したの」と言われるだけです。「フィリッピンに帰ったらいいじゃないか」「DVの証明書がなかったらだめ,手ぶらで来たって受け付けられないよ」「他に相談してください。入管は人生相談の場ではない」「転んでできたあざかどうかわからないから,医者の証明書なしでは聞いてあげることはできないよ」「がまんするしかないよ」と相手にされません。東北の傾聴ボランティアは正義が失われた日本の病理現象を知る機会になっています。入管が在留外国人を「在留カード」で厳しく監視することより,日本人全体,メディア,警察が外国人を厳しい目で管理する空気が問題の根っこでしょう。
 「誠実でなければならない」という心情的な命題に対して,日本人は絶対的な規範がありません。詰まるところ「自己自身に対する誠実」だけがよりどころで,最高の美点です。「誠実」に対して無批判できたことの反省が求められるでしょう。日本人の基層的宗教性の最もわかりやすい概念が「誠実」です。しかし,「人間の尊厳」の自覚を他者性にまで拡大できるかどうか吟味する力が必要です。日本では伝統的に,他人に対する誠実,集団に対する誠実,事に対する誠実も,すべて「自己に対する誠実」で完結します。

 「田・山・湾の復活」で自然の循環を願うように,宗教者が手をたずさえ,「正義の循環」を祈り,分かち合い,実践する「はたらき」に気づいた一人ひとりが立ち上がっていくカイロス[時]でしょう。必ずしも団体,運動,組織の仕事,労働にしてはいけません。

<結論>
 今の時代,神が死んだのではありません。自然が死んだのでもありません。人間が死んだのです。自分の体に傷がある場合,7年経ち,細胞の代謝によって見えなくなるでしょう。傷ついた動物が癒しにくる温泉では,熊もウサギを襲いません。一般に「狼は小羊を襲い,豹は子山羊を襲い,若いライオンは子牛を襲う」のであります。しかし,「狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。」23)と新しい天と地が待たれます。ヒンズー教の大聖マハトマ・ガンジーが「明るく,楽しく,そして,しつこく」の言葉に留意しましょう。カタツムリのように歩を進めていくこと,それもしつこくが大切です。将棋のようにいつか歩は金に成るのです。「隣人を愛しなさい」,と耳にしますが,私たち宗教者自身が隣人を必要としている被災地の自然,抑圧されている人,弱者に対してチムグルシー(琉球の胆苦しい)共苦を抱いて接します。単にかわいそうに思う気持を言い表すのでなく,人の痛みの中に自分の痛みを見出し,心の奥深くにある哀しみを共感していきましょう。人権が損なわれている人と共に生きましょう。7月24日中国四川省から戻りました。わずかの滞在でしたが,友誼に篤い友ができました。中国人の親切,正直さにも改めて認識を深める視察旅行になりました。先入観なしに隣国の人たちと交友を深める苦縁の先兵として行かせていただきましょう。「日本人は僕らの敵から恩人に そして友達に」とつながるのは政府,官僚,机の上の計画では成し遂げられません。仕える共苦の中に鍵があり,新しい歴史の扉を開くのです。

1)「あなたがたの内に働いて,御心のままに望ませ,行わせておられるのは神であるからで
す」(フィリピ 2:13) “for it is God who works in you to will and to his  good   purpose. ”
2) 沼地などの減少により生息地がせばめられ,絶滅危惧種に指定されているイトトンボ。
3) 創世記 1章28節。
4)『聖典と現代社会の諸問題』(樋口進 キリスト新聞社 2011年 76,77頁)。
  “Son of man, prophesy against the shepherds of Israel; prophesy and say to them: ‘This is what the Sovereign Lord says: Woe to you shepherds of Israel who only take care of yourselves! Should not shepherds take care of the flock?  You eat the curds, clothe yourselves with the wool and slaughter the choice animals, but you do not take care of the flock. You have not strengthened the weak or healed the sick or bound up the injured. You have not brought back the strays or searched for the lost. You have ruled (radah) them harshly and brutally. Ezekiel 34:2-4 NIV.
5) 神戸国際支縁機構「牡鹿半島 聞き取り調査 (4) 」 2011年7月2日。
6)『歌集・森は海の恋人』熊谷龍子 北斗出版 1996年。
7) ルカ 15章18節。『新約聖書 柳生直行訳』(新教出版社 1985年)。
8) 創世記 2章9節。『新共同訳』。
9)『機械と神』(リン・ホワイト みすず書房 1972年 87-92頁)。
10) 同。
11)“Logos und Mythos der Technik”Tillichi GW.IX 1927 p.305-306。
12)『大辞林』(第二版)。
13)『森と人間』(田嶋謙三,神田リエ 朝日新聞社 2008年 57頁)。
14)『「持たざる国」の資源論』(佐藤仁 東京大学出版会 2011年 166頁)。
15)『アイヌ式エコロジー生活』(さとうち藍 小学館 2008年 8頁)。
16)『生きるということ』(エーリッヒ・フロム 紀伊國屋書店 1977年 39,46頁)。
17)『アイヌと植物』(福岡イト子 旭川振興公社刊 1993年 74頁)。
18) 同 82-83頁。
19)『田中正造全集第11巻』(田中正造全集編纂会 岩波書店 1979年 330,341頁)。
20)『毎日新聞』(2012年7月7日付)。
21)ラインホルド・ニーバー[1892-1971] ニーバーは「神よ, 変えることのできるものについて, それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。 変えることのできないものについては, それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ」,という祈りを説きました。 『ニューヨーク・タイムズ』(1950年7月2日 23頁)。
22)『毎日新聞』(2011年7月9日付)。
23) イザヤ 11:6。

“Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay”
– Religious Ethical Society  Summer Seminar –

Date: August 27 (Tuesday), 2013. 2:30pm ~ 3pm
Place: Asuka Institute of Kansai University Ueda Memorial Hall

Kobe International Christ Church
Pastor Yoshio Iwamura

<Introduction>
From July 7, 2013, a heavy rain hit Sichuan, China for about a week. Inundation above floor level reached more than 6 million, and huge amount of high buildings were destroyed. My wife Kayoko said that “The damage is worse than the Tohoku earthquake and tsunami.” We prepared everything in 3 days. We didn’t know anybody on the site. We even cannot speak Chinese. In terms of money, we bought 124,810 yen around tickets of China Eastern Airlines via Shanghai on 10 time payments. We put our sleeping bags in suitcases and we headed to Kansai Airport after the worship service on July 21 (Sunday), 2013 with our determination that we will go to the disaster affected area even we should fast for four days. Why could we go the disaster affected area without carrying a lot of money? It is recorded in the New Testament that “And he left them and went out of the city to Bethany, where he spent the night. (Matthew 21:17)”. Japanese Bible translation is not correct. Jesus “spent the night” (Greek aulizomai) means “sleep in the garden, sleep outside”(Thayer’s Greek-English Lexicon of the New Testament) Since he spent the night outside, he did not eat properly. If you look into the following sentence, it is written that “Early in the morning, as Jesus was on his way back to the city, he was hungry. (Matthew 21:18)” Continuing on, it is said “Seeing a fig tree by the road, he went up to it but found nothing on it except leaves. Then he said to it, “May you never bear fruit again!” Immediately the tree withered. (Matthew 21:19)” So, did Jesus vent his anger when he was hungry? In context, in the temple courts, it is recorded that “Jesus entered the temple courts and drove out all who were buying and selling there. He overturned the tables of the money changers and the benches of those selling doves.” And after he saw a fig tree, he said that “found nothing on it except leaves”. In other words, he criticized that “found nothing on it except leaves” is just like a majestic synagogue where tourists visit. Christianity also often spends a lot of money for ○○ tournaments, events and bazaars, but it may be a mechanism to temporarily enhance people’s emotion. In the parallel description, the Gospel of Mark, it is written that “Because it was not the season for figs. (Mark 11:13)” Therefore, we can see that Christ did not angry by his personal feeling. He told his disciples that Jesus replied, “Truly I tell you, if you have faith and do not doubt, not only can you do what was done to the fig tree, but also you can say to this mountain, ‘Go, throw yourself into the sea,’ and it will be done. 22If you believe, you will receive whatever you ask for in prayer. (Matthew 21:21)”. He told to do actual work. He encouraged doing actual act rather than just preaching the love for neighbors. We headed to the disaster affected area in Sichuan, China with our sleeping bags. I and my wife Kayoko was encouraged doing our will to engage in “work” for affected victims.[1] It was the same motivation that we had when we headed to the disaster affected area in Ishinomaki City, Miyagi Prefecture with young people two years and five months ago.

(1) Scars of the Tohoku earthquake and tsunami
 a. Impact on ecosystem
On 2:46pm, the devastation was huge. As far as I could see, there were rubbles, destroyed houses and traces of earthquake disasters.
Nearly 4,000 people became victims even only in Ishinomaki City.
“We have suffered terror and pitfalls, ruin and destruction. Streams of tears flow from my eyes because my people are destroyed. (Lamentations 3:47-48)”
The tsunami hit the Kasagai island, which is located on northeast of the Oshika Peninsula, Ishinomaki City. The height (runup height) was 43 meters. It was greater than the 1896 Sanriku earthquake. The trees in the mountains were covered by the sea, and the trees were vanished. Even cars were skewered in the rice fields. The fishery house at Mangoku-ura bay, where has the best oysters and seaweeds in Japan, has been flooded.
Water stream from the mountains grow rice. Piled-up leaves make a good soil. Clean water produces delicious crops. Waste water from pesticide-free, organic soil becomes a river and it flows into the sea. “All streams flow into the sea, yet the sea is never full. To the place the streams come from, there they return again. (Ecclesiastes 1:7)” Nature is circulating. It travels from the mountain to the sea; water evaporates in the ocean, becomes rain and falls on the mountain again.
Nature life has been linked to each other since the birth of the earth. Why had herbivorous animals not eating up by carnivorous animals? Because the grass was everywhere in the earth. Herbivorous animals such as cows with a large stomach, sheep and rabbits birth many children. There are special microorganisms in the stomach of the ruminant animals. They have survived with the helpful microorganisms for digestion. Carnivorous animals attack, so number of herbivorous animals will reduce. Then, carnivorous animals will have no animals to eat. On the other hand, the number of small animals will increase since their dangerous beasts are gone. It has been repeated for centuries.

b.Stewardship

Nature is the source for humans to receive benefit. However, rice Field, mountain, and bay became a place to make money. We use pesticides and formalin to grow crops, and use machines for efficiency to fill our greed. We do not think about safety of food to eat. We behave like human beings are greater than anything in the natural world. The number of sparrows and bees in Satoyama (里山: undeveloped woodland near populated area) has decreased. We hardly see small bug chironomidae that was used to fly a lot in the sky in the evening. Sparrows are disappearing due to the lack of insects to eat.
The Tohoku region, like other regions in Japan, was losing swamps near the sea. The natural environment has changed because it changed to be a flat land for housing and create large paddy fields. Therefore, when the tsunami hit, the water reached to the 40 km deep area from the sea. What had happened to the four-spot midget that lives in the swamps of the coast and estuary?[2] I have been visiting from Kobe for two years since 2011, but I haven’t been able to see the four-spot midget. Have livable habitats for dragonflies and butterflies that have moved to the north part due to the global warming had disappeared?
There is the word of God saying that humans should rule the earth. “God blessed them and said to them, ‘Be fruitful and increase in number; fill the earth and subdue it. Rule over the fish in the sea and the birds in the sky and over every living creature that moves on the ground.’”[3] “Subdue (Hebrew kabash)” kabash and “rule over (radah)” is used (Ezekiel 34:4). As it is in the context, “radah”is the meaning of caring, taking care of the flock by the shepherds. (Ezekiel 34:2-4)”. Therefore, it is not control down violently.[4] Humans must take care of nature in a gentle manner. However, for the sake of benefit, it has been ruined by environment disruption, pollution and arrogant control. Let’s return to the origin of living with nature.

c. Coexistence with nature

In the year of the Tohoku earthquake and tsunami, I visited the Oshika Peninsula at Ishinomaki City, Miyagi Prefecture. The name of “Shika (literally meaning, deer)” is everywhere. Ainu people prayed for Kamuy (“God” in Ainu language) when they could get a lot of deer.[5] Houses, lives and jobs at the ria coast area are completely washed away. Mr.Shoichi Abe, the current director of Ishinomaki branch of Kobe International Sustaining Organization and he is also a former principle at several elementary schools, guided us. Looking at the Oshika Peninsula from the ocean, you can see rich green mountains. There are many broad-leaf trees such as maple trees and quercus serrata. When you enter the forest, you will be buried in fallen leaves until your waist. Under the fallen leaves, there are many years of accumulated leaf mulch. When I put my hands in it to look if any beetles or stag beetles are sleeping, I smelled of mushrooms.
There is Mr. Shigeatsu Hatayama who is promoting the movement of “Forest is a lover of the sea” in Kesennuma bay, Miyagi Prefecture. I was made to notice that in order to revive the power of the diminished sea, it is important to take care of the river pouring into the sea and the upstream forest. We plant a seedling in the forest at Mount Murone that is located at the upstream of Ookawa River that flow into the bay. Since 1989, we started planning 250,000 trees of 50 species of broad-leaf trees with children. The movement was born from a poem of Miss. Ryuko Kumatani, who lives at mountain village, “Eternal love is spinning while the forest loves the sea and the sea love the forest.”[6] When I listen to trees, I can hear the sound. They are alive. The poem takes trees as their original words, and it has the sound that has been flowing through the history.
We have destroyed nature by our selfish way of life. We are the prodigal children who forgot own hometown. For the son who admires the nature of the hometown as “I will set out and go back to my father”[7], the place to return is the forest. In the Garden of Eden, which is the forest, there were “the tree of life” and “the tree of knowledge of good and evil.”[8] Humans have repeatedly strayed whether to protect forests, or to build sediment control dam, flood-control dam, and landslide dam. In Tohoku region, they are in trouble with the increase of deer. “The tree of life” takes care of the seedlings of the forest and considers the natural “ecosystem”. On the other hand, “the tree of knowledge of good and evil” think the “life” of people who dominant the nature, so people has no choice but reducing the number of deer.
Which one should we think first, natural “ecosystem” or human “life”?
“Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay” thinks about both side and opens a path that everyone can agree. We live with nature by having a connection with other creatures.

(2) Taking care of the nature rather than dominating it.
a. Let the earth to obey.

“All kinds of animals, birds, reptiles and sea creatures are being tamed and have been tamed by mankind.( James 3:7)” Subdue the earth, which is to say the word of “rule over (dominiu terrae)”, appears in the beginning of the Bible, Genesis 1:28 that is the creation of mankind. The early Fathers and successive theologians have also been interpreted that humans have the power to control nature.[9] We have saw nature as a creation, and it became the proof for humans to do aggressive domination as the master. It leads to the conquest of the new continent, the exploitation of resources and the destruction of the natural world. In other words, whether it will able to utilize the nature and creation, which is not god, as the production base became the point of the success and failure. It is said that “In the past, humans were part of nature. However now, humans have become exploiters.”[10] René Descartes [1596-1650] divides human and nature by modern philosophical thinking that human is “mental substance (res cogitans)”. He established the foundation of the development of science and technology that began in the 17th century. Emphasizing on numerical values and efficiency is prioritized. Under the Cartesianism that humans stand on nature, science developed and an industrial revolution took place. However, it became the beginning of environmental destruction. Prominent theologian Paul Tillich [1886-1965] of the 20th century also inherits the leading track.[11] 

b. Faults in the Japanese new of nature

Saigyō Hōshi [1118-1190] read a song about ten years before his death. “Negawakuwa hana no shita nite haru shinan sono kisaragi no mochizuki no koro. (I hope to die under the cherry blossoms in spring, around the time of full moon in February of the old calendar).” Saigyō departure to the next life on 16th of the next day of “kisaragi no Mochizuki (the anniversary day of Buddha on February 15th)”. We are able to have peace of mind only in the nature. Living together with the natural world is more appealing to Japanese mentality than having things from it.
There are some people who collect stamps at their young age. Some elementary school students may be more interested in collecting insects. It seems that there is a motivation for children to “have”. About the butterfly that exists in the nature, their quantity, quality and maintenance as “things” become the center of children’s interest.
Japan is also a country that “has” rich natural resources such as forests, water and soil. The definition of “resources” is that “An element that contributes to production that can be obtained from the nature. Widely, it refers to what will be the basis of industry and support it.”[12] Coming into the 21st century, natural disasters such as concentrated heavy rain, water flood and earthquake have been repeatedly happening on the Pacific Ring of Fire area. In the forest, there are roles as environment to prevent natural disasters and as an industry to provide wood materials for reconstruction housing.[13] In Japan, “things (materials and raw materials)” in the natural world have been turned into industries. By adding labor work, we have manufactured and sold it. Before the war, as a country without resources, Japan made her way into Northeast Asia because of territorial narrowness, overpopulation and justifying of colonialism. When the lifeline of resource supply from other countries was cut off, there was no way but start the great war. Before importing cheap foreign wooden materials from Canada, cedars and cypress trees, which can make good money as construction materials, were strenuously planted throughout in Japan. But did Japan have no resources? For example, thinking about the Japan’s self-sufficiency ratio of woods, it was proudly nearly 100% until the early 1950s. However, it dropped to 45 % in 1970 and 28% in 1990, and currently shifted to around 20%.[14] Both forestry and agriculture in Japan is exposed to cheap external materials. There are other concerns besides having no resources.
In addition to problems such as air pollution, dioxins and drug dispersion, it has become a conviction line for natural disasters due to environmental destruction that people will be not concerning about Satoyama, local sea and local agricultural fields. Tragedy that would cause the extinction of humans, wildlife and plants which are living on the space craft Earth, shouldn’t be happened.
Mankind cannot survive in Western philosophy. An idea of coexistence with nature that has existed since ancient times in Japan, is introduced by Mr. Takeshi Umehara, whose mother was from Ishinomaki city, as a new principle of new civilization. It is symbolized by the Buddhist words of “Sou-moku-koku-do-shi-kkai-jou-butsu (草木国土悉皆成仏. All things have the Buddha’s nature)”. It is the idea that every things on earth, from grass, trees, soil and wind, have the Buddha’s nature and they have the same souls as human beings. Humans are not only special existence, and everything is only part of the earth. Mr. Takeshi Umehara says that this thoughts is inherited the Japanese ideology since the Jomon Era. The view of the nature of “Eshō-funi (依正不二. Oneness of life and its environment. It is also described as Eshō [依正 : the enrionment] and Shōhō [正報: human life] that it exist together as one. Undividable things)”, may have been hurt miserably by the Fukushima Daiichi nuclear disaster. Mass consumption of neon lighting at sleepless town Tokyo. A house without wooden appearance. The water supply that is not suitable for drinking without water purifier. It seems that the security to protect individual life has been secured. However, the other side reality of the affected areas, marginal villages, depopulations, aging society and declining birthrates have not been getting attention.

c. Circulation among personality = human and impersonality = the nature

The identity of Ainu is introduced that “Ainu, it means human, and there are kamuy in the world that far beyond human power. Kamuy of the fire, kamuy of the mountain, kamuy of the river and kamuy of the wind. Humans respect kamuy, and appreciate the grace from it. And also, kamuy appears in the human world in the form of creatures such as bears and owls. Kamuy is an entity that raises lives that humans cannot create.”[15]
I don’t know whether the sensitivities that Japanese people values became the origin of the word of “God”, but there is the Ainu word, “kamuy”. In the Ainu mosir (the quiet earth of human beings), god, humans and the nature are coexisting. It is not “to have” things, but “to be”. In other words, a value of existence is putted importantly on the center, not for possession.[16] Occasionally, butterflies come to lay eggs in the fields of the Sanriku road that leads to Ishinomaki City, Miyagi Prefecture. Drivers may naturally smile when they see those beautiful visitors. I think that there are many people have memories of chasing butterflies with insect nets at their elementary school days. Sometimes, they must have experience for being spirited off by butterflies and confused from it. People call the Japanese luehdorfia as the spring goddess. Extinction of butterflies is prevented by butterfly lovers through their effort to plant butterfly’s favorite grass and plants at gardens and neighboring places.
The Ainu people thought, “The trees and grass are god, and in the kingdom of God, they live in human figure.”[17] Ainu talks about Amur adonis. They find the light of the god in the shining yellow flower in gold as “When I took out my treasured sword, the yellow flower Amur Adonis shined in golden color and went out as a light of god from the tip of sword – Yukara (Ainu sagas that form a long rich tradition of oral literature).”[18] However, god died due to the nuclear meltdown ((core meltdown) of Fukushima in 2011. The nature is also dead.
How was it before the war? The Ashio Copper Mine Incident occurred because of putting too much priority on corporate interests in resources.
The house of representatives, Mr. Shōzō Tanaka insisted. “Plants are not human made. All of things are the part of results of the work of the divinity. Bird, animal, insect, fish, shellfish, mountain, river, grass and tree. All of things exist between the heaven and the earth teaches me. All of them are my good teacher. Amen.”[19] He takes grass, trees and nature not a subject of control, but as a teacher.

(3) Release of the creation
a. Groaning of the creation

“We know that the whole creation has been groaning as in the pains of childbirth right up to the present time. (Romans 8:22)”

Hiroshima, Nagasaki and Fukushima are groaning. At the year of the 66th year after the atomic bombing and the 40th year after the starting operation of the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant, the nuclear meltdown (core meltdown) occurred at the level 7 of the International Nuclear and Radiological Event Scale. By the accident, 630,000 TBq of radioactivity were released. About 152,000 people were forced to evacuate due to soil contamination. Currently, polluted mud is flowing out from the plastic bag that contains the decontaminated soil.
The village chief of Iidate in Fukushima Prefecture said that “70% of the area in Iidate is the mountain. Even we decontaminate around our house and farming land, we are not able to decontaminate the mountain. So, the radioactivity is flowing from the mountain. Children are victims. They must carry a sticker of an Iidate villager for the rest of their lives.”
Safety is considered to be the most important more than ever. However, extreme anxiety and stress are spreading more and more. According to the statistical point of view, that is, the philosopher Descartes’ rule of signs, it can be said as safe. However, in essence, the modern society has continuously postponed the threat of Eschaton, bringing together the wisdom of humanity, and it try to invent versatile science, mass consumption and convenience. This time, the endless continuing of great fear of decontamination, atomic bomb survivor, and impossible of reactor decommissioning is nothing like but same the fear that the future image that has been postponed to uncertain horizon, is finally found in the last scene of the movie “Planet of the Apes”. Roar of the Auschwitz concentration camp, Hiroshima, Nagasaki and Fukushima was a shadow of preoccupation for the future attacking, but we could not stop the fear of darkness of heaven and earth that was creeping up on. Nevertheless, enthusiasm of scientists, engineers and politicians, officials, economic leaders, and scholars who aim to be a military state are filled absolutely without repenting. A male worker, who was engaging in public work for removing the rubble at the Great Hanshin-Awaji Earthquake, was exposed to asbestos and developed mesothelioma in his 40s.[20] The period of exposure, the median is 17.4 years. The median period to death is 15 months after onset. We must not forget the onset of time bombs of the exposure from the Fukushima Nuclear Power Plant Incident. Radioactivity is already circulation around the earth.
Nuclear power and Christianity never encounter. Nuclear power plant in Japan is a deep root problem of Christianity. The United States theologian Reinhold Niebuhr accused the atomic bombing to Hiroshima. However, he deliberately ignores a development of a nuclear power plant.[21] It is because that he did not identify the atomic bomb and the nuclear power plant as the same monster. Therefore we “changed it, though we should not change it.” Nuclear power generation is not an exclusive feature of Kyoto University and Kindai University only. The largest Anglican Christian affiliated university, Rikkyo University became the first soldier for nuclear power research of the United States. Christianity itself brought the nuclear power plant for a peaceful use as the fire of Prometheus. Even Christianity is the cause of the roar of the creation, they have not apologized once.
Not only all mankind on the earth is facing to the food shortage, ratio of food self-sufficiency of Japan has dropped below 40% and we are standing on the edge of whether we can survive or not. Consumers are also tending to prefer bread than rice, meat than fish, so we are becoming to be difficult to do self-sufficiency more and more. The system structure that young people can take part in agriculture, fishery and forestry of the primary sector of the economy in order to produce, process and sell it, isn’t established. Collapse of the village society by the depopulation, aging society and declining birthrate due to the gap from Tokyo centralization, is a red signal. In exchange for development of the mass consumption, the gap structure of depopulation, aging society and declining birthdate can be said to be “exploitation (Ausbeutung) against the natural world. Young people are not interested in agriculture, forestry and fishery work even in the time of more turnover propensity, hollowing out of industry, and shortage of skilled workers. Because young people do not want to be exploited, dominated, or controlled. Due to the rice acreage reduction policy, only 2,600,000 hectares of farmland are left. Fallow fields and abandoned fields are just left behind.
Mangokuura, Ishinomaki City, is the world’s largest oyster bed. Today, nori growers are also crying. Human sewage, concrete construction methods and seawall are damaging the ecology system of the sea. Norovirus is a cause of clippers syndrome and red rot.
The land is sick. Water strikes the land where people live in by becoming heavy rain, tsunami and flood. Fire is symbolized by volcanic explosions. The air has become a natural catastrophe element such as tornadoes.
The earth is groaning. When the people were groaning in Egypt, God sent Moses. Even in Japan, Gyōki [668-749] did not teach, and talk about the fundamental doctrine, but served the people and the nature that were groaning.

b. Share sufferings

In the disaster affected area, disaster-related deaths such as “lonely death”, “unattended death”, “hunger death”, “freezing death”, “suicide”, “caregiving-suicide / murder” and “too late death” are spreading. In Article 25 of the Constitution of Japan, which came into effect in 1947, it defines the right to live, but it is a dead culture now. While we have been engaging in listening volunteer in Ishinomaki City since 2016, we have encountered serious problems of lack of doctors, nurses, care managers and caretakers. The number of people engaged in welfare work was significantly short for the required number even before the 3.11 event. However, the disaster affected area has been faced to a serious medical crisis since the earthquake. Ishinomaki City, Miyagi Prefecture had the highest number of casualties in the three prefectures in Tohoku region, and Watanoha area had the most severely damage and victims by tsunami per area. The people who involve in medical care for the home-victims in Watanoha were zero after the earthquake and it had continued for a while. The more you blame, consider about the mental health, the more you feel unhappy. It is written in the will of a 93-year-old lady from Minami-soma who committed suicide. “I feel more dead than alive because of the nuclear power every day. I have no other way. Good-bye. I will escape to the grave.”[22] Isn’t the death of her an act of forsaking? “The right to housing” in “the International Bill of Human Rights”, which Japan ratified in 1979, includes not only “the right to remain the place where you live now” but also “the right that not allow creating pollution source at near your residence”. In order to live continuously, we should not make something like nuclear power plants, and it is the role of the government to protect individuals from the big companies that are trying to create it. However, politicians, officials, economic leaders, scholars, and mass media have been mutilated by rich contributions from electric power companies so they don’t talk about abandoning nuclear power generations. When I think that it was unnecessary for 93-year-old old lady to sacrifice herself, I feel deep pain from bottom of my heart.

Lonely death and people who do pachinko parlors are in in direct proportion rate in Tohoku area. Almost 70 ~ 80% of customers are old people. It is because that they lost their community, job and family. The relationship between the society and the mind are separated. People have no other choice, but forget everything in a loud music. When they leave pachinko parlor, there is nothing.
Even they want to live, but they cannot do agriculture because of radioactive contamination. There is no life security. It is like that the administration of the country, prefecture and city are saying “die” in starvation to certain people who are engaging in farmers and fishery in Fukushima, For lonely elderly people, who lost their families by the earthquake and feel like a living hell and tossing oneself about in great pain with their very limited national pension support, there is no hope for a day that will come, when they can say “I am so glad to live”.
It is the job inside the nuclear power plant that “the grading of life” goes through even though people’s life should be equal. Those who live on the streets without residence certificate, they cannot sue even if they are occupationally irradiated. Even today, people are forced to work inside the dangerous area where employees of Tokyo Electric Power Company Holdings don’t enter, under surveillance.
The number of people who chose to finish their own life will never stop, because they don’t want to suffer in living hell. Can we cynical about their choice as weak, ephemerality and unmanly? There is full of unhappiness while they are living. Among the earthquake-related deaths, the rate of suicide stands out.

c.From sincerity to self to “circle of justice”.

We must tie again the relationship with a society. We might need another “support” for relationship. We need to put together a variety of yam to make a strong but kind relationship.

The number of foreigners in the disaster affected area is 75,000. There are 513 people in Ishinomaki City. There are wives and children who lost their Japanese husbands and father in the earthquake. They cannot even go back to Philippines because their children are already seniors in elementary school. Widows feel alone because there is no foreign married woman in the neighborhood. Their life insurance is about to run out. It is also difficult to find a job, but children need to go to school. Their hardships are continuing. In order to confirm the safety of foreign victims and rebuild their lives, it is necessary to have 75,000 volunteers of one-on-one collaborators. It would be desirable to have more ethnic communities. At the same time, whole Japan must aim for multiethnic and multicultural coexistence. The tragedy of international marriage is serious. Japanese husbands, who have only three words of “furo, food, sleep” at home, treat their spouse very badly. If their food and furo had not ready, their domestic violent is a daily thing. They took the passport of their wives and they are just like a king who has a right to give foreign resident status in Japan. Their wives cannot escape. Before marring, their husband treated them kindly, but they become violent in less than a year.
The disaster unemployment drives up. Even they want to divorce, there is no resident status, no money and it is difficult for foreign wives to find a job. Even if they are employed, employer treats foreign workers as disposable labor, and there is no punishment regulation against sexual harassment or power harassment. When they consult with immigration bureau of the Ministry of Justice, they are just said, “Why you got married?” Office people just say, “Why don’t you go back to Philippines?”, “If you don’t have certificate of DV proof, we cannot accept your appeal”, “Please consult with others. Immigration bureau office is not the place for life counselling”, “Your bullies might be caused because you just fall down. We cannot listen to you if you don’t have doctor’s certificate”, or “You just need to bear it”. Listening volunteer in Tohoku region have become an opportunity to learn about sociopathological phenomena in Japan that lost justice. The air to manage foreigners by severe eyes of whole Japanese people, media and police is the root of the problem more than immigration control by close monitoring of immigration bureau through “residence card”.
The Japanese have no absolute norms for the emotional proposition, “must be honest”. After all, only “honest to oneself” is the most important virtue point. We will be required to reflect on the fact that we have not criticized toward “honesty”. The most easy-to-understand concept of Japanese basic religion is “honesty”. However, we need the ability to examine whet here we can extend our awareness of “human dignity” to other people. Traditionally in Japan, “honesty” for others, for groups, and for all things is completed in “honesty in oneself”.
As we are wishing for the circulation of nature in “Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay”, it is the Kairos (time) that each one of us stands out by noticing the “work” that each religious people hold hands together to pray for “circle of justice” and share it and exercise it. We must not make our activities as a work or labor of groups, movements and organizations.

<Conclusion>
God has not die in this era. Nature has also not died. But humans have died. If you have a wound on your body, after seven years, your scars will be hardly to see it due to cell metabolism. At the hot spring where injured animals come to heal, a bear does not attack a rabbit. In general, “The wolf attacks the lambs, the leopard attacks the young goats, and the young lion attacks the calf.” However, a new heaven and earth is awaited, “The wolf will live with the lamb, the leopard will lie down with the goat, the calf and the lion and the yearling together; and a little child will lead them.”[23] Keep in mind the words of Mahatma Gandhi, that “to be bright full, enjoyable, and persistent”. It is important to keep walking like snail and keep it insist. Someday, like shogi (Japanese chess), a pawn will be a gold general. We hear that “love your neighbors”, but we, religious people, should be with the oppressed nature and people that in need to have their neighbors. And as well as we need to be with the vulnerable people by means of cimugurusii (Okinawa dialect. “Sufferings from deep inside”). Not only simply expressing a feeling of sadness, let’s find out your pain in other’s pain and sympathize with the sorrow that stays deep in mind. Let’s live with the people whose human rights are ignored. I returned from Sichuan, China on July 24. Although it was only a short time stay, I made a good friend in Youyi County.
It became a learning trip to deepen awareness of the kindness and honesty of the Chinese people. Let’s go as a first solider of “Ku-en (苦縁. Connection born from sharing sufferings)” to deepen relationship with neighboring people without having prejudice.
To be connected as “Japanese people became our benefactors from enemy, and we become friends”, cannot be achieved by the government, bureaucrats and plan on paper. There is a key in struggles that we serve, and we can open the door to a new history.

[1] “For it is God who works in you to will and to his good purpose.” (Philippians 2:13)
[2] Due to the reduction of swamps, habitats of Damselfly are narrowed and they are acknowledged as endangered species.
[3] Genesis 1:28
[4] 2011. S, Higuchi. Seiten to gendaishyakai no shyomondai. The Kirisuto Shimbun. 76-77.
  “Son of man, prophesy against the shepherds of Israel; prophesy and say to them: ‘This is what the Sovereign Lord  
  says: Woe to you shepherds of Israel who only take care of yourselves! Should not shepherds take care of the flock? 3
  You eat the curds, clothe yourselves with the wool and slaughter the choice animals, but you do not take care of the
  flock. 4 You have not strengthened the weak or healed the sick or bound up the injured. You have not brought back
  the strays or searched for the lost. You have ruled (radah)them harshly and brutally. Ezekiel 34:2-4 NIV.
[5] 2011. “Research in Oshika Hanto (4)”. Kobe International Sustaining Organization. July 2.
[6] 1996. R, Kumatani. Kashyu / Mori ha umi no koibito. Hokutosha.
[7] 1985. Luke 15:18. The New Testament. Translated by Naoyuki Yagyu. Shinkyo Publishing.
[8] Genesis 2:9. The Bible, The New Interconfessional Translation.
[9] 1972. L, White. Machina ex deo : essays in the dynamism of western culture. Misuzu Shobo. 87-92.
[10] ibid.
[11]  1927. P, Tillich. Logos und Mythos der Technik GW.IX. 305-306.
[12] Daijirin (2nd edition)
[13] 2008. K, Tajima. R, Kanda. Mori to nigen. Asahi Shimbun Publications. 57.
[14] 2011. J, Sato. A Theory on Resources Claimed by a Resource Impoverished Country: Towards Integration with Environmental Theory. University of Tokyo Press. 166.
[15] 2008. A, Satouchi. Ainushiki ecologe seikatsu. Shogakukan. 8.
[16] 1977. E, Fromm. To Have or to Be? Books Kinokuniya. 39, 46.
[17] 1993. I, Fukuoka. Ainu to shyokubutsu. Asahikawa Development and Promotion Corporation. 74.
[18] ibid. 82-83.
[19] 1979. Tanaka Shōzō zenshyu dai 11kan. Tanaka Shōzō zenshyu hensaikai. Iwanami Shoten. 330, 341.
[20] 2012. Mainichi Shimbun. July 7.
[21] Reinhold Niebuhr [1892-1971] Niebuhr preached the Serenity Prayer that, “O God and Heavenly Father, Grant to us the serenity of mind to accept that which cannot be changed; courage to change that which can be changed, and wisdom to know the one from the other, through Jesus Christ our Lord, Amen.” 1950. The New York Times Book Review. July 2. 23.
[22] 2011. Mainichi Shimbun. July 9.
[23] Isaiah 11:6

 

「田・山・湾の復活」のテーマで主な発表系譜

神戸松蔭女子学院大学  「東北の『田・山・湾の復活』」 2012年3月12日
②「みんなで考える9条・明舞の会」 2012年5月13日 「田・山・湾の復活」
③ 季刊誌『支縁』「田・山・湾の復活」連載 No.1(2013年2月3日)~(英文付)
④  宗教倫理学会 「田・山・湾の復活」(英文付)
    日 時 : 2013年8月27日(火) 午後2時半~3時半 
    場 所 : 関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス
⑤ 『石巻かほく』つつじ野 (2017年10月3日付) 「田・山・湾の復活」(英文付)

 

教科書について発題

家永三郎色紙 

  生誕100 年 家永三郎さんの学問・思想と行動の今日的意義 ──歴史認識と教育を考える── 2013年8月31日 “かちまけは さもあらば あれ たましひの自由をもとめ我はたたかふ”

 東京都教育委員会は,教科書の選びを現場の教師たちに任せよ。
文科省検定を通った実教出版の新教育課程『高校日本史A』がある。旧日本軍が第2次大戦末期,「最後の本土決戦」に備えて「松代大本営跡」地下壕に朝鮮人強制労働させたことや,日本軍「慰安婦」について,実教出版社は「高校日本史A」に真実を記している。ところが政府,文科省,東京都は各学校長に圧力をかけ採用しないようにさせている。現場の教師たちがどの教科書を選ぶか委ねるのが筋だろうに。戦前のように国,文科省が教科書採択に不法・不当に介入し出したことは全体主義のさきがけである。お上の介入は適切でない。実教出版の新教育課程『高校日本史A』について6校がやめざるを得なくなった。現在,東京都の学校で採用はゼロ。暗黒時代の幕開けか。

20130815教科書ネット
「子どもと教科書全国ネット21ニュース」91号(2013年8月 1頁)。Pastor Yoshio Iwamura

 「子どもと教科書全国ネット21」

 ライン二色

 

 

教科書にのっていないアフリカ

 ワールド・ビジョンは設立20周年の記念に,2008年,神戸と東京で,体験型イベント「教科書にのっていないアフリカ」を開催。

 岩村は東京のワールド・ビジョン三木晴雄理事から神戸の最もよく人の集まる繁華街に,ひとつのビルのワンフロアを無料で借りるように依頼される。条件に合う未使用のビルなどあるのかどうかわからないまま,引き受け,電話を切ってから青ざめた。
 神戸で一番ビルを多く経営する頴川欽和氏[株式会社建隆コーポレーション取締役]を訪問した。明石の「瀧の湯」で入浴中に知り合った建隆勤務弓削清三氏が仲介してくれた。
 元町大丸の横のビルを交渉し,会場を確保することができた。どこの馬の骨かわからないにもかかわらず,頴川氏が初対面の牧師に寛大な精神で接してくださった度量には頭が下がる。
 会場はエイズ,紛争,家族の喪失だけでなく,食糧不足,誘拐,無学にうち沈む子供たちの実態について現地にいるかのような臨場感をもって体験できる。
 アフリカの子どもたちの最大の願いは何か。
 「大人になること」という答え。つまり大人になる前に犠牲になる子供が多い。彼らの悲しみ,叫び,涙に接するとぜいたくを味わっている日本人の子供たちは衝撃を受けるだろう。

http://www.worldvision.jp/news/news_0214.html

教科書にのっていないアフリカ
ワールドビジョン・ニュース 2008年4月18日 サンテレビ放映 左端 岩村義雄 Pastor Yoshio Iwamura

  教科書にのっていないアフリカ告知

 

 アフリカの子供とハゲタカ

 

 

 

 

 

  肉食のハゲタカは子供が死ぬのを待っている

ハゲタカの憐れみ マンガ

 

 

 

 

 

 

  襲うハゲタカでさえ,子供を不憫に思う

 

 

 子どもの埋葬

 

 

 

  わが子を埋葬する母親

「祈り」 主似化

キリスト教と祈り 祈らざるを得ない時もある

 2010年7月17日から,垂水朝祷会がはじまりました。

平和の祈り

 月に一回,教団,教派を超えて,エキュメニスティの集いです。ご出席なさる
方々へ,案内をさし上げています。「祈り」について,観念ではなく,体験宗教
の中で培われた神との霊的な架け橋を流し出しています。

 パソコンのデータ保存が機能していなくて,2013年4月以降からはじまりま
す。

 ⇒ 葉書用案内メッセージ 作成 岩村義雄 Pastor Yoshio Iwamura

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