コラム

牧師の拙論 (4) 目次

牧師の拙論 (4) 

28.「岩村カヨ子 逝く」 2016年10月17日 神戸国際キリスト教会
27.「『ボランテイア・福祉・宗教』で対話集会」 2016年10月1日 キリスト新聞社 賀川記念館
26.「キリスト教とボランティア道」(英文付) 2016年5月1日 第26回宗教者災害支援連絡会(宗援連)東京大学本郷キャンパス Christianity and Volunteer-Do” 
25.「イスラーム教はテロではない―英国イスラーム教世界大会報告―(英文付) 2015年8月21日~23日 ロンドン Islamism is not Terrorism – the Report of the Islamist World Assembly in Britain –
24.「キリスト教と非戦 (英文付)  2015年4月18日 OCCカレッジ講義
英文 “Christianity and Pacifism”
23.「福音とは何か(英文付) 2014年9月21日 神戸国際キリスト教会 礼拝説教⇒ 垂水朝祷会What is the Gospel?
22.「フクシマ原発への共苦」 2014年9月8日 大阪朝祷会

※「牧師の拙論」(1) ~(11)
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             ⇒  「(9)目次
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             ⇒ 「(1)目次

 

“Christianity and Pacifism”

牧師の拙論 (3) 目次

牧師の拙論 (3) 

21.「士師記 & ルツ記」 『マナ』誌2013年10月号 いのちのことば社
20.「田・山・湾の復活」(英文付)宗教倫理学会 Religious Ethical Society 2013年8月27日  関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス 
Resurrection of Rice Field, Mountain, and Bay”
19.「大日本主義に抗い,教科書を守る」 2013年8月15日 「子どもと教科書全国ネット21」 
18.「『祈り』主似化」 2013年4月20日~2015年8月15日 垂水朝祷会
17.「船越小学校とともに」 2013年3月11日 『希望の灯』 船越小学校元教員一同
16.「障がいをお持ちの方との縁」 2012年10月8日,9日 兵庫キリスト教障害者共励会 ‘しあわせの村’
15.「日本の宗教風土とキリスト教」2012年7月17日 KBH

※「牧師の拙論」(1) ~(11)
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牧師の拙論 (2) 目次

牧師の拙論 (2) 

14.「日本戦争加害博物館を神戸に」(英文付) 2012年3月 みんなで考える9条・明舞の会  Intention of Setup of the War Archive Museum in Kobe
13.「東北の『田・山・湾の復活』」 2012年3月12日 神戸松蔭女子学院大学
12.「なぜ,今,みんなで死を考える」 2011年4月12日   みんなで「死」を考える会 神戸新聞会館
11.「アフガニスタンの人々と共に生きる」 2009年11月17日 KBH
10.「死刑は聖書的か」(英文付) 2009年5月24日 地球市民の会  神戸市立外国語大学Christianity and Death Penalty
9.「神戸事件とは? 日本でもあった戒厳令 1948年4月24日」 2009年4月24日 「みんなで考える“ヒューマン・ライツ”」実行委員会
8. 書評 『平和への祈り』 「本のひろば」(2008年12月号),『天国―帰るべきわが家』
7.「隣国に謝罪と補償をするのが和解の鍵」 2008年9月6日 日本軍「慰安婦」問題をみんなで考える集会 松ヶ丘ビル大会議室

※「牧師の拙論」(1) ~(11)
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牧師の拙論 (1) 目次

牧師の拙論 (1) 

6.「Blessed are they that have not seen, and yet have believed. 2007年11月6日 CGNテレビ
5.「賀川豊彦献身100年記念神戸プロジェクト」 2007年4月28日
4.「憲法9条についての発題」 2006年2月25日 みんなで考える9条・明舞の会
 3.「クリスマスをなぜ祝うのか」 2005年12月1日号 『きぼう』誌
2.「拉致問題の解決にはどうするか」 2005年5月1日 横田早紀江さんを励ます集い 日本基督教団神戸栄光教会
1.「戦時下のキリスト教」(英文付) 2001年  『神戸と聖書』編集委員会 神戸新聞総合出版センター2001年 209-212頁 Christianity under the War time

「牧師の拙論」(1) ~(11)
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石の叫びに敏感であろう“Be sensitive to the cry of stone”(英文付) 

「石の叫びに敏感であろう」“Be Sensitive to the Cry of the Stone”  Miyagigakuin Women’s University  June 14th, 2017

 宮城学院女子大学・大学院 2017年度キリスト教教育特別集会
 2017年6月14日(水) 午後1時~2時半
 講 師 : 岩村義雄 神戸国際キリスト教会牧師

完全原稿 ⇒ 石の叫びに敏感であろ出典各頁b
      「石の叫びに敏感であろう」出典最後

英文完全原稿 Complete manuscript of English ⇒ Be sensitive to the cry of stone

プロジェクター 一覧 PowerPoint 資料

宮城学院女子大学 2017年6月14日 Pastor Yoshio Iwamura
宮城学院女子大学聴衆 780名 Pastor Yoshio Iwamura

主題聖句: 『ルカ 19章40節』イエスはお答えになった。「言っておくが,もしこの人たちが黙れば,石が叫びだす。」

目次 (1) 無関心 out-of-touch   stand apart

a. 無関心という「石」の心

  • 有神論世界観                 3
  • 人間の脳が創り出した妄想           4
  • ゲーデルの不完全性定理            4
  • 無神論                    4
  • 愛が冷えた時代4
  • 尼崎連続殺人事件 4
  • 無関心型か束縛型か 5

c. キリスト教会の愛は深いか

  • 寄附文化5
  • 熊本・大分地震6

  (2) 疑う者は救われる

a. 二者択一への疑いから聖書観は始まる7

  • 警報を聞いても逃げない7
  • 2016年11月20日の警報7
  • 二元論8
  • 悪魔8
  • 二項式から三項へ9
  • 防潮堤10

b. 信じる者は救われない

  • 二心10
  • 指導者に服従10

c. 二者択一から第三の選択へ 筆者の聖書観

  • 正反合の弁証法11
  • 神と富のどちらに仕えるのか12
  • オレオレ詐欺13

(3) 石の叫びに対して,「しゃべくりより実践」

a. 石の叫び13

  • 信仰義認13
  • 藁の書簡13
  • モーセの謙遜14
  • 神の選び14
  • バヌアツ14
  • 貧困15
  • イタリア中部アマトリーチェ15
  • ラクイラ地震への安全宣言 有罪実刑16
  • フクシマ原発の安全神話16
  • 山下俊一16
  • 第1次ベトナム・水害ボランティア16
  • 神の選びは石の叫びに敏感な者17
  • イエスは「柔和」か17
  • 新約と旧約17
  • イエスの復元図17
  • 本田哲郎17
  • 炊き出し18
  • マザー・テレサ18
  • 路上生活者の三重苦18
  • カン拾い18

c. 石の叫びに敏感な生き様

  • 共苦19
  • 宗教と暴力19
  • ディーセンシィー19
  • ナガサキの原子爆弾20
  • 共生,共苦,苦縁20

<序>
「石」とはどんなものですか。みなさん親御さんやどなたからかちゃんと説明を聞かれたので「石」についておわかりですか。砂,岩,土と同じでしょうか。お友だちや,家族のだれかから「石」と言われて,なんとなく石というものについて,人にも伝えることがおできになっています。しかし,“「石」とはなんぞや”と改まって聞かれると,「砂利」「棒きれ」「身体にできる結石」「岩」との違いを即座に説明してみろと言われてもなかなかできませんでしょう。
子どもの時からきれいな石,変わった模様の石,珍しい色の石があるとすぐにポケットに入れました。ですから母親からよく叱られました。なぜならポケットに穴があきます。ポケットにしまいこんだはずのものをすぐにどこかで落としてしまうからです。結婚しても,そのくせはなくならず,おそろいのスーツのポケットもすぐに穴が開いてしまい,家内が繕わねばならず苦労をかけました。見知らぬ土地に行っても,道にころがっている石に目が向きます。東北ボランティアに来て驚いたことがあります。関西と東北ではお墓がまったく違うからです。最初,渡波(わたのは)が車も通れないほどの被害を受けていたところにさしかかりましたとき,佐藤金一郎さん(75歳)という地元の方に,2011年3月21日,高台に案内していただきました。洞源院というところでした。墓石の色が真っ黒なんです。玄武岩だからです。近畿地方,中国地方は御影石が多く,地面も白っぽいのです1)

石巻市南浜町 2017年6月19日

2011年,東日本大震災により未曾有のおびただしい犠牲がもたらされました。神戸国際支縁機構は阪神間から学生たちも含めて宮城県石巻市渡波を毎月のように訪問しています。今度の日曜日(2017年6月18日),第75次東北ボランティアも神戸から向かいます。先月は田植えをしました2)

画像 田植え

『牡鹿新聞』(2017年5月26日付)
『石巻日日新聞』(2017年6月2日付)
6回目田植え 2017年5月23日 Pastor Yoshio Iwamura

震災直後は,津波で流されてきた石,自動車,家,船などのがれきを田んぼから取り除く作業から始めさせていただきました。まったく農業を経験したことのない若者たちは神戸で,「Let’s 農林漁」という講座で日本有機農業学会会長の保田 茂先生から無農薬,有機のおいしい米づくりなどを学び出すようになりました。神戸市西区でも若者たちが土と格闘しながら,新鮮な野菜も栽培しています。
3日前,筆者はいつものように格安の飛行機で,イタリアの地震被災地から帰って来ました。

宿泊は寝袋で空港のフロア Pastor Yoshio Iwamura

今日は,「石の叫び」に耳を傾けるという主題ですが,石は叫ぶのでしょうか。ご一緒に考えてみたいと思います。
完全原稿です。文章にする際は,「私」はすべて「筆者」に変えています。

(1) 無関心 out-of-touch   stand apart
 a. 無関心という「石」の心
「わたしは彼らに一つの心を与え,彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き,肉の心を与える」の言葉にありますように,筆者の心はいつも「石の心」(ヘブライ語レヴ ハエーヴェン)でした(エゼキエル 11:19)。ローマ・カトリック教会三代目で育ちながらも,キリスト教会に歯向かうために情熱をもって過ごした13年間はまさに「石の心」でした。神戸の最も西,明石市にまたがる明舞団地のある地域で,教会をつぶそうと情熱をもっていた罪人の頭のときがありました。先月,5月26日,「阪神宗教者の会」の帰りに,親しい赤川祥夫牧師(日本基督教団岡本教会)から,「そこに今でも教会が残っていれば引っ越しして,そこで牧会をしたいものだけれど」,とぐさっと言われました。もちろん冗談が半分入っています。
みなさん,神はいますか。無神論者ですか,それとも有神論者ですか。ではどなたか,神は存在すると証明できますか。風は目に見えません。葉っぱが揺れているから風があるように,造られたものを通して,知ることができます,とかつては無神論者に帰納的(ア・ポステリオリ)に狂信的に語って,自己満足していました。「ローマの信徒への手紙」1章20節に,「世界が造られたときから,目に見えない神の性質,つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており,これを通して神を知ることができます。従って,彼らには弁解の余地がありません」とあります。神戸改革派神学校で聴講する筆者に哲学を教えてくださった春名純人名誉教授は,自然の世界には自然法則があり,精神の世界には規範があることから,神は今もこの創造の法を通して世界を摂理的に統治しておられる,と有神論的世界観を説かれました3)。狂信,盲信,軽信から脱皮するように哲学的思惟に目が開かれました。
神が存在するなんて言っても“人間の脳が創り出した妄想”に過ぎない,と脳科学者の茂木健一郎[もぎ 1962-]先生や, 2012年に一般財団法人苫米地国際食糧支援機構を設立した苫米地英人[とまべち 1959-]先生は言われました4)。一方,数学者クルト・ゲーデル[1906-1978]は「もし必然的存在の概念が無矛盾であれば,それを成立させる対象が存在するはずだ」と神の存在を“不完全性定理”という理論でだれも否定できない論理で証明しました5)。近代科学の父と言われるアイザック・ニュートン[1642-1727]は,神の存在を証明する方程式を作ろうと試みましたが,できませんでした。されどゲーデルはやりとげました。
画像 クルト・ゲーデルの存在論的証明 5)

無神論に 対して数式をもって 神存在を 証明。

みなさんは,神存在について,筆者と同じ昆虫好きの茂木先生や,脳機能学の苫米地先生が言われるように脳が神をつくり出したという説と,不完全性定理のゲーデル博士のどちらがうけいれやすいですか。
さて,筆者自身はいろいろなところで,茂木先生と同じように「無神論者です」と言うことにしています。生物学者であり『神は妄想である―宗教との決別』を2007年以降,ベストセラーになりましたリチャード・ドーキンス博士と同じ斬り込みです。筆者とドーキンスの類似点は9・11テロを契機として生き方の転換点としていることです6)。ただし動機が異なります。東北ボランティアに参加した学生たちの中で,筆者が牧師だとわかっているメンバーは「そんなこと言っていいのですか」,とけげんな顔をして筆者を見つめます。「神を知らぬ者は心に言う」という「神を知らぬ者」(ヘブライ語 ナーヴァル「愚か者」の意『新改訳』)みたいでしょう(詩編 14:1)。無神論者は,うなじが固く,石の心のように一義的な見方をする人間の特長です。つまり聖書によると無神論者は「愚か者」です。しかし,筆者は,神は存在するか,存在しないかを論じることは立場によって平行線になると思っています。無神論者にいくらていねいに,またある場合,脅迫的によって信じさせようとしても徒労に帰することを何度も経験してきました。ですからこう答えるようにしています。たとえば,ここにコップがあります。ここの教室にいない人にとって,筆者が「コップがあります」と言っても,見えませんから,本当かどうか確信できません。共産主義を理想とする方にとり,宗教はアヘンです。宗教者が演繹的に神はおられるんだという大上段からの斬り込みをしても納得されません。コップがあるかないかのように,見ていない人にとっては,コップは存在していません。神も存在していないのです。しかし,筆者はこう述べることにしています。“確かに神は存在しませんね。ここにあるコップも,机も,すべてのものを存在なさしめる方がいることを筆者は信じています”,と答えますと,学生たちも,「なるほど」,と反応します。
では,あなたの心は「石」のように固いですか,それとも「肉」のようにやわらかいですか。

 b. 愛が冷えた時代
「不法がはびこるので,多くの人の愛が冷える」(マタイ 24:12)。「また,情けを知らず heartless」[ ストルゲー〈自然の情愛を欠く,愛情のない,無情な〉の意]がはびこる時代です7)。主犯格の女性(当時62歳)は兵庫県尼崎市で起きた連続殺人事件では情愛がない非道な犯行に及びました8)。哲学者ハンナ・アーレント[1906-1975]は現代を「暗い時代」(ブレヒト)と言います。「そうした時代に生き,教育を受けた人々は,恐らくつねに世界とその公的領域にあまり関心を持たず,できる限りそれらを無視しようとする」,と9)

見ざる,言わざる,聞かざる

強さと自己責任を要求する現代の日本社会では,弱い人や貧しい人に対する無関心の空気が形成されています。無関心は愛の反対語です。私たちは今,そういう意味での愛が冷えた時代を生きています。愛の反対は,憎む対象にすらならない無関心なのです。
画像 熊本・大分地震 季刊誌『支縁』No.18(2頁 神戸国際支縁機構発行 2017年2月)。

季刊誌『支縁』No.18(2頁 神戸国際支縁機構発行 2017年2月)

皆さま方聴衆には女性が圧倒的多いようです。身近なことをお尋ねします。もしボーイフレンドや恋人,結婚相手を選ぶとしたら,どちらをお望みですか。あなたに対して放任主義といいますか,「無関心型」か,それともあなたのことが気になって仕方がない「束縛型」か。

無関心型か束縛型

日本でアンケートをとってみますと,男女ともに「無関心型」を選んだ人が過半数を超えました。男性の56.8%に対し,女性の方が63.2%とやや高めの結果となりました10)。「無関心型」を選んだ女性は「自由な時間が欲しい」,「自分らしくいられる」といった声が多数。働く女性が以前より増えたせいか,個人を尊重してくれる男性に好感を抱く女性が多いのかもしれません。マックス・ピカート[1888-1963]は,「愛のなかには言葉よりも多くの沈黙が含まれている」と言いました。しかし,ピカートは「言葉がはじめて,愛を限界づけられたもの,明瞭なものにするのである。そして,愛に対して,愛にふさわしいものを与えるのだ。言葉によってはじめて,愛は具体的なものとなる,(中略)言葉によってはじめて,愛は真理のうえに据えられるのである」,とも述べています11)
日本全体が「無関心」であってもいいという風潮を受け入れるエートスがあることを認識させられるひとつの断面図をみてみました。
主イエス・キリストは,「二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが,その一羽さえ,あなたがたの父のお許しがなければ,地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから,恐れるな。あなたがたは,たくさんの雀よりもはるかにまさっている」,と言われました(マタイ 20:29-31)。
人間側の方で愛が冷えていても,人間に関心をもつ方がおられて,人間を「愛する」方であるなら,キリスト教会も隣人を「愛する」存在となっているでしょうか。

 c. キリスト教会の愛は深いか
筆者は今でこそ神戸国際キリスト教会の牧師をさせていただいており,こうしてキリスト教会の牧師として講壇から語るようになっています。しかし,かつては教会荒らしのひどい輩であることをさきほど述べました。エホバの証人は,千年王国がすぐにでも到来するかのように,仕事を転職し,家から家へ戸別伝道を優先するようにしています。「家ごとに」(ギリシア語 カト オイコン)を「家から家へ」と曲解して戸別訪問をすすめます(使徒 2:46,5:42,20:20)。

岩村カヨ子 家族で伝道場面 Kayoko Iwamura

もうすぐ,キリストが治める王国が来るのだから,今の世の中が魅力あるように思わせるボランティアなどもってのほかでした。なぜなら証人はハルマゲドン以降の地上の楽園を待ち望むからです。現世をよくする運動はサタンを喜ばせる罠だと思い込んでいます。自然災害などで被害があっても自分たちだけの王国会館や信者の生活に惜しみない支援をしています。相互扶助の精神はしっかりしています。しかし,他者には無関心なのです。
一方,キリスト教会は世に仕えています。今回,ここ宮城学院女子大学で話す機会が与えられたことを聞かれたおひとりの先生は,神戸国際支縁機構の存在,活動を調べて,維持会費をすぐに振り込んでくださいました。寄附文化のない国で,迅速な対応に頭が下がります。松尾芭蕉[1644-1694]は,1694年,大阪で「秋深き隣は何をするひとぞ」,と詠みました。日本人の他者にあまり関わらない風潮があることも事実です。ご近所,同じ集落,コミュニティに関心をもつ日本に変える必要があると思われていることでしょう。変革の原動力はキリスト教会のもつ使命のひとつとみなさんは考えておられ,行動なさっておられると信じます。寄附文化がないと言われる日本でも,キリスト教会など宗教界は積極的に寄附する点で際立っています。日本1世帯当たり年平均の寄付額は2013年が約2400円。調査対象の年に寄付をした個人は英米ともに全体の6割弱で日本は3割弱です。寄付をした人の平均額は米国が約17万円,英国が約4万円,日本は約1万4千円(震災関連を除く)と金額にも開きがありました。日本でも2012年の個人寄附の分野別割合のトップは,宗教が33%です。緊急災害支援の9.6%をはるかに上回っています12)
こういう場面を想像してみてください。あなたがその場にいます。目の前の池で溺れている人がいます。ばたばたしています。どんどん沈んでいきます。お会いしたこともない方です。どうなさいますか。「助けてくれ!」と叫ばなかったから,自分は何もしなかったと後でおっしゃいますか。自分がかなづちであっても,だれかを呼ぶとか,棒きれでも放り込むとか,必死で行動なさるでしょうか。
それともただ見ているだけですか。それとも知らんぷりをしてその場をそそくさと立ち去りますか。震災で親を亡くした子どもたち,仮設住宅で貯金もほとんどなく,新しい家に移り住みたくてもとても毎月5万円近くの家賃も払えない人たち,独居で,頼る隣人がいない人たちは,ここ宮城県だけでなく,熊本県,大分県でもおられます。ちなみに熊本県益城町では昨年の4月14日以降,37人(直接死20人,震災関連死17人)がなくなっています。西原町では8人(直接死5人,震災関連死3人)が亡くなられています。直接命をついえた数より,その後,生きていくことが出来なくなっている数が増えている現実をどうお考えになられますか13)

 (2) 疑う者は救われる
 a. 二者択一への疑いから聖書観は始まる
神戸国際大学の近藤剛教授は,日本聖書協会主催の「聖書セミナー」で神学者パウル・ティリッヒ[1886-1965]の「懐疑の義認」について語られました。「信仰は懐疑の『否』と懐疑の不安を除去しない」と言われました。人間が持ち合わせている本質的な疑い,「こんなに悪が許されているのに,神はいるのか」などの「疑い」についてティリッヒは「懐疑者の義認」と考えたとのことです。「疑う」者も罪人と同じように義とされる(Rechtfertigung des Zweiflers)と解釈したのです14)。筆者は「疑い」の発露が良心に基づくか,悪意に基づくかによって,ふるわれると考えます。イエスは「信仰の薄い者よ,なぜ疑ったのか」,と弟子たちに叱られる場合もあったからです(マタイ 14:31)。
共謀罪が今週中に成立しそうな気配です。誰に対しても「疑い」の目でテロリスト予備軍として捜査対象にすれば日本は救われるなどと言う視点は倒錯行為です。
2016年11月19日,筆者たちは第69次東北ボランティアの際,いつもと異なり,空手道場に寝袋を敷いて寝ないで,駐車場で休んでいました。早朝5時46分,10人乗りハイエースが揺れ出したのです。暗い朝,コンビニの店員たちが血相を変えて,駐車場に飛び出してきました。
2011年3月21日に,石巻専修大学に物資を運んでいた時,余震で山鳴りがしていました。スタッフたちは相撲力士たちのように蹲踞(そんきょ)の格好で踏ん張っていました15)。眠っていた村上裕隆君をたたき起こして,「津波だ」とすぐにラジオのスイッチを入れました。すると宮城県沿岸に津波注意報が出ています。車いすを積んでいるので,石巻市で一番被害の出た渡波に行くために出かけました。10人乗りハイエースは車いすもあり,独居で身動きができない高齢者に役立てばと考えたのです。
東日本大震災時,渡波は約2万1千人の人口の内,90%が避難しましたが,約600名が津波にのまれました。行方不明者数は正確にはだれもわかっていません。その時,約5年と3ヶ月前のことです。雪の降る寒い中,四方から襲う津波の道を目撃していました。一回沖へ引き戻したら,また家,船,水産の工場をバキバキと轟音を立てながら,繰り返し,すべてを飲み尽くす黒い波。生き残った住民は,夜寝静まった時,聞こえてくる波の音にトラウマがあります。「夜,海の音さ,聞くとおっかなくちゃ,眠れねぇべー」という証言を傾聴ボランティアで何度も聞きました。
その朝,道路はまだ渋滞はなく,平素30分以上かかる最大の犠牲者が出た海岸まで10分で到着しました。周囲は明るくなっています。ほぼ毎月通っている渡波3丁目はただならぬ雰囲気です。「海から離れてください」と津波避難注意報が沿岸区域に繰り返し流れています。午前7時4分。石巻市牡鹿半島の鮎川,津波30㎝。「高波注意」と「津波注意」は根本的に異なります。海上が波浪のための高波とは異なり,津波は海の底からすべてを呑み込んで上陸します。1960年のチリ地震[1960年5月]は,東京の築地に22時間59分後に上陸しました。一日,24時間で津波はチリから東京の築地に到達しました。新幹線より速い時速750キロということになります。自動車でも逃げ切れません。近くに気付いた時にはもう逃げ切れません。車の中ですと,水圧のため脱出ができません。2011年,東日本大震災の最大の被災地は宮城県石巻市渡波と筆者は確信しています。なぜなら東北三県で面積当たり最も犠牲者が多く出た渡波の松原町などを含んでいるからです。遡上高[そじょうこう] 海岸から進入してきた津波が,陸上を這(は)い上がった最高地点の高さについてもあなどれません。一般に言われている岩手県宮古市が最高ではない。宮城県石巻市の笠貝島(無人島)が最大43.3メートルです16)
「津波が来ます。皆さん避難してください」と大音量なのと対照的に渡波はひっそりしています。機構が被災地にいることを知ったメディアから問い合わせが来ます。

画像 17)『神戸新聞』夕刊(2016年11月20日付)。

『神戸新聞』夕刊(2016年11月20日付)

漁ボランティアで仕えた牡蠣(かき)の工場の漁師達は殺気立っています。「あおら,あそこの杭,いぎなし いずい(なんか変)」「おっかね。おどげでねぇ。しぇんしぇ わらわんどここから出て行けっちゃ」と語気強くいわれました。「んだねぇ」,と答えます。息をはずませて漁ボランティアで仕えた漁場に来たものの肩すかしです。逃げようとしない住民たちがいたのです。
午前8時21分。宮城県石巻市渡波,津波注意報から「津波警報」に変更。海の潮の流れが速くなっています。津波の影響で養殖の杭が沈みだしました。尋常でない空気が海の男たちの顔の眉間に緊張が走っています。「海から離れてください」から「沿岸部から離れよ」にアナウンスの調子が変わりました。

画像 『石巻かほく』(2017年3月8日付)18)

『石巻かほく』(2017年3月8日付)

2016年11月20日,石巻市沿岸部の人々は逃げようとしませんでした。なぜ逃げませんでしたか。ひとつに,自分は大丈夫だと変な過信があります。自然災害の時,「自分ごと」だと危険を察知し,逃げねばなりません。ところがニュースなどの情報を聞いて,専門家の分析を聞いてから行動しようとします。“怖いのはパニックではなく,パニックを恐れる人たちが引き起こす情報隠し”です19)。政治家,専門家はパニックに陥らないために,危険な真実を住民に伝えなかったという教訓をフクシマのメルトダウン隠しからも肝に銘じておくべきです。二番目に,災害時は「空気を読まない」「忖度 Emppathic Understanding (共感的な理解)しない」姿勢が生死を決します。周りの人に同調しすぎて逃げ遅れてしまうからです20)。筆者は,もうひとつの理由をあげたいです。三番目に,もう逃げることよりも,「諦観」(たいかん)=「あきらめ」の空気を吐き出さねばならないことです。あの時,助かったのは運がよかったと,当初思っていても,自分だけが生き残ったことに自責の念があるのでしょうか。震災後,家には非常時の防災キットも備えられていますが,生きるか死ぬかは個人の努力でもどうすることもできないという悟りきった境地です。生き延びてもいいし,もう死んでもいいというあきらめです。たとえ生き残っても,3.11で死んだ友と比較して「よく生きた」からという満足感があります。一方,たとえ死んでも,「もうこれ以上楽しい人生はないっべ」とあきらめがあります。「生きるか,死ぬか」のどちらがよいか,二つにひとつを迫る立場にいることを想像してみてください。せっかく生き延びる機会があるにもかかわらず,ふたつにひとつの選択では実行力に乏しくなります。

「もしハイエースに乗ればいのちは助かります」は,逆は「もしハイエースに乗らなければ,いのちはありません」という例を考えましょう。ちなみに,説得とは,相手のアイデアを壊すところから始めなければなりません21)
答えは二者択一ではないのです。「いのちはハイエースに乗れば助かります」とは必ずしも言い切れないのです。ハイエースに乗ることによって,渋滞に巻きこまれていのちを失う可能性もあるのです。AかBの二元論で考える習慣では急場を乗り越えられません22)。黒か白,陰か陽,光か闇,神かサタンかといった二元論の選びでは諦観の日本人は決断できないのです。
「自分で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのが,ふさわしいかどうか」の「判断する」(ギリシア語 クリノーはa reasoned statement or augument〈識別する〉の意]です(Ⅰコリント 11:13)。「クリノー」は『新改訳』フィリピ 1章9節で,「わたしは,こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて[識別力によって『新改訳』],あなたがたの愛がますます豊かになり」,と訳されています。文脈の16節には,聖書のものの見方,考え方,発想は「二元論ではないことがよくわかります。「一方は,わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って,愛の動機からそうするのですが」,と二者択一のどちらかという一義的な視座を否定されています。つまり聖書的思考とはAもBも両方を「疑う」から出発します。
どちらを選択するのかという揺れは悪魔からもたらされます。悪魔は外から迫害によって脅し,誘惑によって人を惑わす存在だと思っているキリスト者を問わず,多いでしょう。悪魔はギリシア語でディアボロス[英語デビルの語源]です。ディアボロスは前置詞の  ディア〈二つ〉+ バロー〈ぶつかる,突進する〉の合成語です。
悪魔,つまりサタンは特定の場所から人間に働きかけるのでしょうか。角を生やし,黒いマントを着て,しっぽがある姿を連想する人々もいます。ペルガモンには「サタンの王座がある」とは特定の場所から影響力があるにちがいないと考える人もいます(黙示録 2:13)。しかし,サタンは,「この世の神」とパウロが述べるように,いかなる場所,状況,時間において「人々の心の目をくらましトュフロー〈思いをくらまし『口語訳』〉),神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないように」しているのです(Ⅱコリント 4:4)。したがって,特定の場所から見張っているのではありません。むしろ私たちの心の中で,AとBの相反する考えが「ぶつかる」状態こそ悪魔が暗躍していることに気づかねばなりません。青酸カリの入った飲物を人から勧められた時,「飲むか」それとも「飲まないか」について,まったく疑わずに,飲み干したら危険です。
だからこそ,AとBの両方を疑うことからキリスト者は自問します。「人間より神に従わねばならない」場面において,「人間」と「神」の二項を天秤にかけることはしません。日本基督教学会の水垣渉元理事長は,“初めは二つだけから成り立っていたように見えた関係の中から,第三の最も重要なものが生じました。二項関係は三項関係になるべくしてなったのです。救いの歴史は,創造の二項関係からイエス・キリストが中心になる三項関係へと発展していく歴史になります。それは「救済史」と呼ばれます”,と論じられます。水垣先生はセーレン・キェルケゴール[1813-1855] の「関係がそれ自身に関係する」こそが聖書の基本的な考え方を簡潔に哲学的に表現したと説かれました。マルコ 10章6節に,「神は人を男と女とにお造りになった」に「男」と「女」が出てきます。文脈の9節には,「神が結び合わせてくださったものを,人は離してはならない」に「結び合わせる」(スズューグヌミ〈スン「共に」+ ズューグヌミ「繋ぐ」〉)とは「同じくびき[ズューゴス]につなぐ」の意味になります。神は男と女を創造されただけでなく,同時に両者の間にくびき,きずなという関係をも創造されたのです。東洋的な「縁」です23)。したがって,ボランティア道は二項の選択から第三の選択肢である垂直の介入の力学が働きます24)。青酸カリの入ったジュースを勧められるとき,第三の選択肢とは何でしょうか。無二の親友,忠実な部下,信頼できる家族であったとしても,「人間に頼るのをやめよ 鼻で息をしているだけの者に。どこに彼の値打ちがあるのか」,という冷徹な判断を求められます(イザヤ 2:22)。人に後ろ指を指されるような生き方をしてこなかっと自負するなら,自己を「疑う」資質について未熟なのです。自己義を誇ってはならないのです。「汝自身を知れ」,とソクラテス[紀元前469頃-399]が問う心的契機に無辜すぎるのです。たとえば,筆者が大きなカバンを携えて,JR朝霧駅のプラットホームに立つとしましょう。黄色の線があり,線路側には身を乗り出さないように安全を考えます。一番前に並び,カバンだけをすこし黄色のラインより電車側に近づけて置きます。そこへ身なりのよい女性がさっさと歩いて,プラットホームの線路側を通り過ぎようとします。彼女は内心,こんなところにカバンなんか置いて邪魔じゃないの,と目が語っています。筆者はだれも歩いたりしないゾーンだから大丈夫と思い込んでいます。双方共に自分は義[正しい]と思い込んでいます。「無知な者は自分の道を正しいと見なす。知恵ある人は勧めに聞き従う」,と箴言にあるとおりです(箴言 12:15)。自分は「正しい」( ヤシャール〈平らな,正しい,正直な,実直な,まっすぐな〉の意)と信じきっています。このように自己義は洋の東西を問わず,だれしもが思う事柄です。人それぞれ複数の正義があるのです。そこで自分はグラスを手渡す人を裏切ったことはないだろうか,人生の闇,地獄を見せるように仕向けたことはなかったか,恨み辛みを与えたことはないか,という自己に対するクリティック[批判,疑い,総括]を瞬時にする冷静さです。『我と汝・対話』の著者マルティン・ブーバー[1878-1965]が,「初めに関係があって私という存在をつくっているとするもので,関係を大切にした自己だ」があってこそ,差し出された杯を平安のうちに口に含むことができます。「というのは,神の言葉は生きており,力を発揮し,どんな両刃の剣よりも鋭く,精神と霊,関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して,心の思いや考えを見分けることができるからです」の「精神と霊,関節と骨髄」に神が  ディイクネオマイ「貫いて入る,刺し通す」,つまり垂直的に「介入」(ドイツ語 eingreifen)してくださるのです(へブライ 4:12)。つまり, エンスーメースィス〈感情の起伏がある心情〉と  エンノーイア〈理性による智〉の二極の揺れに惑わされない判別 クリティコス〈見分ける,識別する能力〉を発揮できるのです。“智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。”,と夏目漱石[1867-1916]が『草枕』と述べる葛藤から解放され,勝利することができるのです。したがって,三項関係があってこそ,「疑いながら食べる人は,確信に基づいて行動していないので,罪に定められます。確信に基づいていないことは,すべて罪なのです」,と確信に基づいて行動することが可能になります(ローマ 14:23)。
宮城県石巻市渡波において,2016年11月22日10時53分「警戒」から「注意」に戻りました。“宮城県の注意警戒事項 東部では高波3メートルに注意”と危険姓が去り,筆者たちの緊張も和らぎました。
「防潮堤」について考えてみましょう。「防潮堤があればいのちは助かりますか」それとも「防潮堤がなければ死にますか」。
津波が岩手県宮古市田老町地区を襲う前,田老町は世界で最も津波から守られていると国の内外で有名でした。海外から視察,見学,研究者が訪れ,国,地元,工学者たちは胸を張って自慢していました。フクシマ原発と同じと同じように安心しきっていました。悲劇でした。逃げ遅れた住民は犠牲になられました。「防潮堤があったから死なれることになりました」。沖の津波も見えません。海岸に新幹線以上の速さで押し寄せる津波の音も聞こえません。なによりも「防潮堤があればいのちは助かる」を盲信していました25)

季刊誌『支縁』No.10(4頁 神戸国際支縁機構発行 2015年2月) Pastor Yoshio Iwamura

 b.「信じる者は救われません」
 聖書の次なる言葉をさんざん聞かされている信者はお気の毒としかいいようがありません。「いささかも疑わず,信仰をもって願いなさい。疑う者は,風に吹かれて揺れ動く海の波に似ています」(ヤコブ 1:6)。教会,神学校,教団,教派の組織の指導者が語ることに疑義を挟んではならないのです。万一の時も「神さまを信じていれば」,港の岸壁に停泊する大きな船も錨をおろします。台風,暴風雨,しけなどによって船自身が沖に流されてしまうことがないように,信者も固い信仰によって,自分たちの群れにつながっていなさいと聞かされます。文脈の8節で,ぶれやすい信仰は「心が定まらず,生き方全体に安定を欠く人です」と注意が喚起されています。『新改訳』では,「二心のある人」と訳しています。ディプシュコス「デュオ+  プシュケー〈どっちつかずの,ぐらついた〉」信仰などあってはいけないと教えられてきたのです。
たとえば,「ペトロとほかの使徒たちは答えた。『人間に従うよりも,神に従わなくてはなりません」(使徒 5:29)と。一方,宗教組織の中では,聖書の真理よりも,言われた通りに「人間に従う」者が忠実として誉められるのです。何も疑わない鳩のような純粋な信仰の信者ばかりだと霊的指導者はやりやすいのです。「筆者たちは,あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく,あなたがたの喜びのために働く協力者です」とたたみ込みます(Ⅱコリント 1:24)。そして,君臨しています「主人として支配する」[ギリシア語 キュリエウオー〈~を支配する〉]のです。位階制,求心力,教導権を握る指導者がいてはなりません。「この者どもは,心を一つにしており,自分たちの力と権威を獣にゆだねる」ように金太郎飴のような画一的な断面図を誇ります(黙示録 17:13)。トップダウンですから,即決で重要な案件も決まります。しかし,付いていってはならないのです。
聖書には,「指導者たちの言うことを聞き入れ,服従しなさい」(へブライ 13:17),と「服従」についても述べられています。文脈の7節に「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを,思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て,その信仰を見倣いなさい」の無批判の従順さは危険です。「彼らの生涯の終わりをしっかり見て,その信仰を見倣いなさい」の「終わり」[ギリシア語 エクバスィス〈結末〉の意]に倣うのであって,それは盲従ではありません。殉教を辞さない模範こそ「従う」生き方になります。歴史学者海老沢有道[1910-1992]はキリシタンがなぜ殉教をいとわなかったかについて注目しています。“構成員である信徒は,使徒・教父・証聖者らの教説・信仰,その生活態度に倣い,連綿と伝統・伝承を受け継ぎ,殉教者の血が奉教人の種子となって発展してきた超歴史的な公同の教会の一員であり,兄弟姉妹なのである”,と「生活態度,殉教者の血」が従う基準であることをつまびらかにしています26)

c. 二者択一から第三の選択へ 筆者の聖書観
 「神に従う」のか「目に見える『人』に従うかの選択をしません。どちらが正しいかではなく,第三の選択肢を選ばねばなりません。ヤコブ1章5節で,「願い求め」「ディアクリノー」〈吟味して判する〉姿勢こそが聖書的考え方になります27)。フィリピ 1章9節で,「わたしは,こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて[識別力によって『新改訳』],あなたがたの愛がますます豊かになり」,と二つの選択から,もっと鋭い聖書観を研ぎ澄ますのです。
文脈で,「一方は,わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って,愛の動機からそうするのですが」,と「弁明する」[ギリシア語 アポロギア〈言い開き,弁護〉考え方を身につけるように促されます(フィリピ 1:7,16)。「神」か「人間」かのどちらに従うかという二元論には落とし穴に陥る場合もあります。たとえば,ギリシア人も人間を「神」にしていました。日本も天皇制度によって現人「神」として戦時下,キリスト教会は 礼拝の中で君が代斉唱,宮城遥拝が行われました。従う対象を人間か神のどちらかと無思慮に判断をしてはなりません。どちらが正しいかではなく,何が正しいかを見抜くのです。哲学で言えば,正反合の弁証法的思惟が近道です。何が正しいか,「善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された,一人前の大人のためのものです」(へブライ 5:14)。AかBのどちらかを選択するように迫られた時,「見分ける感覚」(ギリシア語 エイスセーテーリオン〈知覚・感知する機能〉)があってはじめて「大人」[ギリシア語 テレイオス〈充分成長した,成人した,円熟の極に達した〉の意]の仲間入りができます。そのためには,AとBの両方を「疑う」力が必要です。すなわち正解はAでもなければ,Bでもない判断を瞬時にできる発想が求められます。次に,答えがAでもなければBでもないなら,何が答えですか。すべての存在を設計し,保持し,完成する超越論的存在の視座に周波数を合わせねばなりません。解釈上の混乱,聖書の不明,謎が出てきたら,当然設計者自身の説明が最終的な突破口となります。「どんな家でもだれかが造るわけです。万物を造られたのは神なのです」,という設計者のことばにより解釈するのです(へブライ 3:8)。つまり聖書は聖書によって解釈するしかありません。設計者を無視して,大工が設計図を調べずに体験,技術,勘で主張するように,釈義書,出版物,牧師に電話して説明してもらう行程はいりません。なぜなら設計者のことばはむずかしいものではないからです。「わたしが今日あなたに命じるこの戒めは難しすぎるものでもなく,遠く及ばぬものでもない」の「難しすぎる」(へブライ語al;P;パーラー〈驚異,難解,摩可不思議〉の意)ではないと設計者自身が保障しています(申命記 30:11)。そうであるにもかかわらず,人間である集団的指導者の群れはコンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]がキリスト教を国教にして以来,聖書がむずかしい書物だと思い込ませてしまったのです。聖書の理解は教義を定める教会の教導権抜きには勝手に判断してはいけなかったのです。チャンネル,教導権を有する司教職,教義・教理,統治体から教えをひもといてもらわないとわからないようにされてしまいました。「手引きしてくれる人がなければ,どうして分かりましょう」,と道案内がないと,説教者自身も確信をもって講壇から語れない有り様です(使徒 8:31)。キリストを信じる集まり「エクレーシア」を「教会」と称することからも,教会は神学論争,禅問答のようなむずかしい教えを説くイメージを与えてしまうようようになりました。しかし,使徒言行録 8章の文脈はイザヤ書のメシアとはだれか,つまり聖書全体の統一した主題はだれかについてフィリポはエチオピア人に示しているにすぎません。救い主について学校などに行って学ぶのではありません。聖書の勉強と言われたにもかかわらず,組織の取り決め,教会政治,伝道方法などを教え込まれます。「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて,聖書を研究している。ところが,聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに,あなたたちは,命を得るためにわたしのところへ来ようとしない」,とキリスト自身が痛烈に組織崇拝を批判されています(ヨハネ 5:39,40)。キリストは学習して学ぶのではありません。出会いです。「さあ,見に来てください」( デューテ イデテCome and see),とサマリアの女性は村の人々に言いました(ヨハネ 4:29)。キリストと出会えば,AかBの両方が答でないなら,何が正しいか,パラクレートスが導きます。「いつもあなたがたの内には,御子から注がれた油がありますから,だれからも教えを受ける必要がありません」(ギリシア語cri,wクリオーの名詞形〈イエスを信じる者に神の霊を与える〉Ⅱコリント 1:21参照)( Ⅰヨハネ 2:27)。

では,ここでご一緒に考えたどちらが正しいかではなく,第三の選択肢を選ぶ考え方ができたかどうか,試験をさせていただきます。

今から,聖書の一箇所をお読みします。イエスの教えに対して,みなさんはどちらに従われますか。
「どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか,一方に親しんで他方を軽んじるか,どちらかである。あなたがたは,神と富とに仕えることはできない」(ルカ 16:13,マタイ 6:24)。
聴衆のみなさんは,「信じる者は救われない」と聞かれて,どのように判断するか,思索なさったことと信じます。では,皆さんは,「神」と「富」のどちらに仕えられますか。
もしここで,どなたかが岩村と同じように,「富」「酒」「女」とは縁もなく生きていこうとなさいますか。「神」だけに仕えますと即答なさるとすると,国の内外で,弱者に仕えるボランティア道を共に連帯することはできなくなります。
お金は貪欲に求められる世の神さまです。チャリンの前にはだれでもひざまづきます。キリスト者は二元論で,霊的なことは良いが,富は悪と考える傾向があります。聖大アントニオス[251頃-356]の頃から修道士生活が始まります。中世になると,「キリスト教は……人と自然の二元論をうちたてただけではなく,人が自分のために自然を搾取することが神の意志であると主張した」と自然をこわしてきた,と歴史学者のリン・ホワイト[1907-1987]はキリスト教を批判します28)
物質,富,財産は貪欲のとりこになるから徹底的に拒否する姿勢が修道士の生き方です。しかし,二元論ではなく,平衡の取れた見方をしていないと仙人の生活を求められてしまいます。
「むなしいもの 偽りの言葉を わたしから遠ざけてください。貧しくもせず,金持ちにもせず わたしのために定められたパンで わたしを養ってください」のように「貧しくもせず」という道を願う方が聖書的であります(箴言 30:8)。
文脈から判断することは有益です。「そこで,わたしは言っておくが,不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば,金がなくなったとき,あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」には「不正にまみれた富で友達を作りなさい」と富の奴隷となるのではなく,神からの祝福である「富」(mamwna/j マモナ アラム語から派生)を有効に用いることができます(ルカ 16:9)。マモニズム(金銭至上主義)に陥らず,ql,xeヘッレク〈分け前,受ける自分の分,報い〉で満足するのです(コヘレト 4:9,9:9,Ⅰテモテ 6:6,8 『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』にある「少欲知足(欲を少なくして足ることを知る)」も聖書と共通しています29)
大学を卒業なさっても,生活のあらゆる場で引き続き訓練なさってください。オレオレ詐欺にもひっかかりません。信じますか。つまり,騙す側だけを疑うのではありません。騙される自分をも疑う冷静さを絶えず培ってください。たとえば,試験の時,自分の答案用紙は正しいと思ってすぐに出したりはしませんね。「どこか間違っているにちがいない」と,何度も疑ってかかる姿勢が求められます。今日,みなさんにお配りしようとする筆者の完全原稿も客観的に見直す,時間をおいて読み直すとまちがいがいくらでも出てくるものです。「疑う」者は救われるのです。大学受験もそうですね。受験生の答案の平均点数はさほど変わりません。10点,15点のちがいで合否が決まります。ケアレスミスをなくすために自分を疑う力が必要です。「愚かな者としてではなく,賢い者として,細かく気を配って歩みなさい」の「細かく気を配って」(avkribw/jアクリボース「〈厳密に( 綿密に,注意深く)の意〉」の注意深さを求められます(エフェソス 5:15)。「ここのユダヤ人たちは,テサロニケのユダヤ人よりも素直で,非常に熱心に御言葉を受け入れ,そのとおりかどうか,毎日,聖書を調べていた」,とたといパウロが講壇から語ったことであっても,「調べる]( avnakri,nwアナクリノー 〈問いただす,吟味する,精査する,《批判の対象にして》評価を下す〉)のです。ベレアのキリスト者は徹底して吟味したのです(使徒 17:11)。パウロだからと言って,うのみにはしませんでした 。
神も仏もない時代に,「神さまはおられるなら,あんなテロによってシリアなどの子どもたちは悲惨な憂き目に遭わなくてすむはずだ」という「疑い」があってこそ,はじめて神に挑戦するのです。無関心ならばいつまでたっても,キリストとの出会いはありませんでしょう。

(3) 石の叫びに対して,「しゃべくりより実践」
 a. 石の叫び
宗教改革者マルティン・ルター[1483-1546]の生誕500年を祝う記念行事があちらこちらで見受けられます。プロテスタント教会では,「ヤコブの手紙」はほとんど取り上げられません。信仰義認が強調されているからです30)
ルターはパウロの正統的信仰を損なう「藁(わら)の書簡」と揶揄し,「読む価値なし」と退けました31)。ヤコブ 2章2~4節 「あなたがたの集まりに,金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来,また,汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。その立派な身なりの人に特別に目を留めて,『あなたは,こちらの席にお掛けください』と言い,貧しい人には,『あなたは,そこに立っているか,わたしの足もとに座るかしていなさい』と言うなら,あなたがたは,自分たちの中で差別をし,誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか」,と。
日本聖書協会発行の“SOWER”誌でもとりあげられた岩井健作牧師は,「信仰義認」を教義として固定化した福音主義神学の在り方への批判をされました(クリノー)32)。ルター生誕500年祭の今こそ,藁書簡がいいのか,わるいのかという二元論から脱却する時です。「信仰」と「行い」,「律法」と「福音」,「旧約」と「新約」のどちらがふさわしいかという問いに対しても第三の選択肢を洞察する円熟さが伴うように願いたいものです。新約聖書学者の田川建三先生[1935-]は,“信仰義認をふりまわして実践を鼻であしらい,「主よ,主よ」とやたらと敬虔ぶって叫んで「信仰告白」に固執するけれども,実際には「不法を『行なう者』でしかない”と手厳しく福音主義を裁いています(クリノー)33)
「貧しい人」(ギリシア語ptwco,jプトーコス〈語源ptwvsswプトーススオー 恐れてちぢこまる〉「乞食のような,窮乏している,困窮している,貧弱な」の意)は新約には37回出ています。旧約では,wn”[‘アーナーヴが25回出ています。「貧しい人」とは“物質的に何も所有せず,物乞いするより他に生活手段を持たない極貧の者”,と関西学院の嶺重淑教授は定義しています34)。生活ができない絶対的貧困,平均所得と比較しての相対的貧困があります。
モーセはなぜ選ばれましたか。民数記 12章3節 「モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった」の「謙遜」(ヘブライ語wn”[‘アーナーヴ〈貧しい〉の意 OTに25回)だったからと長年聖書に親しんでいるキリスト者は答えます。どういうわけかアーナーヴの翻訳は「謙遜な,柔和な」になっています。宗教組織が大きくなってきますと,従順な信者ばかりの方が統治しやすくなります。指導者に逆らわず,どんな無茶なことを決定しても黙ってついてくる羊ばっかりだと助かります。十字軍,日本の戦前,戦時下の朝鮮人差別,ルターのミュンツアー弾圧などに対しても沈黙する謙遜さがいつの時代も求められてきたのではないでしょうか。しかし,アーナーヴは「貧しい」です。神はいつの時代も「貧しい」者を選んで来られました。ルカは,金持ちとラザロを16章19節から31節でとりあげました。「貧しい人々は,幸いである」と貧者でなければ幸せになれないアイロニーを語りました(ルカ 6:20)。パウロは神が身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれることを明らかにしました(Ⅰコリント 1:26-28)。
ヤコブ書の文脈5節には,「わたしの愛する兄弟たち,よく聞きなさい。神は世の貧しい人たちをあえて選んで,信仰に富ませ,御自身を愛する者に約束された国を,受け継ぐ者となさったではありませんか」,と。神は,貧者(つまり弱者)を「あえて選んで」(ギリシア語evkle,gowエクレゴオー〈選び出す,選び取る,自分用に引き抜く〉の意)が選びの基準となっていました。一方,世の中では,会社,官僚,学会では東京大学を出ているとか,受付には美人をおくというような図式ができあがっています。『東大生の受験マニュアル』など中身ではなく,タイトルで良く売れる本になったりします。
キリスト教界のみならず,仏教界でもエリートの見解が用いられる陳腐な傾向があります。
日本の被災地の出来事や,証言の一つ一つは,「これでも心が痛まないのか」と私たちの胸に突き刺さる叫びです。世の多くの人々から無視されている路傍の「石の叫び」です。「石の叫び」は今も世界各地に聞こえます。
2017年3月に訪問したバヌアツ報告の体験をお分かちいたします35)

画像 バヌアツ国ポートビラ市貧民窟ブラックサンド

バヌアツ国 貧民窟ブラックサンド 2017年4月4日 Pastor Yoshio Iwamura

南太平洋上に浮かぶ小さなバヌアツ共和国は,2015年3月のサイクロンにより,人口の約3分の2にあたる推定16万6,000人(内,子ども8万2,000人)が被災しました。神戸国際支縁機構はそこへ訪れ,現地の人々と濃密な交流をしながら,「石の叫び」を聞きました。「私たちは人間です,生きていきたい,あきらめていない」という叫びです。神戸国際支縁機構は現在,バヌアツの子どもたちの施設建設や日本の里親からのバヌアツの孤児たちへの教育費の働きに関わっています。
「日本からの教育費を使って学校へ行きたいですか」,と言うと,子どもたちは飛び上がって喜びました。バヌアツの子どもたちは物質的には決して豊かではありません。けれども,明るく,機会さえあれば,何にでも取り組む元気な子どもたちです。筆者は,子どもたちの明るい笑顔に希望を感じました。ます。少し古い資料になりますけれど,東大生の親の世帯年収は2010年当時,世帯年収 950万円以上の家庭が51.8%に上りました。1000万円並の家庭が半分以上ということになります36)。2012年の全給与所得者で年収300万円以下の割合は41.0%です37)。私立中高一貫校,中学受験用学習塾,朝食摂取などの規則正しい生活が一流大学への道となっています。まさに難関校は現代のバベルの塔です。日本では,世帯所得200万円未満の世帯を低所得層としています。ワーキングプアの年収は,200万円以下と一般的に言われています。賃金構造基本統計調査から計算してみたところ収入が200万円以下の人口は約1069万人もいます。2012年の全給与所得者で年収300万円以下の割合は41.0%。派遣社員の年収は,賃金構造基本統計調査によると,200万円以下の人が77%です。平均の月給料が19万3000円となっています38)。労働市場の規制緩和・自由化による正社員の減少,パート・アルバイト・非正規社員などの増員は政・官・財・学のバラ色のヴィジョンの嘘をそのまま物語っています。こういう現実の中で抑圧されている人々の「これ以上,生きていられない!」という呻きと「石の叫び」が聞こえます。こういう「貧しさ」を官民一体となって放置し,「一億総活躍社会」を錦の御旗として掲げ,自己責任論が大手を振って歩き,人の痛みに無感覚な空気が徐々に漂いつつあります。 2016年10月1日,「ボランテイア・福祉・宗教」で対話集会で筆者はトークセッションの機会があり,小稿を準備した際,子どもの貧困について 国際連合人権高等弁務官であるルイーズ・アルブール氏は,「貧困は,人権侵害の結果であり,人権侵害を生み出す原因である」,の言葉を引用しました39)
日本の子どもの貧困率は16.3%(2014年発表)で,過去最高を更新しました。ひとり親など大人1人の世帯に限ると,54.6%で,先進国で最悪の水準です40)。母子家庭は全国に123万世帯,二人世帯の母子家庭のうち年収が180万円以下の貧困家庭は66%です。そうした生活苦の石の叫びに無関心でいいのでしょうか。
経済的な理由で過去1年間,必要な食料を買えないことがあった沖縄県内の子育て世帯は,ひとり親世帯で43%,両親がいる世帯でも25%に上ります,子どもの3人に1人が貧困状態です41)
一方,格差構造を温存したい御仁には見えない希望がバヌアツ国ポートビラ市の貧民窟ブラックサンドにあります。子どもたちの可能性,無限の情熱,凛としたモラルこそ行き詰まった日本のコンパスです。針を山積みになった干し草に落としたら,どんなに精巧な技術で探索しても見つけ出すのは困難です。磁石があれば簡単です。TV報道,マスコミの紙面,体制を温存させたい人々は,社会の断面の分析は机の上の知力による見当外れの学者の見解に依存します。護送船団という組織力により,維持することに躍起です。記者たちの体感,人々の息づかいは,現場でなければ伝わらないことを伝えてくれます。しかし,学者にはその視座が欠けているのです。磁力がないのです。したがって,うめきに対して,「貧しさ」を知らない学者の知性を繰り返しマインドコントロールされていくうちに,人の痛みに無感覚な人間になっていく道に陥ってしまいました。文明,技術,グローバリゼーションは被災,自然災害,貧困についても無関心という思考回路が君臨してしまいました。

画像 アマトリーチェ
⇒ 第1次イタリア・ボランティア訪問報告

セルジオ・ピロッズィ・アマトリーチェ市長と会見 2017年6月8日 Pastor Yoshio Iwamura

先週,2017年6月8日,イタリア中部で昨年地震があったアマトリーチェに行ってきました。2700人いた美しい町は荒廃に帰し,学校や病院,そして,人々の魂のよりどころでもあるサンタマリア大聖堂も全壊でした。298人が犠牲になり,住民の多くは住むところがなく,死の町と化していました。そこにも「石の叫び」が聞かれました。

画像 ラクイラ訪問 2017年6月9日。

ラクイラ学生寮 2017年6月9日

8年前,2009年4月6日3時32分,イタリア中部の古都ラクイラを襲ったイタリア最大の地震マグニチュード6.3。死者309名(伊ANSA通信) 家屋損壊数千を越えました。いまだに爪痕が残っています。2009年3月31日,民を安心させるため「安全宣言」が放映されました。安全宣言に名を連ねた地震予知委員会の7人の学者たちは有罪の実刑判決が言い渡されました42)。こういう学者たちこそ,地震の被災者たちの「石の叫び」に耳を傾けるべきでありましょう。
一方,否定の論理をもたない日本では,フクシマ原発の安全神話を繰り返した学者,メディアに一切,おとがめなしではありませんか43)。フクシマ第一原発のメルトダウン以降,福島県立医科大学副学長に文科省から依頼された山下俊一[しゅんいち 1952-]という浦上の隠れキリシタンの子孫で被曝2世がおられます。フクシマの被災地では,「ヤマシタ」「ダマシタ」と言われたりします44)。なぜなら「住民などが急性障害になるような高い放射線量を受ける可能性はほとんどない」「およそ100ミリシーベルト以下の放射線を浴びてもがんになる確率は上がらない」,と住民が不安なあまりに問うた質問に対して安心するように「ダマシタ」からです。第二次世界大戦中の日本軍731部隊が人体実験などしなかったという欺瞞を思い起こさせます45)。山下俊一カトリック医学者は「原子力の問題が出たときには,昭和20年の10月に書かれた永井隆の原爆救護報告書の最後の一文を述べるようにしています」,とカトリック医師永井隆[1908-1951]を頻繁に引用しています46)
近代文学研究者である大田正紀先生は,三浦綾子[1922-1999]女史の深い自己呵責を分析します。『道ありき〈青春編〉』で戦時下の教師として歩みが誤りであったことについて,「わたしは七年間,一体何に真剣に打ち込んできたのだろう。あんなに一生懸命教えてきたことが過ちなら,わたしは七年をただ無駄にしただけなのだろうか。いや,過ちを犯したということは無駄とはまったくちがう。過ちとは手をついて謝らなければならないものだ。……」,と46)
人が「石の叫び」が聞こえる中で互いに支え合うこともあります。そのことを実感させられたのは,二度にわたるベトナム水害ボランティア(2016年11月,2017年2月)です。私たち一行は,待ち合わせ時間を守り,礼節を尽くすベトナム人の責任感の強さに感銘を受けました。私たちは,ベトナム人から,人間が生きていく上での信頼を直に学びました。2017年2月,第2次ベトナム水害ボランティアのためベトナムに行った際も,ベトナム人は待ち合わせ時間,語ったことに対する責任感,礼節などにおいて,信頼できることを体験しました。
貧しい人達に対して,第1次ベトナム・水害ボランティア[2016年11月13日(日)~17日(木)]に参加した学生たちが驚いたのはベトナム人の約束に対する責任感の強さです。正直さは,労働力の質の高さに比例していると日本の学生の目に映ったようです。「働かざる者食うべからず」の共産主義を理想とする国にもかかわらず,屋台のような安価なレストランでカエル料理を食べていた時の体験は忘れられません。ベトナムに限らず,ネパール,インド,タイなどのアジア諸国の人々は一般にエネルギッシュであり,勤勉です。低賃金であるにもかかわらず,労働力の質の高さには目を見張るものがあります。「働かざる者食うべからず」の共産主義を理想とする国であるにもかかわらず,高齢のみすぼらしい物乞いが料金の安い屋台で食べている客たちの近くに来て施しを求めます。たいしたお小遣いがない高校生が寛大に施しをしています。紙幣ばかりのベトナムでは,10円相当の紙幣もありますから,差し出しやすいのかもしれません。店内を見渡すと,物乞いにそっぽを向く人はいません。わずかでも与えます。日本では考えられない光景です。他の物乞いが入ってきても,やはりみんなは要求に応じます。店は混雑し,忙しいにもかかわらず,店員たちも物乞いを追い出そうとしません。こういうことは拝金主義の現代の日本人には理解できません47)

b.石の叫びに敏感な者
 「石の叫び」に敏感な者と言えば,イエスのことが思い浮かんできます。「わたしは柔和で謙遜な者だから,わたしの軛を負い,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたは安らぎを得られる」を何度も聞かされてきておられることでしょう(マタイ 11:29)。イエスを「柔和で謙遜な」方と信じておられるなら救われません。「疑う者は救われるのです」。「柔和な」(ギリシア語prau<jプラウス〈貧しい,哀れな〉の意)はマタイ 21章5節にも出てきます。「シオンの娘に告げよ。『見よ,お前の王がお前のところにおいでになる,柔和な[プラウス]方で,ろばに乗り,荷を負うろばの子,子ろばに乗って』」。新約でカギ括弧が付いているのは旧約の引用です。アウグスティヌス[354-430]という西方教会の神学の父と言われる人物がいます48)。キリスト者は本来,非戦であったのに,神学的に正戦を正当化した人物ですから,個人的には尊敬していません。好きか嫌いかの二元論で申し上げるなら,関西弁で「好かん」となります。しかし,アウグスティヌスも良いことも語っています。「新約は,旧約のうちに隠れ,旧約は新約のうちに明らかになる」です49)。聖書の理解についての定石を語ったことは傑出すべきことです。マタイ 21章5節はゼカリヤ 9章9節の引用です。ゼカリヤ9章9節のヘブライ語ynI[‘アニーは「貧しい,みずぼらしい」ですから,ろばの子に乗った王の「貧しさ,みすぼらしさ」について聖書を読む際,サングラスをかけずにそのまま読みますと,マタイのプラウスも「柔和」ではなく,「貧しい」と訳すべきです。つづく「謙遜な」も本来のテキストの意味から脱線しています。tapeino,jタペイノス〈《身分の》低い,卑賎な,貧しい(ため見下されている)(社会的,精神的に)圧迫されている〉は身分が卑しいことを意味しています。ルカ 1章52節ではタペイノスを「身分の低い者」と訳しています。皆さんがイエスについてどのようなイメージを描きますか。少なくとも,金髪の長い髪,青い目,真っ白い膚,温厚で「柔和な」顔というのは,イエスの実像からは程遠いと考えられます。パレスチナのユダヤ人としてイエスのことを思い浮かべると,黒い髪,黒い瞳,褐色の膚です。さらにみずぼらしい,貧しいおっさんの顔です50)
画像 イエス

イエス・キリスト復元図

聖書は聖書によって解釈すべきです。「見るべき面影はなく 輝かしい風格も,好ましい容姿もない」(イザヤ 53:2)と登場する7世紀前に来たるべきメシア像が描かれています。
したがって,モーセも,キリストも,西暦一世紀の福音を語る側も聞いた人々はみなと言って良いくらい貧しい人達だったという視座で聖書を読み始めますとガラッと変わってきます。
マザー・テレサは,「石の叫び」に敏感な者です。彼女は,インドに来てから使命が変わったのです。信者を増やして,伝道して,信者を増やすことなどどうでもよくなったのです。道で出会う瀕死の人たちに接し,打ちのめされました。そして自分自身もイエスと同じように貧しくなったのです。「低く下って天と地を御覧になる」神とひとつになろうとしました(詩編 113:6)。今まで見えていなかったものが見えてきました。貧しく,小さくされた人々と共に生きるキリストと共苦するようになりました。そのためにバチカンから働きをやめるように刺客が使わされたのも一度ではありませんでした。日本で本田哲郎神父は3つの聖書翻訳に携わりました。大阪の釜ヶ崎で貧しい人達と生活を共にします。マザー・テレサと同じように信者を増やす伝道ではなく,貧しい人々と共生すると,ローマ・カトリック教会の大阪大司教は制限をかけました。本田訳聖書はカトリック系新聞では一切取り上げないこと,表紙は聖書らしくしていはいけないこと,司祭給与は一切与えないなど異端扱いです51)。『苦縁』の著者北村敏泰氏は本田哲郎氏についてインタビューしました。“いわゆる「布教」を釜ヶ崎でしない理由を,本田神父は「キリスト教の本質である人としての在り方を,ここの仲間は実践している。行いこそ大事なわけで,言葉で言う前にもう目的は達成されているからです」”,と52)
「主はわたしに油を注ぎ 主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして 貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み 捕らわれ人には自由を つながれている人には解放を告知させるために」(イザヤ 61:1),というイエスの言葉はそういう福音の表明でもあります53)
弱い人のために正当な裁きを行い この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち 唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。(イザヤ 11:4)。
さて,イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は,幸いである,神の国はあなたがたのものである。(ルカ 6:20)。

画像 炊き出し

家,住民票,保障など一切ない「路上で生活をしている人」(英語 Bag people)は世界中,どこにでもいます。2014年,宮城県石巻市渡波で,第36次東北ボランティアの学生たちは田口政夫(72歳)さんと出会いました。田口さんは東日本大震災の当時は仙台駅をねぐらにしていました。雪かきをボランティアした班もいました。それほど寒い時に出会いました。京都大学の学生たちはもっていたカイロを喜んで差し出します。学生たちの中から,神戸にも路上生活者がいるのかどうかと質問がありました。1995年の阪神・淡路大震災以降,東遊園地(神戸市役所隣)で生活していると言うと,機構で炊き出しをしようということになりました。2014年4月以降,休まずに継続しています54)。居住する権利も脅かされています。ホームレスです。“ホームレスとは家がないというだけではありません。見捨てられ,臨まれず,愛されず,面倒をみてもらえない”,とマザー・テレサは来日の際,語りました55)。○○レスというのは,○○がないという意味です。「路上で生活をしている人」は,家族,身寄り,親戚もないファミリーレスでもあります。つまり人と人の関係が切断されて,孤独なのです。三つ目に希望がないホープレスです。路上生活者はホームレス,ファミリーレス,ホープレスの三重苦と筆者は定義づけしています。機構も週一回だけの炊き出しです。定期的に携わる楠元留美子さん,村上裕隆君たちは,「路上で生活をしている人」から感謝のねぎらいのことば「ありがとう」を言われなかったからと一喜一憂しません。なぜなら21食(一週間一日3食)の内,一食だけをお持ちしているにすぎないからです。「おいしい」と言ってもらいたいの気持ちが少しでもあるなら偽善です。ボランティア道に仕える者はたった一食を提供しているのに思い上がってはなりません。公園で共食して,苦しみの分かち合いをします。野宿者は生活保護を受けるように行政からすすめられます。そして月12万円の生活費が支給されます。ただしハローワークなどに出かけて,仕事につくことが条件です。ところが常雇いの仕事などありません。せいぜい長くて一週間の仕事がやっと見つかるくらいです。「官」から,「ちゃんと仕事をするという条件で生活費を支給しているんだ」,と厳しく言われるうちに,口うるさい行政から生活保護などいらないと思うようになります。日雇い労働者(カン拾い,廃品の識別,開店割引商品の並びなど)として,「路上で生活をしている人」にならざるを得ないのです。阪神・淡路大震災以降,神戸でも少なくとも20-30人の路上生活者がおられます。ところが美観が損なわれることを理由に,行政は文句,脅し,いやがらせで路上生活者に迫ります。機構も神戸市役所に何度も陳情に行ったため,いやがられました56)

 c. 石の叫びに敏感な生き様 
「現在の苦しみは,将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると,取るに足りないとわたしは思います」,とパウロの生き様は,「現在の苦しみ」(パセィマタ pa,qhmaパセーマの複数形〈受動的に経験する事柄,特に苦しい経験,つらい経験,苦難〉の意スムパスコーsumpa,scw <su,n「共に」+ pa,scw 「苦しみを受ける,苦難を経験する」)「共苦する」の名詞形 パトスの類義語)から出発します(ローマ 8:18)57)。17節は次の通りです。「もし子どもであれば,相続人でもあります。神の相続人,しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら,共にその栄光をも受けるからです」。
「石の叫び」に対する共感は,共に苦しむことを伴います。そのことをキリスト教倫理の大家ゲルハルト・リートケ[1937-]は的確に定式化して次のように言われました。「被造物とのわれわれの連帯は,共通の苦しみの連帯だけではなく,より弱い者の苦しみを共にし,それを和らげることのうちにも存在することが,示される」,と54)
世界最貧国ネパールにはおびただしい孤児がいます。神戸国際支縁機構の「縁」は,そのような水準の「共苦」とつながっています。「共苦」はまた,「苦縁」でもあります。「みなしごや,やもめが困っているときに世話をし,世の汚れに染まらないように自分を守ること,これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です」 (ヤコブ 1:27)。それは泣き寝入りを意味しません。そこには神への絶大な信頼が込められています。ともするとキリスト者は,原発ピカドンの被災者に対しても,「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え,主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」,と「主は与え,主は奪う」方だと泣き寝入りする傾向があります(ヨブ 1:21)。しかし,ヨブを襲った災難はヤハウェが与え,奪ったのではなく,サタンがなしたことをヨブは知らずに述べた判断だと,旧約聖書学者勝村弘也先生は説き明かされています58)。気をつけないと知らないまま聖書観がずれているのです。「ただ信ぜよ」では困るのです。宮城学院女子大学の新免貢教授も“行儀良さという意味での「ディーセンシィー」(decency)を身につけているとされている支配体制側は,利害に反する言説に直面した時,「ディーセンシィー」を基準としてこれを抑圧することもあると注意を喚起されています59)。新免先生は,イザヤ 40章の見直しについて次のように言及されています。「肉なる者は皆,草に等しい。永らえても,すべては野の花のようなもの。草は枯れ,花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい」に出ている内容は,人のいのちのはかなさと受け止められがちです(イザヤ 40:6,7)60)。しかし,アラム語訳のタルグームでは「すべて邪悪な者たちは草のようだ」と訳されています61)。ハーヴァード神学校クリスター・ステンダール神学教授 [1921-2008]はアラム語訳のタルグームを支持されています62)。そこには,「小を侮れば大は必ず滅びる」という人類の経験知と神への信頼が込められているのです。ところが,日本の為政者も邪悪な行為をしていても,現行の経済成長,失業率減少,就活有利の数字を巧みに宣伝し,民を誤導しています。成長至上主義から脱却しないと日本は取り返しがつかなくなります。ゼロ金利,ゼロ成長,ゼロインフレであることを忘れてはいけません。グローバリゼーションを追い求め,海外における安い労働力,資源獲得,原発輸出といった成長戦略も限界に来ています。そのことを認めない指導者をもっている日本の将来が不安です63)。 フランスの哲学者ミシェル・フーコー[1926-1984]は「人間の人間学的状況が,つねにその〈歴史〉をさらに劇的に盛りあげ,より危険のあるものとし,いってみれば,〈歴史〉をそれ自身の不可能性に近づけようとし続けていることに気づくに違いない。そうした境界にまで達した瞬間,〈歴史〉はもはや停止し,一瞬その字句のうえで身を震わせてから,永遠に不動化するよりほかなくなるのだ」,と歴史の終焉の予言があたらないことを願うのみです64)。前述の永井隆医師は著述『長崎の鐘』の中で,「浦上が選ばれて燔祭[ホロコースト 筆者加筆]に供えられた事を感謝致します」「平和の光さし出づる八月九日,此の天主堂の大前に焔あげたる,嗚呼大いなる燔祭よ!悲しみの極みのうちにも私たちはそれをあな美し,あな潔,あな尊しと仰ぎみたのでございます」,と「神の摂理」として被ばくを甘受するように,長崎の民に従順に受け止めるように語りました65)。ローマ・カトリック教会では,摂理という教義は不可触のものです。疑う者は救われません。永井は,1945年11月23日,浦上カトリック信徒代表として『原子爆弾死者合同葬弔辞』を読み上げました。“原爆は摂理だ,神のおぼしめしだ,犠牲者はいけにえの子羊だ”,と祈りました。怒りのヒロシマに対して,祈りのナガサキと言わしめるきっかけになりました。一方,作家の石牟礼道子[いしむれ 1927-]さんの『苦海浄土――わが水俣病』について,宗教学者島薗進先生は『こころをよむ NHKシリーズ』で叙述しています。“作者は,「安らかにねむって下さい」というような言葉は,生者による欺瞞のための言葉ではないかと問うています。「釜鶴松の死につつあったまなざしは,まさに魂魄この世にとどまり,決して安らかになど往々しきれぬまなざしであった」と。そのまなざしを思うと「わたくしは自分が人間であることの嫌悪感に,耐えがたかった」”と66)。人々の苦しみを神の摂理とすり替えない描写の方に「共苦」を体感できます。
1981年2月25日,ローマ法王ヨハネ・パウロ二世は「戦争は人間の仕業です」と語り,神の摂理ではないことをヒロシマで語りました。永井隆とヨハネ・パウロ二世のどちらが正しいか,祈りのナガサキと怒りのヒロシマのどちらに組みするかという発想をやめることが筆者の論考の一貫した見方です。アメリカ合衆国の福音派の中には,シリアで何万人も殺されているのは神の摂理なんだ,とみなすネオコン的キリスト者もいることを忘れてはいけません。
社会学者村田充八先生は,ウルリッヒ・ベック[1944-2015]の『危険社会―新しい近代への道』について再解釈しています。「『危険社会』に生きる人間が,その社会的な危機に対してあまりにも楽観的であるということである。言い換えると,『危険社会』のなかに生きる人間は,その存在の根底に横たわる危険姓に,またそのようなものをつくり出した人間の本質に,まったく気づいていないということでもある」,と警告されます67)
「無関心」という危険社会にあって,「疑う者は救われ,信じる者は救われない」真理契機を黙想しましょう。時代状況を見つめ,熟考し,なすべきことを実践していく皆さんの思いは,福音として,貧困であえぐ孤児たちや痛めつけられた人々の心に届けられるでしょう。貧困であえぐ孤児たちと共生,共苦,苦縁の生き様こそが「キリストの手紙」なのです。それが福音です。

出典

1)『三つの石で地球がわかる』(藤岡換太郎 講談社 2017年 93-94頁)。
2)『石巻日日新聞』(2017年6月2日付),『牡鹿新聞』(2017年5月26日付)。
3)『恩恵の光と自然の光』(春名純人 聖恵授産所出版部 2003年 79頁)。
4)茂木健一郎はで“自分の脳の中の神経細胞の活動を見渡す「小さな神の視点」はもっている。私たちの意識は,脳の中の神経細胞の活動に対する「小さな神の観点」として成立している“,と神は超越論的存在ではなく,人間の脳の中に,神が棲んでいると言う『脳の中の小さな神々』(柏書房 2004年 259頁),『なぜ,脳は神を創ったのか?』(苫米地英人 フォレスト出版 2010年 35頁)。
5)『ゲーデルの哲学』不完全性定理と神の存在論(高橋昌一郎 講談社現代新書 1999年 214頁)。
6) Time to Stand Up  by Richard Dawkins,  “Religion’s Misguided Missiles,” appearing in The Guardian on September 15, 2001『神は妄想である―宗教との決別』(リチャード・ドーキンス 垂水雄二訳 早川書房 2007年)の著者,生物学者のドーキンス[19411-]は「私のアブラハムの宗教に対する敬意は,9月11日の煙と息を詰まらせるような砂埃の中で吹き飛んだ」My respect for the Abrahamic religions went up in the smoke and choking dust of September 11th. The last vestige of respect for the taboo disappeared as I watched the “Day of Prayer” in Washington Cathedral, where people of mutually incompatible faiths united in homage to the very force that caused the problem in the first place: religion. It is time for people of intellect, as opposed to people of faith, to stand up and say “Enough!” Let our tribute to the dead be a new resolve: to respect people for what they individually think, rather than respect groups for what they were collectively brought up to believe.
7)『新約聖書ギリシア語精解』(W.バークレー 滝沢陽一訳 日本基督教団出版局 1970年)。否定を表す接頭辞「ア」がついて,「アストルゲー」。「無知,不誠実,無情,無慈悲です」(ローマ 1:31)の「無情」;“Enhanced Strong’s Lexicon”James Strong Woodside Bible Fellowship 1995。
8)『家族喰い―尼崎連続変死事件の真相』(小野一光 太田出版 2013年 13頁)。
9)『暗い時代の人間性について』(ハンナ・アーレント 仲正昌樹訳 情況出版 2002年 22頁)。
10)”ホンネスト”(ゼクシィ編集部実施調査 2015年8月)。
11)『沈黙の世界』(ピカート 佐野利勝訳 みすず書房 1976年 108頁)。
12)『西日本新聞』(2017年4月16日付)。
13) 『寄付白書2013』(特定非営利活動法人「日本ファンドレイジング協会」政府[内閣府:税制調査会])。2012年の個人寄附総額は6,931億円。
14) “Systematic Theology”Vol.1 (Tillich University Chicago Press 1955a  p.379)。ティリッヒは彼の思索活動において,信仰義認論の拡張を要請し,罪人のみならず懐疑する者も義とされるという再解釈へ導いた。これが「懐疑者の義認(Rechtfertigung des Zweiflers)」と呼ばれる思想である。信仰は「否」の不安にもかかわらず「然り」と言う。神学者パウル・ティリッヒ[1886-1965]は,「信仰は懐疑の「否」と懐疑の不安を除去しない」と言う。人間が持ち合わせている本質的な疑い,「こんなに悪が許されているのに,神はいるのか」などの「疑い」についてティリッヒは「懐疑者の義認」と考えました。「疑う」者も罪人と同じように義とされる(Rechtfertigung des Zweiflers)と解釈したのです。良心に基づく懐疑は赦され,悪意に基づく懐疑は赦されないともティリッヒは述べました。
15) 第1次東北ボランティア報告書 神戸国際支縁機構 http://kisokobe.sub.jp/event/22/。
16)『朝日新聞』 (2012年3月17日付 東京大地震研究所の都司嘉宣准教授が計測)。亀山紘「東日本大震災における死」(「『死』を考える」講座 神戸新聞会館 2012年4月23日)。
17)『神戸新聞』夕刊(2016年11月20日付)。
18)『石巻かほく』(2017年3月8日付)。
19) 『人は皆「自分だけは死なない」と思っている ――防災オンチの日本人』(山村武彦 宝島社 2005年 75頁)。
20) 〃 (37頁)。
21)『朝日新聞』 天声人語(2017年5月29日付)。
22) 拙稿『目薬』 №24 2001年 7頁参照。
23)『交わり』No.589 (水垣渉 キリスト教と自然観―〈自然〉を聖書的伝統から考え直す試み― 2015年 3-4頁)。
24) 拙論「キリスト教とボランティア道」―水平の<運動>から,垂直の<活動>に―(第26回宗教者災害支援連絡会 東京大学本郷キャンパス 2016年)。
25) 拙稿『支縁』No.10(4頁 神戸国際支縁機構発行 2015年2月),『NHKスペッシャル』防潮堤400㌔ 2015年5月30日放映。
26) 『キリシタン南蛮文学入門』(海老沢有道 教文館 1991年 158頁)。
27) ヘブライ語!yBビィーン「識別する」 have  discernment  insight  understanding.
28)『機械と神』(ホワイト 青木靖三訳 みすず書房 1972年 88頁)。
29) 拙稿「ただ衣食あらば足れり」『中外日報』(2013年5月21日付)。30)『二十世紀神学の形成者たち』(笠井恵二 新教出版社 1993年 23頁)。
31)『キリスト者の自由・聖書への序言』(マルティン・ルター 石原謙訳 岩波文庫 1949年 52頁)。
32)『SOWER』(岩井健作“弱者に対する聖書の視点”日本聖書協会 2009年 8-9頁)。
33)『宗教とは何か』(田川建三 大和書房 1988年 315頁)。
34)『ルカ福音書における貧者と富者』(嶺重淑 神学研究 関西学院大学神学研究会 2003年 35-36頁)。
35) 拙稿「第3次バヌアツ報告 2017年3月」http://kisokobe.sub.jp/international/9878/
36)「学生生活実態調査の結果報告書」(東京大学 第62回 2012年調査 2011年12月発行)。
37)「国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省 2016年7月12日 平成27年版(2015年版)の世帯平均所得)。
38)「賃金構造基本統計調査」(厚生労働省 2017年2月22日公表)。
39)「『ボランテイア・福祉・宗教』で対話集会」岩村義雄×釈徹宗×木原活信『キリスト新聞』社主催 賀川記念館 2016年10月1日。
40)『朝日新聞』(2015年11月8日付)。
41)『沖縄タイムス』(2017年6月1日,2016年1月30日付)。
42) 拙稿 「第1次イタリア・ボランティア報告」(神戸国際支縁機構 2017年6月)。ウィキペディア イタリア中部地震2016年8月https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2016%E5%B9%B48%E6%9C%88)
43) 月刊『FACTA』(纐纈一起,大木聖子 2013年2月号 LIFE)。
44)『日本経済新聞』(2011年5月8日付)の誤報。
45) Finding meaning in the changing face of matter Lucas Whitefield Hixson DAILY KOS 2011年12月18日付。
46)『七三一部隊――生物兵器犯罪の真実』(常石敬一 講談社現代新書 1995年 92-133頁)。
47)『日本カトリック醫師會々誌』(2012年 11月 No.51 113-114頁)。
48)『祈りとして文芸』(大田正紀 西部中会文書委員会 2006年 47頁)。
49)拙稿 「第1次第1次ベトナム・水害ボランティア報告」(神戸国際支縁機構 2016年11月)。
50) 拙稿「アウグスティヌスの生涯と信仰」(KBHセミナー 2005年8月2日)。
51) Novum Testamentum in Vetere latet, Vetus in Novo patet「ノーブン・テスタメントゥム・イン・ヴェテレ(old)・ラテト(hidden 隠されている)・ヴェートゥス(old)・イン・ノヴォ・パテト(come to light 明らかにされる) 」と述べました。Quaestiones in Heptateuchum 2, 73)。
52)「神の子」(法医学人類学者リチャード・ニーブ BBCドキュメンタリー 2001年)。
53) 「小さくされた人々のための福音」講座(神戸国際支縁機構 2004年11月から 勤労会館4階)。
54)『苦縁』(北村敏泰 徳間書店 2013年 187頁)。
55) 拙論「福音とは何か」(礼拝説教 神戸国際キリスト教会 2014年9月21日)。
56)「社会的弱者と『縁』を結ぶ」 『中外日報』(2014年7月4日付),「炊き出し」(楠元留美子 『支縁』No.10(1頁 神戸国際支縁機構 2015年2月)。「炊き出し」神戸国際支縁機構のホームページ参照。
57)『愛―マザー・テレサ 日本人へのメッセージ』(マザー・テレサ 女子パウロ会 2003年 51頁)。
58) 拙稿「神戸市カン条例について」『中外日報』(2014年7月4日付。ラジオ関西 2014年8月1日。
59)拙稿「共苦」(『朝祷』2014年10月1日付)。
「苦しみ」(パセィマタ pa,qhmaパセーマの複数形〈受動的に経験する事柄,特に苦しい経験,つらい経験,苦難〉の意。文脈の17節のスムパスコーsumpa,scw <su,n「共に」+ pa,scw 「苦しみを受ける,苦難を経験する」。pa,qhmaパセーマとpa,qojパトスは類義語。
60)『生態学的破局とキリスト教』(ゲルハルト・リートケ 安田治夫訳 新教出版社 1989年 217頁)。
61)『ヨブ記解釈の諸問題』(勝村弘也 基督教学研究第26号 2006年 4,5頁)。
62)『宗教と暴力,そしてディーセンシィー』(新免貢 宮城学院女子大学研究論文集 2016年 15頁)。
63) 同 (16頁)。
64) バビロン捕囚頃よりユダヤ人 のなかには聖典の言葉である古代へブライ語を解するものが少くなったためユダヤ教の聖典 (旧約聖書) のアラム語訳をいう。バビロン捕囚頃よりユダヤ人のなかには聖典の言葉である古代へブライ語を解するものが少くなったため,会堂での祈祷に際して,会衆の理解のため祭司の読むへブライ語原典をアラム語に訳することが行われた。翻訳は,2世紀のエジプト人の改宗ユダヤ教徒オンケロス Onkelos による。したがって,正式にはタルグーム・オンケロスと呼ぶ。単にタルグームというと,タルグーム・オンケロスを指すことが多い。
65) クリスター・ステンダールは,ローマ3章22節において,「イエス・キリストを信じる信仰」によって(口語訳)と訳されてきた dia pisteos Iesou Xristouという句も,「イエス・キリストの信実によって」と訳することが可能とされ,それはまた「神の契約に対する忠実としての義が,イエス・キリストの信実(pistis)によって(顕された)という意味をもつとされる。これもまた主格的か目的格的かが論議される中心的な属格表現である。『パウロ解釈の新視点についての一考察―ルター神学の立場から』(橋本昭夫 『福音主義神学』46号 2015年 81頁)。
66)『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫 集英社新書 2014年 196頁)。
67)『言葉と物―人文科学の考古学―』(ミシェル・フーコー 渡辺一民・佐々木明訳 新潮社 2012年 278頁)。
68)『長崎の鐘』(永井隆 サンパウロ 1995年 143,146,148頁)。「燔祭」hl’A[ オラー〈全焼のいけにえ〉は焼き尽くすので,煙が昇っていくことが特長。『セプトゥアギンタ訳』ではo`lokautw,mata ホロカウトーマタ 英語「ホロコースト」(ナチスによる殺りく)はギリシア語七十人訳聖書の「焼かれたいけにえ」が語源。
69)『NHKラジオテキスト』(島薗進「物語のなかの宗教」2015年1-3月 167頁)。
70)『キリスト教と社会学の間』(村田充八 晃洋書房 2017年 201頁)。

編集後記

今,プロテスタント,とりわけ福音派のキリスト教会の多くが戸別訪問や伝道で用いているトラクトやパンフレットにはどんな文字が印刷されていますか。
筆者も家内の病気を通して,聖書通読によって,ものみの塔の教理の間違いに気づかされました。はじめての牧師会に出席したときも,神戸の牧師たちから白い目で「こいつがあのサタンか」とにらまれました。筆者の過去を調べれば,調べるほどすねに傷かあると言いますか,顔が赤らむことばかりが出てきます。一方,キリストは調べれば調べるほど,まったく罪がない清いお方だと対照的な事実があります。30名以上の仲間と集団離脱したことも感謝です。今,牧会に携わっているメンバーも一人ではありません。
キリスト教界は,神道出身,仏教からの回心者と異なり,ものみの塔の前科者には厳しい世界です。筆者は1995年から2011年まで,クリスマスフェスティバル,神戸聖書展,日本プロテスタント宣教150周年記念の事務局など罪滅ぼしの気持ちで仕えました。
間違いについて恵みによって気づかされ,脱会して約30年近く経ちました。思わせられることがあります。ものみの塔と同じように,キリスト教会にも小さな石の叫びに対して「無関心さ」なのではと思わせられることもあります。
明らかに「ものみの塔」の信者の教理はまちがっています。
しかし,隣人愛を実践するキリスト教界の伝道用のトラクトなどには自己義の表現があります。たとえば,「ものみの塔(エホバの証人),モルモン教,統一協会とは一切関係がありません」「ものみの塔(エホバの証人),モルモン教,統一協会でお困りの方はご相談ください」という文言です。自分たちこそ正義であって,そんな輩と一緒にしないでくれとアピールしています。海外へ行ってみてください。アフリカなどで現地の人々が最初に手にする聖書は『新世界訳』聖書(ものみの塔聖書協会発行)が圧倒的に多いです。日本でも,王国会館へ毎週定期的に集う信者の数,求道者の数はキリスト教会を上回ります。世界最大の異端組織と言われています。彼ら独自の聖書は翻訳数が多いだけでなく,紙爆弾のように大量に出回っています。そんな誤訳だらけの聖書ですら,筆者たちのように,読んでみてキリストをまことの神として仲間達と教会の門をたたく者もいます。

岩村カヨ子 筆者の講演後 王国会館 1985年7月18日 Kayoko Iwamura

ものみの塔の内部にいて,伝道で疲れ果て,教えに疑いを持ち始めたとしましょう。しかし,そんなとき,「ものみの塔と関係がありません」という無慈悲なキリスト教会に愛を感じて,心を開くでしょうか。神が愛する方だと思うでしょうか。

「小さな石」の中には,霊的に「貧しい」者たちもいることを忘れてはならないでしょう。さらに,樋口進先生が『自然の問題と聖典』(関西学院大学キリスト教と文化研究センター キリスト新聞社 2013年)の中で,自然界全体が「共にうめき,共に産みの苦しみを味わっている」(ローマ 8:22)の現状も無関心に見過ごすことができない大きな課題と発題しておられます。人間と自然との関係はどうあるべきかも,「石の叫びに敏感であろう」に関係しています。今回は90分の講演のため,準備した原稿に網羅できなかったことを深謝すると共に次の機会に譲りたいと思います。
なお,原稿の表現のいたらなさ,誤字などを校閲してくださった村田充八先生,新免貢先生,土手ゆき子姉に心よりお礼を申しあげます。神戸国際支縁機構の戦友であり,同士でもあられます。本田哲郎司祭はセミナーを通じて,解放の神学を導いてくださり,本稿の導線となりましたことを感謝しています。神戸国際支縁機構の理事であられる水垣渉先生,白方誠彌先生が弱者のための働きを常に見守ってくださることが被災地でのゴキブリ道の安全弁になっています。
最後に,昨年10月17日に亡くなった妻岩村カヨ子のおかげで,国の内外において貧しさのゆえに叫ぶ小さな石である孤児たちを訪問できています。さらに,「カヨ子基金」を通じて,教育費を支縁できる恵みをパートナーであるカヨ子と共に喜びたく,手を合わせます。
2017年6月24日
岩村 義雄

キリスト教の弔い―現代問われている死生観 (英文付) Mourning way of Christian

日本「祈りと救いとこころ」学会
The Japanese Society for The Study of Prayer, Salvation and Heartmind
“Mourning way of Christian – Asked recent view of life and death”

2016年11月12日(土) ホテルメトロポリタン3F 富士の間

日本「祈りと救いとこころ」学会 第3回目 2016年11月12日
日本「祈りと救いとこころ」学会 第3回目 2016年11月12日

⇒ 『クリスチャントゥデイ』(2016年12月15日付) 新庄 れい麻

日本「祈りと救いとこころ」学会 割当 2016年11月12日

日本「祈りと救いとこころ」学会 割当 2016年11月12日

The Japanese Society for The Study of Prayer, Salvation and Heartmind
“Mourning way of Christian – Asked recent view of life and death”

2016年12月11日  撮影新庄れい麻  Pastor Yoshio Iwamura

 完全原稿 ⇒ 「キリスト教の弔い―現代問われている死生観」 
Complete manuscript of  English ⇒ Mourning way of Christian – Asked recent view of life and death

「キリスト教の弔い―現代問われている死生観」 Pastor Yoshio Iwamura
2016年11月12日
神戸国際キリスト教会
牧師 岩村義雄

主題聖句:  創世記 50章10節 一行はヨルダン川の東側にあるゴレン・アタドに着き,そこで非常に荘厳な葬儀を行った。父の追悼の儀式は七日間にわたって行われた。

<序>
 過去を否定して未来志向だけを語る欺瞞,生きていて儲けもん,死んだらおしまい。得することだけを強調して,損を言わない商法,「よく生きる」のみを説いて,死や「弔い」を排除する説法はインチキです。
 東日本大震災以降,宮城県石巻市において家族を津波で失った方との出会いは宗教観,死生観,医療に対する見方を大きく変えました。「死」はオタマジャクシの尾がなくなるように,人が高齢,病気,事故でなくなるのもアポトーシス(細胞の自然死)機能の結果と生理学的に考えていた視座を粉砕しました。死者は津波で約2万人,震災関連死は3千人以上。そのうち,福島県では1800人で,地震・津波による直接死(1611人)を超えました。孤独死,孤立死,自殺で涙する人々に寄り添うのは「あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。あなたの記録にそれが載っているではありませんか。あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください」,とあるように涙の革袋として遺族の悲しみを汲み取るボランティアの活動でした(詩編 56:9)。
 しかし,さらに私の死生観を劇的に変化させる出来事が起きました。先月10月17日の妻の逝去です。その2週間前には,教会で信者の葬儀を行い,被災地と同じようにご家族の方と共に抱擁して泣きました。
 被災地で出会った方々や,友の死の涙と,自分家族の死は異なることに気付かされます。自分に死にきって,体力,財力,時間を顧みずのボランティア道を貫くことは一人称です。よしんば泥水の中で息絶えようと,一人称「I 自己」の死は自ら刈り取った結末です。妻の死は二人称「Youあなた」の死です。東北,ネパール,友の死は三人称「He,She,They他者」の死です1)。三人称の死も生老病死愛別離苦の「離別」の悲しみです。ところが,二人称の愛する配偶者の死はもだえる苦悩(spiritual pain)を体験します。利己,自己,自我から脱却してタコ(他己)の精神で共に生きてきた二人三脚による活動がついえてしまう。つまりもはや二人で乗り切る術が消滅してしまった悲壮感,寂寥感,孤独が襲います。

1月4日の腎盂癌の摘出を経て,順調に思えたのもつかのまです。

術後2日目 岩村カヨ子 Kayoko Iwamura 2016年1月6日

 4月から痛みが家内に襲いました。兵庫県立がんセンターで5月末には治療の施しようがないと宣告され,余命も2,3日と聞いた時には狼狽しました。
 生前,連れ合いの苦痛は休むところ知らず,24時間容赦なく家内を打ちました。家庭を顧みず,自由奔放に生きてきた私が責め苦を負うならともかく,弱い家内に激痛が臨みました。在宅ホスピスをしながら,7月に,カヨ子に「どうして……」と問われた時,代わってやることもできず,絶句するしかありませんでした。モルヒネに相当するオキシコンチン増量も鎮痛効果はありませんでした。とどまるところを知らず,やせ細っている妻をこれでもかと打ち据える神に,「なぜ私ではなく,弱い妻なんですか」と讒訴(ざんそ)しました。

 163㎝の身長があるにもかかわらず,体重は32キログラム,骨の上に皮をかぶっているだけのありさまです。肉,脂肪,筋肉は見る影もありません。大腿骨に癌が浸潤しているのか,半年近く,さすり,気を紛らわすしかできない自宅に於けるケアでした。
 かつて,ミルク療法で身につけたマッサージを毎日していた頃の肉付きはなくなっていました。不思議なことに,痩躯とは裏腹に,首から上の健常者を思わせる顔艶,しみやしわがほとんどなく,目鼻立ちがはっきりしています。訪問看護師は驚きます。死人と生ける者が合体したようでした。覚醒剤に相当する強力な増し加わる鎮痛薬を服用していたにもかかわらず,記憶力,意識,周囲に対する気づかいが弱ることはありませんでした。

親しい松浦和彦&和子夫妻 岩村カヨ子 2016年6月7日 Kayoko Iwamura

 神がおられるならなぜ苦しみ,恐怖,不安を与えるのでしょうか。
 末期がんで苦しんで世を去った妻は自然,とりわけ山里が好きでした。奈良県二上山(にじょうざん)の麓で育った家内は海が好きな私に言いました。「人間は元々エデンの園の森にいたのだから,山がいいわ」と常々旅行を願いました。10月17日に亡くなり,その夜,通夜をし,18日に葬儀をしました。20日には関空から韓国チェジュド(済州島)のフォーラムに出席しました。

チェジュド(済州島) 2016年10月21日 岩村カヨ子の写真 Kayoko Iwamura Pastor Yoshio Iwamura

 世界遺産でもある自然が豊かな観光地です。自然を愛でた西行[1118-1190]が歌ったように,「花も枯れもみぢも散りぬ山里は寂しさを又問う人もがな」と。自然の絶景,移りゆく山並みの美しさ,旅情では別離の哀しさは埋め合わせることはできませんでした。
 時間が経過すれば,離別の悲しみから解き放たれるのでしょうか。
 「弔い」をする意義はあるのでしょうか。「弔い」が鎮めるのでしょうか。
 身近な者の死を体験して日が浅いので,普通の論考とは異なり,「私」が多く登場することを最初にご了解賜りたく思います。

目次

(1) 死の定義
  a.日本人の死生観3
  b. 死の定義4
    肉体からの霊魂の分離 プラトン
    人間の死は人格的な死
  c. キリスト教とキリスト者の相違6
    否定の論理の欠落7
    沸騰主義
    キリスト教会の終焉8
(2) 犠牲的な死
  a. 何で私ばかりがこんな目に 妻への懺悔
    肉のとげ9
    殺す者
  b. 私は殺人者
    イサクの従順10
    生 ⇒ 殺 ⇒ 死
  c. キリストを殺す
    共苦
    罪と罰11
    夫婦は一体
    死んで生きる12
(3)  弔い
  a. 遺体に寄り添うボランティア
    棺
    遺体13
  b.「弔い」「葬り」を忘却してはいけない
    喪の期間14
    自然の救済
    0葬15
    健康の定義16
 c. 弔いとは魂の医療者の職分
    英霊17
    死の反対は命ではない18
    復活

(1)  死の定義
 日本人の死生観
育てた養子孝太が東京から神戸に来て,10分もたたないうちに訪問看護師が私に血圧が下がっているといいました。私は脈がないので息があるか確かめました。今まで息をしていたのがなく,心臓も止まっていました。私は「死」について何を基準にするか,「みんなで『死』を考える会」会長であるにもかかわらず,配偶者の逝去を目の当たりにして,いつ家内は死体になったのかわかりませんでした。たとえば,死後何日間は爪や髪の毛,ひげも伸びます。昆虫少年であった私は同趣味の東京大学養老孟司氏が「機能が不可逆的に回復不能になる点」と定義していることに半信半疑でした2)
「後戻りできない死」(死の不可逆性)について養老先生が述べられる定義だけでは判断できません。
9月24日に,事故で母親が瀕死の状態だと教会のメンバーである母の息子から相談を受けました。聞いて見ると,心臓は動き,体温はあり,呼吸はしています。しかし,私は現代の祭司よろしく,「お母さんの脳幹が溶けていると医療が診断しているのだから,延命治療は無意味です」,と長男に申し上げました。神戸新聞会館で依頼された「『死』を考える」講座の第2回目で,淀川キリスト教病院名誉院長の白方誠彌講師が脳死による臓器提供の是非について話されたことを学んでいたからです3)。9月27日に通夜,28日に教会で葬儀を行い,私が司式をしました。

神戸国際キリスト教会葬儀  宮田綾子姉 2016年9月30日 Pastor Yoshio Iwamura

 10月17日,三村和子看護師が,何時何分に妻が逝去したかは家族である私が決めることと言われました。その時間をその日の午後,訪問医師である池垣なつ院長は死亡診断書に記入したのです。

 歴史書『()()倭人伝』によると,死は忌と穢れです4)。死後,人間は霊として存在するという日本的なアニミズム,有霊観があります。()み嫌う「()」は喪中でつつしんでいる一定の期間であり,忌が明けると言ったりします5)。お隣り,家の前に「忌」の貼り紙をし,葬儀から帰ると「清め塩」を身にふりかけます。聖書の中にも塩は清めの効能をもっています(Ⅱ列王 2:21)。日本人は肉体よりも魂を大事にします6)
 仏教が渡来してからの西方浄土の十万億土という遠い彼方という発想ではなく,古代の人々は,できるだけ死者の世界を自分たちの世界と余り距離のない所に想定して,死者が自分たちの周辺にいると素朴に信じたようです。「先祖が草場の陰から見守ってくれる」とか,「そんなことではご先祖さんが,草場の陰で泣いている」,と言った表現はそのことをよく表していると思います。死を忌み嫌いながら,一方では,先祖の魂は身近に感じていたいという願いや気持ちを今も私達は引きずっているように思います7)
 幼い時に昨日まで一緒に遊んでいた友が,こんもりした墓に埋められたことは「死」という現実を知る機会になりました。小学校へ行くようになってまもなくのことでした。その時は「死」とは何かを考える力はありませんでした。
 今日,「0葬」を願う人が増えています。「0葬」とは火葬場から骨を持ち帰らない,散骨すらしないのです。遺骨を弔いの対象にしない究極の葬儀です。3.11以降,東北ボランティアにほぼ毎月訪問しています。宮城県石巻市の火葬場では遺骨の受け取り拒否ができません。関西以西は昔から部分収骨があるので比較的容易に拒否できます。関西では「0葬」と言いますと,喪主が一筆書けば,引き取らなくてもいいのです。散骨を願っても,「骨を捨てるのは乱暴だ」と言われ続け,悲嘆に暮れていた人々には「0葬」は朗報です。
 葬儀,墓,宗教に関心が薄くなった日本では,たとえば墓参りはちゃんと励行していても,自分の菩提寺の名前,宗派すら即答できない人が増えています。終活ブームで,「戒名いらない」「墓いらない」「遺骨いらない」と言う人は自分なりの死生観が確立しないのです。「○○いらない」と言うのは,単に割切った考え方をしたいだけであることを,見抜かなければなりません8)
 「歴史の中でわたしたちの時代である今,わたしたちは死者に対する心遣いをする(あるいはしない)そのやり方が激変している時を過ごしているのである。……死んだ者の体を,ふさわしい敬意をもって扱うことを忘れてしまった社会は,まだ生きている者たちの体をないがしろにしたり,痛めつけたりさえしたりする傾向のある社会なのだ。死者がどこへ行くのかについて,何も確かな希望を持っていない社会は,子どもたちの手を取って,希望に満ちた将来へと導いていけるという確信のない社会なのである」,とアメリカの説教学者トーマス・ロングは警告します9)
 2010年,弟鉄男,なんでも語り合えた友戸村若文兄,親しかった川田祐二牧師の3人が逝去しました。妻がその年,2月8日にメラノーマ[悪性黒色腫]の手術に成功したものの,いのちの尊さ,死について今一度考えることを迫られました。

右 岩村カヨ子 2011年8月23日  家内が最も信頼する村田洋三医師,山崎和子(旧姓 赤)看護師 Kayoko Iwamura

 翌年,東日本大震災が3月11日に発生。3月21日に見た被災地の惨状は死生観を根本的に覆しました。遺族から「幽霊に会いたい」と言われて,宗教者として沈黙せざるを得なかったのです。どう応えるべきか悶々としている4月初旬に,神戸新聞会館から,「『死』を考える」連続講座を依頼されます10)。「みんなで『死』を考える会」が発足し,会長として現在に至ります。

b. 死の定義
 魂,理性が肉体から分離,「移行としての死」をプラトン[紀元前427-347]は説きました。プラトンは師であるソクラテス[紀元前469頃-399]の師について語りました。対話論『パイドン』の中で,師を「霊魂の身体からの分離」と描いています11)。一方,キリスト教は肉体と霊の対立を強調しません。ソクラテスが言うように,体は霊魂の牢獄ではなく,むしろ宮(神殿)であり,パウロが言うように聖霊の宮なのです(Ⅰコリント 6:19)12)
 ギリシアの代表的な哲人ソクラテスの死とイエス・キリストの死をまず比較してみましょう。ソクラテスは毒を喜んで飲み干しました。死を少しも恐れていません。死を滅びとは思わずに,解放とみなしました。死は苦痛を意味しません。幸福な瞬間ととらえました。なぜならギリシア人の神であるアポロンのもとに行くことができるからです。悲しみの時ではなく,歌を歌って死を喜び迎えたのです13)
 国際宗教である仏教が,日本に定着していくにつれ,土葬であった弔いを火葬に変えていきます。『続日本紀』は最初の火葬について記録。8世紀の僧侶道昭です。持統天皇は仏教徒として火葬されます。しかし,廃仏毀釈のため明治天皇から昭和天皇まで土葬で葬られています14)
 聖書から人類父祖をひもとくとき,神はアダムとエバに是「善悪の知識の木」から「食べると必ず死ぬ」という戒めを与えました(創世記 2:17)。禁断の実を食べなければ,二人は死ななかったことになります。人間の死に神が介入することが最初から描写されています。人間の死は不慮の事故,病気,老衰などの自然死によるのではありません15)
 創世記 5:24「エノクは神と共に歩み,神が取られたのでいなくなった」。
 申命記 32:39 「しかし見よ,わたしこそ,わたしこそそれである。わたしのほかに神はない。わたしは殺し,また生かす。わたしは傷つけ,またいやす。わが手を逃れうる者は,一人もない」。
 ヨブ 14:5  「人生はあなたが定められたとおり 月日の数もあなた次第。あなたの決定されたことを人は侵せない」。
 詩編 90:3 「あなたは人を塵に返し 『人の子よ,帰れ』と仰せになります」。
 人間の死は動物の自然死とは異なり,超越論的存在である創造者との関係性における「人格的な死」,と聖書は一貫して述べます。
 したがって,アポトーシス[細胞死]による死の不可逆性と細胞学の視点からだけでは説明できない視座を提供しています16)
 キリストの死に様はソクラテスと対照的です。イエスは叫ばれました。「わが神,わが神,なぜわたしをお見捨てになったのですか』と絶叫されました(マルコ 15:34)。旧約の預言の成就の証明の行程ではありません。超人,つまり地上に来る前に得ていた栄光の存在だからそんな痛みは乗り超えられると想起するのはまちがいです。文脈で,キリストの心情が吐露されています。「わたしは死ぬばかりに悲しい(ギリシア語ペリルーポス 「深く悲しんでいる,悲嘆にくれている」の意)」,と死ぬ程までの悲嘆に襲われている様です(同 14:34)。
 キリスト者のことを証人という場合,「証人」(ギリシア語マルトゥース)は英語 martyr 殉教者の語源です。殉教者とは英雄的「死」ではなく,死に至るまでもだえ苦しんだことを示唆しています17)
 クリスティアニスモス[キリスト教]と,クリスティアーノス[キリスト者]の相違とは死線,死の陰の谷,重篤の際に浮き彫りになります。歴代のキリスト教会は土葬の前に香を焚き,死臭を隠し,エンバーミング(死体整形―死化粧・防腐処理)に腐心しました。火葬は「死後の復活」を妨げるものとして,強く忌み嫌うイスラーム教ほどではないけれど,ローマ・カトリック教会も土葬にこだわってきました。バチカンにしても第2バチカン公会議[ラテン語 Concilium Vaticanum Secundum 1962-1965]まで土葬に執着してきました18)。教導権を有するローマ・カトリック教会は復活の時に,死んだとしても肉体そのもののよみがえりを信じてきました(Ⅰコリント 15:42)。骨など痕跡がないと復活の際,神は組み立てにくかろうと恐れたからでした。

c.キリスト教とキリスト者の相違

 「キリスト者」は初代教会ができる途上の時,地域の人たちから異端として蔑まれました。「見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は,丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで,弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」(使徒 11:26),と。「キリスト者」(クリスティアーノスⅠペテロ 4:16)はユダヤ教から異端として迫害を受けました。
 キリスト者としてキリストに追随することは死,殉教,迫害を覚悟しなければなりません。「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆,迫害を受けます」(Ⅱテモテ 3:12)。火葬や,獣に喰われたり,肉体が朽ち果てようが,神の証人は埋葬について一義的にこだわることが大事ではありません。殉教した魂はどんな亡骸の状態であろうと神に覚えられているはずです。「『今から後,主に結ばれて死ぬ人は幸いである』と。」“霊”も言う。『然り。彼らは労苦を解かれて,安らぎを得る。その行いが報われるからである』(黙示録 14:13)。また必ずしも教会に籍がなかったとしても,死は飲み込まれます。「アダムによってすべての人が死ぬことになったように,キリストによってすべての人が生かされることになるのです」(Ⅰコリント 15:22),と。
 アブラハムが信じたように,「死者に命を与え,存在していないものを呼び出して存在させる神」(ローマ 4:17)なら,不可能を可能にできると宗教者は信じます。
 コンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]以降は,迫害される側から180度変わっていきます19)。聖書にない「キリスト教」(クリスティアニスモス)という言葉が誕生します。「キリスト教」が歴史上,生殺与奪権を持つようになります。教会は考えを異にする者を無慈悲に排除,迫害,追放します20)。十字軍,異端審問,魔女狩りを行なう側だった歴史認識を否定してはいけません。組織温存のために異議を唱える者を抹殺した流血の罪をもっています。マザー・テレサは回心のための布教をせずに,インドの貧しい人々に仕えます。業を煮やしたバチカンはマザーの働きをやめさせるべく刺客を送り込んだのも一度ではありません。マイノリティーの方に真実があったゆえに,マザーに軍配が上がったのです。マザーの弟子は増えました。
 教会が伝道して信者を増やしてきたことは歴史が証明しています。“the Great Commission”「あなたがたは行って,すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」(マタイ 28:19)を旗印にしてきました。しかし,キリストは決して回心者を増やしなさいとは言われませんでした。弟子を増やしなさいと言われたにすぎません。西方教会,たとえば,ローマ・カトリック教会のイエズス会士フランシスコ・ザヴィエル[1506-1552]や,プロテスタント教会の福音派は未信者に原罪からの「救い」「永遠の命」「信仰」 を伝えました21)。人間救済が中心です。一方,仏教などは草木そうもく国土こくど悉皆しっかい成仏じょうぶつ[草木や国土のような心識をもたないものも,すべて仏性ぶっしょうを有するので,ことごとく仏となりうるという]自然界も救済の対象です。
 キリストご自身はだれひとり改宗に導いておられません。つまり仏教信者や神社の氏子たちをキリスト者に回心させるようにはキリストは言われなかったのです。布教=神の意志の伝道スタイルから,人々に「仕える」=神の意志に立ち帰らなければなりません。Great Commandmentとは「隣人を愛しなさい」です(申命記 6:5,ローマ 13:8, ヤコブ 2:8, ガラテア 5:14)。同時に,「神は彼らを祝福して言われた。『産めよ,増えよ,地に満ちて地を従わせよ。海の魚,空の鳥,地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』」(創世記 1:28)と言われました。自然界をどのように管理するか人間に委ねられました22)。キリスト教は神の慈愛,隣人愛を説く宗教と言われます。しかし,教会は考えを異にする群れ,宗派,人間を人間扱いをしないで排除してきたのです23)
 したがって,キリスト教会に今一番求められているのは「悔い改める」(ギリシア語メタノエオー 「変化」+「考える」=「視座を変更する」)というキリスト教の歴史に対する「否定の論理」です(マルコ 1:15)。メタノエオー(新約に33回)や名詞形のメタノイア(同 22回)には,「罪を悔い改める」というより,因習,伝統,常識という固定概念から180度転換することを意味します。
 超越論的存在と縁(religio=結び)もたない神道界,仏教界は,汎神論に依拠してきました。確かに自然の営みがもたらす安息はあります。しかし,生老病死愛別離苦について自然が絶対的救済につながるかどうか,冷徹な弁証法的否定はしてこなかったのではないでしょうか。一部を除いて,伝統的宗教,親鸞,聖徳太子のいずれもが「否定の論理」がありません24)。二番目に,「非寛容からの脱皮」です。とくに「キリスト教は神の愛や隣人愛を標榜する。しかし,現実には,宗教的迫害を躊躇しない」と神戸国際大学教授の近藤剛は述べます25)。三番目に,「ヒエラルキー清算」です。数合わせに腐心し,人数拡大による数字で一喜一憂する体質,宗教エリート帝国の統治体制に終止符を打つように,社会学者の村田充八が発題されるように,レフォルマンダ [ラテン語 reformanda 「改革され続ける」ではなく,「改革されなければならない」to be reformed]ことを宗教者は自覚すると同時に,実践すべきです26)
 キリスト教は苦しみを体験することをすすめる宗教でしょうか。否,家族の不和,人生のどん底から這い上がれないみじめさ,裏切られたり,非寛容な自分の精神的苦痛から解放され,しあわせになることが福音の本質ではありませんか。神との平和からもたらされる『我と汝・対話』(マルティン・ブーバー 1878-1965)が言ったように「我と汝」の垂直の「活動」の関係があれば,試練を耐える道が備えられていることも確かです。御国の成就だからです27)
 しかし,コンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]がキリスト教帝国を作りました28)。約1500年間,伝道による異民族支配,異教根絶,土着信心排斥により,拡張に次ぐ拡張により,増殖してきました。キリスト教は,恐慌,ペスト蔓延,紛争に傷ついた民にカンフル注射のように,神学で塗り固められた永遠なる慰め,アガペー愛,「逃れ道」も喧伝してきました。さらに音楽,建築様式,美術により宗教性で感情を高揚させてきました。だからこそ,世界最大の宗教人口を擁するほど膨張してきたと言えます。沸騰主義です。恥ずべきことに,偏差値の上昇に熱をあげる受験生のような未熟な独り善がり,無思慮な振る舞い,非寛容な排除による流血の罪で血塗られていました。「宗教」とは「聖なる事物(choses sacrées)に関連する信念と慣行のシステム」であり,「聖なるもの」とは,「集合的沸騰」effervescence collectiveという一種のエクスタシーから発生すると社会学者エミール・デュルケーム[1858-1917]は述べています29)。もし覚醒剤常習者のように,一時的な快楽,享楽,恍惚状態にある人がしあわせと定義するなら,子どもでさえ一時的なまやかしと識別できます。
 現在,日本の多くの識者,政・官・財・学はなぜ宗教に硬化した態度を示すのでしょうか。既存の宗教が,「生きる」しあわせ,恩寵,感謝を強調し,「死ぬ」峻厳さ,苦悩,恐怖を忘却するようにしました。信者たちの思いから「弔い」についても形骸化,形式化,風化させてしまったことが宗教離れの最大の理由と言えます。
 フリードリヒ・ニーチェ [1844~1900]はヨーロッパを支配するキリスト教道徳へ反旗をひるがえしました。「真理への信仰」や,自由主義,民主主義などの欺瞞性を告発しました。エリート宗教帝国が瓦解するように民を覚醒させました。キリスト教は「権力への意志」に根ざしているという断面図を白日の下にさらけ出しました。体制の旗手,擁護者,権益を受け取る側に属している限り,民衆の苦悩,とりわけ死別,高額な医療費,医療ミスなどに無感覚な方が安泰です。インフォームドコンセントからメイキングデスィジョンに移行したからとて,現代のバベルの塔である医療界,白い巨塔に抗えないのです。
 「わたしたちは,多くの人々のように神の言葉を売り物にせず,誠実に,また神に属する者として,神の御前でキリストに結ばれて語っています」(Ⅱコリント 2:17)とパウロが語るように,「ただで受けたのだから,ただで与えなさい」(マタイ 10:8)という姿勢を忘れ,企業の営利体質と変わらない団体になっていないかどうか,常に,吟味していくべきです。
 キリスト教界が数的拡大に腐心し,魂の医療への改革を怠れば,キリスト教会の終焉を目撃する証人になるでしょう。

(2)  犠牲的な死
a. 何で私ばかりがこんな目に 妻への懺悔
 妻の末期がんによる痛みは鎮痛剤の追加によっても追いつきませんでした。「『タリタ,クム』と言われた。これは,『少女よ,わたしはあなたに言う。起きなさい』という意味である」(マルコ 5:41),と。「わたしには金や銀はないが,持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり,歩きなさい」(使徒 3:6),と。「主はあなたのすべての不義をゆるし,あなたのすべての病をいやし」(詩編 103:3),と祈られます。
 信仰者であるならば,友,仲間や家族の見舞は少なからず日々の生活において,オプションではなく,標準装備として頻繁です。牧師の妻であるならば日常茶飯事です。

左 岩村カヨ子 菅原洸人[2013年11月2日逝去]画伯を見舞う 2013年10月31日 Kayoko Iwamura
岩村カヨ子 入院姉妹を見舞う 2,012年4月6日 Kayoko Iwamura

 病んでいる人に,仕えてきたのに,今度は自分が体験するわけです。家内は「わたしがどうして……」と発しました。なぜなら「もしあなたが,あなたの神,主の声に必ず聞き従い,彼の目にかなう正しいことを行い,彼の命令に耳を傾け,すべての掟を守るならば,わたしがエジプト人に下した病をあなたには下さない」,と聖書に書かれている知識があるからです(出エジプト 15:26)。夫として,何よりも牧師としてどう慰めればよいのか狼狽しました。
 私は牧師として失格でした。なぜなら家内が苦しみもがく中から発した言葉を包み込み,感情移入しませんでした。被災地の遺族に接するように,一緒に涙の革袋として受け取めなかったのです。牧師の性(さが)は哀れです。講壇から語るように聖書から,「痛み」のとげについて説明をしました。
 一方,ボランティアで被災者から「幽霊でもいいから会いたい」「ごうの結果なんでしょうか」「因果応報のたたりですか」,とよく問われました。その度に,助言を与えたりせずに,寄り添い,共苦し,聞く側に徹していたのです。被災者,つまり三人称のHe,She,Theyに対しては,「ヨブのような信仰」,つまり神に全幅の信頼を置きなさいと求めることなど毛頭考えられません。ただただ感情移入[have a compassion with ~]の精神態度による冷静さ,落ち着き,慰めることに徹します。
 二人称の「あなた」である妻はいたらない連れ合いをずっと支えてくれてきたのです。他の人が一人称の自分に祈ってくれなくても常に祈ってくれたのが妻でした。そんなかけがえのない家内に,痛みについて次のように聖書講義の説明をとうとうとしてしまったのです。
 パウロは自分の身体の「とげ」(ギリシア語スコロップシュ「病気など甚だしい苦痛を与える肉体的障害」の意)が祈っても取り除かれなかったことがあります(Ⅱコリント 12:7)。そのときに「わたしは弱いときにこそ強いから」(10節),と私は家内を教えました。「弱い」のギリシア語はアスセノー(「病気である」の意)の時こそ(トテ 副詞「そのとき」「同時に」)「強い」(デュナトス 「力強い」ダイナマイトの語源)と説明しました。家内はいつものように澄んだ目で素直にうなずきながら聞いていました。実行に移すとは思いもしませんでした。訪問医師が2,3日の内に親族を集めてくださいと言われて,ずれて一週間後に東京から,実の子のように育てた孝太が来神。もう一歩も歩けない,寝返りも自分で出来ない衰弱した身体です。明石の玉子焼を食べさせてやりたいと,起き上がって車いすで行くことになります。寝たきりで過ごしてきたのに無謀でした。首がぐらぐらです。村上裕隆君が運転し,孝太と私で首と頭を支えて,5人で向かいました。レストランで玉子焼きを共食しました。
 帰宅し,二人だけになった時,「死ぬほど苦しかったわ。けれど親らしいこと何もしてあげられなかったから,神戸に帰って来た孝太にせめて元気だと示して安心させたかったから……」,と苦痛で顔をゆがめながらも,私に言い放ちました。全力を出し切ったもぬけの殻同様の状態で,七転八倒していました。その夜,二人は一睡も出来ず,家内の浸潤した骨をさすりながら朝を迎えました。
 牧師の家庭だから,夫婦はいつも模範的,理想的,信仰的なことばかり言ったり,行動しているとするなら,偽善です。怒り,苦悩の叫び,絶叫を素直に言い表せないなら人間性を喪失した欺瞞,世間体,愛の冷え切ったカップルです。
 私が妻を殺しました。京都大学名誉教授の水垣渉先生が「聖書セミナー」で語られたことを自分が演じたのです。殉教者ステファノの最期の言葉にあるように「今や,……殺す者(フォネイース 複数形)となった」のです(使徒 7:52)30)。憎い相手ではなく,最も愛する者を「殺す」地獄を体験しました。

b. 私は殺人者

 ボランティア活動に東奔西走する働きは二人三脚でした。どちらかが欠けても目標地点に到達できません。運命共同体です。配偶者,協力者,戦友でした(フィリピ 2:25)。二人で一人,「人」という漢字の表記通りです。息子や娘に先立たれ,嗚咽する親の悲しみの哀愁を帯びた旋律の波長と同じ旋律が妻の死後,途切れることなく,響いています。私が「殺し」た故に,一層いたたまれない空虚感,慟哭,闇が襲います。見るものすべて,カラーの色彩は消え失せました。モノトーン調です。「昼の十二時になると,全地は暗くなり,それが三時まで続いた」と,父なる神は御子の死を直視できませんでした。神の心情と同じように闇に覆われました(マルコ 15:33)。
 パウロがステファノを殺す殺意,ダビデがウリヤを戦場で殺す殺意,モーセがエジプト人を殺した殺意は邪魔,敵意,怒りが駆り立てたものです。私の場合,妻に敵意はまったくありません。愛している者を殺さねばならない動機は皆無です。
 モリヤ山で父アブラハムが自分に短刀で突きさす殺意を感じ取ったイサクは抵抗しませんでした。妻は牧師である夫の聖書釈義に抗いませんでした。イサクのように従順に受け入れました。恭順な精神態度です。「弱いときにこそ,私は強い」という権威,代言者からの言葉,一点の疑念も抱かない素直な姿勢です。だから寝たきりで末期(まつご)の水しか飲めない衰弱しきった身体で,力以上に,無謀にも車に乗り込みました。笑って写真に収まりました。
 神はモリヤ山でイサクの代わりに「茂みに一匹の雄羊」を備えておられました(創世記 22:13)。アブラハムは「イサクを返してもらい」ましたが,神は家内を返してくださいませんでした(へブライ 11:19)。配偶者の身代わりはなく,「死」へ幕が閉じられることになります。

 それから約3週間経て,痛みながら,<参照>岩村カヨ子は地上の命を閉じました。アブラハムは「イサクから生まれる者が,あなたの子孫と呼ばれる」と神から神託を受けたにもかかわらず,「あなたの愛する独り子イサクを……ささげなさい」とアブラハムは不条理な神から啓示で苦悩したでしょう(へブライ 11:18;創世記 21:12,22:2)。子どもを亡くした親が「親より先に死ぬほど親不孝はない」と号泣する場面を見聞きすることがあります。子どもを殺さねばならない親の気持ちは想像するだけで身の毛もよだちます。妻を私も殺しました。

 c.キリストを殺す

 キリストが花婿であり,キリスト者が花嫁の聖書観は信仰生活の途上でだれしも共通に理解しています(黙示録 19:7,8)。今回,パラドックス,つまり逆転がありました。私に殺された妻はキリストと同じ体験をしたのではないかと,思えました。妻が花婿の立場に転換したのです。キリスト自身が苦悩を闇で呻きました。「キリストは,肉において生きておられたとき,激しい叫び声をあげ,涙を流しながら」叫ばれたのです (へブライ 5:7)。つまり「激しい叫び声」をあげたキリストように,花嫁である妻が主似化したのです。激痛,キリストと同じような「共苦」があった妻はしあわせだったのではないかと思えてきました。「もし子供であれば,相続人でもあります。神の相続人,しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら,共にその栄光をも受けるからです」,と神と一体になることができたからです(ローマ 8:17)。妻は「共に苦しむ」(ギリシア語スムパスコー スン「共に」+パスコー「苦しみを受ける,苦難を経験する」参照 マタイ 17:12, 使徒 1:3)。試練を忍耐したのです(Ⅰペテロ 2:6)31)
 妻はキリストの苦しみ,悲しみ,十字架を味わうという精練の機会を得たのです。
 「父なる神」は,最も愛する御子キリストを十字架で殺しました。憎しみがなかったにもかかわらず,最愛のイエスを殺しました。「殺す」とは血を流す行為です。「まだ,罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません」私に代わって,配偶者が血を流してくれました(へブライ 12:4)。「血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです」(へブライ 9:22)。二人称の同労者が2016年1月4日,兵庫県立がんセンターでガン手術により,血まみれになって,私の罪を背負ったのです。
 キリストは死にいたるまで従順でした(フィリピ 2:8)。二人称の「あなた」妻も死にいたるまで,一人称「私」に従順でした。そして妻を殺した私は,神のチムグルシー(胆苦しい)を受肉したのです32)
 神ご自身が愛するわが子を殺され,葬ることにどれほど悲しまれたか,苦縁による直結です。妻を殺してはじめて神の苦しみを共有(ラテン語patī(=to suffer)「苦しむ」とcum 《奪格》「共に」を意味する前置詞 ⇒ 英語 compassion)することができるようになりました。つまり,「共苦」,一緒に苦しむことができるようになりました。
 最愛の妻の死に様から感知し,神と一体の関係ができたことになります。
 アイヌたちは,死の相対性を克服する術を身につけていました。アイヌは自分たちと同じビオス(bios)であるクマを殺すことによって,死と相対的な関係にある「有限の生」ではなく,死を超越してしまった「無限の生」を,自分たちの存在する世界,つまりアイヌモシリの中心軸に取り戻そうとしていたのです。死の相対性を克服するために,あえてビオスの死を演出し,そこに常在のゾーエー(zoë)を感じ取ろうとしていました,直観を体現していた感覚がわかるようになりました33)
 人類はすべて殺人者です。思いの中で第三人称や第二人称に「あいつさえいなければ」と考えたりした時点で,すでに殺人者です。「しかし,わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は,最高法院に引き渡され,『愚か者』と言う者は,火の地獄に投げ込まれる」(マタイ 5:22),と。つまり,人類74億人,これまでの人類すべてが殺人罪を免れることは不可能です。一度罪を犯した場合と,何度も罪を犯した犯罪者はどちらが罰を免れることができるかと言えば,一度であろうと数度であろうと,罪は償わなければならないのです。歴史そのものがいがみ合い,傷つけ合い,殺し合いの繰りかえしです。殺人者は犯した「罪」ゆえに「罰」を受けねばなりません。地獄の責め苦はあります34)。なぜなら神は悪と共に同居することができない方だからです。罪を償うために御子キリストを罰するという手段を講じられました。「そこで,一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように,一人の正しい行為によって,すべての人が義とされて命を得ることになったのです」 (ローマ 5:18) ,と。
 弟アベル殺しの実行者のカインのように,妻を殺すために私は生まれてきたのでしょうか。配偶者のいのちを否定して私は生きている悲劇,矛盾,悲惨さが生じたのです。
 「それゆえ,人は父と母を離れてその妻と結ばれ,二人は一体となる」ように神によって結び合わせられた関係です(エフェソス 5:31;マルコ 10:9)。
 「一体」の「人」であったのに,半分に切り裂かれました。「神が結び合わせてくださったものを,人は離してはならない」(マルコ 10:9)と命じられているのに,妻を殺すという悲劇を演じたのです。生きる力,共食,微笑み合う関係性は途切れました(創世記 1:24;マタイ 19:5,6)。2011年から津波で栽培ができなくなった宮城県石巻市で,「田・山・湾の復活」の米づくりを始めました。稲刈り,脱穀,天日干し,籾すりの行程で,穀粒が砕けてしまうときがあります。
 砕けて半分になっても米粒の胚芽米の原細胞にいのちがあれば,発芽していきます。2014年4月18日,OCCカレッジで「キリスト教と非戦」の講義をした時,庭に咲いていた「からし種」の花から「種」をいただきました。団地の庭で,「からし種」は高さ2メートル以上に成長しました。キリストのそのたとえは最も小さな種が大きく成長することを意味しているのではありません(ルカ 17:5,6)。「いのち」があれば豊かに成長することを弟子たちに教えました。夫婦「一体」であった伴侶の「いのち」は,「一粒の麦の種」になりました。「はっきり言っておく。一粒の麦は,地に落ちて死ななければ,一粒のままである。だが,死ねば,多くの実を結ぶ」(ヨハネ 12:24),と。たとい種が半分になっても,「いのち」があれば豊かな実を結びます。砕けている種であっても原細胞から芽が出て,根を養うほどのエネルギーが備わる。それには期間が必要だと保田ぼかし(無農薬,有機による乳酸菌こやし)を教授してくださった保田茂先生は「農指導」で語られました。
 神学者カール・バルトは釈義します。「播かれているもの[種子]が生き返るためには,一つの死滅(Sterben)を必要とする,と。この死滅がどうなっているか,したがって《フソーラ decay 腐朽性》,《アティミアinfamy はずかしめ》,《アオセネイア sickness 病気》―それらのものでわれわれば自分の現存在を終結させる。……それこそ死の暗黒であり,いかなる種類の光もそこに照らし入らぬ暗黒であることは疑う余地がない」,と35)
 花婿であるキリストと花嫁であるキリスト者は「一つ」です(ヨハネ 17:22)。配偶者の亡骸はなくなっています。ここにはいません。しかし,死んではいません。キリストは「命を与える霊となったのです」とあるように,連れ合いも実は生きています。(Ⅰコリント 15:45)。≪動画参照≫死の反対は,生命ではなく,よみがえりです。「わたしは、お前たちの上に筋をおき,肉を付け,皮膚で覆い,霊を吹き込む。すると,お前たちは生き返る」(エゼキエル 37:6),と。

(3) 弔い
a. 遺体に寄り添うボランティア

 日本では縄文時代には死体を曲げて土葬していました。弥生時代頃から貴族など高位の人々を古墳に葬ることがなされます。死者はケガレなので触れてはいけないという禁忌がありました。ユダヤ教でも「人の死体に触れて汚れた者たちがいて,彼らは,その日に過越祭を祝うことができなかった」,と戒律がありました(民数 9:6)。神社の場合,死はケガレです。「忌み嫌うもの」「不浄なもの」です。ですから神社は葬儀を行うお社(やしろ)がありません。いつしか戒めを守るために鳥居をくぐることまでが禁止というまちがった解釈も生まれました。6世紀に日本に伝わった仏教の場合,「死」はケガレではありません。葬儀を本堂で行ったりします。初七日,四十九日の法要を営みます。
 葬儀を「荼毘(だび)に付(ふ)す」と言ったりする場合があります36)。キリスト教にしても遺族たちが遺体に寄り添う通夜があります。その前に湯灌,清拭(せいしき)をかつては家族がしていました。
 故人の姿を何度も確認するのです。たとえば,末期の水も,死にゆく時だけではなく死後も行われるのは,遺体に対面してのお別れのあいさつです。弔問者も,掛けた白布をはずして死に顔を見てお悔やみを述べます。死に顔がよければ安らかな死であるとして残された生者も慰められます。あまりいい顔でない時にはあえて言及しないなどの作法もありました。死に顔の確認が,葬儀までの間に頻繁に行われてきました。時には死者が口や鼻から出血することも,故人を送る生者にとっては重要な事象であったりもしました。佐渡の外海府(そとかいふ)地方では,この状況を「アカガハシル」と言います。死者がこの世への思いが強いときに起こるもので,遺族はそれを思いやって供養することが大切とされました38)
 かつての葬儀式は2段階ありました。自宅で出棺の儀礼の後,葬列を組んで,寺院や墓地で引導などの最終的な儀礼を行ないます。この当時,自宅だけで儀礼が完結しなかったのです。東北ボランティアで宮城県石巻市に行きますと,葬儀当日しか葬儀場を使いません。通夜までは自宅で行うのです。
 自宅から出棺した後も,遺体に寄り添って葬列を行います。死者をあの世に送り出すために,供物や葬具を持って,行列をした光景をご覧になったことがおありでしょう。死者の世界とされる寺院や墓地において儀礼をし,死者を「あの世」に送り出します。つまり移動も寄り添いの過程でした(エレミヤ 9;16)。
 納棺の棺は5万円くらいの価格です。2011年,棺が足りないというパニックを目の当たりにしました。あまりにも遺体が多いため,焼き場のボイラーを24時間燃焼し続けても追いつかず,故障してしまいます。石巻市行政は操業を中止しました。東北三県で最も被災者が多く,3千人以上の遺体処理に住民は困惑しました。雪が降る寒い時期とは言え,海水中の微生物によって,外観は性別が判断できないほど腐乱しています。
やむなく,遺族は仮埋葬として土に埋めました。日本は宗教オンチです。全国紙の辣腕の記者たちも例外ではありません。東北では土葬が復活していると報道見出しに踊りました37)
 国立社会保障・人口問題研究所が将来の死亡推計をしています(1997年発表)。2005年は108万人であるが,2040年には160万人に達すると推計しています。八つの火葬場しかない東京23区で,2018年に5区内で14基(23区で54基),2033年には23基(同 87基)が不足しています39)。火葬場が足りないのです。
 南海トラフ地震が起こるなら,犠牲者数32万人,全壊238万棟か,と『読売新聞』(2012年8月29日付)は報道していました。つまり圧倒的に棺の数が足りません。しかし,政・官・財・学,メディアのいずれもが,多数の遺体処理について対策を述べていません。ひとつにはなるべく「死」を考えないように,楽しく生きようというエートスが影響しています。私は,多量の遺体は高速道路に一時的に山積みするしか解決策はないと思っています。
 1965年以降,通夜が告別式化して自宅以外で行なうようになっても,遺体への寄り添いを何とか維持しようとして自宅に搬送して死者との別れの時を家族が過ごすこだわりもだんだん過去のものになろうとしています。病院などの施設での死亡が増加します。1975年を過ぎますと,自宅における死と病院死が逆転していきます。寄り添いが重要視されなくなりました40)

b. 「弔い」「葬り」を忘却してはいけない

 弔いの後,「喪」に服すこともなくなり,遺影,墓,位牌も何も残らない宗教的儀式の形骸化は,いのちのある社会ではありません。死んでいる社会です。主題聖句の喪に服す期間は「七日」と書かれています。「三十日」(申命記 34:8),「四十日」「七十日」(創世記 50:3)と悲しむ期間があります。別れは切り裂かれた者にとり,耐えがたい寂寥感が伴うからです。
 たとえば,妻の葬儀は死亡から24時間弱の早い時に行いました。ユダヤ教徒も48時間以内に葬式と埋葬(土葬)をします。葬儀後にヘブライ語で「シヴアー」と呼ばれる喪の期間があります。シヴアーは埋葬後の7日間です。遺族は外出せず喪に服します。喪に服す期間があることにより,遺族はゆっくり慰められるのです。シヴアーの後にも「シローシーム」という埋葬後30日間続く服喪の期間があります。30日間,髪やひげを剃らなかったりします。死者に対する儀礼と考えます41)
 プロテスタント教会の最大のアキレス腱は,「喪」の期間がないことです。御霊はすぐに天上に召されたと式文,讃美歌,説教で教えられているからです(ルカ 23:43)。
宗教儀礼について,日本では「供養」と「慰霊」を土付きの福音で考える思慮深さが必要です。供養とは,サンスクリット語のプージャー(pûjâ)の訳で,もともと「尊敬」を意味しています。ですから供養は自分のためにいのちを終えたものに対する手向け(たむけ)の儀礼です。対象は人間だけでなく,あらゆる生き物(例 鯨,魚,蜂),さらには人形,針,入れ歯といった物までが対象になります。供養が仏教用語であり,「慰霊」は神道用語です42)
 神学者パウル・ティリッヒ[1886-1965]は,救済が人間中心主義的なものではないことを論じています。「自然,星と雲,鉱物と植物,動物と我々自身の身体を含む世界,創造されたもの全て」が贖われる対象なのです43)。キリスト者である田中正造[1841-1913]議員が述べたことにも共通しています。「山川草木の口ちなき手なき足なきものと何んぞ選バん。草木は人為人造ニあらず。全然神力の働きの此一部ニ顕わる結果なり。之れ何人ニも見易き神の御働きなり」,と44)。動物の自然死が,人格的な死ではないと退けるのは行き過ぎです。人間の医療のために,動物実験によって犠牲になった生き物の管理(スチュワードシップ)も軽んじるべきではないでしょう。
したがって,死んだペットを供養することも異教として退ける霊的心筋梗塞から卒業すべきです45)
 キリスト者にとっては,供養,慰霊,喪は縁遠いのです。「祈り」「讃美歌」「祈念式」(仏教の法事に相当)になじみがあります。キリストの死,葬りから50日目(ペンテコステ)に聖霊降臨がありました。「舌のようなもの」を信者たちは体感します(使徒 2:23)。観念,哲学的思惟,学問でキリスト体験したのではありません。
 蓮如[1415-1499 84歳]は「一文いちもん不知ふちの尼入道(学問の無い尼入道)なりといふとも,後世をしるを智者とすといへり」,と説きました。(『御文おふみ』または『御文章ごぶんしょう』五帖の二)。初代教会のキリスト自身,弟子たちも,名もない人々でした。(ヨハネ 7:15; 使徒 4:13  「無学な」(ギリシア語アグランマトスは“公認の専門教育を受けていない”の意 )“公認の専門教育を受けていない”の意 )。
 「祈り」によって神,キリスト,死者と一体となっていたのです。イエス・キリストに一度も肉眼で合う機会がなかったにもかかわらず,パウロは,「イエスを見た」(Ⅰコリント 9:1)と告白します。
 山折哲雄先生は,2012年,「『死』を考える」講座で「生の中の死」について話しました。著書の中で,マザー・テレサに会った時のエピソードについて触れられています。「毎日のように死を待つだけの人々を看取りながら,苦しまれることがあるでしょう。思うようにならないこともあるでしょう。看取りが順調に行かないことがあるでしょう。そういうときマザー,あなたはどうなさいますか」と尋ねられると,「そういうときには,祈ります」とマザーは応えました。
 超越論的存在と我と汝の垂直の関係を強調しない仏教家にとっても「祈り」は有効な手段です46)
 私が牧師になる決意をしたのは1993年,イスラエルでローマ・カトリック教会の修道院のエレマイト eremite 隠修者(単独者 神の前にひとりで立つのです)に出会ったことが契機でした。神の観照[Vision (Contemplation) of God]は,仏教の座禅に相当し,静寂の中に神体験をします。決して偉い人ではありません。人に認められなくてもいいのです。世からほめられなくてもいいのです。典型は東方正教会のキリスト教霊性と言えます。「ヘシュカズム」(ギリシア語の「静寂」)を獲得するために,人々は祈るために,呼吸法や体位法,いわゆる「心身技法」を実践します47)
 「0葬」「直葬」「散骨」が流行る時代にこそ,宗教者は視座を転換しないと,「寺院消滅」どころか「宗教消滅」になります。
慰霊や追悼をどうするかを規定することは,行政が介入すべきことではありません。被災者を弔いたいという願いは自然であり,市民が自発的に執り行う種類の儀式になります。津波で命を落とした方の中には,新々宗教,伝統的宗教,無神論の方たちもいます。種々の死生観を尊重しあって,結び合うのを「官」が「民」に企画し,強要したり,排除すべきでもありません。
 しかし,東日本大震災では宮城県仙台市青葉区葛岡墓園では身元不明の24人の遺体が,プレハブの建物の中にひっそりと置かれました。見届けたのは市職員ら12人だけ。お経も,祈りの言葉もない。仏教会から読経の申し入れがありましたが,市側は政教分離を理由に「市職員と宗教者が同席することはできない」と断ったと報じられています48)。「官」は,死者の供養よりも「政教分離」を優先しました。メディアや行政が意図的に宗教者を排除したことは不気味な予兆を感じさせます。
日本の戦前,戦中,戦後の宗教者は,とかく無垢というか楽観的すぎる傾向が否めません。たとえば憲法13条で「すべて国民は個人として尊重される」,と人権が擁護されていると金科玉条のように信じ切っています。日本で一番大事にされているのは国家でもなく,天皇でもなく,家でもなく,個人が尊重されて幸福になることだと宗教者は信心しています。さらに聖職者は「宗教の特別の意義を認めて信教の自由を保障し」と安心しています。教育基本法第15条1項に基づいて,社会生活における宗教の意義や価値を積極的に承認する立場をとっているという理由です。
 しかし,供養,慰霊,追悼にしても政府の主導に従わなければ,できない兆候を注意深く洞察する賢さが必要です。米国のトランプ新大統領がたとえ聖書に手を置いてワシントンカスィードラルで宣誓するとしても,キリスト教国家にあるまじき貪欲,セルフィッシュ,競争原理の価値観がスピリチュアリティを凌駕しています。
 現在,不確実性がどんどん大きくなっています。富をもてる人ともてない人の両極化になり,国境がとりはらわれ,液状化しています。人々はリヴァイアサンとしての国家の前に沈黙しています49)。宗教界,とりわけキリスト教会も多くの歴史的な弱さをもっています。なぜなら否定の論理が消失しているからです。
 世界保健機関(WHO)憲章は,1948年,「健康とは,完全な 肉体的,精神的及び社会的福祉の状態」と3つの条件を定義しました。つまり「肉体physical」「精神 mental」「社会福祉 social well – being」です。しかし,1999年に健康の新たな定義として,肉体的・精神的・社会的だけでなく,「霊的 spiritual」にも良好であることを加えました50)。政教分離が過度に行きすぎた「官」では,スピリチュリアティについて拒絶してきた経緯があります。タブー視してきた日本の厚生省や学術会は「スピリチュアル(spiritual)」の適切な訳語も定まらないありさまです。
 欧米では一般に患者の痛みを4つに分けて役割を分担して,接します。肉体的な痛み,精神的な痛み,社会的な痛み,霊的痛みです51)

c.弔いとは魂の医療者の職分

 「霊的」とは,魂の医療の領域です。
 患者の「身体的痛み」は医療の鎮痛剤によって緩和されます。やり残した人生の使命,過去の過ちに対する悔悟,人間関係に於ける不和などの「心の痛み」は家族との対話,エンディングノートへの書き込み,音楽,旅行,アニマルセラピーによって精神的,心理的にある程度癒されます。しかし,「魂の痛み,苦しみ」は現代の医療,福祉,家族では解決できないのです。魂の医療者である宗教者にのみ科せられた領域です52)
 「死の恐怖のために一生涯,奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした」(ヘブライ 2:15),と。
 神戸市垂水区に開業する河野胃腸科外科医院の河野博臣医師[1928-2013]は語られました。死に際に5つの恐怖が患者を襲うことを分析しました53)
①肉体的な死の恐怖と不安
②精神的な死の恐怖,たとえば,孤独,忘れ去られる不安
③家族,社会からの分離による恐怖
④宗教的な死の恐怖,たとえば罪責感
⑤  成就できないために生じる恐怖,やり遂げられない恐怖

 スピリットに対するケアがなければ,真の意味での健康は確保されないことに気付くことが求められています。
 あいまいなままにすると,曽根崎心中,特攻隊の人間爆弾,切腹を美化するエートスを受けつぎ,戦争が勃発する時に,日本人は主体性を失って一斉に崖から次々に落下する終末に向かって行くことになりかねないからです。靖国神社で英霊として祀られることが人生の終着駅となります。明治維新以降,松下村塾の吉田松陰[1830-1859]の影響で,和魂洋才となります。つまり,欧米文明に追いつけ,追い越せとマノマを追い求めます。しかし,西洋のキリスト教会のもつ死生観は無視しました。ところが,平田篤胤[あつたね 1776-1843]による国学を基底に神道を無理やりに国民に啓蒙しました。「ケガレ」「ハレ」の二元論から死の恐怖を乗り越える死生観について聖書観を模倣して,死後の救済観を説きました。天皇のために死ねば来世の命が天国にあると教えます54)。ちょうどイスラム国のコマンドが天国を信じてテロを行なう真理契機と通底するものがあります。
 「弔い」,「喪に服す期間」,「永生者記念会」とは,観念,経済的恩恵,伝統ゆえに受けつぐのでしょうか。そうではなく,「人」が「人」であるために必要ないやしの期間です。遺族,恋人,友人にとり,偲ぶ機会は,「死」の反対を黙想,熟考する通路です。故人との縁,結びつき,死生観は生きる上で有益です。「死」の反対は命ではなく,「復活」です。「もし,わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば,その復活の姿にもあやかれるでしょう」(ローマ 6:5)。「あやかる」[ギリシア語 スムプシュトス「スン(共に)+プシュオー(植える)」の意]であるように,結ばれてひとつになったのです。
 「葬儀」を省略して,「0葬」「直葬」「葬儀ビジネス」が好まれるのは,よみがえり,死生観,授かったいのちを無視している世相を反映しています。「戒名料は値切れるのか」「魂は死後も存在するのか」「お経を読む意味は」と宮城県石巻市渡波の被災地で問われることがありました。
 「生きてなんぼ」「死んだらおしまい」「うまく生きる」面ばかりを強調する現代の潮流に,流される傾向が見られます。「死を排除して生をのみ求めようとする文化は,いつか滅ぶのではないだろうか」,との発題を無視せず,葬り,弔い,喪に服す期間をたいせつにして,復活を期待して死せる者と再会したいものです55)。「死ぬ日は生まれる日にまさる」(コヘレト 7:1)のです。

 <結論>
 喪に服す期間period of mourningは生ける者にとり,意義があります。浮かれ騒ぎをする祝宴より,「弔い」「葬儀」「喪に服す」場所の方が価値あります。「弔いの家に行くのは 酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。命あるものよ,心せよ」(コヘレト 7:2)とあります。「弔い」[ヘブライ語 エベル「死者のための喪」の意]を軽んじてはなりません。なぜなら愛する人の「死」を忘れず,残された者がどのように生き様を示すべきか,また,甦りを確信する機会となるからです。
妻の死を看取ることができたことはしあわせでした。配偶者にこれほどの悲痛を味わわせることを望みません。むしろ自分が十字架を背負うようにできればどれほど楽か考えていましたが,キリストと同じように共苦した妻はなんとしあわせであったのかと安らかな死に顔から悟りました。
 「最後の敵として,死が滅ぼされます」(コリント第一 15:26)と信じた私たち夫婦にとり,「死」の反対は「生命」ではありません。「死」の反対は「よみがえり」です。死者と再会できる摂理について宗教者だけが説くことができます。「この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが,それは,地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために,天から与えられる住みかを上に着たいからです」(コリント第二 5:4),と。「死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまう」のです。キリストの復活と私たちの復活の信仰によって,死と滅びの恐れ,不安から大きな希望と喜びに移し替えられるのです。そのことを記念するのがキリスト教の弔いです。

日本「祈りと救いとこころ」学会  出典

引照した聖句は日本聖書協会発行の『新共同訳』です。KCCカルチャーセンターの「『死』を考える」講座でご講義いただいた講師,水垣渉先生,島薗進先生,村田充八先生,白方誠彌先生,近藤剛先生の著作も大いに参考にさせていただきました。
とりわけ村田充八先生,土手ゆき子氏の校正に厚く御礼を申しあげます。

 1)『死』(ウラジーミル・ジャンケレヴィッチ 仲澤紀雄訳 みすず書房 1978年 29頁)。
2) 拙稿「目薬」誌 №25 2002年 4頁;『唯脳論』(養老孟司 青土社 1995年 49頁)。
3)「『死』を考える」講座(白方誠彌「みんなで『死』を考える会」2011年);『神戸新聞』(2011年4月28日付)。
4) 中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。陳寿著 3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間。「魏志倭人伝」に日本人(倭人)に関する最も古い記録があります。当時の日本の葬儀の様子が記されています。「十数日間死体を家の中に置く。その間家族は肉類を食べず,喪主は大声をあげて泣く。一方,親類,友人が来て飲食し,歌い,踊る。宴会は死者の肉体に魂を呼び戻すための呪術的な意味をもつ行事で,魂招(タマオギ)と呼ばれる。こうして十数日を過ごし,死体が腐敗し始めるとこれを土中に葬り,家人は死の穢れを水中に禊ぎして清める」。
5) 『広辞苑』(第六版 新村出編 2008年)。
6) 拙稿「『死』を考える」講座(「みんなで『死』を考える会」 2011年 神戸新聞会館)。
7)拙稿「聖書のことば」シリーズ第37回(神戸新聞会館 2016年)。
8)拙稿「現代の弔い」(聖書のことばシリーズ第35回 神戸新聞会館 2016年 2頁)。
9)『歌いつつ聖徒らと共に キリスト者の死と教会の葬儀』(トーマス・G・ロング 吉村和雄訳 日本キリスト教団出版局 2013年 31-32頁)。
10)『神戸新聞』(「『死』を考える」講座 2011年4月12日付)。
11)『パイドン―魂の不死について』 (プラトン 岩波文庫 1998年 34-37頁) 。
12)『現代の復活 霊魂の不滅か死者の復活か』(オスカー・クルマン 岸千年訳 聖文舎 1974年 33頁)。
13)拙稿「目薬」誌 No.25(2002年 6頁)。人間は神による特別な存在である。動物の 死は“自然死”であるが。だが,人間の死は神が介入する“人格的な死”。
14)『死の民俗学』(山折哲雄 岩波書店 1996年 172-176頁);『死を忘れた日本人』(中川恵一 朝日出版社 2010年 127頁)。
15)拙稿「目薬」誌 No.6(6頁)。
16)『アポトーシス 細胞死の機能と構造』(山田武共 日経サイエンス 1995年 92頁)。
オッペンハイム(R.W.Oppenheim)が明らかにしている。いわゆるdeath gene(死の遺伝子)の働きによって神経細胞死が起きるのである。Naturally occurring and induced neuronal death in the chick embryo in vivo required protein and RNA systhesis; Evidence for the role of cell death genes. (Dev. Biol. 138; 1990 p.104-113)。
17)『死と信仰』(柴田千頭男共 ルーテル学院大学神学セミナー編 1997年 99-100頁)。
18)『カトリック新聞』(2016年11月2日付)カトリック教会は死者の復活への信仰を告白し,体が人間のアイデンティティー(固有性)の不可欠の部分であることを確信。
19)拙稿「目薬」誌 No.34(2004年 1-13頁)。
20)『キリスト教 その本質とあらわれ』(エルンスト・ベンツ 南原和子訳 平凡社 1997年 227頁)。
21)拙稿「福音とは何か」(神戸国際キリスト教会 礼拝説教 2014年)。
22)拙稿「田・山・湾の復活」その二(季刊誌「支縁」No.3 神戸国際支縁機構 2013年 4頁)。「支配せよ」(創世記 1章28節)のヘブライ語ラーダーには,エゼキエル 34章4節には羊の群れを導くの意があります(NEB『新英語聖書』),『聖典と現代社会の諸問題』(樋口進共 キリスト新聞社 2011年 76,77頁)。
23)『キリスト教思想断層』(近藤 剛 ナカニシヤ出版 2013年 130頁)。
24)『日本思想史における宗教的自然観の展開』(家永三郎 創元社 1944年 85頁);『懺悔道としての哲学 田辺元哲学選Ⅱ』(藤田正勝編 岩波文庫 2010年 (拙稿「発足にあたり」(「憲法9条をノーベル平和賞に推す神戸の会」略称 推す会 2013年12月21日)。
25)『キリスト教思想断層』(130頁)。
26)「戦争と聖書の平和―歴史修正主義を貫く宗教的根本動員を問う」(村田充八 『宣教と社会』No.8 日本キリスト改革派教会 2016年 119頁)。
27)『我と汝・対話』(マルティン・ブーバー 植田重雄訳 岩波文庫 1979年)。「初めに関係があって私という存在をつくっているとするもので,関係を大切にした自己だ」「神の蝕(Eclipse of God)」― 神はどこに隠れてしまったのか?。
28)拙稿「目薬」誌 No.34(2004年 1-13頁)。
29)『宗教生活の原初形態』〈上〉(エミル デュルケム 古野清人訳 岩波文庫 1975年 389頁)。「ひとたび諸個人が集合すると,その接近から一種の電力が放たれ,これがただち彼らを異常な激動の段階へと移すのである」。
30)『《殺す人》(ホモ・ネカーンス―《いのち》をキリスト教的に考えるための一つの視点―)』(水垣渉 関西学院神学研究科 2011年)。「ホモ」は「人」,「ネカーンス」は「殺す」という意味の動詞「ネコー」(neco)の現在分詞。「殺人」「ホミキーディウム」(homicidium),「殺人者」「ホミキーダ」(homicida)。『ホモ・ネーカンス 古代ギリシアの犠牲儀礼と神話』(ヴァルター・ブルケルト 前野佳彦訳 法政大学出版局 2008年 Homo Necans Interpretation altgriechischer Opferriten und Mythen Walter Burkert Berlin 1997)。
31)拙稿「ボランティア道」(ラジオ関西 2015年1月9日)。
32)拙稿「田・山・湾の復活」(宗教倫理学会 関西大学飛鳥文化研究所・セミナーハウス 2013年8月27日);『荊冠の神学』(栗林輝夫 新教出版社 1993年 371頁)。「ちむ」は「胆」,つまり肝臓。「ぐるし」とは「苦りさ」「痛み」。
33)『縄文からアイヌへ 感覚的叡知の系譜』(町田宗鳳 せりか書房 2000年 116-117頁)。
34)拙稿「目薬」誌 №2~34 1996~2003年。
35)『死人の復活 第一コリント書第15章講義』(カール・バルト 山本和訳 新教出版社 2003年 173頁)。
山本訳を改正 《腐朽性》,《はずかしめ》,《弱さ》 ⇒ 《フソーラ decay 腐朽性》,《アティミア infamy はずかしめ》,《sickness アオセネイア 病気》。
36) 死体を焼き,残った骨を埋葬すること。パーリ語が起源の言葉だそうです。 釈迦が入滅した際に火葬を行った事から,仏教においては火葬が正式の葬儀の方法。
37)『現代日本の死と葬儀―葬祭業の展開と死生観の変容』(山田慎也 東京大学出版会 2007年)。
38)『毎日新聞』(2011年3月21日付);『時事通信』(2011年3月22日付);『朝日新聞』(2011年3月23日付);『東京新聞』2011年3月26日付)。
39)『現代葬儀考―お葬式とお墓はだれのため?』(柿田睦夫 新日本出版社 2006年 23-24頁)。
40)拙稿「現代の弔い」(「聖書のことばシリーズ」第37回 神戸新聞会館 2016年 8頁)。
41)『現代の死と葬りを考える』(中野敬一共 ミネルヴァ書房 2014年 166頁),『歌いつつ聖徒らと共に キリスト者の死と教会の葬儀』(同 109-110頁)。
42)『自然の問題と聖典』(樋口 進共 関西学院キリスト教と文化研究センター 2013年 50頁)。
43)“Nature, also, Mourns for a Lost Good”Paul Tillich The Shaking of the Foundations Charles Scribner’s New York 1948 p.77。
44)『田中正造全集』第11巻(岩波書店 1979年 330頁)。
45)拙稿「ペットの供養も大切」(聖書のことばシリーズ第8回 神戸新聞会館 2014年 2頁)。
46)『臨死の思想 老いと死のかなた』(山折哲雄 人文書院 1991年 169頁)。
47)『ギリシア正教東方の智』(久松英二 講談社選書メチエ 2012年 112-114頁)。
48)『伊勢新聞』平成23年5月15日;『苦縁 東日本大震災 寄り添う宗教者たち』(北村 敏泰 徳間書店 2013年 117頁)。
49)『リヴァイアサン』(1) (T. ホッブズ 水田洋訳 岩波書店 1992年);『地獄の辞典』(コラン・ド・プランシー 床鍋剛彦訳 講談社 1994年 309頁)。ウィキペディア レビヤタンは,旧約聖書に登場する海中の怪物(怪獣)。「ねじれた」「渦を巻いた」という意味のヘブライ語が語源。原義から転じて,単に大きな怪物や生き物を意味する言葉でもある。
50)大鶴 勝(「聖書と食べ物」第78回日本聖書協会聖書セミナー 2015年)。
51)『いのちの終末―死の準備と希望 (医療と宗教を考える叢書)』(アルフォンス・デーケン 同朋舎出版 1988年 17頁)。
52)「死への準備教育」(アルフォンス・デーケン 「サンケイ新聞」1987年8月12日付);『ルターと死の問題 死への備えと新しいいのち』(石居正巳 リトン 2009年 44頁)。ルターは『死への準備についての説教』(1519)を出版した。
53)『死の臨床』(河野博臣 医学書院 1989年 20頁)。
54)『近世と近代の通廊―十九世紀日本の文学』(朴鐘祐共 神戸大学文芸思想史研究会 双文社出版 2002年)。「人死なば形骸は土に帰り,其の霊性は(万古)滅ぶる事なく,必ず幽冥大神を承けて,天国に復命す」。
55)『死の比較宗教学』(脇本平也 岩波書房 1997年 83頁)。

水色

「ボランテイア・福祉・宗教」で対話集会

「ボランテイア・福祉・宗教」で対話集会 2016年10月1日



『キリスト新聞』(2016年12月25日付) Pastor Yoshio Iwamura

20161023「ボランテイア・福祉・宗教」で対話集会
クリスチャン新聞(2016年10月23日付) Pastor Yoshio Iwamura
「キリスト新聞」(2016年10月22日)
「キリスト新聞」(2016年10月22日) Pastor Yoshio Iwamura

キリスト教と福祉―新型コロナウイルスの救い―」(英文付)2020年4月19日

20161001岩村発題 20161001「ボランテイア・福祉・宗教」で対話集会

20161001岩村発題e

テーマ 「ボランテイア・福祉・宗教」で対話集会     
  10月1日(土) 午前10時半~午後4時 
  賀川豊彦記念館(神戸市中央区)
  3人によるトークセッション 10時50分~16時
   釈徹宗(如来寺住職)×木原克信(同志社大学教授)×
  ≪動画参照≫岩村義雄

発題                神戸国際キリスト教会
                   牧師 岩村義雄

 宮城県石巻市に若者たちが東日本大震災2011年3月から毎月のようにボランティア活動を繰り広げています。しかし,最大の被災面積である石巻市は1万5千人の仮設住宅が,5年6ヵ月を経ても,まだ1万2千人近くに止まっています。カビが生えている,大の字になって寝られない。隣の話し声が聞こえるなどの苦悩をかかえながらも,行き場がありません。ほとんどの被災者は賠償打ち切りにより,貯金を使い果たしています。生命保険も解約し,生活苦にトンネルの出口がありません。「心の病」「子どもの健康状態」「孤立死」などメディアに載らない自殺も深刻な問題です。
 被災地に限りません。日本の子どもの「6人に1人」が貧困というアリ地獄から抜け出られない現状があります。一日一食,めがねも買えない,スマホはあるが留守番のための一人親家庭などに対して自治会,学童保育,学校教育ではとても歯が立ちません。30年前から増えている日本の貧困率。18歳未満の子どもの貧困率も16.3%と過去最悪です。日本は先進諸国41か国中ワースト8位です。手取りが4人世帯で年間240万円,2人世帯で170万円以下を貧困と定義します。児童扶養手当は,独り親家庭にしか支給されません。貧困家庭の7割を占める二人親世帯には適用されません。ルイーズ・アルブール氏は「貧困は,人権侵害の結果であり,人権侵害を生み出す原因である」と語りました。
 貧困だと学力にも影響が出ます。すべり台社会の中で,学歴,雇用状況,収入に比例します。ひとしく生存するための権利がはなはなだしく損なわれています。一方,オリンピックの国威発揚のメディア報道の偏りにより,勝利至上主義,成果主義,弱者切り捨てが当たり前の風潮がはびこっています。格差は排外主義を生み出します。神奈川県相模原市の生涯施設で元職員による襲撃事件に見られる優生思想は右翼ポピュリズムの萌芽と言えます。1930年代のドイツ国ヒットラーを待望したように強い政治家による劇場型を無批判に受け入れる若者たち。戦争体験がない今の日本の8割を占める層のゆらぎは国の進路を危うくします。不確実性がどんどん大きくなっています。富をもてる人ともてない人の両極化になり,国境がとりはらわれ,液状化しています。キリスト教会も例外ではありません。リヴァイアサンとしての国家の前に沈黙している断面図が散見します。教会は多くの
歴史的な弱さをもっています。否定の論理が消失しているからです。
 日本人は「死」をできるだけ考えないようにします。「いのちあっての物種」「死んで花実が咲くものか」と刹那的です。その結果,すぐ自殺する,一度人を殺してみたかった,誰でもよかったなどと,「生」までおかしくなっています。いのちを軽視するエートスに「地の塩」の効き目を失っているキリスト教会のリアルがあります。
 「幸福追求権」(憲法13条),「社会的生存権」(25条)という平和的生存権が脅かされない公共性を樹立が急がれます。そのために宗教者が被災地において単なる風景としての寺社仏閣,教会ではなく,息も絶え絶えの人々の涙の革袋として,compassionを実践すべきです。つまり垂直の「活動」を地道に積み重ねていく模範,実体,リアリティーを示すしかありません。貧困者との「共に苦しむ」(Mt 17:12, Ac 1:3 スムパスコー スン「共に」+パスコー「苦しみを受ける,苦難を経験する」)のは宗教者だからこそできる突破口です。
 土付きの福音を大地が待っていることに覚醒した現代の親鸞,法然の登場を祈ります。

クリスチャン新聞(2016年10月23日付)
クリスチャン新聞(2016年10月23日付)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キリスト教とボランティア道(英文付) “Christianity and Volunteer-Dō”

 

第26回宗教者災害支援連絡会(宗援連)
                        2016年5月1日 東京大学本郷キャンパス

「キリスト教とボランティア道」
水平の<運動>から,垂直の<活動>に
“Christianity and Volunteer-Dō (=The Principle Way of volunteer)
~From the Horizontal <Movements> to the Vertical <Activities>~    Tokyo University Hongo Campus May 1st, 2016

20160501東京大学にて
Tokyo University May 1, 2015 Pastor Yoshio Iwamura

 完全原稿 ⇒ 「キリスト教とボランティア道」出典各頁
       「キリスト教とボランティア道」出典最後

  英文完全原稿 Complete manuscript of  English ⇒ Christianity and Volunteer-do

主題聖句: 彼はわたしたちの勧告を受け入れ,ますます熱心に,自ら進んでそちらに赴こうとしているからです。(Ⅱコリント 8:17)。

<序>
 ご出席のみなさまに予めご了解をいただきます。神戸国際支縁機構(以後機構)の岩村義雄は研究者ではなく,困窮者だということです。つまり,大震災が大地を揺るがした時に,研究者としての論理ではなく,息も絶え絶えの人々に寄り添ってきました。さて,自分の夢に向かって蓄積,忍耐,鍛錬してきたとしましょう。ようやく手でつかめる直前になりました。ところが,目の前に行き倒れの人が横たわっています。放っておけません。一方,己れのすべての生きがいをかけてきた段階にあと一歩,あきらめなければなりません。行きずりの人を見捨てるか,それとも人生の目標,生きがい,愛する人も祈っている,それまで積み重ねてきた努力をぜんぶご破算になるかの選択に迫られます。ひょっとしたら自分でなくてもだれか他の人が手を差し伸べてくれるにちがいないとの思いがよぎります。マニュアルもなしに行動に突入するには成功するかどうかもおぼつきません。やっと入手できる人生の最大の機会,生きがい,名誉をあっさり捨てねばなりません。そのような中で「タコ」になりきるのがボランティアの真理契機だと思っています。パウロは「わたしは,だれに対しても自由な者ですが,すべての人の奴隷になりました」,と述べました(Ⅰコリント 9:19)。私も「奴隷」という限り,正直申し上げて中央,東京,管理は性に合いません。ご出席の皆さまと比べますと,論理体系,現地での活動,人格面においてなにひとつお教えするものは持ち合わせていません。その上社会のゴキブリのような存在です。昨年,第2回ネパール・ボランティアに学生たちと訪問した際も,日本側の感謝の返礼として「ゴキブリ音頭」なるものを振り付けにして現地の人を喜ばせるしかなかった不器用な輩です。本日は独り善がりとクリティックされるのを覚悟の上で,島薗進先生からのご依頼をお引き受けしました。島薗先生は3.11の翌年『宗教と現代がわかる本』の対談の中で提言をされました。「災害支援は,いままで欠けていたものを新たに見いだしていく,そういう手がかりになるような面があるのでないでしょうか。若いお坊さんもそうですし,宗教団体の人も被災地に行ってみて,地域の人に,たとえば心のケアをやるといったって全然役に立たないんですよ。かえって教わると。そういう経験をとおして,逆に,いままで宗教的な伝統を身につけたつもりだったけれども,自分たちに欠けていたものを見いだしていく」,と1)。 ボランティアがタコやゴキブリとはどういうことか,今からしばらくの時間,想像力を働かせて,虫けらの一寸の虫にも五分の魂道をご一緒に歩いてみてください。

 <註> レジュメの「筆者」とは岩村であり,引用の聖書は日本聖書協会発行の『新共同訳』です。

目次

(1)  ボランティア 2
  a. ボランティア 2
  b. ボランティアとは  
   ① 主体性 3
   ② 公共性 5
   ③ 無償性 7
  c.「道」 8
   ジョージ・ミューラー 8
   小さくされた人々のために 8
(2) 水平の「運動」の系譜  
  a.日本の救貧運動の貧困10
   阪神・淡路大震災10
  b.キリスト教の轍  
   筆者のスレースケイア11
   バラード神父12
   新生田川共生会13
   東遊園地(神戸市役所隣)13
  c.ボランティア運動のパラドックス12
   賀川豊彦の救貧運動13
   末次一郎との出合い15
   宗教遍歴17     
(3) ボランティア運動の不活発―青少年運動の不活発
  a. 隣人に対する感性の鈍さ18
   草地賢一18
   青少年運動19
   阪神大水害20
  b. 宗教者の動き20
   アハマディア派21
   労働運動21
            女性の躍進21
   タコへの覚醒22
   共食による神の国実現23
  c. ゴキブリでなければ「田・山・湾の復活」はなし得ない
   被災地のゴキブリ24
   隣人とは異教徒24
   共生,共苦,苦縁25

 (1) ボランティア道
 a. ボランティア

   主題聖句のラテン語は,quoniamクオニアム exhortationemエクソルタティオネム quidemクイデム suscepitススセピト sedセドゥ cumクム sollicitiorソリチティール essetエセト suaスア voluntateヴォルンターテ profectusプロフェクトゥス estエストゥ adアドゥ vosヴォスです2)。「ヴォルンターテ」という用語が出てきます。副詞形ヴォルンターテ「自ら進んで」の語源は動詞「volo(ヴォロ)」(「欲する」「求める」「願う」の意)です。ヴォロの名詞形 voluntasヴォルンタースには「意思」「自由意思」「意図」「善意」「喜んでする覚悟,熱意」などの意味があります3)。ラテン語ヴォルタースからから英語volunteerボランティアが誕生します。「ボランティア」の源流は聖書が起点です。ボランティアとは何かを紹介する出版物は全部といっていいぐらい聖書から始まったことが書かれていません。またキリスト教会も自覚していないのです。ヴォロは英語will(意志)の語源です。「意志」will と「意思」intention は異なります。「意思」は心の中に思い浮かべているだけにすぎません。一方,「意志」は,心の中に思い浮かべていることを行動に移す積極性を示唆しています4)。ボランティアは水平の「運動」ではなく,垂直の「活動」です。つまりボランティア活動は「市民運動」「社会運動」「政治」とは一線を画します。ヴォロの形容詞形voluntaryボランタリから「ボランティア」と「奉仕」の違いが明らかになります5)。ボランタリは「人の決定を拘束しうるいかなる強制からも自由なこと」と定義されます。「奉仕」は「仕えたてまつらん」が源です。「仕え奉らん」は『日本書紀』『万葉集』などに出てきます。帝に仕え奉るなどの用例で用いられています。『大辞林』には「奉仕」を「国家・社会・目上の者などに利害を考えずにつくすこと」と紹介しています。つまり「奉仕」には“奉仕する者”と“受ける者”との上下関係が示唆されています6)。「奉公」「奉納」「奉職」など「奉」の字には,目上の人から物や命令を,つつしんでうけることを意味します。「奉」に「亻( にんべん)」がつくと,俸給などに用いられ,上からのいただき物となります。社会的契約,規範,制約のもとに行なう他者や社会への貢献活動には,貢献する側と受ける側の対等性が損なわれます。たとえば,学校の授業の一貫として強制力をもって,被災地などの清掃活動をしたり,「良心者」7)(良心的兵役拒否者 Conscientious Objector )がコミュニティ・サービスとして行なうことはボランティアとは言えません。1993年に,中央社会福祉協議会は「21世紀に向けたボランティア活動の意見具申」を出し,有償ボランティアを是認しました。すると「ボランティア活動」が「奉仕活動」とは違うように,本来の「ボランティア」とは何かの混乱が生じてきています。

 b. ボランティアとは
 ボランティアに要請される性格は,主体性,連帯性,無償性であり,この3つにボランティアの理念が表現されると言われてきました8)
 しかし,筆者は自発性,無償性には同意しますが,「連帯性」より「公共性」が時宜にかなっていると思わせられます。他に,自発性,利他性,福祉性,社会性,連帯性,継続性,開拓性,先駆性など種々の視点もあります9)

  (a)  主体性
 あなたがたにゆだねられている,神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく,神に従って,自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい(ペトロ第一 5:2)。

pascite(パッシィテ) qui(クイ) est(エストゥ) in(イン) vobis(ヴォビス) gregem(グレジェム) Dei(デイ) providentes(プロヴィデンテス) non(ノン) coacto(コアクト) sed(セドゥ) spontanee(スポンタネー) secundum(セクンドゥム) Deum(デウム) neque(ネクエ) turpis(トゥルピス) lucri(ルクリ
)
gratia(グラティア) sed(セドゥ) voluntarie(ヴォルンタリエ)

「ノン コアクト」(ラテン語「強制されてでもなく」)「セドゥ スポンタネー」(「自発的に」「喜んで~する」)「スポンタネー デウム」(「神の思し召しに従って」)足を踏み出すことが心情の発露であるべきです。副詞形「ヴォルンタリエ」(「自発的に」)と要請されています10)
 ラテン語「ヴォルンタース」(「自由意思」)の意からも,他から強制されるものではありません。また職業のように契約に基づいて行なう活動とも異なります。つまり今日見られるような行政から助成をもらって,依頼されるものでもありません。

 主題聖句のギリシア語はです。 
 「自ら進んで」のギリシア語は,副詞アウタイレトス(アウトス「自分」+ハイルーマイ「選ぶ」)です。ラテン語訳聖書のヴォルタースからから英語volunteerボランティアが誕生したわけです。元々は「自ら選ぶ」という迫られた選択の緊迫感があります。「アウトス」は英語のautoでオートメーション,オートバイ,オートマティックなどの語源になっています11) 。アウタイレトスは自分で選んだ<自分から進んで(する)「副詞的主格」>の「自発的に」の意味で,他者から,つまり組織,行政,国家からの外圧的な制度,戦略,政策のために駆り出されるのではありません12)。たとえば,一匹狼で患難辛苦に苦悩する地域に行く単独行動だけに用いられるだけでなく,グループとして行動する場合にも用いられます。「わたしは証ししますが,彼らは力に応じて,また力以上に,自分から進んで」(Ⅱコリント 8:3)には,アウタイレトスの複数形が用いられています。ちなみに,日本のボランティア紹介の出版物では一様に,ラテン語のVoluntariousが「ボランティア」の由来だったりします。しかし,ボラタリウスは形容詞形です。「自発的の」「自力の」「独断の」意です。動詞形volo ヴォロは「切に求める」です。ボランタリウスやヴォロなどラテン語の基本的な文法も理解しない人たちが換骨奪胎に執筆していることが日本にボランティアが根付いていないひとつの現象と言えるでしょう。
  「主体性」を考慮する際,欧米をモデルにした日本の近代化は,明治維新以降,終始「官」主導,つまり中央統制の下で進められてきました。官主導ですから,勢い「民」は「官」に依存し従属することになりがちです13)
 行政や社会福祉協議会の手厚い支援のもと,ボランティア活動が次第にボランティアの特質である主体性・開拓性・批判性を弱め,受け身のボランティアに変身していったのです14)
 主体性を喪失し,下請け化したNPOの7つの特徴について東京大学講師田中弥生さんは指摘されています15)。行政の下請け文化に未来はないと危機感を抱いています。

 ①社会的使命よりも雇用の確保,組織の存続目的が上位。
 ②自主事業よりも委託事業により多くの時間と人材を投入。
 ③委託事業以外に新規事業を開拓しなくなっていく。新たな
  ニーズの発見が減る。
 ④寄附を集めなくなる。
 ⑤資金源を過度に委託事業に求める。
 ⑥ボランティアが徐々に疎外されている。あるいは辞めている。
 ⑦ガバナンスが弱い。理事の時間の多くが行政との交渉に
  投じられる。

 ボランタリーな活動について,ボランタリズム研究所所長岡本榮一氏は,国家や行政から「独立した民間の立場」であり,国や行政とは「独立しつつ共存する立場や関係性」をさすと言います16)
 「公の支配に属しない慈善,教育若しくは博愛の事業に対し,これを支出し,又はこの利用に供してはならない」とした憲法89条を最上位審級として,社会に対する国家の介入動員を禁じようとする法制度改革が進められたと国家に対する社会の自律―これを国家/社会における民主化要件と予防と,仁平(にへい)(のり)(ひろ)氏(法政大学准教授 [1975-]) は指摘します17)
 「主体性」が確保できないと,自立心,自己責任,自助の精神や,自分探しの旅もおぼつかなくなります。

      (b) 公共性
 公共性については,社会の発展や心豊かな生活づくりをめざす活動です。「公共の」publicはギリシア語 koino(コイノ),j() は[形容詞「共通の」の意]です。聖書には類語 dhmo(デーモ),sioj(スィオス) [「公衆の」の意]があります。コイノスは原始共同体であった「財産共有」に表れる「愛に基づく宗教的共同体」の場合に出ています。「信者たちは皆一つになって,すべての物を共有にし」(使徒 2:44),「信じた人々の群れは心も思いも一つにし,一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく,すべてを共有していた」(使徒 4:32)。キリストや聖霊によって創造された愛の配剤に基づく自発的な表現です。周到に根回しされた共産主義経済でもなければ,財産の合憲の社会制度の法的な感覚でもありません。旧約,福音書に出てこな
いヘレニズムに由来する「すべてを<共有する>」18)というルカによる特有の慣用句はイスラエルだけでなく,全世界に開示されたことを示唆しています19)。なぜギリシア語のレキシコンで聖書用語を同定,整合性,確認するかは,日本ではボランティアの定義
につきまとう見当外れの論考が横行しているからです20)。「公共の」「公共性」「公共」の概念が歴史上の非連続の中で,ユルゲン・ハーバーマス[1929-]の解釈を援用するところから混乱がはじまっているとしか筆者には考えられません。
 ハーバーマスが「人民的公共性」にあえて言及しないと冒頭で述べる書があります。『公共性の構造転換』です。平たく云えば,「人民的公共性」とは民衆が自ら問題解決のために行動した運動です。20世紀を代表する哲学者ハーバーマスは「人民的公共性」を度外視すると言い放ちます。政府や行政にまかせておくことができず,実践活動をしてきた「市民運動」「チャーチスト運動」「労働運動」を看過しています21)。ハーバーマスのいう「市民的公共性」の理念は,「教養のある市民が理性的に討議することによって,世論が形成され,その世論が政治を監査する」,ということであり,(1)世論形成,(2)政府に対する世論により監査機能,という2つの機能をあげています22)。「新しい歴史教科書をつくる会」の造った教科書では,国を《公》として,その《公》の義務を果たせ,ということが強調されています。……個人とか「市民」は,エゴイズムに走るものと想定されている。《公》というものは,個人のエゴイズムの追求などはできるだけ抑えて,「滅私」というか,《私》を消していく方向でしか達成されない,という考え方をしています23)。ともすると,人種問題,ジェンダー差別,貧困・困窮者への抑圧に対して,市民のうねりを動かして,公に抗う「運動」体を構築する衝動にかられます。「エリート・当局・敵手と対決するとき,たたかいの政治は起こる。……全ての社会運動,抗議,革命……は,たたかう集合行為である。……たたかう集合行為は社会運動の基礎である」24)
 しかし,「個」の活動と団体による「運動」の二者択一で選択するのではなく,両義性が必要です。パウル・ティリッヒ[1886-1965](英語読み ポウロ・ティリック)は「永遠のいのち」について論ずる際,「道徳は,個別化と参与という両極性をもっているが,それがunambiguousな自己統合となる。そこには神の集中化divine centerednessがあり,もはや道徳は存在しない。……宗教も同じように,自由と運命の両極性をもっているが,永遠のいのちにおいて,unambiguousな自己超越性となり,神の自由が支配する。そこでは,天のエルサレムには神殿がないように,宗教はもはや存在しないのである」と解釈を開陳しています25)27)28)
 二元論ではない思惟に基づいてひとりびとりが吟味していかざるを得ません。
 ハンナ・アーレント[1906-1975]のいう意味での「活動」は,バリケードを築いたり,兵士を打ち殺すような暴力行使ではありません。「私的な生活から抜け出し,公的事象の光のなかにはいり,イニシアティブをとり,共同の企てに着手し,自由の高揚を経験すること」「私たちがみな単に死すべきもの,すなわち死ぬ運命になるものであるだけでなく,私たちの誰もが世界のなかで新しくかつユニークなものを表しているし,予期し得ないことを行ない,役割規定では予見できないような仕方で活動することができる」と論じています26)
 ボランティア道に関係する人ならば必読の書である『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学』(著者仁平典宏 名古屋大学出版会 2011年)(以降 「パラ贈与」)について述べてみたいと思います。「宗教の機能として,……重要なのは,それが<贈与>に了解可能な意味を与えることを通じて,<贈与のパラドックス>を回避することに寄与する点である。例えば,留岡幸助の場合は,慈善をキリストが人間に対して捧げた愛と類比的なものとして理解する。慈善は宗教的意味を帯び,その報酬も宗教的な形(天父を喜ばす)で与えられる」(42ページ)と戦前期日本における<贈与のパラドックス>の文脈で論じます27)。「キリストが人間に対して捧げた愛と類比的」,と前提があります。仁平氏はキリスト者留岡(とめおか)幸助(こうすけ)[1864-1934]が『人道』で執筆した内容を引用しながら詳述しています28)。「『人道』は慈善事業の推進のためのメディアであるが,……実際の慈善=<贈与>は本当は反<贈与>なのではないか,という疑念をくり返し見いだすことができる (同 39ページ)。……留岡は『彼等は惰眠であるが故に,救助を受けねばならぬやうな界に陥った』ということを挙げる。……留岡の答は,被救護者に仕事(労作)を教え,『独立自営することが出来るやうに』するというものである。その観点からすると,我が国にイギリスのように救貧法がない……恤救(じゅっきゅう)規則は『萬止むを得ないものに限って,救助する。人を容易に救助してはならないといふ考えから,起つたもので,詰り救助するの場合は,必要的若しくは制限的にやらねばならぬ』。(同 46ページ)……留岡幸助は『社会奉仕の精神』として次のように述べている。かつては,「東洋道徳は弱き多数の者が強き少数の者に奉仕する所の道徳であった」が,現在の「社会奉仕の道徳は強大なる者が弱小なる者の為に参事する意味」として使われるとキリスト教の立場を分析しています29)
 仁平氏は聖書にない語「キリスト教」(クリスティアニスモス)を継承してきたキリスト教界の視座を精確にとらえています。筆者の垂直の「活動」視座から見れば,留岡幸助にはとうてい支持できない社会事業の雄であります。仁平氏が引用した部分からは超越した
存在からの垂直の関係「我と汝」に基づく「活動」が伝わってきません。むしろ水平の「運動」に貢献した傑出したクリスチャンのひとりに注視しているという印象です。
 ちなみに監獄改善運動は1872年に神戸に来日した宣教医ジョン・カッティング・ベリー[1847-1936]によって始まりました30)
 1949年生まれの日本宗教研究者ヘレン・ハーダクレをロバート・ペッカネン氏は引用します。日本の宗教世界を構成する三つのセクター,「既成宗教」(寺院仏教,神社神道,キリスト教),「新宗教」(創価学会,立正佼成会,霊友会教団,天理教等を含む),1970年代から出現した「新新宗教」の区別があります。一般の人々は3つを明確に区別していません。1990年初頭のオウム真理教の攻撃以後,「大きく掘り崩されてきている」。オウム事件以後,ハーダクレによると,公共政策の選考において,宗教団体の自由を守ることから宗教団体の乱用より社会を守る(潜在的な改宗を含め)ことに,転換があった,と語ります31)
 ハーバーマスや仁平氏にとり,宗教運動が公的重要性をもたない前提をもつからこそ,ボランティアの「終焉」,というパラダイム指向について論述できるのだと思います。

  (c) 無償性
 聖書には,「ただで受けたのだから,ただで与えなさい」(マタイ10:8),とイエスは弟子たちに諭しています。ボランティア道は無償で行なうことが基本です。体力,時間,交通費,食費,宿泊費などを提供してボランティアに取り組みます。しかし,決して代償を期待しないのです。代償には,金品だけではなく,名声,地位,名誉も含まれます。
 「奉仕」といえば「ただ働き」(損なこと)と連想する人もいます。徹頭徹尾,仕える側には経済至上主義の価値観には抗う変わり者の道のりです。
 日本には,互酬(ごしゅう) Reciprocityというボランティア精神がありました。貧しい人の軒下にそっと食べ物を置いておくのです。「陰徳」という助け合いも珍しくありませんでした。32)。「陰徳」が「互酬」へと発展していきます。たとえば,田植えに協力してもらえば,刈り入れの時は手伝いにいく‘お返し主義’です。香典,香典返し,結婚祝い金,引き出物,中元,歳暮の風習になります。欧米にはない共同体をつなぎあわせる互酬は現在,なくなりつつあります。義理・人情・しがらみというマイナス面も平行して失われてきました。善意の見返りを求めて,恩を売っておく行為はボランティア道から外れます33)
 イギリスでは,1940 年代に福祉国家の成立によって,健康サービスや福祉サービスは「行政サービス」に変わりました。有償ボランティアの仕組みの普及によって,「賃金労働」と「ボランティア」,との間にあった厳格な境界があいまいになっています。公益的な運動を展開しているからとボランティア活動自体が税制上の優遇を受けるならば,官僚機構と癒着がはじまり,ボランティア団体に役所の天下りを受け,見返りに役所から権益をうける授受関係ができあがります。すると迂回献金を享受したり,組織的な集票活動への魔手が待ち受けます。ですから,一貫して,非政府・非営利性を維持すべきです34)。「非営利」についてもボランティア道を歩むからには知っておくと役立ちます。経済学では,非営利組織とは利益をメンバーに分配しないわけです。すると国家や行政はどうかというと非営利という反応が返ってきます。しかし,大阪大学入江幸男教授は,政治的共同体は営利組織であると論述します。確かに,阪神・淡路大震災前,神戸市について「神戸株式会社」,と呼ばれていました。共同体が営利性をもっているゆえに,企業と同じ営利組織という構図があてはまります。「私的であることも営利組織であることも悪いことではない。悪いのは,私的であるのに『公』と僭称し,営利であるのに非営利と僭称することである」,と見逃してきた事実をつまびらかにしています。

    行政        企業      ボランティア
 (公的,非営利)    (民間,営利)    (民間,非営利)

 先入主をひっくり返します。

   行政         企業      ボランティア
 (私的,営利)     (私的,営利)   (公共的,非営利)

 国家(地方自治体)が公共的と言う限り,個人がボランティアを行なうのと同じように,被災地でスコップをもち,汗をかく行為は自発的に行なうべきです。さらにいかなる人とも開かれた自由な話し合いの場をもっているなら公共的とはじめて評価できるという視座です35)。機構もミヨシ石鹸株式会社の三木晴雄氏や,事務所兼自宅の近所の人々,垂水朝祷会,KISO牧場などによる無形,有形の支援の恩恵があれども慢性的な赤字を免れません。事業ではないので,決して潤沢になることはあり得ないのがボランティア活動の宿命です。機構の発起人である筆者もブレザレン派に属するキリスト教会の牧師です。ブレザレンの牧師は無給であり,家族に必要なものを備える上で,語学をなりわいにしています。つまりボランティアから収益を得ることもなければ,むしろ少ない収入をつぎ込んで活動をしています。ボランティア活動の基本は「主体性」「公共性」「無償性」の三つの柱が集約された対話性の活動になります。次に,「ボランティア道」の「道」についてご一緒に考えたいと思います。

 c. 「道」
 日本人だけでなく,世界のどんな人間も「○○道」とよく使います。茶華道,武士道,騎士道などございます。聖書でも「道」[ギリシア語 ホドス]は(人生の)行路,生き様,生き方を意味します。「道」のヘブライ語デレフにも「人生行路」の意味があります36)。「主の慈しみに生きる人の道を見守ってくださる」(箴言2:8),「無垢な人の慈善は,彼の道をまっすぐにする」(同 11:5)「主よ,わたしは知っています。人はその道を定めえず 歩みながら,足取りを確かめることもできません」(エレミヤ 10:23)。
 聖書にはたいせつな道が一貫して強調されています。「主はこう言われる。正義と恵みの業を行い,搾取されている者を虐げる者の手から救え。寄留の外国人,孤児,寡婦を苦しめ,虐げてはならない。またこの地で,無実の人の血を流してはならない」(エレミヤ 22:3)。「寄留の外国人」(在日朝鮮人),「孤児」,「寡婦」を世話したり,仕えることが「正義」というわけです。箴言11章4節について聖書学者勝村弘也氏は註解します。「冨は怒りの日には役に立たない。だが,義は死から救う」37)。ここでいう「義」(ヘブライ語 ツェダカー『新共同訳』では「慈善」)はエレミヤ22章3節の「正義」,と同じです。したがって,災害,戦争,家庭・社会暴力からの解放こそ平かな道の必要条件です。釜ヶ崎で無給司祭として,労働者に散髪の世話をしたり,生きる権利が抑圧されている人たちと共生している本田哲郎氏がおられます。「最も小さい者の一人」(マタイ 25:45)と連帯しています。本田さんによると,ドヤに住み,あるいは路上生活者は努力して「最も小さい者」になったのではありません。社会,制度,企業によって「小さく,低く」 されたのです。神を愛するとは,「孤児」「やもめ」「寄留者」に代表される社会の弱い立場に置かれている人々の権利を守ることであり(申命記 10:12-19),隣人を愛するとは,「寄留者」「雇い人」をはじめ体の不自由な人,虐げられやすい人など,抑圧されている「貧しい人」の側に立って配慮し行動することであり,また助けを求めることすら出来ない人には,こちらから関わりを求めて隣人になって行くことにほかなりません(レビ 19:9-18,ルカ 10:29-37)38)
 「孤児の父」と称されるイギリスのジョージ・フレデリック・ミュラー[1805-1898]は,狭い道を選びました39)。ミューラーの流れに位置する超教派ブレザレン教会神戸国際キリスト教会の牧師も俸給をいただかないのは伝統です。また孤児たちのために仕えていくのも自然な属性です。
 第二次世界大戦前には日本の救貧運動はセツルメント運動(隣保運動)として知られていました。民間の中から起こってきました。生活に困窮する人々に対して,ミューラーに心服していた石井十次[1865-1914]は医療を断念し,孤児たちのために生涯をかけます。セツルメント運動は社会改良や社会教化に影響を与えました。最初の隣保館は1897(明治30)年に片山潜[1859-1933]が,東京神田三崎町に「キングスレー館」を設立しました。やがて社会改良,労働組合などの「運動」に発展していきます。
 さて,ボランティア道は「運動」movementなのでしょうか。それとも「活動」activityなのでしょうか。ボタンのかけ違いがないように,情熱を傾ける突破口はどちらなのかを探求します。富士山頂に向かうのに静岡県側御殿場からか,山梨県側からかどちらでも高嶺に向かえます。二者択一や色々な道があっていいのではと多くの方は想像力を働かせます。机上のパラダイムを外して,現場で体験してきた中で論じていきます。
 目覚めてボランティア道を歩き出すのではなく,「活動」の中で道を見いだした若者も珍しくありません。2011年,ある引きこもりだった20歳の若者は,宮城県石巻市渡波の全壊した家屋で黙って消毒作業をしている時に,家の男性から「ありがとうな」と声を掛けられました。他人に感謝されたのは初めての体験でした。その後は常連になり,東日本大震災から5年間,常連となり活動の中心に,と「中外日報」編集者北村敏泰氏は取材記事で紹介しています40)。被災地のボランティアンターや社会福祉協議会から委託されて,黙々とがれき撤去,ドロ出しをしたのではありません。現場でボランティアに参加した際,独りで被災者に接します。能率・効率など関係のない人と人の触合いです。痛めつけられた人との出合いです。被災者を通して垂直「活動」が「契機」,となります。続けて現場に行く「関心」が芽生えます。くり返し,3ヵ月,1年,3年を経ても継続する「価値」を見いだします。体験,無力感,謙遜さは自分の価値判断が形成されますと,他のボランティア団体のいたらなさを決して非難したりはしません。ボランティア道は活動する中で「自分の潜在能力」を高め,「生きる喜び」を認識し,「必要とされる自分」を実感し,「生きがいややりがい」のある生活を見いだすのです41)。少年は,必要とされてはじめて大人になるのです42)
 核廃絶運動,安保法案をなくす運動,憲法擁護運動など多岐のうねりの道があります。有機的な運動体に志願した人々の動機と「契機」「関心」「価値」の共通項があります。しかし,決定的に異なるベクトルについて次項から考慮します。

(2) 水平の「運動」の系譜
 a.日本の救貧運動の貧困
 1995年,阪神・淡路大震災により,神戸市長田区の御菅(みすが)西地区は震災で約8割が焼けました。制度として,復興区画整理事業が行われました。被災した住民の8割は元の場所に戻ることを望みましたが,実際に戻ることができたのは3割足らずです。復旧,復興,再建をなんとか制度で解決しようとしてきました。ハコモノのプロジェクトを考え出します。神戸空港,地下鉄,先端医療技術などです。前より立派なものを造ろうとします。バブル経済がはじけ,地価は下がりつつあったにもかかわらず,まだ右肩上がりの成長へとあせります。震災前より立派に,より大きく,高くという発想で復興が進められてきたのではないでしょうか。
 阪神・淡路大震災の時,日野謙一氏[NPO法人伊丹人権啓発協会代表理事]は語りました。「高度経済成長政策以降,日本社会は,表面的な制度的条件をとりつくろってきて,なにか整備され安定してきたように思われていた。「同和」対策事業も一緒で,いろんな事業がほとんどできてきたといわれてている。ところが,今度の震災は,そういう表面的な取り繕いを根底から暴いたんじゃないか。そういうものを,やはり土の下から,建物の構造,生活のあり方などを問い直すことが迫られていると思いますね。そういう発信の場所が被災地にあると思います」43)
 2007年,夕張メロンで有名であった夕張市が破産宣告をしたように,東日本大震災の被災地,宮城県石巻市,福島県浪江町,双葉町,大熊町,富岡町は自分たちの町もそうなったとこぼす人たちが少なくありません。日本の復興はこの程度なのに,原発再稼働,リニア,オリンピックとはあきれかえります。現代人の貪欲さが被災,被曝,孤独死,孤立死を忘却させ,他の人を顧みなくさせています。人権がないがしろにされている領域に,独りで出かけて行って何か解決できるのでしょうか。
 2016年3月に,「借り上げ復興住宅」問題に東奔西走している河村宗治郎氏(79歳)が東北ボランティアに加わりました。寒い中,筆者と仮設住宅戸別訪問しました。河村氏も高齢にかかわらず独りで終(つい)の棲家を追い出される高齢者のために神戸市と闘っています。震災復興・再開発に失敗した神戸市長田区,共済制度から漏れた被災者のために孤高に立ち上がって社会に発信しています。
 月日が経つと,もうボランティアがやることはないという声も耳にします。繁栄,経済成長,住民ニーズも変わり,もう緊急性がないという理由です。被災直後に東北などの現場へ行こうすると,ドロ出し,がれき処理,避難所訪問なども素人が行くより,専門家でなければかえって迷惑だと言われたものです。いろいろな親切そうで不親切なまなざし,中傷,助言が交差する中でボランティアをやり続けます。なぜなら被災地ではじっと耐えている人たちがいるからです。被災者の所にすぐに赴く機動力には,現場主義が引き金です。被災地には息も絶え絶えの人もいれば,なんの被害もなかった人たちもおられます。「あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて,その一匹が迷い出たとすれば,九十九匹を山に残しておいて,迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか」(マタイ 18:12)44)
 制度では水平の「運動」も盛り上がりません。また社会事業では人を救えません。人は人によってしか変えられません。不安,独居,孤独に寄り添うのは制度ではできません。人間です。復興から立ち直った寺社仏閣,教会,宗教施設は単なる風景にしかすぎない
という声を耳にします。愛する者を失った哀しみ,自分だけが生き残ってしまった哀しみ,親しい者の哀しみに寄り添えないことの悲しみ,他者の哀しみを自分の哀しみに感情移入できるのは人間だけです。ボランティアは悲しみを入れる器です。
 ボランティアの「道」は,「埋草」(うもれぐさ)です。「咲くまでは草と呼ばれる野菊かな」,と見た目の回復や情報の荒波に翻弄されることなく,ぶれない働きを続けることが求められます45)

 b. キリスト教の轍
 「みなしごや,やもめが困っているときに世話をし,世の汚れに染まらないように自分を守ること,これこそ父である神の御前に清く汚れのない信心です」(ヤコブ 1:27)。「信心」(英語 religion「宗教<『新改訳』>」ギリシア語 スレースケイア)です。語源スレースコスは,特に宗教的規定や神信心の外にあらわれた形式を注意ぶかく守ることにつながります。宗教者ならば,最も後回しにされる「みなしご」(孤児)や「やもめ」を世話することがオプションではなく,標準の基準になります。新約に4回出ているスレースケイアの文脈からも,「キリスト教は生来特別な祭儀的行為を要求しない」と判明します46)。敬虔な信者に見られる会堂で祈祷,賛美,説教を中心とした信仰生活を受け入れていない世に対して出て行くのです。東北ボランティアに今も突き進む,駆り立てる,あきらめない根底には,信仰があります。
 筆者のスレースケイアはどのように培われたのかは母の影響です。私の父裕治[1919-1988]は家計のために腹一杯食べることもなく,塩をなめながら,貧しい家族を養っていました。母無畏子かしこ[1921-1992]は,白百合学園で身についた校風や,思春期の15歳に献堂された麹町教会[現在聖イグナチオ教会]で培った施しの精神が旺盛でした。

岩村無畏子[旧姓 野辺地 1921年2月17日-1992年1月9日] Kashiko Iwamura

 幼稚園から帰ってくると,近所の「乞食」,傷痍軍人,困窮している人々にソッと百円札を手渡している姿を何度も見かけました。子ども心に「自分たちがひもじいのに,どうして」とわだかまりがありましたが,そんな母は偉大に思えました。思春期から成人するまで一番影響を受けた末次一郎先生[1922-2001年]にはなかったキリスト教のcharity面です。アリの町のマリアと言われた北原怜子さとこ[1929-1958]や,アウシュビッツの聖者と言われたマキシミリアノ・マリア・コルベ神父[1894-1941],ゼノ・ゼブロフスキー修道士[1891-1982]の生き方をよく子どもに聞かせました。私たち兄弟にとり,3人はまぶしい存在でした。戦争孤児のために尽くした道を雑誌「無原罪の聖母の騎士」も部屋のどこかで見かけるローマ・カトリック教会信者の典型的な環境でした。ポーランド人コルベ神父,ゼノ修道士は1930年に来日し,約30年間,孤児,行き倒れ,病人,浮浪者の世話をしました。北原は20歳でゼノ修道士から感化を受けます。
 北原の働きは神戸にも種を蒔くことになります。社会福祉法人暁光会ぎょうこうかいは,1954年,神戸に誕生します。創始者ロベール・バラード[Robert Vallade 1914-2009]神父は,戦後1950年に来日しました。苦しみの中の自分は何ができるのか考えた結果,1953年東京の蟻の町へ行きます。北原さんから同じような救貧運動をするように促されます。神戸市生田川の河川敷のバラック小屋に住み,バタ車(大八車)を引きながら,バタ屋の仕事をしました。収益を貧しい人に施したのです。「人を救うという不遜な心ではありません。貧しい人達の手伝いになり,自らも苦しみ共に悲しみを分かちあうことが私の願いです」,とバラード氏はインタビューに応えました。生田川から武庫川に,やがて大阪,京都にエマウスとして活動が広がります47)。日本で一番貧しい区域と言われる釜ヶ崎で炊き出しを始める契機となりました。
 エマウス運動も1960年頃に曲がり角にさしかかります。経済的に立ちゆかなくなります。回収した廃品の価格の低さ,回収する人手不足,町内会や子ども会などとの回収の競合などが要因です。神戸の生田川,武庫川の河川敷を拠点とする救貧運動はピリオドが打たれます。垂直の「活動」は人々から評価されません。バラードのように,一般に,世間を驚かせる名著も書いていません。なぜなら垂直の「活動」とは忘却される活動だからです。親鸞,空海,道元は大きな影響力において圧倒しています。偉大な名著を通じて,水平のの運動は歴史上,その時代のみならず,現在に至るまで,病める人々を癒してきたことも明白です。しかし,超越論的存在は,抑圧された社会,被災地,戦場に対して,「まことにあなたは御自分を隠される神(ラテン語訳 deus absconditus)」(イザヤ45:15)です。苦悩を味わう神です。神の苦悩と神の愛についてまるでコインの裏表と理解してはなりません。神の怒りは闘うのが常です。人類愛,博愛,母なる神のようになんでもやみくもに「神の愛」「御仏の大悲」「柔和」という看板で受容するなら食わせ者です。一枚看板の水平の「運動」はオブラートで人々の不満,怒り,くやしさを包み込みます。神の怒りを忘却させる運動はボランティア道とは異なります。「隠れたる神」の行為を強奪することにつながるからです。ボランティア道は神の怒りを体現し,抑圧,差別,人権をないがしろにする体制に鉄槌を加えるエネルギーを持ち合わせるべきです。
 生田川沿いにあった最大の貧民窟新川で賀川豊彦[1888-1960]の救貧運動は戦前から枯死していませんでした。賀川については後述します。垂直の「活動」に依存した賀川について,仁平氏は一か所だけ,それも出典の小さな文字に埋もれて言及しています。パラドックスで言うならば,ボランティアのリアリティーは目立たないのが本物です。つまり社会からは認められないのです。垂直の「対話」の中から生成する「出来事」だからです。
 東日本大震災の3.11の直後,東北行きを準備していることを聞きつけた有川善雄さん[1936-2013]から電話がかかってきました。機構にとりはじめての東北ボランティアです。自宅兼事務所の周囲には全国から物資が山積みになりました。夫婦で積み直したり,整理,運搬のため腰を痛めました。筆者は直前になって,腰痛のため行けるかどうか不安で怯えている時でした。有川さんはクローバーという真珠会社を経営しておられた引退事業家です。ボランティア道を共に歩く意志で一致しました。機構に惜しみなく献金,物資,励ましを届けました。服類はエマウスからのものでした。有川さんは1957年同志社大学在学中に賀川から直接洗礼を受けています。有川や学友伊吹三樹雄さんは東遊園地[神戸市役所南隣]の炊き出しをしていました。機構と連帯した働きを続けて3年目,有川さんは逝去しました。有川さんたちの新生田川共生会は,瀬戸際に立たされるようになります。炊き出しについて,賀川豊彦献身100年記念神戸プロジェクトの実行委員のひとりであった筆者に後継者として白刃の矢がたちます。プロジェクトはただし垂直の「活動」ではなく,水平の「運動」でした。2014年4月から新生田川共生会が毎週木曜日路上生活者に仕えるようにバトンを渡されました。調理は機構第36次東北ボランティアに参加した楠元留美子さんを中心にたいまつが引き継がれたのです。生前有川さんは,神戸でも阪神・淡路大震災以降,炊き出しが週3回実施されていることを言われました。毎回神戸で150人以上の人たちが炊き出しに並びます。しかし,ホームレスではなく,生活保護の人たちがほとんどだと言われました。つまり毎月12万円が支給されている人たちが並んでいるのです。新生田川共生会は東遊園地で少ない野宿者だけに提供していると。同時に2014年3月,東北ボランティアの若者たちに本田哲郎氏が炊き出しに並ばない野宿者をたいせつにするように励ましました。カトリック社会活動神戸センターの山野真実子さんたちのように大規模にできないので,これなら機構でもできると始めました。釜ヶ崎の僧侶川浪剛氏も最初,食材を提供し,共に東北ボランティアへ行った五百井正浩氏,後藤由美子氏,豊原正尚氏,藤丸秀浄氏,横山豊宥氏ら寺院の僧侶たちが米などを支えてくれています。フードバンク関西からの定期的な支援もあり,機構の耕支縁の新鮮な野菜もあり,継続できています。筆者が尊敬する野々村耀ようさん(78歳「神戸の冬を支える会」初代裏方のひとり)は,野宿もゆるされない時代で夜回りを続けています。「立ち入り禁止とし,金網を囲って閉鎖する。公園などを何もないのっぺらぼうな空間にして,身を隠すことのできる物陰をなくす。(不審者対策,テロ対策などというが,不満を持った人間が増えることを予想しているのでしょう。また,公園の管理・運営を民間企業にまかせ,企業の都合で住めなくするというようなことが進んでいます。)公園やバス停のベンチは横になれないように奇妙な仕切りがつけられているし,歩道橋の階段の下の雨宿りできる空間は入れないように金網で囲われている」と嘆息します。48)。そのような人たちでなく,家も,身寄りも,住民票ももたない路上生活者は20人以下です。そのような人たちを対象にき出しをすべきではないかという助言がありました。有川夫妻,伊吹さんたちは東日本大震災で毎月足を運ぶのと併走していました。生前,見舞に行くと,笑顔で「The Lord makes me an instrument.」(主はわれを道具となせり)と流暢な英語で話しかけましたが,その精神は託された者たちにひたすら走り続ける動機となっています。

c. ボランティア運動のパラドックス
 パラドックスとは逆説を意味します。若さを決して見下げられることのない金字塔を打ち立てた仁平氏の「パラ贈与」に集中させていただきます。非難ではなく,クリティックです。クリティックとはギリシア語クリノー「判断する」から由来しています。学術会の気鋭の仁平氏に今後,期待するからこそ,発題しています。まず,「パラ贈与」に黙殺されたと言ってもよい賀川豊彦[1888-1960]と,一章を用いた末次一郎[1922-2001]を取り上げたいと思います。なお末次はキリスト者ではありません。

   賀川豊彦の救貧活動

賀川豊彦1909年神戸の貧民窟新川に入る

 日本のボランティア運動史は,賀川豊彦抜きには語ることはできません。2008年,筆者は,賀川豊彦献身100年記念神戸プロジェクトの実行委員のひとりにと今井鎮雄先生から推薦されました。49)。大宅壮一氏に言わせると,「およそ運動と名のつくものの大部分は賀川豊彦に源を発している」,と言わせるほどである。平和運動,社会事業,労働組合運動,農協活動,コープ組合など,数え上げればきりがない」と。50)。賀川はノーベル平和賞,ノーベル文学賞の候補者にも挙げられました。海外では,20世紀の三大哲人として,シュバイツアー博士,ガンジーに並んで評価されています。賀川は大正デモクラシー,労働組合,ストライキで政府からもにらまれるようになりました。ですから賀川の働きを左の反政府イデオロギーとして非難する向きもあります。しかし,末次一郎と同様,賀川は左翼でもなければ,右翼でもありません。失業者に対する回復された生活保障のために生命保険組合,生活協同組合,労働組合運動を育てたのです。日本最初の農民組合,協同組合も賀川の事務所から放射線状に広がっていきました。賀川の救貧運動こそボランティアそのものでした。賀川はキリスト教会の中でしか,クリスマスの喜びを分ち得ないキリスト教界のあり方に義憤を感じました。1909年12月24日,クリスマスの喜びを味わえない人々を共生するために日本で一番の貧民窟であった神戸市新川に飛び込みました51)。賀川は日本の資本主義興隆の時期に,救貧から防貧へ,労働運動,農民運動,協同組合運動など市民の生活防衛のための社会実践を行いました52)。2011年以降,現賀川記念館の西義人参事は来館者に語っています。「行き倒れの汚物の世話をし,ハンセン氏病者と共に寝,梅毒患者の包帯を替え,最後に残った着物を与え,暴力や脅しに耐え」,と。
 賀川は貧困の問題,経済の問題,社会運動,平和運動に生涯関わる真理契機は何だったんでしょうか。「私は芸者の子である。……私の父は,享年44歳であった。……父が死んでから60日目に,今度は母が死んだ。そのときは母33歳であった。……私は戸籍面では正妻の子になっているが,戸籍上の母からやさしい言葉をかけられたことはほとんど一度もない。……私は小学校では『妾の子,妾の子』と罵しられて,泣いてばかりいた。一度などは,小使いの八つになる娘を蝙蝠こうもり傘の先で突き刺したいう嫌疑をかけられて,蚊帳かやの中で三日三晩泣き通した。私にとって,人生はあまりに悲しく,暗かった。……私は14歳にもなりながら,どうするかと涙の中に沈んだ。私にとって,人生の暗さ悲しさは深刻になるばかりであった」53)。「私は明治21年7月に神戸に生まれ,4歳のとき,父と母をほとんど同時に失って孤児になった。それで,徳島県の田舎に住んでいる義理の祖母と義理の母のもとに引きとられた」54)。関東大震災[1923(大正12)]の報を聞くやいなや,賀川豊彦は神戸から「山城丸」(船)をしたて物資と見舞金を積んで上京。関東大震災では190万人が被災,10万5千人余が死亡あるいは行方不明でした。賀川は隅田川のほとりで救護所,職業紹介,貸金庫等々の業務を始めました。賀川とそのボランティアたちは震災直後から復興への協力を行って世間の耳目を奪いましたが,徳富蘆花は,関東大震災の際に賀川の取った行動について「賀川君に」と題して東京朝日新聞に寄稿,「私は震災後のあなたの働きを一度も見てはいないが,その働きは新聞に取り上げられ……その働きの一つひとつが新たな日本の形成のために最も必要な働きをしています」,と書いています55)
 仁平氏は賀川の救貧運動について,「同情・慈善といった贈与性を否定するといっても,援助者がその行為を行う(立場の共有をめざす)という選択をしている時点で,メタレベルの贈与的行為を行っている(=<贈与のパラドックス>は再帰する)と見ることは可能である」と洞察しています56)。2001年,筆者は拙稿『神戸と聖書』で賀川批判をしたことがあります57)。しかし,<贈与のパラドックス>は再帰するという仁平氏のステレオタイプのクリティックには同意できません。なぜならそんな賀川をキリスト教界はどのように判断したかについて言及していないからです。「(賀川が)最も厳しく批判したのは,彼自身が所属する教会のキリスト者に向かってだった。『私は断言する。日本に教会はないと!』そして教会にこう呼びかけた。『初めの愛を離れた私の愛する日本の教会よ,初めの愛に立ち帰れ!』こういったまるで預言者のような発言のために,彼は必要とした後方支援を受けられなかった。それどころか,多くの教会員から不審な目で見られるようになった。賀川は,これまでもしばらくそうであったように,国家主義に酔いしれた政府の最前線の現場と,自己陶酔的で殻に閉じこもった教会のとの狭間に立っていたのである。その後30年代の軍事的ファシズムの隆盛期になると,この状況はひとりで戦い続けるにはもうあまりにも困難で,結局心身を衰弱させるような状況にまでなっていた」58)
 賀川は「妻を棄てることはできるかもしれない。息子や娘を棄てることも,絶対絶命になったら,おそらく不可能ではあるまい。しかし,私はどんな場合にも聖書だけは棄てることはできない。もしネロのような暴君が現れて,私に『きょう限り,聖書を棄てろ』と強いたら,むしろ私はその瞬間に死を選ぶであろう。私にとって,聖書は二つとない生命の書である。私は聖書のために生き,聖書のために死ぬ。聖書は私の一切である」59)。     
 このような賀川の言説を耳にすると,狂信的な原理主義者のように賀川をとらえてしまうかもしれない。だから,仁平氏は文脈で,「この『“贈与の破綻”という形で行われる<贈与>』の動機・意味を美給するのは賀川においては,やはり神であった」60),という判断にたったのはやむを得ません。しかし,一義的に賀川をとらえることはできません。なぜなら著書『雲の柱』の巻頭に「神に溶け行く心」,と言いますけれど,低みに立つ神の視座とは異なるからです。「私は決して特種民の改善に悲観するものではない」と,上から指導者として被差別部落民を「改良」しようとしました61)。「低く下って天と地を御覧になる」神の視点が動機であったとは断定できないでしょう(詩編 113:5)62)
 たとい『貧民心理の研究』の「エタ村研究」の中で,被差別部落の異人種起源について言及していたとは言え,賀川は日本の救貧運動のチャンピオンであることは海外からの評価を待つまでもないでしょう。賀川は水平の「運動」の天才と言えます。

   末次一郎との出合い
 仁平氏は,第6章全体の30ページにわたり末次一郎のボランティア運動に言及しています。末次の奥さま清子夫人にもお世話になった者として,末次像の原像は出版物の活字からしか投影していないのは惜しいです。

末次一郎[1922-2001]

 中央青少年団体連絡協議会から派遣された末次一郎の講義を聞きました。筆者が16歳の時でした。精力的な話しぶりは今も鮮明に残っています。野外生活,キャンプ,登山に関心がある若者を魅了しました。末次は,「キリスト教のアメリカではできても,日本の青年にはボランティア活動は無理というのはまちがっている」と強弁しました63)。日本人には「葉隠れ」という武士道,すなわち無私の精神があると力説しました。「当時のアメリカ人の技術指導者たちの多くが,現地の風俗や習慣をまったく理解しようとせず,どんなところでもアメリカ式生活に固執し,それだけに,けっして現地住民の中にとけこむことができなかったことへの反省から生まれたものであった」と。64)。末次は現JICA[国際協力機構],青年海外協力隊の創設(国際協力機構青年海外協力隊事務局編2006年),日本青年奉仕協会(JYVA)の創設に尽力しました。
 2001年,9・11テロの時に「神戸国際支縁機構」の前身である神戸国際支援機構なる難民支援の任意団体をはじめました。団体名を国際協力機構と似た名前に知らず知らずのうちに付けていました。末次のDNAを受けついでいることすら忘れているほどでした。機構にはお金は集まらない,人は育たない,社会ではちっとも認められないの試練を通じて,末次の精神,「地位も名誉も命もいらぬ,社会の埋草(うもれぐさ)になる」が脈々とひきずっていることに気づきました65)。末次を「日本のボランティアの父」,と称する見方もあります66)
 末次は反核平和国民運動,沖縄返還,北方領土返還などで時の総理岸信介,佐藤栄作,池田勇人たちを動かす力がありました。しかし,政治の表舞台には顔を出さず,霞ヶ関分室において「舞台裏の英雄」に徹し続けました。1968年,「日米京都会議」において筆者も末次の裏方でした。筆者は同時通訳ができるわけでもなく,学者たちの闊達な論議の蚊帳の外におりました。しかし,この会議はナショナル・アイデンティ探しに目覚める契機にもなり,宗教遍歴への糸口になりました。末次は戦後最大の「国士」「黒幕」「ロビイスト」と言われたりしますが,民主主義のルールから外れることはありませんでした67)。末次は陸軍中野学校二股分校で訓練を受けた筋金入りの諜報機関の成員でした。末次と二股分校で同期生であった小野田寛郎(ひろお)[1922-2014]は中野学校につい語っています。68)。 帝国陸軍は国家に忠実な兵士soldier を成しましたが,一方,中野学校は「志願兵,義勇兵」volunteerの養成機関でした。末次は皇室に愛着を持ちながらも,「国体論」69)を支持しませんでした。つまり「日本は天皇を親とし国民を子とする家族国家である」という思想家ではなかったのです。
 ボランティアの父としての末次は戦時下の「志願兵」から,戦後,青少年教育の「奉仕者」にシフトしていきます。自分自身だけでなく,慕ってくる青年たちに清貧を求めます。理想だけでは生きていけない優秀な同士たちがどんどん戦列を離れていきます。なぜならば軍隊経験をもたない青年たちは,日本式の教育を受けて,秩序正しさ,礼儀,画一性には順応できますが,末次チルドレンとして「自立」「主体的」「超人」には脱皮できなかったからです。末次が戦時下の鬼軍曹,外人部隊の冷酷無比な上官,権威主義者であったなら,若者たちもどこまでも追随できたことでしょう。ところが末次の規範は異なりました。仁平氏が言及する後継者のひとり
(こう)
(ろき)(ひろし)[1948-]氏が証ししています。70)。「死を超えて任務につこうとした若ものたちのつき合いは,文字通り裸であった。夜毎に交わした真剣な論議も,ときには殴り合いにもなりかけたはげしい議論も,その都度われわれの同士的な愛情を育んでいったように思える」に書かれているような共時過程について興梠氏を除いてだれも経ていないのです。純粋さだけでは末次の「選択」「決断」「人格」に波長がかみ合いません。「低い生活にあまんずることは,自分を捨ててかからなければできることではない。原住民の心になりきったときに,あえてその苦労に耐えていくことができるからである」71)
 末次について「大きな社会的影響力があったにも関わらず,知的世界において末次が語られることはほとんどなかった。『なぜ末次が過小評価されたのか』ということも大きなテーマである」,と立命館大学教授秋葉武氏は発題していました。72)。仁平氏は,「パラ贈与」で末次をとりあげ,資料を秀逸に網羅して末次を後世に伝えた功績はだれしもが評価します。「パラ贈与」264ページで「“『ボランティア』=<良い贈与>=<運動>的”,“『奉仕』=<悪い贈与>=非<運動>的”という図式が成立する。この意味論において,『奉仕』の語は,負の価値を帯びることになった」と「奉仕の消滅」が必然性であるかのように客観性ある断面図は読者にもわかりやすいことは確かです。しかし,末次の国士としてではなく,青少年育成についての負の分析がもの足りなく感じるのは筆者だけでしょうか。
 もし存命ならば,次なる報告を聞いたらどう末次は反応するだろうかとほぞをかみます。
 「外務大臣からの感謝状なんですが,……現地で何をしていても,また任国外旅行に五回も十回も行って,その間その国にいなくても,女を買って現地の心ある人から嫌な顔をされても,任期さえ満了すれば,感謝状もらって,途上国援助に貢献した人になれるんですね」73)。筆者が16歳から約10年慕った末次には武士道の精神が内包されていました。「なかんずく金銀の欲を思うべからず,富めるは智に害あり」という陸軍中野学校二俣分校で培ったゆえに,金銭に由来する無数の悪徳から免れたのです74)。残念なことに末次に追随していった多くの優秀な若者は櫛の歯が抜けるように次々と末次の元から立ち去っていったことはどの文書にも描写されていません。だれも無償,無報酬の実践の真似ができなかったからです。一方,キリスト者はキリストのように似る者になることをだれしもが願うことのパラドックスを洞察する視座が「パラ贈与」にはありません。末次の後継者たちには「報国勤労」「天皇敬愛」「錬成会」を導く指導者はいませんでした。やおら日本青年奉仕協会(JYVA)の指導者たちは海外のボランティア論を直輸入していかざるを得ません。「フィランソロピー」,「文化的貧困」への警鐘乱打を強弁したハーバーマス,ネオリベラリズムなどが接ぎ木されます。アレック・ディクソンや,プレーパークでの横文字のシビルソサエティーが子ども達に魅力あふれるプログラムを提供できると信じてきたわけです。
 戦後,末次は戦災孤児を集めて靴みがきの職業訓練をしたりしていました。戦後2年目に制定された児童福祉法は浮浪児,戦争孤児を施設に収監するように定めました。しかし,公的な施設には14%に対して,残りは民間が担わざるを得ませんでした75)。残念なことに,政府は浮浪者狩りや狩込みを実施し,収監される事態が起きていました。1993年, JR三ノ宮駅高架下で靴磨きをしていた吉岡さんと出合いました。末次が戦後東京の新橋で靴磨きをしていたと話しかけると,自分の生い立ちを語りました。戦争孤児であったためにゼノ修道士の長崎における孤児院に入所したものの,窮屈だから脱走したこと,主の祈りを何度も唱えさせられたから,今でもすぐに唱えることができるんだと笑いながら語りました。
 日本は,1994年になって,子どもの権利条約に批准しました。国連加盟国168ヵ国中158番 目です。いかに子ども達の権利に対する意識が低かったと言わざるを得ません。筆者も奉仕service精神はだれにもひけをとらない鼻っ柱の強い若造でした。しかし,末次の弟子たちのように,終生にわたり,運動マンとして生きていく自信がかげりかけていました。
 宗教遍歴がはじまりました。統一協会,モルモン教,創価学会,生長の家,神社神道など首を突っ込みました。とくに統一協会の「統一球原理」で文鮮明の逆鱗にふれた小宮山嘉一(かいち)とは天下国家について論争しました。

前列左 西川勝,後列 小宮山嘉一,前列右側 久保木修巳

 小宮山は1964年に立正校成会から久保木修己を引き抜き,日本の統一協会の会長にした立役者です。全国大学原理研究会の初代会長でした。小宮山は文鮮明教組によって組み合わせられた結婚相手を蹴って組織を出ます。
 同年,筆者は聖イグナチオ教会のカンガス神父の引き合わせにより,家内とはじめてのデートを教会で行いました。

旧聖イグナチオ教会[カトリック麹町教会]
ルイス・アロイジオ・カンガス[Luis Cangas 1926-] 神父

 結婚するために賀川が献身した神戸の地にやってきました。カヨ子が垂水カトリック教会で受洗すると同時に結婚式をあげます。

岩村カヨ子 1972年12月24日 垂水カトリック教会 エミール・タベルニエ神父 Kayoko Iwamura

 聖書真理の追究の旅で,エホバの証人の聖書ファンダメンタリズムと出会います。聖書だけが,戦争,病気,飢餓,貧困などの本質的な問題を解決するという福音に入信します。その後は,キリスト教会の廃会に情熱をたぎらせました。脱会に13年を要しました。

最も活発な神戸市明舞会衆 右端 岩村カヨ子と筆者 Kayoko Iwamura Pastor Yoshio Iwamura

 遠回りで妻に迷惑をかけっぱなしです。

(3) ボランティア運動の不活発―青少年運動の不活発
 a. 隣人に対する感性の鈍さ
 自然災害,戦争,貧困格差について思想家内田樹氏は霊的覚醒を発信しています。「『なんだかわからないけれど,非常に危険なもの』が接近するときには自分の体内で『アラーム』が鳴るように,長い間訓練をしてきたということです。合理主義者たちの中には,「いったいお前たちはいかなる妄言を口走っているのか。外形的・数値的にエビデンスが示されないときに“何かがやってくる”というような判断が下せるわけがないではないか』とせせら笑う人がいる……ぼくは今回の震災と原発事故については,『アラームの劣化』ということが大きくかかわっていると思います。そして,日本人が21世紀を生き延びるためには,もう一度『霊的再生』のプログラムについて」検証しなければならないと気づかせてくれます76)
 ボランティア活動は阪神・淡路大震災以降,誕生したと見る向きが多いです。1995年1月17日から1年間に被災地に活動したボランティアは延べ137万人にも達すると言われています。(兵庫県警調べ)そしてこれがきっかけとなって,災害が起こるたびに,その災害が大きければ,その分多くのボランティアが救援に駆けつけるようになったのです77)
 国際ボランティア学会を起こした草地くさち賢一けんいち [1941-2000]について,「1941[昭和16]年9月10日に岡山で生まれ,幼少時代は母と二人の貧しい生活であった。中学3年の時に母が自殺,定時制高校に通う17歳……洗礼を受ける。『……貧しく,弱く,苦しい場所に身を置かされている人たちと共に生きる働きがしたい』」と願います。国のエネルギー政策転換によって炭鉱労働者の生活が酷しくなった九州の筑豊地帯の子どもたちを支援する「筑豊の子供を守る会」に加わり活動」,と宇都宮佳果よしみ氏は紹介しています78)

 今回の熊本地震においても,2016年4月22日,つまり地震発生から6日間は専門ボランティアしか被災地は受け入れませんでした。「ボランティアはプロフェッショナルとかアマチュアかで分けるものではありません」,と草地賢一は主張しました79)
 1995年1月17日,阪神・淡路大震災で死者6,434名に及びました。若者を中心に140万人近くが馳せ参じました。賀川豊彦,末次一郎,青年団などの働きが歴史上あったにもかかわらわず,なぜボランティア元年と言うのかを論じたいと思います。 明治維新以降,欧米に追いつくために日本の近代化は,官僚主導ですすめられてきました。したがって,「民」は「官」に依存する体質ができあがってしまいました。被災地のボランティア活動は「官」の独占物というエートスがあるのです。災害地の働きは国や社会がやってくれるべきものという責任丸投げの声が入ってきました。阪神・淡路大震災の時には,ボランティアについて「特別な資格,能力,専門家の活動」というより,「一般の人々がリックをかついで何か自分にもできるにちがいない」と駆り立てました。日本人全体の意識を変えたのです。「官」と「民」を二つにわけて考える壁が音を立てて崩れたのです。「官」と「民」の間に専門家ではない「ボランティア」という新しい層が誕生したのです。民間活力の働き場所ができあがったのです。高度経済成長[1954年12月-1973年11月]により生み出された公害,水俣病,アスベスト,孤独死,孤立死,DV(ドメスチック・バイオレンス=家庭内暴力),寝たきり高齢者の生活支援などは行政だけでは解決できないのです。ボランティアは行政の手の届かないサービスを提供します。緊急時対応の不備を補うように期待されました。民間のNPOが雨後の竹の子のように全国的な広がりの中で活動を始めました。文部科学省も発題します。「このような社会状況の中にあって,個人や団体が地域社会で行うボランティア活動やNPO活動など,互いに支え合う互恵の精神に基づき,利潤追求を目的とせず,社会的課題の解決に貢献する活動が,従来の「官」と「民」という二分法では捉えきれない,新たな「公共」のための活動とも言うべきものとして評価されるようになってきている」(2002年7月29日 中央教育審議会)。「新たな公共」と行政だけが「公」を担うのではなく,「民」が主体性をもって,福祉,環境,人権などの解決にあたり,政策提言をしていく突破口が開かれたのです。「ボランティア元年」と言われる所以です。「公共の福祉」とは「他人の人権」を意味するという理解が従前の通説です80)
 しかし,本来,行政が担当するサービスまでがボランティアに丸投げされたり,ボランティアが行政の下請け,御用聞き,補完になってしまう危険姓と背中合わせで来たのです。行政や社会福祉協議会による手厚い支援が続きますと,ボランティア本来のアイデンティティである主体性・公共性・無償性がトーンダウンし,受身の活動になってしまいます。
 子ども会,ボーイスカウト,ガールスカウト,スポーツ少年団などの青少年団体への所属状況をみると,小学校高学年では男子の7割前後,女子の4~5割が所属していますが,中学校2年生では男子の2割強,女子の1割強となり,高校2年生では男子の約1割,女子の5%と,その割合が低くなっています81)。青少年活動が堅苦しい・暗い・面倒だ,という理由で敬遠されることもあります。なぜ日本の青少年運動が停滞,不活発,不人気かについて精査しなければなりません。
 たとえば,1938年に起きた阪神大水害(1938[昭和13]年7月3-5日)の時のボランティア運動を考察してみます。
 総雨量は491.8ミリに達し,河川は氾濫,橋梁,堤防を破壊し,死者・負傷者を合わせると,3千人を超えました。被害人口は神戸市の6割以上の64万人に及びました。家屋の被害も7割に相当する13万9千戸です。被害総額は1億3,635万円と神戸市は記録しています82)。震災直後の7月6日に,東京から賀川豊彦らが来訪。被災地を見舞うとともに,職員を激励したりしています。「コープ神戸のあゆみ」7.阪神大水害によると,その時点で死者933人,神戸市の72%,69万6千人が罹災したと記録されています。
 兵庫県学務部社会教育課は大日本青年団に対して動員をかけます。県下から89,424名の若者が「勤労報国」のスローガンに徴用されました。記録には奉仕者側にも死者,負傷者が出ています。本人の意思に関係なくお国のために一斉に精進するように,命令に従ったのです。「生活即日本精神の態度を示しつヽあることは,銃後奉公に於ても大飛躍をとげつヽある現下日本のために眞に喜ぶべきことである」と動員する側は絶賛しています83)
 本来,「日本青年団協議会」(略称:日青協)は「地域づくり,仲間づくり,人づくり」への運動を展開する目的で全国各地に創設されました。「銃後」,すなわち戦争の後方部隊の運動をするために始まったのではありません。青年団は「心身の修練とよりよき個人の完成」「友愛と共励」「住み良い郷土社会の建設」「世界平和」を綱領とする立派な理念を有しています。1948年頃の山形県において,定時制高校の補足的役割をもつ長期教養講座は「青年学級」と名付けられました。山形県の青年団指導者であった寒河江さがえ善秋ぜんしゅう[1920-1977]は「パラ贈与」258-260ページで紹介されています。寒河江は山形県の日青協が生んだ日本を代表する運動マンの模範でした。末次の始めた健青運動,海外協力青年奉仕隊,日本青年奉仕協会(JYVA)なども寒河江の存在なしに成就しませんでした84)
 近年,日青協の不活発について,東京都のほかにも埼玉県連合青年団が1991[平成3]年に活動を停止,2006[平成18]年に兵庫県連合青年団,2007[平成19]年に富山県青年団協議会がそれぞれ活動低迷を理由に正式に上部団体である日本青年団協議会を脱退しており,正式な表明はないものの実質活動休止状態の県連合組織も少なくありません。国,文部省(現文科省)は,青年学級の制度化に着手しました。「青年学級」は1955年をピークに以後減少に転じ,以後減り続けます。皮肉なことに,補助金が出るようになってからすぐに低迷を始めたのです。
 青年団以外に,海外では今でも活発な若者の宿泊の拠点とするユースホステルも,非宿泊型の勤労青少年ホームも減少の一途をたどります。ともに1958年前後の段階では「青年の家」としてとらえられ,多くの人々が利用していたことが嘘のようにかんこ鳥が鳴いています。「有償ボランティア」として補助金が諸悪の根源と言われても仕方がないのでしょうか。
 ただし,兵庫県の場合,他府県と異なり,ユースホステルは存続していますし,青年団こそなくなりはしましたが,補助を受けている,受けていないに関係なく,他の青少年団体活動は活発な地域です。行政と各団体の関係が上下関係ではなく,むしろ行政の方がボランティア精神により,仕えているからです。おそらく最も青少年運動の芽を育て,人権意識も強いのではと郷土を誇りに思う市民も多い地域柄です。
 阪神大水害では学校,青年団,婦人会が動員されました。自発的な動きとして,宗教団体,在日外国人たちも活動も紹介しています。『神戸市水害復興勤労奉仕記念』の28-29ページには,「本門佛立講信徒」「天理教」の画像と「東,西本願寺佛教青年團」「黒住教奉仕団」「基督教徒の託児隊」の記録が掲載されています。

b. 宗教者の動き
 宗教者は民の立場から時の「官」に対して,発題することもたいせつです。1974年,時の政権,ブット首相がインドに対抗するために核武装を識者たちと模索します。1979年のノーベル物理学賞受賞者アブドゥッ・サラーム[Abdus Salam 1926-1996]はアハマディアの信者であり,政府の科学貢献に寄与しますが,核武装には反対のために非難されます85)
 英国の場合,キリスト教社会主義が社会改良そして福祉国家形成に連続していく導火線になりました。しかしながら近代日本の場合には,別の面が頭を擡げます。明治30年代初頭の近代産業の形成期に,キリスト教社会主義や労働組合運動の始動がありましたが,当局によって素早くその芽を摘まれてしまいました。さらに日露戦争後の体制危機への対応策として,明治政府は,家族主義国家観を強調し,慈善事業を政治的に奨励するに至ります。つまり水平の「運動」をお上が奨励したのです。
 大正期には,慈善事業を批判克服の対象と見なす社会主義思想が再び強調されるようになります。運動はもっぱら労働問題が中心でした。孤児,貧困家庭,女性差別を救済する運動が頓挫をくり返します86)。賀川がはじめた種々の運動,たとえば医療生協,農協,労働組合運動もイデオロギー,思想,福祉国家観の違いで賀川自身が糾弾されるようになります87)。なぜなら日本精神と抗う明石順三[1889-1965] (灯台社代表 戦前ものみの塔聖書冊子協会[エホバの証人]日本支部)ほどの日本の支配者層との闘い,弾劾,追求をしなかったからです88)
 草地賢一は言い放ちます。「ボランタリズムの思想を確立したプロテスタントはディッセント(非英国教徒)の伝統に根ざしていた。ディッセントとは宗教上の権威,伝統,形式,特権に対して異議を申し立てることにほかならない」(『神戸発阪神大震災以降』岩波新書・95年刊)と89)
 賀川は1905年に石川三四郎の本を読んで,共同組合について学び,構想を温めていました90)。思想史家藤田省三は,賀川豊彦や山室軍平の救済事業を批判しています。「日本のキリスト者の圧倒的大部分は,日本現代戦争史の中で国家批判の場を一回も自分の内にもつことが出来なかったし,また太平洋戦争中の自分達の『ひどい』戦争責任に対してさえ,戦後ほとんど無自覚である」91),と。藤田の賀川批判は内村鑑三の単独の信仰というパラドックスを用いて,水平の「運動」をクリティックしています。
 宗教がもつ本質的な救いとの関係を損なわずにいるためには,藤田が指摘するように「我が援助(たすけ)は社会より来る」と期待して「人の賛成」と「社会の助力」に依拠し92),垂直の関係より重要視したことを弁証法的に否定しなければなりませんでした(ガラテア 1:10)。預言者イザヤ,エゼキエル,エレミヤも組織体として水平の「運動」はしなかったのです。神託を受けた垂直の「活動」に徹しました。 
 一方,水平の「運動」により,日本女性の人権が高まる働きがあったことも見逃すわけにはいきません。北米のキリスト教界の女性たちによる禁酒禁煙運動に刺激を受けた日本のキリスト教の女性たちは1886年に日本キリスト教婦人矯風会(当時東京婦人矯風会)を設立。禁酒運動,廃娼運動,DVからのステップハウスを展開しました。賀川豊彦の妻ハルを軸とした女性運動が広がる中で覚醒していきます。「教会内で女は黙っていなさい」という伝統的な聖書観から脱皮していきます。
 「ところが新川に住む,私の内心軽蔑してゐる人達(女性たちのこと)がこの勇気ある,そして他人の為になることを話せるその力に驚いた。全くイエスは人を強からしめると解った」93)。ハルは,教会内だけではなく,刑務所,孤児院,慈善学校,慈善病院,少年院といった領域にも足を運びながら,女性の生きる場は家庭内に限定されるのではなく,女性の能力があるゆる場所において発揮され得ることを具現化していくことになります94)
 東北ボランティアに赴いた女子高校生は語ります。「私たちは現地で初めて知り,怒りと驚きで言葉が出てきませんでした。…国は口々に復興は完了したと述べていますが,それは間違っているでしょう。福島の方々が他県と変わらない日常生活を行えるようになって初めて完了したと言えるのではないでしょうか」。彼女は「恩送り」とレポートを閉じています。「恩送り」は受けた恩寵を流布するという角度から,宗教性を帯びていると筆者は感じました95)
 ボランティアでいう「タコ」とは漢字で「他己」と書きます。「自己」の反対です。「利他主義」(英語altruism)は19世紀のフランスの社会学者オギュースト・コントによる造語です96)。被災地でタコになって,小さくされた人々に仕える働きが,女性たちの感性に伝わり,群れになって時の抑圧する体制に糾弾する起点になる場合があります。フクシマの小児性甲状線異常「多発」の発表を受けて,「子ども脱被ばく裁判」に立ち上がる母親たちもまさにボランティア精神で参加しています。
 神戸市垂水区西方院の坂井良行住職は言います。「命は誰のものでしょうか。自分のものですか。……私は『命とは借り物』と思います。何不自由ない暮らしでも,周囲に誰もいなければ幸せを感じることはできません。人の中にいて初めて命の意味を感じることができるのです。究極的には自分の命は人のためにある。これを仏教界では『利他』という言葉で表現します」97),と。
 自分のいのちを人のために用いるには「タコ」になりきるのです。海にいるタコも吸着力は強いように,公共性を全うするには粘着力が求められます。あまりにも執拗なので,ひもじい時には,自分の足を食べたりとか,「海から這い上がったタコが大根畑に,侵入し大根を畑から引っこ抜いて,海へと運ぶ」という言い伝えがあると,石巻市の恩人阿部捷一氏から2011年に牡鹿半島で聞かされました98)。「自己」中心の生き方から「他己」に脱皮するのです。聖書に「目からうろこがとれる」という言葉があります。行き方の価値観が変わるほどの体験,教訓,先人の語り伝えは含蓄があります。
 現地の人たちの痛み,苦しみ,くやしさに寄りそうには「他己」の吸着力はあまりにも微力です。「人の苦しみをやわらげてあげられる限り,生きている意味はある」, とヘレン・ケラーは述べました。資格,技能,体験が豊かな人たちは軍隊(自衛隊),政府,行政と連携しながらプロジェクトを実施できます。だから行政は頼みやすい構図があります。ハコモノを造るには周到な企画,運営機関,実施する財政が伴います。
 幼い子ども,とりわけ孤児,働きの大黒柱を失った女性,独居の高齢者は,一番後回しになります。阪神・淡路大震災や,東日本大震災は良い実例です。被災から立ち直るには,手厚い思いやり,気遣い,ケアが必要です。ハコモノの復旧,復興, 再建が緊急,迅速,潤沢な資金が投入される一方で,忘れられている陰があります。「寄留の外国人,孤児,寡婦」たちは見捨てられ,息をひそめている哀しみがあります。光と闇の二極です。孤児や寡婦にとり,空港,地下鉄,高度な医療施設とは無縁です。
 ボランティア活動も二極性があることを論じてきました。水平の「運動」は,助成,宗教団体の後ろ盾,潤沢な資金を用いて,外観を震災以前に戻す作業に効果的,効率,能率よく展開します。行政からも歓迎されます。一方,目立たないゲリラのような訪問活動は地味です。マニュアル,周到なスキル,資格を効率よく展開するのでもありません。現場主義ですから,ただ単独で地面をゴキブリのように徘徊するのです。行政,政府,自衛隊から見ればきもい存在です。公認のゼッケンもつけていなければ,特別な講習会でボランティア学習をしたこともなく,資格もない普通の人です。行政,専門家,医師たちが到着する前に,息も絶え絶えの人たちのところにだれよりも早く赴むきます。ライフライン,衣食住,健康に必要な生活を失った人たちの状態を見つけ,近づき,手当し,お世話します。時には,食べ物,生活費,応急手当を施します。必ずしも群れでなくても個人的,単独,ひとりでも仕えていく活動です。
 「神の国の到来」のプログラムは治癒奇跡の諸伝承を典型とした癒しと「開かれた共食」(open commensality)によって遂行されます。つまり,「分け隔てなく人々を招き,生活の中で共に飲み食いしながら,共に癒しあうことで,今,ここに神の国が到来する」99)を実現します。今,ここに成就していることを共感できる働きこそ,ボランティア道の方向性です。被災地の独居の高齢者,仮設住宅の孤立,孤独な人たち,孤児たちと共に食事ができるトポスが神の御国です。炊き出しをする動機は「いただきます」と頂点であられる超越論的存在から頂戴することを分かち合う場でもあります。
 共生,共苦,苦縁には,社会的な資格,学歴,技術は重要ではりません。へりくだりの精神が何よりもたいせつです。他者のために役立ちたいという志があればだれでもできます。

 c. ゴキブリでなければ「田・山・湾の復活」はなし得ない
 他者のため生きるとは,ゴキブリの存在でなければなりません。人類社会のはじめから忌み嫌われ,あるときには恐れられ,排除されてきたゴキブリは「御器(食器)をかぶる(かじる)」に由来します。ゴキブリは極限の状況でも生き残る生物です。どんなに乏しくてもどこでも生活できます100)。戦場であっても,ピカドンの被災地,世界の自然災害の被災地であってもゲリラのように徘徊します。メルトダウンした廃炉寸前の地獄でも動いています。除染ロボットのように錆びたり,試行錯誤ができず,ノズルがつまったりすることもありません。
 神戸国際支縁機構の理事である水垣渉氏は神戸新聞会館で語りました。「日本における現在のキリスト教は,人生に希望を説いており,地獄を忘れていると思われます。では,地獄は大昔の人だけの世界観なのでしょうか。東日本大震災では津波から辛くも助かった人たちは『振り返ると地獄絵図でした』と話しました。……震災で犠牲になった方はどこに行ったのでしょうか。……確かなことが一つだけあります。原発を手にした私たちの社会は事故によって地獄を作り出してしまいました。この現実から目を背けてはいけません。この罪を徹底的に突き詰めねばなりません」101)。風化とは忘却することです。被災地の復興が遅々として進んでいない現場,地獄体験をした人々に寄り添います。5年を経ても,多くはまだ仮設住宅,孤独な復興住宅,ひっそりと住む独居者は地獄を見ているため,トラウマ,PTSD(心的外傷後ストレス障害),失っていない人たちに対する殺意があります。  
 キリストは神である栄光を棄てて,人間を「取る」決断をしました。「世界が造られる前に,わたしがみもとで持っていたあの栄光」(ヨハネ 17:5)を持っていた神その方でした。「何であれ父のすることなら,『なんでも,子もそのとおりにする』(ヨハネ 5:19)とある。『わたしも』「ギリシア語カーゴー」(17節)と書かれている。つまり,子と父が同等であることを示唆している」神ご自身でした102)。しかし,地上で人々はイエスを罪人,冒とくの徒,悪霊の頭ベルゼブルの手下(マタイ 12:24)と揶揄したのです。
 冒頭に行きずりの人が倒れていたとしたら,どうするかという問いを申し上げました。
 イエスに「では,わたしの隣人とはだれですか」(ルカ 10:29)と尋ねた場面があります。たとえ話には半死半生の行き倒れの人を黙殺したレビ人が出ています。宗教的祭事をたいせつにしたため,知らんぷりをしてその場を通り過ぎたのです。キリストは自らの教義,集団,儀礼,宗教的経験が永遠のいのちにつながると述べませんでした。「隣人を愛する」行為が「永遠のいのち」に結実します。隣人とは,サマリア人であり,異教徒でした。「『だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』 律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで,イエスは言われた。『行って,あなたも同じようにしなさい。』」(ルカ 10:36,37)。「同じように行なう」(ギリシア語 ポイエオー<行なう,実施する,働く>)ことをせず恵みによって救われたままで満足しているのは自称キリスト者です。キリストを知らない人です。ゴールに向かわずにいつまでもスタートラインでもたもたしてはいけないのです。隣人であるというのは,教会,儀式,洗礼によって資格が与えられているのではありません。他者,他宗教を排除する独善性があってはなりません。他己のために隣人であるべきです。ディートリッヒ・ボンヘッファー[1906-1945]はイエスが「私の隣人とはだれのことですか」の問答について註解しています。「隣人であるということは,他者によって資格があたえられるものでなく,むしろ彼が私につきつけて来る要求であり,それ以外の何ものでもない。……私は他者にたいして隣人であらねばならない」103)「彼が私につきつけて来る」垂直的な介入があって隣人をたいせつにすることができるとボンヘッファーは説きます。隣人に親切なサマリア人はキリスト者ではなく,異教徒です。したがって,イエスは信仰の自覚があるか否かではなく,隣人をたいせつにするボランティア道こそが「他者のための存在」になります。キリスト教界が敵としてきた異教徒の中に,真の「キリスト者」(クリスティアーノス 使徒 11:26; Ⅰペトロ 4:16)がいるアイロニーがあります。したがって,イエスは回心,信仰,受洗したかどうかで判断されません。「わたしに向かって,『主よ,主よ』と言う者が皆,天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ 7:21)と,「行う」者だけが恩恵を受けます。「行なう」ポイエオーとは生き様です。さらに文脈の23節では『あなたたちのことは全然知らない』とまで言い放ちます。「知らない」とは「我と汝」の関係になく,御国から隔絶されています。水平の「運動」として布教,占領,流血に明け暮れた自称キリスト者の社会事業も聖定から脱線し,神に栄光を帰すのではなく,大聖堂,荘厳な典礼,グレゴリアン聖歌などがキリストの代理者として君臨してはいまいかと迫ります。たえず聖書に戻るように改革されなければなりません。(Ecclesia reformata semper reformanda [ラテン語 エクレシア・レフォルマタ・センペル・レフォルマンダ])。

 神は前もって知っておられた者たちを,御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは,御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。(ローマ 8:29)。「御子の姿に似るもの」とキリストへの主似化には共生,共苦,苦縁が伴います104)
 4月16日に本震があった熊本で,デマが飛びました。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」らしいと言うのです。関東大震災では,朝鮮人と見れば見境なく暴行し,あるいは殺害するという行動を警察や軍隊だけでなく,民も加わりました105)。流言やメディアの官製報道にクリティックできる資質もボランティア道には期待されます。朝鮮人の痛みを共感し,共に傷つく賜物を問われています。ボランティア道に見いだされる一寸の虫にも五分の魂です。
 キリスト者だけが共生,共苦,苦縁のボランティア道を貫くのではありません。たとえば,天理教の信仰とは陽気暮らしをするために苦しむ宗教である,と言われます。陽気暮らしをするために苦しむ宗教である,ということです。陽気暮らしはこころも体も助かった状態なんですけれども,それを目指して格闘して苦しんでいかなきゃいけない。それが信仰者の使命と考えます106)
 キリスト者があえて現場で労苦を体験することをいとわず,継続するのはどうしてですか。「もし子供であれば,相続人でもあります。神の相続人,しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら,共にその栄光をも受けるからです」 (ローマ 8:17)と書かれています。うめきに「共苦」する宗教者ならば,「共に苦しむ」(スムパスコー スン「共に」+パスコー「苦しみを受ける,苦難を経験する」( 参照 マタイ 17:12, 使徒 1:3)ために,苦縁により,地元の兵庫県の丹波水害にも出かけて行きました。スプランクニッツォマイは英語で,have a compassion with~です。107)。日本語にはない言葉であり,琉球の言葉チムグルシー(胆苦しい)が一番適切な意味を持っている語です108)。痛めつけられた人々と共生するボランティア道こそ隣人愛の突破口です。

<結論> 
 東北ボランティアに参加した大学生,高校生,若者たちの多くは,東北などの被災地で「ええことしてあげた」という自己満足を味わったのではありません。「田・山・湾の復活」を知っているか,知らず,無意識のうちに田んぼにおいて手で田植え,稲刈り,天日干し,脱穀,薪づくり,炭焼き,養殖などに仕えています。縁ができることによって共生,共苦,苦縁のつながりが生み出されます。すると紡がれたつながりは垂直の「活動」だったと気づかされるならボランタリズムの真髄です。孤児ややもめを世話するのは神の「正義」を実現しているからです。聖霊の通り管として,神の道具になっています。一方,水平の「運動」は行政・政府・国家の働きの肩代わりや補完的な運動を繰り広げます。あまたの人々の関心をとらえるために日本の官僚制度ができなかった先駆的役割を担う開拓性を発揮するでしょう。しかし,私たち「ボランティア道」は人権思想には共同歩調をとりながらも,人種差別反対,核廃絶,環境エコロジーを守る「運動」に対しては微力です。市民運動,社会運動,政治運動とは無縁のようであっても点が線になり,やがて面へと広がる場合があります。なぜならボランタリーな活動は現場,地域,周縁と紡ぎ合っているからです。領域 realmという境界線,言語,国籍を超越して,世界,辺境地,地球の裏側であっても,速やかに現場に急行します。ボランティアの道場,ゲレンデは「うめき声」があるところです。自発的,公共性,無償性をもって,寄り添うのです。寄り添うとは,徹底的に相手側の状況や都合に合わせることであって,こちら側の条件,資格,経験を問いません。いつでも,だれでも,どこでもできるのがボランティア道の断面図です。

出典

 1) 『宗教と現代がわかる本』(島薗進共 平凡社 2012年 139頁)。
 2)“Biblia Sacra Vulgate”Deutsche Bibegesellschaft Stuttgart 1994。
 3) 『羅和辞典』(田中秀央 研究社 1964年)。
 4) 『類語国語辞典』(大野晋,浜西正人 角川書店 1985年)。
 5) “Webster’s Third New International Dictionary”Merriam-Webster 1993 voluntaryの類語説明。
 6) 『青年と奉仕』第94号(中田幸子 日本青年奉仕協会 1975年 6月号)。
 7) 拙論「キリスト教と非戦」。
 8) 『福祉の哲学』(阿倍志郎 社会福祉専門職ライブラリー 1997年 90頁)。
 9) 『ボランティア論』(川村匡由 ミネルヴァ書房 2006年 2頁)。
10) 「自ら進んで」(ギリシア語エクースィオース[副]<エコーン「自発的に,自ら進んで,喜んで;故意に,わざわざ,ことさらに」の意)英語はwillfully 1, willingly 1, voluntarily, willingly, of one’s own accord。
  Phm 1:14 あなたの承諾なしには何もしたくありません。それは,あなたのせっかくの善い行いが,強いられたかたちでなく,自発的になされるようにと思うからです。
    sine(スィネ) consilio(コンスィリオ) autem(アウテム) tuo(トゥオ) nihil(ニヒル) volui(ヴォルイ) facere(ファセレ) uti(ウティ) ne() velut(ヴェルトゥ)    
    ex(エクス) necessitate(ネセッスィターテ) bonum(ボヌム) tuum(トゥム) esset(エセトゥ) sed(セドゥ) voluntarium(ヴォルンタリウム)
11) 『新約聖書ギリシャ語小辞典』改訂第4版(織田昭 日本コンピューター聖書研究会 2010年)。
12) 「各自,不承不承ではなく,強制されてでもなく,こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」(Ⅱコリント 9:7)。
  unusquisque(ウヌスクイスクエ) prout(プロウトゥ) destinavit(デスティナヴィトゥ) corde(コルデ) suo(スオ) non(ノン) ex(エクス) 
    tristitia(トリスティティア) aut(アウトゥ) ex(エクス) necessitate(ネセッスィターテ) hilarem(ヒラーレム) enim(エニム) datorem(ダトーレム) 
    diligit(ディジィトゥ) Deus(デウス).(彼はわたしたちの勧告を受け入れ,ますます熱心に,自ら進んでそちらに赴こうとしているからです。Ⅱコリント 8:17)。
    わたしは証ししますが,彼らは力に応じて,また力以上に,自分から進んで,(Ⅱコリント 8:3)。聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと,しきりにわたしたちに願い出たのでした。(Ⅱコリント 8:4)。
13) 『まあるい地球市民の会のボランティア・キーワード145』―ボランティア学習事典(永井順國共 日本ボランティア社会研究所 日本ボランティア学習事典編集委員会 2003年 22頁)。
14) 『ボランティア論』(中嶋充洋 中央法規 2002年 15頁)。
15) 『NPOが自立する日―行政の下請け化に未来はない』(田中弥生 日本評論社 2006年 74頁)。
16) 『ボランタリズム研究』No.1(岡本榮一共 大阪ボランティア協会 2011年巻頭言)。
17) 『ボランタリズム研究』No.1(同 15頁)。同論で仁平氏は「国家がボランティア活動や市民活動を特定の形に歪めたり,規制によって従属させようという時に,それを「動員」として批判するという形態をとった。
18) “Theological Dictionary of the New Testament” (TDNT)Ⅲ Gerhard Kittel Eerdmans Publishing Company 1977 p.796)。
  「所有放棄」においては物質的な所有物の放棄だけでなく,家族,故郷,職業を含んだあらゆるものの放棄が意味されており,その意味において,所有放棄は何より,生き様の転換を示すものである。
  それに対して「施し」においては具体的に物質的な財産,それも余剰の富が問題にされており,ルカによるとそのような余剰の富は貧しい者に分け与えなければならないのである。「神学研究―ルカ文書における所有放棄と施し」第51号(嶺重淑 関西学院大学神学研究会 2004年30頁)。
19) デーモスの同義語であるラオス(≪神の≫「民」イスラエルを示唆)が次のように用いられます。「ホセアの書にも,次のように述べられています。『わたしは,自分の民でない者をわたしの民と呼び,愛されなかった者を愛された者と呼ぶ」(ローマ 9:25)と。「自分の民」イスラエル民族に用いられたりします。デーモスから英語デモクラシーが派生しています。聖書でデーモスィオスは「使徒たちを捕らえて公の牢に入れた」(使徒 5:18)が出ています。「公の」(「公共の」「国家の」)として用いられます。(『新約聖書釈義事典』Ⅰ 教文館 1994年 343頁)。
  旧約『セプトゥアギンタ訳』にはない「デーモスィオス」は「民衆」( デーモス「公の行動をする民衆」)に由来します。したがって,聖書の用語から「コモン」は垂直的に超越した存在からの「公共の」ニュアンスがあること示していました。 
  一方,デーモスィオスは国,行政,関連当局による「公共の」という文脈でも用いられています。
   (“Theological Dictionary of the New Testament” (TDNT) Ⅱ Gerhard Kittel Eerdmans Publishing Company 1977 p.63)。
20) 「ボランティアの語源は,ラテン語の『Voluntarious』(「切に求める」の意味)にまでさかのる」(『まあるい地球市民の会のボランティア・キーワード145』ボランティアの項)と定義されていますが,ボランティアの語源は聖書ギリシア語アウタイレトスと紹介すべきです。
21) 『公共性の構造転換』(ハーバーマス 細谷貞雄訳 未來社 1973年 2頁)。
22) 『公共性の構造転換』(同 326-329頁); 『ボランティア学研究』Vol.1―ボランティアと公共性(入江幸男共 国際ボランティア学会 2000年 47-48頁)。
23) 『<癒し>のナショナリズム―草の根運動の実証研究』(小熊英二共 慶應義塾大学出版会 2003年 44-46頁)。
24) 『社会運動の力―集合行為の比較社会学』(シドニー・タロー 大畑裕嗣訳 彩流社 2006年 20,22頁)。
25) 『ティリッヒ神学における存在と生の理解』(茂洋 新教出版社 2005年 239頁)。
26) 『ハンナ・アレントの政治思想』(マーガレット・カノヴァン 寺島俊穂訳 未來社 1995年 102,103頁)。
  ハンナ・アーレントは,最終的には人々の「活動」(activity)によってのみ「公共性」が担保されると主張した。『キリスト教福祉の現在と未来』(稲垣久和共 キリスト新聞社 2015年 109頁)。
27) 『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学』(仁平典宏 名古屋大学出版会 2011年 42頁)。
28) 留岡幸助については『ブリタニカ百科事典』が「1894年渡米し,欧米行刑制度を研究,……1900年以降は内務省嘱託となり,地方改良運動や社会事業調査会会員として活躍した」と紹介。
29) 『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学』(同 60-61頁『人道』280号 1929年)。
  「恤救[じゅっきゅう]規則」 1874年-1931年の日本にあった法令。「パラ贈与」(37頁) 恤救規則は,原則として[人民相互ノ情誼(じょうぎ)]で対処。つまり国が社会保障の機能を果たさない代わり,人間同士の人情,誠意(情宜)やそれをもとにした相互扶助や「慈善」など,自発的な<贈与>のたいけいによって代替することが期待されている。
30) 『神戸と聖書』(「神戸と聖書」編集委員会 神戸新聞総合出版センター 2001年 62頁)。
  ベリーが明治9年に提出した播磨,大阪,兵庫,京都の四大監獄視察報告「獄舎報告書」をもとに,近代日本の監獄法が制定されたのです。1891年に教誨師となる留岡幸助より,前に,原胤昭「1853-1942]はベリーの生き様から感化を受け,1888年,日本人として最初のクリスチャン教誨師になっています。監獄教誨の働きは1872年に真宗大谷派僧侶鵜飼啓潭師が名古屋監獄で許可されています。
31) 「ボランタリズムと市民社会」(ロバート・ペッカネン 岡本仁宏訳 『ボランタリズム研究』(同 38頁)。
  “In The State of Civil Society in Japan―After Aum: Religion and Civil Society in Japan”(Helen Hardacre Cambridge University 2003 p.133-153) 
  <参照>https://www.youtube.com/watch?v=TfuFxi-TNIk; “The Structual Evolution of Religious Communities in Japan―The Commercialization of the Sacred”(Susumu Shimazono Socail Science Japan Journal 1 No.2 1998 p.181-198)。
32) 「陰徳」(人知れずよいことを行う者に は,必ず目に見えてよいことが返ってくる『大辞林』);『福祉の哲学』(阿倍志郎 社会福祉専門職ライブラリー1997年 92頁)。
  日本中が金銭勘定や自己責任とやらを脇に追いやって,と人のつながりに目覚め,「私も役に立ちたい」との思いを強くした。市場経済や交換経済のなかで生きていたはずの日本人が,突如,贈与と互酬の経済に復帰したかの感がある。交換原理が支配する現代社会では,危急の際,各人が身を守るのは「自助」であり,そのため各人は営々と貯蓄に励み,致富をめざす。頼りは金のみだ。そう思われている。これに対して互酬の経済社会では,いざというときモノをいうのは貯えでなく,援助のネットワークつまり「互助」「共助」である。津波ですべて流失したあと,被災者にとっていちばん心強かったのは「金」ではなく「絆」であった。山田鋭夫(九州産業大学経済学部教授 生活経済政策 2011年10月号掲載)。
33) 『聖書と経済』(山本栄一 関西学院大学出版会 2007年 104,119頁)。
  イエスの言葉に「人にしてもらいたいと思うことは何でも,あなたがたも人にしなさい」(マタイ 7;12)の黄金律(golden rule)があります。人に迷惑をかけるくらいなら何もしないとか,人の嫌がることはするなという消極的な教えを超えて,積極的な行動指針をすすめています。第十戒の隣人に対しては消極的に「貪らない」ということに止まらず, 「思いやり」や「慈悲」といった積極的な行為が求められます。
34) 『ボランタリズム研究』No.1(岡本仁宏共 大阪ボランティア協会 2011年 6-10頁)。
35) 『ボランティア学研究』Vol.1―ボランティアと公共性(入江幸男 国際ボランティア学会 2000年45-47頁)。神戸国際支縁機構のホームページ
  http://kisokobe.sub.jp/article/proposal/7613/参照。
36) “A Hebrew and English Lexicon of the Old Testament
(William Gesenius Francis Brown 1979 p.201-203)。
  拙論 「ボランティア道―阪神・淡路大震災から20年」(ラジオ関西 2015年1月9日)。
37) 『滅亡の予感と虚無をいかに生きるのか』(勝村弘也共 関西神学塾編 新教出版社 2012年 100頁)。……なるほど,原発事故が起こちゃったら,お金は役に立たないですよね。事故を終息させるのに金はかかるでしょうが,金をばらまいたからと言って事故が終息するわけではない。金の力で地震も津波も止められません。……お金とか冨とか全然役に立たない瞬間というのが,社会にはあるんですよ。その時に問題になってくるのが「義」です。それは,ひょっとしたらボランティア活動のようなことに読み替えることができるかもしれません。
38) 『小さくされた者の側に立つ神』(本田哲郎 新生社 2003年 160頁)。拙論「福音とは 何か」(神戸国際キリスト教会礼拝説教 2014年9月21日)。  http://kisokobe.com/kicc/2015/09/30/%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E3%81%A8%E3%81%AF%E 
  4%BD%95%E3%81%8B/

39) 『キリスト教人名辞典』(日本基督教団出版局 1986年 161頁)
  ジョージ・ミューラーの一部のみ引用。青年時代放縦に走った……ブレザレンに加わり説教者となる。物的にも霊的にも必要なものは信仰と祈りによって与えられるとの確信に立ち,維持献金制度を廃し,俸給をも辞退して協力者の献金のみをたよりに慈善事業に着手。
40) 「中外日報」“伝えたい 忘れない⑪”(北村敏泰 2016年4月15日付)。北村敏泰氏の著書『苦縁』には宗教者の轍が記録が網羅。
41) 『新しい時代を創る社会教育』(伊藤俊夫 全日本社会教育連合会 2010年 43頁)。
42) 『希望への力』(興梠寛 光生館 2006年 52-53頁)。自分のなかにある他者が必要とするものを提供し,分かちあうことをとおして,自分自身が必要とされる存在であることを自覚できたのである。その瞬間から,自分を肯定的に確認し,自分自身の存在の意味を知ることができたのだ。二人(少年と少女)は“意味ある他者”の出現によって,“意味ある自分”を発見することができたのだった。
43) 『記録阪神・淡路大震災被差別部落』(日野謙一共 兵庫部落解放研究所編 1996年 273頁)。
44) 拙論季刊誌「支縁」No.14(神戸国際支縁機構 2016年 1頁)。
  「阪神間の若者たちも南海トラフに対する備えの意識もしっかりしていません。阪神・淡路大震災で6千名以上の人々が犠牲になったことを風化させない,忘れない,いのちを大切にするために,現場に足を運ぶことが有効な方法のひとつです。たとえば兵庫県は震災借り入れ住宅に高齢者が20年経っても出て行かないように配慮した例がありました。しかし,兵庫のキャナルタウンの高齢の入居者に部屋の明け渡しを神戸市は法律で迫り,追い出そうとします。無慈悲な行政に怒っている高齢者たちがいます。「終の棲家(ついのすみか)」として住めないからです。
 身近なところにも明日への希望をもてない60代,70代の被災者が神戸にいます。阪神・淡路大震災で住む家を無くした人たちは今,労働もできず,蓄えもなく,身寄りもありません。キング牧師は「後世に残るこの世界最大の悲劇は,あしき人の暴言や暴力ではなく,善意の人の沈黙と無関心だ」と言いました。阪神・淡路大震災の時,ボランティア元年として起こった「支え合い」「助け合い」「向き合い」による心のつながりがユートピアのように人々を励まし合いました。生きているいのちを感謝しました。しかし,いつしか,阪神・淡路大震災や,東日本大震災直後の時に起こった一時的な共同社会は効率優先社会を目指す掛け声で消えてしまいました。サイクロン「パム」で被害を受けた直後にバヌアツでお会いしたボールドウィン・ロンズデール大統領は,日本の世界防災会議に出席しました。「仙台に行ってみて日本はまた元の木阿弥に戻って,物質繁栄を追い求めている状況には残念でした」と率直に語られました。共苦,共生,苦縁する家庭,地域,国全体の姿勢が求められています」。
45) 拙論「ボランティア道―阪神・淡路大震災から20年」(ラジオ関西2015年1月9日 午後6時30分)
  「話し合う友として,語る対象を失った人たちの呻きの孤独に隣り合わせるのです。「喜ぶ人と共に喜び ,泣く人と共に泣きなさい」 (ローマ 12:15)と寄りそうのです。西暦1世紀,マリアとマルタは兄弟のラザロがなくなり,悲しみに打ちひしがれていました。「イエスは,彼女が泣き,一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て,心に憤りを覚え,興奮して,……涙を流された」 (ヨハネ 11:33-35)と記録されています。宗教者であろとなかろうと,哀しみの息により,横隔膜の筋力が弱っている人に出会うならば,感情移入するものです。「終わりに,皆心を一つに,同情し合い,兄弟を愛し,憐れみ深く,謙虚になりなさい 」 (Ⅰペテロ 3:8)の気持ちに揺り動かされます。「同情し合い」(ギリシア語  スムパセース 「共に」+「痛む」の意。英語sympathy ≪同情,あわれみ,同感≫の語源)が動機になります。 つまり,同じ痛みを共有します。共苦を自然体で表します。「心を一つ」(ギリシア語 ホモフレーン 「横隔膜を一つに」の意)になってはじめて他者との間柄性が生まれます。
46) 拙稿「日本の宗教風土とキリスト教」(KBHキリスト教世界シリーズ 2012年7月17日),『新約聖書釈義事典』Ⅱ(教文館 1994年 197-1987頁)。「宗教」は仏教用語であり,「宗」(言語によって表現できない究極の真理)と「教」(言語によって表現された教え)。英語religionはラテン語religioレリジオ(語源religo<結び上げる,結びつける>)の派生語です。つまり英語の「宗教」は断絶していた神と人間を結びつける道を意味します。(『キリスト教とイスラム教』(ひろ さちや 新潮選書 1990年 23頁)。
47) 『感謝』(社会福祉法人暁光会創立50周年 3,21頁)。1956年に神戸エマウスを創立(暁光会本部)。エマウス(Emmaüs)運動とは,家のない人を食事に招き,宿を提供。ルカ 24章13節の地名からとられた。1949年フランスのアベ・ピエール神父が提唱。信条は「人間は人に奉仕することをとおしてはじめて救われる」。バラード神父の影響を受けた須賀敦子[1929-1998]は「朝日新聞」(1972年5月5日付)に「クズ屋の楽しみとして」「エマウスの家の女あるじ」として報じられる。
48) 「野宿もゆるされない時代」(野々村耀共 神戸YWCA夜回り[仮] 活動報告書 Vol.10  2015年 23-24頁)。
49)  http://www.core100.net/project/jikko.html
50) 『神はわが牧者』(大宅壮一 「噫々賀川先生」 1960年)。
51) 『賀川豊彦とボランティア』(竹内勝・村山盛嗣 神戸新聞総合出版センター 2009年 317頁)。
52) 『カルヴィニズム』第32号(稲垣久和 カイパーと賀川豊彦 日本カルヴィニスト協会 2016 40頁)。「この共同組合運動を思い付いたのは,英国のロバアト・オーエンであった。オーエンはすでに1824年頃からこの共同組合(co-operative society)という言葉を使い始めている。然し惜しいことには,彼はこれを単に生産的共同組合科学とのみ考えて,精神的意識的,又宗教意識の上に基礎づけられた,経済運動であることに思い到らず従ってそこまで育て上げることが出来なかった」。こう述べて次に1844年12月31日に,英国のロッチデール(Rochidale)市で,キリスト教博愛主義を根本にして,28人の織物職工たちが一ポンドずつ出し合って小さな組合を組織したのが共同組合のはじまり,と続けます。そのときの三原則とは①利益払い戻し ②持分の制限③出資額によらず一人一票の投票権,ということになります。次いでこの三原則を改良してドイツのフレデリック・フォン・ライフアイゼンが1872年にキリスト教精神で民間の共同組合保険(信用組合)を作った,と。
53) 『キリスト教入門』(賀川豊彦 大泉書店 1950年 27-33頁)。
54)『講義録』Vol.4 (鳥飼慶陽 日本聖書協会発行 2012年 155頁); 『聖書の話』(賀川豊彦 社会思想研究会出版部 1957年 18頁)。
55) 田辺健二(賀川豊彦献身100年展 鳴門市賀川豊彦記念館館長 2008年)。
56)「パラ贈与」 448頁。
57) 拙稿『神戸と聖書』(「神戸と聖書」編集委員会 神戸新聞総合出版センター 2001年 210頁)。
58) 『賀川豊彦 その社会的・政治的活動』(K-H・シェル 後藤哲夫訳 2009年 167頁)。
59) 『聖書の話』(「要選書31」要書房 1952年 25頁)。
60) 「パラ贈与」 448頁。
61) 『貧民心理之研究』(賀川豊彦 警醒社書店 大正4年 98-99頁)。「私は主として,人種説を取る。……彼等の皮膚を研究すれば,穢多には一種特別の人種があることは確かである。例へば,彼等に白哲種が多いことである。之は實に驚く可き事實で,どうしてもカウカサス種の子孫としてか私には取れないのである。穢多の間に美人が多いことは誰も認めて居る處であるが(遠藤氏も認めて居られる)之等も何かその邊に人種的起源があるのは確である。然し,穢多が混合種であることは拒むことは出来ぬ」。  
  『ともに生きる』(山折哲雄共 松沢資料館 2010年 99頁)。
62) 『釜ヶ崎と福音』(本田哲郎 岩波書店 2009年 134-135頁),
  『余白の波』(瀬戸内晴美 中央公論社 1971年 85-87頁),
  『荊冠の神学』(栗林輝夫 新教出版社 1984年 459頁)。
63) 「国際協力事業団」1985年17頁。末次は日本健青会をつくり,ボランティア活動を日本中に展開していきます。同時に,戦後,シベリア抑留者,南方戦地からの引揚げ者の援護,戦争孤児,浮浪児のためボランティアをはじめる。
64) 『未開と貧困への挑戦―前進する日本青年平和部隊』(末次一郎 毎日新聞社 1972年)。
  「当時,世はあげて,社会主義か資本主義か?と,日本の将来の方向が論議されていた時であったが,われわれはそうした旧い観念の物差しで測るのではなく,それを超えた新しきものを創らねばならぬということであった」(『健青運動十五年史』健青運動十五年史編纂委員会 1964年 43頁)。
  末次は「草の根大使」「友情の大使」として世界の平和に貢献。
65) 『広辞苑』第六版 岩波書店 2008年 樹の陰などに生えて人に顧みられない草。
  「日本健青会綱領」に,①われらは日本青年の誇りと責任に生き,同士とともにきびしく鍛えあい,常に国家,社会に有為の人たるべく努力する,とあり「有為の人」なるべくボランティア精神を 発揮するように立ち上がった。戦後1949年に「日本健青会」を設立。全国支部152,会員3万7千。健青会員は『若い力の歌』を歌って高揚した。後に,青年協力隊の隊歌として歌い継がれる。(『健青運動十五年史』同 278,289頁)。
66) 『日本ボランティア学会』(2007年度学会誌 秋葉武 日本ボランティア学会 2008年 91頁)。
67) 『日本ボランティア学会』(同 94頁)。A級戦犯収容していた巣 鴨プリズンの慰問で親しくなった岸信介[のぶすけ 1896-1987]たちとの交流が右翼運動とみなされるし,歴代の大臣たちも末次の前で直立不動であるほど一目置かれていた。「海外協力奉仕隊の構想とその経緯――日本的平和部隊構想推進のために」(福本孝 自由民主党政務調査会編『政策月報』99 1964年 76-84頁)。
68) 「校風は当時では考えられないほど自由奔放で,国体を批判しようが,八紘一宇を疑おうがおとがめなし。むしろ「天皇のために死なず」という気風すらあった。自分たちが命を捧げる対象は,天皇でもなく,政府,軍部でもなく,日本民族である,民族を愛し,民族の捨て石となって喜んで死ぬことができるか――を問うた。こんな精神教育の上に立ち,命も名もいらぬ人間として諜報技術を叩き込まれた」(『たった一人の30年戦争』(小野田寛郎 東京新聞出版局 2000年 50頁)。
69) 国体論:『改訂新版 世界大百科事典』(平凡社 2007年)。日本主義ともいう。時期により変遷はあるが,血統的に一系の天皇をいただく日本の国家体制の〈優秀性と永久性〉を強調する国体論は江戸時代の国学者である本居宣長,平田篤胤などに源を発し,国民の団結にじゃまになるような異質者の存在を認めない。
  末次逝去の際,葬儀委員長であった中曽根康弘[1918-]元首相は末次について「私たち復員者の鑑」,「戦後日本の『幕末奇兵隊』の高杉晋作にも比すべき烈士」,「国士」と述べた。
70) 「パラ贈与」 267-269頁。
71) 『未開と貧困への挑戦―前進する日本青年平和部隊』(同 117頁)。
72) 『日本ボランティア学会』(同 92頁)。
73) 『青年海外協力隊の虚像―天下りの温床』(元青年海外協力隊隊員 石橋慶子 健友館 1997年 234-235頁)。
74)『武士道』(新渡戸稲造共 三笠書房 1989年 96頁)。
75) 「第二次世界大戦後の日本における浮浪児・戦争孤児の歴史」(逸見勝亮  日本の教育史学教育史学会紀要第37号 1994年 112-113頁)。
76) 『大津波と原発』(内田樹共 朝日新聞出版 2011年 117-119頁)。
77) 『ボランティア学研究』Vol.5 (山口一史共 震災ボランティアの10年 国際ボランティア学会 2005年 3頁)。
78) 『神戸と聖書』(宇都宮佳果共「神戸と聖書」編集委員会 神戸新聞総合出版センター 2001年 151頁)。
79)『阪神大震災と国際ボランティア論』草地賢一の歩んだ道(『草地さんの仕事』刊行委員会 エピック 2001年 98頁); 「ボランティア精神を語る」(草地賢一 神戸医師協同組合発行・神戸医協ニュース 1997年5月1日~12月1日号連載)。
80)『憲法に緊急事態条項は必要か』(永井幸寿 岩波書店 2016年 6頁)。「緊急事態条項」は災害現場で有害と唱える津久井進弁護士は「国のトップに権限を集中させると,現場は『指示待ちモードに陥って思考停止となる』と警鐘乱打。(「朝日新聞」2016年4月5日付)。
  大田正紀『講義録』Vol.3―浦上四番崩れキリシタンの受難の記憶―(日本聖書協会発行 2011年 12頁)。「最後の一句」(1915)に見られるように,「官」と「民」の 対立は(森)鴎外文芸の1主題をなすものです。無実の信徒を虐殺した「官」の非道もさることながら,傍観するしかなかった「民」の記憶が,終生鴎外の精神的外傷(トラウマ)として残っているように思われます。
81) 独立行政法人国立青少年教育振興機構(2011)「青少年の体験活動等と自立に関する実態調査 青少年団体に所属している子どもの割合(平成22年度)。
82)『神戸市水害復興勤労奉仕記念』(田淵潔 神戸市役所 1938年 巻頭言)。『自然災害科学』(「昭和13年阪神大水害『災害誌』群の研究」加藤尚子 独立行政法人国立環境研究所 2007年 291-305頁);本山村誌編纂委員会:本山村誌,本山村誌編纂委員会,1953年。
83)『水害復興勤労奉仕』(兵庫縣学務課 1938年 64頁)。充分に修養の道場を與へられ,終始日本人としての氣持,日本精神を感味しつヽ,二度と得られぬ尊き體驗を得たことは喜びの中の喜びである。そして,これ等の靑年が地方に還つても,その生活の上に,將又生業の上に影響して活動の源泉となりつヽあることは限りなく收穫である。
  それは凱旋せる勇士が戰線と銃後をつなぐ楔となつて,終始緊張の態度を示せるが如く,選ばれたるこれ等靑年の體驗は郷土の人々に精神的によき感化を及ぼし,議論ではなく,言葉でもなく,生活即日本精神の態度を示しつヽあることは,銃後奉公に於ても大飛躍をとげつヽある現下日本のために眞に喜ぶべきことである。「銃後」:戦線の後方。転じて,直接は戦争に参加していない一般国民や国内をさす。
  『大辞林』(三省堂編修所 第三版 編者 松村明 2006-2014)。
84) 「日本の国際協力を代表する青年海外協力隊は,山形県青年団の経験から生まれている。」との書き出しから始まる海外協力隊生みの親の一人,寒河江善秋の物語が山形新聞で連載。「山形新聞」(2012年9月23日付) (早稲田大学矢口徹也教授)
  日青協: 青年団の前身である青年会は,当初は市町村のような行政組織ではなく,部落の地縁組織の一つであり,若者の風紀の乱れを正し,精神修養と心身鍛練を行う場として明治期より展開してきた。やがて日露戦争時の青年会による銃後活動の盛り上がりが軍部の目にとまり,次第に行政からの指導が強まる中,青年会の町村単位での統合が進んだ。この動きは全国的な郡市連合青年団の結成へと向かい, 地域青年団は,1924年には中央機関として大日本連合青年団が成立,中央集権的な組織体制ができあがっていました。青年団は国民強化の中核組織として位置づけられ,精神修養・心身鍛練のみならず軍事訓練も含んだ銃後活動が強化され,総力戦体制に飲み込まれていった不幸な時代も経ています。「皇国の道に 則り,男女青少年に対し団体的な実践鍛錬を施し,互に共励切瑳・確固不抜の国民的な性格を錬成して負荷の大 任を全うする」ことを目的としていた,しかも中央団長には文部大臣,下部組織ではそれぞれ知事・市町村長が団 長に就任して,統合的組織体であつた期間もある」と記録されています。
  戦後はその反動として,「パラ贈与」258ページにあるように,左派(共産党)などに席巻されそうになる試練の時もありました。現在も同―市町村の地域に居住する20歳代から30歳代の青年男女により組織されています。
  (a)趣味的レクリエーション的なもの(運動会・音楽会・演劇会・句会・華道等) (b)産業経済的なもの(農事改良・養魚・農産加工等) (c)奉仕的なもの(道路橋梁の補修・除雪・廃品回収・共同募金・不良化防止等)に取り組みます。 しかし,青年団は農業従事者主体の組織であったため,若年農業従事者が減少している影響で撃滅していきます。
85) 『スピリチュアリティと平和』(阿久津正幸 ビイング・ネット・プレス 2015年 121-124頁);拙論「英国訪問 イスラーム教世界大会 2015年8月21-23日」 Department Archived from the original on 20 February 2008. Retrieved 18 February 2008.
  『FOR BEGINNERS イスラーム教』(安倍治夫 現代書館 2002年 43頁)。
86) 福岡県立大学人間社会学部紀要 第14巻 第2号― 76 ―福岡県立大学人間社会学部紀要 細井勇「石井十次及び岡山孤児院に関する先行研究のレビュー 2006,vol.14 No.2. 75-94。「石井十次及び岡山孤児院に関する先行研究のレビュー室のような社会運動家はいささかも日本精神を根底から変革しようとするものではなかった(107頁)」。
87) 『自由組合論』(賀川豊彦 警醒社書店 1921年 6,77,103頁)。「『賀川さんこれでも無抵抗主義ですか?』と云うのはまだ善い,出る辯士出る辯士の凡ての演説に多少階級争闘的の文句があれば,その野次は必ず私に關連して居た。『賀川を葬れ』『賀川豊彦よよく聞け』と云うのであった」。
88) 拙稿『神戸と聖書』(神戸新聞総合出版センター 2011年 212頁)。拙論「目薬」誌 №.23 2001年 10-14頁,同 No.24 11-14頁。
89)『阪神大震災と国際ボランティア論』草地賢一の歩んだ道(小泉勇治郎 同 68頁)。小泉教授は同ページで,「草地さんのボランタリズムの原点はここにあると言ってもよいだろう。『異議を申し立てる』これが『言われてもやらない,言われなくてもやる』につながっている」と語る。
   草地賢一の後継者村井雅清氏は言う。近年,災害時にボランティアが果たす役割が注目を浴びるようになり,その重要性が認められれば認められるほど,奇妙なことに,「災害直後に大勢のボランティアが行くと,被災地が混乱する」という根拠不明の言説が広がっていった。そして,被災地に迷惑がかからないようにボランティアを管理しなくてはならない,現地で活動する際の規範をマニュアル化して守らせないといけないという方程式が,いつの頃からかできてしまった。『災害ボランティアの心構え』(村井雅清 ソフトバンク新書 2011年 27頁)。
90) 『賀川豊彦』愛と社会正義を追い求めた生涯 (ロバート・シルジェン 新教出版社 2007年 87頁)。
91) 『維新の精神 第三版』(藤田省三 みすず書房 1979年 75頁)。「人および人の関係の人による救いではないか」。「ここではキリスト教に特殊な本源的人間に関する普遍的な『救い』が現実的な特殊人の特殊面における一時的な救いに癒着され混同されているのである。信仰の超越性が伝統的に弱くて信仰がつねに道徳や習俗や運命への感傷とくっついている日本精神のもとでは宗教のこうした思想的頽廃の傾向が絶えずあるわけであるが,賀川や山室もまた社会運動家として真面目であり精力的であり不屈であったにもかかわらず否ある意味では,社会運動の中に全心的に埋没したことによってこの伝統的な宗教思想の頽廃の流れの中に立ち返ったのである(103頁)」。
92) 同 109頁。
   「運動」が「成るべく丈け多く周囲の努力を自己に吸収して自己の為さんと欲する事を為す」ことに過ぎないならば,言い換えれば,「我が援助(たすけ)は社会より来る」考えて「人の賛成」と「社会の助力」を「頼む」ような……「堅(たて)に上より我に降り来るものの祈求でない」ならば,『運動』は実に卑しむべき事である」と内村鑑三の言葉を借りて糾弾します。
93) 『キリストと世界』第26号(岩田三枝子 賀川ハルにおける女性観 東京基督教大学 2016年 18,30頁)。
  「私は貧しい人々のためにこの仕事を続けさせていただくからには,命を投げ出しています」『賀川ハルものがたり』(鍋谷由美子 日本基督教団出版局 2014年 114頁)。
94) 「無名の人石井筆子―“近代”を問い歴史に埋もれた女性の生涯」(一番ヶ瀬康子,河尾豊司,津曲裕次 ドメス出版 2004年 13頁)。
  一番ヶ瀬が指摘しているように「日本の歴史は,女性史・未開放部落の歴史・地方を無視し (略 )まったく中央から捉えていて,差別された人より差別した人からの歴史が色濃く,しかも男性に傾斜した歴史である」。
   キリスト教会においても,かしら性に基づいて妻が夫に服従する伝統的な解釈が揺らいでいる。エフェソス 5章22-23節で述べる「服従」は全キリスト者が互いに服従し合うという一般的な求めに続いている。ここでパウロが語るかしら性は,支配のかしら性ではなく,一方が他方に力と栄養を供給する源となる,源泉のかしら性である。(森田美芽『カルヴィニズム』第32号 2016年 63頁)。  
95) 季刊誌「支縁」No.13(池内楓 神戸国際支縁機構 2015年 2頁)。参加者の済美高校2年生の池上楓さんは報告。「いまだに国はこの病気と放射線との関連性を認めません。甲状腺は本来成長ホルモンの分泌をうながす場所。カエルがこの器官を切除すると変態できなくなります。つまりオタマジャクシから姿を変えられなくなるということです。幸い人間は薬を投与することで成長をうながすことができますが,言い換えれば一生薬を飲み続けなければならないということです。福島の医療機関はこうした状況を打破しなければなりませんが,福島の医療機関のトップ,福島大学病院で原発事故後,病院関係者らだけが安定ヨウ素剤を服用していたことが分かりました。安定ヨウ素剤というのは放射性ヨウ素の影響を和らげるもので,つまり放射線被ばくを予防する薬です。注文できる状態にありながら,病院内だけ服用し,県民たちには配付することをしませんでした。医療機関にあらざるこの行為を,私たちは現地で初めて知り,怒りと驚きで言葉が出てきませんでした。…国は口々に復興は完了したと述べていますが,それは間違っているでしょう。福島の方々が他県と変わらない日常生活を行えるようになって初めて完了したと言えるのではないでしょうか。」
   神戸国際支縁機構 第62次東北ボランティア報告から抜粋 
  道家茉莉子 2016年 代表のお話しの中に,門脇小学校を当時の傷跡を残したままにしておくのか,震災のトラウマによって当時の傷跡を見るだけで気分が悪くなる人々のために取り壊しをするのかでもめているというお話しがありました。私は残しておくべきだと思います。なぜなら,後世に伝えるべき,教訓や戒めなどがあると思うからです。関西の1人のボランティアの意見ですが,参考にして頂けたら幸いです。                 
96) 『利他主義と宗教』(稲場圭信 弘文堂 2011年 44頁)。心理学では「愛他主義」という言葉を用いるが,同じ意味である。動物行動学や遺伝子研究などの分野でも「利他主義」の語が使用されている。コントが,エゴイズム(egoism:利己主義)に対置させてアルトルイズムという語を定義したことからも,日本語では,「利己」に対して「利他」,利他主義の方が愛他主義よりも用語としては適切であろう。
97) 坂井良行(高野山真言宗西方院住職 『神戸新聞』 2011年12月8日付)。
98) 拙稿 「牡鹿半島 聞き取り調査」(4) (牡鹿半島歴史 2011年7月)。
99) 『キリスト教思想断層』(近藤剛 ナカニシ出版 2013年 116頁)。「神の国の到来」のプログラムは治癒奇跡の初伝承の典型とした癒しと「開かれた共食」(open commensality) によって遂行される。つまり分け隔てなく人々を招き,生活の中で共に飲み食いしながら,共に癒しあうことで,今,ここに神の国が到来する,という考え方が随所で確認される。
   『恩恵の光と自然の光』(春名純人 聖恵授産所出版部 2003年82頁)。「真の神信仰に立ち帰らないかぎり,その叫びは応えられることがない。人間性の回復,創造の回復は,人間と神との回復,人間の心に神の像の回復がないかぎり不可能である」と春名純人教授が指摘するように共食によってはじめて人間が最初に創造されたラテン語クレアチオ・セクンダが回復します。
100)『新改訳』第3版(2003年)では,6箇所出ているヘブライ語 ハスィールを「油虫」,つまりゴキブリと訳出しています。他にⅠ列王 8:37;Ⅱ歴代 6:28;詩編 78:46;イザヤ 33:4;ヨエル 1:4,2:25に出ています。「日本最初の百科事典,寺島良安の『和漢三才図会』(1713)には,「油虫」と「五器嚙」(ごきかぶり)がでています。この五器(御器ともいう)とは,ふたつきわんのことで,ごきかぶりとは,それをかじる虫という意味です。元は「ゴキカブリ」を「ゴキブリ」と誤記してしまいました。『ゴキブリのはなし』(安富和男 技報道出版 1991年 20-21頁)。
101) 水垣渉「神戸新聞」(2012年1月19日付)。
102)拙稿「目薬」誌№24 2001年 6頁。「カーゴー<私もまた>(カイ<も,また>+エゴー<わたし>。
103) “Theologe―Christ―Zeitgenosse”DBW4 Nachfolge (Dietrich Bonhoeffer Werke  Eberhard Bethge Eine Biographie 2001 p.67); 「ボンヘッファーの人間学」(岡野彩子 大阪大学言語社会学博士論文 2008年 225頁)。
104)新免貢 「震災における死」(「『死』を考える」講座 神戸新聞会館 2011年)。アメリカ軍からの空からの爆撃を受けて,1千万人が住む家を失いました。そして,10数万人の戦争孤児が生じました。孤児たちの中には,寝る所も食べ物もなく,巷をさまよい歩く浮浪児になった者が3万5千人いたと言われています。おなかがすいてたまらない,人が集まる場所に行っても誰も食べ物をくれない,ごみ箱をあさり,腐ったものを食べる,中毒死する,人の食べている弁当を盗む,トマトを盗んで逃げる途中車にひかれて死ぬ,地下道のコンクリートの上でごろ寝,髪の毛は伸び放題,服はボロボロで吐き気がするような体臭……。周囲から,周りの子供たちから「野良犬,ばい菌,臭い,汚い,乞食」などと呼ばれ,人間扱いされませんでした。親せきや知人に預けられても虐待を受け,お金目的のために利用される孤児もいました。施設に入っても,動物園の動物のようにオリの中に入れられ,オリの中から枯れ枝のような細い腕を伸ばし,「食べ物をください」と訴えました。これらの戦災孤児には何の保証もなされず,軍人関係者には補償金が支払われる。
105) 『関東大震災―消防・医療・ボランティアから検証する』(鈴木淳 ちくま新書 2004年 193頁)。
106)『宗教原理主義を超えて』(金子昭共 白馬社 2002年 114頁)。ホームレスの支援活動している宗教者たちは,彼らに寄り添いながら支援しているが単に寄り添っているだけではない。彼らの声にならない叫びに耳を傾け,それに〈声〉を与える(あるいは少なくとも声を発するきっかけを提供する)。彼らに寄り添いながら体験を語らせ,それを共有する。『宗教研究』86巻 4輯(宮本要太郎 2013年 155頁)。
107)村田充八(「死を考える―人生をかけがえのないものにするために―」 「『死』を考える」講座 2012年)。 英語compassionは,comとpassion からなる言葉である。com は,ラテン語cum  と同じ言葉で,複合語をつくるものであるが,cumとは,「ともに」,「と一緒に」,「あるものを備えて」という意味らしい。Passion は,ラテン語passioから来ている。その意味はもちろん,「苦悩」を意味している。それはまた,「キリストの受難」を意味している。要するに,「慈悲」とは,たとえば,環境に対する慈悲とは,その環境が苦難の中にあることを,推し量ることではないか。人間の自然環境に対する「無頓着さ」が,環境破壊の元凶となったことはいうまでもない。
  それは,換言するなら,「環境に対する想像力」,をいかに持ち続けるかということを我々に問いかけるものなのである。そのことを考えるとき,「慈悲」とは,宗教が教える重要な意味内容であり,環境に対して目を移すときに,自然環境への想像力の必要性は,何にもまして宗教が教えるものであると考える。「宗教」によって教えられることこそが,環境に対する「無頓着」な社会に対して警鐘を鳴らし続けるものであると考えるのである。
108) 『負けて勝つとは』(榎本恵 日本基督教団出版局 2000年 19-25頁)。

 

    [O1] 



 

 

 [O1]ツメ

「福音とは何か」“What is the Gospel?”(英文付)

福音(良いたより) とは何か

ものみの塔(エホバの証人),末日聖徒イエスキリスト教会(モルモン教)のみなさまへ 
ぜひお読みください。聖書は日本聖書協会発行の『聖書協会共同訳』を用いています。

“Blackan TV” 『ブラッキャン・TV』(2017年10月21日午後7時半) Pastor Yoshio Iwamura

Good Samaritan
親切なサマリア人 ルカ 10章25節~42節 「行って,あなたも同じようにしなさい。」 

「福音とは何か」―伝道ではない

2014年9月21日
神戸国際キリスト教会 礼拝説教
牧師 岩村義雄 Pastor Yoshio Iwamura
ホームページ掲載

完全原稿 ⇒ 「福音とは何か

英文完全原稿 Complete manuscript of  English ⇒ ”What is the Gospel”

目次
(1) 伝道をどう考えるか2
 a. キリストの命令?
  「人々を弟子としなさい」
  原罪からの救い
 b. キリストご自身はだれも改宗させなかった
  ゲラサ
  百人隊長
  シリア・フェニキア
 c. キリストは人々に仕えた
  「隣人を愛しなさい」
  御国が来ますように
(2) 福音とは伝道ではない
 a. キリストの業とは伝道ではない
 b. 人々に伝える宣教とは3
  キリストに倣う
  わたしたち自身がキリストの手紙
  キリスト者とキリスト教の違い
 c. 人々を改宗させる聖書的根拠はない4
  「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる」は
  初代教会で終わった
  農夫であるキリストがすでに種蒔きを終えられた
  「『主を知れ』と言って教えることはない」
  「宣べ伝える人がなければ,どうして聞くことができよう」
  ⇒ 「わたしを尋ねなかった者たちに自分を現した」
 <結論>
    キリストご自身の福音宣教のあり方5
  「寄留の外国人,孤児,みなしご」を世話する

  (1) 伝道をどう考えるのか
  a. キリストの命令?
 キリストが「教会」(エクレーシア)を建てたのは何が目的だったでしょうか。
伝道して信者を増やすことでしょうか。“the Great Commission”(マタイ28:19)を旗印にしてきました。しかし,キリストは決して回心者を増やしなさいとは言われませんでした。弟子を増やしなさいと言われたにすぎません。西方教会,たとえば,ローマ・カトリック教会のイエズス会士フランシスコ・ザヴィエル[1506-1552]や,プロテスタント教会の福音派は未信者に原罪からの「救い」「永遠の命」「信仰」 を伝えました。

 b. キリストご自身はだれも改宗させなかった
 キリストご自身はだれひとり改宗に導いておられません。ゲラサで悪霊に憑かれた人にも改宗を迫らず,自分の家の宗教に戻るように言いました(マルコ 5:1-19),百人隊長も回心しなくても「これほどの信仰を見たことがない」(マタイ 8:5-13),シリア・フェニキアの女性(マタイ 15:21-28,マルコ 7:24)に対して回心しなくても「信仰は立派」と言われました。

 c. キリストは人々に仕えた
 むしろ“the Great Commandment”(「隣人を愛しなさい」に基づいたディアコニア「仕える」「世話する」「給仕する」の模範を示されました。(マタイ 20:28,25:44; ルカ 12:37; ヨハネ 12:2,13:34)。
 「御国」 (王国)(マタイ 24:14)が将来に実現するかのような福音も要注意です。戦争,飢餓,貧困,病気,死がなくなる時代の到来をまるで不老長寿の薬を売り歩くのは異なる福音です。(ガラテア 1:8,9)。「神の国は,飲み食いではなく,聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです」 (ローマ 14:17)と書かれているように,神によってもたらされる霊的な「義と平和と喜び」 に満ちた状態こそが「御国」 です。したがって,「御国」 [“我と汝の関係”,つまり神が私たちの心の統治者として治めている関係]は西暦一世紀に成就したことが福音です。
 「御父は,わたしたちを闇の力から救い出して,その愛する御子の支配下 [御国  バスィレイア]に移してくださいました」 (コロサイ 1:13)。
であるならば,「御国に行けますように」にと祈るのは異質です。「御国が来ますように」 (マタイ 6:10)と心の王座に神を迎え入れる祈りが聞き届けられる基準でしょう。

(2) 福音とは伝道ではない

  a. キリストの業とは伝道ではない
キリストの十字架(ガラテア 6:14)により,“この世からの救い(salue emundo)”より,“この世の救い(salue undo)”に光が差し込みます。イエス自らも抑圧された罪人,弱者,病人のために派遣されました(für andere da sein)。
 「福音」 good newsを実践されます。(イザヤ 61:1; ルカ 4:18)。
キリストのエルゴン「業(わざ) とは,「伝道」ではありません(ヨハネ 4:34, 5:36, 9:4,10:25,17:4)。徹頭徹尾に抑圧,差別,人権をないがしろにされている小さな人々に仕えることでした。(マタイ 20:28,23:11, マルコ 9:35,10:43,45, ルカ 22:26, 第2コリント 4:5, 第1テモテ 5:16)。

 b. 人々に伝える宣教とは
 キリスト者は「伝道」して教勢を拡大することに惹起すべきではありません。生き様を通して,土の器にキリストの宝を人々に示すだけでいいのです。
「生きているのは,もはや私ではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。私が今,肉において生きているのは,私を愛し,私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです」 (ガラテア 2:20)。
 すなわち,「キリストが私の内に生きておられる」 ことが伝わればいいのです。「私を見た者は,父を見たのだ」 (ヨハネ 14:9)と模範を示されたキリストに倣うのがキリスト者の歩みです(エフェソス 5:1,2:10)。
 自分を“クリスチャン”というラベルで見られたいために,聖衣,所属組織,神学用語の知識を振りかざさなくてもいいのです。トラクト,名刺,出版物は不要です。神,世の人の評価は,肩書,知識,しゃべくりではなく,生き方で決まるでしょう。わたしたち自身がキリストの手紙だからです。
  「私たちの推薦状は,あなたがた自身です。それは,私たちの心に記されていて,すべての人に知られ,また読まれています。あなたがたは,私たちが書いたキリストの手紙であって,墨ではなく生ける神の霊によって,石の板ではなく人間の心の板に書き記されたものであることは,明らかです」 (Ⅱコリント 3:2,3)。

 (ゾゥ デ ウケティ エゴゥ ゼィ デ エン エモイ クリストス オ デ ヌン ゾゥ エン サルキ)「我キリストと偕(とも)に十字架につけられたり。最早(もはや)われ生くるにあらず,キリスト我が内に在りて生くるなり。ラテン語 vivo autem iam non ego vivit vero in me Christus quod autem nunc」(ガラテア 2:20),と私たちの教養,学識,知性は「塵あくたスクバロン くず,廃物,汚物;糞,糞尿の意〉」であり,被災地の息も絶え絶えの人にはむしろ無用です(フィリピ 3:8)。
 したがって,キリストについて宣教するとは,イエスとの出合いによって変えられた自分を示すことに他なりません。しゃべくりではありません。

 聖書的歩みの根拠としてでなく,人々の見方の一例です。 

 釜ヶ崎で無給司祭として,労働者に散髪の世話をしたり,生きる権利が抑圧されている人たちと共生している≪参照≫本田哲郎さんがおられます。「最も小さい者の一人」(マタイ 25:45)と連帯しています。本田さんによると,ドヤに住み,あるいは路上生活者は努力して「最も小さい者」になったのではありません。社会,制度,企業によって「小さく,低く」 されたのです。
 ここでも,被災地でも,伝道する必要はありません。「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる」という「種まき」 (詩編 126:5)は1世紀に終わっています(マルコ 4:1-9, マタイ 13:1-9,ルカ 8:1-15)。農夫である「種まく人」,つまりイエス・キリストがすでに,いばらや,岩地,荒野に種を蒔かれています。
 「すでに色づいて刈り入れを待っている」 (ヨハネ 4:35)のですから,刈り取りが宣教の働きになります。
 無理やりに,改宗させ,キリスト教以外に救いはないと,伝道することなど聖書の教えから脱線しています。 ≪参照≫神戸国際キリスト教会のホームページエキュメニスティ 

 布教しなければならない聖書的根拠はありません。≪参照≫神戸国際キリスト教会のホームページ。
 コンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]から始まった4世紀以降の異質な「キリスト教」(クリスティアニスモス)の他民族支配,他文化破壊,異民族奴隷化の口実として,伝道がなされてきたのです。

c. 人々を改宗させる聖書的根拠はない
 聖書は証言します。
 「もはや彼らは,隣人や兄弟の前で,『主を知れ』と言って教え合うことはない。小さな者から大きな者に至るまで,彼らは皆,私を知るからである――主の仰せ。私は彼らの過ちを赦し,もはや彼らの罪を思い起こすことはない」 (エレミヤ 31:34)。
 「主(エホバ)を知れ」 と伝道しなくても良いのです。文脈の「来るべき日に」ハ ヤミーム 33節)とは,イエス・キリストが地上に遣わされる「終わり時代」を意味しています。「この終わりの時には,御子を通して私たちに語られました。神は,御子を万物の相続者と定め,また御子を通して世界を造られましたを万物の相続者と定め,また,御子によって世界を創造されました」(へブライ 1:2)。つまり約2000年前,御子の誕生以来,「終わりの時代」に突入しています。
 「私を求めなかった者に私は尋ね出され 私を探さなかった者に見いだされた。私の名を呼ばなかった国民に 『私はここにいる,私はここにいる』と言った」 (イザヤ 65:1)。
 求道者を探すために,紙爆弾の「種まき」用出版物も人間の淺智恵です。
 伝道熱心なアメリカや韓国等生まれの極端なグループは聖書の字句拘泥主義です。宗教エリート帝国は次なる聖句を用いて,盲信,軽信するようにマインドコントロールします。
 「それでは,信じたことのない方を,どうして呼び求めることができるのでしょう。聞いたことのない方を,どうして信じることができるのでしょう。宣べ伝える人がいなくて,どうして聞くことができるでしょう。遣わされないで,どうして宣べ伝えることができるでしょう。『なんと美しいことか,良い知らせを伝える者の足は』と書いてあるとおりです」(ローマ 10:14,15)。
 文脈をひとりで黙想しながら味わう読解力がないのです。
 パウロは「主の名を呼び求める者は皆,救われる」 (ローマ 10:13)と宣教する文脈の20節で,たとえ御名を呼び求めなくても,宣べ伝える人がいなくても,『私を求めない者に 私は見いだされ 私を尋ねない者に現れた』 と神は語っています。いったん,公布されたにもかかわらず,交通違反をした者がそんなルール知りませんでしたと弁解しても,個人責任になります。なぜなら世界中に,極東の日本,中国,朝鮮半島も含めて,種まきはキリストによって,すでになされたからです。
 「あなたがたにもたらされたこの福音は,世界中至るところでそうであるように,あなたがたの間でも,神の恵みを聞いて真に理解した日から,実を結んで成長しています」 (コロサイ 1:6)。
 「私が植え,アポロが水を注ぎました。しかし,成長させてくださったのは神です」 (Ⅰコリント 3:6)の「植える」のは種ではありません。種から成長した苗,接ぎ木,挿し木にすぎません。パウロは生涯,2人にしかバプテスマ(洗礼)を施していません(Ⅰコリント 1:14)。布教活動や,信者数を増やす目的の ○○伝道大会,○○伝道○○,○○宣教大会などは主催者側の自己満足,売名行為,無駄遣いにすぎません。そこにキリストの居場所がありますか。荘厳な会堂,聖歌隊,イベントで,たとえ世の権力者,学者,裕福な人を圧倒し,ひざまずかせても,福音が鳴り響いていると言えるでしょうか。

<結論>
 キリストご自身の福音宣教のあり方
 キリストはどこにおられますか

アイヘンバーグ

フィリッツ・アイヘンバーグ Fritz Eichenberg [1901-1990]  版画『炊き出しの列に並ぶイエス』

  福音の発露は何ですか。聖書は一貫しています。
 「主はこう言われる。公正と正義を行い,搾取されている者を虐げる者の手から救いなさい。寄留者,孤児,寡婦を抑圧したり虐待したりしてはならない。また無実の人の血をこの場所で流してはならない」 (エレミヤ 22:3)。

 「みなしごや,やもめが困っているときに世話をし,世の汚れに染まることなく自分を守ること,これこそ父なる神の前に清く汚れのない宗教です」 (ヤコブ 1:27)。

 抑圧されている「寄留の外国人」,日本ならば,在日朝鮮人たち,「孤児,みなしご」,震災などで親を失った子どもたち,「寡婦」,つまり,夫をなくした女性や,被差別部落の方たちの中にキリストは臨在しています。そのような「最も小さい者の一人」に仕えることがイエスの福音であり,業でした。

What is the Gospel?

September 21, 2014
Kobe International Christ Church
Pastor Yoshio Iwamura

Complete manuscript ⇒ What is the gospel

Index

(1) How you do you think about evangelism? 2
a. Is it the order of Christ? 2
“Go and make disciples of all nations”. 2
Salvation of original sin. 2
b. Christ never converted anyone. 2
The Gerasenes 2
A centurion 2
Syria, Phoenicia 2
c. Christ served for people. 2
“Love your neighbor”. 2
May the Kingdom come. 2
(2) The Gospel is not the evangelism. 2
a. The work of Christ was not the evangelism. 2
b. What is a missionary work to tell people? 2
Follow in the steps of Christ. 3
We, ourselves are the letter of Christ. 3
The difference between Christians and Christianity. 4
c. There is no Biblical premise to convert people. 4
“Those who sow with tears will reap with songs of joy” was ended in the Early Christianity. 4
Christ, the farmer, had already finished sowing. 4
“You do not need to teach people with saying ‘Know the Lord’”. 4
“And how can they hear without someone preaching to them?” 4
⇒“I revealed myself to those who did not ask for me.”  
<Conclusion> 5
The Gospel mission way of Christ himself. 5
Take care of “the foreigners, the orphans, and the fatherless”. 6

(1) How you do you think about evangelism?
a. Is it the order of Christ?
What was the Christ’s purpose of building the “Church Gk ekklesia”?Was that to increase believers by doing the evangelism? It used “the Great Commission” Therefore go and make disciples of all nations, baptizing them in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit, (Matthew 28:19 NIV) as the flag. However, Christ never told to increase convert to Christianity. He just told to make disciples. The Western Church, for example, Francisco de Xavier of the Society of Jesus [1506-1552] of the Roman Catholic Church, and the evangelical Protestant organizations told the unbelievers about “salvation”, “eternal life” and “faith” from original sin.

b. Christ never converted anyone.
Christ himself never led people to convert. He did not ask the person in the Gerasenes who were possessed of evil spirits to convert, and he let the person to return to his home religion. (Mark 5:1-19) Christ said to the centurion “Truly I tell you, I have not found anyone in Israel with such great faith” (Matthew 8:5-13), and to the woman at Syria / Phoenicia “Woman, you have great faith!” (Matthew 15:21-28, Mark 7:24), even though they did not convert.

c. Christ served for people.
Rather he showed the example of “the Great Commandment” (Gk diakonia “to serve”, “to take care”, and “to wait on” based on “love your neighbor”). (Matthew 20:28, 25:44; Luke 12:37; John 12:2, 13:34).

We should be aware of the gospel as if the “Kingdome (Matthew 24:14)” will come true in the future. It is a different gospel to sell drug of immortality until the age that the war, hunger, poverty, illness and death will vanish to come. (Galatians 1:8-9). As it is written “For the kingdom of God is not a matter of eating and drinking, but of righteousness, peace and joy in the Holy Spirit” (Romans 14:17) , the condition is filled with spiritual “righteousness, peace and joy” that are given by the God is the “Kingdom”. Therefore, the gospel is the “Kingdom” [“relationship between I and you”, the relationship that the God governs as the ruler of our heart] that was fulfilled in the first century.

“For he has rescued us from the dominion of darkness and brought us into the kingdom  of the Son he loves.” (Colossians 1:13)

If it is, it is otherness to pray as “I hope I can go to your kingdom”. The prayer to set the God at your center of the heart as “your kingdom come” (Matthew 6:10) is the standard to be heard.

(2) The Gospel is not the evangelism.
a. The work of Christ was not the evangelism.
By the cross of our Lord Jesus Christ (Galatians 6:14), light came into “the salvation of this world (salue undo)” from “the salvation from this world (salue emundo)”. Jesus himself was dispatched for suppressed sinners, weak and sick people. (für andere da sein).

 He practiced “gospel”, good news. (Isaiah 61:1; Luke 4:18)
Christ’s ergon “work” is not the evangelism. (John 4:34, 5:36, 9:4, 10:25, 17:4) It was to serve the small people, who were suppressed, discriminated and ignored their human rights, first, last, and always. Matthew 20:28, 23:11, Mark 9:35, 10:43, 45, Luke 22:26, 2 Corinthians 4:5, 1 Timothy 5:16).

b. What is a missionary work to tell people?
Christians should not “evangelize” desperately to expand the teaching. Through its life, it is only necessary to show the treasure of Christ in the soil pot to people.

“I have been crucified with Christ and I no longer live, but Christ lives in me. The life I now live in the body, I live by faith in the Son of God, who loved me and gave himself for me” (Galatians 2:20).

In other words, it is good enough to tell “’Christ lives within me’. It is the Christian’s way to follow the example of Jesus, ‘Anyone who has seen me has seen the Father’” (John 14:9). (Ephesians 5:1, 2:10).

You do not have to express yourself with the sacred robe, parent organization and knowledge of theological terminology, in order to be seen as a “Christian” label. Tracts, business cards and publications are unnecessary. The evaluation of the God and the public will be defined not by title, knowledge and talking, but by the way of life. Because we are the letter of Christ.

“You yourselves are our letter, written on our hearts, known and read by everyone. You show that you are a letter from Christ, the result of our ministry, written not with ink but with the Spirit of the living God, not on tablets of stone but on tablets of human hearts” (II Corinthians 3:2-3).
Christō synestaurōmai zō de ouketi egō zē de en emoi Christos ho de nyn zō en sarki
“I have been crucified with Christ and I no longer live, but Christ lives in me. (in Latin, ‘vivo autem iam non ego vivit vero in me Christus quod autem nunc’)” (Galatians 2:20) Own education, knowledge and intelligence are just “garbage,  = waste, waste, sewage, dirt, manure”, and it is useless to weak people at the affected area. (Philippians 3:8)

Therefore, missioning about Christ is nothing less than showing yourself who have changed by meeting with Jesus. It is not by just talking.


*It is an example of people’s viewpoint, not just as a basis of the Biblical grounds.
Shigeru Nakayama : Pastor Iwamura is actively working not only at Kobe, but also at Ishinomaki. I am looking for his report.
Osamu Onodera : Yes. I think his work come from his policy or faith. I think it comes from his religious door. He is fantastic. He does not talk much about his religious thoughts. I think his life itself is the religion. Everytime, he visits here with different members by the wagon car for 10 people.

There is Tetsuro Honda, who is taking care of worker’s haircut and living together with the people whose right of live is ignored, as an unpaid priest in Kamagasaki. <Reference> He is cooperating with “one of the least of these” (Matthew 25:45). According to Honda, people who live at flophouse area or on the street never made effort to be the “one of the least of these”. They were made to be “small and least” by society, institution and enterprises.

Even here, at the affected area, you do not need to do evangelism. “Sowing” that “Those who sow with tears will reap with songs of joy (Psalm 126:5)”, had been finished at the first century. (Mark 4:1-9, Matthew 13:1-9, Luke 8:1-15). The farmer, “a farmer to sow his seed”, that is Jesus Christ had been already sowed seeds in thorns, rocky places, and the wilderness.

Because it is said “They are ripe for harvest (John 4:35)”, reaping is the work of missionary.

 Evangelism, such as forced conversion and intimidation that there is no salvation other than Christianity, are derailed from the teaching of the Bible.
<Reference> Ecumenicity HP of Kobe International Christ Church.

There is no biblical premise to propagandize.
<Reference> HP of Kobe International Christ Church.

Evangelism was carried as excuses for occupation of other ethnic groups, destruction of foreign cultures and enslavement of other ethnic groups, which had begun from Constantine the Great [Constantine I, AC.280 – 337] since the 4th century.

c.There is no Biblical premise to convert people.

The Bible testifies.
“No longer will they teach their neighbor, or say to one another, ‘Know the Lord’ because they will all know me, from the least of them to the greatest,” declares the Lord. For I will forgive their wickedness and will remember their sins no more” (Jeremiah 31:34).

You do not have to evangelize “Know the Lord (Jehovah)”. The context of “The days are coming” ( , verse 33) means “the end of the period” that Jesus Christ is sent to the earth.

“But in these last days he has spoken to us by his Son, whom he appointed heir of all things, and through whom also he made the universe (Hebrews 1:2)”. It means that we have entered “the era of the end” about 2000 years ago, since the birth of Jesus Christ.

“I revealed myself to those who did not ask for me; I was found by those who did not seek me. To a nation that did not call on my name, I said, ‘Here am I, here am I’’. (Isaiah 65:1)

The publication of “sowing” is also an empty cleverness to find seekers.

 Aggressive evangelistic groups born from United States and South Korea are extreme biblical verbalism. People will be mind-controlled to believe the next verse blindly and credulously.

“How, then, can they call on the one they have not believed in? And how can they believe in the one of whom they have not heard? And how can they hear without someone preaching to them? 15And how can anyone preach unless they are sent? As it is written: “How beautiful are the feet of those who bring good news!” (Romans 10:14-15)

There is no reading comprehension ability to enjoy the context while meditating it by alone.

Paul preaches in the verse 20 as “for, Everyone who calls on the name of the Lord will be saved” (Romans 10:13). Even you do not call and seek name of the Lord and there is no one to teach, God says “I was found by those who did not seek me; I revealed myself to those who did not ask for me”. Once promulgated, you cannot make any excuse that you did not know about the traffic rule, and it becomes individual responsibilities. Because, the sowing had already been done by Christ, at Japan that is the East-end of the world, including China and the Korean Peninsula.

“That has come to you. In the same way, the gospel is bearing fruit and growing throughout the whole world—just as it has been doing among you since the day you heard it and truly understood God’s grace”. (Colossians 1:6)

“Planted” from “I planted the seed, Apollos watered it, but God has been making it grow (ⅠCorinthians 3:6)” is not a seed. It is just a seedling, a grafted tree or a cutting that grew from the seed. Paul only gave baptism to two people in his life. (ⅠCorinthians 1:14) Missionary activities, evangelism contests, evangelisms and missionary conferences are only for the purpose of increasing the number of believers and those are only self-satisfaction of the organizer side as well as publicity stunt or money wasting. Is there the place for Christ? Can you say that the gospel is ringing through the majestic synagogue, choir and event while making the authorities, academics and wealthy people to kneel down?

<Conclusion>
The Gospel mission way of Christ himself.
Where is Christ?

“Christ in the Breadline” Fritz Eichenberg [1901-1990]. Print.

What is the manifestation of the gospel?  The Bible is consistent.
“This is what the Lord says: Do what is just and right. Rescue from the hand of the oppressor the one who has been robbed. Do no wrong or violence to the foreigner, the fatherless or the widow, and do not shed innocent blood in this place.” (Jeremiah 22:3)

 “Religion that God our Father accepts as pure and faultless is this: to look after orphans and widows in their distress and to keep oneself from being polluted by the world.” (James 1:27)

In Japan, Christ exists among suppressed “foreigners” like Koreans in Japan, “orphans, fatherless”, children whom lost their parents at the disaster, “widows” that lost their husbands, and discriminated people live in Buraku. To serve such “one of the least of these” is the Jesus’s gospel and work.

「キリスト教と非戦」“Christianity and Pacifism” (英文付)

キリスト教と非戦  OCCカレッジ講義   

 20140418OCC講義風景

「キリスト教と非戦」―武具を捨てよう  OCCカレッジ講義
OCC College Lecture     April 18, 2015  Pastor Yoshio Iwamura

                    2015年4月18日(土)午後2時
                    講 師 : 岩村義雄
                    エラスムス平和研究所所長

完全原稿 ⇒ キリスト教と非戦

英文完全原稿 Complete manuscript of  English ⇒ Christianity and Pacifism

<序>
 私は三代目のローマ・カトリック教会の家庭で生まれました。祖母野辺地ミキ[旧姓米津]は宮内庁御用達で有名になった風月堂を支えるため,七人の子どもを育てながら,男勝りに働きます。わが祖父野辺地四郎は外交官で家庭を顧みません。曾祖父 野辺地尚義[たかよし 1825-1909]は蘭学者であり,伊藤博文[1841-1909]などに英語を教えています。正妻以外に側室10数人もいたと聞かされました。明治維新における富国強兵政策の推進役の側にいたこともまちがいありません。

弟忠雄を抱く祖母 野辺地ミキ  [1888[明治21]年1月1日-1973年12月10日]

 祖母ミキは東京風月堂二代目の弟米津修二を助け,傾きかけた洋菓子屋の立て直しに苦労します。そんな試練が信仰に救いを求めるようになったのでしょう。東京四谷の麹町教会[現聖イグナチオ教会]の信者になり,「ヤソ,ミソ,クソ,スパイ」,と揶揄されても,キリスト教信仰によって子どもたちを育てます。娘のひとり義乃子は修道院の副院長まで務めます。影響を受けた四女である私の母も子どもたちに幼児洗礼を受けるようにします。

父 岩村祐治 1919[大正8]年1月31日-1988年9月24日 場所,年月日不明。

 父裕治は学徒動員で関東軍として占領していた満州で戦車操縦していた陸軍兵士でした。よほど戦争体験が過酷だったのか,生涯,口をつぐんでいます。つまり私は日本軍人の子であり,自分の意志ではなく,サクラメント(秘蹟 「宣誓」sacramentum の意)1)である受洗を聖イグナチオ教会でヘルマン・ホイヴェルス [1890-1977]神父から施されます。

ヘルマン・ホイヴェルス [1890-1977]。

 洗礼名はマルティヌスです。日本では珍しい洗礼名であり,他にお目にかかったことがありません。日曜学校などで,友達がヨハネ,パウロ,ティモテオ,マリアなど未信者にも知られているミドルネームなのに,自分だけが異なるので,洗礼名について卑屈な思いをしました。幼稚園に行く頃には,親には,将来,「僕は大人になったら神父様になるんだ」,と言っていたほどですから,余計,マルティヌスには抵抗がありました。どんな人か聖書にも出ていません。だれも聴いたことがない人です。ある時,会堂の古い絵画に,聖マルティヌス[316頃-397]が掲げてありました。馬にまたがる軍人でした。子ども心に思いました。「なあーんだ。戦場で戦う人だったのか」,と落ち込みます。どんな軍人か日曜学校の教師,修道女たちも説明ができませんでした。平和,愛,信仰を説く殉教者ではなく,兵士なのかと,気持が暗くなりました。洗礼名を人から聞かれるのがいやでした。いい子症候群の弱虫だったのです。堅信礼を白柳誠一枢機卿から受ける時には,マルティヌスの頭文字Mとだけ表記するようにしました。マルティヌスと語れない臆病者でした。Mならミカエル,マテオ,マルコと人は好きなように想像するのではと浅智恵でした。軍人ではなく,平和のために役立つ大人になりたいと思い上がっていたからです。
 思春期の16歳の時,青少年講座で総理府から遣わされた講師の話を聴く機会がありました。話し手は末次一郎氏[1922-2001]でした。

末次一郎[1922-2001年]。
日米京都会議1969年1月29日。

 武士道について青少年活動の若年リーダーたちに熱意をもって語りました。話し方,人となり,葉隠れについて心の中に刻み込むような出会いは愛国思想の出発点となりました。「神と国にまことを尽くします」と青少年活動でいつも誓っていましたが,末次氏は,国のためにいのちをかける大切さを教えました。出会いを通じて,いつしか「キリストの兵士」(Ⅱテモテ 2:3)として国を愛する義戦論者になっていました。1969年,「日米京都会議」の事務局などでは末次氏の黒子に徹します。宗教遍歴,26歳の時,国家に忠誠を誓う義戦論から,非戦のために殉教もいとわなくなるように転向しました。戸別訪問の非戦グループの宗教者との対話が動機です。教会のサクラメントから脱走し,エホバの証人になりました。13年を経て,聖書への回帰,信仰の挫折,手を翻すような背信により,集団離脱しました。没落的転向した明石順三[1889-1965] (灯台社代表 戦前ものみの塔聖書冊子協会[エホバの証人]日本支部)の裁判所での証言の真実さに共鳴したことも一因です2)

明石順三 1927年 東京進出(左から2人目)。
1927年灯台社黎明期 後列右端 明石順三。

 「君子は豹変す」という心境の変化に引きずられたのではありません。聖書の言葉が転向の発露となりました。虫けらのような変節の人生ですけれど,キリストの言葉「武具を棄てよう」に殉ずる覚悟だけは20代半ばから今日までぶれることなく維持しています。昨今,特定秘密保護法案,国家安全保障会議設置関連法,改憲手続き法の改定が政府主導で進んでいますので,皆さんとご一緒に「平和と戦争」について考えてみたいと思います。

目次

(1) 歴史的兵役拒否
 a. 兵役拒否とは
   「良心者」英語 conchie(コンチ)
  日本の徴兵拒否のイメージ4
 b. 初代教会の時代 
   ケルソスの非難 
   コンスタンティヌス5
   アウグスティヌスの義戦論
   十字軍        
 c. 神の戦士 ユスト高山右近6
   イエズス会の非寛容
   秀吉の伴天連追放令 1587年7
   江戸幕府のキリシタン弾圧
(2) 戦争拒否の思想
 a. 中世の衝突に抗って
   ワルドー派 
   エラスムス  
   ルターとミュンツァー8
   メノー・シーモンス
   カント    
   クラウゼヴィッツの戦争論9
   シュミット  
 b. 第一次世界大戦の頃
   吉田松陰の大日本主義
   治安警察法10
   徴兵拒否   
   天皇制強化11
 c. 第二次世界大戦の頃
   灯台社    
   拷問12
   良心的徴兵拒否 
(3) 絶対平和主義14
 a. 危機にある自分の国を見捨てることになるのか 
   墨子の「非攻」
   安藤昌益の『自然真栄道』
 b. 自分が愛する人が犯されても信念を貫く15
   価値があるのか
   ボンヘッファーの暗殺未遂16
   非暴力・非服従 
 c. 良心に従う17
   北アイルランド紛争18
   軍隊のない国    
   平和     
   第二の罪19

(1) 歴史的兵役拒否
 a. 兵役拒否とは
 主題の「武具を捨てよう arma projicere」をまず考慮します。「武具」はラテン語でarma[アルマ]と言い,英語 arm[アーム(戦争用武器の類)]の語源です。「捨てる」は projicere [プロイェケレ]と言います。projicere から英語 project [プロジェクト 投げ出す,放り出す]に派生しています。つまり自分から武具を投げ出すこと,戦闘につかないことを意味します。

 西暦314年にコンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]が開催したアルル会議でも「アルマ プロイェケレ」について議論されています)。戦時において,「アルマ プロイェケレ」した者を良心的兵役拒否(Conscientious Objection)と明確に言うようになったのは第一次世界大戦[1914-1918]からです4)
 兵役拒否者(以降,本稿においては「良心者」英語 conchieコンチ)は,一般的に,宗教上の信念に基づいて,軍隊に入らなかったり,戦争行為に加担せず,他の奉仕などに専念するキリスト者によって知られています。日本では,良心者について暗いイメージが伴います。「兵役義務者が,詐病などさまざまな手段を使って兵役を免れること。徴兵忌避」(広辞苑),大辞林では兵役拒否を検索すると「徴兵忌避」になっており,「徴兵制度下で,徴兵適齢者が,兵役を免れるために,身体を傷つけたり,疾病を装ったり,逃亡して隠れたりすること。兵役忌避」と定義しています。
 軍事主義と民主主義は異なると判断し,政治,あるいは思想による良心者も第一次世界大戦にいました。いわゆる反戦 anti-war [エンタイ・ゥオー] の立場です。しかし,社会主義実現のための戦争ならば,従軍する方を選びました。兵役を全面的に拒否したのではありません。いかなる場合でも兵役に従事しない姿勢を非戦 renunciation of war [レナンスィエーション・オヴ・ゥオー]と言います。英国の独立労働党 Independent Labour Partyの支持者でも二分されました。いかなる戦争も非道徳と考えた党員もいましたけれど,独立労働党員=絶対的平和主義者とは限りませんでした。5)
 良心者は,人間として欠陥があるような陰湿なイメージがあります。良心者は国を愛さない者として日陰の存在になります。軍需国家であるアメリカは,ベトナム戦争による激しい反戦運動を経て,徴兵制から志願制に移行せざるを得ませんでした。近年になって,ようやく良心者の絶対的平和主義が認知を受けるようになりました。良心に基づいて,兵役に就くかどうか自由に判断できるようになってきました。日本では,良心的兵役拒否について是か非か論議される機会はほとんどありません。防衛相の経験もある自民党のキリスト者石破茂幹事長は2013年4月に出演したテレビ番組で,国防軍に「審判所」という現行憲法では禁じられている軍法会議(軍事法廷)を設置し,徴兵拒否するなら,「死刑」「懲役三百年」と発言しました6) 。つまり日本では,戦前,戦時下と同じエートスが続いています。

 b. 初代教会の時代
 イェール大学のキリスト教会史家ローランド・H・ベイントンは,「新約聖書時代の末から,紀元170-180年ごろまでには,軍隊にキリスト教徒がいたという証拠はない」,と述べました7) 。キリスト教徒の墓碑銘から兵士であった者は見出されていません8)。新約の中で,イエスは,軍隊についての隠喩という仕方を用いませんでした。軍隊生活のたとえを一度も用いなかったことから軍務は不適当とみなしていたと考えるのが自然でしょう9)。初代教父のオリゲネス[182?-251]はプラトン主義哲学者ケルソス10)がキリスト教に非難した言葉を記録しています。「もし万人があなたと(キリスト教徒)同じこと(軍務を拒否)をしたならば,皇帝は孤立無援となり,世界の事物は最も不法で粗暴な蛮族の手におち,…」11)。つまりケルソスがキリスト者に対する非難のやり玉に,キリスト者は兵役につかなかったことがあげられています。三位一体という語を哲学との論駁の中で始めて用いたテルトゥリアヌス[150/160-220以降]も晩年,述べています。「信仰に入って洗礼を受けたならば,多くの人がしたように,直ちに軍務を去るか,それとも,軍務に就いていないときでも許されないようなことを神に逆らって犯さないために,あらゆる種類の逃げ口上を言うか,さもなければ最後に,市民の信徒でもやはり受け入れるべき運命を神のために耐え忍ぶかしなければならない」12)と,キリスト者はいかなることがあっても軍務を拒み,殉教という運命を覚悟するようにすすめています。

 しかし,コンスタンティヌス帝[コンスタンティーヌ1世 280頃-337年]の治世以前のアルル会議[314年]の頃には,キリスト教徒の兵士が軍務に服していた記録があります13)。キリスト教がローマ帝国の国教化(392年)に格上げになるやいなや,国の防衛意識に歩み寄るように意識が変わります。宗教が権力中枢と結びつき,妥協していくと,絶対的平和主義の理想は消滅します。正戦(just war,justum bellum)=世俗的戦争論が教父たちによって後押しされるようになります。「侵略戦争からの無力な民の防衛」という大義名分に,教理の裏付けが必要になります。ミサと言う語をはじめて用いたアンブロシウス[334-397]14)や,西方教会の神学の父と言われるアウグスティヌス[354-430]によって,戦争観が180度,変貌するのです。アウグスティヌスは,ドナトゥス主義との論争において,「正しい戦争」があると語ります15)。ドナトゥス主義者の一部が暴徒となってしまいローマ・カトリック教会を攻撃すると,407~417年,アウグスティヌスは一貫して帝政当局による武力弾圧要請をします。
 「正戦とは不正を正すところのものと定義されるのが普通である。すなわち,戦争を仕掛けられるべきは,民族や国として,その成員によって不正になされたことをただすのを怠ったり,不正によって横領したものを返却するのを怠ったりする場合である。しかし,神によって命じられた戦争も疑いなく正しい[ヨシュ8:1-2 参照]。神にはいっさいの不正がなく,誰にも起こるべきことを知っておられる。この戦争において,指揮官や参戦者は自ら戦争行為者ではなく,まさに奉仕者とみなされるべきである」16) と,正義の戦争が是認されるようになりました17)
 初期キリスト教の平和主義から脱線しはじめます。5世紀初頭に,「剣をとる者は,剣によって滅びる」(マタイ 26:52)という聖書の教えが曲げられていきます。本来は兵役を否定するはずのキリスト教が防衛行為なら人を殺してもよい神学を作り出します。ヨーロッパ全体がキリスト教を国教にすると,聖書は一般の民衆が読むことも禁じられるようになります。
 グレゴリウス7世[1020-1085]により,聖戦(holy war,praelia sancta)が唱道され,ローマ教皇ウルバヌス2世[1042-1099]は,フランスのクレルモンで,エルサレム聖地をイスラム教から取り戻すため第1次十字軍(1096-99年)を組織します。アッシジのフランシスコ[1182-1226]は第5次十字軍には非難することもなく参加して,戦いの悲惨さを思い知ります。フランシスコによりドイツに遣わされた弟子ジョヴァンニ・ダ・カピストラノ[1180頃-1252]はフランシスコ会を発展させます。聖人カピストラノは外国に対する戦争を奨励します18)。2世紀半にわたり,「神がこれを望んでおられる」(Deus lo volt)として十字軍のイデオロギーが正当化されます。十字軍遠征が神の意思であるように用いられたのは歴代教皇の責任と言えます19)
 イングランド王との百年戦争[1337-1453]でフランス王に勝利をもたらした軍人ジャンヌ・ダルク[1412-1431]は守護聖人Santo Patronoとして称賛されています。兵役につくキリスト者のために軍人である聖人が作られていきます。 

c. 神の戦士 ユスト高山右近
 スペイン,ポルトガルからのローマ・カトリック教会宣教師は短期間で日本中にキリシタン20)を布教します。戦国時代で価値観が大きく変わろうとしている時代でした。1614年には25万人のキリシタンがいたとする説もあります21)。ヨーロッパではローマ皇帝ネロ[37-68]たちにより弾圧されたにもかかわらず,キリスト者は生き延びました。韓国のキリスト者は第二次世界大戦戦時下,日本帝国の熾烈な統制によっても信仰を維持しました。一方,人類史上まれにみる残虐な迫害下にあって,日本では90パーセントのキリシタンが棄教していきます。なぜでしょうか22)。ひとつに,イエズス会内部の対立・抗争,二番目に,イエズス会と他の修道会との対立があげられます23)。陣取り合戦により,ヒエラルキーを急ごうとする競争意識があったのです。その結果,豊臣秀吉に疑心暗鬼を抱かせます。フランシスコ・ザヴィエル[1506-1552]たちも布教許可を申し出るために,時の権力中枢に近づこうとしました。支配階級を教化するのが手っ取り早いからです。高槻城主であった清貧な高山右近でさえ,仏教寺を廃寺にする方向で織田信長と密約しています24)
右近は「天正の禍」と称される宗教弾圧を行いました。キリスト教だけが神から是認された宗教と司祭から説き勧められた影響です。他宗は悪魔と排除するイエズス会救済観から仏像,神体を破壊したのです。2001年,ターリバーンがイスラムの偶像崇拝禁止の規定に反しているとしてバーミヤンの大仏(磨崖仏)を破壊したのと同じ動機と言えます。イエズス会司祭コエリョはキリシタン大名大村純忠と会談し,寺社破壊を約束し実行させます25)。初代準管区長コエリョは,有馬晴信の領地でフロイス司祭と行動を共にしています。キリシタンによる迫害,焼き討ちからもれていた仏像探索に狂奔したと記録されています26)。右近の精神的導き手であるオルガンティーノ司祭は巡察師ヴアリニヤーノに報告。寺社破壊を「善き事業」であり,「かの寺院の最後の藁に至るまで焼却することを切に望んでいる」と述べています27)

 高槻領主高山右近の所領には「1万4千人のキリシタンがおり,そのうち3千名内外は本年,(キリシタン)なった人たちであり,多数の僧院を破壊して幾つかの教会を建て,ほかにも6,7千名が洗礼を受けようとしている」と記しています28)。右近は寺領没収や徴発を行い,「役に立たぬものは焼き,また破壊し,適当なものについてはこれを用いて教会を建立した」29)。『摂津名所図会』を読むと,右近によって諸堂は焼かれ,灰尽に帰しました。御堂,社殿を教会に転用する目的でないことがわかります。「茨木神社,殊に当国は織田方高山右近在城し,此辺の神社仏閣を破却する事多し」(『摂津名所図会』参照)。良心者ならば,たとえ上司織田信長の命令であっても拒絶したでしょう。ユダヤ人虐殺に関与したアドルフ・アイヒマン[1906-1962]が裁判で「命令に従っただけ」と主張しても,免罪にならなかったことを人類は思いに刻むべきです。良心が問題です。当時,僧兵を有していた権門勢力,有力寺社について織田信長は容赦しませんでした。しかし,一般の寺社仏閣は領民の精神的支柱でした。祈願の場であった寺社破壊はキリシタン優位の宗教感情に起因するものでしょう。
 政治,軍事感覚の鋭い織田信長,秀吉は日本領土に対する教勢拡張に伴う中傷合戦の情報を入手します。イエズス会司祭であり,軍人出身の日本布教区責任者フランシスコ・カブラルのアジア人蔑視の姿勢も警戒感を強めさせる原因になります。キリスト教は他宗教に対して無反省の非寛容を貫いていました。ペルー,メキシコ,フィリッピンの二の舞を踏みたくなかったのです。1587年7月24日,秀吉の伴天連追放令が出されました。続いて,1597年には長崎で26聖人が処刑されます。話は脱線しますが,2008年11月まで,バチカン教皇庁は26聖人以外を除いて外国人宣教師である伴天連,つまり司祭たちのみを列福してきました。一方,殉教した庶民について,聖殉教者としてなかなか認めなかったことはカブラルのアジア人偏見の遺伝子があるのではと憶測してしまいます30)

 秀吉が弾圧する理由のひとつにカトリック教会内部の抗争が引き金になっていました。1600年にプロテスタントのオランダ,英国が上陸します。イエズス会による日本侵略は陰謀だとの進言により徳川家康の禁令が熾烈を極めることになります31)
 国際宗教である仏教はすでに日本の伝統思想の核になっていました。キリシタンが仏教思想批判をした非寛容な姿勢が禁圧される理由になったことはまちがいないでしょう32)。 
 隠れキリシタンに対する江戸幕府の弾圧は人類史上比類のない残虐さを示しています。殉教したキリシタンは「彼は希望するすべもなかったときに,なおも望みを抱いて,信じ」た彼岸のパライソ(天国)が見えたことでしょう。(ローマ 4:18)。筆者は考えます。あの弾圧下の潜伏時代に,京都,熊本県八代,五島列島などで続いた中でも,弱者,癩患者,浮浪者に世話しているキリシタンには迫害が及びませんでした。島原の乱のように武具を取らずとも試練,患難,迫害をくぐり抜ける少数の良心者はいたのです。

(2) 戦争拒否の思想
 a. 中世の衝突に抗って
 1517年の宗教改革に先がけて,平和主義のカタリ派33),ピーター・ワルドー[1140-1218?]による原プロテスタント運動ワルドー派34)がローマ・カトリック教会から異端として弾圧を受けます。さながらカタリ派は小笠原諸島に生息していたアホウドリ Phoebastria albatrus のようです。羽毛乱獲のために人間が近づいても警戒しないので,バカトリとも言われたりしました。ワルドー派もアルプスの白い山が殉教の血で真っ赤に染まるほど,カトリック教会によって弾圧されました。

 デジデリウス・エラスムス[1466-1536]はギリシア語による新約聖書を1516年に出版します。エラスムスは無知の追放と平和を聖書に基づいて発信します。ヨーロッパの民に戦争を根絶するようにキリストの言葉が堰を切ったように民の心に響きます。「めいめいが論敵の面目を葬り去るような毒舌の矢を放ち合っている醜態です。…無辜の人間を殺戮することではなく,人間の心から邪悪な激情を滅却することを目標としているのです」35)
 後に,エラスムス聖書はドイツ語に影響を与えるドイツ語ルター訳聖書のテキストとなります。
 「主よ,剣なら,このとおりここに二振りあります」と言うと,イエスは,「それでよい」と言われた。(ルカ 22:38)。「二振りの剣」の「剣」は文字通りの軍備ではありません。なぜなら,弟子がイエスを捕縛に来る時,携帯していた剣で兵士の耳を切り落とした場面があります。すかさず,「剣をとる者は,剣によって滅びる」(マタイ 26:52),とイエスは言っているからです。しかし,中世カトリシズムは「二振りの剣」とは教皇権と皇帝権のこととアレゴリー的解釈をします。「二振りの剣」皇帝は物質的な剣(gladius materialis),一方,教皇は霊的な剣(gladius spiritualis)のそれぞれの権威が神から授けられたと考えるようになります。2つの権力によって秩序が保たれるという二元論的支配のイデオロギーです。
 宗教改革によりプロテスタント教会が起こります。宗教改革者マルティン・ルター[1483-1546]は「キリスト者は戦えというなんらの命令をもたない」と同時に,上司の「服従からは戦うべきである」と二王国論に基づく一義的でない釈義があります。ミュンツァーの農民革命を弾圧することを承認してしまいます。ジャン・カルヴァン[1509-1564]もアウグスティヌスやルターと同様に旧約の例を引き合いに出します。戦争が秩序を維持するために必要な警察力とみなして正当化しました36)。俗化した教皇に抗うプロテスタント教会も聖書のみに立ち帰り,地上から正戦を除く影響力を行使できませんでした。
 プロテスタントの中で,聖書に基づくキリスト教非戦主義の流れを継承した,メノナイト派を起こしたメノー・シーモンス[1496頃-1561]は述べます。「ペテロの剣で守られることを望みたまわなかった。それなのに,どうしてキリスト者が剣で自分を守ることができようか」37)。ブレザレン派38),フレンド派39)も非戦の流れです。聖書に基づく平和主義を貫いていきます。「平和を実現する人々は,幸いである,その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ 5:9),というキリストの「山上の説教」がようやく芽生えてきたのです。カント[1724-1804]が「一緒に生活する人間の間の平和状態は,なんら自然状態(status naturalis)ではない。自然状態はむしろ戦争状態である。…それゆえ,平和状態は,創設されなければならない」,と平和について考えるだけではなく,実現のために立ち上がるように言ったことと符合するでしょう40)。カントは同じ章で,続いて「一民族に属する人間の国民法に基づく体制」,と述べます41)。憲法により他国へ武力干渉しないように縛る先見に満ちた提言をします。戦前のファシズムのような全体主義は絶対的な権力をもちます。人のいのち,人権,安寧を顧みませんでした。ですから憲法によって国の最高権力者をも縛る安全弁がどうしても必要になります。法律は民の権利や紛争に規制力をもちます。一方,憲法は権力をもつ君主,体制に対して拘束力をもちます。「朕は絶対で,お前たちがまちがっている」,と君主が言うならば,だれも逆らうことはできません。人間が自分自身を絶対視し,神になるなら倒錯行為です。暗黒時代,闇,死に突入です。神を絶対にする宗教性をないがしろにし,人間を絶対にするなら抑圧,暴力,いさかいが生じるでしょう。
 まだ諸国はカントの理想を謙遜に受け入れ,武力放棄の理想的な憲法が確立していませんでした。カントの願った「各国家における市民的体制は,共和的でなければならない」42),との条項も平和の実現には完全ではありませんでした。なぜなら民主的な共和制に移行しても,国民の熱狂,暴走によって権力が戦争に突入することも生じるからです。たとえばナポレオン戦争[1803-1815]が良い例です。旧来の衝突と異なります。軍人の戦いから国民の戦争に変化します。ナポレオン戦争に従軍したカール・フォン・クラウゼヴィッツ[1780-1831]は「戦争は一種の強力行為であり,その旨とするところは相手に我が方の意志を強要するにある」43),と戦争肯定論を世に紹介します。 
 クラウゼヴィッツの戦争論のエートスで世界は席巻されていきます。相手を完全に打倒して戦意を喪失させると戦争の本質が浮き彫りにされます。「戦争は…政治的継続におけるとは異なる手段を交えた継続である」とも述べました44)。しかし,戦闘行為は政治の異なる手段の継続と言えるのでしょうか。むしろカトリック法学者カール・シュミット[1888-1985]が「クラウゼヴィッツの有名な文句のように,『別の手段をもってする政治の継続』ではなく,戦争としての,独自の戦略的・戦術点その他の規則や視点をもつものであって,ただ,これらの規則・視点はすべて,誰が敵なのか,という政治的決定がすでになされているとういことを,前提とするものなのである」と述べるように,「誰が敵なのか,という政治的決定がすでになされている」と戦争が政治の継続ではないと批判しました45)。カントが「国際法は,自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである」と国際的な機関,つまり国際連盟,国際連合の国際法によって一つの世界共和国を発題します46)。一方,シュミットは国際連盟では戦争を防止できないと言います。なぜなら‘人類は一つ’というあいまいな考え方は,人類史上横たわる「敵」という概念に溶け込まないからという根拠です47)
 やがてシュミットは1933年ナチス政権登場を擁護する政治学者になります。世界的に通信,輸送,交易が活発になるにつれ,平和,非戦主義,友好の声が消されていきます。したがって,戦争論は百花繚乱のように,たくさんの意見,見解,論考が掃いて捨てるほどあります。どれも戦争抑止には功を奏していないではないでしょうか。

b. 第一次世界大戦の頃
 日本では,明治6[1873]年に切支丹禁令の高札が撤去されます。同じ年に徴兵令を公布。満20歳になると3年間兵役に服すこと,17~40歳の男子はすべて国民軍の兵籍に属します。日本を取り巻いているアジア情勢の中で,1854[安政1]年に綴った「幽囚録」の中で,吉田松陰[1830-1859]は「今急に武備を修め,艦()(そな)はり礟略ぼ足らば,即ち宜しく蝦夷を開墾して諸侯を封建し,(すき)に乗じて加摸察(カムサツ)()(オコ)()()を奪ひ,琉球に諭し,朝覲(てうきん)会同すること内諸侯と比しからしめ,朝鮮を責めて質を納れ(みつぎ)を奉ること古の盛時の如くならしめ,北は満州の地を割き,南は台湾・()(ソン)の諸島を収め,(ざん)に進取の勢を示すべし」は日本がアジアに侵略することを奨励したことが具現化しつつあります。松陰は和歌「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」と謳い,日本人だけが到達できる大和魂に基づく「大日本主義」を唱えました。
 農家の者にとって,一家の労働力の柱が兵役にとられるのは生活していけなくなるので,反発が大きかったのです。従来の一揆と異なるのは,村吏(そんり),豪農層に対してではなく,絶対主義政府に武装して官兵に激発しました48)
 内村鑑三[1861-1930]は日清戦争[1894-1895]が開戦すると義戦論から非戦論へ変わります。「吾人は信ず,日清戦争は吾人にとりては実に義戦なりと。その義たるの,法律的にのみ義なるにあらずして,倫理的にまたしかり」49)
 聖書の研究により,非戦論になった内村の「不敬事件」も国家権力の前に挫折していきます。1902年,治安警察法が制定された翌年,安部磯雄[日本社会主義運動の先駆者 1865-1949],片山 潜[労働運動家 1859-1933],木下尚江[社会運動家 1869-1937],西川光次郎[1876-1940],川上清[ジャーナリスト 1873-1949],幸徳秋水[1871-1911]の 6名が社会民主党を結成。伊藤博文内閣によって即日解散を命じられます。人種差別撤廃や,軍備の全廃などを主張しました50)。非戦の活動は挫折に次ぐ,挫折の底なし沼にはまります。どんなに権力に抗っても,封印されます。
 1914年の第一次世界大戦勃発時には,世界的にもキリスト者も戦争に加担していきます。一方,ブレザレン派は良心者として行動します。「アルフレッドが平和主義者であることが知れわたると,ピアノ工場でいっしょに働いている人たちはだれも口をきかなくなった。教会でも同じだった。ミサのあと,礼拝に来ていた人たちは,アルフレッドの前で床につばをはいた」。1919年に強制労働から釈放されても,世間から白い目で見られます。戦争の恐ろしさを体験してもなお,良心者にはひきょう者,臆病者扱いをやめませんでした51)。しかし,非暴力こそキリスト者の生命線と考えたわけです。
 第一次世界大戦時において,道徳上,あるいは宗教上の理由で兵役につかなかった人数は,英国約16,000人(入隊者数の0.33%),米国約56,830人です52)。英国の5人は第二次世界大戦において兵役拒否で顕著なものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)のメンバーです。当時のエホバの証人の多くは第一次世界大戦時に参戦していました53)
 良心者は国内の対敵宣言により,追放,破門,人権剥奪や法的保護の停止が余儀なくされました。兵役を拒んだ者に対して,英国は激戦地へ派遣したり,命令拒否について密室の軍法裁判により,死刑や投獄を課しました。処刑する側にとり,敵国の兵士ではなく,同胞を敵と解釈して殺害するには自虐的な思考が必要でしょう。南京大虐殺[1937年12月13日]のように,無辜な中国市民に日本軍兵士が略奪,強姦,惨殺する極限の状況とは異なるからです。ちなみに日本では「自虐史観」の用語について倒錯した視座が独り歩きしています。アジアの被害者である日本軍「慰安婦」,強制連行された国々が用いるならともかく,加害者である日本人が言うから海外から見れば,こっけいに映るにちがいありません。非戦―戦争を阻止するエネルギーは軍神を頂点に抱く体制にとっては,平和主義者など飛んでいるハエにすぎません。簡単に打ち落とせるのです。シュミットが分析するような軍国主義者対平和主義者の政治的対決の構図にはなりませんでした54)。「味方」「敵」の対立の政治理論が正しいとするなら,民衆の中には良心者に同情した人々が続出していたはずですが,平和主義者に対して擁護する同調者は皆無に近かったのです。良心者は病を併発し,釈放される場合もありましたが,戦禍が進むにつれ,獄中にいる良心者は忘れ去られました。絶対的平和主義は現実からの逃避とみなされて,同じ国,同じ言語のムラ社会,精神風土で育った味方であるにもかかわらず,黙殺されたのです。
 兵役を拒否することにより,国のために武具を取らなかったことがヨーロッパの民主化に寄与したでしょうか。否。軍事政権に歯向かった殉教の轍は民主化の実現に貢献することもありませんでした。良心者の血の叫びは天に届かなかったのです。
 警察は拳銃を携帯しています。「…権威者はいたずらに剣を帯びているのではなく,神に仕える者として,悪を行う者に怒りをもって報いるのです」(ローマ 13:4)の「剣」とは,軍人の「剣」とは異なります。警官は人を殺すために殺傷能力のある銃をもっているのではありません。一方,兵隊は多くの敵兵を殺すならば英雄とされ,勲章をもらうのです。警察が銃を用いるのは公僕として任されています。市民の安全,公共の福祉,社会の秩序を維持するためです。しかし,日本の右翼警官はテロのように暗殺の流血の記録をもっています。大杉栄[作家 1885-1923],平澤計七[労働運動家 1889-1923],河合義虎[労働運動家 1902-1923年]たち9名の労働運動者の殺害に関与します。関東大震災[1923(大正12)]の際,朝鮮人虐殺にも加担します。いずれにしても治安維持法などの大義名分で抹殺しています。公僕として市民に仕える使命より,天皇制強化のしもべとして行動しているのです。戦争は皇国にとり病理ではなく,生理です。
 警官が兵役に服するように強制しても,良心者は拒絶するため,尋問,説得,洗脳などに要する時間,体力,行程は非効率です。見せしめに投獄するのもそのためにかける労力も見合わないものです。非国民として摘発の根拠は,兵役拒否より天皇制批判=死刑へとエートスがはやし立てます。「まつろわぬ者を,まつわせる(服従させる)」統制により,国民の内面に「みそぎ」のように侵入したのです。義戦論者は平気で人を殺すものです。原 敬[たかし 1856-1921],浜口雄幸[宰相 1870-1931],井上準之助[大蔵大臣 1869-1932],団琢磨[実業家 1858-1932],犬養毅[いぬかい つよし 宰相 1855-1932],永田鉄山[陸軍軍人 1884-1935],斉藤実[宰相 1858-1936],渡辺錠太郎[陸軍大将 1874-1936],松尾伝蔵[陸軍大佐 1872-1936]なども殺害されました。宗教者以外に,共産党指導者岩田義道[1898-1932] 特別高等警察に逮捕され,その4日後に拷問により死亡,上田茂樹[社会運動家 1900-1932],西田信春[1903-1933]も獄死しています。密閉された刑務所で弱者の朝鮮人,女性は拷問,性的陵辱により発狂まで追い込まれます。小説家中本たか子[1903-1991]も獄中体験を記しています。民を監視し,刑罰を加える力学に良心者の平凡に生きる権利は抹殺されます。中世ヨーロッパの異端審問官のサディスティックな対象の獲物と同様に扱われました。

c. 第二次世界大戦の頃
 欧米においても,兵役を拒否した良心者に対して,残虐な刑罰と見せしめの虐待はなくなりませんでした。第一次世界大戦後,1919年,世界平和樹立を目的として国際連盟が提唱されます。戦争のもつ残酷さと憎悪の覆いで不可視になっていた人間性の回復の光明がさしかかりました。しかし,枢軸国が台頭すると,「良心の自由」より,国体の維持,護国,先制攻撃がメディアの主題で活気を帯びます。
 国際的に,軍事教練法,兵役法,拷問などの徴兵法がやっと廃止になろうとする矢先です。非暴力にたちあがった者は,武器の所持,保管の公務に就くこと,戦争,防衛または狩猟用の銃器を所持,保管すること,武器,弾薬の製造,修理,取引について拒絶する良心者がベルギー,オランダ,イギリス,アメリカなどで非戦闘の民間代替作業に従事することを自発的に申し出るようになりました。裁判で服役の刑に裁定され,上訴の道がなくても良心者たちは非戦にひるまなくなりました。
 「民衆は戦争防止のために自衛的最善の努力を払わねば駄目だ。浅薄な敵愾心にかられて自ら墓穴を掘ってはならぬ。戦争は人類の最大の不幸だ。」と軍のエスカレートに疑義を申し立てる仏教者も登場します55)
 310万人が第二次世界大戦で犠牲になります56)。兵士だけでなく,一般の民の命も暮らしも奪います。戦後,「まともな戦争ではなかった」と日本でも,一般に,キリスト教の三大戦時下抵抗集団としては,灯台社,プリマス・ブレザレン(1941年検挙),耶蘇基督之新約教会(同)があげられます。明石順三と灯台社が日本のキリスト教界において,最大の戦時下抵抗の個人と集団でした(「福音と世界」新教出版社 1973年8月号)57)。灯台社は1939(昭和14)年6月21日に第二次検挙。全国91名一斉検挙で,他に台湾でも9名検挙のうち2名獄死,朝鮮にて38名検挙中支部長以下5名も警察で拷問を受け,死んでいます58)。作家小林多喜二[1903-1933]は2月20日,検挙直後の連続6時間の拷問によって夕方絶命しました。不敬罪という「踏み絵」にいずれも免罪とならなかったのです。「毛糸の腹巻に半ば覆われた下腹部から左右の膝頭へかけて,下腹といわず,尻といわず,前も後も何処もかしこも,まるで墨とベニガラを一緒にまぜ塗り潰したような,何ともかともいえないほどの陰惨な色で一面に覆われている。その上,余程多量な内出血があると見えて,股の皮膚がぱっちり割れそうにふくらみ上がっている。…よく見ると赤黒く膨れ上がった股の上には左右とも,釘か錐かを打ち込んだらしい穴の跡が156以上もあって,そこだけは皮膚が破れて,下から肉がじかに顔を出している。…人差し指を反対の方向へ曲げると,らくに手の甲の上へつくのであった。指が逆になるまで折られたのだ」と多喜二の検死をした30余人の眼をしめつけたのです59)
 人間は拷問に耐えられるのでしょうか。宗教者なら大丈夫ですか。「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず,試練と共に,それに耐えられるよう,逃れる道をも備えていてくださいます」(Ⅰコリント 10:13),と信じ,官警の非道,執拗,残虐な仕打ちの中のどこに「逃れる道」があるのでしょうか。安息への「逃れる道」などありません。発狂するか,自死を選ぶか,転向(背教)への署名を迫られます。刑吏,異端審問官の言う通りに平気で戦場で人を殺めるロボットになる方がいいか,それとも二度と出所できない牢獄,絞首刑,電気椅子がいいのか,宗教者でも即答できません。キリシタンに対する処刑には,斬首,はりつけ,火炙り,水責め,氷責め,俵責め,竹鋸切り,溺殺,つるし責め,穴吊り,算木責め,鉄砲責め,駿河問い,婦女凌辱,手足の指や鼻の切断,雲仙地獄の熱湯責めなどがありました60)。キリシタンの多くは棄教しました。宗教,特定の思想,道徳では拷問に耐えられないのです。それでも決して転向しなかった信者もいました。200年近くの禁令が解かれた時,信仰は土着化してしまっており,カトリック教会に戻らない信者も少なくありませんでした61) 。300年近く,少数のブレザレン派は弾圧,迫害,殉教の辛酸をなめてきました。「木には希望がある,というように木は切られても,また新芽を吹き 若枝の絶えることはない。」(ヨブ 14:7),と。木は切られても若枝が出てくるように,聖書に基づいて希望を心に刻んでいる(血を流さずに刻む,彫るはできない)なら信仰を維持できる証しでしょう。
 1986年,私が,アメリカから夏休みを活用してキャンパスクルセードで来日していた福音派の若者たちと淡路島に海水浴に行く機会がありました。浜辺で兵役拒否について聖書から論じ合うと,「臆病者」と非難されました。自分のいのちが惜しいかどうか,真剣に自問しました。いのちが惜しいなら責任ある行動ができません。「キリストの兵士」ならば,「わたしたちは,生きるとすれば主のために生き,死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って,生きるにしても,死ぬにしても,わたしたちは主のものです」(ローマ 14:8),と神に応答する(responseレスポンス)責任(responsibilityレスポンスビリティ)があります。つまり,兵役を拒否し,無抵抗の抵抗は,臆病ならできません。なぜなら秘密裏の軍事裁判,肉体的・精神的拷問,獄死を覚悟しなければならないからです。
 イタリアのカトリック伝統の強い地域にあってもエルネスト・バルデューチ司祭は新聞に,1962年,投書しました。「原爆の発明以来,教会は権威的な態度をもって前面戦争は正義でないと宣言した。それに従うならば,カトリック信徒は全面戦争から逃亡する権利どころか,私に言わせれば義務をもっている」と62)。新しい非戦のうねりの動きが芽生えました。
 2013年9月17日,国連の人権理事会が兵役拒否の権利についてはじめて話し合いました(国連欧州本部の国連人権理事会4会期)。「各国に良心的兵役拒否を許容することを検討するよう呼びかける」と採択されました。会に出席した東京造形大学教授前田朗氏は語ります。「第一次大戦時には,イギリスでもドイツでも,兵役拒否者は死刑だった。1000人規模で死刑になっている。第二次大戦時には,懲役刑だった。日本でも兵役拒否は犯罪だった。第二次大戦後,徐々に変わってきたが,第1に,兵役義務のない国家が増えた。アメリカでさえ志願制だ。第2に,良心的兵役拒否を認める国が増えた。「良心的」の解釈は国によって違い,明確な宗教的理由でなければ認めない国もあるが,ともあれ兵役拒否が徐々に認められるようになっている。ミクロネシア連邦憲法には兵役拒否の権利が明記されている。それでも,韓国やイスラエルのように兵役拒否を犯罪としている国もある」63) 。韓国では強制徴兵制度が実施されており,兵役法によれば20歳から30歳の健康な男性は少なくとも21カ月間の兵役に就く必要があり,これを拒むと1年~3年の懲役に処されます。兵役拒否の流れは宗教者だけのものではなくなってきています。なぜなら良心者は処罰されるべき敵ではないからです。絶滅されるべき犯罪者,非人間として有罪になる憎悪の対象ではないからです。
 日本のマスコミが,兵役拒否の国連の論議に無関心なのはどうしてでしょうか。社会の人権意識が希薄なことや,安倍晋三政権による憲法9条を殺す勢いに消されています。良心者としては,憲法9条を護るより「活かす」平和な国であってほしいと願います。

(3) 絶対平和主義
 a. 危機にある自分の国を見捨てることになるのか
 外国の軍隊の侵入は自国を占領下におくので,家庭に泥棒が押し入るのをただ傍観しておくことができないのではと,良心者に問うでしょう。クラウゼヴィッツ支持論者でなくとも,戦争は必要悪と主張する空気が日本列島を覆っています。世界で一番古い非戦論を体系的に述べたのは中国の墨子ぼくし[紀元前450-390頃?]です。墨子は上・中・下に分けて『非攻』篇を書いています。「非攻」とは侵略戦争に対して否定,防止をする行為です。墨子は自ら「賤民」の出であることを広言し,各地を転々と仕事を求めながら移動する工人の群れの指導者でした。「一人を殺さば,これを不義と謂い,必ず一死罪あり。…いま大いに不義をなし国を攻むるに至りては,すなわち非とするを知らず,従いてこれを誉めてこれを義と謂う」64)。18世紀まで,墨子の思想は黙殺されていました。

 オランダ商館などで学んだ青森県八戸の医者安藤昌益[1703-1762]は墨子と著しく共通した平和観をもっていたにもかかわらず,記していません。儒教の精神,先生,親,君主に対する礼節を重んじる孟子たちの教えが主流になります。昌益の耳に墨子の非戦論は届かなかったようです。昌益は中国王朝の興亡史だけでなく,「記紀」(古事記,日本書紀の総称)を研究し,『自然真栄道』を著します。書の中で,「治」(=構造的・間接的暴力)と「乱」(=人的・直接的暴力)による他国への侵略,略奪,盗乱について戒めます。「金銀の通用を()すが故に,(ばい)(ばい)()(よく)の法盛んにして,天下の利慾大いに募り,漢土(かんど)(中国)より天竺(てんじく)(インド),阿蘭陀(おらんだ),日本を奪はんとし,日本より朝鮮を犯し,臺灣(たいわん)を取る。金銀通用賣買の法を立て,自由足り,(おご)りを爲し易し。侈りは(らん)の根なり」65),と「乱の根」を分析しています。諸外国への侵略戦争について軍事,経済両面の野望から発生するとクリティック[批判]しているのです。戦争の対極である「平和状態」の思想家が日本の江戸時代にいたことは特筆すべきでしょう。昌益は,神功皇后の三韓征伐,豊臣秀吉の朝鮮半島侵犯,薩摩藩の琉球支配,松前藩のアイヌモシリ[人間の静かなる大地]侵略などを否定します。『孫子』冒頭の「兵は国の大事」を批判し,「兵は国の乱具なり」と発信します。「兵は凶器なり。止むを得ずして之を用ふと云ふは,止むを得ずして盗業を爲すと言ふに同じ」66),と語る先人がいたことを日本人は誇りに思うべきです。
 昌益,墨子の「非攻」の非戦論こそ,見直すべき人類の指針です。良心者は,自分の国に対する反逆者でもなければ売国奴でもありません。為政者の政治形態を転覆し,奪取して,新たな政権をつくる目的を持ち合わせているのでもありません。「世間虚仮こげ」を説いた聖徳太子は世俗の営みを批判しておきながら,政治の中枢に立ちました。非戦のためのたたかいは,体制に対してノンと言うアナキストではないと同時に,自分が現体制に取って代わる権力意志を持ち合わせているのでもありません。良心者は政治中枢で清濁併せ呑む器量を持ち合わせてはいないからです。国家権力の全体を否定するのではなく,あくまでも軍事的権力に対する抵抗です。
 キリストがエルサレムの神殿で,両替商人たちをむちで追い払われた場面から暴力を肯定できるのでしょうか。「イエスは縄で鞭を作り,羊や牛をすべて境内から追い出し,両替人の金をまき散らし,その台を倒し」(ヨハネ 2:15)。「むち」は当時,罪人に刑を課す際に用いる無数の金属片や骨片を縫い付けた革の鞭(ラテン語 fragellum『ウルガタ訳聖書』[405年])ではありません。神を礼拝する場所を「強盗の巣靴」(エレミヤ 7:11; ルカ 19:16)にしていることに対する「権威と懲罰のしるし」です。キリストはむちで何を打ちましたか。イエスがむちで打ったのは両替人の金やその台です。人を打っていません。
 キリストは百人隊長を褒めたりもしました。他の箇所で百人隊長コルネリオが信仰をもった時,職業を変えるようにと聖書に書かれているでしょうか。「コルネリオ会」という日本には自衛官の信仰者グループがあるくらいですから,軍人が初代教会にもいたとしてもおかしくないと考えるのは中世からのキリスト教界のエトスです。百人隊長の話はどんな職業であれ,すべての人がキリストに引き寄せられる証しと考えるのが自然です。マタイの福音書 8章の百人隊長にしても信仰を褒めたのであって,軍人の職業をほめたのでもなければ,認めたのでもありません。「わたしは地上から上げられるとき,すべての人を自分のもとへ引き寄せよう」(ヨハネ 12:32)。
 キリスト者が「キリストの兵士」(Ⅱテモテ 2:3)と言われるのは,武具をとって敵を打ち負かす役割ではありません。祈りによって平和をつくるキリストの兵士だからです。したがって,武具をとらない神の戦法を実施する良心者こそ真のキリストの兵士と言えるでしょう。 

b. 自分が愛する人が犯されても信念を貫く価値があるのか
 戦時下であれば,自分の愛する妻,娘,姉妹が敵軍に犯される事態は必ず生じると言えるでしょうか。確率から考えても,非常に低いわけです。さらに,自分が相手国の軍隊とのはざまに立って,銃を取る決断を迫られる場面に遭遇する可能性はどれくらいあるでしょうか。戦争という極限の状況に自分が従軍すれば,そんな非道の行為が防止できるどんな確かな保障があるのか,だれも答えられないでしょう。日本軍は,沖縄でも,本土でも敗戦色が濃厚となってきて,鬼畜米英が上陸すれば,女性はすべて強姦されるとマインドコントロールしました67)。日本兵の嘘の呪縛によって,手榴弾で自害した琉球女性の数は少なくありません。しかし,女性達は米軍の占領下になったとき,必ずしも凌辱されるとは限りませんでした。慰安婦たちは,日本軍の監視から自由を得ることができるようになりました。

 自分が愛する人が犯されても信念を貫く価値があるのか,という問いに,ヒットラー政権打倒に立ち上がった出来事から考えてみましょう。ナチズムの呵責のない圧政,抑圧,差別に決然として立ち上がった牧師ディートリッヒ・ボンヘッファー[1906-1945]がいました。ヒットラーが世にいる限り,何の罪もない人々は毎日,殺されていきます。暴君を放置すれば暴君の殺戮を容認していることになりまいか,とボンヘッファーに迫ります。十戒の「汝,殺すなかれ」と平素,教会の講壇から語っている聖職者として,ヒットラーを暗殺するかどうかは軽々に決定できない課題でした。しかし,ボンヘッファーは殺人鬼を取り除くしかないと計画しました68)。計画は1943年に発覚し,1945年4月に絞首刑になります。もし計画が実行され,首尾良くヒットラーを殺しても,第二の後継者である偏執狂の独裁者は情け容赦なく,さらに一滴の血でも多く,粛清に次ぐ粛清の恐怖政治を増幅していたことでしょう。つまり,復讐の論理は新たな流血を産むという歴史の教訓を学ばねばなりません。「恨みを抱かない」(「相手の悪の統計を数えない」の意)のです。(Ⅰコリント 13:5)。「あなたがたも聞いているとおり,『目には目を,歯には歯を』と命じられている。しかし,わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない 」(マタイ 5:38,39)を全うするのです。1世紀のキリスト者も,むごい虐待にも仕返しをしませんでした。絶滅しなかったのです。生きながらえました。いかなる権力も根絶することはできません。「自分で復讐せず,神の怒りに任せなさい。『《復讐はわたしのすること,わたしが報復する》と主は言われる』と書いてあります」(ローマ 1:21)。
 敵国の襲来があると仮定して,かつてのソ連収容所で奴隷のような扱いを受けるくらいなら戦った方がましだという論理にも踊らされてはなりません。奴隷制は酷ではありますが,だれが悪いかというと収容された本人ではありません。一方,戦争に従軍する場合,だれが悪いかというと武具を取った者です。「人を殺してはいけない」のです。いのちに対する視座の持ち方により,正義に基づいた行動が異なってきます。
 戦争は必要悪だからと考えなくてもいいのです。武器をとらなくても紛争,不和,対立は解決できます。
 非暴力のマハトマ・ガンジー[1869-1948]69)や,マルチン・ルーサー・キング牧師[1929-1968]70)たちは,武具を取らずに,勝利しました。歴史が証明しているでしょう。いわれのない残忍な迫害を被っても,「キリストもあなたがたのために苦しみを受け,その足跡に続くようにと,模範を残されたからです」(Ⅰペテロ 2:21),と苦縁を受けとめるのです。非暴力・非服従を貫く勇気は国,民,郷土を愛する動機に基づいています。「悪に負けることなく,善をもって悪に勝ちなさい」(ローマ 12:21),と書かれていますように,臆病ならば悪に勝てないでしょう。

 c. 良心に従う
 教皇ヨハネ・パウロ2世[1920-2005]は2003年3月20日,「過去への反省なしに未来への前進はありえない」と過去千年の間にキリスト教徒が犯した罪の赦しを乞うように訴えました。何世紀も紛争が続いた英国・北アイルランド。武力を背景にした支配のヒエラルキーは連鎖を招くだけです。2013年6月,英国の北アイルランドの隔離されたロックアーンのリゾートホテルで主要8カ国首脳会議(G8サミット)を開催しました。アイルランドにおけるローマ・カトリック信者居住区と英国聖公会信者居住区の間には50箇所の壁があります。双方の武装衝突による敵対関係はいまだに取り除かれていません。北アイルランド・ベルファスト東部のプロテスタント地区にはさまれたカトリック地区ショートストランド付近で2014年6月20日,両勢力の大規模な衝突が発生したりします。分断と憎しみは双方が聖書に立ち帰らない限り取り除かれないでしょう。

 領土問題は国の固有の面積の問題だと思い違いをしてはなりません。昔の戦争は敵国に侵入して,降伏を力尽くで奪い取りました。しかし,現在の戦争は相手の国土に攻め入ったとしても,そこに居住する民が占領する国に従わなければ占領したことにはなりません。つまり他国の領土に侵入し,領土を拡張する陣取りゲームような戦争は過去の戦争でした。たとえば,軍隊のない国々である無防備のコスタリカ,パラオ共和国,キリバス共和国,バヌアツ共和国,サモア独立国,モルジブ共和国,モーリシャス共和国,アンドラ公国,サンマリノ共和国,モナコ公国,リヒテンシュタイン公国,アイスランド共和国,ドミニカ国,ハイチ共和国,パナマ共和国などに軍事強国は攻め入りません。なぜならコスタリカならば,コスタリカ人が侵入を歓迎しなければ,戦争の意義がないからです。
 キング牧師は非暴力によるバス・ボイコット闘争を呼びかけました。その結果,公民権法を成立させ,黒人と白人の間の壁を低くしました。ボイコットとはチャールズ・カニンガム・ボイコット[1832–1897]からとられました。英国人ボイコットはアイルランドで小作人たちから一斉に反発されたことに由来しています。北アイルランドも武力侵攻によって,面積を征服しても民が喜ばないなら徒労に帰します。クリミア,ドネツク,ドニエストルにロシア軍が遠征するのは在住の民が支持するからです。尖閣諸島,竹島にしても歴史的に固有の領土と主張し合うなら,かつて7つの海を支配した大英帝国の勢力図で地球上の約五分の一が埋め尽くされてしまうことを想起する冷静さが求められます71)。北方領土にしてもかつての我が師末次氏が沖縄に続いて返還運動に心血を注ぎました。1970年,私は英字機関紙“Unified World”の編集の責任があったゆえに,北方領土返還についての自分勝手の正義(Selbstgerecht)は顔から火が出ます。若気の至りではすみません。ファナティックな原理主義でした。歴史的な先住性をテーマにするなら,ロシアも日本も資格がないことに気づかねばなりません。クリル諸島(アイヌ語「私たち民族が住んでいます」の意)は先住民族アイヌに返還すべきだからです。領土問題の解決が長引くのはナショナリズム,主権国家,国境が横たわっていることが原因です。
 戦時下で非戦を貫く良心者は,ボイコットのように,命惜しさに故郷英国へ逃げ帰るような居場所がありません。「かくすれば,かくなるものと知りながら,やむにやまれぬ」といのちを危険にさらすのです。自分だけでなく,家族が地域,会社,学校で白い目で見られます。ボーナス賞与,退職金,失業手当なども剥奪され,家族から自死者が出ることも余儀なくされます。
 9・11テロ以降,「平和」は幻想となりました。イスラム=テロという思考停止に陥ったのです。「私たちの文明が生き延び,存続してきたのは,過ちを犯すたびにそれを認め,その多くを正してきたからだ」,と戦争のために敵愾心を煽ることをやめる叡知が必要です72)
 したがって,いかなる国においても,良心者は武器を棄てる決意について,公平に構成された裁判所(軍法会議)で,自分の平和理念を語れるように認められる社会を作るように働きかけをします。審理経過は秘密保護法案のように政府首脳,首長,警察官僚だけが知っているのではなく,公開されることを願います。どんな思想,イデオロギー,体制の国であっても,良心者に死刑を科することがあってはならないでしょう。良心者は軍事教練,軍隊で要求される義務を免除されるような法律ができることを訴えます。時には非戦闘作業に従事できる条件付きの証明書を性別に関係なく適用されるような国際的な協定ができればと要請します。
 ヘブライ語の平和は,シャロームです。原意は「完成,全体」であり,動詞のシャレムに由来します。シャレムはカル態なら,「完了する,欠陥が伴わない」,ピエル態で「完成する,安全にする,完璧に元通りにする」の意をもちます73)
 「欠陥が伴わない」とは暴力の不在(減少)でなければならないでしょう。「暴力の不在として理解される平和」と唱えたヨハン・ガルトゥング[1930- ]の定義の実現が求められています74)
 戦後世代であっても,アジア諸国に旅行へ行き,戦時下の日本軍の占領地域跡に立つと,恥ずかしい思いになります。残虐な行為があった施設,碑,塔の前で語り部に耳を傾ける際,自分はまだ生まれていないから責任がないと逃れられません75)。 父は関東軍兵士でした。69歳で亡くなる時まで,戦時中のことを上官の命令通り,吐露しませんでした。精神的に苦悶していたことはわかります。国民徴兵制を主張した日本陸軍の創始者大村益次郎[1824-1869]から「鳩居堂」で学び,後に教えるようになった曾祖父についても存在しなかったかのように生きるわけにはいきません。過去を変えることはできないのです。過去に眼を閉じる者は現在にも眼を閉じることになるでしょう。なぜなら私たちは戦前世代とは関係なしに,別天地から突如として生を受けたのではありません。人は土から形づくられ,土に帰るとするなら,日本の「土」つきの日本人なのです。日本という国家,民族の同胞,共同体,言語で生まれ,育ち,生活しているのです。江戸時代,宗門人別改帳でも違反する場合,連座制がありました。戦前,戦時下では,軍の規律において連帯責任を科せられてきました。したがって,私たちの人となりは自分一代でできあがったものではありません。祖先から何世代にもわたって受け継いできた複合体と言えます。戦前世代の残した負債を私たちは償うことによって国際社会の一員としての自覚をもてるでしょう。過去の侵略を忘却することは「第二の罪」になることを自覚しなければなりません76)。自分たちの父,祖父たちが加害者であったことを否定することは,国が再び同じあやまちをすることにつながります。ドイツの「過去の克服」の努力と日本は対照的です77)。国境が高くなれば人は戦場で殺し合うことも平気でやります。敵の戦死者に手を合わせることもしません。武具を棄て人間性豊かな平和な世界を築き上げていきましょう。

<結論>
  非戦を唱えることは臆病者という烙印が押されます。臆病とそしられても,武具を棄てるには勇気がいります。「体は殺しても,魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ,魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ 10:28)の決断があれば,挫折しないでしょう。富,名声,権力を得るために生きる生き方とは相容れません。非戦を唱えて成功への道を中断することを「犬死」と人は蔑むでしょう。鼻で息する人間の評価によって,魂を売り飛ばすわけにはいきません。
 国体は不朽ですか。国を愛するから武具をとり,戦うと決意していても,国は永遠に続くとは限りません。無条件降伏に再び,追いやられるでしょう。ローマ帝国のような起伏,興隆,滅亡にならない保障はありません。国を愛するが故に戦闘行為につく非人間化に無感覚,鈍感,無化してしまう危険姓から覚醒しなければなりません。真に国を愛するなら,いのちを顧みる選択に古今東西,普遍の導線があるでしょう。「汝殺すなかれ」。殺生をしない非戦の誓いは永遠のものです。「己れの生涯はこの一筋の道にかかる」(松尾芭蕉[1644-1694] 奥の細道)の気迫をもちましょう。永遠の証しのために生きるのは臆病者ではなく,勇者だけができる証しです。

出典 

1)  サクラメントは軍事用語。ローマ軍の兵士がローマ皇帝に対して忠誠を誓う際,用いられていた。
2)  『兵役を拒否した日本人』(稲垣真美 岩波新書 1972年 118-121頁); 拙稿『神戸と聖書』(「神戸と聖書」編集委員会 神戸新聞総合出版センター 2001年 209-212頁)。
3)  『平和の思想的研究』(宮田光雄 創文社 1978年 45-46頁)。
4)  『徴兵制と良心的兵役拒否』(小関隆 人文書院 2010年46頁)。
5)  同 50-52頁。
6) 『東京新聞』(2013年7月16日付)。
7) 『戦争・平和・キリスト者』(R.H.ベイントン 新教出版社 中村妙子訳1963年 83頁)。
8) Catholic and Conscientious Objection James H. Forest Catholic Peace Eellowship。

9) Christians and the Military The Early Experience John Helgeland, Robert J.Daly  andJ.Patout Burns Fortress Press 1985 『古代のキリスト教徒と軍隊』(小阪康治訳 教文 館 1988年 49-50頁)。
10) 『キリスト教人名辞典』(日本基督教団出版局 1986年 554頁)。
11) 『ケルソス駁論』Ⅷ.68a (オリゲネス「西洋史学」21 秀村欣二訳 西洋史学会1954年 35頁)。木寺廉太は,『ケルソス駁論』Ⅷ.73dを援用し,オリゲネス[182?-251]は「キリスト教徒は決して参戦しないと名言している」と言及。『古代キリスト教と平和主義』(木寺廉太 立教大学出版会 2004年 70頁)。
12) 『テルトゥリアヌス』4(キリスト教教父著作集第16巻 教文館 2002年 304頁)。拙稿「キリスト教と死刑制度」―聖ヒッポリュトスの使徒伝承―(地球市民の会 神戸市立外国語大学 2009年 7頁)。
13) アルル会議 De his qui arma proiciunt in pace, placuit abstineri eos a communione. 「平時に武器を捨てる者については,交わりから遠ざけねばならない事を定めた」と脱走兵について破門にする処分を決定してい。Historia Ecclesiastica Ⅳ Eusebius Caes. 241 p.48。「国家と教会との間に平和が支配しているので,キリスト教徒の兵士は義務を果たすべきであり,脱走兵は教会から処罰される」C.J.Hefeleと解釈する見方などもある。

14) アンブロシウスは「野蛮人に対して祖国を守る戦闘」について兵役を義務として述べる。De officis Ⅰ Ambrosius 27 129 =PL 16 61B。
15)  De civitate Dei Ⅴ Augustinus praefatio = CSEL 40,4 『神の国五』(アウグスティヌス 服部栄次郎訳 岩波文庫 1991年 87頁)。
16) The Just War in the Middle Ages F.H.Russel Cambridge 1975 p.16-54.65-68; 大鹿一正・大森正樹・小沢考訳(『トマス・アクイナス神学大全』第17 冊[創文社・1997 年]81 頁)。
17)『聖書と戦争』(ピーター.C.クレイギ 村田充八訳 すぐ書房 2001年76-77頁);『戦争と聖書的平和』(村田充八 聖恵授産所出版部 1996年 83頁); 『神の国 五』(アウグスティヌス 服部英次郎訳 1991年 57頁)。
18)『戦争・平和・キリスト者』(同 152頁)。19) 「正しい戦争はあるか」(ハンス・ユーゲン・マルクス 南山神学第27号 2004年 14頁)。20) 明治初期に至るまでのキリスト教(カトリック)を意味する。(『新カトリック大事典Ⅱ』新カトリック大事典編纂委員会 尾原悟 研究社 1998年 409頁)。
21) 『新カトリック大事典Ⅱ』同 片岡瑠美子 419頁。拙稿「日本のキリスト教会 キリシタン時代」(キリスト教の世界シリーズ 神戸バイブル・ハウス 2004年 7頁)→ 1940年に『バレト写本』をバチカンで発見したヨゼフ・フランツ・シュッテによると,ラテン語資料では,受洗者数28万人[1579-1627],幼児洗礼約35万人,『日本イエズス会史序論』(Introducto ad Historian Societatis Jesu in Japonia 1549-1650 Roma, 1968),『日本史料集Ⅰ』(Monumenta Historica Japoniae Ⅰ Roma, 1975 ゼフ・フランツ・シュッテ 上智大学キリシタン文庫)。『日本キリシタン史』海老沢有道 塙書房 1990年 146-147頁)。
22) 拙論 「日本のキリスト教会 キリシタン時代」(キリスト教の世界シリーズ 神戸バイブル・ハウス 2004年11月9日)。 <註> ばてれん Padre (ラテン語の神父 ぱーどれ)後に伴天連。
23) 『南蛮のバテレン』(松田毅一 NHKブックス 1973年 129,133,187-202頁),『キリシタン研究』第28巻(キリシタン文化研究会 フィリッピンのスペイン系イエズス会と日本布教志向1581-1586 (上) 1988年 3-59頁)。
24) 『日本キリシタン史』(同 215頁),Cartas do Japao, Evora 1598 Ⅰp.423)。
25) 『フロイス日本史』10 (中央公論社 第二七草 第一部104章)。
26) 『十六・七世紀イエズス会日本報告集』Ⅲ6(同朋含 1991年 一八四号98,99頁。
27)  同  Ⅲ5 一四六号 8-10頁。
28)  同    一七四号 259頁。
29)  同  Ⅲ6 一八四号 205頁。
30) 拙稿 「日本のキリスト教会 キリシタン時代」(同 2004年 6頁)。“1863年に,教皇ピウス9世は日本26聖殉教者を列聖しているが,1619年の京都鴨川の52名の殉教者はなぜ聖人として列福されないのか。”と疑義を投げかけたが,2008年11月24日には,長崎で188人の列福式が挙行され,52人も福者として含められた。(拙稿 「神戸バイブル・ハウスニューズレター」No.31 KBH出版委員会 2008年 1頁)。
31) 『日本キリシタン殉教史』(片岡弥吉 時事通信社 1979年 180-181頁)。
32) 『日本史2』(キリシタン伝来のころ ルイス・フロイス 柳谷武夫訳 平凡社 1993年 258頁),『キリシタン・バテレン』(岡田章雄 日本歴史新書 1977年 56-90頁),『日本キリシタン史』(同 195,230頁)「直接悪魔に奉仕する大なる詐欺漢で魔術師」と神仏習合のみならず,それに付随する信仰習俗の一切を否定した。
33) “みずから武器を取って戦った例は見出されていない。”『異端カタリ派の研究』(渡邊昌美 岩波書店 1989年 277頁)。
34) “彼らが戦争や裁判においても,あらゆる宣誓と殺人を厳しく拒否した”『中世異端史』(ヘルベルト・グルントマン 今野國雄訳 創文社歴史学叢書 1974年 60-61頁)。
35)『平和の訴え』(エラスムス 箕輪三郎訳 岩波書店 2000年 28,35頁),「キリストを宣教するものは,平和を宣教し,戦争を宣教するものは,キリストとは似ても似つかぬものを説いている」(Opera Ⅳ Erasmus 626-628, 630, 635 James M.Stayer 54)。
36) 『平和の思想的研究』(宮田光雄 創文社 1978年 54-57頁)。
37) オランダのメノナイト派の創立者。『良心的反戦論者のアナバプティスト的系譜』(榊原巌 平凡社 1974年 294頁 The Complete Writings of Menno Simons Blasphemy of John of Leiden 1496-1561 p.45)。
38) ドイツのシュヴァルツァッハのアレグザーンダ・マック[1679-1735]が,7人と共にブレザレン派を創立。1871年頃から,非戦のプロテスタントとして知られる。メノナイト派(メノナイト・ブレザレン),フレンド派(クエーカー,キリスト友会)と並んで三大歴史的平和教会 historic peace churches と称される。 
39) ジョージ・フォックス[1624-1691]によって1648年にフレンド会(友会徒 Friends)が作られる。メンバー以外はクエーカー(Quaker)教徒と呼ぶ。
40) 『永遠の平和のために』(カント 宇都宮芳明訳 岩波文庫 1993年 26頁)。
41) 同 27頁。
42) 同 28頁。
43) 『戦争論(上)』(クラウゼヴィッツ 篠田英雄訳 岩波文庫 2000年 29頁)。同書の下巻で,44) 同(下) 1997年 316頁。
45) 『政治的なものの概念』(カール・シュミット 田中浩・原田武雄訳 未來社 1994年 27頁)。“敵とは公敵であって,ひろい意味における私仇ではない。ポレミオス[政敵]であって,エヒトロス[私仇]ではない。ドイツ語には,他の諸国語同様,私的な「敵」と政治的な「敵」との区別がないので,多くの誤解やすりかえの生じる可能性がある。よく引用される章句,「なんじらの敵を愛せ」(マタイ伝 第五章44節,ルカ伝第六章27節)は,[ラテン語では]「なんじらのinimici[私仇ら]を愛せ」,[ギリシア語では],「なんじらのエヒトロスすべてを愛せ」であって[ラテン語の],「なんじらの hostes[公敵ら]を愛せ」ではない。”とシュミットは「敵」を競争相手とかではなく,政治的に限定する「敵」概念を主張する。しかし,キリストが「敵」について愛せない対象すべてを指していることは言うまでもない。「あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし,何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば,たくさんの報いがあり,いと高き方の子となる。いと高き方は,恩を知らない者にも悪人にも,情け深いからである」(ルカ 6:35)。
46) 『永遠の平和のために』(同 38-45頁)。
47) 『政治的なものの概念』(同 62-63頁)。シュミットは60頁で,“無防備の国民には友しか存在しない,と考えるのは,馬鹿げたことであろうし,無抵抗ということによって敵が心を動かされるかもしれないと考えるのは,ずさんきわまる胸算用であろう。”と非武装,無抵抗を批判しているが,
48) 『日本の兵士と農民』(E.H.ノーマン 大窪愿二訳 岩波書店 1958年 72-82頁) ;『日本歴史15 近代[2]』(木戸田四郎共編 岩波講座 1962年 204-205頁)。
49) 『内村鑑三信仰著作全集21』(山本泰次郎編 教文館 1962年 122頁);『内村鑑三集』明治文学全集39(河上徹太郎編 筑摩書房 1967年 308頁);『現代日本思想大系5 内村鑑三』(亀井勝一郎 1964年 413頁)。
50) 『良心的徴兵拒否の思想』(阿部知二 岩波新書 1969年 94頁)。
51) 『臆病者と呼ばれても』(マーカス・セジウイック 金原端人,天川佳代子訳 2004年 34,136頁)。
52) U.S. Government Printing Office Conscientious Objection I BBC放送 Wednesday, 4 November 2009。
53) “当時聖書研究者という呼び名で知られていたエホバの証人の中には,世の事柄に関して明確な中立の立場を守っていない人たちがいました。”(「ものみの塔」誌1995年4月15号 18頁)。Thank God for the privilege of living in the United States! … Everyone who lives under the flag of the United States should be loyal.(合衆国で生活できる特権を神に感謝!合衆国の星条旗の元に暮らす人はだれであっても忠実であるべきです。拙訳)。(英文「ものみの塔」誌1917年5月15日号 6085頁)。Then we say, Let every man who can with a clear conscience to go to war, do so. (では,言います。参戦するのをためらわない良心がある人なら,そうしなさい。拙訳)。(同 6085頁)。The International Bible Students’ Association is not against the Liberty Loan. Many of its members have bought and hold Liberty Bonds.(国際聖書研究生協会[ものみの塔協会]は自由借款(戦争国債)に反対しません。成員の多くは自由公債を購入しています。
54) 『政治的なものの概念』(同  27頁)。
55) 『仏陀を背負いて街頭へ-妹尾義郎と新興仏教青年同盟-』(稲垣真美著 岩波新書 109頁)。
56) 「第二次世界大戦の戦死者」の数については、「第二次世界大戦の戦死者」の具体的な範囲が必ずしも明らかではないが、政府としては、昭和三十八年五月十四日の閣議決定(戦没者追悼式の実施に関する件)において、同年八月十五日に実施する全国戦没者追悼式における戦没者の範囲について、「支那事変以降の戦争による死没者(軍人・軍属及び準軍属のほか、外地において非命にたおれた者、内地における戦災死没者等をも含む者とする。)とする」と決定したところである。そして、政府としては、右の戦没者の数について、約三百十万人であるとしてきたところである。(内閣衆質一五二第一五号平成十三年八月二十八日受領答弁第一五号.第152回国会 2001年8月28日)。
57) 拙稿「戦時下灯台社の顛末」(「『死』を考える」講座 2013年9月);  『神戸と聖書』(「神戸と聖書」編集委員会 2001年 拙稿 211-212頁)。
58) 拙稿「目薬」誌 №23,24 (2001年 10-14頁)。1942年3月28日,第一公判で明石順三[1889-1965] (灯台社代表 戦前ものみの塔聖書冊子協会[エホバの証人]日本支部),妻明石静栄,崔 容源(景鸞)[Choi Young-won日本名:佐野要三 25歳], 玉 応連[Ok Ung-nyun 日本名:玉井良介(官憲の拷問で発狂,獄死23歳)]の5人は非転向を貫く。拙訳)。(英文「ものみの塔」誌1918年5月15日号 6257頁)。
59)『手塚英孝著作集〈第3巻〉』 (手塚英孝 新日本出版社 1983年 311-313頁)。
60)『新カトリック大事典Ⅱ』(新カトリック大事典編纂委員会 研究社 1998年 420頁)。
61) 同 Ⅰ(1996年 1065-1068頁);『カクレキリシタン』(宮崎賢太郎 長崎新聞社 2004年 21頁)。「1873年に禁教令が解かれて信仰の自由が認められた後もカトリックとは一線を画し,潜伏時代より伝承されてきた信仰形態組織下にあって維持し続けている」。
62)『友和』158号 (エルネスト・バルデューチ 1966年)。
63) 前田朗Blog 2013年7月23日付。
64) 『墨子』(和田武司訳 徳間書店 1973年 91頁)。墨子は「非攻主義」により,戦争が本質的に殺人行為であることを論証し,戦争こそが最大の不義であることを力説(同書 20頁)。
65) 『安藤昌益と自然営道』(渡辺大濤 勁草書房1970年 300頁)。
66)  同 149頁。
67) 『証言沖縄「集団自決」』(謝花直美 岩波新書 2008年 11-14頁)。
68) 『十戒の倫理と現代の世界』(笠井惠二 新教出版社 2002年 162頁)。
69) マハトマ・ガンディー[1869-1948] 「“目には目を”は全世界を盲目にしているのだ」。An eye for an eye will make us all blind.『ガンディー 魂の言葉』(浅井幹雄監修 太田出版 2011年 30頁)。
70) マルチン・ルーサー・キング[1929-1968] 『荊冠の神学』(栗林輝夫 新教出版社 1993 年 373 頁)。
71) 1922年大英帝国の総面積3330平方キロ,全世界の陸地面積の22.43%。Empire, The rise and demise of the British world order and the lessons for global power  Niall Ferguson  Basic Books 2004。
72)“Newsweek” 2011.9.14 Andrew Sullivan アンドルー・サリバン 英国人作家。“We have survived and endured as a civilization because we have recognized our errors and corrected them”。
73) Hebrew and English Lexicon of the Old Testament Francis Brown, S.R.Driver and C.A.Briggs Oxford University 1907 p.1022;『平和のコンセプト』(ジョン・マッコーリー 東方敬信訳 新教出版社 2008年 35頁)。
74) 『構造的暴力と平和』(ヨハン・ガルトゥング 高柳先男他訳 中央大学出版部 1991年 44頁)。
75) 『戦争責任』(家永三郎 岩波現代文庫 2002年 338-339頁)。
76) 『第二の罪―ドイツ人であることの重荷』(ラルフ ジョルダーノ 永井 清彦,中島俊哉,片岡哲史訳 白水社 1990年 頁)。
77) 「リスク化する国際社会と戦争責任 ―共生社会をめざして―」(村田充八 西部中会世と教会に関する委員会主催 2013年 32-33頁)。