• 岩村カヨ子 牧師夫人逝く 2016年10月17日

    ボランティア道のお母さん,ありがとうございます。

    「カヨ子基金」で通学できるようになった孤児 2017年6月24日

    孤児たちの今 MCH(Manahari Children Home)マナハリ・チルドレン・ホーム 2017

    「カヨ子基金」を報道する各紙

    『キリスト新聞』(2017年4月1日付)トップニュース

    『キリスト新聞』第一面記事(2017年4月1日付)

    「カヨ子基金」  『クリスチャン新聞』(2017年6月25日付)

    2011年11月2日 老人ホーム慰問

    京都エルファ 老人ホーム慰問 2011年11月2日

     「息子,娘,男女の奴隷,あなたの町にいるレビ人,寄留者,孤児,寡婦などと共にこの祭りを喜び祝いなさい」(申命記 16:14)。
     <参照>岩村カヨ子は「寄留者」,つまり在日朝鮮人の友と共に生きました。毎年「神戸朝鮮初中級学校」の バザーに欠かさず,出席し,自発的に踊りも楽しみました。在りし日。2015年11月15日。
     ≪動画参照≫ マイノリティー(少数者)と共に生きる

     2017年10月17日(火)午後1時半 記念会を予定しています。
     ⇒ 1年を経て 記念会のご案内    どなたでもお越しいただけます。

     医療学会で話した「キリスト教の弔い―現代問われている死生観」
              2016年11月12日(土) 東京都池袋  岩村義雄

    岩村カヨ子自筆メモ書き 2016年9月28日 在宅ホスピス

    岩村カヨ子自筆メモ書き       2016年9月8日 在宅ホスピス

     2017年から,故人の残した預貯金は「カヨ子基金」(英語名“Kayoko Fund”)として海外被災地の孤児のために用います。

    ⇒「カヨ子基金

     海外の孤児たちの教育費に用います。日本と比べて,物価は十分の一ほどです。ネパール,バヌアツ,ベトナムの親を自然災害などで失った貧しい子どもたちが大人になることができるように,毎月,一口3千円ずつ自動引き落としを通じて,あなたのお心をお伝えください。

     郵便振替           口座 1434096549731 加入者名  カヨ子基金
     みなと銀行        明舞支店(175)   普通 3921374   カヨ子基金
     三菱東京UFJ銀行  三宮支店(462)   普通 3422530   Kayoko Fund
     三井住友銀行   神戸営業部(500)  普通 9821847     カヨ子基金
     みずほ銀行    神戸支店(490)   普通 1817303     カヨ子基金

      ※ 自動引き落としの手続きの詳細は,⇒ 「里親お申し込み」
      ※ 不明は事務局にお尋ねください。

     海外の被災地において,弱者に寄りそう活動を行うことにより,地域の子どもたちにとって安心して生活,教育ができるよう切においのりします。宮田佳典 2017年2月5日

    菊池則子,南村洋子,杉浦征子,古本佳世子,三浦照子,武田多美,
    今野順子,春原和子,森 祐理,塩屋キリスト教会,中島信光,山本 桂,
    高島邦生,岩村義雄,神戸国際キリスト教会,寺岡秀祐,森川 甫,
    日本基督教団神戸栄光教会,中田美子,神戸聖福教会,李敬淑,
    村上裕隆,本田寿久,本田洋子,宮田佳典,辻 良雄,さかいようこ,
    岡野彩子,原田洋子,酒井 彰,酒井久美子,池永タケコ,村上安世,
    安田吉三郎,池永タケコ,三木美保,斉藤真紀子,新井眞由美,
    本田哲郎,水垣 渉,西上千栄子,中山圭子,島田信一,保田 薫,
    山本智也,佐野良子,守屋香代子,塩見みよこ,中村和子,
    村田充八,岡本玲子,北川禮子,土手ゆき子,北村 徹,
    日本ナザレン教団神戸平野教会,吉持志保,西崎京子,犬童幸二,
    坂本好也,新免 貢,宮坂信章,今井祝雄,樋口 進,岩下喜恵子,
    東灘バプテスト教会,千葉幸一(2),永野真治,兵頭晴喜,
    藤原りつ子(朝霧病院),竹内喜子,
    大島 修,大島敏子,北村恭男,
    ゲーベルひでみ,山田慎一郎

    竹内喜子さまからたくさんの郵便切手が届き,感謝です。

    「カヨ子基金」によるネパールの孤児

    「カヨ子基金」によるネパールの孤児

    「カヨ子基金」 『中外日報』(2017年5月24日付)。

    「カヨ子基金」  『クリスチャン新聞』(2017年2月26日付)

    「カヨ子基金」  『神戸新聞』(2016年6月9日付)。

    ラジオ関西 2017年2月1日放映 カヨ子基金

     岩村カヨ子は「寄留者」,つまり在日朝鮮人の友と共に生きました。毎年「神戸朝鮮初中級学校」の バザーに欠かさず,出席し,自発的に踊りも楽しみました。在りし日。2015年11月15日。
     ≪動画参照≫ マイノリティー(少数者)と共に生きる

     2017年10月17日(火)午後1時半 記念会を予定しています。
     ⇒ 1年を経て 記念会のご案内    どなたでもお越しいただけます。

    岩村カヨ子自筆メモ書き 2016年9月28日 在宅ホスピス

    岩村カヨ子自筆メモ書き       2016年9月8日 在宅ホスピス

    生花が途切れることなく届くことに感謝。

     家内が愛した花。家に花がない日はなかった。小原流の二級脇教授になり,連続優秀賞をいただいていたこともあった。逝去しても,だれかしらが花を届けてくださる。今日も。東北ボランティアに参加された守屋香代子さん(第23次),榧裕美さん(第25次)が画像の生花を送付してくださった。2017年1月25日。
     2016年10月17日以降,松浦博子さん,三木晴雄氏,都倉久子さん,舟見和子さん,野﨑泰子さん,八木美恵子さん,大迫孝子さん,小菅あゆみさん,大田正紀理事,井上眞貴子さん,塩見みよこさん,山本真理子さん,土手ゆき子さんたちからの生花を妻と共に喜ぶ。

                                                          2017年1月30日  榧裕美 (第25次)

     お花は奥さんのイメージです,と伝えましたが,奥さんそのものが,まるで花のような方だと思っています。周りを,その場をぱっと明るくやさしくする光のような方だとそう感じます。
     奥さまにお会いしたのは,機構の季刊誌の封入作業のお手伝いでおじゃました際,まるで以前から知っていたかのように,迎えてくださいました。おやつとお茶とを出して,いたわってくださったこと,もてなしてくださったこと,そのときのあたたかな笑顔が何より印象的です。
     心からの気持ちが,その場にあふれ出て,あったかく明るくさせてくれるのだと思います。
     あらためて,ホームページでお写真やみなさんのメッセージを見てそう強く思いました。 わたしもお礼が言いたいです。温かく迎えてくださったこと,本当にありがとうございます。どうかどうか穏やかなお気持ちでいらっしゃいますように☆

     故人を偲んで                     

                            本田寿久
     岩村カヨ子夫人は2016年10月17日,逝去。
     夫岩村義雄理事長は,被災地や,天涯孤独の方の身元引受人,弱者や難民に寄り添うボランティア,収入は決して多くはありません。にもかかわらず,不平を漏らさず,妻として家事にいそしみ,柔和に自宅に出入りする多くの若者たちを導きました。結婚生活のほとんどは他者のためであったにもかかわらず,身だしなみ,振る舞い,外観は生活苦を微塵も感じさせませんでした。初対面の人は裕福な奥さまに映ったことでしょう。しかし,生活の実状がだんだんわかってくるとどこにそんなマジックのような秘訣があるか不思議でした。貧しくとも「世界一の夫婦(みょうと)」としてうらやましがられるほど,夫婦仲は近所でも有名でした。

     20人近くの若者たちに即座に食べさせるために,「飯場(はんば)のおばさん」と呼ぶ女性もいました。家事らしいことを何もしたことのないように見えるのに,またたくまに包丁,調理,味付けをしてしまいます。文春文庫の桐島洋子著『聡明な女性は料理がうまい』という本がありますけれど,まさしく夫人のことを描写しているかのようです。掃除をはじめ,裁縫,盛りつけなど何をするにしてとうてい真似ができないほど賢さがにじみ出ていました。

     

    発送作業 岩村カヨ子 食事を提供する 2013年8月13日

     家族間の不和,反抗期の子どもをもつ親,宗教の不信感などについて,電話だけでなく,何時間でも親身になって聴かれていました。そのことで文句を申し上げたことがあります。「かかってきたらすぐに電話を切ってください」と。 
     食事や入浴,プライベートのゆったりした時間はないづくめでした。とことん相手の側に感情移入されていました。口は固く,個々の秘密は決してだれにも漏らさないことでも信頼されていました。それはすごいストレスであったと私たち夫婦でよく話題なったものです。
     炎天下で道路工事をしている労働者をみると,見知らぬ人たちにでさえ,冷たい飲物を持って行く姿は天使のようでした。
     私は小学校の時から,夫人を尊敬し,まぶしいように見てきました。亡くなった私の父,また,私の母が寝込んだり,入院した時もお弁当や,洗濯,買い物など自分の家族ができないことをしてくださいました。
     多くの人々に自分の身を粉にして仕える生き 様こそ「ボランティア道の母」と言えます。私たち夫婦,息子たちだけでなく,悩んでいる人にとり,かけがえのない存在であり ました。
     妻の役割はきませんが岩村義雄を支えていきますから,安心してください。

    2016年9月,歩くことがおぼつかなくなる時,黙想している心を書き留める。

    死ぬということ

                                     山本智也
     中学生の時に兄に続いて,英語を教えていただいた恩師である岩村先生と出会いました。厳しく教えて頂きました。先生に竹の棒で指導してもらった時には,奥さんは優しく慰めてくれた事をよく覚えています。高校生になってからは優しさだけではなく礼儀,言葉使い,髪型などもよく諭されました。私は頑固で勝手気ままな性格ですので直接注意を受けても素直でないことを夫人はよく理解しておられました。なるほどと巧みに気付かせてくださるのです。デリカシーのない私は奥さんを困らせた事がありました。そんな時,奥さんはダイニングルームに呼んで,一対一で時間をかけてわかるように話をしてくださった事は一度や二度ではありません。愛情豊かな気遣いをなさる奥さんに出会えたことは僕にとっては心の財産です。将来結婚するには,このような女性に巡り会うしかないとずっと思い続けました。
     そんな奥さんが2010年に足の皮膚癌になった時にとても心配しました。奥さんは「痛いけれど掃除しないと落ち着かないし,気が済まないわ。やることがいっぱいあるから痛いとか言ってられないでしょう」とよく家事をされていた印象が強いです。心配していたことも忘れるくらい元気に生き生きとされていました。 とても強いパワーが私を圧倒し,かえって私が元気をもらったくらいです。

     2011年以降,東北のボランティアで先生が忙しくしている時もきっと痛みがあったにもかかわらず先生のフォローを全力で取り組まれていました。夫人から弱音を聞いたことがありません。だれに対しても笑顔で迎えられます。交友関係で私が友達とうまくい かなくなったりした時は奥さまの方から私の表情をみて,時間を とってくださいました。
     今年の5月末には「残りわずか」と兵庫県立がんセンターで余命宣告を受け,治療がだめと耳にされました。主人を放っておいて死ねないという妻としての使命に生きてこられただけにショックであったことでしょう。奥さんは延命処置をとらず,在宅で夫と一緒に過ごすことを選ばれました。ご自宅に立ち寄りますと,そんな病のこと微塵も感じさせず,笑顔でもてなしてくださいました。先生は,若い時のニックネームの牛若丸のように疾風の如く突っ走って来られたことはよく知られています。「あんな主人と離婚せずにいる奥さんの方がこわい」と陰でささやかれるほど仕えておられました。「あの先生に付いていくぐらいだから……」,と一般人とはちがうと,ご本人も耳にしたうわさを微笑みながら話してくださったことがなつかしいです。

     お二人が長年連れ添った自宅で看取られたことが私にとっては何よりも偉大なことと思えます。ヘルパーや病院に依存せずに,先生がそう願われたことはとてもうれしかったです。 私は東北ボランティアの影響で,卒業後,介護の仕事をしています。約50人の利用者と生活をさせてもらっています。私の施設 は介護老人保健施設で医療的なケアは看護師が行っています。利用者の中には「胃ろう」といって口から食事が出来なくなった (一時的な場合も含む)方のお腹に穴をあけて栄養を摂取する延 命処置をしたりします。正直申し上げて,人の死ぬということがわかりません。単純に食べられなくなったので徐々に弱っていって 亡くなる選択肢もあります。徐々に弱っていくのは体力がいります。苦しいことから逃げようと,また寿命以上に生きるためにあがく手段として,「胃ろう」をして延命してもらう選択肢もあり ます。しかし、胃ろうをしてまでして,楽に生きられるのでしょ うか。そんな操作までして「生きる」ことに価値があるのかどう か,僕にはわかりません。
     奥さんは10月17日にご主人に看取られました。末期がんのため 肉体的にはとても激痛を耐えなければならなかったとでしょうけれど,精神的には平安な気持ちでおられたことが死に顔からわかります。

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    2016年10月17日(月)午前9時47分 息を引き取る 孝太が来て間もなくだった。メークは悦ちゃんがした。

     私は施設で亡くなられる方々に接して,最後の時にやはり家族が身近にいるべきと痛感しています。残念なことに,今の日本の経済と福祉は不十分なため,在宅で看取ることは老々介護の問題など, 現実的に難しいことは確かです。だからといって医療にすべてを丸投げして,他人の前で死ぬようなシステムは薄気味悪い,非情さを感じます。
     奥さんからいつもいろんなモノをいただきました。食事,誕生日プレゼントなど目に見えるものではなく,いろんな精神的な強さ,困った人へのやさしさ,積極的な生き方について身をもって教えていただきました。
     私たちだけではありません。初対面で接する人たちも「この人のためなら,……」,と感じさせる不思議なオーラがありました。 
     壮絶な死に方を通して,生きるいのちの大切さを教えていただきました。夫や,他人であった私たちに徹底的に尽くされ,本当にお疲れさまでした。この恩は一生忘れません。

    2010年以降 神戸国際キリスト教会のメッセージの内容を  いつも口ずさむ

    ボランティア道のお手本

                                     村上裕隆
     岩村カヨ子夫人と初めてお会いしたのは2011年3月20日のことです。当時ぼくはひきこもりでありましたが,岩村義雄理事長に,第1回目の東日本大震災ボランティアに誘っていただき,それから夫人には実の息子のように可愛がっていただきました。

     ボランティアによちよち 歩きを始めたときから,夫人にいつも「あなたのような人はいない」 と励ましていただいたことで,これまでボランティアを続けられたと思っています。おいしい手料理はどこのレストラン顔負けでした。防腐剤,添加物,人工のものではなく,わが家と同じ自然食であることも 安心していただき,おふくろの味として忘れることができません。

     丹波水害が2014年8月に発生しました。神戸国際支縁機構は現地で最初の炊き出しを依頼されます。夫人は150食以上の豚汁,筑前煮 の具材を購入するため,素早く行動しました。その日,神戸市東遊園 地の炊き出しの楠元留美子班長ですら,どれだけの分量を購入すべき か躊躇してしまう量の計算です。大根,にんじん,豚肉など瞬時に必 要量を暗算ではじき出し,2時間ほどで購入してしまいます。「計算機より早い」と身近な人々も脱帽していました。

     教会で,暗証聖句もだれより も早く覚えて正確に唱えられ,私たちはあせったことについて懐かしく思い出します。 祈りの人でもありました。夫の健康,事故がないように,たゆまず 祈っておられる姿がすぐに目に浮かびます。学生たちや僕に頭を下げ て,「主人をよろしくお願いします」が口癖でした。
     テレビドラマ以 上にこれほど愛し合う夫婦はいないのではといつも思わせられます。 
     翌年,丹波市島で記念のイベントの際,みんなで楽しみました。 

    丹波水害1周年 記念イベント 市島ひなたぼっこ 2015年9月31日

    丹波水害1周年 記念イベント 市島ひなたぼっこ 2015年9月13日

     夫人は今年の6月3日以降,ご自宅で末期がんの痛みに苦しんでおら れました。買い物に行く時,ぼくに留守番を頼まれます。「痛いよ-」と夫に叫んでおられますが,どうすることもできず,おろおろしました。飛んで帰ってきた理事長は「寂しい思いをさせてごめんね」「寂しかったわ」という会話がなされます。 
     そんな痛みで苦しんでおられる時でさえ,周囲の者に気にかけてくださり,ぼくが今年9月14日JR元町駅前で声を上げて街頭募金をしたこと,10月1日に賀川記念館の「ボランテイア・福祉・宗教」で対話 集会のワークショップで発表したことについて涙を流して喜んでくださいました。人生の中でぼくのために涙を流して喜んでくれる人がこれから どれだけいるでしょうか。
     同じ団地で,近くに住んでいながら,息を引き取るときに会えなかったことは悔やまれます。まるで「裕君」と起き上がって語りかけるような安らかな死に顔でした。今も共に生きておられ,微笑んで見守 っておられることが伝わります。ボランティアに目を開かせてくださった「母」に恥じぬように,苦悩する人々に仕えていきます。

    お目にかかれて
                                        谷口浩平 

     この度は,最愛の奥様のご逝去,まことにお悔やみ申し上げます。 長い間ご一緒に支え合っていらっしゃったことを思うと,どのような 慰めの言葉も軽く思えてしまいます。 私が奥様とお会いしたのは,今までで2回しかありません。しかし,その2回のうちで,なんと立派な方だろうかと心から感じました。初めてお会いした時,闘病中だとは思えない程に凛としておられ, 私自身ですら気付かない私の長所を見抜いて褒めて下さったばかりか,他の初対面の方ともすぐに打ちとけて仲良く会話されていました。
    この様子を見て,この方は人の長所を見ることができる広い心と,相手の心に寄り添うことができる人柄の良さを持っていらっしゃるのだなと, 感銘を受けたことを覚えております。

    第3次ネパールボランティア出発1週間前 2016年9月9日

    第3次ネパールボランティア出発1週間前 2016年9月9日 左端 筆者

     また,2回目にお会いしたのは,私が支縁機構からネパールへボランティアで訪問する少し前ですが,その時もご自身のお体も大変なはずなのに私達のネパール・ボランティアも激励して下さいました。
     本当に,自己犠牲の精神で周囲の方々を親身に思う姿に尊敬いたします。それゆえに,この度の悲報は私にとって大変残念なものであり ます。どうか岩村先生は,ご無理なさらず,お体を大切になさって下さい。 奥様のご冥福をお祈りいたします。  

    召天式 村田義人兄弟号泣

    誇りを砕いてくださった恩人
                                     村田義人

     私が神戸市垂水区のI.C.S.という小さな英語教室に通い始めたのは2011年の3月でした。受かる筈もなかった大学入試に落ちて,当然のように浪人生活が始まったのと同時でした。JR朝霧駅で降りることは初めてであり,私は初めて訪れる地に少し心踊りながら訪ねた思い出があります。しかし,軽い気持ちで訪れたそこのあるマンションの1室で,私という人間は90°以上進む方向が変えられてしまいました。
     訪れたその教室はご夫婦だけの生活でした。力強い挨拶をされた思い出があります。私は本が山積みになった勉強部屋へと案内され,色々話を交えました。ただの2時間です。しかし私はあれほど長い時間を過ごした思い出もありませんし,あれほど疲れた2時間も今のところ空前絶後のものです。
     何を喋っても,何を訴えても全て完全論破のごとくけんもほろろに言い返されてしまう。2時間経った頃,私はほとんど頭が回っていなかったように思います。次の予定を決めて,帰ろうとした時に奥さんが私に声を掛けてくださいました。

      「まあ,こんなもんよ」。 

     私は絶望に近い何かを感じたように思います。えっ,これが普通なのかと。これがずっと続くのか?と。帰り道,抜け殻のように帰ったのを覚えています。
     1週間後,次に訪れた日は,席につく前にI.C.S.「基本関門」というものを行うと。これを全て覚えろと。何だ,それは!と驚いたものですが,その時初めて自分の英語力を実感したような気もします。なにせ,私は形容詞と副詞の違いすら分かっていませんでした。
     それでよく大学受けたなと,というかよくそれに一切気付かなかったなと,自分としては凄い恥ずかしかった思い出があります。その日も抜け殻のようになって帰ろうとした時,奥さんがまたおっしゃいました。 

     「まあ,最初はこんなもんよ」。 

     この夫人はものすごく強い人なのか?この先生と同じでものすごく一般から超越した人なのか?などと思わせられました。
     その後,何度も通うようになったその教室で私はその先生と奥さんに大変お世話になりました。色々苦しいことがありました。中高6年間,全く勉強していなかった自分が一から英語をやり直したわけです。なんでこんなこともわかっていなかったんだろう,と何度思ったかわかりません。昼は予備校,夜は英語,帰りは終電,といった日々が続きました。長時間帰してもらえませんから,中学3年の女の子だったりと一緒に英語を学習したりという日も少なくありませんでした。自分はこのままの英語力でいいのだろうかと自信を失いかけた時に,奥さんはよく声を掛けてくださいました。
     「今日はお腹を壊していないわね」,「誰もが先生みたいにタフじゃないから気にしなくていいのよ,この人は変なことばかり言うからね」,「近所の方にもらったものなのよ,食べてちょうだい」など,自分をいたく気遣っていただき本当に感謝しました。
     しかし,本当に芯の強い方だったと思いました。文字に当てはめるならば,「毅然」「泰然自若」という言葉が当てはまるでしょう。何を喋っても先生に論破され尽くされ疲れ果てている私からすると,何故あんなに理路整然と応答なさるのだろうかといつも感心していました。
     たとえばある時,先生が「私たちは弱い人を見過ごすことは出来ない,だから毎月東北に向かう」と言った際にも,「その間に誰が家,事務所を守っていると思っているの……,ねーえ(私に同意を求めて)」と返された時に私は,この先生に真っ向からそんな風にハッと気付かせるのか,と忘れられません。長年連れ添われたとは言え,こんなに雄弁な先生に真っ向から言い返せるのは流石だと思いました。
     他にも阪神ファンの私が,当時活躍できなかった選手の文句を言っていたときがありました。「私はだれが何と言っても,長く耐え,実績を残してきた人を応援し続けるわよ」「ここで切り捨てるのは薄情だと,義人君は思わないの」とおっしゃいました。周囲に流されない,ということが大切であると。この教訓を受け,私もそれ以降可能な限り,周囲にただ流されるだけではいけないと思い続けております。
     2年間で,私は色々教えていただきました。その後も神戸国際支縁機構のボランティアで何度か朝霧を訪れた際にお会いすることも出来ましたが,ご病気がどんどん悪化していくということを耳にしました。それでも私はあの気丈な奥さまのことだから,奇跡の完治が本当に有るのではないだろうか,なんて考えておりました。
     私が生前の奥さまに最後にお会いしたのは,2016年8月28日,日曜日の夕方のことです。その1週間後に,第3次ネパールボランティアへと出発する私は,先生や一緒に行く谷口浩平くん,熊本ボランティアに従事されている大島健二郎さんにお会いするため朝霧の地を訪れました。晩御飯を朝霧のネパール料理店で夫人にごちそうしてもらいました。なんとご自宅で病床にあった奥さんと再びお会いすることが出来ました。英語で通っていた頃より,痩せておられるように思えました。握手すると,手も冷たく感じました。終始以前と変わらず,先生や我々にもはっきりした口調で喋られます。「もう痛い痛い,ぼろぼろなのよ」,と微笑みながら,あっけらかんとおっしゃいました。末期がんで骨にも転移している激痛を一切感じさせませんでした。普通にカレーに浸したナンを召し上がられ,自分が土産として持ってきた京都の大福を差し出すと,またこれも1個弱召し上がられました。まだ大丈夫だ,と安堵しました。「ネパールで気をつけてね!大福ありがとう!またね!」とおっしゃいました。失礼ながらも,ひょっとしたらネパールで不慮の事故や,奥さまと元気にお会いするのが最後なのでは,と一瞬頭をよぎったので,固く握手させていただきました。先生が「今日出て外出し,見送ることができたのは奇跡」,と仰ったように,神様が最後の機会を用意してくださったと信じます。
     お葬式の日の朝,京都で両親から情報を聞いて泣きながらすぐに駆けつけました。どうしようもないプライドに凝り固められていた私を砕いてくださった,大恩人でありました。カヨ子姉,しばしお会いできません。天から引き続き見守ってください。また,天国にてお会いする機会を心待ちにしております。

    ご近所と教会の人たちだけに案内。菅原義久牧師,森 雅樹牧師

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