フクシマ原発 共苦

キリスト教と原発

フクシマ原発に立たされて

20110314福島第一原発3号機
福島第一原発3号機 メルトダウン 2011年3月14日
『中外日報』(2020年10月30日付)。
『石巻かほく』つつじ野⑥ 「共苦」(2017年11月7日付)

The 6th: “Share sufferings”   “Ishinomaki Kahoku”,, Tsutsujino ⑥ (November 7, 2017)

Kenji Miyazawa wrote to the suffering people, “Each person tries to break through difficulties, and encourage each other”.

 In February 2014, students from Kyoto University, Kobe University, Kansei Gakuin University, and others also participated in the 36th batch. Intelligent young people, who will support the future of Japan, experienced. “Restoration of rice fields, mountains, and bays”, they did listening volunteers and sweated to remove snow. And they came to realize that there are “limit of cannot do”, such as broken family, divorce, and isolation death of the victims. They experienced their “helplessness”.

 In one morning with snow, Mr. Masao Taguchi (75 years old) who “was living on the street” in Watanoha, stood alone. Without asking, everyone took out their hand warmers. That was the moment when the empathy finely honed sense of “empathize”. “One by one”, we approached Mr. Taguchi, who looked a scary person. On the other hand, he accepted us with kind smiles. All of about 30 participants were overwhelmed by his noble personality.

Kenji’s words, “Let’s jump in and drown together. Let’s go together to the other side of death”, lighting the fire to the participant’s heart. The voice of “Are there any homeless people in Kobe?”, “Let’s serve foods to people” were raised. One week after our return to Kobe, students got together again. Food distribution started for homeless people who had been living at the Higashi Yuenchi (next to the Kobe City Hall) since the Great Hanshin-Awaji Earthquake. Rumiko Kusumoto became the head of the group, and she does “commensality” together with homeless people and becomes a family with them, and still, she is continuing it.

 Kenji said “Hinotsuitayouni Hagemashite Ike (= Go on with encouraging others speedily)”, and “励ます Hagemasu (= encourage)” includes the Chinese character “力 Chikara(= power)”. It became an origin to act positively in empathy, share-sufferings, and commensality. However, no one imagined that the victim who is facing loneliness, loneliness death, and isolated death rather gave us the “力(= power)” to us. We have been changed ourselves to “go” anywhere in this world “by yourself” with only carrying a sleeping bag, not by the group.

福島県浪江町訪問 2014年9月2日

20141001共苦
『朝祷』(2014年10月1日付) Pastor Yoshio Iwamura

 「共苦」 
完全原稿 「共苦」― 被災地フクシマを訪問して―(大阪朝祷会 2014年9月18日)

                        神戸国際キリスト教会
                        牧師 岩村義雄

 主題聖句: ローマ 8章22節 被造物がすべて今日まで,共にうめき,共に産みの苦しみを味わっていることを,わたしたちは知っています。

 <序>
 2014年9月2日,福島県双葉郡の浪江町,≪動画参照≫ 双葉町,大熊町,富岡町を訪問。東北ボランティアに3.11以降,43回目です。月にだいたい一度のペース。福島県浪江町からは検問が厳しく,予め入村許可をとり,身分証明書を提示してから,防護服を着て,入りました。福島県の気温は17度。秋の気配であり,キリギリスの鳴き声はもうありませんでした。約3年半にわたり,人が人っ子一人住まなくなると,どうなるか廃墟と化した街並みを見ます。お店の看板,標識,倒壊した家屋は地震で倒されたままです。海岸線は津波で襲われ,大きな船が生い茂った荒野にぽつんぽつんと散在しています。家の前に牛の大きな糞がころがっています。ネズミが,酪農の家の人が殺すのは忍びないと放置した豚が野生化して,人がいなくなった家に入り込み,めちゃくちゃにしています。被造物と言えば,双葉町,大熊町では人間はいません。したがって,地を這う動物のうめきが耳に入りました。

(1) 被造物のうめき
 a. 被造物とは
  クティスィス [ギリシア語クティスィス]は「創造(創設)されたもの,被造物,造られたもの,世界,制度」です。「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ,増えよ,地に満ちて地を従わせよ。海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」 (創世記 1:28)で述べられている「海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物」が含まれます。家畜,動物,獣です。広辞苑によると,「家畜」とは,“人間に飼育される鳥獣。牛・馬・豚・鶏・犬の類”と定義されます。ちなみに創世記1章24節に「家畜」[ヘブライ語 ベヘマー]が始めて登場する箇所では,まだ最初の人間が創造されていません。

  b. 世話をする
  「主なる神は人を連れて来て,エデンの園に住まわせ,人がそこを耕し,守るようにされた」 (創世記 2:15)。「耕し」(ヘブライ語 アーバド 「仕える」の意),つまり耕作することから人類は始まりました。「守る」(シャーマル「見守る,救う,世話する」の意)ことを委ねられたわけですから,里山を損なわずに,人が安らぐ環境を守る責任があります。

  c. スチュワードシップの放棄
 汚染,公害,自然破壊ではなく,被造物の生態 Ecologyを管理するのではなく,仕えるのです。エコロジーの語源,“Eco-”はギリシャ語oikos「家・家庭・家計」に由来する接頭語。Logyはギリシャ語logos「言葉・言語」に由来。学問,研究をあらわす語につく接尾語です。アベルとカインの献げ物の内,農作物が神に受け入れられず,アベルの羊が認められました。当時は肉を食べる習慣がなく,神が食べる分として捧げられたのです。牧畜が認められたわけですが,ノアの洪水審判の後,肉を食べることが許されるようになりました。血は命ですから,屠る際,血は地に流すように命じられました。「ただし,その血は食べてはならず,水のように地面に注ぎ出さねばならない」 (申命記 12:16)。すべての生き物の命はその血であり,神の足台である大地に注ぐのです。「主はこう言われる。天はわたしの王座,地はわが足台。あなたたちはどこに わたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか」 (イザヤ 66:1)。
 福島原発の近くの地域では,震災後,酪農を営んでいた人々は強制的に退去を命じられました。「地の上を這う生き物」を連れて逃げるわけにいかず,餌をたくさん残して逃げたのです。その結果,家畜である牛,豚などは野生化して無人の地域を徘徊するようになりました。 

 (2) うめき
  a.被造物のうめき
 
飼い主がいなくなった牛,豚,鶏は自分たちで餌を得なければなりません。空き巣や盗みがなされないようにと,無人となった各家の前にはフェンスが張りめぐらされる以前のことです。動物は家の玄関から畳や床の上に入り込みました。地震で破損した箇所からこじあけて侵入します。雨露をしのぐためだったり,食品が残っているのを嗅ぎつけ,食糧をあさるのが目的です。イノシシは人家に入りませんが,イノブタ[イノシシと豚の混血]は家の中にこじ開けて侵入します。イノブタはイノシシの5倍の繁殖力があり,一頭が年間20頭を出産しますから,捕らえるための箱わなをよく見かけました。ちなみにイノシシ,イノブタは放射濃度が高く,食用にはなりません。留守宅をちらかし,糞で家の中,周囲は臭くなっています。天井裏ではネズミが我が物顔に走り回ります。国が退去させた住民に午前9寺から午後4時まで一日立ち入りを認めた時,わが家の変わりように人々はへなへなと座り込んでしまいました。

  b. 収穫物のうめき
  年間50ミリシーベルト以上ある双葉町,第1原発のある大熊町は帰宅できない地域です。年に15回しか立ち入りができません。通行証が必要です。2017年まで,国は除草,除染はしてはいけないとお達ししています。強制的に住めなくされた結果,北に隣接する南相馬市の仮設住宅に一部の人たちは移住を余儀なくされました。私たちも浪江町の藤橋スクリーニング場で防護服を脱ぎ,放射能付着の検査をしてから南相馬市の中心地原町に向かいました。福島県の米どころとして県民が生き残るために福島県産の米が安全であることを全国に知らしめなければなりません。福島原発から20キロ離れた南相馬市で,除染作業をして本格的に米栽培を実験的に始めました。しかし,今年7月15日には,実証栽培米には1キロ当たり100ベクレルを超えています。(「福島民友 」2014年7月15日付)。つまり食べると被曝する放射性セシウムがあるということです。お百姓さんはあきらめきれず,うめいています。基準値を超えるとコメは売れないからです。

 c.母親のうめき
 
「神はその嘆きを聞き,アブラハム,イサク,ヤコブとの契約を思い起こされた」 (出エジプト 2:24)と書かれているように,エジプトの苦役を強いられているイスラエルの民の「うめき」を聞くようにモーセに神は求めました。つまり,うめきに耳を傾ける感受性を喚起されたのです。
 双葉郡の多くの方の仮設住宅がある南相馬市でも持っていった線量計の数値は高くなったり一定ではありません。絶えず数字が変わるのは空気中に浮遊している放射線があるからです。27年経たチェルノブイリ近辺では数値は変わりません。一方,日本では風が吹いたり,雨の降り始めには線量はあがります。富岡町では数字は振り切って計ることができない高線量でした。100万人にひとりと言われる小児性甲状線ガンにかかる子どもたちの数は12人(2011年6月)→43人(2013年4月)→104人(2014年8月)と増えています。しかし,放射能との因果関係が認められないために,障害賠償を受けることはできません。30キロ圏内でなくても,50キロ離れた地域でもセシウムが6倍です。(朝日新聞 2014年7月16日付)子どもは大人よりも3倍の放射能の影響を受けると言われています。しかし,いわき市行政は子どもたちの給食に,風評被害払しょくのためと言い含めるように,福島産のものを使うことを強要しようとしています。子どもの未来を思う母親たちは,子どもの被ばくをとても心配しています。現地のうめきの生の声を聞くことができました。

(3) 共生,共苦,苦縁
 a.悔い改め
 福島の母親たち,子どもたちは震災直後からむずかしいたくさんの決断を迫られてきました。原発は平和利用ということでアメリカのキリスト教界から日本にもたらされました。ウイリアム・ポラード[1911–1989]氏は,米国聖公会の司祭です。1944年にマンハッタン計画に参画,ウランからU-235を抽出し,広島,長崎に用いました。1946年,ポラード司祭はオークリッジ原子力研究所所長に就任しました。ポラード師は原子爆弾の反省から原子炉の平和利用を祈りました。やがて日本のキリスト教主義学校に原発の平和利用の研究所が作られました。しかし,3.11に平穏な生活,生きがい,家族関係を裂く1~3号機のメルトダウン(炉心溶融)が起こり,原子炉内は手のつけようがありません。人類の未来さえも破壊してしまうのが原発事故です。
  まず,キリスト教界が原子力問題について悔い改める必要がございます。

b. 感情移入
  私たちはこれからも54基が海岸線にある日本で生きていくつもりならば,研ぎ澄まされた感性を問われています。福島県民は経済的ゆとりもなく,とどまり,そこで生活をしていかざるを得ませんでした。仮設住宅などにとどまった人たちは自死,離婚,家庭の分断にさらされています。一方,退去などで他府県に移動した福島県の方々は行った先々で孤立,疎外,失業でやはり,自死,離婚,家族の分裂が起きています。共に苦しむとは,自分自身の問題として,私たちが痛み,苦しみ,抑圧に共感と共苦をすることが求められます。「また,群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て,打ちひしがれているのを見て,深く憐れまれた」 (マタイ 9:36)の「深く憐れまれた」(ギリシア語エスプランクニスセー)は日本語に適切な言葉がなく,琉球のチムグルシー(胆苦しい)が一番ふさわしいでしょう。「あなたがたは神に選ばれ,聖なる者とされ,愛されているのですから,憐れみの心 [スプランクナ],慈愛 [オイクテルムー],謙遜,柔和,寛容を身に着けなさい。」 の精神態度が求められます。(コロサイ 3:12)。「あなたの民があなたに対して犯した罪,あなたに対する反逆の罪のすべてを赦し,彼らを捕らえた者たちの前で,彼らに憐れみ [ラハミム]を施し,その人々が彼らを憐れむようにしてください」 (Ⅰ列王 8:50)と旧約で書かれている憐れみ[ヘブライ語ラハミム「憐れみ,同情,子宮,胎」]も新約と同じです。

 c. 共苦
 主題聖句の文脈の17節には,「もし子供であれば,相続人でもあります。神の相続人,しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら,共にその栄光をも受けるからです」 (ローマ 8:17)と書かれています。うめきに「共苦」するキリスト者ならば,「共に苦しむ」 (スムパスコー スン「共に」+パスコー「苦しみを受ける,苦難を経験する」 参照 マタイ 17:12, 使徒 1:3)ために,苦縁により,同じ兵庫県の丹波水害に出かけて行きます。スプランクニッツォマイは英語で,have a compassion with~です。日本語にはない言葉であり,琉球の言葉チムグルシー(胆苦しい)が一番適切な意味を持っている語です。日本人,否,人類全体がチムグルシーの感性をもって,福島の被爆について共苦していきましょう。

季刊誌「支縁」No.13 第一面

まったく報じられない
「排気筒問題」と
2号機「大惨事」の危険性
――おしどりマコちゃん×広瀬隆対談

20151212おしどりマコちゃん×広瀬隆対談