アフガニスタンの人々と共に生きる

「あなたはいつ抑圧された人に寄り添うのをあきらめたのか」

神戸新聞会館聖書のことばシリーズ第86回                                                  
                                         2021年8月30日                         

完全原稿 あなたはいつ抑圧された人に寄り添うのをあきらめたのか」(アフガニスタンと歩んだ20年 神戸新聞会館聖書のことばシリーズ第86回 2021年8月30日)(英文付き 2021年8月30日)

AfghanistanChildren1

 

 

   アフガニスタンの子ども

 

 

 

 神戸国際支縁機構は,アフガニスタン北部2州(BadakshanならびにTakhar)における国内避難民への支援を開始しています。資金・物資・人材の面で全面的に協力し私たちの主幹が現地に行きます。冬の厳しさは格別です。  
 → (社)神戸国際支縁機構 http://www.kisokobe.com/

活動の目標

中央アジアの人々の肉体的・精神的な必要に応え,苦痛が軽減させるように支援します。

主な活動内容

・アフガニスタン国内に食糧を届け,厳しい冬を越せるように支援します。
・冬服,毛布,靴などをなるべく多くの人々に届け,厳しい冬を越せるように支援します。
・国内避難民や弱って病気をかかっている人々へのヘルスサービスを行ないます。
・難民や戦乱によって家庭を破壊された家族や,国内難民にテントやシェルターを提供します。
・新年に農業復興プログラムを計画し,人々ができるだけ早く自立できるように手助けします。

支援対象者

   アフガニスタンの女性たち

 

石積み

 

 

アフガニスタンにおけるキリスト教

講 師 : 岩村義雄 Ⓒ 
神戸国際キリスト教会 牧師
 2009年11月17日

主題聖句: 使徒 19:37  諸君がここへ連れて来た者たちは,神殿を荒らしたのでも,我々の女神を冒涜したのでもない。

<序> オバマ大統領が先週来日しました。日本にアフガニスタン進攻について同盟国として応分の供与を求めたのです。日本は大統領の訪日に先立って,アフガニスタンのハーミド・カルザイ大統領に,50億ドルの支援を約束しています。さて,私たちキリスト者は,中東に位置する今世紀最大の干ばつだろうと言われている中で深刻な水,食料不足にあえいでいます。また紛争による死傷者が毎日のように報道されています。「隣人を愛しなさい」「平和を実現する人々は,幸いである」をどのように日本の地において日々,行なうことができるでしょうか。ご一緒に考えてみましょう。

(1) アフガニスタンとはどんな国
 a. 歴史と沿革

 アフガニスタンは山の国でありまして,その面積は日本の約1.7倍,人口は約2千万人と言われています。国土の真ん中にヒンズークシュ山脈という大きな山があります。東のヒマラヤ山脈と並んで,6-7千メートル級の広大な山脈です。アフガニスタンのほとんどの地域は,山岳地帯です。アフガニスタンの諺に『アフガニスタンでは金がなくとも食ってはいけるけれども,雪がなくては食っていけない』というものがあります。なぜなら農業国だからです。人口の9割以上が農民または遊牧民です。農耕・遊牧のための水源は,白い山々の雪に依存しているのです。“白い山の雪”は、地図には描かれていませんが,アフガニスタンのほぼすべてが“薄い茶色”か,“濃い茶色”で塗られているほど山,山の国です。(「絶望から希望へ―生命に寄り添って」中村哲講演録)。
 アフガン「山の民」とペルシア語の地名接尾語-stanで「山の民の国」と国名からも山岳国だとわかります。1919年に英国から独立してからも,紛争が途切れることはありませんでした。ペレストロイカの1989年まで,約10年間ソ連により,アフガニスタンの天然ガスの利権や,南下作戦により,国土は戦場と化しました。ムジャビディン(イスラム戦士)は大国ソ連に対して,徹底抗戦し,決してひるみませんでした。やがてタリバンが登場してきて,国土の95パーセント以上を支配しましたが,2001年9・11テロが起きますと,アメリカ・英国軍を中心として国々が攻め入りました。そんな中で,2002年に現在のカルザイ大統領の政権ができあがってきたのです。今でも,“治安”が悪化していて,テロ組織であるアルカイダ・タリバーンとNATO・米軍との戦闘が激化しています。オバマ大統領が10月10日にノーベル平和賞を受賞しましたが,直前にもアメリカ軍の誤爆により,犠牲者が病院にかつぎこまれています。

 b. アフガニスタンの惨状

 アフガニスタンに生まれた子ども9人に1人は,1歳の誕生日を迎えることなく亡くなっています。子どもの6人に1人は,5歳未満で亡くなっているのです。世界で2番目に妊産婦死亡率が高く,国レベルでは生きて産まれた出産10万人に対しくて,600人しか生き残れない割合です。15歳以上のアフガニスタン人で文字を読めない人の割合は71%にのぼっています。就学年齢の女の子の60%は,学校に通っていません。5歳未満の子どものおよそ30%が下痢性の疾病の影響を受けていますが,水不足で水分をとることもできません。5歳未満の子どもの5人に1人は,呼吸器系の感染症に苦しんでいますが,そのうち3/4は病院や保健施設で治療を受けることができません。多くの家庭が安全な水を得る給水場所を持たず,1/3の家庭にはトイレがない国です。子どもの三人にひとりは孤児です。ラシュマニアという蚊を媒介して感染する病気がアフガン全体に蔓延しています。始めは皮膚がはれあがり,やがてえぐれてくる病気です。
 アメリカの誤爆により,救急患者の70パーセントは戦争被害者であり,家を失った人や,親や身寄りがいない子どもたちはキャンプ地で生活しなければなりません。夏の気温は,40度を超え,しかも,草木の生えていない場所ばかりですから,日陰もなく,地面からの照り返しも強く,体感温度は50度くらいになります。水がないというのは,がまんできる状態ではありません。首都であるカブールに集まってくる人は300万人は,テント暮らしです。地雷原が周囲にあり,砂嵐やさそりも多いのです。今の時期になりますと,夜はマイナス15度になり,毎日数十人が凍死しています。これからもっと寒くなるのです。マイナス20-30度です。毛布を2~3枚重ねて寝ても一晩あけると,頭痛がするくらい寒いのです。キャンプ地への食料援助もドイツの団体が行っているのみです。お医者さんは週に2回巡回して来ますが,まともな薬などはありません。民の7割は栄養失調です。肝炎が蔓延しており,始終下痢をしている人がほとんどです。ですから,アフガニスタンの平均寿命[90-95年調査] 男性43歳 女性44歳と言われています。日本人の平均寿命の約半分です。[女性は86.05歳,男性は79.29歳]

 c. アフガニスタンの宗教

 タリバーンは外出する女性に,ブルカ(チャドル)の着用を義務づけています。ブルカ着用は農村部での常識です。女性に対する暴力は、強制結婚,ドメスティック・バイオレンス,女性や女児の人身売買,債務の代わりとしてまたは人質として女児を差し出すこと,女性や女児を初潮から出産可能年齢を過ぎるまで強制的に隔離することなどはよく行なわれていることです。
 農村においては,イスラム教の指導者(村の長老)が寺子屋を開いて,子ども たちに字の読み書きを教えます。クルアーン(コーラン)の暗誦させるのです。イエス・キリストは,ムハンマド(マホメット)に次ぐ預言者として崇拝されています。
 100%がイスラム教徒です。みんなの生活がモスクを中心に地域の共同体があるという社会
です。

アフガニスタン

キリスト教徒 0%

海外からの駐在員や軍人のみ

イラク

キリスト教徒 7-3.5%

大多数はネストリウス派,アルメニア教会,アルメニア・カトリック教会,ローマ・カトリック教会

イラン

キリスト教徒 0.1-0.6%

大多数はアルメニア教会

パキスタン

キリスト教徒 2.5%

英国植民地であった影響で聖公会が多い

(2) なぜテロが起きるのか
 a. 9・11テロ

 2001年9月11日に,アメリカ同時多発テロが起こりました。イスラム教聖職者はアラブ首長国連邦の首都アブダビで,声明を発表「(イスラムの)神は,イスラム教徒,キリスト教徒などを問わず,罪のない人々を殺害することを禁じている」と。
 「宗教の名による排除の主張によって引き起こされたすべての流血行為は,犯罪的殺人行為だ」

 b. アフガニスタンへの空爆

 アメリカ政府はサウジアラビア出身のウサマ・ビンラディンをテロ事件の黒幕と断定。ビンラディンをタリバンが匿っているとして,同年10月5日より米英のタリバンに対する武力行使が行われました。
 2001年の9・11テロ以降,キリスト教国と言われるアメリカがアフガニスタンに武力侵攻しました。世界遺産を破壊したタリバンは悪の張本人とか,2003年に,イラクを大量破壊兵器があるという名目で砲撃しました。そのとき,十字軍という言葉がメディアで良く報道されました。ジハードに対してクルセードという対立構造です。善か悪か,神かサタンかの二元論での泥沼の戦争に突入して行ったのです。
 確かに,神は「万軍の主」とも呼ばれます。ヘブライ語ではアドナイ・ツェバーオートです。「出かける」ツァーバーの複数女性形です。ただし,『七十人訳』では,キュリオス・パントクラトール「全能の主」と訳されており,「万軍の主」ではなく,「全能の主」というギリシア語の訳語が中世のミサにおいて用いられていました。旧約聖書では,「これはあなたたちの戦いではなく,神の戦いである」(2Ch 20:15)。
 イエス・キリストは,2,000年前に非暴力,隣人愛,敵を愛することを教えられました。旧約聖書の聖戦思想からシフトしたのです。
 Mt 5:9 平和を実現する人々は,幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
 「平和を愛する人は幸いである」ではなく,「平和を実現する人は幸いである」と言われたのです。44節では,「しかし,わたしは言っておく。敵を愛し,自分を迫害する者のために祈りなさい。」と敵を愛する敵愛精神を強調されました。

 c. タリバン自縛テロはなぜ起きるのか

 2009年8月20日に行われたアフガニスタン大統領選と地方議会選の後,8月25日,ムジャーヒド(ジハード戦士)はカンダハル市で起きた強力な自動車爆弾を起こし,40人以上が死にました。
 「ターリバーン」という語はアラビア語で「学生」を意味する「ターリブ」[パシュトー語]の複数形です。イスラム神学校(マドラサ)で軍事的あるいは神学的に教育・訓練された生徒から構成されます。一人なら単数形の「ターリブ」,二人以上なら複数形の「ターリバーン」が用いられます。 地方ではタリバンへの親近感も強く,一般住民とタリバンは分かちがたいのです。東部地域は住民全員がタリバンといっても過言ではありません。西部のヘルマンド州からの国内避難民の話を聞いていても,村人全員がタリバンという感じです。南部のカンダハール州のサンギン村から,タリバンに協力したからという理由で米軍の空爆を受け追い出された人によりますと,地方では家から2~3人がタリバンに参加するのが当たり前です。テロリストを根絶すると言いますが,それは住民全員を殺さねばならないというも同然なのです。
 タリバンへの参加の背景には貧困や飢えもあります。タリバンは金払いがよく,初任給で200ドルくれるそうです。それだけあれば家族を十分養えます。パシュトゥンではなくタジクなのにタリバンに参加している例もあります。警察の初任給が80~90ドル,軍隊で120~130ドルというのと比べますと,リスクはありますが,一番いい就職先になっています。地方は本当に干上がっているのです。パレスチナのハマスも同様でしょう。住民にはタリバンが救世主に見えている面を忘れてはいけません。米軍が嫌いということでは住民もタリバンも思いは一致しています。そんな米軍に肩入れしているということで,日本のボランティアの若者も殺害された痛ましい事件を思い出す方もいらっしゃるのではありませんか。
 はっきりした組織がない上に,人数・資金が豊富なので,アメリカのミサイルや近代兵器などの武力でどうにか解決できることはありえないでしょう。

 (3) 弱った葦にどう接するか
 a.  韓国などからの宣教

 イスラム法上では,宗教を辞める,つまりイスラム教を信じなくなる者に対しては原則として死刑です。しかし,ただ棄教者に対する死刑は,いわば一種の抑制として存在しているだけで,その執行はシャリーア上も不可能であるとも考えられています。イスラームの教えを辞めたなら,その人はムスリムではないことになり,ムスリムでない者にはイスラム法であるシャリーアの範囲外にあることになり,その者への刑の執行はできないことになります。信仰は自由であっても,宣教はできない状況を理解していないと問題が起きます。皆さんも記憶に新しいと思いますが,2007年7月19日に韓国のグループ23人がタリバンに捕まった事件です。
 一人の牧師は殺害されてしまったのです。韓国キリスト教団の海外奉仕活動は医療・教育が中心と言われますが,拉致があった直前に,アフガンのようなイスラム地域で奉仕団は,モスク(イスラム教礼拝所)の前でキリスト教の賛美歌を歌ったり,現地の子供たちに韓国語で聖書を読み聞かせたりしていたのです。
 韓国キリスト教(プロテスタント)の“攻撃的”ともいわれるこうした積極的な活動の背景には,「自らは善で他は悪」「地の果てまですべての人に福音を」などといった自己中心的で極端な“福音主義”があります。日本でも著名な福音派を代表する指導者も,「アフガニスタンに宣教師を派遣する韓国教会の勇気と挑戦の精神を日本の教会が学ぶべきだ」と述べたりしたくらいです。ですから,11月10日に,民主党の小沢一郎幹事長は,和歌山県高野町の金剛峯寺で全日本仏教会(全仏)会長に,「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は,欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点,仏教はあらゆるものを受け入れ,みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」と語ったりするのでしょう。
 さて,韓国人人質事件の結果,韓国のキリスト教団内部でも「これでは排他的なイスラム原理主義と同じだ」と批判があり,韓国マスコミなどでは,事件を機に他宗教,他文化への配慮を求める声が多く出されたのです。なぜなら,本人たちだけに危険が及ぶのではなく,海外にいるすべてのキリスト者がテロの対象になってしまう道を作っているようなものだからです。

b. 日本に来る難民

 キャンプ生活で,精神的に追いつめられた難民や病気の人は,より手厚い保護が緊急に必要です。ところが日本は難民を受け入れると国際的には発表していますが,現実は,とんでもない難民に対する扱いをしています。日本が難民条約を批准したのは1981年です。他の先進国と比較すると日本の受け入れは格段に低く,昨年では57人だけです。諸外国が1万人以上いることを考えてみますと,主要7ヶ国で千人未満は日本だけです。オランダ,カナダ,アメリカなどと比べますと,二ケタも三ケタも少ないのです。たとえば,アフガニスタンからの庇護希望者は,タリバン前政権に迫害された経験を持ち,そのためのトラウマを抱えたまま日本の神戸港,関西空港に着くやいなや入管収容施設に収容されてしまい,想像を絶する本国以上に劣悪な扱いで,文明国とは思えない収容をしています。18万5千人の難民申請の中で,アフガニスタンは二位です。昨年1万2千人がアフガニスタンから国を脱出して,安全を求めて英国,ノルウェー,米国,日本にやってきたのです。
 たとえば,アフガニスタンのジャラさんという女性は,自分の国の状態について話しています。2007年3月から2008年3月までの間に,女性に対する身体的暴力は約40%増加したそうです。現在でもアフガン女性の約80%が家庭内暴力の犠牲になっているとのことです。また,ヨーロッパなどの外国から帰国した女性など文化的に保守的でない生活習慣を身につけた女性は,社会規範や宗教的規範を侵犯した者と受け止められ,さまざまな処罰にさらされ,場合によっては部族に恥をかかせた者として殺害される場合があると指摘しています。女性が教師や医師といった知的職業に就こうとすることすら,暴力を招くおそれがあるという現実があります。ところが難民申請するジャラさんを日本は強制送還しようとしています。もしジャラさんが送還されたらどうなるかは,明らかです。ジャラさんには保護してくれる家族もなく,婚家や周囲の保守的な人々からの「処罰」に直面することは明らかです。

c. キリスト者は何ができるか

 信心深いアフガニスタンの人々に対して,キリスト者はどう接するべきでしょうか。「正義を勝利に導くまで,彼は傷ついた葦を折らず,くすぶる灯心を消さない。」
(マタイ 12:20)と書かれていますように,病気,孤独,飢餓,空爆,自縛テロでおののいているアフガニスタンの民衆と共に,生きていくことができるのではありませんか。「また,群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て,打ちひしがれているのを見て,深く憐れまれた。」(同 9:36)。  「傷ついた葦」であるアフガニスタンの民衆に感情移入するばかりか,モノのゆとりからするのではなく,キリストの「小さな兄弟」たちに仕えることができます。識字率が低い人々に,神学で武装した宣教は無意味です。言葉によって理解する習慣のない人々に示すことができるのは,上から与えるという姿勢ではなく,むしろこちらが仕えていくスピリットです。十字軍のように勇ましい宣教師ではなく,感染性の高い病気で苦しんでいる人たちには高価な薬を届けてくれる人の方が喜ばれるのです。手ずから働き,自分で生活する,つまり自立できるようになるためにはどうすればよいか,一緒に生きながら,親切なサマリア人が介抱するだけでなく,ちゃんと宿に泊まり,食事も食べるように気遣いを示したようにすることです。イエスは言われました。「行って,あなたも同じようにしなさい。」。共生することによって,イエス・キリストが地上に来られた時,私たち人類に仕えられたように,私たちもキリストの宝を内にもつ生き様を示すことができるでしょう。

<結論> 西暦55年頃,パウロはエフェソで,偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされるような宣教はしませんでした。進軍ラッパでキリストの旗を掲げて,十字軍のように敵陣になだれ込んでいく宣教をしたのではありません。使徒 19節37節で,捕縛されたパウロたちについて,その地域の人々がパウロについて語っています。「諸君がここへ連れて来た者たちは,神殿を荒らしたのでも,我々の女神を冒涜したのでもない。」と民衆から弁護されています。私たちも,他の宗教に対して,独善的で排他的な態度をとるなら,アフガニスタンなどイスラム教圏の人々と平和な関係を築けないでしょう。友好的な相互理解があって,はじめて「いと高きところには栄光,神にあれ,地には平和,御心に適う人にあれ。」(ルカ 2:14)の恵みを味わうことができると信じます。